現代貨幣論研究(15)
銀行券流通に関するマルクスの矛盾する二つの主張
【まえがき】
実はこの小論は、大分前に書き始めたものである(2016年9月の日付がある)。しかし最後まで書かずに、中断してそのままになっていた。しかし『資本論』第5篇の草稿の解読が、エンゲルス版第25章該当個所にさしかかってきて、以前、取り組んだ問題が関連することになってきた。だからやはりこの問題は最後まで書いて決着をつけておこうと思っていたところなのである。そういうわけで、とりあえず、第5篇の草稿の解読が第27章該当部分が終わって一段落がついたので、昔書いたものを引き出して、最後まで何とか格好をつけて、ここに発表することにしたわけである。
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◎貨幣の流通法則は銀行券流通にも妥当する
今回も大谷禎之介氏の新著(『マルクスの利子生み資本論』)の批評を通して、今日的な問題を考えてみようという試みである。
現代貨幣論研究(9~11)で紹介した第30-32章の解説の中の〈4 マルクスは「III)」でなにを明らかにしているか〉の〈(6)信用による貨幣の節約 預金の貨幣機能〉の次の項目、〈(7)流通貨幣量の法則は銀行券流通の場合にも支配する〉を取り上げてみたい。
今回の(7)はその前の(6)に対して比較的短いものとなっている。大谷氏はマルクスの次の一文をまず紹介している。
〈「すでに単純な貨幣流通を考察したところで論証したように,現実に流通する貨幣の量は,流通の速度と諸支払いの節約とを所与として前提すれば,単純に,諸商品の価格と取引の量,等々〔によって〕規定されている。同じ法則は銀行券流通の場合にも支配する。」(MEGA II/42,S.551;本書本巻482ページ。)〉 (大谷同書363頁)
この一文に対して、大谷氏は次のように指摘している。
〈この最後のところで,「同じ法則は銀行券流通の場合にも支配する」と言っているのは重要である。というのも,マルクスが刊行できた『資本論』第1部と第2部草稿および第3部草稿の全体を通じて,このことをこのような言い方で明言している箇所はほとんどここだけだからである。〉 (同363頁)
ただ大谷氏は、だからといってマルクスがこうした理解に到達したのが、第3部草稿のこの「III)」の部分を書いている時だということではないとして、1853年9月に『ニューヨーク・デイリ・トリビュン』に掲載されたマルクスの論説「ヴィーン覚え書き--合衆国とヨーロッパ--シュムラからの書簡--ロバト・ピールの銀行法」の中の一文を紹介している。その内容も重要と思えるので、少し長くなるが、重引・紹介しておこう(大谷氏による傍点による強調箇所は下線で示した)。
〈「さて,これらの前提は,そのどの一つをとっても完全に間違いでないものはなく,事実に矛盾していないものはない。純粋な金属流通を考えてみてさえ,通貨の量が物価を決定しえないのは,それが商工業の取引量を決定しえないのと同じであろう。その反対に,物価が流通にある通貨の量を決定するであろう。為替の逆調と地金の流出は,純粋な金属流通すらも収縮させないであろう。なぜなら,それらは流通にある通貨の量に影響を与えるものではなく,預金として銀行で,あるいは個人のところで眠っている準備の通貨の量に影響を与えるものだからである。他方,為替の順調とそれにともなう地金の流入も,流通中の通貨を増大させずに,銀行業者に預金されていたり,私的個人が退蔵する通貨を増大させる。だから純粋な金属流通についての間違った考え方から出発しているピール条例が,紙幣流通に間違った仕方で金属流通を模倣させる結果となったのは当然である。発券銀行がその銀行券の流通量にたいして統制力をもっているという考えそのものが,まったく途方もないものなのである。兌換銀行券を発行し,また一般に商業証券を見返りに銀行券を前貸する銀行は,1枚でも,流通量の自然の水準を高める力もなければ,それを1枚でも減らす力もない。たしかに銀行は,その顧客が受け取ろうとすれば,どれだけの量でも銀行券を発行することができる。しかし流通にとって必要がなければ,銀行券は預金のかたちでか,債務の返済としてか,あるいは金属と引き替えにか,銀行に戻されるであろう。他方,もし銀行がその発行高を強制的に収縮しようとすれば,流通に生じた空隙〔vacuum〕を埋めるに必要な量だけ,銀行の預金が引き出されることになろう。こうして,銀行は他人の資本を濫用するうえでどれだけの力をもっているにしても,通貨の量にたいしてはなんの力ももっていないのである。」(MEGA I/12,S.321-322:MEW9,S.307.)〉 (同363-264頁)
ところが大谷氏はこの引用文に続けて、次のように書いてこの項目(7)を終えているのである。
