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現代貨幣論研究

2021年2月14日 (日)

現代貨幣論研究(15)

銀行券流通に関するマルクスの矛盾する二つの主張

 

 【まえがき】

 実はこの小論は、大分前に書き始めたものである(2016年9月の日付がある)。しかし最後まで書かずに、中断してそのままになっていた。しかし『資本論』第5篇の草稿の解読が、エンゲルス版第25章該当個所にさしかかってきて、以前、取り組んだ問題が関連することになってきた。だからやはりこの問題は最後まで書いて決着をつけておこうと思っていたところなのである。そういうわけで、とりあえず、第5篇の草稿の解読が第27章該当部分が終わって一段落がついたので、昔書いたものを引き出して、最後まで何とか格好をつけて、ここに発表することにしたわけである。

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◎貨幣の流通法則は銀行券流通にも妥当する

 

  今回も大谷禎之介氏の新著(『マルクスの利子生み資本論』)の批評を通して、今日的な問題を考えてみようという試みである。

 現代貨幣論研究(9~11)で紹介した第30-32章の解説の中の〈4 マルクスは「III)」でなにを明らかにしているか〉の〈(6)信用による貨幣の節約 預金の貨幣機能〉の次の項目、〈(7)流通貨幣量の法則は銀行券流通の場合にも支配する〉を取り上げてみたい。
 今回の(7)はその前の(6)に対して比較的短いものとなっている。大谷氏はマルクスの次の一文をまず紹介している。

 〈「すでに単純な貨幣流通を考察したところで論証したように,現実に流通する貨幣の量は,流通の速度と諸支払いの節約とを所与として前提すれば,単純に,諸商品の価格と取引の量,等々〔によって〕規定されている。同じ法則は銀行券流通の場合にも支配する。」(MEGA II/42,S.551;本書本巻482ページ。)〉 (大谷同書363頁)

 この一文に対して、大谷氏は次のように指摘している。

 〈この最後のところで,「同じ法則は銀行券流通の場合にも支配する」と言っているのは重要である。というのも,マルクスが刊行できた『資本論』第1部と第2部草稿および第3部草稿の全体を通じて,このことをこのような言い方で明言している箇所はほとんどここだけだからである。〉 (同363頁)

 ただ大谷氏は、だからといってマルクスがこうした理解に到達したのが、第3部草稿のこの「III)」の部分を書いている時だということではないとして、1853年9月に『ニューヨーク・デイリ・トリビュン』に掲載されたマルクスの論説「ヴィーン覚え書き--合衆国とヨーロッパ--シュムラからの書簡--ロバト・ピールの銀行法」の中の一文を紹介している。その内容も重要と思えるので、少し長くなるが、重引・紹介しておこう(大谷氏による傍点による強調箇所は下線で示した)。

 〈「さて,これらの前提は,そのどの一つをとっても完全に間違いでないものはなく,事実に矛盾していないものはない。純粋な金属流通を考えてみてさえ,通貨の量が物価を決定しえないのは,それが商工業の取引量を決定しえないのと同じであろう。その反対に,物価が流通にある通貨の量を決定するであろう。為替の逆調と地金の流出は,純粋な金属流通すらも収縮させないであろう。なぜなら,それらは流通にある通貨の量に影響を与えるものではなく,預金として銀行で,あるいは個人のところで眠っている準備の通貨の量に影響を与えるものだからである。他方,為替の順調とそれにともなう地金の流入も,流通中の通貨を増大させずに,銀行業者に預金されていたり,私的個人が退蔵する通貨を増大させる。だから純粋な金属流通についての間違った考え方から出発しているピール条例が,紙幣流通に間違った仕方で金属流通を模倣させる結果となったのは当然である。発券銀行がその銀行券の流通量にたいして統制力をもっているという考えそのものが,まったく途方もないものなのである。兌換銀行券を発行し,また一般に商業証券を見返りに銀行券を前貸する銀行は,1枚でも,流通量の自然の水準を高める力もなければ,それを1枚でも減らす力もない。たしかに銀行は,その顧客が受け取ろうとすれば,どれだけの量でも銀行券を発行することができる。しかし流通にとって必要がなければ,銀行券は預金のかたちでか,債務の返済としてか,あるいは金属と引き替えにか,銀行に戻されるであろう。他方,もし銀行がその発行高を強制的に収縮しようとすれば,流通に生じた空隙vacuum〕を埋めるに必要な量だけ,銀行の預金が引き出されることになろう。こうして,銀行は他人の資本を濫用するうえでどれだけの力をもっているにしても,通貨の量にたいしてはなんの力ももっていないのである。」(MEGA I/12,S.321-322:MEW9,S.307.)〉 (同363-264頁)

 ところが大谷氏はこの引用文に続けて、次のように書いてこの項目(7)を終えているのである。

 〈これが書かれたのは,『経済学批判要綱』に着筆するよりもはるか以前である。第3部草稿第5章について見ても,「I)」すなわちエンゲルス版第28章部分でのフラートン批判が流通貨幣量の法則が銀行券流通についても妥当することを自明としてなされていたことは確実である。マルクスは「III)」のここで,諸種の銀行券の流通量に触れる前に,彼にとって自明であったこのことをひとことつけ加えておいたということだったのであろう。〉 (同364頁)

 確かに大谷氏が問題にしているのは〈マルクスは「III)」でなにを明らかにしているか〉だからこれでよいといえばよいのかも知れないが、しかし、大谷氏は本書ではさまざまなところで関連する問題をも論じているのであり、そうした大谷氏の姿勢からするとわれわれは首をかしげざるを得ないのである。なぜなら、大谷氏は極めて重要な理論問題をスルーしているからである。

 しかしその問題を論じる前に、少し補足しておくと、大谷氏はマルクスが貨幣流通の法則が銀行券流通にも妥当するということを明確に述べているのは、ここだけであるというのであるが、しかし、マルクス自身はそれ以外の多くの個所で、銀行券を「現金」として、すなわち貨幣、つまり金鋳貨(あるいは補助鋳貨)と同じ機能を果たすものとして論じているのであり、その意味では、銀行券が貨幣の流通法則の支配の下にあることを当然のものとして論じてきているのである。今、その幾つかの例を紹介してみよう。

 まず大谷氏自身も〈第3部草稿第5章について見ても,「I)」すなわちエンゲルス版第28章部分でのフラートン批判が流通貨幣量の法則が銀行券流通についても妥当することを自明としてなされていたことは確実である〉と述べているが、まず「Ⅰ)」の部分から見ていくことにしよう。

 〈収入の実現のためであろうと資本の移転のためであろうと,貨幣がどちらかの機能で役立つかぎり,貨幣は売買または支払いにおいて,購買手段または支払手段として,そして広義では流通手段として機能するのである。貨幣がその支出者たちまたは受領者たちの計算のなかでもっているそれより進んだ規定,すなわちそれが彼らにとって資本を表わすか収入を表わすかという規定は,この点では絶対になにも変えない。そして,このこともまた二重に現われる。二つの部面で流通する貨幣の種類は違うとはいえ,同じ貨幣片,たとえば1枚の5ポンド銀行券は,一方の部面から他方の部面に移っていって両方の機能をかわるがわる行なう。これは,小売商人が自分の資本に貨幣形態を与えるには,彼が自分の買い手から受け取る鋳貨の形態によるほかはないということだけからも必要なことである。本来の補助鋳貨は絶えず小売商人〔Epicier〕の手のなかにあるとみなすことができる。彼は釣り銭の支払いのために絶えずそれを必要とし,また自分の客から絶えずそれを取り戻す。しかし彼はまた貨幣をも受け取る,すなわち価値尺度たる金属で造った鋳貨,つまりイギリスでならば半ソヴリン貨やソヴリン貨,および銀行券,ことに小額の種類の銀行券,たとえば5ポンド券や10ポンド券をも受け取るのである。この金や銀行券を,彼は毎日,取引銀行に預金し,これをもって(自分の銀行預金への指図によって)自分の手形の支払いをする。しかし,同様に絶えずこの同じソヴリン貨や半ソヴリン貨や銀行券が,消費者としての全公衆によって,彼らの収入の貨幣形態として銀行からふたたび(直接または間接に)引き出され,こうして絶えず小売商人の手に還流し,このようにして彼のために彼の,資本・プラス・収入,の新たな一部分を実現するのである。〉 (大谷本3巻101-102頁)

 このようにここではマルクスは、銀行券を、特に少額銀行券を、貨幣として、すなわち金鋳貨と同じものとして扱っている。だからここでは銀行券は補助鋳貨はもちろん、金鋳貨とも同じように、流通手段および支払手段として、広義では流通手段として機能するものとして取り扱っていることが分かるのである。
 なおこの一文はマルクスが「Ⅰ)」と番号を打った部分の冒頭のパラグラフに出てくるのであるが、それ以降、マルクスはこの「Ⅰ)」全体を通して、銀行券を「通貨」として取り扱って論じているのである。そして「通貨」はここではマルクスが「貨幣」と述べているものとほぼ同義に扱っていることは、次の一文からも明らかであろう。

 〈貨幣の流通する総量の量については,以前に単純な商品流通を考察したときに展開した諸法則があてはまる。流通速度,つまりある一定の期間に同じ貨幣片が購買手段および支払手段として行なう同じ諸機能の反復の回数,同時に行なわれる売買,支払いの総量,流通する商品の価格総額,最後に同じ時に決済されるべき支払差額,これらのものが,どちらの場合にも,流通する貨幣の総量,通貨currencyの総量を規定している。このような機能をする貨幣がそれの支払者または受領者にとって資本を表わしているか収入を表わしているかは,ここでは事柄をまったく変えない。流通する貨幣の総量は購買手段および支払手段としての貨幣の機能によって規定されて〔いる〕のである。〉 (同105-106頁)

 このようにここではマルクスは『資本論』の冒頭における単純流通の考察において解明された貨幣の流通法則は、貨幣により具体的な形態規定性が付け加えられようと、事柄を変えることなく貫いていることを指摘するとともに、〈流通する貨幣の総量〉を言い換えて〈通貨〔currency〕の総量〉とも述べて、単純流通における貨幣の流通法則は、すなわち通貨の流通法則でもあり、だからそれは当然、通貨の一つである銀行券にも妥当することを当然として、この「Ⅰ)」全体を論じているのである。

 次にマルクスが「II)」と番号を打った部分(現行版では第29章に該当)を見てみよう。

 〈銀行業者の資本〔d,Bankerscapital〕は,1)現金(金または銀行券),2)有価証券,から成っている。〉 (同162頁)

 このようにここではマルクスは〈現金(金または銀行券)〉と書き、現金には金と同様に銀行券も含まれることを明らかにしている。この一文は、「II)」の冒頭のパラグラフで〈今度は,銀行業者の資本〔d.banker's Capital〕がなにから成っているかをもっと詳しく考察することが必要である〉(同159頁)と述べたあとに、内容的には直接続くものである(というのは、実際にこの一文に直接続くのは、その部分の私の解読のなかでも指摘したが、マルクスが「Ⅰ)」と項目番号を打った部分の結論的部分を続けて論じているのであり、そのあとにここで紹介した一文が、実際の「II)」の具体的な検討内容として始まっているのだからである)。つまりこの「II)」でも、マルクスは銀行券を現金として取り扱うことをまず最初に述べているといえるのである。だからこの「II)」全体を通しても同じ観点から書かれている。例えば次のように述べている。

 〈預金はつねに貨幣(金または銀行券)でなされる。〉 (同180頁)

 ここでは「現金」ではなく、「貨幣」を説明して、それが「金または銀行券」であることを指摘している。

 同じことは「III)」とマルクスが番号を打った部分(エンゲルス版では第30-32章に該当)でもいえるのである。気づいたものを紹介しておこう。

 〈monied Capitalの過剰供給は,どの程度まで,停滞しているもろもろの貨幣量(鋳貨\ 地金または銀行券)と同時に生じ,したがって貨幣の量の増大で表現されるのか?〉 (412頁)

 これも「III)」の冒頭のパラグラフにあるものであるが、貨幣量を説明して、〈(鋳貨\ 地金または銀行券)〉と書いている。この〈鋳貨\ 地金〉という記述は、マルクスが「鋳貨」を消さずに、その上に「地金」と書いているということである。つまりここでもマルクスは鋳貨、地金、銀行券を貨幣の量を構成するものとして取り扱っていることが分かるのである。

 〈a)貸付可能な資本loanable capital〕の大きさは通貨Circulationの量とはまったく異なるものであること{この量の一部分は,銀行業者の準備であり,この準備は変動している。ここで通貨Circulation〕の量と言うのは,すべての銀行券と地金のことである,等々}〉 (488頁)

 ここでは通貨の量を説明して、すべての銀行券と地金のことだと述べており、銀行券も地金と同じく通貨として取り扱っていることが明言されている。

 〈利子率の変動{比較的長い期間に生じる変動,あるいは国の相違による利子率の相違は度外視するが,前者は一般的利潤率の変動によって,後者は利潤率と信用制度の発展とにおける相違によって〔制約されている〕}は,moneyed Capitalの量の状況に左右される{信頼等々のようなそのほかのすべての事情が同じままだとすれば}。すなわち,それ自体として商業信用に媒介されて再生産的当事者たち自身のあいだで貸し付けられる生産的資本とは区別される,鋳貨や銀行券という貨幣の形態で貸し付けられる資本の量の状況に左右される。〉 (494頁) 

 ここでは「貨幣の形態」として「鋳貨」と「銀行券」が挙げられている。

 〈いま述べた例外を別とすれば,moneyed Capita1の蓄積は,たとえば1852年と1853年に,オーストラリアとカリフォルニアの〔金鉱の〕発見の結果として生じたような,異常な地金流入によって〔生じる〕こともありうる。〔それらは〕イングランド銀行に預金された。〔この預金は引き出されて〕その代わりに銀行券が受け取られたが,金の所有者であった人びとは,この銀行券をすぐに銀行業者のもとに預金することをしなかった。そのために異常な通貨〔Circulation〕〔量が生じた〕。〉 (498-499頁)

 ここでは預金された地金が銀行券で引き出され、すぐに再び預金されることが無かったので、異常な通貨の量が生じたことが指摘されている。つまり銀行券の増加が通貨の増加として述べられている。

 このように「III)」全体においても、マルクスは銀行券を貨幣として、あるいは通貨として、地金や金鋳貨や補助鋳貨と同じものとして取り扱っていることが分かるのである。

 

◎一見すると矛盾しているとしか思えないマルクスの叙述

 

 しかし、このように、マルクスが銀行券を現金や貨幣として取り扱い、その流通が貨幣の流通法則の支配の下にあるという主張を見ると、どうしてもわれわれは一つの疑問に突き当たるのである。それが先に述べた、大谷氏が重要な理論問題をスルーしているということと関連している。だから今度はその問題について考えてみよう。

 マルクスはエンゲルス版第25章該当部分の草稿では次のように書いていた。

 〈私は前に,どのようにして単純な商品流通から支払手段としての貨幣の機能が形成され,それとともにまた商品生産者や商品取扱業者のあいだに債権者と債務者との関係が形成されるか,を明らかにした。商業が発展し,ただ流通だけを考えて生産を行なう資本主義的生産様式が発展するにつれて,信用システムのこの自然発生的な基礎Grundlage〕は拡大され,一般化され,仕上げられていく。だいたいにおいて貨幣はここではただ支払手段としてのみ機能する。すなわち,商品は,貨幣と引き換えにではなく,書面での一定期日の支払約束と引き換えに売られるのであって,この支払約束をわれわれは手形という一般的範疇のもとに包括することができる。これらの手形は,その支払満期にいたるまで,それ自身,支払手段として流通するのであり,またそれらが本来の商業貨幣をなしている。およびそれらは,最終的に債権債務の相殺によって決済されるかぎりでは,絶対的に貨幣として機能する。というのは,この場合には貨幣へのそれらの最終的転化が生じないからである。生産者や商人のあいだで行なわれるこれらの相互的な前貸が信用制度の本来の基礎〔Grundlage〕をなしているように,彼らの流通用具である手形が本来の信用貨幣,銀行券流通等々の基礎をなしているのであって,これらのものの土台〔Basis〕は,貨幣流通(金属貨幣であろうと国家紙幣であろうと)ではなくて,手形流通なのである。〉 (大谷新著第2巻159-160頁)

 つまりここではマルクスは銀行券流通の基礎は手形流通であって、貨幣流通ではないと明言しているのである。ところが「Ⅰ)」以下で、利子生み資本の信用制度のもとでの具体的な運動形態を考察するなかでは、マルクスは一転して、貨幣流通の法則は銀行券流通の場合にも支配することを前提として論じているのである。それをもっとも明示的に書いているのが、「III)」の大谷氏が先に引用・紹介している一文なのである。
 しかしここには明らかに整合しないものがあると思うのは私だけではないであろう。一方は銀行券流通は手形流通に立脚し、貨幣流通(マルクスはわざわざ金属貨幣であろうと国家紙幣であろうとと断っている)ではないといい、他方は銀行券流通は貨幣流通の法則に支配されるという。一体、どっちやねん、と私でなくても疑問に思うであろう。つまり大谷氏はこうした重要な理論問題を不問にしているのである。大谷氏がこうしたマルクスの一見すると矛盾しているとしか思えない叙述に気づいていない筈はないと思うのだが、それを問題にしていない、うがった見方をすると“避けている”のである。

 しかしこの問題は、現代の通貨、すなわち円札やドル札などの不換銀行券を如何に理解するかという理論問題とも深く関わってくる重大な問題なのである。だからこの問題を私なりに少し考えてみようと思うのである。

 この問題を考える上でヒントになるのは上記に紹介した一文と同じエンゲルス版第25章該当部分の草稿の次の一文である。

 〈ところで,銀行業者が与える信用はさまざまな形態で,たとえば,銀行業者手形,銀行信用,小切手,等々で,最後に銀行券で,与えられることができる。銀行券は,持参人払いの,また銀行業者が個人手形と置き換える,その銀行業者あての手形にほかならない。この最後の信用形態はしろうとには,とくに目につく重要なものとして現われる。なぜならば,信用貨幣のこの形態はたんなる商業流通から出て一般的流通にはいり,ここで貨幣として機能しており,また,たいていの国では銀行券を発行する主要銀行は,国立銀行〔Nationalbank〕と私立銀行との奇妙な混合物として事実上その背後に国家信用〔Nationalcredit〕をもっていて,その銀行券は多かれ少なかれ法貨でもあるからである。なぜならば,銀行券は流通する信用章標にすぎないので,ここでは,銀行業者が取り扱うものが信用そのものであることが目に見えるようになるからである。しかし,銀行業者はそのほかのあらゆる形態での信用でも取引するのであって,彼が自分に預金された貨幣を現金で前貸する場合でさえもそうである,等々。実際には,銀行券はただ卸売業の鋳貨をなしているだけであって,銀行で主要な問題となるのはつねに預金である。たとえば,スコットランドの諸銀行を見よ。〉 (同第2巻177-178頁)

 ここでもマルクスは銀行券を説明して、〈銀行券は,持参人払いの,また銀行業者が個人手形と置き換える,その銀行業者あての手形にほかならない〉と述べている。つまりそれは本来は手形流通に立脚して、銀行業者が産業資本家や商業資本家に与える信用の一形態だと説明している。すなわちそれは手形流通に立脚し、商業流通内で流通するものだとしているのである。しかし同時に、マルクスは銀行券という信用形態は、素人目には重要なものとして現れるとして、その理由の一つとして〈なぜならば,信用貨幣のこの形態はたんなる商業流通から出て一般的流通にはいり,ここで貨幣として機能しており,また,たいていの国では銀行券を発行する主要銀行は,国立銀行〔Nationalbank〕と私立銀行との奇妙な混合物として事実上その背後に国家信用〔Nationalcredit〕をもっていて,その銀行券は多かれ少なかれ法貨でもあるからである〉と述べている。つまり銀行券は、とくにイングランド銀行券のように国家によって法貨として規定されているものは、商業流通から出て、貨幣として機能していると述べている。どうして銀行券はこのように商業流通から出て貨幣として機能するようになるのかについては何もマルクスは言及していないが、一つの事実としてこう述べているのである。
 そしてまさにこうした一般流通に出て貨幣として機能している銀行券こそ、これまでわれわれが草稿の「5)信用。架空資本」のⅠ)~III)で見てきたような、銀行券を現金として地金や鋳貨と同じものとして、貨幣流通の法則に支配されるものとしてマルクスは論じているものなのである。
   一般的に手形流通に立脚して、手形に代わって流通する銀行券の額面は大きく、イギリスでは100ポンドというような額の銀行券が多い(日本でも明治・大正・昭和の初期のころには、額面が数円から数百円という大きな額面の銀行券が流通していた)。それに対して、一般流通で流通する銀行券は少額の銀行券である(マルクスは5ポンドや10ポンドと述べている)。もともと銀行券そのものは今日のように定額のものとは限らず、ごく初期のものは手形と同じような端数のあるものだったのである。ただ発行主体が商業信用のように再生産的資本家(産業資本家や商業資本家)ではなく、銀行であるという点が異なるだけのものであった。しかし発行主体が異なるということは決して、どうでもよいものではない。なぜなら、前者は商業信用として再生産過程内の信用であるのに対して、後者は銀行が貨幣信用にもとづいて発行するものであり、利子生み資本の運動の一形態だからである。だからこれらは再生産過程外の信用にもとづいているのである。この信用の二つのものの相違は、以前、第28章該当部分の草稿を解読するなかでもその区別の重要性について説明したことがあるので、それを参照してもらいたい。

 

◎銀行券が一般流通に出て、貨幣として通用する根拠

 

 では本来は商業信用にもとづく手形に代行して(手形割引等によって)、貨幣信用にもとづいて発行され、商業流通内に留まっていた銀行券が、どうして一般流通に出て、そこで貨幣として通用するようになるのであろうか。
 しかしその事情は、手形流通やそれにもとづく銀行券流通そのものにあるのではない。つまり銀行券という信用形態そのものに、そうした一般流通に出て行く根拠が存するわけではないのである。というのは、それが一般流通に出て貨幣として通用するのは、一つの歴史的な過程であり、事実だからである。それは貨幣形態が最終的には金商品に固着するのがそうであるのとある意味では同じである。だからそれは何か理論的にどうこうというような問題ではないのである。
  つまり、少額の銀行券が一般流通に出て、貨幣として通用する根拠は、貨幣流通そのものにある。われわれは貨幣の流通手段としての機能が、金鋳貨を象徴化させ、やがて金鋳貨に代わる代理物、例えば補助鋳貨や紙幣を流通させることを『資本論』の第1巻第3章で学んだ。まさにこうした流通手段としての貨幣の機能こそ、銀行券を一般流通にとりこみ、金鋳貨を代理するものとして流通させる根拠なのである。だから当然、こうした銀行券が貨幣の流通法則に支配されるのは言うまでもない。
  つまり銀行券が貨幣として、あるいは現金として流通している根拠は、紙幣がそうであるのとまったく同じものなのである。これは銀行券が兌換券であるか否か、つまり不換銀行券かどうかということとはまったく関係がない。人によっては、現在の銀行券が不換券であるから、それはますます紙幣に近づいている等々と評価しているが、しかしこうした主張は、一般流通で流通している銀行券の流通根拠を正しく理解していないことをむしろ暴露しているのである。
  つまり銀行券が貨幣として通用するのは、貨幣の流通手段としての機能、特にその象徴性と瞬過性にもとづいている。こうした流通手段としての貨幣の機能は、金貨幣に代わって紙幣を流通させることに帰着するのであるが、同じように、流通手段としての貨幣の機能は、歴史的にはさまざまなものをこうした貨幣の代理物として通用させてきたのである。そして何がそうした機能を果たす代理物になるのかは、社会的な慣習や歴史的な事情や過程、その産物であって、何か理論的に解明できるようなものではないのである。マルクスはやはり『経済学批判』のなかで次のように説明している。