〈これが書かれたのは,『経済学批判要綱』に着筆するよりもはるか以前である。第3部草稿第5章について見ても,「I)」すなわちエンゲルス版第28章部分でのフラートン批判が流通貨幣量の法則が銀行券流通についても妥当することを自明としてなされていたことは確実である。マルクスは「III)」のここで,諸種の銀行券の流通量に触れる前に,彼にとって自明であったこのことをひとことつけ加えておいたということだったのであろう。〉 (同364頁)
確かに大谷氏が問題にしているのは〈マルクスは「III)」でなにを明らかにしているか〉だからこれでよいといえばよいのかも知れないが、しかし、大谷氏は本書ではさまざまなところで関連する問題をも論じているのであり、そうした大谷氏の姿勢からするとわれわれは首をかしげざるを得ないのである。なぜなら、大谷氏は極めて重要な理論問題をスルーしているからである。
しかしその問題を論じる前に、少し補足しておくと、大谷氏はマルクスが貨幣流通の法則が銀行券流通にも妥当するということを明確に述べているのは、ここだけであるというのであるが、しかし、マルクス自身はそれ以外の多くの個所で、銀行券を「現金」として、すなわち貨幣、つまり金鋳貨(あるいは補助鋳貨)と同じ機能を果たすものとして論じているのであり、その意味では、銀行券が貨幣の流通法則の支配の下にあることを当然のものとして論じてきているのである。今、その幾つかの例を紹介してみよう。
まず大谷氏自身も〈第3部草稿第5章について見ても,「I)」すなわちエンゲルス版第28章部分でのフラートン批判が流通貨幣量の法則が銀行券流通についても妥当することを自明としてなされていたことは確実である〉と述べているが、まず「Ⅰ)」の部分から見ていくことにしよう。
〈収入の実現のためであろうと資本の移転のためであろうと,貨幣がどちらかの機能で役立つかぎり,貨幣は売買または支払いにおいて,購買手段または支払手段として,そして広義では流通手段として機能するのである。貨幣がその支出者たちまたは受領者たちの計算のなかでもっているそれより進んだ規定,すなわちそれが彼らにとって資本を表わすか収入を表わすかという規定は,この点では絶対になにも変えない。そして,このこともまた二重に現われる。二つの部面で流通する貨幣の種類は違うとはいえ,同じ貨幣片,たとえば1枚の5ポンド銀行券は,一方の部面から他方の部面に移っていって両方の機能をかわるがわる行なう。これは,小売商人が自分の資本に貨幣形態を与えるには,彼が自分の買い手から受け取る鋳貨の形態によるほかはないということだけからも必要なことである。本来の補助鋳貨は絶えず小売商人〔Epicier〕の手のなかにあるとみなすことができる。彼は釣り銭の支払いのために絶えずそれを必要とし,また自分の客から絶えずそれを取り戻す。しかし彼はまた貨幣をも受け取る,すなわち価値尺度たる金属で造った鋳貨,つまりイギリスでならば半ソヴリン貨やソヴリン貨,および銀行券,ことに小額の種類の銀行券,たとえば5ポンド券や10ポンド券をも受け取るのである。この金や銀行券を,彼は毎日,取引銀行に預金し,これをもって(自分の銀行預金への指図によって)自分の手形の支払いをする。しかし,同様に絶えずこの同じソヴリン貨や半ソヴリン貨や銀行券が,消費者としての全公衆によって,彼らの収入の貨幣形態として銀行からふたたび(直接または間接に)引き出され,こうして絶えず小売商人の手に還流し,このようにして彼のために彼の,資本・プラス・収入,の新たな一部分を実現するのである。〉 (大谷本3巻101-102頁)
このようにここではマルクスは、銀行券を、特に少額銀行券を、貨幣として、すなわち金鋳貨と同じものとして扱っている。だからここでは銀行券は補助鋳貨はもちろん、金鋳貨とも同じように、流通手段および支払手段として、広義では流通手段として機能するものとして取り扱っていることが分かるのである。
なおこの一文はマルクスが「Ⅰ)」と番号を打った部分の冒頭のパラグラフに出てくるのであるが、それ以降、マルクスはこの「Ⅰ)」全体を通して、銀行券を「通貨」として取り扱って論じているのである。そして「通貨」はここではマルクスが「貨幣」と述べているものとほぼ同義に扱っていることは、次の一文からも明らかであろう。
〈貨幣の流通する総量の量については,以前に単純な商品流通を考察したときに展開した諸法則があてはまる。流通速度,つまりある一定の期間に同じ貨幣片が購買手段および支払手段として行なう同じ諸機能の反復の回数,同時に行なわれる売買,支払いの総量,流通する商品の価格総額,最後に同じ時に決済されるべき支払差額,これらのものが,どちらの場合にも,流通する貨幣の総量,通貨〔currency〕の総量を規定している。このような機能をする貨幣がそれの支払者または受領者にとって資本を表わしているか収入を表わしているかは,ここでは事柄をまったく変えない。流通する貨幣の総量は購買手段および支払手段としての貨幣の機能によって規定されて〔いる〕のである。〉 (同105-106頁)
このようにここではマルクスは『資本論』の冒頭における単純流通の考察において解明された貨幣の流通法則は、貨幣により具体的な形態規定性が付け加えられようと、事柄を変えることなく貫いていることを指摘するとともに、〈流通する貨幣の総量〉を言い換えて〈通貨〔currency〕の総量〉とも述べて、単純流通における貨幣の流通法則は、すなわち通貨の流通法則でもあり、だからそれは当然、通貨の一つである銀行券にも妥当することを当然として、この「Ⅰ)」全体を論じているのである。
次にマルクスが「II)」と番号を打った部分(現行版では第29章に該当)を見てみよう。
〈銀行業者の資本〔d,Bankerscapital〕は,1)現金(金または銀行券),2)有価証券,から成っている。〉 (同162頁)
このようにここではマルクスは〈現金(金または銀行券)〉と書き、現金には金と同様に銀行券も含まれることを明らかにしている。この一文は、「II)」の冒頭のパラグラフで〈今度は,銀行業者の資本〔d.banker's Capital〕がなにから成っているかをもっと詳しく考察することが必要である〉(同159頁)と述べたあとに、内容的には直接続くものである(というのは、実際にこの一文に直接続くのは、その部分の私の解読のなかでも指摘したが、マルクスが「Ⅰ)」と項目番号を打った部分の結論的部分を続けて論じているのであり、そのあとにここで紹介した一文が、実際の「II)」の具体的な検討内容として始まっているのだからである)。つまりこの「II)」でも、マルクスは銀行券を現金として取り扱うことをまず最初に述べているといえるのである。だからこの「II)」全体を通しても同じ観点から書かれている。例えば次のように述べている。
〈預金はつねに貨幣(金または銀行券)でなされる。〉 (同180頁)
ここでは「現金」ではなく、「貨幣」を説明して、それが「金または銀行券」であることを指摘している。
同じことは「III)」とマルクスが番号を打った部分(エンゲルス版では第30-32章に該当)でもいえるのである。気づいたものを紹介しておこう。
〈monied Capitalの過剰供給は,どの程度まで,停滞しているもろもろの貨幣量(鋳貨\ 地金または銀行券)と同時に生じ,したがって貨幣の量の増大で表現されるのか?〉 (412頁)
これも「III)」の冒頭のパラグラフにあるものであるが、貨幣量を説明して、〈(鋳貨\ 地金または銀行券)〉と書いている。この〈鋳貨\ 地金〉という記述は、マルクスが「鋳貨」を消さずに、その上に「地金」と書いているということである。つまりここでもマルクスは鋳貨、地金、銀行券を貨幣の量を構成するものとして取り扱っていることが分かるのである。
〈a)貸付可能な資本〔loanable capital〕の大きさは通貨〔Circulation〕の量とはまったく異なるものであること{この量の一部分は,銀行業者の準備であり,この準備は変動している。ここで通貨〔Circulation〕の量と言うのは,すべての銀行券と地金のことである,等々}〉 (488頁)
ここでは通貨の量を説明して、すべての銀行券と地金のことだと述べており、銀行券も地金と同じく通貨として取り扱っていることが明言されている。
〈利子率の変動{比較的長い期間に生じる変動,あるいは国の相違による利子率の相違は度外視するが,前者は一般的利潤率の変動によって,後者は利潤率と信用制度の発展とにおける相違によって〔制約されている〕}は,moneyed Capitalの量の状況に左右される{信頼等々のようなそのほかのすべての事情が同じままだとすれば}。すなわち,それ自体として商業信用に媒介されて再生産的当事者たち自身のあいだで貸し付けられる生産的資本とは区別される,鋳貨や銀行券という貨幣の形態で貸し付けられる資本の量の状況に左右される。〉 (494頁)
ここでは「貨幣の形態」として「鋳貨」と「銀行券」が挙げられている。
〈いま述べた例外を別とすれば,moneyed Capita1の蓄積は,たとえば1852年と1853年に,オーストラリアとカリフォルニアの〔金鉱の〕発見の結果として生じたような,異常な地金流入によって〔生じる〕こともありうる。〔それらは〕イングランド銀行に預金された。〔この預金は引き出されて〕その代わりに銀行券が受け取られたが,金の所有者であった人びとは,この銀行券をすぐに銀行業者のもとに預金することをしなかった。そのために異常な通貨〔Circulation〕〔量が生じた〕。〉 (498-499頁)
ここでは預金された地金が銀行券で引き出され、すぐに再び預金されることが無かったので、異常な通貨の量が生じたことが指摘されている。つまり銀行券の増加が通貨の増加として述べられている。
このように「III)」全体においても、マルクスは銀行券を貨幣として、あるいは通貨として、地金や金鋳貨や補助鋳貨と同じものとして取り扱っていることが分かるのである。
◎一見すると矛盾しているとしか思えないマルクスの叙述
しかし、このように、マルクスが銀行券を現金や貨幣として取り扱い、その流通が貨幣の流通法則の支配の下にあるという主張を見ると、どうしてもわれわれは一つの疑問に突き当たるのである。それが先に述べた、大谷氏が重要な理論問題をスルーしているということと関連している。だから今度はその問題について考えてみよう。