 〈ロシアは価値章標の原生的成立の適切な実例を見せてくれる。獣皮と毛皮製品がロシアで貨幣として役だっていた時代に、このいたみやすく取扱いに不便な材料と流通手段としてのその機能との矛盾は、極印をおした革の小片をその代わりに使う習慣を生みだし、こうしてこの革の小片が、獣皮や毛皮製品で支払われる指図証券となった。その後、この革の小片は、コペイカという名称で銀ルーブリの一部分にたいするただの章標となり、ところによっては、ピョートル大帝がそれを国家の発行した小銅貨と引き換えに回収するように命じた1700年まで、そのままつづいて使用されていた。〉 (全集第13巻96頁)

  つまり流通手段として貨幣の役割を果たしていた獣皮や毛皮に代わって、革の小片がコペイカという名称でそれらの代理物として通用していたのが、それがそのまま銀ルーブリの章標として通用していたというのである。そしてその小片はピョートル大帝の時代には小銅貨と引き換えに回収され、同じコペイカとして今度は小銅貨が銀ルーブリの補助鋳貨として流通したということである。それ以外にも、マルクスは同じ文脈のなかで、古代ローマでもすでに金銀鋳貨がすでに象徴または価値章標として把握されていたことや、中国では強制通用力をもつ紙幣がはやくからあったこと、等と述べている。このように、われわれは歴史的にさまざまなものが貨幣の代理物として通用していた事実を知ることができるのである。

 このように銀行券の一般流通における流通根拠を正しく指摘しているのは、私の知る限りでは下平尾勲氏である。氏は「不換通貨ドルと世界貨幣(3)--不換通貨ドルの国際通貨としての流通をめぐる問題によせて--」(『商学論叢』第60巻第3号1992年1月)のなかで次のように論じている。

  〈商業手形が銀行券に換えられ,債務請求権が幅広く流通し,さらに商業流通から出て,一般流通のなかに入りこんでいく。商品生産が発展すればするほど,商業流通では手形や小切手が流通し,債務請求権が相殺されればされるほど,銀行券は大口取引の支払差額の決済と一般流通の中に追いやられる。銀行券は,商業手形の流通によって基礎づけられているにもかかわらず,商業手形の流通とは別の一般流通に支配されることとなる。「銀行券は貨幣流通……の上に立つのではなく,手形流通の上にたつ」(K.III,S.436〔413〕)という章句は、商品流通の発達にともない商業手形が流通しており,その商業手形の割引きによって銀行券が発生してきたという歴史的な位置について述べたものである。歴史的には,銀行券の流通は商業手形の運動に規定されるというのである。ところで,銀行券の流通は商業流通においてよりも,一般流通において決定的な意義を獲得した瞬間,それは,貨幣流通の法則に支配されることとなった。「げんじつに流通する貨幣の量は,……諸商品の価格と諸取引の量とによって決定される……。おなじ法則は銀行券の流通にも支配的に行われる」(K.III,S.567〔538〕)。「流通銀行券の量は,取引上の必要に対応するのであって……」(K.III,S.569〔540〕),「銀行券の流通はイングランド銀行の意志から独立しているのと同様に,この銀行券の兌換性を保証する同銀行地下室の金準備の状態からも独立している」(K.III,S.571〔541〕)。
 商業手形という支払約束証書が流通していなければ,いつでも持参人にたいして貨幣を支払うという保証つきの支払約束証書(銀行券)は流通えなえったであろう。しかし商業流通の中から形成された銀行券も,その中では大きな地位を占めず,ほとんど一般流通の中で用いられるならば.銀行券は主に流通手段の運動に規制されることとなる。つまり,商品流通がいかなる状況にあるかによって,銀行券の運動が規定されるということである。そこで次の二つの問題に注目すべきである。
 第一には,兌換銀行券の流通根拠は金との交換性にあるのではなく,商品流通,とくに一般的商品流通,つまり流通手段としての貨幣によって規定されるということである。商品の流通がいかように行われているかが銀行券の性格を規定するのであって,金との交換は銀行券の流通の保証条件であるにすぎない。現実資本の還流が円滑に行われるならば,金と銀行券との交換ということは現実問題とはなりえない。発券銀行は,銀行券の発行を統制できないし,公衆の手にある銀行券の額を増加させることもできない。銀行券の流通は金属準備量の増減とは全く独立しているように,一般流通においては,金との交換性とは独立に運動しており,商品の流通によってのみ規定される。
 第二に,銀行券は兌換されても兌換されなくても,銀行券の流通の根拠は商品流通にほかならないということである。兌換銀行券が流通過程の中では全くといってよいほど兌換されないで流通していたからこそ,兌換を停止された銀行券が流通することとなるのである。このことは,兌換銀行券から不換銀行券への転化の条件は兌換銀貨券の流通それ自体の中にあって,兌換銀行券そのものには含まれていないということである。それは銀行券を運動させる商品の流通のありようによって規定されているからである。〉(113-114頁)

  また同氏が引用・紹介しているアダム・スミスの『国富論』の一文も紹介しておこう。

 「ロンドンの場合のように.10ポンド以下の価値の銀行券が流通していないところでは、紙券は,商人のあいだの流通面にもっぱら限定される。10ポンドの銀行券が消費者の手に渡ると、ふつうは小さくならないと困るので、5シリングの価値の財貨を買う必要があれば、まずその店で買って小さくしてもらう。だから,この銀行券は,消費者がその40分の1も使わないうちに,商人の手にもどってくる場合が多い。ところがスコットランドの場合のように,20シリングという少額の銀行券が発行されているところでは、紙券の流通は商人たちと消費者とのあいだのかなりな部分にまで拡大する。議会の法令によって、10シリング券と5シリング券の流通が停止されるまでは、紙券はこの流通面のいっそう大きい部分を満たしていた。北アメリカの通貨の場合は、紙券は1シリングというような少額について発行されるのが普通であって、商人と消費者のあいだの流通のほとんど全体を満たしていた。ヨ一クシャーのある種の紙券の場合には,6ペンスという少額のものさえ発行されたのである」(『諸国民の富(二)』岩波文庫321-322頁)

 これを見ても、スミスが生きていた当時は、高額の銀行券は「商人のあいでの流通にもっぱら限定され」ていたことがわかる。スコットランドや北アメリカのような少額の銀行券が発行されていたところでは、それが一般流通に入っていって貨幣として通用していたこともわかる(イングランドでも当初は少額銀行券が流通していたが、イングランドやウェールズではイングランド銀行の覇権が強く、株式銀行の発達が制限されたために、恐慌時に多くの小規模発券銀行が倒産して、それらの倒産した発券銀行の少額の銀行券を保持していた労働者が紙屑になった銀行券で大きな被害を受けたので、それ以降、5ポンド以下の支払は鋳貨で行うことが法律で決まった経緯があるのである。スコットランドでは早くから株式銀行が発達し、恐慌時の倒産も少なかったために、少額銀行券が発行され続けたと言われている。マルクスもスコットランドでは金貨は流通していないと指摘している)。

 

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 だいたい、以上が昔書いたもので、そのまま中断した状態になっていたものである。そのあと、同じ問題を別のブログ(『資本論』学習資料室)に先に書いてしまったので、重複する内容を書くのも気が引けるので、やや木に竹を繋ぐ感が否めないが、その別のブログに書いた関連する部分を、以下、そのまま掲載しておくことにする。なんとも無様な次第だがご容赦ねがいたい。

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◎『資本論』学習資料室における説明

 

  しかしもっとややこしいのは銀行券です。現在の日銀券は明らかに流通貨幣として通用しています。つまりそれは「現金」なのです。しかし日銀券も戦前の一時期は信用貨幣として大口の取引で利用されていた時期もあったのです(明治17年の「兌換銀行券条例」によって当時1円、5円、10円、20円、50円、100円、200円の7種の銀行券が発行されていました。明治の1円は現在のほぼ2万円ぐらいの重みがあったと言われています)。そうしたものがやがて少額の銀行券が発行されるようになって、小口取引でも利用されるようになると、それは補助鋳貨や紙幣と同じ流通根拠で(つまり貨幣の流通手段としての機能である象徴性や瞬過性によって)通貨として流通するようになるのです。だから銀行券は歴史的にはその性格が変わってきたという認識が重要なのです。しかしこの点は『資本論』でもそれほど明確に展開されているわけではありません。だから多くの人たちを混乱させてきたのです。

  マルクスは第3部第25章該当部分では、最初は〈生産者や商人のあいだで行なわれるこれらの相互的な前貸が信用制度の本来の基礎〔Grundlage〕をなしているように,彼らの流通用具である手形が本来の信用貨幣,銀行券流通等々の基礎をなしているのであって,これらのものの土台〔Basis〕は,貨幣流通(金属貨幣であろうと国家紙幣であろうと)ではなくて,手形流通なのである〉(大谷前掲書160頁)と述べながら、別のところでは〈銀行券は,持参人払いの,また銀行業者が個人手形と置き換える,その銀行業者あての手形にほかならない。……信用貨幣のこの形態はたんなる商業流通から出て一般的流通にはいり,ここで貨幣として機能しており,また,たいていの国では銀行券を発行する主要銀行は,国立銀行〔Nationalbank〕と私立銀行との奇妙な混合物として事実上その背後に国家信用〔Nationalcreditを〕もっていて,その銀行券は多かれ少なかれ法貨でもあるからである〉(同178頁)と述べています。さらには〈すでに単純な貨幣流通を考察したところで論証したように,現実に流通する貨幣の量は,流通の速度と諸支払いの節約とを所与として前提すれば,単純に,諸商品の価格と取引の量,等々〔によって〕規定されている。同じ法則は銀行券流通の場合にも支配する〉(大谷本第3巻482頁)などと述べています。つまり一方では銀行券の流通は手形流通に立脚するのであって、貨幣流通に立脚するのではないといいながら、他方では銀行券流通は貨幣の流通法則に支配されると述べているのです。だから一見すると一方で否定したことを他方では肯定しているように見えるのです。だからその理解に多くの混乱が生じているのです。しかしマルクス自身はすでに『資本論』第1巻で次のように述べています。

  〈イングランド銀行は、この銀行券を用いて手形を割り引くこと、商品担保貸付をすること、貴金属を買い入れることを許された。まもなく、この銀行自身によって製造されたこの信用貨幣は鋳貨となり、この鋳貨でイングランド銀行は国への貸付をし、国の計算で公債の利子を支払った。〉  (全集第23b巻985頁)

  このように、イングランド銀行券は、〈まもなく〉〈信用貨幣〉から〈鋳貨〉になったと述べています。つまり手形を割り引いて手形流通に立脚して流通する信用貨幣から、歴史的に貨幣の流通法則に規制される鋳貨(通貨)になったと述べているのです。また『経済学批判』では、〈諸商品の交換価値がそれらの交換過程をつうじて金貨幣に結晶するのと同じように、金貨幣は通流のなかでそれ自身の象徴に昇華する。はじめは摩滅した金鋳貨の形態をとり、次には補助金属鋳貨の形態をとり、そして最後には無価値な表章の、紙券の、単なる価値章標の形態をとって昇華するのである〉(草稿集③330頁)と述べています。つまり金鋳貨が補助鋳貨になったり、無価値な表章、紙券になるのは、貨幣形態が交換過程を通じて諸商品のなかからやがては金に固着したように、一つの歴史的な過程なのだと述べています。だから銀行券も最初は額面の大きなときは大口の商業流通の内部で、手形流通に立脚して流通していたものが、やがて少額の銀行券が発行され、小口取引にそれらが出て行くようになると貨幣流通に立脚する紙券や補助鋳貨と同じものとして流通するように歴史的になっていったのだということです。そして今日の銀行券は後者のものだけが流通していると言えるでしょう。
  だからある論者は、銀行券は信用貨幣だが、兌換が停止されることによってますます限りなく紙幣に近づいたものになったのだとか何とか、わけの分からない理屈を並べていますが、ようするに何も分からないことを知ったかぶって分かったように折衷して誤魔化しているだけなのです。兌換券か不換券かといったことはここでは何ら本質的な問題ではないということが分かっていないのです。

  ところで現在の日本銀行券はいうまでもなく日本銀行によって発行されています。後に注103)のなかで紹介する日銀のバランスシートを見ると、日銀券は日銀がその信用だけで発行している債務証書という形をとっています(負債の部に記帳されている)。ではどの段階で、それは通貨になるのでしょうか。まず日銀は銀行券の印刷(生産)を独立行政法人国立印刷局(以前は財務省印刷局、大蔵省印刷局)に発注します。印刷局は製品として生産した銀行券を日銀に納入します。この段階では銀行券はまだ単なる商品資本という形態規定性をもっているだけです。素材的には確かにそれはすでに「お札」の姿形をしていますが、まだ貨幣ですらないのです。日銀に当座預金をもっている市中銀行は、常に準備としてもっている一定額の現金(日銀券と硬貨)が少なくなってきたので、日銀にある自身の当座預金から、現金を引き出します。こうして日銀券は初めて日本銀行の外に出て行きます。しかしこの段階でも、日銀券はまだ通貨ではなく、日銀にとっては利子生み資本(monied capital)であり、市中銀行にとってもやはり利子生み資本(monied capital)でしかないのです。次に一般の企業が労働者に賃金を支払うために、市中銀行にある自身の預金から日銀券を引き出したとします。しかしこの段階でもまだ日銀券は利子生み資本であって通貨ではないのです。企業がそれを労働者に支払った時点で、それは初めて通貨になるのです。それは労働力という商品を企業が購入したことによって支払手段として流通したのです。あるいは労働者が受け取った日銀券で生活手段を購入した場合、それは流通手段として流通します。だから銀行券は確かに日銀が発行しますが、現実に流通する日銀券、つまり「通貨」という規定性をもっている日銀券は、労働力や諸商品が流通する現実に規定されて、流通するに過ぎません。だから日銀には通貨を恣意的に増減させるどんな力もないのです。それは商品市場に規定されてただ受動的に流通するに過ぎないからです。さまざまな御仁があたかも日本銀行は輪転機を回せばいくらでもお金を生み出せる、ジャブジャブと通貨を供給せよなどと言ったりしていますが、これなどはまったく「通貨」の何たるかが分かっていない人の妄想の類でしかないのです。

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  以上が、『資本論』学習資料室に書いた内容です。

 

(とりあえず、この問題はこれで終わります。この問題にはまだ残された課題がいくつかあり、別の機会にまた論じるかも知れませんが……)

 

2017年12月27日 (水)

現代貨幣論研究(14)

「通貨」概念の混乱を正す
--通貨とmonied capitalという意味での貨幣資本との区別の重要性--(3)

◎大谷新本第4巻での言及

 大谷氏はその新著の第4巻でも、同様の問題を論じている。それは《第12章 「貴金属と為替相場」(エンゲルス版第35章)に使われたマルクスの草稿について》の最後の項目「14 monied capitalと貨幣量との関連の問題」においてである。
  ここでは〈「現実資本と貨幣資本」で解明されるべきものとして提起されていた二つの基本問題のうち,monied capitalと「貨幣の量」との関連について答が出されていたのかどうか〉を問い、次のように結論づけている。

 〈マルクスはmonied capitalと貨幣量とのあいだにどのような関連があるのか,という問題を立てながら,「5)信用。架空資本」の内部ではこれに答えることをしなかったし,マルクス自身も答え終えたと考えてはいなかったと言わざるをえない。〉 (④261頁)

  そして大谷氏は、しかしそれでは〈いったいマルクスは,「moniedcapitalと貨幣量との関連」について,どういうことが解明されなければならない難問だと考えていたのだろうか〉と問題を提起して、次のように自身の見解を展開している。

 〈「マネーが世界を駆けめぐる」現代の資本主義世界では,実物資本ないし再生産から自立化したmonied capitalの諸形態,架空資本の諸形態としてのいわゆる「金融商品」の流通に必要とされる貨幣の量が巨大なものに膨れあがっている。マルクス自身は直接に書くことがなかったけれども,この貨幣量も,「商品」の流通に必要な貨幣の量としては,広義での「流通に必要な貨幣量」であり,社会的再生産を媒介する流通のために必要な貨幣量と渾然一体となって一見するとそのすべてが中央銀行から供給されている。しかし,このような「流通必要貨幣量」は社会的再生産を媒介する流通必要貨幣量とはまったく異なるものであり,それとははっきりと区別されなければならない独自な「貨幣の量」である。そこで,この両者はmonied capita1の運動と実物資本の運動との絡み合い--マルクスがまさに「5)信用。架空資本」の本論で解明しようとしたもの--のなかで,どのように区別され,かつ関連しあっているのか,ということが問われることになる。現代の資本主義諸国とその絡み合いの全体としての現代資本主義世界のなかでこの問題を具体的に分析するためには,「資本の一般的分析」のなかで,土地をも含む架空資本としてのmonied capitalがとる形態としての「商品」の流通に必要な貨幣と実物的な社会的再生産を媒介する流通に必要な貨幣との関連がしかも産業循環としての社会的再生産の運動の諸局面との関連においで理論的に解明されていなければならないであろう。筆者は,マルクスが提起した,monied capitalと貨幣量との関連という問題は,このような現代の課題に連繋するものではないかと考えている。〉 (④261-262頁)--B

  しかしこの大谷氏の主張は、氏の新著を読み進め、マルクスの草稿をつぶさに検討してきたものにとっては、ただただ驚きである。というのは、この一文はまったくの混乱としか言いようがない代物だからである。一体、マルクスをどう読み、どう学んできたのか、といわざるを得ない。
  その内容の混乱を指摘する前に、そもそもこの一文は、大谷氏が現行の『資本論』の第35章の草稿を紹介した論文《「貴金属と為替相場」(『資本論』第3部第35章)の草稿について--『資本論』第3第l稿の第5章から》のなかでその解説として「monied capitalと貨幣量との関連の問題」と題して次のように論じていたものを、一部手直して再掲載されたものなのである。まずはそれと引き比べてみることにしよう。

 〈「マネーが世界を駆けめぐる」現代の資本主義世界では,実物資本ないし再生産から自立化したmonied capitalの諸形態,架空資本の諸形態としてのいわゆる「金融商品」--株式,証券,オプション,デリパティブ,土地,その他の利殖機会--や「商品」としての土地の流通に必要とされる貨幣の量が巨大なものに膨れあがっている。このような貨幣も中央銀行が発行する銀行券ないしそれへの請求権の一部であって,社会的再生産を媒介する流通に必要な貨幣量と揮然一体となって,銀行の預金の一部をなしている。そこで,一見したところ,このような「商品」の流通に必要な貨幣の量も「流通に必要な貨幣量」の一部であるように見える。しかし,このような「商品」の流通に必要な貨幣量は社会的再生産を媒介する流通に必要な貨幣量とは本質的に異なるものであって,これとははっきりと区別されなければならない。それは,ありとあらゆる投資(利殖または投機)の機会ないし可能性がとる形態としての「商品」の流通に必要な貨幣であると同時に,その購買に支出されるのは,生産資本ではなくて増殖先を求めるmonied capitalであり,買われたのちにもこの「商品」はけっして再生産過程にはいらず,架空のmonied capitalの諸形態の一つにとどまる。さらに,流通貨幣の具体的な実存形態としての鋳貨準備(流通手段および支払手段の準備ファンド)とは区別される蓄蔵貨幣の形成は,現代ではそのきわめて大きな部分が,そのような増殖先を求めるmonied capitalの形成にほかならず,巨大なものに膨れあがったmonied capitalは,「商品」として買うべき増殖機会を見いだせないときにはmonied capitalとして銀行のもとに滞留するほかはない。そこで,架空なmonied capitalの流通のための「必要貨幣量」は,銀行制度を中心とする信用システムのなかで, したがってまたmonied capitalの運動と実物資本の運動との絡み合い--マルクスがまさに「5)信用。架空資本」の本論で解明しようとしたもの--のなかで,本来の社会的再生産のための「流通貨幣量」とどのように区別され, どのような仕方で絡み合っているのか, ということが問われることになる。現代の資本主義諸社会とその総体としての現代資本主義世界のなかで生じているこのような問題を具体的に分析するためには, 「資本の一般的分析」のなかで,架空資本としてのmonied capitalがとる形態としての「商品」の流通に必要な貨幣--これは結局のところmonied capitalそのものに帰着する--と実物的な社会的再生産を媒介する流通に必要な貨幣との関連が,しかも産業循環としての社会的再生産の運動の諸局面との関連において,理論的に解明されていなければならない。言うまでもなく,そのさいなによりもまず,兌換制のもとでの動きが明らかにされなければならない。マルクスが提起しながら,まだ答え終えていないと感じていた難問の一つはこの問題であって,このような意味でのmonied capitalと貨幣量との関連という問題の解明は,現代の具体的な諸問題の解明に連繋するものではないかと考えられる。〉 (93-4頁)--A

  新著の一文は、以前の論文の一文をただかなり圧縮したものだけのように思えるかも知れない。しかしよくよく二つの文章を引き比べてみると、今回の文章は改悪であり、混乱した代物でしかないことが分かるのである。まずはこの二つの文章を比較検討して両者の違いを見ていくことにしよう。そのために今、便宜的に新著の一文をB文、以前の論文の一文をA文としよう。

(1)まず次の二つを比べてみよう。

〈マネーが世界を駆けめぐる」現代の資本主義世界では,実物資本ないし再生産から自立化したmonied capitalの諸形態,架空資本の諸形態としてのいわゆる「金融商品」--株式,証券,オプション,デリパティブ,土地,その他の利殖機会--や「商品」としての土地の流通に必要とされる貨幣の量が巨大なものに膨れあがっている。〉

〈「マネーが世界を駆けめぐる」現代の資本主義世界では,実物資本ないし再生産から自立化したmonied capitalの諸形態,架空資本の諸形態としてのいわゆる「金融商品」の流通に必要とされる貨幣の量が巨大なものに膨れあがっている。〉

  Aでは〈「金融商品」--株式,証券,オプション,デリパティブ,土地,その他の利殖機会--や「商品」としての土地の流通〉と詳しく書かれているが、Bではそれが〈「金融商品」の流通〉と簡略化されているだけで、内容的には大きな違いはない。

  (2)それでは次の二つはどうであろうか。

〈このような貨幣も中央銀行が発行する銀行券ないしそれへの請求権の一部であって,社会的再生産を媒介する流通に必要な貨幣量と揮然一体となって,銀行の預金の一部をなしている。そこで,一見したところ,このような「商品」の流通に必要な貨幣の量も「流通に必要な貨幣量」の一部であるように見える。しかし,このような「商品」の流通に必要な貨幣量は社会的再生産を媒介する流通に必要な貨幣量とは本質的に異なるものであって,これとははっきりと区別されなければならない。〉

〈マルクス自身は直接に書くことがなかったけれども,この貨幣量も,「商品」の流通に必要な貨幣の量としては,広義での「流通に必要な貨幣量」であり,社会的再生産を媒介する流通のために必要な貨幣量と渾然一体となって一見するとそのすべてが中央銀行から供給されている。しかし,このような「流通必要貨幣量」は社会的再生産を媒介する流通必要貨幣量とはまったく異なるものであり,それとははっきりと区別されなければならない独自な「貨幣の量」である。〉

  この両者はかなり書き換えられている。Aでは、金融商品の流通に必要な貨幣量というものについて、やや曖昧さはあるものの、少なくとも再生産過程を媒介する貨幣量とは本質的に異なるものであり、はっきり区別されなければならない、としている。しかしBでは、マルクス自身は書かなかったものの、こうした金融商品の流通に必要な貨幣も広義での流通に必要な貨幣量であるとしているのである。ただ社会的再生産を媒介する流通貨幣量とはまったく異なるものであり、それとはっきり区別されるべきことは指摘されていることは同じである。

  (3)さらにその次を見てみよう。

〈それは,ありとあらゆる投資(利殖または投機)の機会ないし可能性がとる形態としての「商品」の流通に必要な貨幣であると同時に,その購買に支出されるのは,生産資本ではなくて増殖先を求めるmonied capitalであり,買われたのちにもこの「商品」はけっして再生産過程にはいらず,架空のmonied capitalの諸形態の一つにとどまる。〉