マルクスはエンゲルス版第25章該当部分の草稿では次のように書いていた。
〈私は前に,どのようにして単純な商品流通から支払手段としての貨幣の機能が形成され,それとともにまた商品生産者や商品取扱業者のあいだに債権者と債務者との関係が形成されるか,を明らかにした。商業が発展し,ただ流通だけを考えて生産を行なう資本主義的生産様式が発展するにつれて,信用システムのこの自然発生的な基礎〔Grundlage〕は拡大され,一般化され,仕上げられていく。だいたいにおいて貨幣はここではただ支払手段としてのみ機能する。すなわち,商品は,貨幣と引き換えにではなく,書面での一定期日の支払約束と引き換えに売られるのであって,この支払約束をわれわれは手形という一般的範疇のもとに包括することができる。これらの手形は,その支払満期にいたるまで,それ自身,支払手段として流通するのであり,またそれらが本来の商業貨幣をなしている。およびそれらは,最終的に債権債務の相殺によって決済されるかぎりでは,絶対的に貨幣として機能する。というのは,この場合には貨幣へのそれらの最終的転化が生じないからである。生産者や商人のあいだで行なわれるこれらの相互的な前貸が信用制度の本来の基礎〔Grundlage〕をなしているように,彼らの流通用具である手形が本来の信用貨幣,銀行券流通等々の基礎をなしているのであって,これらのものの土台〔Basis〕は,貨幣流通(金属貨幣であろうと国家紙幣であろうと)ではなくて,手形流通なのである。〉 (大谷新著第2巻159-160頁)
つまりここではマルクスは銀行券流通の基礎は手形流通であって、貨幣流通ではないと明言しているのである。ところが「Ⅰ)」以下で、利子生み資本の信用制度のもとでの具体的な運動形態を考察するなかでは、マルクスは一転して、貨幣流通の法則は銀行券流通の場合にも支配することを前提として論じているのである。それをもっとも明示的に書いているのが、「III)」の大谷氏が先に引用・紹介している一文なのである。
しかしここには明らかに整合しないものがあると思うのは私だけではないであろう。一方は銀行券流通は手形流通に立脚し、貨幣流通(マルクスはわざわざ金属貨幣であろうと国家紙幣であろうとと断っている)ではないといい、他方は銀行券流通は貨幣流通の法則に支配されるという。一体、どっちやねん、と私でなくても疑問に思うであろう。つまり大谷氏はこうした重要な理論問題を不問にしているのである。大谷氏がこうしたマルクスの一見すると矛盾しているとしか思えない叙述に気づいていない筈はないと思うのだが、それを問題にしていない、うがった見方をすると“避けている”のである。
しかしこの問題は、現代の通貨、すなわち円札やドル札などの不換銀行券を如何に理解するかという理論問題とも深く関わってくる重大な問題なのである。だからこの問題を私なりに少し考えてみようと思うのである。
この問題を考える上でヒントになるのは上記に紹介した一文と同じエンゲルス版第25章該当部分の草稿の次の一文である。
〈ところで,銀行業者が与える信用はさまざまな形態で,たとえば,銀行業者手形,銀行信用,小切手,等々で,最後に銀行券で,与えられることができる。銀行券は,持参人払いの,また銀行業者が個人手形と置き換える,その銀行業者あての手形にほかならない。この最後の信用形態はしろうとには,とくに目につく重要なものとして現われる。なぜならば,信用貨幣のこの形態はたんなる商業流通から出て一般的流通にはいり,ここで貨幣として機能しており,また,たいていの国では銀行券を発行する主要銀行は,国立銀行〔Nationalbank〕と私立銀行との奇妙な混合物として事実上その背後に国家信用〔Nationalcredit〕をもっていて,その銀行券は多かれ少なかれ法貨でもあるからである。なぜならば,銀行券は流通する信用章標にすぎないので,ここでは,銀行業者が取り扱うものが信用そのものであることが目に見えるようになるからである。しかし,銀行業者はそのほかのあらゆる形態での信用でも取引するのであって,彼が自分に預金された貨幣を現金で前貸する場合でさえもそうである,等々。実際には,銀行券はただ卸売業の鋳貨をなしているだけであって,銀行で主要な問題となるのはつねに預金である。たとえば,スコットランドの諸銀行を見よ。〉 (同第2巻177-178頁)
ここでもマルクスは銀行券を説明して、〈銀行券は,持参人払いの,また銀行業者が個人手形と置き換える,その銀行業者あての手形にほかならない〉と述べている。つまりそれは本来は手形流通に立脚して、銀行業者が産業資本家や商業資本家に与える信用の一形態だと説明している。すなわちそれは手形流通に立脚し、商業流通内で流通するものだとしているのである。しかし同時に、マルクスは銀行券という信用形態は、素人目には重要なものとして現れるとして、その理由の一つとして〈なぜならば,信用貨幣のこの形態はたんなる商業流通から出て一般的流通にはいり,ここで貨幣として機能しており,また,たいていの国では銀行券を発行する主要銀行は,国立銀行〔Nationalbank〕と私立銀行との奇妙な混合物として事実上その背後に国家信用〔Nationalcredit〕をもっていて,その銀行券は多かれ少なかれ法貨でもあるからである〉と述べている。つまり銀行券は、とくにイングランド銀行券のように国家によって法貨として規定されているものは、商業流通から出て、貨幣として機能していると述べている。どうして銀行券はこのように商業流通から出て貨幣として機能するようになるのかについては何もマルクスは言及していないが、一つの事実としてこう述べているのである。
そしてまさにこうした一般流通に出て貨幣として機能している銀行券こそ、これまでわれわれが草稿の「5)信用。架空資本」のⅠ)~III)で見てきたような、銀行券を現金として地金や鋳貨と同じものとして、貨幣流通の法則に支配されるものとしてマルクスは論じているものなのである。
一般的に手形流通に立脚して、手形に代わって流通する銀行券の額面は大きく、イギリスでは100ポンドというような額の銀行券が多い(日本でも明治・大正・昭和の初期のころには、額面が数円から数百円という大きな額面の銀行券が流通していた)。それに対して、一般流通で流通する銀行券は少額の銀行券である(マルクスは5ポンドや10ポンドと述べている)。もともと銀行券そのものは今日のように定額のものとは限らず、ごく初期のものは手形と同じような端数のあるものだったのである。ただ発行主体が商業信用のように再生産的資本家(産業資本家や商業資本家)ではなく、銀行であるという点が異なるだけのものであった。しかし発行主体が異なるということは決して、どうでもよいものではない。なぜなら、前者は商業信用として再生産過程内の信用であるのに対して、後者は銀行が貨幣信用にもとづいて発行するものであり、利子生み資本の運動の一形態だからである。だからこれらは再生産過程外の信用にもとづいているのである。この信用の二つのものの相違は、以前、第28章該当部分の草稿を解読するなかでもその区別の重要性について説明したことがあるので、それを参照してもらいたい。
◎銀行券が一般流通に出て、貨幣として通用する根拠
では本来は商業信用にもとづく手形に代行して(手形割引等によって)、貨幣信用にもとづいて発行され、商業流通内に留まっていた銀行券が、どうして一般流通に出て、そこで貨幣として通用するようになるのであろうか。
しかしその事情は、手形流通やそれにもとづく銀行券流通そのものにあるのではない。つまり銀行券という信用形態そのものに、そうした一般流通に出て行く根拠が存するわけではないのである。というのは、それが一般流通に出て貨幣として通用するのは、一つの歴史的な過程であり、事実だからである。それは貨幣形態が最終的には金商品に固着するのがそうであるのとある意味では同じである。だからそれは何か理論的にどうこうというような問題ではないのである。
つまり、少額の銀行券が一般流通に出て、貨幣として通用する根拠は、貨幣流通そのものにある。われわれは貨幣の流通手段としての機能が、金鋳貨を象徴化させ、やがて金鋳貨に代わる代理物、例えば補助鋳貨や紙幣を流通させることを『資本論』の第1巻第3章で学んだ。まさにこうした流通手段としての貨幣の機能こそ、銀行券を一般流通にとりこみ、金鋳貨を代理するものとして流通させる根拠なのである。だから当然、こうした銀行券が貨幣の流通法則に支配されるのは言うまでもない。
つまり銀行券が貨幣として、あるいは現金として流通している根拠は、紙幣がそうであるのとまったく同じものなのである。これは銀行券が兌換券であるか否か、つまり不換銀行券かどうかということとはまったく関係がない。人によっては、現在の銀行券が不換券であるから、それはますます紙幣に近づいている等々と評価しているが、しかしこうした主張は、一般流通で流通している銀行券の流通根拠を正しく理解していないことをむしろ暴露しているのである。
つまり銀行券が貨幣として通用するのは、貨幣の流通手段としての機能、特にその象徴性と瞬過性にもとづいている。こうした流通手段としての貨幣の機能は、金貨幣に代わって紙幣を流通させることに帰着するのであるが、同じように、流通手段としての貨幣の機能は、歴史的にはさまざまなものをこうした貨幣の代理物として通用させてきたのである。そして何がそうした機能を果たす代理物になるのかは、社会的な慣習や歴史的な事情や過程、その産物であって、何か理論的に解明できるようなものではないのである。マルクスはやはり『経済学批判』のなかで次のように説明している。