B〈これに該当する文章は見当たらない〉

  つまりこの一文を削除したことはある意味では決定的なのである。先の一文ではやや曖昧だったのだが、ここでは大谷氏はいわゆる金融商品の流通を媒介する貨幣というのは、monied capitalだと明確に述べている。ただやはり〈「商品」の流通に必要な貨幣であると同時に〉という余計な一文が入っており、大谷氏の理解の曖昧さを示しているのだが(こうした曖昧さがあったからこそ、今回の決定的な改悪に結果したともいえるかもしれない)。そもそも貨幣市場における「商品」というのは貨幣そのものであり、貨幣の貸し借りが「商品の売買」という仮象をとるのである。だから株式の購入という一見すると、株式という金融商品が購買されるかのような仮象のもとに、その実際の内容は利子生み資本が株式に投資されることであり、よって利子生み資本の貸し付けなのである。だからそこで支出される貨幣というのは、利子生み資本(=monied capitalという意味での貨幣資本)以外の何ものでもないのである。それが再生産過程を媒介する貨幣と渾然一体となっているかに考えるのは、こうした金融商品の「売買」という仮象に惑わされているからである。
  確かにリンゴ業者がその売り上げの一部で来年の肥料や薬剤等々を買うのと同じように、その一部で株式を買った場合、彼には商品を購入するという点で同じに見えるかもしれない。しかし株式の購入に当てられた貨幣は、彼が時期を見て株式を売り出して、何らかの利殖を得ようという思惑で買ったのであって、それは実際には彼の貨幣を利子生み資本として貸し付けたのである。肥料や薬剤を買うのも、次の収穫によってより多くの利潤を得るためなのであり、彼にとっては利潤を得るという目的に違いはないが、社会的再生産の観点からは決定的な相違がある。前者は社会的な物質代謝を媒介する商品市場にある貨幣の一部を形成するが、後者はそうしたものの外部にある信用の世界、貨幣市場の問題なのである。この両者を区別することこそ、通貨とmonied capitalとの区別なのである。その理解が大谷氏には曖昧なのである。

  (4)とえあえず、両文書の比較検討を進めよう。

〈さらに,流通貨幣の具体的な実存形態としての鋳貨準備(流通手段および支払手段の準備ファンド)とは区別される蓄蔵貨幣の形成は,現代ではそのきわめて大きな部分が,そのような増殖先を求めるmonied capitalの形成にほかならず,巨大なものに膨れあがったmonied capitalは,「商品」として買うべき増殖機会を見いだせないときにはmonied capitalとして銀行のもとに滞留するほかはない。そこで,架空なmonied capitalの流通のための「必要貨幣量」は,銀行制度を中心とする信用システムのなかで, したがってまたmonied capitalの運動と実物資本の運動との絡み合い--マルクスがまさに「5)信用。架空資本」の本論で解明しようとしたもの--のなかで,本来の社会的再生産のための「流通貨幣量」とどのように区別され, どのような仕方で絡み合っているのか, ということが問われることになる。〉

〈そこで,この両者はmonied capita1の運動と実物資本の運動との絡み合い--マルクスがまさに「5)信用。架空資本」の本論で解明しようとしたもの--のなかで,どのように区別され,かつ関連しあっているのか,ということが問われることになる。〉

 この両者は、Bはかなり圧縮されているが、その内容には本質的な相違は見られない。Aの一文は長いが、細かく見て行けば、いろいろと問題が散見されるがそれを書き出せばあまりにも煩雑になるので、ここではとりあえず無視しよう。
 大谷氏がここで論じている「絡み合い」なるものについては、すでにわれわれは『銀行法委員会報告』1857年からの抜粋のなかに挿入されたマルクスの書き込みにおいて検討ずみのものである。つまりイングランド銀行が発行した銀行券は、一部は同銀行の銀行部の準備になり、それ以外の公衆の手にあるもの、つまりイングランド銀行の外に出ている部分については、一つは地方銀行や個人銀行の準備を形成し、他方は商品市場において、商品の流通を媒介する通貨として流通しているのである。そしてマルクスが通貨の量と述べているのは、この商品市場で流通している流通通貨量であること、そしてイングランド銀行と地方銀行や個人銀行の準備を形成する銀行券はmonied capitalとしてあるということである。そしてこの限りでは一方が増えれば他方がそれだけ減少するという関係にあり、よってそれによって利子率が上下するということであった。しかしmonied capitalそのものは、こうしたものに限らないこと、なぜなら、同じ貨幣量がその何倍もの商品の価格を実現するように、同じ貨幣量が何度も銀行に還流することによってその何倍もの貨幣資本(monied capital)を形成するからであり、さらには銀行は帳簿信用等によっても貸し付けを行うことができるからである。だからマルクスは、一国のなかにある貨幣量と利子生み資本(monied capitalという意味での貨幣資本)の量とはまったく異なるものだと結論していたのである。
 だから大谷氏がここで提起している問題は、こうしたマルクスの考察を十分理解しているとは言い難いものなのである。

 (5)続く次の一文

〈現代の資本主義諸社会とその総体としての現代資本主義世界のなかで生じているこのような問題を具体的に分析するためには, 「資本の一般的分析」のなかで,架空資本としてのmonied capitalがとる形態としての「商品」の流通に必要な貨幣--これは結局のところmonied capitalそのものに帰着する--と実物的な社会的再生産を媒介する流通に必要な貨幣との関連が,しかも産業循環としての社会的再生産の運動の諸局面との関連において,理論的に解明されていなければならない。〉

〈現代の資本主義諸国とその絡み合いの全体としての現代資本主義世界のなかでこの問題を具体的に分析するためには,「資本の一般的分析」のなかで,土地をも含む架空資本としてのmonied capitalがとる形態としての「商品」の流通に必要な貨幣と実物的な社会的再生産を媒介する流通に必要な貨幣との関連がしかも産業循環としての社会的再生産の運動の諸局面との関連においで理論的に解明されていなければならないであろう。〉

 この両者は一見すると、微調整はあるものの、それほど内容的には変わっていないと思えるかもしれない。しかしある一点で、決定的な改悪があるのである。Aには〈架空資本としてのmonied capitalがとる形態としての「商品」の流通に必要な貨幣--これは結局のところmonied capitalそのものに帰着する--〉という一文ある。しかしBには〈--これは結局のところmonied capitalそのものに帰着する--〉という説明が抜け落ちてしまっている。
 つまりAには、「金融商品」などの流通に必要な貨幣などというものは、結局は、利子生み資本そのもの、monied capitalなのだという理解が示されている。だからそれがあたかも「金融商品」の流通に必要な貨幣量であり、〈この貨幣量も,「商品」の流通に必要な貨幣の量としては,広義での「流通に必要な貨幣量」であ〉るなどという理解はとんでもないことであることが了解できるのである(もっとも大谷氏がそれほど明瞭に理解していなかったからこそ今回の改悪に繋がったのではあるが)。

 (6)最後の結論的部分である

〈言うまでもなく,そのさいなによりもまず,兌換制のもとでの動きが明らかにされなければならない。マルクスが提起しながら,まだ答え終えていないと感じていた難問の一つはこの問題であって,このような意味でのmonied capitalと貨幣量との関連という問題の解明は,現代の具体的な諸問題の解明に連繋するものではないかと考えられる。〉

〈筆者は,マルクスが提起した,monied capitalと貨幣量との関連という問題は,このような現代の課題に連繋するものではないかと考えている。〉

 この両者は〈monied capitalと貨幣量との関連という問題の解明は,現代の具体的な諸問題の解明に連繋する〉という点でほぼ同じ問題意識ということができる。しかし大谷氏はマルクス自身が〈貸付可能な資本〔loanable capital〕の大きさは通貨〔Circulation〕の量とはまったく異なるものである〉(③488頁)と結論していることを無視していないであろうか。それでもなお〈monied capitalと貨幣量との関連という問題の解明〉を課題とするならそれは大谷氏の勝手であるが、無駄な試みとしかいいようがない。とりあえず、以上で、われわれは二つの文章の比較検討を終えることにしよう。

◎大谷氏の無理解

 さて、大谷氏は〈架空資本の諸形態としてのいわゆる「金融商品」の流通に必要とされる貨幣の量〉を問題にする。しかしどうしてそんなものが必要なのであろうか。架空資本を、例えば国債や株式を、例え貨幣資本家が現金で買うとしてもそれは実際には一般的な商品の購買ではない。こんなことは、利子生み資本の概念が分かっていれば常識の類である。マルクスが第5篇第21章以下で明らかにしているように、それらが商品の売買と見られるのは一つの仮象であって、実際には、利子生み資本の貸し借りなのである。だからそれらはすべて利子生み資本に固有の運動である貨幣の貸し付けや返済の運動なのである。つまり国債の購入は利子生み資本の貸し付けであり、国債の販売はその返済を受けることである。それを単なる商品の売買、すなわちその流通として見てしまっていることがまず大谷氏の決定的な間違いである。これは手形の割引を、普通の商品の買い取りと同じと考えてしまったエンゲルスと同じ過ちを犯すものである。実に残念である。ここまで第5編の研究を20数年にもわたって積み重ねてきたのに、肝心要のところの理解が抜け落ちてしまっている。
 金融商品の売買が実際には利子生み資本の運動でしかないと理解すれば、そんなものの流通に必要な「流通必要貨幣量」などありえないことは明らかである。というのは利子生み資本の運動とは、貨幣そのものが商品として売買(貸し借り)されることだからであり、つまり貨幣が返済を条件に一定期間貸し付けられることだからである。この場合、確かに利子生み資本である貨幣が流通に出てゆくが、貨幣市場に出て行くのであって、決して商品市場に出て行くのではない。大谷氏には貨幣市場と商品市場との区別さえはっきりとはしていない。貨幣市場とは、貨幣そのものが売買、つまり貸し付けられたり返済されたりしている市場である。大谷氏の言っていることは貨幣そのものが流通に出て行くのに必要な流通貨必要幣量などという馬鹿げた同義反復でしかないのである。
 確かに手形やそれ以外の有価証券の類、つまり大谷氏のいう「金融商品」は、利子生み資本の運用、つまり利子生み資本の投資対象である。しかしそのことはそれが利子生み資本の運動であることを否定することにはならない。それもやはり貨幣の貸し借りであり、金融商品を購入するということは、その本質的な内容は、返済を条件に一時的に貸し付けられることなのである。それが「金融商品」を「買う」という仮象に隠されている本質である。だからそれはどれだけ「買われる」かは、moneyed capitalそのものの量によって規定されている。しかし何度もいうが、それは決して流通貨幣の一部を形成するのではない。そんなことを言っていては、マルクスがmonied capitalと通貨との区別の重要性を何度も強調している意味がまったく理解されていないということではないか。
 流通貨幣というのは再生産過程における商品の流通を媒介する貨幣であり、社会の物質代謝を維持するに必要な貨幣量なのである。だからそれは商品市場において流通するものだけに限られるのである。それに対して、monied capitalというのは、再生産過程の外の貨幣の運動であり、貨幣信用の問題なのである。だからそれをマルクスは貨幣市場として商品市場と区別しているのである。この区別は極めて重要である。

 大谷氏は〈マルクスはmonied capitalと貨幣量とのあいだにどのような関連があるのか,という問題を立てながら,「5)信用。架空資本」の内部ではこれに答えることをしなかったし,マルクス自身も答え終えたと考えてはいなかったと言わざるをえない〉(④261頁)というのであるが、この問題でのマルクスの展開の少なさは、この問題そのものが初めから明瞭であり、それほど論じるまでもなかったからであろう。つまりマルクスはmoneyed capitalと貨幣の量との間には、恐慌時のような特殊な一時期を除けば、基本的には異なるものであると結論づけたからこそ、多くを展開する必要を感じなかったのである。
   そもそも流通する貨幣の量を規制する法則は『資本論』第1部第3章で与えられているように、それ自体は商品流通の現実に規定されており、その限りではmonied capitalという意味での貨幣資本とは直接には関係のない独立変数なのである。マルクスは第28章該当部分の草稿でそのことを次のように指摘していた。

  〈貨幣が流通しているかぎりでは,購買手段としてであろうと支払手段としてであろうと--また,二つの部面のどちらでであろう、またその機能が収入の,それとも資本の金化ないし銀化であるのかにまったくかかわりなく--,貨幣の流通する総量の量については,以前に単純な商品流通を考察したときに展開した諸法則があてはまる。流通速度,つまりある一定の期間に同じ貨幣片が購買手段および支払手段として行なう同じ諸機能の反復の回数,同時に行なわれる売買,支払いの総量,流通する商品の価格総額,最後に同じ時に決済されるべき支払差額,これらのものが,どちらの場合にも,流通する貨幣の総量,通貨currencyの総量を規定している。このような機能をする貨幣がそれの支払者または受領者にとって資本を表わしているか収入を表わしているかは,ここでは事柄をまったく変えない。流通する貨幣の総量は購買手段および支払手段としての貨幣の機能によって規定されて〔いる〕のである。〉 (大谷新著第3巻105-106頁)

  ここで注意すべきは、マルクスは〈流通する貨幣の総量〉を言い換えて〈通貨currencyの総量〉と述べていることである。つまり通貨=流通する貨幣ということである。大谷氏は預金まで通貨の範疇に加えるのであるが、こうした間違いは、ここでもマルクスによって退けられている。
 それはまあよいとして、イングランド銀行券の発券高と流通高とをみた場合、発行されたイングランド銀行券のうち通貨として流通しているもの以外は、個人的な退蔵を除けば、銀行の準備金として存在しており、その限りではそれは貸し付け可能な貨幣資本、すなわちmoneyed capitalとして存在しており、そうした関係だけを見れば、流通貨幣量とmoneyed capitalとの間には一方が増えれば、他方は減少するという関係がある。つまり流通貨幣量が増えれば、それだけ銀行の準備を圧迫し、moneyed capitalが減少する、よってまた利子率を押し上げるという関係がある。しかしすでに何度も言ってきたように、銀行はこうした同じ銀行券を何度も還流させて、一つの貨幣量の何倍何十倍もの額の利子生み資本を貸し付けることができるのである。それはたった10ポンドの銀行券片が流通速度によっては、1000ポンドもの商品を流通させ、その価値を実現することができるように、100ポンドの銀行券が、何度も銀行に還流することによって、2000ポンドの預金を形成し、よって2000ポンドの利子生み資本として銀行から貸し出されることが可能なのである。そればかりか銀行は、銀行券以外にもさまざまな形での信用(例えば銀行手形や口座貸し越し等々)による貸し付けも行いうるのであり、だから彼らが貸し付けるmoneyed capital全体はそうした手持ちの準備状態にある銀行券に限定されないのである。だから何度も紹介するが〈貸付可能な資本〔loanable capital〕の大きさは通貨〔Circulation〕の量とはまったく異なるものである〉(③488頁)

〔完〕

2017年12月19日 (火)

現代貨幣論研究(13)

「通貨」概念の混乱を正す

--通貨とmonied capitalという意味での貨幣資本との区別の重要性--(2)

 マルクスがこの問題について、極めて明確な「回答」を持っていたことは、大谷新本では第4巻で紹介されている、エンゲルス版の第33章と第34章に使われた草稿である、『銀行法委員会報告』1857年の〔チャプマンの証言〕の幾つかの抜粋に挿入されているマルクスの長い書き込みにおいてはっきりと見ることができる。もちろん、この部分は大谷氏がいうところの「III)」の本文の枠内のことではないが、しかしそうした本文を記述するための資料として作成されたマルクス自身による抜粋ノートなのである。だからそこでのマルクスの考察を検討すれば、マルクスがこの問題についてどのように考えていたかが理解できるのである。
 よって私自身のその部分のノートを長くなるが紹介しておきたい。ノートをそのまま紹介するのはやや無粋に過ぎるが、何しろのこの『マルクス研究会通信』は、ブログの表題の下に「マルクスの研究をやっています。その研究ノートを少しずつ紹介」とあるように、基本的にはノートの紹介を本来の課題としている。だから、やや言い訳めくが、十分に推考して完成させたものではないノートを、そのまま紹介しても許されるであろう。それに対するご批判やご意見を仰ぎ、さらに研究を深める一助にすればよいと考えている。(なお【 】で括られた番号は、私が任意につけた草稿のパラグラフ番号である。[ ]で括られた番号はMEGAの頁数、||362|というのはマルクスの草稿の362原ページがここから始まるということである。〔 〕で括られた表題等は大谷氏がつけたものである。①、②……はMEGAの注釈や異文等である。マルクスの草稿は青太字、大谷氏の書いたものやMEGAの注釈等は青字になっている。)

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(以下は私のノートから)

§[597]/360/〔混乱。続き〕

〔c『銀行法委員会報告』1857年からの抜粋II〕

〔(4)チャプマンの証言〕

  以下、このチャプマンの証言の部分はマルクスの長い書き込みがあり、重要である。このマルクスの書き込みは、いわゆる「流通手段の前貸しか、資本の前貸しか」という問題とも関連して多くの論者によって言及されてきた部分でもあり、以下、抜粋しておこう。

   この部分では〈第4868号。(チャプマン)貨幣の量。〉というマルクス自身による見出しがつけられているように、「貨幣の量」が問題になっている。①②……はMEGAにつけられた注解や異文等である。)

【195】

〈{けっして忘れてならないのは,名目的にはだいたいいつでも1900万から2000万ポンド・スターリングの銀行券が公衆の手にあることになっているが,これらの銀行券のうち現実に流通している部分と,運用されずに準備として銀行業者のもとにとどまっている部分との割合は絶えず,また大きく変動しているということである。後者の準備〔の部分〕が大きいときに(だからまさに流通*が少ない〔low〕ときに),貨幣市場の立場からすると,*流 通〔Circulationは〕潤沢〔full〕なのであり,この準備が小さい〔small〕ときに(だから*流通〔Circulation〕が潤沢〔full〕なときに),〔貨幣市場の立場からすると〕*流通は,すなわち遊休している貨幣資本〔unemployed money capital〕という存在形態にある部分は,少ない〔low〕のである。*流通〔Circulation〕の,事業の状態にはかかわりのない{したがって公衆の必要とする額が同じままでの①}現実の膨張または収縮は,ただ技術的な諸原因から生じるだけである。たとえば,租税支払いの期日には銀行券(と鋳貨)が普通の程度を越えてイングランド銀行に流れ込んで,事実上*流通〔Circulation〕を,それの必要にはおかまいなしに収縮させる。国債の利子が払い出されるときにはその逆になる。前者の場合,流通〔Circulationの〕ためにイングランド銀行からの貸付〔loans〕が行なわれる。後者の場合,個人銀行業者のもとでは,彼らの準備が一時的に増える[601]ので利子率が下がる。これは*流通〔Circulation〕の絶対量とはなんの関係もないことであって,ただ,それを発行する当事者に関係があるだけである。そしてこれらの銀行業者にとってはそれが貸付可能な資本〔loanable capital〕の発行として||362|現われるのであり,だから彼はこの発行〔issue〕のもたらす利潤をポケットに入れるのである。

  ①〔訂正〕「}」--手稿では欠けている。〉 (110-111頁)

*大谷氏は〔Circulation〕を〈流通〉と訳しているが、ここはやはり「通貨」とすべきではないだろうか。こうした翻訳のまずさは【195】~【202】全体についても言えることである。

 ここで〈名目的にはだいたいいつでも1900万から2000万ポンド・スターリングの銀行券が公衆の手にあることになっている〉とあるが、イングランド銀行の発券は1844年の銀行条例によって1400万ポンドまでは有価証券を担保に発行され、それ以上は地金の保有高に基づいて発行されることになっている。マルクスは具体的な例として地金が1000万ポンドとして発行高を2400万ポンドと計算しているケースもあるが、このうち公衆が必要とするものとしてここでは〈1900万から2000万ポンド〉が指摘されている。とするなら残りの400万から500万はイングランド銀行の銀行部の準備となっているわけである。つまりここで言われている〈公衆の手〉というのは、イングランド銀行以外の地方銀行や個人銀行そして文字どおりの公衆、つまり資本家や労働者や業者等々の手の中にあるということである。そしてここで問題になっているのは、このイングランド銀行の外に出ている銀行券のうち、一部は地方銀行や個人銀行の準備としてあり、他方は実際に流通しているとマルクスは想定しているわけである。ここでマルクスが〈貨幣市場〉と述べているのはいうまでもなく、貨幣の貸し借りの市場であり、ここではもっぱら地方銀行から再生産的資本家(産業資本や商業資本)たちへの貸し付けである(なおついでに述べておくと、イングランド銀行の銀行部は他の一般の銀行と基本的には同じ位置づけであり、地方銀行等と同じように、資本家等への貸し付けが行われていた)。その場合の貸し付け可能な貨幣資本の大きさはそれぞれの銀行の準備金の状況によって規定されているが、その準備は現実の商品市場における銀行券(通貨)の流通高に対応して常に増減していると指摘しているわけである。
  通貨の増減そのものは、公衆の必要に応じて、要するに商品市場の状況に対応して、増減するのだが、一部はただ技術的な理由で増減するとして、その例を二つ上げている。一つは租税支払の期日にはその支払いのために必要な通貨が吸収され、公衆の必要とする通貨の量が増大すること、もう一つは国債の利子支払がなされるときには、通貨は商品市場が必要とする以上に流通に出回り(よって社会的な物質代謝の状況とは無関係に)、公衆の持つ通貨が増えることが指摘されている。
 租税支払の場合は、通貨はイングランド銀行に流れ込むことになる。だからその場合は恐らく公衆の手にあるという1900万から2000万の全体額が減少しているときであろう。商品市場における通貨の流通高には変化がないのだから、この場合は地方銀行等の準備を逼迫させるであろう。だから利子率が上昇する。他方で国債の利子支払の場合はその逆であって、公衆に出回っている1900万から2000万の銀行券そのものがさらに増加してそれ以上になる場合である。この場合も商品市場における通貨の流通量には何の変化もないとすれば、今度は地方銀行等の準備は潤沢になるわけである。だから利子率は低下するというわけであるが、マルクスはそれは貸付可能な貨幣資本(monied capital)の増大になるのであり、彼らの利潤を増やすのだと指摘している。

【196】

〈①一方の場合には,流通媒介物の②一時的な移動〔Deplacement〕が生じるだけであって③,それをイングランド銀行は,国債利子の支払いの少し前に低利の短期貸付〔1oans〕をすることによって調整するのであり,したがって,この同じ余分な銀行券〔surplusnotes〕が,租税の支払いによってできた穴を埋め,またそれらの前貸の払い込み(返済)が,国債〔利子〕の払い出しがつくりだす余分〔Surplue〕を減少する〔ようにする〕のである 。

①〔異文〕ここに,「どちらの場合も……〔Beide Falle haben das gemein〕」と書いたのち消している。
②〔異文〕「一時的な」--あとから書き加えられている。
③〔異文〕はじめ,文をここで終えるつもりでここにピリオドを置いたが,それを消して以下の部分を続けている。〉
(111頁)

 このパラグラフと次のパラグラフは【195】パラグラフを直接受けてそれに関連して述べられている。ここで大谷氏は〈一方の場合には〉とか次のパラグラフでは〈他方の場合には〉と訳しているのであるが、恐らくこの翻訳は適切とはいえないだろう。というのはこれだと【195】で指摘されている二つのケース、つまり一つは租税支払、もう一つは国債の利子の払い出しのそれぞれを指していると捕らえてしまうからである。しかしマルクスが述べているのはそういうことではない。【195】の両方に言えることとして二つのことを指摘し、「一つは」として今回のパラグラフで言われているのだからである。要するにどちらにもいいうることは〈流通媒介物の一時的な移動〔Deplacement〕が生じるだけ〉だということである。すでに【195】の解読で書いたように、租税支払の場合はイングランド銀行の外にある銀行券の総額が通常の時より減少すること、国債利子の払い出しの場合はその逆である。だからイングランド銀行は低利の短期貸付によってそれらを調整するのだとしているのである。つまり国債利子の払い出しの少し前に貸し出しをやって、公衆の中に増えた通貨をその返済としてイングランド銀行に還流してくるように仕向け、租税支払によって逼迫した通貨をその短期貸付によってその穴を埋めるのだというのである。