〈ロシアは価値章標の原生的成立の適切な実例を見せてくれる。獣皮と毛皮製品がロシアで貨幣として役だっていた時代に、このいたみやすく取扱いに不便な材料と流通手段としてのその機能との矛盾は、極印をおした革の小片をその代わりに使う習慣を生みだし、こうしてこの革の小片が、獣皮や毛皮製品で支払われる指図証券となった。その後、この革の小片は、コペイカという名称で銀ルーブリの一部分にたいするただの章標となり、ところによっては、ピョートル大帝がそれを国家の発行した小銅貨と引き換えに回収するように命じた1700年まで、そのままつづいて使用されていた。〉 (全集第13巻96頁)
つまり流通手段として貨幣の役割を果たしていた獣皮や毛皮に代わって、革の小片がコペイカという名称でそれらの代理物として通用していたのが、それがそのまま銀ルーブリの章標として通用していたというのである。そしてその小片はピョートル大帝の時代には小銅貨と引き換えに回収され、同じコペイカとして今度は小銅貨が銀ルーブリの補助鋳貨として流通したということである。それ以外にも、マルクスは同じ文脈のなかで、古代ローマでもすでに金銀鋳貨がすでに象徴または価値章標として把握されていたことや、中国では強制通用力をもつ紙幣がはやくからあったこと、等と述べている。このように、われわれは歴史的にさまざまなものが貨幣の代理物として通用していた事実を知ることができるのである。
このように銀行券の一般流通における流通根拠を正しく指摘しているのは、私の知る限りでは下平尾勲氏である。氏は「不換通貨ドルと世界貨幣(3)--不換通貨ドルの国際通貨としての流通をめぐる問題によせて--」(『商学論叢』第60巻第3号1992年1月)のなかで次のように論じている。
〈商業手形が銀行券に換えられ,債務請求権が幅広く流通し,さらに商業流通から出て,一般流通のなかに入りこんでいく。商品生産が発展すればするほど,商業流通では手形や小切手が流通し,債務請求権が相殺されればされるほど,銀行券は大口取引の支払差額の決済と一般流通の中に追いやられる。銀行券は,商業手形の流通によって基礎づけられているにもかかわらず,商業手形の流通とは別の一般流通に支配されることとなる。「銀行券は貨幣流通……の上に立つのではなく,手形流通の上にたつ」(K.III,S.436〔413〕)という章句は、商品流通の発達にともない商業手形が流通しており,その商業手形の割引きによって銀行券が発生してきたという歴史的な位置について述べたものである。歴史的には,銀行券の流通は商業手形の運動に規定されるというのである。ところで,銀行券の流通は商業流通においてよりも,一般流通において決定的な意義を獲得した瞬間,それは,貨幣流通の法則に支配されることとなった。「げんじつに流通する貨幣の量は,……諸商品の価格と諸取引の量とによって決定される……。おなじ法則は銀行券の流通にも支配的に行われる」(K.III,S.567〔538〕)。「流通銀行券の量は,取引上の必要に対応するのであって……」(K.III,S.569〔540〕),「銀行券の流通はイングランド銀行の意志から独立しているのと同様に,この銀行券の兌換性を保証する同銀行地下室の金準備の状態からも独立している」(K.III,S.571〔541〕)。
商業手形という支払約束証書が流通していなければ,いつでも持参人にたいして貨幣を支払うという保証つきの支払約束証書(銀行券)は流通えなえったであろう。しかし商業流通の中から形成された銀行券も,その中では大きな地位を占めず,ほとんど一般流通の中で用いられるならば.銀行券は主に流通手段の運動に規制されることとなる。つまり,商品流通がいかなる状況にあるかによって,銀行券の運動が規定されるということである。そこで次の二つの問題に注目すべきである。
第一には,兌換銀行券の流通根拠は金との交換性にあるのではなく,商品流通,とくに一般的商品流通,つまり流通手段としての貨幣によって規定されるということである。商品の流通がいかように行われているかが銀行券の性格を規定するのであって,金との交換は銀行券の流通の保証条件であるにすぎない。現実資本の還流が円滑に行われるならば,金と銀行券との交換ということは現実問題とはなりえない。発券銀行は,銀行券の発行を統制できないし,公衆の手にある銀行券の額を増加させることもできない。銀行券の流通は金属準備量の増減とは全く独立しているように,一般流通においては,金との交換性とは独立に運動しており,商品の流通によってのみ規定される。
第二に,銀行券は兌換されても兌換されなくても,銀行券の流通の根拠は商品流通にほかならないということである。兌換銀行券が流通過程の中では全くといってよいほど兌換されないで流通していたからこそ,兌換を停止された銀行券が流通することとなるのである。このことは,兌換銀行券から不換銀行券への転化の条件は兌換銀貨券の流通それ自体の中にあって,兌換銀行券そのものには含まれていないということである。それは銀行券を運動させる商品の流通のありようによって規定されているからである。〉(113-114頁)
また同氏が引用・紹介しているアダム・スミスの『国富論』の一文も紹介しておこう。
「ロンドンの場合のように.10ポンド以下の価値の銀行券が流通していないところでは、紙券は,商人のあいだの流通面にもっぱら限定される。10ポンドの銀行券が消費者の手に渡ると、ふつうは小さくならないと困るので、5シリングの価値の財貨を買う必要があれば、まずその店で買って小さくしてもらう。だから,この銀行券は,消費者がその40分の1も使わないうちに,商人の手にもどってくる場合が多い。ところがスコットランドの場合のように,20シリングという少額の銀行券が発行されているところでは、紙券の流通は商人たちと消費者とのあいだのかなりな部分にまで拡大する。議会の法令によって、10シリング券と5シリング券の流通が停止されるまでは、紙券はこの流通面のいっそう大きい部分を満たしていた。北アメリカの通貨の場合は、紙券は1シリングというような少額について発行されるのが普通であって、商人と消費者のあいだの流通のほとんど全体を満たしていた。ヨ一クシャーのある種の紙券の場合には,6ペンスという少額のものさえ発行されたのである」(『諸国民の富(二)』岩波文庫321-322頁)
これを見ても、スミスが生きていた当時は、高額の銀行券は「商人のあいでの流通にもっぱら限定され」ていたことがわかる。スコットランドや北アメリカのような少額の銀行券が発行されていたところでは、それが一般流通に入っていって貨幣として通用していたこともわかる(イングランドでも当初は少額銀行券が流通していたが、イングランドやウェールズではイングランド銀行の覇権が強く、株式銀行の発達が制限されたために、恐慌時に多くの小規模発券銀行が倒産して、それらの倒産した発券銀行の少額の銀行券を保持していた労働者が紙屑になった銀行券で大きな被害を受けたので、それ以降、5ポンド以下の支払は鋳貨で行うことが法律で決まった経緯があるのである。スコットランドでは早くから株式銀行が発達し、恐慌時の倒産も少なかったために、少額銀行券が発行され続けたと言われている。マルクスもスコットランドでは金貨は流通していないと指摘している)。
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だいたい、以上が昔書いたもので、そのまま中断した状態になっていたものである。そのあと、同じ問題を別のブログ(『資本論』学習資料室)に先に書いてしまったので、重複する内容を書くのも気が引けるので、やや木に竹を繋ぐ感が否めないが、その別のブログに書いた関連する部分を、以下、そのまま掲載しておくことにする。なんとも無様な次第だがご容赦ねがいたい。
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◎『資本論』学習資料室における説明
しかしもっとややこしいのは銀行券です。現在の日銀券は明らかに流通貨幣として通用しています。つまりそれは「現金」なのです。しかし日銀券も戦前の一時期は信用貨幣として大口の取引で利用されていた時期もあったのです(明治17年の「兌換銀行券条例」によって当時1円、5円、10円、20円、50円、100円、200円の7種の銀行券が発行されていました。明治の1円は現在のほぼ2万円ぐらいの重みがあったと言われています)。そうしたものがやがて少額の銀行券が発行されるようになって、小口取引でも利用されるようになると、それは補助鋳貨や紙幣と同じ流通根拠で(つまり貨幣の流通手段としての機能である象徴性や瞬過性によって)通貨として流通するようになるのです。だから銀行券は歴史的にはその性格が変わってきたという認識が重要なのです。しかしこの点は『資本論』でもそれほど明確に展開されているわけではありません。だから多くの人たちを混乱させてきたのです。
マルクスは第3部第25章該当部分では、最初は〈生産者や商人のあいだで行なわれるこれらの相互的な前貸が信用制度の本来の基礎〔Grundlage〕をなしているように,彼らの流通用具である手形が本来の信用貨幣,銀行券流通等々の基礎をなしているのであって,これらのものの土台〔Basis〕は,貨幣流通(金属貨幣であろうと国家紙幣であろうと)ではなくて,手形流通なのである。〉(大谷前掲書160頁)と述べながら、別のところでは〈銀行券は,持参人払いの,また銀行業者が個人手形と置き換える,その銀行業者あての手形にほかならない。……信用貨幣のこの形態はたんなる商業流通から出て一般的流通にはいり,ここで貨幣として機能しており,また,たいていの国では銀行券を発行する主要銀行は,国立銀行〔Nationalbank〕と私立銀行との奇妙な混合物として事実上その背後に国家信用〔Nationalcreditを〕もっていて,その銀行券は多かれ少なかれ法貨でもあるからである。〉(同178頁)と述べています。さらには〈すでに単純な貨幣流通を考察したところで論証したように,現実に流通する貨幣の量は,流通の速度と諸支払いの節約とを所与として前提すれば,単純に,諸商品の価格と取引の量,等々〔によって〕規定されている。同じ法則は銀行券流通の場合にも支配する。〉(大谷本第3巻482頁)などと述べています。つまり一方では銀行券の流通は手形流通に立脚するのであって、貨幣流通に立脚するのではないといいながら、他方では銀行券流通は貨幣の流通法則に支配されると述べているのです。だから一見すると一方で否定したことを他方では肯定しているように見えるのです。だからその理解に多くの混乱が生じているのです。しかしマルクス自身はすでに『資本論』第1巻で次のように述べています。