【197】

他方の場合には,流通が少ないか潤沢かということ〔low od.full circulation〕は,いつでも,ただ,同量の流通〔Circulation〕の,①現実の流通手段と貸付〔loans〕の用具(預金されている〔onDeposits〕)とへの配分でしかない。

①〔異文〕「現実の〔actually〕」--あとから書き加えられている。〉 (111頁)

  これも【195】で指摘されているいずれのケースにも共通するものとしてマルクスは述べていることが分かる。だからここで〈他方の場合には〉というのも適訳とはいえず、マルクスの意図としては「もう一つ言えることは」という程度のものであろう。つまり 【195】の二つのケースについてもう一つ言えることは、〈流通が少ないか潤沢かということ〉は〈同量の流通〔Circulation〕の,①現実の流通手段と貸付〔loans〕の用具(預金されている〔onDeposits〕)とへの配分でしかない〉ということであるが、ここでも大谷氏の翻訳のまずさが理解を困難にしている。最初の〈流通が少ないか潤沢かということ〉というのは「通貨が少ないか潤沢かということ」である。しかもこれは銀行業者たちがそのように感じるということであって、実際に起きている事態ではないということにも注意が必要である。つまり銀行業者たちが、通貨が逼迫しているとか潤沢だとか意識するのは、彼らの準備金の増減がそのように彼らに思わせている現象なのである。しかし実際に起きていることは、イングランド銀行から外にてでいる通貨(イングランド銀行券)そのものの増減は今いったような一時的のものを除けばそれほど大きな変化はなく、ただそれが商品市場の需要にもとづいて通貨として出ているか、それとも地方銀行の準備として留まっているかという配分の問題なのだというのがここでマルクスが述べていることである。つまり地方の銀行業者たちは通貨が逼迫していると感じるのは、実は商品市場の活性によって流通媒介物としての通貨が必要とされ、そのために彼らの準備が少なくなっている状態のことなのである。つまり実際には文字通りの意味での通貨(流通手段と支払手段として実際に流通しているもの)はむしろ多いからこそ、銀行業者には逼迫していると感じるのであり、そして反対の場合は反対なのだというのがマルクスがここで指摘していることである。こうした銀行業者の転倒した意識は、彼等が通貨とmonied capitalとしての貨幣資本との区別ができていないことから来ているのである。つまり彼らの準備金(つまり貸し付け可能な貨幣資本、すなわちmonied capital)が少ないときには、通貨が逼迫していると考え(しかし実際には、流通に出回っている通貨そのものは多いから、彼らの準備が逼迫しているのである)、彼らの準備金(monied capital)が多いときには通貨は潤沢だと考えるということである(しかし実際には、流通に出回っている通貨が少ないから、すなわち実際の商品流通で通貨がそれほど必要とされていないから、彼らの準備金が潤沢なのである)。

【198】

他方,たとえば地金流入によって,それと引き換えに発行される銀行券の数が増やされる場合には,この銀行券はイングランド銀行の外で割引に役立ち,同行の銀行券は貸付〔loans〕の返済で還流する①のにたいして,新たな割引は同行の壁の外で行なわれ,したがって流通銀行券〔d.circulirenden Notes〕の絶対量はただ一時的に増やされるだけである。

① 〔異文〕はじめ,文をここで終えるつもりでここにピリオドを置いたが,それを消して以下の部分を続けている。〉 (112頁)
                  

 今回は地金の流入のケースを見ている。地金が何らかの理由で外国から輸入され、それがイングランド銀行に持ち込まれて、それに代わって銀行券が出ていくケースである。確かにこの場合は国内の通常の銀行券の流通高に変化がなくても、銀行券の流通に変化が生じるであろう。つまり1900~2000万ポンド以上の銀行券が出てくることになる。これらの銀行券は当然、イングランド銀行の外の銀行、つまり地方銀行等の準備を潤沢にするわけである。彼らはそれを割引に役立てるとマルクスは指摘している(つまりmonied capitalとして貸し付けられる)。しかしそれらも貸付の返済というかたちでイングランド銀行に還流するので、銀行券の絶対量はただ一時的に増えるだけだとマルクスは指摘している。
 ただここで注解①によるとマルクスは一旦、ピリオドをおいて文章を打ち切りながら、それを消し以下の部分を続けたと指摘されているが、それがために文章がややおかしくなっている。以下の文章というのは〈のにたいして,新たな割引は同行の壁の外で行なわれ,〉というものだが、しかしこれは、すでにその前に〈この銀行券はイングランド銀行の外で割引に役立ち〉と述べていることを、そのまま繰り返すことになっているからである。むしろピリオドで文章を一旦切り、その上で〈したがって流通銀行券〔d.circulirenden Notes〕の絶対量はただ一時的に増やされるだけである〉と繋がってゆくべきなのである。

【199】

もし取引が拡大されたために流通〔Circulation〕が潤沢〔full〕だとすれば(それは物価が①相対的に低い場合にも起こりうる),利子率が(利潤の増大や企業の増加によるmoneyed capitalの需要のために)相対的に高いこともありうる。もし②取引の縮小のために{あるいはまた信用が流動的であるために}流通が少なく〔low〕なっているとすれば,{物価は高くても③}利子率は低いことがありうる。(④ハバドを見よ。)

① 〔異文〕「相対的に」--あとから書き加えられている。
② 〔異文〕,「取引の縮小のために{あるいはまた信用が流動的であるために}」--はじめ「流通高が低位になっているとすれば,利子率は低いことがありうる」と書き始めたが,すぐにこの部分を書き加えている。
③ 〔訂正〕「}」--手稿では欠けている。
④ 〔注解〕「ハバドを見よ。」--〔MEGAII/4.2の〕565ページ16行一566ページ34行〔本書本巻64ページ9行一66ページ6行〕を見よ。〉
(112頁)

 ここでも翻訳のまずさをまず指摘しておく必要がある。最初の〈流通〔Circulation〕〉はマルクスの意図を考えるなら、やはり「通貨」と訳すべきである。また〈潤沢〔full〕だとすれば〉もそのあとの〈〔low〕〉を〈少なく〔low〕なっているとすれば〉と訳しているのだから、むしろここでは「増大しているとすれば」か「増えていれば」とすべきだろう。
 ここでマルクスが述べていることは、取引が拡大されたために、商品市場で必要な通貨の流通量が増え、その分、地方銀行の準備が圧迫されること、しかも景気の拡大は利潤の増大や企業数の増加などによってmoneyed capitalへの需要も増す。だから一方は銀行の準備が圧迫されるだけでなく、貸し出しへの需要も増えるのだから、当然、利子率が上昇せざる得ないということである。
 そしてその次はその反対のケースである。取引が縮小すれば、当然、商品市場の不活発から通貨の流通量も減少し、その分、銀行の準備は豊かになる。しかし同時に企業の投資も不活発になるからmoneyed capitalへの需要も減退する。だから利子率は低下せざるを得ないということである。
  しかしマルクスは、物価が高くてもそうなる場合もあると述べている。この場合は、次のようなことが考えられる。商品市場の不活発が原因ではなく、商品市場が活発でも、信用が流動的なために、つまり信用取引や預金の振り替え決済による取引が活発なために、通貨の節約が生じ、通貨の流通量そのものは増えないか、むしろ減少する場合、当然、物価は高いままだし、銀行にたいするmoneyed capitalへの需要にも変化がなくても、あるいは増大しても、やはり流通に必要な通貨量の減少は、その分だけ銀行の準備を豊かにして、利子率押し下げることになるわけである。

【200】

流通〔Circulation〕の絶対量が規定的なものとして利子率と一致するのは,ただ逼迫期だけのことである。このような場合,一方では,潤沢な流通〔full circulation〕にたいする需要は,ただ,信用喪失〔Discredit〕のために(流通〔Circulation〕の速度の低下や同じ貨幣が絶えず貸付可能な資本に転換される速度の低下を別として①)生じた蓄蔵にたいする需要〔でありうるのであって〕,たとえば1847年には,政府書簡は流通〔Circuration〕膨張を引き起こさなかった。他方では,事情によっては,現実により多くの流通手段が必要になっていることもありうる(たとえば1857年には,政府書簡ののちしばらくのあいだ,現実に流通〔Circulation〕が増大した)。

①〔訂正〕「)」--手稿では欠けている。〉 (112-113頁)

 ここでもまず指摘しておくべきは、訳者が〈流通〔Circulation〕〉としているものはすべて「通貨」と訳すべきであろう。
 ここでマルクスが言っているのは通貨の量そのものが利子率に規定的に作用するのは、恐慌のときだけであるということである。というのはこうした場合の通貨に対する需要、銀行券への需要は信用が喪失しために、支払手段としての現金への需要か、あるいは信用用具への不信から、現金を退蔵するための蓄蔵貨幣への需要だからであり、こうした場合は通貨の絶対量の枯渇が利子率を異常に高めるからだということである。
 それは1847年の恐慌時に政府が銀行条例を停止させる書簡を送っただけで、通貨の膨張そのものは生じなかった例を挙げている。この書簡によってイングランド銀行は銀行券の発行を制限を超えてできることになったが、しかし実際には、それだけで信用は安定し、銀行券の発行の増大そのものは必要なかったということである。信用が安定すれば、通貨を退蔵しておく必要もないし、信用取引が可能なら、直ちに現金による支払を迫られることもないからである。ただ1857年の恐慌のときにはイングランド銀行券の発行は一時期異常に増大したことはあることも指摘されている。これは以前、第5編草稿の第28章該当部分の解読をやったときにアンドレァデス著『イングランド銀行史』に掲載されているグラフを紹介したことがあったので、それを参照してもらいたい。

【201】

〈このような場合のほかは,流通〔Circulation〕の絶対量は利子率には影響しない。というのは,この絶対量は,節約や速度を不変と前提すれば,諸商品の価格と諸取引の量とによって規定されており{たいていは一方の契機が他方の契機の作用を麻痺させる},また信用の状態によって規定されているのであって,逆にそれが信用の状態を規定するのではないからであり,他方では,物価と利子率とのあいだにはなにも必然的な関連はないからである。〉 (113頁)

 この場合も、いやこの場合でさえも、というべきか、大谷氏が〈Circulation〉を〈流通〉と訳しているのは不可解である。あるいは「Circulation」は面倒だからすべて「流通」と訳してしまおうという意図でもあったのであろうか。というのは今回の場合は、明らかにマルクスは『資本論』第1部第3章で明らかにしている流通する貨幣の量を規制する法則を再確認しているのだからである。すなわち通貨の量は節約や速度を不変と前提すれば、商品価格の総額と取引の量に規定されていると述べているように、それは通貨の流通量について述べていることは明白だからである。またここでマルクスが〈また信用の状態によって規定されている〉というのは商業信用について述べているのである。もちろん、それに貨幣信用が絡まって、預金の振替決済等々によっても通貨の節約が行われることはありうるが、最初に〈節約や速度を不変と前提すれば〉と書いているからそうした場合は除外されていると考えるべきであろう。

【202】

通貨の発行〔lssue of Circulation〕と資本の貸付〔Loan of Capital〕との区別は,現実の再生産過程で最もよく現われる。①われわれは前に,生産のさまざまの構成部分がどのように交換されるかを見[602]た。しかしこの交換は貨幣によって媒介されている。たとえば,可変資本は実際には労働者の生活手段〔provisions d.workingmen〕であり,彼ら自身の生産物の一部分である。しかし,それは彼らには(少しずつ)貨幣で支払われてきたものである。この貨幣は資本家が前貸しなければならず,また,前の週に彼が支払った②その古い貨幣で次の週にふたたび新しい可変資本を支払うことができるかどうかは信用制度の組織によるところが大きい。資本のさまざまの範疇(たとえば不変資本と生活手段〔Lebmsmittel〕のかたちで存在する資本と)のあいだの交換の場合も同じである。しかし,資本の流通〔Circulation〕のための貨幣は,一方の側によって,またはそれぞれの分に応じて〔pro parte〕双方の側によって前貸されなければならない。それからこの貨幣は流通〔Circulation〕のなかにとどまるが,つねにそれを前貸した人の手にまた帰ってくる。というのは,その貨幣は彼にとっては余分の資本〔Surpluscapital〕(彼の生産的資本以外の)の投下をなすのだからである。貨幣が銀行業者の手に集中されている発達した信用制度にあっては,貨幣を前貸するのは彼らである(少なくとも名目的には)。この前貸は,ただ流通〔Circulation〕のなかにある貨幣に連関するだけである。それは通貨〔Circulation〕の前貸であって,それが流通〔circuliren〕させる資本の前貸ではない。}

① 〔注解〕「われわれは前に,生産のさまざまの構成成分がどのように交換されるかを見た。」-----カール・マルクス『経済学草稿(1863-1865年)』,第2部「第1稿」,MEGA第II部門第4巻第1分冊,301-343ページ〔中峯・大谷他訳『資本の流通過程』,大月書店,1982年,199-251ページ〕,を見よ。
② 〔異文〕「その古い貨幣で……新しい可変資本を」← 「同一の貨幣で……同一の資本を」〉
(113-114頁)

 このパラグラフはいわゆる「貨幣(流通手段)の前貸しか、資本の前貸しか」という多くの論者に論争を呼び起こした問題に関連している。
 ただマルクスがここで〈通貨の発行〔lssue of Circulation〕と資本の貸付〔Loan of Capital〕との区別は,現実の再生産過程で最もよく現われる〉と書き出しているが、これまでのパラグラフで述べてきたことも、まさにこの両者の〈区別〉の問題だったということである。イングランド銀行によって発行された銀行券は、一つはイングランド銀行自身のその銀行部の準備になり、それ以外はイングランド銀行の外に、つまり公衆の持つことになるのであるが、しかしこの公衆の中には、一つは銀行(地方銀行あるいは個人銀行等々)があり、もう一つはそれ以外の資本家や労働者などがあるということである。だからその公衆の持つ銀行券は、一つは実際の商品市場で通貨として流通している部分をなし、それ以外の部分は地方銀行や個人銀行の準備を形成するとマルクスは論じていたわけである。そしてこの両者は一方が増えれば他方はその分だけ減るというような増減を常に繰り返しているということである。つまり一般の商品市場での通貨の流通量が増大すれば、それだけ銀行の準備が減少し、それが銀行家には通貨の逼迫として意識され、逆の場合は逆だということである。だから実際の通貨が市場に多く出回ると銀行家たちには通貨は逼迫していると意識され、反対の場合は反対という、まったくちぐはぐな逆の意識がそこでは生じていることになる。もちろん、ここには銀行家たちの通貨とmonied capitalとの無区別、混同がある。銀行家たちは彼らが貸し出す銀行券も通貨だという意識がある。だからその準備が少なくなっていることを通貨が逼迫していると考えるのである。しかし彼らが逼迫していると考えているのは、通貨ではなく彼らが貸し出す利子生み資本なである。つまりマルクスがここで論じていることは、通貨と利子生み資本(monied capitalという意味での貨幣資本)の区別なのである。その区別が最もよく現れるのが再生産過程だと述べているのである。
 もちろん、銀行が貸し出すmonied capitalはこうしたイングランド銀行券によるものだけではなく、銀行はさまざまな形での信用による貸し付けを行うのであり、だからmonied capitalの増減はこうしたものだけに厳密に規定されているわけではない(いやむしろmoneyed capitalの量は先の例で100ポンドの銀行券が2000ポンドの預金を形成したように、通貨の量とはまったく異なった動きをするのである)。しかしここでマルクスが述べているイングランド銀行券が地方銀行等の準備金を形成しているものというのは、彼らのmonied capitalのもっともコアな部分をなしていると考えることができるわけである。
 ここでマルクスが通貨の前貸しと述べているのは、流通過程に必要な貨幣そのものの供給ということである。この貨幣そのものは実際には歴史的に貨幣商品として市場からはじき出されたものであり、それはだから一部は蓄蔵状態にあるが、それ以外は流通過程に本来的に存在するものなのである。ただ発展した資本主義社会では実際の貨幣商品としての金ではなく、多くはその代替物がそれに代わって流通している。ここでマルクスが想定しているのはイングランド銀行券であるが、その場合はそれを供給するのはイングランド銀行であり、あるいは地方銀行だと述べているのである。だからこの場合は銀行券の前貸しは確かに銀行にとっては利子生み資本としての貸付か、あるいは単なる預金の払い出しかもしれないが、しかし再生産過程でみると、それは通貨の前貸しであって、資本の前貸しではないと指摘しているのである。というのはそれは単に流通に必要な貨幣の供給でしかないからである。しかしこれは再生産過程をそれ自体として抽象的に考察している限りで問題になる問題でもあるのである。というのは貨幣商品そのものは歴史的に本源的には金生産者から一商品として物々交換によって供給され流通過程に入り、流通過程に留まるか、あるいは蓄蔵貨幣として停止した状態にあるかするのだからである。だからそれを銀行が前貸しで供給するというようなことは本来的にはないのである。ただ蓄蔵貨幣は発達したブルジョア社会では銀行の準備金という形態をとっているので、それが流通に出てくる媒体として銀行があるということにすぎない。いずれにせよ『資本論』第2部第3篇の再生産表式を使った再生産過程の考察では流通を媒介する貨幣は資本家が投ずると想定せざるを得ないからこうした不可解な貨幣の運動が見られるのである。
 もし流通を媒介する貨幣がいかなる形で流通に供給されるのかという問題を論じるなら、やはり『経済学批判』でマルクスが論じているように、金銀の流通を問題にしなければならないのである。イングランド銀行券などの流通はただそれを代理して流通しているのであって、こうした金属流通を前提してしか考えることはできないのである(一度、こうした問題を金貨幣の本源的な流通との関連で考察してみる必要があるかもしれない。)
 しかしいずれにせよ、この問題はもっとよく考えてみることにしよう。この問題は大谷氏の『第2部仕上げのための苦闘の軌跡』を批判する中でかなり論じたが、しかしエンゲルスの「追加貨幣」という勝手な修正を知らないままに論じたという欠陥があり、だからもう一度きっちり論じておくべき問題だからである(この大谷氏の論文の批判は、電子書籍化してあるので、興味のある方は参照してください)。このノートもいずれ、草稿のパラグラフごとの解読として公表するときがあると思うが、そのときはもっと本格的に論じることにしたい。

【216】

貨幣の量第5196号。「〔チャプマン〕各四半期中には(国債利子が支払われるときに)… … わたしどもがイングランド銀行に頼ることは……どうしても必要です。国債利子〔支払い〕の事前処理で600万ポンド・スターリングか700万ポンド・スターリングの〔国家〕収入が流通〔circulation〕から引き揚げられるときには,そのあいだの期間,だれかがこの金額を用立てる仲介者medium〕とならなければなりません。」(この場合に問題なのは貨幣の供給であって,資本の供給ではない。)(またmoneyed capitalの供給でもない。①)

 ①〔訂正〕 「)」--手稿では欠けている。〉 (118-119頁)

 ここで論じられているものも通貨とmoneyed capitalとの区別の問題である。マルクスはこの場合の貨幣の供給は通貨の供給であって、資本の供給ではない、moneyed capitalの供給でもないと指摘している。しかしこの点については、一つ前のパラグラフで論じたので、ここでは必要ないであろう。

 (以下、「チャプマンの証言」のノートは続くが、割愛する。ノートの紹介は以上である。)

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 このようにマルクスによって抜粋された「チャプマンの証言」やそこに挿入されたマルクスの文章を吟味すれば、〈マルクスはmonied capitalと貨幣量とのあいだにどのような関連があるのか,という問題を立てながら,「5)信用。架空資本」の内部ではこれに答えることをしなかったし,マルクス自身も答え終えたと考えてはいなかったと言わざるをえない〉(④261頁)と大谷氏がいうのは正しいとは言い難い。

 マルクスは明確な問題意識をもって論じているのである。今一度、その内容を確認してみよう。われわれはこれまでマルクスの文章を見てきた順序に拘らずに、全体としてこの問題を考察する場合に必要なことについて、項目的に論じてみることにしよう。

(1)まず確認しなければならないのは、マルクスが〈ここで通貨〔Circulation〕の量と言うのは,すべての銀行券と地金のことである〉と述べているように、マルクスが通貨という場合はイングランド銀行券か地金を指しているということである。そしてマルクスが主に通貨として問題にしているのはイングランド銀行券のことである。

(2)但し、イングランド銀行券がすべて通貨というわけではない。イングランド銀行券は、1844年の銀行条例によって、その発行額は制限されており、1400万ポンドは証券を担保に発行できるが、それ以上はイングランド銀行の保有する地金に連動させて発行されることになっていた。例えば発券部の準備金が1000万ポンドの場合、発行限度額は2400万ポンドになる。しかしこの2400万ポンドがすべて通貨かというとそうではないのである。このうち公衆が必要とする部分が、仮に2000万ポンドであれば、残りの400万ボンドは銀行部の準備になるわけである。銀行部は他の普通の銀行と基本的には同じ営業を行うものとの位置づけであったから、この準備は少なくともその一部は銀行部の運用資金(monied capital)ということができる。では残りの公衆が手にする2000万ポンドが、では通貨の量かというとやはり違うのである。この公衆の手にあるイングランド銀行券は二つの部分に別れる。一つは通貨であり、実際に流通媒介物として流通しているものであり、もう一つは地方銀行や個人銀行が準備金として保有するものである(これ以外にも個人や資本家によって退蔵される部分もあるが、これはいまは無視しよう)。

(3)つまりイングランド銀行が発行する銀行券のうち、実際に通貨として流通している量というのは、文字通り商品流通を媒介している量のことある。そしてこの流通量は一つは流通する商品の価格総額、流通速度、諸支払の相殺度合い(マルクスは節約と述べている)、あるいは商業信用の発展度合い等によって規定されており、これは結局は、社会的な物質代謝の運動に規定されているわけである。
 だから例えイングランド銀行であってもそれを左右できるものでは決してないのである。つまり通貨の流通量というのは、実際の商品市場の現実に規定されている独立した数値なのである。それは銀行によって増大させたり、減少させるということは絶対にできないものである。
 今日のブルジョア経済学者はいうに及ばず、多くのマルクス経済学者においても、現代の資本主義においては通貨は国家によって管理されているなどという理解が一般的であるが、こうした理解の間違いは、通貨概念そのものが混乱していることにある。この点では、マルクスの生きていた当時の銀行家、例えばチャプマンのようなブルジョアや、フラートンのような銀行学派たちの混乱から彼等は一歩も前進していないのである。彼等も通貨とmonied capitalとの区別ができていないのである。しかしマルクスが強調しているのは、まさにこの区別であり、その必要なのである。

(4)例えば発行されたイングランド銀行券のうち銀行部の準備以外は、イングランド銀行の外に出回っていることになるが、しかしそのうち地方銀行や個人銀行の準備金を形成するものは、利子生み資本、すなわち貸し付け可能な貨幣資本、monied capitalとなる。マルクスはだから現実の流通を媒介する通貨量が増えれば、それだけ準備金としての銀行券が逼迫するので、銀行業者たちはそれを通貨の逼迫と捉えると指摘しているわけである。しかし実際には、通貨は現実の商品市場では多く出回っているのだ、というのがマルクスの批判である。

(5)しかしこれだけなら、通貨と利子生み資本(monied capital)とは、一方が増えれば他方は減るという関係にありそうに思える。つまり通貨の量とmonied capitalとの関係はその限りでは関連があることになる。

(6)しかし利子生み資本を形成するものは、こうした銀行が保有する銀行券だけに限らないのである。それはすでに見たように、同じ貨幣片が何度も流通を媒介することによって、多くの商品の価値を実現することができるのと同じように、同じ通貨が銀行に預金や支払として還流することによって、それが何度も利子生み資本として貸し出すことが可能になるのであり、だから同じ一定の通貨量がその何倍もの利子生み資本を形成することになるからである。そればかりではない、銀行はその準備に引き当てて、当座貸し越し、つまり帳簿信用によって貸し出すこともできるのである。

(7)よって、マルクスは次のように結論しているのである。

〈貸付可能な資本〔loanable capital〕の大きさは通貨〔Circulation〕の量とはまったく異なるものである〉 (③488頁)

  だから何度も言うが、大谷氏のように、この第2の問題に対してマルクスが何の回答も与えなかったなどということは到底ありえないのである。

(以下、次回に続く)

2017年12月13日 (水)

現代貨幣論研究(12)

「通貨」概念の混乱を正す

--通貨とmonied capitalという意味での貨幣資本との区別の重要性--(1)

◎問題提起が繰り返された謎?