〈イングランド銀行は、この銀行券を用いて手形を割り引くこと、商品担保貸付をすること、貴金属を買い入れることを許された。まもなく、この銀行自身によって製造されたこの信用貨幣は鋳貨となり、この鋳貨でイングランド銀行は国への貸付をし、国の計算で公債の利子を支払った。〉 (全集第23b巻985頁)
このように、イングランド銀行券は、〈まもなく〉〈信用貨幣〉から〈鋳貨〉になったと述べています。つまり手形を割り引いて手形流通に立脚して流通する信用貨幣から、歴史的に貨幣の流通法則に規制される鋳貨(通貨)になったと述べているのです。また『経済学批判』では、〈諸商品の交換価値がそれらの交換過程をつうじて金貨幣に結晶するのと同じように、金貨幣は通流のなかでそれ自身の象徴に昇華する。はじめは摩滅した金鋳貨の形態をとり、次には補助金属鋳貨の形態をとり、そして最後には無価値な表章の、紙券の、単なる価値章標の形態をとって昇華するのである。〉(草稿集③330頁)と述べています。つまり金鋳貨が補助鋳貨になったり、無価値な表章、紙券になるのは、貨幣形態が交換過程を通じて諸商品のなかからやがては金に固着したように、一つの歴史的な過程なのだと述べています。だから銀行券も最初は額面の大きなときは大口の商業流通の内部で、手形流通に立脚して流通していたものが、やがて少額の銀行券が発行され、小口取引にそれらが出て行くようになると貨幣流通に立脚する紙券や補助鋳貨と同じものとして流通するように歴史的になっていったのだということです。そして今日の銀行券は後者のものだけが流通していると言えるでしょう。
だからある論者は、銀行券は信用貨幣だが、兌換が停止されることによってますます限りなく紙幣に近づいたものになったのだとか何とか、わけの分からない理屈を並べていますが、ようするに何も分からないことを知ったかぶって分かったように折衷して誤魔化しているだけなのです。兌換券か不換券かといったことはここでは何ら本質的な問題ではないということが分かっていないのです。
ところで現在の日本銀行券はいうまでもなく日本銀行によって発行されています。後に注103)のなかで紹介する日銀のバランスシートを見ると、日銀券は日銀がその信用だけで発行している債務証書という形をとっています(負債の部に記帳されている)。ではどの段階で、それは通貨になるのでしょうか。まず日銀は銀行券の印刷(生産)を独立行政法人国立印刷局(以前は財務省印刷局、大蔵省印刷局)に発注します。印刷局は製品として生産した銀行券を日銀に納入します。この段階では銀行券はまだ単なる商品資本という形態規定性をもっているだけです。素材的には確かにそれはすでに「お札」の姿形をしていますが、まだ貨幣ですらないのです。日銀に当座預金をもっている市中銀行は、常に準備としてもっている一定額の現金(日銀券と硬貨)が少なくなってきたので、日銀にある自身の当座預金から、現金を引き出します。こうして日銀券は初めて日本銀行の外に出て行きます。しかしこの段階でも、日銀券はまだ通貨ではなく、日銀にとっては利子生み資本(monied capital)であり、市中銀行にとってもやはり利子生み資本(monied capital)でしかないのです。次に一般の企業が労働者に賃金を支払うために、市中銀行にある自身の預金から日銀券を引き出したとします。しかしこの段階でもまだ日銀券は利子生み資本であって通貨ではないのです。企業がそれを労働者に支払った時点で、それは初めて通貨になるのです。それは労働力という商品を企業が購入したことによって支払手段として流通したのです。あるいは労働者が受け取った日銀券で生活手段を購入した場合、それは流通手段として流通します。だから銀行券は確かに日銀が発行しますが、現実に流通する日銀券、つまり「通貨」という規定性をもっている日銀券は、労働力や諸商品が流通する現実に規定されて、流通するに過ぎません。だから日銀には通貨を恣意的に増減させるどんな力もないのです。それは商品市場に規定されてただ受動的に流通するに過ぎないからです。さまざまな御仁があたかも日本銀行は輪転機を回せばいくらでもお金を生み出せる、ジャブジャブと通貨を供給せよなどと言ったりしていますが、これなどはまったく「通貨」の何たるかが分かっていない人の妄想の類でしかないのです。
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以上が、『資本論』学習資料室に書いた内容です。
(とりあえず、この問題はこれで終わります。この問題にはまだ残された課題がいくつかあり、別の機会にまた論じるかも知れませんが……)