 今回の問題は「現代貨幣論研究」のテーマとは若干ずれるといえばそう言えなくもないが、しかし現代、一般に「通貨」といわれる場合、その多くは概念的には混乱しており、monied capitalという意味での貨幣資本との区別が出来ていない場合が多いのである。その意味では、今回取り上げるテーマも現代貨幣論研究の一環ということができなくもない。今回もこれまでと同じく大谷氏の新著『マルクスの利子生み資本論』に関連した問題提起である。

 大谷氏の新著はその表題のとおり、『資本論』現行版の第3部第5編「利子と企業者利得とへの利潤の分裂 利子生み資本」の草稿を詳しく翻訳紹介するとともに、氏独自の解説を加えたものになっている。今回はその草稿のなかでもマルクス自身が「5)信用。架空資本」と表題を書いた部分(現行版では第25章から35章に該当)についてである。この部分はマルクス自身がつけた項目としてはⅠ)、II)、III)という表題のない三つの項目しかない。そしてそれらは現行版ではだいたい第28章、第29章、第30~32章に該当している。今回問題にするのは、そのうちのIII)と項目が打たれた部分である。

 このIII)は草稿の340原頁から始まっているが、冒頭、マルクスは次のような一文で開始している。

 〈これから取り組もうとしている,この信用の件〔Creditgeschichte〕全体のなかでも比類なく困難な問題は,次のようなものである。--第1に,本来の貨幣資本の蓄積。これはどの程度まで,現実の資本蓄積の,すなわち拡大された規模での再生産の指標なのか,またどの程度までそうでないのか? いわゆる資本のプレトラ(この表現は,つねにmonied Capitalについて用いられるものである),これは過剰生産と並ぶ一つの特殊的な現象をなすものなのか,それとも過剰生産を表現するための一つの特殊的な仕方にすぎないのか? monied Capitalの過剰供給は,どの程度まで,停滞しているもろもろの貨幣量(鋳貨\ 地金または銀行券)と同時に生じ,したがって貨幣の量の増大で表現されるのか?
 他方では,貨幣逼迫のさい,この逼迫はどの程度まで実物資本〔realcapital〕の欠乏を表現しているのか? それはどの程度まで貨幣そのものの欠乏,支払手段の欠乏と同時に生じるのか?〉
(大谷本第3巻413-414頁、以下「③413-414頁」と略記する)

  いうまでもないが、これはマルクスがこれからIII)で考察しようと考えているテーマを定式化したものだということができる。
 そしてマルクスはエンゲルス版では第30章にあたる部分を終え、第31章が開始されるところで、再び次のように同じような問題を提起している。

 〈しかし,ここでの問題はそもそも,どの程度までmoneyed Capita1の過多〔superabundance〕が,あるいはもっと適切に言えば,どの程度まで貸付可能なmonied capitalの形態での資本の蓄積が,現実の蓄積と同時に生じるのか,ということである。〉 (③408頁)

 これは冒頭の問題提起のうち最初の問題を再度確認したものと言える。
  ところが奇妙なことに、マルクスはテキストをかなり書き進めたあとでも、つまりエンゲルス版では第32章の半ば近くまで書き進めたところで、三度同じような問題提起を行うのである。すなわち草稿の355原頁の途中、次のように書いている。

  〈さて,二つの問題に答えなければならない。第1に,monied Capita1の相対的な増大または減少は,要するにそれの一時的な,またはもっと継続的な蓄積は,生産的資本の蓄積とどのような関係にあるのか? そして第2に,それは,なんらかの形態で国内にある貨幣量とはどのような関係にあるのか?〉 (③523頁)

  エンゲルスは編集ではこの部分全体を削除しているが、このようにかなり考察を押し進めた時点で、冒頭で行ったのとほぼ同じような問題を提起する不自然さからそうしたのであろうと考えられる。しかし、少なくとも草稿では、この時点でも、マルクス自身は冒頭に掲げた解決すべきと考えていた問題が、いまだ最終的には解決しているとは言い難いと考えていたことは明らかではないだろうか。III)全体の草稿は原ページでいうと、340~360頁に該当する。つまりこの問題提起が書かれている355頁というのは、全体のほぼ4分の3が終わったところなのである。こうしたマルクスの問題提起の度重なる記述から、そもそもマルクスは冒頭に掲げた問題を、果たしてこの部分で解決したと言えるのか、という疑問が当然のごとく生じてくるわけである。

 この問題について、大谷氏は特にmonied capitalと貨幣量との関連について、マルクスは問題提起をしながら、結局は未解明に終わっていると、同書第3巻と第4巻で言及している。その問題を少し検討してみたい。

◎大谷新本第3巻での言及

 まず大谷氏の新著『マルクスの利子生み資本論』の第3巻では、【第10章「貨幣資本と現実資本」(エンゲルス版第30-32章)に使われたマルクスの草稿について】の「3 若干の基本的なタームについて」の「(9)貨幣の量」の冒頭、次のように述べている。

 〈さて,「III)」の冒頭で提起されている第2の問題では,monied capitalと,最も一般的な表現を使えば,「貨幣の量」との関連が問われている。「貨幣の量」もまた「III)」の基本的なタームとなっているはずである。
  ところが実際には,この「III」で「貨幣の量」について触れている箇所はわずかである。だからまた,monied capitalと貨幣量との関連について明示的に論じている箇所もさらにわずかである。つまり,マルクスは冒頭で,monied capitalと貨幣量との関連について問題を立てながら,それについては立ち入って論じることをしていなかったように見える。〉
(③297頁)

  次に同じ第10章の最後の締めくくりの「むすびに代えて」のなかでも、やはり同じ問題を次のように論じている。

 〈以上,「III)」のなかでマルクスが論じ,重要視し,明らかにしていると考えられる論点を思いつくままに挙げてきた。最後に,ここでのマルクスの論述をどの程度まで完成したものと見るべきか,などについて一言し,やや長くなったこの解題を終わることにしよう。
 すでに見たように,冒頭で立てられた問題のうち,monied capitalと貨幣の量との関連の問題は,この「III)」の範囲内では本格的に論じられておらず,したがってその答もマルクスによってまとまったかたちで与えられていないと見られる〉
(③397-398頁)

 なお、ついでに述べておけば、この部分では大谷氏は第1の問題--monied capita1の増減と実物資本の蓄積およびその停滞との関連の問題--についても〈マルクス自身は,エンゲルス版第32章にあたる部分を書き終えたところでも,第2の問題ばかりでなく第1の問題についても,答え切った,これで答え終えた,とは感じていなかったように見える〉と結論している。

◎果たして、マルクスは、monied capitalと貨幣の量との関連について、その答えを与えることが出来なかったといえるのかどうか

  しかしマルクスの草稿を読んできて思うのは、果たして大谷氏の指摘は正しいのかという疑問である。というのは、マルクス自身はこの第二の問題について言及するだけでなく、一定の結論を得ていると考えられるからである。それをこれから紹介しておこう。
  マルクスは第二の問題、すなわち〈それ(moneyed capitalの相対的な増大または減少--引用者)は,なんらかの形態で国内にある貨幣量とはどのような関係にあるのか? 〉について次のように述べている。

〈貸付可能な資本〔loanable capital〕の大きさは通貨〔Circulation〕の量とはまったく異なるものであること{この量の一部分は,銀行業者の準備であり,この準備は変動している。ここで通貨〔Circulation〕の量と言うのは,すべての銀行券と地金のことである,等々}〉 (③488頁)

通貨〔Circulation〕{地金および鋳貨を含めて}の量が相対的に少ないのに預金が大きいということの可能性だけであれば,それはまった次のことにかかっている。(1)同じ貨幣片によって行なわれる購買や支払の度数。そして,(2)同じ貨幣片が預金として銀行に帰ってくる度数。したがって,同じ貨幣片が購買手段および支払手段としての機能を繰り返すことが,それの預金への転化によって媒介されているのである。たとえば,ある小売商人が毎週100ポンド・スターリングの貨幣を銀行業者に預金するとしよう。銀行業者はこの貨幣で製造業者の預金の一部分を払い出す。製造業者はそれを労働者たちに支払う。労働者たちはそれで小売商人への支払をし,小売商人はそれで新たな預金をする,等々。小売商人の100ポンド・スターリングの預金は,(1)製造業者の預金を払い出すために,(2)労働者に支払うために,(3)その小売商人自身に支払うために,(4)同じ小売商人の貨幣資本〔moneyed capital〕の第2のある部分を預金するために,それぞれ役立ったのである。この場合には,この小売商人は20週間の終りには(もし彼自身がこの貨幣を引き当てに手形を振り出さないとすれば)100ポンド・スターリングで2000ポンド・スターリングを銀行業者のもとに預金したことになるであろう。〉 (③495-496頁)

 このようにマルクスはこの問題についてはっきりと書いているのである。これをみれば、大谷氏のように〈まとまったかたちで答を書かないままに残した〉などとは言えないのではないかと思うのである。最初の引用文では、マルクスは明確に〈貸付可能な資本〔loanable capital〕の大きさは通貨〔Circulation〕の量とはまったく異なるものである〉とその答えを書いているのである。
  次の引用文では、その理由の一つが例示されている。つまり同じ貨幣片が何度も購買手段や支払手段として機能して、その貨幣額の何倍もの商品価値を実現させるように、同じように、その同じ貨幣額は、その何倍もの預金を形成することが可能なのである。だからマルクスの例では、100ポンド・スターリングの貨幣量が、2000ポンド・スターリングの預金を形成することもありうること。そしてこの2000ポンド・スターリングの預金というのは、銀行にとっては、準備として手元に置くもの以外は貸し付け可能な貨幣資本(monied capital)を形成するのである。だから貨幣量(通貨量)とmonied capitalの増減との関係は、この一事を見ても、まったく関連がないといえるのである。

  マルクスにとってはこの問題はある意味ではハッキリした問題だったからこそ、それほど言及する必要は無かったとむしろ考えるべきではないかと思えるのである。

(以下、次回に続く)

2016年10月17日 (月)

現代貨幣論研究(11)

「預金通貨」概念を擁護する大谷氏の主張の批判的検討(3)

 さて、前回のように大谷氏が引用した一文を解読したので、次は大谷氏のこの引用文の解説を検討することにしよう。まず大谷氏は次のようにこの引用文を解説している。

 〈まず,Aが5000ポンド・スターリングの小切手を振り出したとき,5000ポンド・スターリングの預金はAにとって「可能的な貨幣〔money potentialiter〕」として機能する,と言われている。ここで「可能的」というのは,小切手の額が預金から引き落とされたときに,この金額のAが預金した貨幣は貨幣機能を果たした,と言いうるのだからである。この場合の「貨幣としての機能」とは,この預金でBの商品の価格を実現する機能,すなわち流通手段の機能にほかならない。〉 (361頁)

 この大谷氏の一文は簡単には理解可能ではない。大谷氏は預金は流通手段として機能したというのであるが、果たしてそれは正しいであろうか。AがBから商品を現金(金、または法貨としての銀行券、要するに通貨)で支払うなら、その現金は流通手段として機能したといいうるであろう。しかしAが支払うのは小切手である。小切手とは何か、マルクスも述べているように〈貨幣への請求権〉である。つまりAはBから商品を購入したが、すぐに現金では支払わずに、支払を約束する証書を渡したにすぎない。つまりここではAとBは信用取引をやったのである。Aは債務者であり、B債権者である。だからこれらの一連の取り引きは、支払手段としての貨幣の機能にもとづいている。大谷氏にはこの根本的な認識が欠けているように思えるのだが、果たしてどうであろうか。

 だからわれわれは、少し横道に逸れるが、支払手段としての貨幣の機能についてもう一度確認しておこう。マルクスは『経済学批判』で次のように述べている。若干長くなるが、原点に帰るという意味で、われわれはキッチリ理解しなければならない。

 〈売り手(われわれの例ではB--引用者、以下同)は商品を実際に譲渡し、またそれの価格を実現するが、この実現はそれ自身、さしあたってこれまたただ観念的なものにすぎない(われわれの例では、小切手という形での実現である--同)。彼は商品をその価格で売ったのであるが、この価絡はそののちのある確定された時点ではじめて実現される。売り手は現在の商品の占有者として売るのに、買い手(われわれの例ではA)は将来の貨幣の代表者として買うのである。売り手(B)の側では、商品は価格として現実に実現されないのに、使用価値として現実に譲渡される。買い手(A)の側では、貨幣は交換価値として現実に譲渡されないのに、商品の使用価値のかたちで現実に実現される。まえには(流通手段としての貨幣の機能の時には--同)価値章標が貨幣を象徴的に代表したのに、ここでは買い手(A)自身が貨幣を象徴的に代表する。だがまえには、価値章標の一般的象徴性が国家の保証と強制通用力とを呼び起こしたように、いまは買い手(A)の人格的象徴性が商品占有者間の法律的強制力ある私的契約を呼び起こすのである。〉 (草稿集③365頁)
 〈売り手(B)と買い手(A)は、債権者と債務者になる。〉 (同366頁)
 〈だから、商品が現存し貨幣がただ代表されているにすぎない変化した形態のW-Gでは、貨幣はまず価値の尺度として機能する。商品の交換価値は、その尺度としての貨幣で評価される。だが価格は契約上測られた交換価値としては、ただ売り手B)の頭のなかに実在するだけでなく、同時に買い手(A)の義務の尺度としても実在する。第二に、この場合貨幣は、ただ自分の将来の定在の影を自分の前に投じているだけであるとはいえ、購買手段として機能する。すなわち、貨幣は商品をその場所から、つまり売り手(B)の手から買い手(A)の手へと引き出す。契約履行の期限が来れば、貨幣は流通に入っていく。というのは、貨幣は位置を変換して、過去の買い手(A)の手から過去の売り手(B)の手に移って行くからである。だが貨幣は、流通手段または購買手段として流通に入るのではない。貨幣がそういうものとして機能したのは、それがそこにある以前のことであり、貨幣が現われるのは、そういうものとして機能することをやめたあとのことである。それはむしろ、商品にとっての唯一の適合的な等価物として、交換価値の絶対的定在として、交換過程の最後の言葉として、要するに貨幣として、しかも一般的支払手段としての特定の機能における貨幣として流通に入るのである。〉 (同)

 ここではマルクスは買い手(A)自身が貨幣を象徴的に代表すると述べている。つまり買い手(A)は貨幣の支払約束をするのである。買い手の支払約束が売り手からの商品の譲渡をもたらしたのである。売り手は買い手に信用を与え、売り手は債権者、買い手は債務者になった。買い手の支払約束は〈法律的強制力ある私的契約〉にもとづいている。この場合、Aが支払約束の証書として手形を振り出すか、あるいは自身の取引銀行の小切手を振り出すとしても、それらが支払手段としての貨幣の機能にもとづいているという点では同じである。大谷氏に欠けているのは、まさにこの認識である。
 マルクスは第25章該当部分の草稿でも次のように述べていた。

 〈私は前に,どのようにして単純な商品流通から支払手段としての貨幣の機能が形成され,それとともにまた商品生産者や商品取扱業者のあいだに債権者と債務者との関係が形成されるか,を明らかにした。(『経済学批判』)。商業が発展し,ただ流通だけを考えて生産を行なう資本主義的生産様式が発展するにつれて,信用システムのこの自然発生的な基礎Grundlage〕は拡大され,一般化され,仕上げられていく。だいたいにおいて貨幣はここではただ支払手段としてのみ機能する。すなわち,商品は,貨幣と引き換えにではなく,書面での一定期日の支払約束と引き換えに売られるのであって,この支払約束をわれわれは手形という一般的範疇のもとに包括することができる。〉 (大谷本第2巻159頁)

 われわれが検討しているAとBとの間にも債務者と債権者との関係が成立していることは明らかである。Bは支払約束にもとづいて、Aに商品を譲渡し、Aは自身の銀行にある預金からの支払を約束して小切手を振り出し商品を入手した。だから小切手もその意味では手形と同様の支払約束なのである。ただそれは約束手形と違うのは、債務者である商品購買者に代わって、支払うのが銀行であるにすぎない。つまり商業信用に、この場合は貨幣信用が絡み合っているわけである。しかしそれが信用関係であることは断るまでもないであろう。大谷氏はこうした信用関係を見ていないように思われる。大谷氏は〈小切手の額が預金から引き落とされたときに,この金額のAが預金した貨幣は貨幣機能を果たした,と言いうる〉というが、しかし商品の譲渡を引き出した(つまり購買手段として機能した)のは、Aが支払約束をした時点、すなわち小切手を振り出した時点であろう。この場合、〈商品は,貨幣と引き換えにではなく,書面での一定期日の支払約束と引き換えに売られ〉たのだからである。預金が引き落とされるのは、Bが小切手を銀行に持参して現金の支払を求めた時であるが、それはすでに商品が売り渡された後である。だからこそ、この場合は、貨幣は支払手段として流通に入るのである。いずれにせよこれらの一連の取り引きは支払手段としての貨幣の機能から生じていることなのである。だから大谷氏が預金が流通手段として機能したなどというのは明らかに間違いである。マルクス自身はそんなことは何も言っていないのである。

 次に大谷氏は解説を次のように続けている。

 〈次に,Aが「取引銀行業者あての小切手でBに支払い,Bはこの小切手を取り引き銀行業者に預金し,そしてAの取引銀行業者もまたBの取引銀行業者あての小切手をもっており,そしていま,この二人の銀行業者がこれらの小切手を交換するなら,Aが預金した貨幣は二度貨幣機能を果たしたわけである」と言われている。この小切手交換の結果,Bの取引業者のもとでBの預金が5000ポンド増加し,Aの取引業者のもとでAの預金が5000ポンド減少した。マルクスは,Aが預金した貨幣は「第1には,Aが預金した貨幣を受け取った人〔すなわちB〕の手で」,「第2には,A自身の手で」,貨幣機能を果たした,と言う。すなわち「第1には」Bのもとで5000ポンドの商品価格が実現した。マルクスはこのことを,Aの預金は「現実の貨幣として」機能した,と言う。すなわち,Bが小切手を受けとったときにはまだ「可能的な貨幣」であったAの預金5000ポンドがいまやBのもとで現実の貨幣になった,と言うのである。これにたいして「第2に」,Aのもとでは,Aの預金は「貨幣への請求権」すなわち債権として働く,と言う。すなわち,この場合には,Aのもつ債権とBの取引銀行業者の債権との相殺が行なわれる。もちろん,この相殺はBにはなんのかかわりもないものである。相殺というのは,貨幣による債権の支払いではない。債権と債権とを互いに帳消しにすることである。だからそれは「貨幣の介入なしに行なわれる」のである。にもかかわらず,マルクスはこの第2の場合にも「Aが預金した貨幣は……貨幣機能を果たした」と言っている。なぜであろうか。それはさきに見たように,この相殺によってAの預金が5000ポンド引き落とされたときに,Aが預金した貨幣は,可能的にではなく現実に,貨幣機能を果たした,と言いうるのだからである。この場合の貨幣機能とは,さきに見たように流通手段としての貨幣の機能である。〉 (同書361-362頁)

 ご覧のとおり大谷氏の理解はわれわれとまったく違ったものになっている。大谷氏は〈Aが預金した貨幣を受け取った人〉を説明して、〈〔すなわちB〕〉と述べている。しかしBは決して貨幣を受け取るのではない。彼はただAの振り出した小切手を受け取っただけである。しかも彼はそれを自分の取引銀行に預金したのだから、Bは〈現実の貨幣〉を受け取ることは決してないのである(BがAの振り出した小切手をAの取引銀行に提示して支払を受けるなら、Bは貨幣を受け取るであろうが)。そもそもここには現実の貨幣そのものはまったく出てこないケースをマルクスは問題にしているのである。だからマルクスが〈第一に〉と述べている〈Aが預金した貨幣を受け取った人〉というのは、決してBではない。もしBであるのなら、どうしてマルクスは〈預金した貨幣を受け取ったBの手で〉と書かなかったのであろうか。続けてマルクスは〈第2には,A自身の手で〉と述べているのだから、そしてここではAとBとの取り引きが問題になっているのだから、当然、Bと書いたであろう。だからこの場合、〈Aが預金した貨幣を受け取った人〉とマルクスが敢えて書いたのは、その〈〉というのはBではなく、Aの取引銀行からその預金された貨幣の貸し出しを受けた〈〉なのである。そしてその場合は、その貨幣はその貸し出しを受けた人の手で〈現実の貨幣として〉機能するわけである。
 大谷氏は〈すなわち「第1には」Bのもとで5000ポンドの商品価格が実現した。マルクスはこのことを,Aの預金は「現実の貨幣として」機能した,と言う〉と述べているが、しかしBの5000ポンドの商品価格の実現は、現実の貨幣なしに行われたのである。Bの商品価格の実現は、最初はAの振り出した小切手という形で実現し、さらにBがそれを取引銀行に預金し、AとBのそれぞれの取引銀行間で債権の相殺が行われ、預金の振替が行われた時点で最終的な実現が完了するのである。だからBの商品価値の最終的な実現は、貨幣の支払手段としての機能にもとづいて、商品の譲渡のあとに行われたのである。それはマルクスが第2の機能として述べていることにもとづいている。

 続く大谷氏の説明もチンプンカンプンである。すなわち次のように述べている。

 〈これにたいして「第2に」,Aのもとでは,Aの預金は「貨幣への請求権」すなわち債権として働く,と言う。すなわち,この場合には,Aのもつ債権とBの取引銀行業者の債権との相殺が行なわれる。もちろん,この相殺はBにはなんのかかわりもないものである。相殺というのは,貨幣による債権の支払いではない。債権と債権とを互いに帳消しにすることである。だからそれは「貨幣の介入なしに行なわれる」のである。〉

 Aの預金は確かにAにとっては債権である(銀行にとっては債務)。しかしAはその預金に当てて、小切手を切り、Bに手渡したのである。だからAの債権は、今ではBの持つものになっている。すなわちBの債権である。Bは自分の商品を小切手と引き換えに手渡した。その限りではBはAに信用を与えた。AはBに負った債務を自身の銀行に対する債権で支払ったのである。BはそのAの振り出した小切手、すなわち彼にとっては債権(つまり貨幣への請求権)を自分の取引銀行に預金した。だから小切手は今はBの取引銀行の手にある。だからBの取引銀行はAの取引銀行に対する債権を、すなわち貨幣への請求権を持つことになる。しかし他方でAの取引銀行は、Bの取引銀行の支払義務を負った債権を持っていたので(もちろん、この債権はAともBとも無関係のもので、Aの取引銀行はそれを別の機会に入手したとこの場合は想定されているのである)、それを手形交換所でBの取引銀行の持つ、Aの振り出した自行の支払義務のある小切手と交換する。こうして、両者は互いに相手に対する債権を交換して相殺したのである。だからマルクスは〈債権の(Aが取引銀行業者にたいしてもっている債権とこの銀行業者がBの取引銀行業者にたいしてもっている債権との)相殺である〉と言っているのである。
 〈Aが取引銀行業者にたいしてもっている債権〉というのは、Bの取引銀行業者が持つ、Aが振り出した小切手のことである。それに対して〈この銀行業者(=Aの取引銀行業者--引用者)がBの取引銀行業者にたいしてもっている債権〉というのは、この場合、AともBとも無関係の別の何らかの取り引きの結果持つことになったものなのである(例えば、Aの取引銀行と取引のあるCが、Bの取引銀行と取引のあるDに信用で5000ポンドの商品を販売し、Dが自身の取引銀行〔Bの取引銀行でもある〕にある自分の預金に当てて小切手を振り出して、Cに手渡し、Cがその小切手を自分の取引銀行〔つまりAの取引銀行でもある〕に預金した結果、Aの取引銀行が持っている〈Bの取引銀行業者にたいしてもっている債権〉、つまりDの振り出した小切手などが考えられる。そしてこの場合、預金の振替は、Aの取引銀行はAの預金から5000ポンドを消し、その分だけCの預金に5000ポンドを書き加え、Bの取引銀行はDの預金から5000ポンドを消して、Bの預金に書き加えるという操作のことをいう。振替は、それぞれの銀行内で行われるのである)。
 だからこの場合、大谷氏がいうように、〈Aのもつ債権とBの取引銀行業者の債権との相殺が行なわれる〉などということではまったくない。大谷氏は〈Aのもつ債権〉というが、それはAの小切手としてすでにBの取引銀行業者の手にあることに気づいていない。だから〈Bの取引銀行業者の債権〉などとも述べているのだが、それは何を意味するのかも十分考え抜いていないのである。それは一体何なのか。Bの取引銀行業者の持っている債権のことか、それならそれはAの振り出した小切手のことであり、それは〈Aが自分の取引銀行業者に持っている債権〉のことである。だからもしそういう意味なら、大谷氏の述べていることは、〈Aのもつ債権とAのもつ債権との相殺が行われる〉などという無意味な同義反復を述べていることになる。

 大谷氏はマルクスが〈Aが自分の取引銀行業者に持ってる債権〉と述べていることを、〈Aのもつ債権〉と言い換えているが、それが今ではその預金を目当てに振り出した小切手としてBの取引銀行業者の手にあることが分かっていない。そしてマルクスが〈この銀行業者がBの取引銀行業者にたいしてもっている債権〉と述べていることを、〈Bの取引銀行業者の債権〉と簡単に言い換えたつもりなのかもしれないが、しかしマルクスが述べているのは、〈この銀行業者〉,つまりAの取引銀行業者がBの取引銀行業者に対して持っている債権なのだから、それはBの取引銀行業者にとっては債務なのである(それはBの取引銀行業者が持っているAの振り出した小切手が、Aの取引銀行業者にとっては債務なのに対応している)。だから〈Bの取引銀行業者の債務〉という方が本当は正しい。いずれにせよ大谷氏の説明ではチンプンカンプンなのである。

 さらに大谷氏の混乱は続く。

 〈にもかかわらず,マルクスはこの第2の場合にも「Aが預金した貨幣は……貨幣機能を果たした」と言っている。なぜであろうか。それはさきに見たように,この相殺によってAの預金が5000ポンド引き落とされたときに,Aが預金した貨幣は,可能的にではなく現実に,貨幣機能を果たした,と言いうるのだからである。この場合の貨幣機能とは,さきに見たように流通手段としての貨幣の機能である。〉

 しかしこうした預金の振り替えによる相殺をマルクスは決して預金が流通手段として機能したなどとは説明してないことを、われわれは第29章該当個所の草稿(われわれが解読のために便宜的に打ったパラグラフ番号では【28】)の解読のなかで確認した。マルクスは次のように述べていたのである。

 〈他方では,商人たち相互間の(総じて預金の所有者たちの)互いの貸し勘定が彼らの預金にあてた振出しによって相殺され互いに帳消しにされるかぎりでは,預金は《貸し勘定の》そのようなたんなる記録として機能する〉。

 ここではマルクスは明確に〈預金は《貸し勘定の》そのようなたんなる記録として機能する〉と述べているだけである。だから預金は決して流通手段として機能するのではない。むしろそれらは貨幣の支払手段としての機能にもとづいた操作なのである。こんな誤った理解をしているから、大谷氏はブルジョア的な用語である「預金通貨」といったものを肯定し、彼らに追随することになってしまっているのである。

 ところで大谷氏の解説は以上で終わったわけではない。さらに次のように念を押している。

 〈マルクスはこのように,小切手による商品の購買のさいに小切手の金額が預金から引き落とされたときに,預金が貨幣として,流通手段として機能した,と言うのである。小切手が流通手段として機能するのではなく,預金が流通手段として機能するのである。これを,預金通貨として機能する,と言い換えることも許されるであろう。マルクス自身は預金を「預金通貨」と呼ぶことはしなかったが,「III)」のここでの彼の記述からは,彼が,預金の通貨機能を認めていたことを明瞭に読み取ることができるのである。〉 (同書362頁、但し下線は大谷氏による傍点による強調個所)

 われわれが確認してきたように、マルクス自身は一言も預金が〈流通手段として機能した〉とは述べていない。にも関わらず大谷氏は、マルクスの言っていないことを、マルクスが〈言う〉と主張しているのである。こんな大谷氏だからこそ、〈マルクス自身は預金を「預金通貨」と呼ぶことはしなかった〉ことを認めざる得ないにも関わらず、マルクスは〈預金の通貨機能を認めていた〉とも強弁するのである。マルクスに対する自分の無理解をよそに、勝手な解釈を押しつけて、それがマルクスの主張だと言い張るなら、そんな大谷氏にエンゲルスを批判する資格はないと言わざるを得ない。

 もう一度確認しよう。マルクスは確かに〈Aが預金した貨幣は二度貨幣機能を果たした〉と述べている。一方では、Aの預金はすぐにその取引銀行によって利子生み資本として貸し出され、その借手のもとで現実の貨幣として機能するからであり、他方ではそれはAとBとの信用取り引きの振替決済に利用されるからである。この場合の取り引きは貨幣の支払手段としての機能にもとづいているのである。〈貨幣機能〉と言ってもいろいろあるというものである。価値尺度や計算貨幣としての機能や、流通手段としての機能等々。しかし流通手段としての機能は鋳貨機能であり、預金がそうしたものでないことは明らかである。預金が債権として果たす役割は、マルクスはそれを〈ただ債権の相殺によってのみ〉と述べているように、貨幣の支払手段としての機能にもとづいたものなのである。なぜなら、マルクスが〈私は前に,どのようにして単純な商品流通から支払手段としての貨幣の機能が形成され,それとともにまた商品生産者や商品取扱業者のあいだに債権者と債務者との関係が形成されるか,を明らかにした〉と述べていたように、債権者と債務者という関係は、貨幣の支払手段としての機能から形成されるものだからである。ここには貨幣の流通手段としての機能などないのだ。こうした基本的なことが大谷氏に理解されていないことはただただ驚きでしかない。

 以下の引用文は、先に見た第29章該当個所の草稿の解読のなかで、私のT氏へのメールの中で引用しているものであるが、大谷氏も「信用による貨幣の節約」を説明するなかで引用している一文でもある。マルクスは次のように述べている。

 〈たんなる節約が最高の形態で現われるのは,手形交換所において,すなわち手形のたんなる交換において,言い換えれば支払手段としての貨幣の機能の優勢においてである。しかし,これらの手形の存在は,生産者や商人等々が互いのあいだで与え合う信用にもとづいている。この信用が減少すれば,手形(ことに長期手形)の数が減少し,したがって振替というこの方法の効果もまた減少する。そして,この節約はもろもろの取引で貨幣を取り除くことにもとづいており,完全に支払手段としての貨幣の機能にもとづいており,この機能はこれまた信用にもとづいている{これらの支払いの集中等々における技術の高低度は別として}のであるが,この節約にはただ二つの種類だけがありうる。すなわち,手形または小切手によって代表される相互的債権が同じ銀行業者のもとで相殺されて,この銀行業者がただ一方の人の勘定から他方の人の勘定に債権を書き替えるだけであるか,または,銀行業者どうしのあいだで相殺が行なわれるかである。〉 (大谷本365頁)

 このようにマルクスは振替という方法は、〈完全に支払手段としての貨幣の機能にもとづいており,この機能はこれまた信用にもとづいている〉と述べている。また〈手形または小切手によって代表される相互的債権が同じ銀行業者のもとで相殺されて,この銀行業者がただ一方の人の勘定から他方の人の勘定に債権を書き替えるだけであるか,または,銀行業者どうしのあいだで相殺が行なわれるかである〉と、手形と小切手とを振替決済を行う信用用具として同等に取り扱っている。こうしたマルクスの主張を踏まえれば、大谷氏の主張がどれほどマルクスのものとかけ離れた奇妙なものになっているかが分かるであろう。大谷氏はマルクスが貨幣の〈節約が最高の形態で現われる〉と述べているものを、そのこと自体を「通貨」というのであり、そうなれば、マルクスが指摘している貨幣(通貨)の節約の意味がまったくなくなってしまうことになる。こうした矛盾に気づかないのはただただ不思議としか言いようがない。ブルジョア的なものに影響されていなければ幸いではあるが……。

 ついでに大谷氏が補足的に述べていることも検討しておこう。次のように述べている。

 〈なお,上の例では,AがBに小切手を振り出すのはAがBから商品を買ったものと仮定したので,預金は狭義の流通手段として機能したということになっているが,AがBに小切手で債務を支払ったのだとすれば,預金は支払手段として機能することになる。しかし,支払手段は広義の流通手段に含まれるので,預金は広義の流通手段として機能したと言いうる。「預金通貨」における「通貨」の機能は広義の流通手段なのである。〉 (362頁)

 Bの商品が現金と引き換えではなく、Aの振り出した小切手、すなわち〈書面での……支払約束と引き換えに売られ〉たのは、BがAに信用を与えたからである。つまりこの取り引きは信用取り引きなのであり、AはBに対する債務者であり、BはAに対する債権者である。Bがその小切手をAの取り引き銀行に持参して現金の支払を受けて、初めてBの商品価値は最終的に実現するのである。Bが小切手を受け取った時点では、Bの商品価値は小切手という形での実現でしかない。だからそれは最終的な実現ではないのである。それはAがBから商品の譲渡を受けて、〈書面での一定期日の支払約束〉である手形を振り出した場合と基本的には同じなのである。手形も小切手も諸支払を決済するための信用諸用具の一つである。大谷氏はこうした貨幣の支払手段としての機能から生じている信用関係をまったく見ていないのである。

(以上)

2016年10月14日 (金)

現代貨幣論研究(10)

「預金通貨」概念を擁護する大谷氏の主張の批判的検討 (2)

◎大谷氏の説明の批判的検討

 それでは大谷氏の説明を検討して行こう。
 まず大谷氏は、信用による貨幣の節約について、マルクスはエンゲルス版の第27章部分で箇条書き的にまとめていることを指摘している。だからわれわれもそのマルクスの草稿を見てみることにしよう(マルクスは改行をせずに書いているが、われわれは分かりやすくするために改行を入れて整理して紹介しよう)。

 〈II)流通費の節減。

 A) 一つの主要流通費は,自己価値であるかぎりでの貨幣そのものである。信用によって三つの仕方で節約される。

 a)取引の大きな一部分で貨幣が全然用いられないことによって。
 b)金属通貨または紙券通貨の流通が加速されることによって。(これは,部分的には,c)で述べるべきことと一致する。すなわち,一面では加速は技術的〔technisch〕である。すなわち,実体的な〔real〕商品流通が,あるいは事業取引の量が変わらないのに,より少ない総量の銀行券が同じ役だちをするのである。このことは銀行制度の技術と関連している。他面では,信用は商品変態の速度を速め,したがってまた貨幣流通の速度を速める。)
 c)金貨幣が紙券で置き換えられること。

 B) 信用によって,流通または商品変態の,さらには資本の商品変態のさまざまの段階が速められること(したがって再生産過程一般が速められること)。{他面では信用は,購買と販売という行為をかなり長いあいだ分離しておくことを許し,したがってまた投機の基礎として役だつ。} 準備ファンドの縮小。これは二つの面から考察することができる。A)では,通貨の減少として,B)では,資本のうちの絶えず貨幣形態で存在しなければならない部分の削減として。/〉(大谷新著第2巻287-288頁)

 ここで項目的に挙げているものを、マルクスは「III)」では具体的に述べていると大谷氏は指摘している。そしてそれぞれの項目ごとに、「III)」から関連する部分を引用・紹介している。それはかなり長い引用になっているが、ここで詳しく紹介することは割愛したい(興味のある方は各自同書を検討していただきたい)。われわれにとって当面の問題として興味深いのは、そのあと大谷氏が〈預金が果たす貨幣機能〉について触れている問題である。大谷氏は次の一文を紹介し、その内容を解説している。まず大谷氏が抜粋している一文を紹介しておこう。

 〈「5000ポンド・スターリングを預金したAは,小切手を振り出すことができる(彼がその5000ポンド・スターリングを〔現金で〕もっていた場合と同じにそれを自由に処分することができる〔)〕。そのかぎりでは,5000ポンド・スターリングは彼にとって,可能的な貨幣として機能する。しかしいずれにせよ,彼はそれだけ自分の預金をなくすわけである。彼が現実の貨幣を引き出すとすれば,そして彼の貨幣は貸し付けられているのだとすれば,彼は自分の貨幣で支払いを受けるのではなく,他人が預金した貨幣で支払いを受けるのである。彼が取引銀行業者あての小切手でBに支払い,Bはこの小切手を取引銀行業者に預金し,そしてAの取引銀行業者もまたBの取引銀行業者あての小切手をもっており,そしていま,この二人の銀行業者がこれらの小切手を交換するなら,Aが預金した貨幣は二度貨幣機能を果たしたわけである。第1には,Aが預金した貨幣を受け取った人の手で。第2には,A自身の手で。第2の機能では,それは,貨幣の介入なしに行なわれる,債権の(Aが取引銀行業者にたいしてもっている債権とこの銀行業者がBの取引銀行業者にたいしてもっている債権との)相殺である。この場合には,預金は2度貨幣として,すなわち,現実の貨幣として,そして貨幣への請求権として,働くのである。預金が貨幣(それ自身がこれまた他人の現預金から実現される,というのではない貨幣)へのたんなる請求権として働くことができるのは,ただ債権の相殺によってのみなのである。」(MEGAII/42,S.588-589;本書本巻521-523ページ。)〉(大谷新著第3巻360-361頁、ただし下線はマルクスによる強調、太字は大谷氏による強調)

 大谷氏のこの引用文に対する解説を検討する前に、我々としてはまずこの一文をしっかり解読してみよう。この一文を読んで気づくのは、われわれが先に確認のために紹介した第29章該当部分の草稿からの引用文と同じことを、ここでもマルクスが述べているように思えることである。今回、マルクスが〈Aが預金した貨幣は二度貨幣機能を果たした〉として述べている内容は、先に見た【28】パラグラフで〈預金そのものは二重の役割を演じる〉と述べていたことと同じように思えるのだが、果たしてどうであろうか。それを検討してみよう。

 【28】パラグラフでマルクスが〈預金そのものは二重の役割を演じる〉と述べていたことは、もう一度確認のために、但し今回の引用文と比較するために具体例を同じにして述べてみると、Aが預金した5000ポンドはすぐに銀行から利子生み資本として貸し出されて、銀行にはただ帳簿上の記録があるだけだが、しかし、その帳簿上の記録がもう一つの役割(つまり諸支払を相殺するという役割)を演じるのだというものであった。つまりここで〈二重の役割〉というのは、5000ポンドは現実の貨幣としては銀行によって利子生み資本として貸し出されてしまうこと、つまり利子生み資本としての役割である。もう一つはその現実の5000ポンドのいわば“脱け殻”にすぎないのだが、銀行の帳簿上の記録が諸支払を相殺する役割をも果たすということであった。

 しかし今回の引用文では、そこらあたりがやや分かりにくいものになっている。今回もAが預金した5000ポンドはすぐに貸し出されるとマルクスは想定しているように思える。だからもしAが自分の預金を引き出したとしてもそれは彼が預金した5000ポンドではなく、他の誰かが預金した5000ポンドだろうとも述べていることからもそのことが分かる。つまり今回もAの5000ポンドの預金は現実の貨幣としては、すぐに銀行から貸し出されて、利子生み資本としての役割を演じることは想定されているのである。しかしそのことをここではマルクスは必ずしも強調しているわけではないようにも思える(だから後に見るように、大谷氏はそれを見落としたのであろう)。そういうことから、ここでマルクスが〈Aが預金した貨幣は二度貨幣機能を果たした〉として述べている内容は、必ずしも【28】パラグラフでマルクスが〈預金そのものは二重の役割を演じる〉と述べていたものと同じとはいえないような印象を受けるのである。だからこそ、我々としては、今回の引用文をさらに詳しく吟味してみなければならない。われわれは問題を厳密に吟味し、整理するために、問題ごとに箇条書き的に検討を進めることにしよう。

 (1) まずマルクスは〈5000ポンド・スターリングを預金したAは,小切手を振り出すことができる〉と述べ、〈そのかぎりでは,5000ポンド・スターリングは彼にとって,可能的な貨幣として機能する〉と述べている。そしてそれは〈彼がその5000ポンド・スターリングを〔現金で〕もっていた場合と同じにそれを自由に処分することができる〉とも述べている。しかしそもそもAが預金した5000ポンドはすぐに銀行によって貸し出されてすでに銀行にはないのである。彼は小切手を振り出すことはできるが、しかし小切手は決して現金ではない。それはそれを受け取ったBにとっては貨幣へのたんなる請求権でしかなく、AからいうならBに対する支払約束でしかない。だからこの場合は、AはBから信用を受けているのである。そして銀行がBの持参した小切手に現金を支払えば、その時点でAの預金はなくなり、AのBに対する債務は決済されたことになる。しかしその時点で銀行が支払う現金5000ポンドはAの預金したものとは限らず、恐らく他人の預金したものであろう。マルクスが〈可能的な貨幣として機能する〉と述べていることの実際の内容はこうしたものであろう。

 (2) 次にマルクスは〈彼が現実の貨幣を引き出すとすれば,そして彼の貨幣は貸し付けられているのだとすれば,彼は自分の貨幣で支払いを受けるのではなく,他人が預金した貨幣で支払いを受けるのである〉とも書いている。つまり預金は、その預金者が必要な時はいつでも現金で引き出せるものである。だからその限りでは預金は〈可能的な貨幣〉といえる。つまりAにとっては準備状態にある貨幣である。だから預金としてある段階では、貨幣としてはあくまでも可能的なものであり、実際に引き出された時点では、その預金は失われ、引き出された現金こそが貨幣としての機能を果たすわけである。これは当たり前の話である。だからこれを預金の貨幣的機能と敢えていうなら、それは蓄蔵貨幣としての機能であろう。

 (3)上記の議論を受けて、次にマルクスは次のように述べている。

 〈彼が取引銀行業者あての小切手でBに支払い,Bはこの小切手を取引銀行業者に預金し,そしてAの取引銀行業者もまたBの取引銀行業者あての小切手をもっており,そしていま,この二人の銀行業者がこれらの小切手を交換するなら,Aが預金した貨幣は二度貨幣機能を果たしたわけである。第1には,Aが預金した貨幣を受け取った人の手で。第2には,A自身の手で。〉

 ここで問題なのは〈第一には〉としてのべている〈Aが預金した貨幣を受け取った人〉とは誰のことかということである。Bが受け取るのは小切手だからBでないことは確かである。とするなら、やはりそれは〈Aが預金した貨幣を〉Aの取引銀行がすぐに利子生み資本として貸し出した〈〉でしかない。それまでの叙述では、マルクスはこのAの預金した5000ポンドが銀行によって利子生み資本としてすぐに貸し出されるということについてはあまり論じていないが、しかし、それ以外には考えようがないであろう。だからこの限りでは、やはりここでマルクスが〈二度貨幣機能を果〉すとのべているのは、【28】パラグラフでマルクスが〈預金そのものは二重の役割を演じる〉と述べていたことと同じ内容を述べていると考えられる。というのはここで〈第2には,A自身の手で〉と述べているのは、そのあとに続く文章で〈第2の機能では,それは,貨幣の介入なしに行なわれる,債権の(Aが取引銀行業者にたいしてもっている債権とこの銀行業者がBの取引銀行業者にたいしてもっている債権との)相殺である〉と述べていることを見ても、その前で述べていたこと、すなわち〈彼が取引銀行業者あての小切手でBに支払い,Bはこの小切手を取引銀行業者に預金し,そしてAの取引銀行業者もまたBの取引銀行業者あての小切手をもっており,そしていま,この二人の銀行業者がこれらの小切手を交換する〉場合のことであることは明らかだからである。

 (4) だから引き続く文章もその内容は明らかである。

 〈この場合には,預金は2度貨幣として,すなわち,現実の貨幣として,そして貨幣への請求権として,働くのである。預金が貨幣(それ自身がこれまた他人の現預金から実現される,というのではない貨幣)へのたんなる請求権として働くことができるのは,ただ債権の相殺によってのみなのである。〉

 ここでマルクスが〈現実の貨幣として〉と述べているのは、Aの預金5000ポンドが銀行によってすぐに利子生み資本として貸し出されて、そこで〈現実の貨幣として〉演じる働きのことである。そして〈貨幣への請求権として,働く〉というのは、マルクスが〈第2の機能〉と述べていることであろう。ここで〈それ自身がこれまた他人の現預金から実現される,というのではない貨幣〉という説明は、要するにA自身が自分の預金を引き出すということであろう(Aの引き出した預金は実際には〈他人の現預金〉である)。Aの預金はA自身がいつでも現金を引き出せるという意味では、Aにとっても貨幣の請求権としてある。だからここで述べているのは、そういう場合ではないケースということであろう。そしてその場合は〈ただ債権の相殺によってのみ〉働くというのは、われわれにとっては【28】パラグラフの一文の分析でも明らかである。

 だから結論として言えるのは、今回の引用文でマルクスが預金は〈二度貨幣機能を果す〉と述べていることは、【28】パラグラフでマルクスが〈預金そのものは二重の役割を演じる〉と述べていたことと同じ内容を述べているのだということである。

 そこでこの両者を比較するために図式化してもう一度整理して書いてみよう。

●《【28】パラグラフの記述》=預金そのものは二重の役割を演じる〉

 ①〈一方ではそれは,……利子生み資本として貸し出されており,したがって銀行業者の金庫のなかにはなくて,ただ銀行業者にたいする預金者の貸し勘定〔Guthaben〕として彼らの帳簿の[526]なかに見られるだけである。〉
 ②〈他方では,商人たち相互間の(総じて預金の所有者たちの)互いの貸し勘定が彼らの預金にあてた振出しによって相殺され互いに帳消しにされるかぎりでは,預金は《貸し勘定の》そのようなたんなる記録として機能する。〉

●《今回の引用文の記述》=〈Aが預金した貨幣は二度貨幣機能を果たした〉

 ①〈第1には,Aが預金した貨幣を受け取った人の手で〉この場合、預金は〈現実の貨幣として……働く〉。ここでマルクスが〈Aが預金した貨幣を受け取った人〉と述べているのは、銀行から利子生み資本として貸し出されたAの預金5000ポンドを受け取った人のことである。
 ②〈第2には,A自身の手で。第2の機能では,それは,貨幣の介入なしに行なわれる,債権の(Aが取引銀行業者にたいしてもっている債権とこの銀行業者がBの取引銀行業者にたいしてもっている債権との)相殺である。〉この場合、預金は〈貨幣への請求権として,働くのである。預金が貨幣へのたんなる請求権として働くことができるのは,ただ債権の相殺によってのみなのである。〉

(続く)

2016年10月13日 (木)

現代貨幣論研究(9)

「預金通貨」概念を擁護する大谷氏の主張の批判的検討(1)

【はじめに】

 今年(2016年)の6月、大谷禎之介氏は『マルクスの利子生み資本論』全4巻(桜井書店)を上梓された。氏がながい年月をかけて研究され、『経済誌林』に発表されてきた『資本論』第3部第5章(現行版では第5篇)の草稿の一連の研究をまとめられたものである。
 私自身はそれをいま研究途中であり、いずれはそれに対する何らかのまとまったものを発表したいとは思っているが、しかし、それは膨大な研究成果であり、なかなか一筋縄では行かないものでもある。だからとりあえず、いわば“つまみ食い”的に問題を取り上げてみようと思いついた。今回は、現代貨幣論研究の連載に関連するテーマを取り上げてみよう。
 同書の第3巻はエンゲルス版の第3部第28章、第29章、第30-32章に該当する草稿を取り扱ったものである。それ以外にも関連するさまざまな論考が「補注」や「補論」とし付属している(例えば第30-32章の解説の「3 若干の基本的タームについて」の「(7)産業循環」の項目につけられた「補注 第3部第1稿第3章での利潤率傾向的低下の法則とその貫徹形態との解明」などは今回新たに執筆されたもののように思われる)。
 ここではその同じ第30-32章の解説の中の「4 マルクスは「III)」でなにを明らかにしているか」という項目の「(6)信用による貨幣の節約 預金の貨幣機能」を取り上げたい。
 この部分はいわゆる「預金通貨」に関連する問題を取り扱っている。以前にも、いろいろな機会に大谷氏が「預金通貨」概念を本来はマルクスも科学的なタームとして認めていたのに、エンゲルスは意図的にその部分を削除しているとして、「預金通貨」はマルクス経済学としても有効なものだとして、それを擁護していることは度々指摘し、批判してきた。ここではそれがある意味まとまった形で、マルクスの草稿に依拠する形で論じられており、果たしてそうした大谷氏の草稿の読み方は正しいのかどうかを検討したいと思うのである。

◎ 第29章該当部分の草稿における「預金」

 大谷氏の当該論文を批判的に検討する前に、その準備作業として、マルクス自身の主張を理解しておこう。以前、第29章該当部分の草稿の解読において、マルクスが「預金」ついて論じている部分を解説したものを確認のために紹介しておきたい。そこでも「預金通貨」について批判的に検討したからである。すでに読まれた方には重複することになるが、その場合は飛ばして読んでいただきたい。それは次のようなものであった(但し、今回再掲するに当たり、当面の問題、つまり「預金通貨」に関連する部分だけに絞って、それ以外のものは削除したので、もし全体をお読みいただくなら、ここを参照していただきたい。)

【28】

 〈預金はつねに貨幣(金または銀行券)でなされる。準備ファンド(これは現実の流通の必要に応じて収縮・膨張する)を除いて,この預金はつねに,一方では生産的資本家や商人(彼らはこの預金で手形割引を受けたり貸付を受けたりする)の手中に,または有価証券の取引業者(株式仲買人)の手中に,または自分の有価証券を売った私人の手中に,または政府の手中にある(国庫手形や新規国債の場合であって,銀行業者はこれらのうちの一部を担保として保有する)。預金そのものは二重の役割を演じる。一方ではそれは,いま述べたような仕方で利子生み資本として貸し出されており,したがって銀行業者の金庫のなかにはなくて,ただ銀行業者にたいする預金者の貸し勘定〔Guthaben〕として彼らの帳簿の[526]なかに見られるだけである。他方では,商人たち相互間の(総じて預金の所有者たちの)互いの貸し勘定が彼らの預金にあてた振出しによって相殺され互いに帳消しにされるかぎりでは,預金は《貸し勘定の》そのようなたんなる記録として機能する(その場合,それらの預金が同一の銀行業者のもとにあってこの銀行業者が別々の信用勘定を互いに帳消しにするのか,それとも別々の銀行業者が彼らの小切手を交換し合って互いに差額を支払うのかは,まったくどちらでもかまわない)。〉

 このパラグラフは、【25】パラグラフで銀行業者の「資本」の最後の部分をなす「現金」について、「預金」とその「貨幣準備」との関連が考察されたが、それを踏まえ、【27】パラグラフで「準備金」が考察されたのに対応させて、【28】パラグラフでは「預金」が考察の対象になっているものである。そしてこの部分は現代的な問題でもあるいわゆる「預金通貨」の概念とも深く関連してくるのである。

 (前半部分の考察は略)

 その次からは預金の機能が考察されており、極めて重要である。

 預金そのものは二重の役割を演じる。一方ではそれは,いま述べたような仕方で利子生み資本として貸し出されており,したがって銀行業者の金庫のなかにはなくて,ただ銀行業者にたいする預金者の貸し勘定〔Guthaben〕として彼らの帳簿の[526]なかに見られるだけである。〉

 ここでマルクスは〈預金そのものは〉と書いているが、これはその前の〈この預金は〉という場合とは若干異なる。その前の場合は、「この預金された貨幣(金または銀行券)は」という意味であった。しかし今回の〈預金そのものは〉は、それだけではなく、預金として銀行の帳簿に記録されたものも含まれているわけである。そしてその上でそれは〈二重の役割を演じる〉とされている。
 一つは「預金された貨幣(金または銀行券)」は、すでに見たように、利子生み資本として貸し出される(有価証券の購入も利子生み資本の運動であり、よってその貸し出しである)。だから銀行業者の金庫の中にはそれらはなくて、ただ銀行業者にたいする預金者の貸し勘定として銀行の帳簿のなかにあるだけである。預金は銀行にとっては債務であり、預金者は銀行に債権を持っていることになる。預金は銀行にとって負債の部に入るわけである。そしてこの銀行の帳簿上にある預金の記録が独特の機能を果たすわけである。すなわち--

 〈他方では,商人たち相互間の(総じて預金の所有者たちの)互いの貸し勘定が彼らの預金にあてた振出しによって相殺され互いに帳消しにされるかぎりでは,預金は《貸し勘定の》そのようなたんなる記録として機能する(その場合,それらの預金が同一の銀行業者のもとにあってこの銀行業者が別々の信用勘定を互いに帳消しにするのか,それとも別々の銀行業者が彼らの小切手を交換し合って互いに差額を支払うのかは,まったくどちらでもかまわない)〉。

 この預金の機能こそ、世間では「預金通貨」と言われているものなのである。具体的な例で紹介しよう。

 今、銀行Nに商人aと商人bがそれぞれ預金口座を持っていたとしよう(この場合、マルクスも述べているように、a、bが別々の銀行に口座を持っていても基本的には同じであり、ただ若干複雑になるだけである)。今、商人aは商人bから商品を購入した代金100万円をN宛の小切手で支払うとしよう。すると商人bはその小切手をNに持ち込み、預金する。するとNはaの口座から100万円を消し、bの口座に100万を書き加える。そうするとaとbとの取引は完了したことになる。この場合、aの預金はbに支払われたのだから、預金が「通貨」として機能したのだ、というのが預金通貨論者の主張なのである。しかしマルクス自身は、こうしたものを「預金通貨」とは述べていない。ただ〈たんなる記録として機能する〉と述べているだけである。実際、預金は決して「通貨」のようにaの口座からbの口座に「流通」したわけではない。ただ帳簿上の記録が書き換えられただけなのである。だからここでは貨幣はただ計算貨幣として機能しているだけなのである。

 ただここに問題が発生する。マルクスは〈商人たち相互間の(総じて預金の所有者たちの)互いの貸し勘定が彼らの預金にあてた振出しによって相殺され互いに帳消しにされるかぎりでは〉と述べているが、しかし今見た具体例では何も相殺もされていないではないか、というのである。ただaの口座がbの口座に振り替えられただけであって、aがbに100万円の貸しがあり、同じようにbもaに100万円の貸しがあり、それらが互いに相殺されたというようなことではない、だから先の具体例は、マルクスがここで預金がただ記録として機能する場合とは異なるのであり、先の具体例には「相殺」の事実は無く、あくまでも預金そのものが支払手段として、よって「通貨」として機能したと捉えるべき事例なのだ、というのである。果たしてそうした主張は正しいのかどうか、それが問題である。
 実は、この問題については、私とT氏との間で長い論争があり、まだ決着がついたとはいえないのであるが、その紹介は後に譲って、もう一人の預金通貨論者である大谷禎之介氏に登場してもらうことにしよう。

 「預金通貨」の概念を肯定する大谷氏は「信用と架空資本」の(下)で次のように述べている。少し長くなるが紹介しておこう。

 〈草稿317ページの下半部には,さらに,上の「a)」と「b)」との両方への注記として書かれた「注aおよびbに」という注がある。この注にある引用はボウズンキットからのものであるが,そのうちのはじめの2つ(82ページ, 82-83ページ〉は,エンゲルス版には取り入れられていない。この省かれた2つの引用の存在は注目に値する。第1のものは次のとおりである。
 「預金が貨幣であるのは,ただ,貨幣の介入なしに財産(property)を人手から人手に移転することができるかぎりでのことである。」
 ボウズンキットの原文ではここは次のようになっている。
 「預金が流通媒介物の一部をなすことについてのいっさいの問題は,私には次のことであるように思われる,--預金は,貨幣の介入なしに,財産を人手から人手に移転することができるのか,できないのか? 貨幣の全目的が預金によって,貨幣なしに達成されるかぎりでは,預金は独立の信用通貨をなすものである。預金が貨幣によって支払をなし遂げ,財産を移転するかぎりでは,預金は通貨ではない。というのは,後者の場合には,支払をなすのは銀行券または鋳貨であって,預金ではないからである。」(J.W.Bosanquet,Metallic,Paper,and Credit Currency,London 1842,p. 82.)
 ボウズンキットは,「金属通貨」と銀行券たる「紙券通貨」とから為替手形と預金とを「信用通貨」として区別するが,この後者の2つは,それらが「貨幣なしに財産を人手から人手に移転する」かぎりで「通貨」たりうるのだとしている。マルクスがここを要約・引用したのは,預金の振替が,手形の流通と同じく信用による貨幣の代位であり,最終的に貨幣なしに取引を完了させるかぎりではそれは「通貨」(?どうして「貨幣」ではなくて「通貨」なのか--引用者)として機能しているのだ,という観点によるものであろう。
 上に続く要約・引用の部分では,貸付のために設定された預金はそれだけの通貨の増加であるとされている。
 「預金は,銀行券または鋳貨がなくても創造されることができる。たとえば,銀行家が不動産所有証書等々を担保として6万ポンドの現金勘定を開設する。彼は自分の預金に6万ポンドを記帳する。通貨のうち,金属と紙との部分の量は変わらないままだが,購買力は明らかに6万ポンドの大きさまで増加されるのである。」
 以上の2つの引用が注目に値するのは,さきの本文パラグラフに関連してマルクスが手形のみならず預金をも考慮に入れていたことが,これによってはじめて明らかとなるからである。信用による貨幣の代位,貨幣機能の遂行は,信用制度のもとでは,銀行券流通と預金の振替という新たな形態をもつようになるが,その基礎が手形とその流通とにあるのだということ,このことをマルクスがここで考えていたことは疑いない。
(「信用と架空資本」(『資本論』第3部第25章)の草稿について(下)10-11頁)

 大谷氏はマルクスがボウズンキットから要約・引用したのは,預金の振替が,手形の流通と同じく信用による貨幣の代位であり,最終的に貨幣なしに取引を完了させるかぎりでは、それは「通貨」として機能しているのだ,という観点によるものであろうと考えている。つまりマルクスも預金は通貨として機能するという観点に立っていたのだが、しかしエンゲルスは、意図的にそうした預金の通貨としての機能について述べている部分をカットしているのだ、と言いたいのである。

 しかし、今回の【28】パラグラフを見ても分かるが、マルクス自身は預金の振替について、〈商人たち相互間の(総じて預金の所有者たちの)互いの貸し勘定が彼らの預金にあてた振出しによって相殺され互いに帳消しにされるかぎりでは,預金は《貸し勘定の》そのようなたんなる記録として機能する〉と述べているだけであって、決して〈「通貨」として機能する〉とは述べていないのである。これを「通貨」というのは、「通貨」概念の混乱でしかないのである。

 では、先に紹介した問題はどのように考えたら良いのであろうか。先の具体的な例は、果たしてここでマルクスが述べているような「相殺」の事例といえないのかどうかである。この点については、これまで私とT氏との間で一定の長い込み入った議論があるが、その一部を紹介することにしよう。次に紹介するのは私のT氏に宛てたメールである。

 【Tさんは大要次のように主張します。a、b間の預金の振替の場合は「相殺」ではない(aの預金が減って、bの預金が増えただけだから)。マルクスが29章で預金が「単なる記録として機能する」として述べているのは、「相殺」されるケースだけであり、だからこの場合はマルクスが述べているケースには当てはまらない。この場合は、「相殺」ではないのに、現金が介在しないケースとして捉えるべきであり、だからこの場合は、マルクスが論じている預金の「二番目の役割」とは異なり、いわば「三番目の役割」ともいうべきものである。この場合、aの預金は「支払手段として流通した」と捉えることができる(実際、aの債務は決済されており、aの預金はaの口座から、bの口座に「移動」したのだから、これを「流通した」と言って何か不都合があるだろうか)。だからこの決済に利用された預金は「広い意味での流通手段」ということができ、だから「預金通貨」と言っても何ら問題ではない、と。
 さて、ここでTさんが預金が決済に使われながら「相殺」にならないケースとして述べているのは、もう一度具体例を上げて言うと次のようなものです。aはbから100万円の商品を購入するが、その支払をaの取引銀行であるN銀行に宛てた100万円の小切手で支払い、それを受け取ったbはやはり自身の取引銀行であるN銀行にそれを持ち込んで預金する、するとaの預金口座からは100万円が減り、bの預金口座には100万円が追加される、つまりここでaの預金100万円はbの口座に「流通」し、aのbに対する債務を決済したのだから、aの預金100万円は支払手段として機能したのである。だから預金はこの場合は「広い意味での流通手段」であり、「通貨」として機能したといえる。だから「預金通貨」という概念は有効である、とまあ、こういう話なわけです。
 問題なのは、a、b間の預金の振替というのは、何も「相殺」にはなっていない。ただaのbに対する債務がaの預金によって(すなわち預金がaの口座からbの口座に「移動」することによって)決済されただけではないか、というTさんの主張です。果たしてこうした主張は正しいのかどうかが十分吟味されなくてはなりません。
 ここで問題なのは、Tさんはaとbとのあいだの債権・債務関係だけを見ていることです。確かにaが同じように信用でbから商品を購入し、その支払を後に現金で行うなら、その場合はその商品流通に直接係わっているのは、その限りではaとbとの二者だけであり、a、bの関係だけを見て論じればよいわけです。しかしTさんの述べているケースは、このケースと同じではなく、a、bは互いに預金口座をN銀行に持っており、その振替で決済を行ったのです。つまりこの商品流通には、N銀行という第三者が最初から係わっているのです。だからわれわれはこの一連の取引を、最初からa・b・Nという三者の関係として捉える必要があるわけです。Tさんは、a、b間の問題に銀行という別の問題を持ち込むと言いましたが、そうではなく、それは「別の問題」ではなく、最初から銀行はa、b間の関係の中に仲介者として存在していたのです。それをTさんは都合よく捨象し、それでいて預金という銀行が介在しないとありえない問題を論じていたというわけなのです。
 だからわれわれは最初からa、b、N銀行という三者の債権・債務関係として先の一連の取引を考えなければならないわけです。それを考えてみましょう。

 (1) まずaが100万円をN銀行に預金します。つまりNはaに100万円の債務を負い、aはNに対して100万円の債権をもちます。

 (2) 次に、aはbから100万円の商品を信用で買う契約をし、商品の譲渡を受けて、それと引換えにNに対する支払指図書(N宛の小切手)をbに手渡します。aは譲渡された商品を消費します(生産的にか、個人的にか)。この場合、aがbに手渡した小切手は、Nにとっては自行の支払約束(手形)ということができます。なぜなら、小切手はaが振り出したものですが、その支払いを実際にするのはN銀行だからです。

 (3) bは受け取った100万円の小切手をNに持ち込み、預金します。すると、Nは自身の支払約束が自分自身に帰って来たので、もはや100万円を支払う必要がなくなります。Nはただaの口座から100万円の記録を抹消し、bの口座に100万円の記録を追記すれば済むわけです。

 このように、この一連の取引は、明らかにNにとっては、自身の振り出した支払約束(手形)が自分自身に帰って来たケース(商人Aが振り出した手形が、商人A→商人B→商人C→商人Aという形でAに帰って来たケース。つまり商人Aが信用で商人Bから商品を購入して約束手形を発行した場合、それを受け取った商人Bが、商人Cから信用で商品を購入して、その代金の代わりにAが発行した手形に裏書きして手渡し、次に商人Cがやはり商人Aから信用で商品を購入してA発行の手形をAに手渡した場合、この一連の商品取引による信用の連鎖は相殺されて、貨幣の介在なしに決済されたことになる場合)と類似していると考えられ、だからそれは相殺されたと考えることができます。だからまたNは現金を支払う必要はなかったのだと言うことができます。だからNはただ帳簿上の記録の操作を行うだけで、一連の取引を終えることができたわけです。だからここでは預金は、明らかに「たんなる記録として機能した」と言うことができるでしょう。マルクスもまた次のように述べています。

 《諸支払が相殺される限り、貨幣はただ観念的に、計算貨幣または価値尺度として機能するだけである。》(『資本論』第1部全集版180頁)。

 この場合、もしbがN銀行と取引がなく、aから受け取った小切手をN銀行に提示して現金の支払いを求めるなら、相殺は成立せず、現金が出動する必要があるわけです。これはCがAとの取引がないため、Bから受け取ったA発行の手形を満期がきたので、Aに提示してその支払いを求めるのと同じであり、やはり一連の債権・債務の取引に相殺が成立しなかったことになるでしょう。

 確かにa-b間では、相殺はないかに見えます。aは自身の債務を決済したに過ぎないからです。しかし同じことは、A→B→C→A間の一連の信用取引を見ても、B-C間だけを全体の信用取引から切り離して見れば相殺はないように見えます。BはCに対する自身の債務をただAに対する自分の債権、すなわちAが発行した支払約束で決済しただけだからです。しかし、A→B→C→Aの一連の債権・債務関係の全体を見るなら、Aの発行した手形がA自身に帰ることによってこの一連の信用取引の連鎖は相殺されており、だからこの一連の取引は現金の介在なしに終わっているわけです。同じことは、N→a→b→Nの一連の債権・債務関係のつながりについても言いうるのではないでしょうか。つまりNの支払約束がN自身に帰ることによって、この信用取引全体が相殺されたので、現金の出動がなかったのだといえるのだと思うわけです。だから信用取引が3者以上にわたり、その取引全体が相殺されている場合、その一連の信用取引の特定の部分だけを全体から切り離して取り出し、その二者のあいだでは相殺はないではないか、と主張する(すでにお分かりだと思いますが、これがTさんの主張です)こと自体が不合理ではないかと思います。

 もちろん、われわれが類似させて検討してきたこの二つの信用取引はまったく同じではありません。A→B→C→Aは商業信用の問題なのに、N→a→b→Nは商業信用に貨幣信用(銀行信用)が絡んでいるからです。だからこれをまったく同一視して論じると恐らく間違いに陥るだろうということもついでにつけ加えておきます。今回はあくまでも債権・債務がつながった一連の信用取引として類似したものとして、そこから類推したに過ぎません。】

 実は、このメールそのものはもっと長いのであるが、後半部分はカットしたのである。その部分で論じている問題はなかなか難しく私自身にもよく分からないところがあるからである。

 もう一つT氏に対するメールを紹介しておこう。

 【これも以前、「預金通貨」と関連して、また前畑雪彦氏の論文にも関連して色々と議論になりました。それに関連する興味深い、マルクスの一文を見つけたので、紹介しておきます。

 〈{通貨〔currency〕の速度の調節者としての信用。「通貨〔Circulation〕の速度の大きな調節者は信用であって,このことから,なぜ貨幣市場での激しい逼迫が,通例,潤沢な流通高〔a full circulation〕と同時に生じるのかということが説明される。」(『通貨理論論評』)(65ページ。)このことは,二様に解されなければならない。一方では,通貨〔Circulation〕を節約するすべての方法が信用にもとづいている。しかし第2に,たとえば1枚の500ポンド銀行券をとってみよう。Aは今日,手形の支払でこれをBに支払い,Bはそれを同じ日に取引銀行業者に預金し,この銀行業者は今日この500ポンド銀行券でCの手形を割引きしてやり,Cはそれを取引銀行業者に支払い,この銀行業者はそれをビル・ブローカーに請求払いで〔on call〕前貸する,等々。この場合に銀行券が流通する速度,すなわちもろもろの購買または支払に役立つ速度は,ここでは,それがたえず繰り返し預金の形態でだれかのところに帰り,また貸付の形態でふたたび別のだれかのところに行く速度によって媒介されている。たんなる節約が最高の形態で現われるのは,手形交換所において,すなわち手形のたんなる交換において,言い換えれば支払手段としての貨幣の機能の優勢においてである。しかし,これらの手形の存在は,生産者や商人等々が互いのあいだで与え合う信用にもとづいている。この信用が減少すれば,手形(ことに長期手形)の数が減少し,したがって振替というこの方法の効果もまた減少する。そして,この節約はもろもろの取引で貨幣を取り除くこと〔suppression〕にもとづいており,完全に支払手段としての貨幣の機能にもとついており,この機能はこれまた信用にもとづいている{これらの支払の集中等々における技術の高低度は別として}のであるが,この節約にはただ2つの種類だけがありうる。すなわち,手形または小切手によって代表される相互的債権が同じ銀行業者のもとで相殺されて,この銀行業者がただ一方の人の勘定から他方の人の勘定に債権を書き替えるだけであるか,または,銀行業者どうしのあいだで相殺が行なわれるかである。一人のビル・ブローカー,たとえば〔オーヴァレンド・〕ガーニ商会の手に800万-1000万〔ポンド・スターリング〕の手形が集中するということは,ある地方でこの相殺の規模を拡大する主要な手段の一つである。この節約によってたんなる差額決済のために必要な通貨〔currency)の量が少なくなるかぎりで,それの効果が高められるのである。〉(「貨幣資本と現実資本」〔『資本論』第3部第30-32章〕の草稿について、165-6頁)

 このマルクスの一文で興味深いのは、マルクスは「銀行券」については「通貨」と述べていますが、しかしそれらが「たえず繰り返し預金の形態でだれかのところに帰」るとは言っていますが、その預金を「通貨」などとは考えていないことです。むしろ預金を使った振替決済を「通貨の節約」と述べていることです。
 さらに重要なのは、手形や小切手にもとづく銀行での預金の振替決済を「相殺」と述べていることです。例えば〈手形または小切手によって代表される相互的債権が同じ銀行業者のもとで相殺されて,この銀行業者がただ一方の人の勘定から他方の人の勘定に債権を書き替えるだけである〉とマルクスが述べている場合、ここで〈一方の人の勘定から他方の人の勘定に債権を書き替える〉というのは、当然、一方の人の預金の口座から、他方の人の預金の口座に債権を書き替えることを意味していることは明らかでしょう。それをマルクスは〈同じ銀行業者のもとで相殺されて〉いると述べているのです。また銀行が違っている場合もやはりマルクスは〈銀行業者どうしのあいだで相殺が行なわれる〉と述べています。そしてそうしたケースをすべて「通貨」の節約をもたらすものとして紹介しており、通貨としては相殺の〈差額決済のために必要な通貨〉だけを問題にしていることです。だから「預金通貨」論者は、マルクスが「通貨」の節約と述べている同じ過程を、「通貨」そのものであるかに述べていることになります。これを見ても「預金通貨」論がマルクスの主張とは相いれないことは明らかではないでしょうか。】

 いずれにせよ、預金による振替決済は、この【28】パラグラフでマルクスが述べているような相殺が行われているケースなのであり、だからこそ貨幣の介在なしに取引が完了したといえるのである(貨幣は、ただ観念的な計算貨幣あるいは価値尺度として機能したに過ぎない)。そしてこの場合は、マルクスもいうように、預金はただ記録として機能しているだけで、それを「通貨」というのは間違いだということである。

(続く)

2016年7月24日 (日)

現代貨幣論研究(8)

     §§2011年のセミナーのレジュメを読んで§§

 (以下のものは、たまたまこのブログで連載している「林理論批判」にアップするのに適当なものがないか、昔のノート類を捜している時に見つけたものです。内容を読むと、必ずしも林氏のセミナーのレジュメに沿ってその内容を批判するというより、「現代の貨幣(通貨)」をいかに理解すべきかという問題に対する自分自身のその時の考えを、レジュメを読んだ感想として綴ったものでした。だからむしろテーマとしては「林理論批判」より、「現代貨幣論研究」の方が良いだろうと考えて、このシリーズとして公開することにしました。

 因みに、文書のなかで言及している2011年のセミナーのレジュメの表題は、林紘義氏のものは「中国の資本主義的発展と“元” 問題」、田口騏一郎氏のものは「衰退するアメリカ資本主義--揺らぐアメリカの覇権」というものでした。

 なお、「林理論批判」として昔書いたものを発表してきましたが、このあと発表できるものとしては、かなり手を入れなければならないようなものばかりのようなので、それほど手間をかけるだけの意欲も意義も見いだせないので、当面は、休止することにします。)

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 林紘義氏や田口騏一郎氏のセミナーのレジュメを読むと、相変わらずの間違った理論を前提にしたものであることがわかる。しかし私はそれを批判するだけの理論的な構築を今の段階では出来ていないから、明確な批判は出来ないのである。要するに戦後の不換制下の資本主義の体制を如何にとらえるかということと関連している。金は実際の商品流通の過程から姿を消すわけだが、金は果たして貨幣として依然として通用しているのか、あるいはそうではなくなったのかという問題である。林氏は、結局、金は貨幣として通用していないという現実から出発し、通貨は政府によって管理されていると理解することになる。
 しかしこれはそもそも商品の価値とは何かという問題と密接に関連しているように思えるのである。つまり金を貨幣ではないとする理解は、結局は、労働価値説を否定することに帰着すると私は考えている。しかしそれを明確に論証するだけのものが今の私自身に構築されているわけではないので、その批判がなかなか難しいわけである。

 商品の価値とは、社会の物質代謝を維持するために、社会が自由にできる総労働をそれぞれの与えられた生産力にもとづいて必要な諸分野に配分するべき指標と言うことができる。それは実際には諸商品の交換関係を通じて客観的な法則として自己を貫徹しているような性格のものなのである。だから商品の価値そのものは直接には目に見えるわけではない。それは法則であり、その法則にもとづく一つの社会的実体なのである。自然の諸法則も見えないという点では同じである。それはさまざまな物体を介して自己を現わすのである。例えば重力の法則は、石ころを放り投げると、それが放物線を描くという形で自己を現わしてくる。諸商品の価値もこうした社会の生産関係のなかに貫く法則なのであり、それは諸商品の交換関係を通じて自己を現わすものなのである。そしてそれを人間の目に見えるように現わしているのが貨幣なのである。だから例え金が実際の流通から姿を消したからといって、この法則がなくなるということはありえない。諸商品に価格が付けられており、商品に値札がついていないと、われわれがそれを商品としてとらえることができないという現実は何一つ変わっていない。マルクスは商品に値札が付いているのはどうしてなのかを、その冒頭の商品論で解明したのであるが、ここで解明されている商品の単純な価値形態から展開されて、最終的に到達した貨幣形態、すなわち価格形態というものは、その限りでは金が実際の商品流通の過程から姿を消したからといってなくなるような性格のものではなく、それは商品が商品である限り、そしてそれに値札が貼っている限り、それらの諸商品が売買されて、交換されている現実の中に貫いている法則なのであり、そういう意味での物象的な過程であり、社会的実体なのである。だからこうした意味での貨幣がなくなるなどということはありえないのである。だからわれわれは不換制下のもとでも商品には値札が付いており、そこには「○○円」という値段が記されていることを知っている。これはまさにその商品の価値が尺度されて価格として現わされている現実を物語っているのである。とするなら、マルクスが冒頭の商品論や貨幣論で解明した諸法則がそこに貫いていることを、それは教えているのである。

 実際に、流通過程に金が貨幣として通用している現実が例えあったとしても、金が鋳貨形態をとると、すでに価値を尺度するものとしての金は直接的なものではなく、ある内在的な社会的実体であることをわれわれにも見える形で現わしてくる。例えば実際に流通している金鋳貨に含まれる金量は、流通における摩滅等で、それが流通手段として機能する前提である価値を尺度する金量とは違ってくるからである。だからこの段階で商品の価値を尺度する金量というのは、ある内在的な社会的実体でしかないのである。それは現実に流通している金量そのものではない。しかし金がもっている価値、つまりそれを生産するに必要な社会的な労働そのものが、この場合、商品の価値を尺度する社会的実体としての内在的な金量を規定していることは明らかであり、だからこの限りでは実在する商品金の内在的な価値そのものが問われていることは依然として同じなのである。金そのものは鋳貨として流通している一方で、実際に地金形態でも、商品として売買されており、金の市場価格というものは常に存在したのである。そして金の市場価格は、明らかに現物としての金そのものが商品として売買されていることから生じている。もちろん、その売買の実体の多くは、決して商品としての金の売買ではないこともわれわれは確認しておく必要がある。つまり金が何らかの工業用の生産材料として売買される場合は、確かにそれは商品としての金の売買であるが、しかしそれが例えば海外への支払の決済のために地金を輸出する必要から購買されたなら、それはただ鋳貨形態を地金形態に転換したに過ぎないだけだからである。あるいは蓄蔵するために、金を購入するなら、それは流通形態を蓄蔵形態に転換したに過ぎない場合も同じである。それらの場合は金の商品としての売買は一つの仮象でしかない。しかし、いずれにせよ実際の金の現物が取り引きされるわけである。こうした金の現物が売買される市場が、兌換制の下であろうが、不換制の下においてであろうが、常に存在したことをわれわれは確認しておく必要がある。つまり金の現物が売買されるというのは、そのときの鋳貨なり、あるいはその代理物(例えば紙幣や銀行券)などが、実際の金との関係をその限りでは常に持つし、持たねばならないということであり、鋳貨やその代理物が、実際に代表している金量がその場合には問われているのであり、金の売買という仮象において現われているのだということである。だから金鋳貨であっても、それが実際の金地金との交換において、それが名目的に代表する金量とは違った評価をされることになる。というのは、ここでは流通手段としての金鋳貨が問題なのではなく(それが流通手段として機能している限りは完全量目との貨幣として機能するが)、それが含有する金量そのものが問われており、地金としてしか評価されないからである。だから如何なる社会においても(といっても当然、原始共同体や社会主義社会は除いてであるが)実際の金の現物が取り引きされる金の市場価格こそが、その時々の通貨が--それが金鋳貨であろうが、紙幣であろうが、銀行券であろうが--、どれだけの金量を代理しているのかを常に表しているものなのである。だから例え金鋳貨が流通している場合においても、金の市場価格があまりにも上がりすぎ、その高価格が維持されるならば、法的な度量標準そのものが、それに合うように変更されるような事態が歴史的には生じてきたわけである。

 こうした社会的実体としての貨幣金の存在を前提すれば(つまり法則的に前提される貨幣だ)、そしてそれの何らかの代理物がどれだけの金量を代理しているかは、実際の、金の市場価格がそれを現わしていると捉えるなら、その代理物が制度として金との兌換を保障されているか否かということは、それ自体は実際の通貨(厳密な意味での)の流通にとっては何ら本質的なものではないということが分かってくる。いずれにしても、諸商品の価値は、社会的な実体である貨幣金で尺度されるのである。ただその尺度される過程そのものは、直接的ではないことから、それはなかなか分からないのであるが、しかし、実際には、金鋳貨が流通している場合でも、本当は諸商品が金によって尺度される過程そのものは目には見えていないのである。それは商品交換当事者の背後でなされている客観的な法則的な過程だからである。われわれには直接的には、諸商品には価格が付けられ(値札が貼り付けられ)、そして貨幣金を代理するもの(銀行券等)で、それらが実際に流通させられている現実を知るだけである。もし金鋳貨がそれらの媒介を行っている場合ですら金鋳貨はただ流通に必要な金量を一つの象徴として代理しているに過ぎないのである。そうした実体を知れば、その代理物が兌換銀行券か不換銀行券かということは本質的なものではないことがわかるであろう。

 さて、このようにそれぞれの国内において諸商品の価値を尺度する貨幣金が社会的実体として存在すること、そしてそれがどれだけの価値を内在しており、また実際に流通している貨幣代理物が、実際には流通に必要な金量をどれだけ代理しているのかは、それぞれの国内における金の市場価格がそれを表していることを認めるなら、戦後のいわゆる「管理通貨制度」というものの認識もわれわれは根本的に改める必要があるということがわかってくる。例えば戦後の一時期、制度としてとられてきた1ドル=360円という固定相場制というものの認識もわれわれは変える必要があるのである。

 ただそれを論じる前に、確認しておくべきことがもう一つある。つまり「通貨」の厳密な意味である。「通貨」はさまざまな形で混乱して理解されてきている。「通貨」とは、物質代謝を媒介する貨幣であり、不換制下のもとにおける今日では、日本銀行券(一万円、千円等のお札)と硬貨(100円、500円、10円等)に限定して理解しないといけない。例えば「預金通貨」という言葉があるが、しかし預金は決して通貨ではない。また手形や小切手等の有価証券の類も決して「通貨」ではないのである。だから当然、為替と通貨も同じではないことに注意が必要である。
 国際的な取り引きにおいて、為替はほとんど通貨と同義として論じられている場合が多い。だから国際的な取り引きにおける為替と通貨との区別と関連を理解することは殊更重要なのである。
 通貨は貨幣の流通手段と支払手段とを併せた機能を果たすものであり(広い意味での流通手段)、そうしたものに限定する必要がある。預金もその振替によって支払を決済するから支払手段と捉えられる場合があるが、しかしこれは実際には、預金が通貨として、つまり支払手段として、流通するのではなく、反対に通貨が節約される相殺の過程であると理解する必要があるのである。だから預金通貨というのは概念としては成立しないのである。また小切手や手形、為替等々も諸支払の相殺を行うための信用諸用具であり、むしろ通貨の節約手段として理解すべきである。もちろん、最終的に相殺が成立しないなら、現金、つまり通貨が流通するケースがないとはいえないが、しかし、今日の信用制度が発達した社会では、実際にはほとんどのケースは預金の振替によって相殺されているのである。だから為替は(内国為替も外国為替も)、信用用具の一つであり、通貨を代理してそれを節約するものではあっても、決して通貨と同じではないことに特に注意が必要である。

 そして通貨がそうしたものであるなら、当然、それはそれぞれの国内では国民服をまとっている(例えばドル札や円札がそれである)。だからそれらが国境を越える場合には国民服を脱ぎ捨てて地金形態にもどる必要がある。しかし今日のように信用制度が世界的にも発達した社会においては、地金が国際的にもやりとりされるわけではない。ではどうするのか。地金形態にもどる代わりに、今日では、それらの国民的通貨は、それぞれの国内における金の市場価格に還元されることになる。金の市場価格に還元されるということは、それぞれの国民通貨が実際にその時々に代表している金量に還元されるということである。そしてその上で、今日では、それらの国際的な諸支払は、すべて国際的な預金の振替決済によって、決済されているのである。

 しかしそれを論じる前に、話をもとに戻そう。それぞれの国の通貨はだからそれぞれの国の国内の商品市場の現実において、その「価値」、つまりそれがどれだけの社会的実体としての貨幣金を代理しているのかが決まってくるということがまず押さえられていなければならない。{もちろん、ここでわれわれは「社会的実体としての貨幣金」と述べたが、しかしそれはそれぞれの金市場で売買されている金と何か別のものなのではないこと、それはあくまでも諸商品の価値を尺度する機能を持つものとしては社会的な実体でしかないと述べているだけであることにも注意が必要である。マルクスも商品の価値を尺度するためには観念的な金で十分であると述べているが、同時に、その金は現物の金として流通過程で実際にうろついている必要があるとも述べている。われわれが社会的な実体としての貨幣金と述べているのは、そうした観念的な金のことを、つまり法則的に貫いているものとしての貨幣金のことを指して言っているのであるが、しかし、まただからこそ、それは実際にその国内の金市場で売買されている金の現物の存在を前提しているのであり、それなくてはまた諸商品の価値を尺度する観念的な金の存在もありえないのである。}それは例えば固定相場制をとっていようとも、何か海外の、例えばアメリカのドルによって円が規制され、規定されているわけではないのである。これは例えば、独自の通貨をもたずに、アメリカのドル札そのものを通貨として使っている国、例えばエクアドル(?)であっても、やはり同じなのである。その国内で実際に流通しているドル札がどれだけの金量を代理するかは、決してアメリカによってではなく、そのエクアドル国内の商品流通の現実によって規定されているのである。

 厳密な意味での通貨の「価値」(それが代理する金量)は、その国内の商品市場の現実によって、つまりその国の物質代謝の現実によって規定されているということを踏まえることが肝心なのである。まず商品流通という現実、物質代謝の現実があって、それによって受動的な貨幣があるという原則をここでもわれわれは思い出す必要がある。

 そしてわれわれは、例えば1ドル=360円の固定相場制を例にあげて、考えてみよう。しかし例として考える場合、360円は半端なので、簡単化のために1ドル=400円の固定相場であると仮定しよう。
 まず、不換銀行券である日本銀行券がどれだけの「価値」(もちろん、この場合は内在的なものではなく、それが代理する金量という意味である)を持つかということは、決して、ドルとの固定相場によって規定されているのではない。それは日本国内の商品市場の現実によって決まってくるのであり、規定されているのである。そしてそれを実際にわれわれが知りうるのは、つまり一万円札がどれだけの金量を代理しているのかを知りうるのは、日本国内における金の市場価格以外にはないのである。つまり円がドルとどういう固定相場にあり、そのドルが金とどのように法的に度量基準が決められているかということは何の関係もないということをわれわれは知る必要があるのである。例えば、そのときの金の市場価格が1グラム=400円としよう。そうすると、この場合1万円札は、25グラムの金量を代理しているわけである。
 もし1ドル=400円の相場が、両国の通貨の代理している金量の比率に合致しているなら、アメリカにおいても金の市場価格は、1グラム=1ドルである。しかしこの場合も忘れてならないのは、1ドルが1グラムの金量を代理しているというのは、あくまでもアメリカの国内の商品市場の現実によって規定されているのであり、アメリカ国内における金の市場価格が金1グラム=1ドルになっているというだけのことなのである。それぞれの通貨がどれだけの金量を代理しているのかは、それぞれの国内の事情によって決まるのであって、両国が固定相場制をとっていようが変動相場制をとっていようが、そんなこととは無関係に決まってくるということがまず第一に押さえておかなければならないことなのである。

 その次に確認しなければならないのは、為替相場というのは、決してそのまま両国の通貨の平価(両国の通貨の「価値」(代表する金量)の比率)と同じではないということである。為替というのは、すでに述べたように、有価証券の一種であり、それ自体は、遠隔地間の諸支払を銀行など金融機関を媒介させることによって、現金を輸送せずに決済するための信用用具であり、だからそれらは最終的には預金の振替によって決済され、だから基本的には諸支払の相殺を行うための諸用具である手形や小切手等と同じものなのである。一昔前までは、国際的な諸支払の相殺が最終的に交換尻が会わない場合、金の現送が行われたのであるが、しかし、今日のように信用制度が国際的にも発達している社会においては、実際に、金が現送されるケースはほとんどなく、国際的にも預金の振替による決済が日常的に行われている。
 またそれらが有価証券であるということがわかれば、その売買は、利子生み資本の運動であり、再生産過程の外部の信用にもとづいている貨幣の運動であることもわかる(つまり直接には物質代謝を媒介しているわけではない)。それらは銀行が介在していることからも分かるように、貨幣信用にもとづくものであり、それらが商品の売買を媒介しているからといって、決して直接的な商業信用、つまり再生産過程内の信用ではないのである(商業信用と貨幣信用が絡んでいるとはいえるであろう)。またそれらが利子生み資本の運動であることを理解するなら、為替の需給によってその価格は上下するということ、そしてその上下には原則として限度がないということもわれわれは知らなければならない。
 ただ兌換制度のもとでは、金の現送点を越えて、為替の相場は上下しないが、しかしそれは実際の為替の売買とその価格が為替の需給だけによって規定されていることを否定するものではないのである。金が現送されるか否かは、為替の価格によって規定されており、そして金が現送されることによって、為替の需給に変化が生じ、その結果、それが為替の価格に反作用を及ぼすに過ぎないのである。だからそれは為替の売買とは直接には関係のないところの話に過ぎないのである。それは金の輸出を禁止すれば、たちまち為替相場はそうした現送点を越えて上下することを見れば明らかである。
 だから為替相場そのものは、あくまでも為替の需給によって決まってくるのであって、通貨の価値(代表する金量)とは直接には関係がないのである。ただ通貨の価値は為替の需給を左右する一つの要因であるにすぎない。しかし為替の需給を左右する要因は他にも色々とあるのであり(貿易の収支もその一つである)、だから通貨の価値はその一つであるにすぎないのである。そして重要なことは、通貨の価値が為替の需給を左右する要因であるということは、決してその逆が真であることを意味しない。つまり為替相場自体は決して通貨の価値を規定することはないということである。この原則さえ踏まえていれば、例えば固定相場制をとっているからといって、日本の円の価値(代表する金量)がドルによって規定されるなどということは決してありえないのである。ドルが金にリンクされているから、円もその固定相場によって、間接的に金にリンクしている、などという主張が一時期いわれたが、こうした主張の誤りは明らかであろう。確かに制度的にはそういうことがいえたとしても、別に円は固定相場を介せずとも、国内の商品市場の現実において常に金とリンクしている(つまり金量を代理している)ということが分かっていないために、こうした馬鹿げた主張が言われたのである。つまり国内的には制度的には円は金との度量基準が決められていないから、だから円は金との関係がないと即断してしまったわけである。しかし法的に基準がないからといって、円が如何なる場合も何らかの金量を代理していないこということは決してありえないということが分かっていないのである。もし円が金量を代理しなければ、そもそも通貨として通用しないからである。

 だから固定相場制について言うと、それは次のような事態を意味している。要するに、日本の政府は1ドル=400円という為替相場を上下何%かのラインを維持するように、為替の需給を調整する義務を負うということである。これ以外の何の意味もない。これは政策的にはどんな意味があるかを少し検討してみよう。今、簡単化のために、商品の輸出入はすべてドル建てで行うこととする。つまりドル為替で売買されるわけである。

 具体例に考察する前に、やはりドル建てという場合の意味を考えておく必要がある。これはドルが度量標準になることである。例えば日本の輸出業者が自動車をアメリカに輸出する場合、当然、その自動車の価値を表さなければならない。つまり尺度する必要がある。それをやるのは当然、金による。しかしその金は直接的なものとして現われて来ないし、実際、輸出業者は金を意識することなくそれをやるのである。しかし彼はそれをどうやるかというと、自動車の価値をドルで表すわけだが、そのドルというのは、アメリカの通貨であり、その「価値」、つまり代表する金量はアメリカ国内の商品市場の現実によって規定されているわけである。つまり日本の輸出業者が自分が輸出する自動車をドル建てでその価値を表そうとするなら、彼はアメリカ国内の商品市場の現実によって規定されているドルの代表する金量にもとづいて、自動車の価値を尺度し、その金量をドルで表示することになる。もちろん、アメリカの国内のドルを代表する金量といっても、その金も観念的なものであり、金としては日本の国内の金と同じである。だから問題はようするに商品の価値を尺度する観念的な金を度量する基準が、アメリカ国内の商品市場の現実によって決まってくるものによって、日本の商品の価値を表示するということにすぎない。つまり自動車の価値をドルで表示する。1万ドルだとしよう。輸出業者は自動車を輸出するために船積みを行い、その船荷証券と一緒にアメリカの輸入元にドル為替を切って、それへの署名を要求する。こうして輸出業者はドル為替を入手するわけだが、それを取り引き銀行に持ち寄って預金するのだが、その預金はもちろん円預金だから、そのときの為替相場によって換算されて円預金になる。日本の銀行はそのドル為替を東京の為替市場に交換に出す。アメリカからの小麦の輸入業者は輸入代金を支払うためにドル為替を必要としていたら、それを購入するであろう。ここに為替の売買が成立する。これ自体はあくまでもドル為替という有価証券の売買であって、決して通貨の交換ではない。しかしドル為替を輸出業者は円で購入するのである。だから当然、そこではドルと円とがどれだけの金量を代表しているかが、問われることになる。しかし為替の売買そのものは、こうしたドルと円が代表する金量が基準にはなってはいるが、しがし当事者はそれを意識することなく、ただ直接には為替の需給によってその価格が決まってくるのであり、当事者もそれを直接意識して売買するだけである。だからもちろんいうまでもないが、ここでは決して通貨そのものが交換されているのではない。確かにドル為替を円で購入するためには、ドルと円がそれぞれどれだけの金量を代表しているのかが、問われるし、それを基準に売買当事者は考える場合がないとはいえないが、しかしそのことはドル札と円札を交換する両替とは本質的に違ったことである。もし人がドル札と円札の交換比率を正しく知りたいなら、アメリカ国内における金の市場価格と日本国内における金の市場価格を比較し、その割合に応じて円とドルとの交換比率を決める必要がある(しかしいうまでもないが、実際の金の市場価格そのものもやはりその時々の金の需給の変動によっても変動するのではあるが)。為替の売買においてもこの金の市場価格比が基準になっていることはなっているが、しかし為替の価格そのものは、直接にはその時々の為替の需給によって上下するのである。そして銀行などが行っている両替はその時々の為替相場にもとづいて行っている。だからそれらは実際の両国の通貨の交換比率にもとづいたものとはいえない場合もあるであろう。

 ところで日本の小麦の輸入業者は円で購入したドル為替を輸入代金としてアメリカに輸送する。アメリカの小麦の輸出業者はそのドル為替を自分の取り引き銀行に預金する。この場合はドル為替にもとづくのだから、当然、ドル預金である。その取り引き銀行はアメリカ国内の手形交換所にそのドル為替を持ち込む。そのドル為替には当然、そのドルの支払を行う銀行が記されている(つまり最初に日本から自動車を輸入した業者の取り引き銀行名である)。だからそのドル為替を買い取る義務が、自動車の輸入業者の取り引き銀行にはあるわけである。しかしその取り引き銀行がアメリカの小麦の輸出業者の取り引き銀行が買い取る義務のある為替をもしもっていれば、そしてそれの支払期日や金額が一致すれば、それらは交換所で交換されるだけで相殺されるであろう(その場合はこの両取り引き銀行内における預金の振替で決済されて終わる)。しかし、もし交換所での交換尻が合わなければ、それぞれの取り引き銀行がもっている連邦準備銀行(FRB)の当座預金間での振替によって決済されるのである。つまりドル為替はいずれにしても、そのドル為替 に最終的な支払義務を負う、アメリカの銀行がバックにあるということを前提しており、だからそれらは最終的にはアメリカの手形交換所に持ち込まれて、交換され、そしてその交換所での交換によって相殺されてしまう分については、それぞれの銀行内における預金の振替によって、相殺され、そして交換所での交換で交換尻の合わない分については、最終的にはアメリカの各銀行がFRBにもっている当座預金間の振替によって最終的な決済が行われているのである。

 そしてこれこそがドルが「基軸通貨」であるとか、「国際通貨体制」などといわれていることの実際の内容なのである。「基軸通貨」とか「管理通貨体制」とか「国際通貨体制」などと、「通貨」という用語が使われていることから、あたかもドル札というアメリカ国内で流通している通貨そのものが国際間でも流通しているかの錯覚があるのであるが、これらはすべて間違いである。映画の007の世界でもない限り、アタッシュケースに入れられたドル札が、麻薬の密売や武器の密売で購買手段として機能するようなことは、実際の貿易においては絶対にないのである。だからここには大きな錯覚というか、間違いがある。輪転機をフル回転してアメリカは世界中から商品を買いまくっている、などと田口氏も書いているが、こんなことが現実にあるわけではない。あるいは田口氏も林氏もドルが国際通貨として、国際的な流通手段や支払手段、蓄蔵貨幣として機能するなどとも書いているが、これらはすべて大きな錯覚であり、間違いなのである。すでに書いたように、ドルが基軸通貨であるというのは、国際的な商品の売買で、商品の価値を尺度するときにドルが計算貨幣として機能しているというだけの話である。計算貨幣のためには、実際の貨幣が必要なのではない。例えば国の予算を組む場合に、90兆円の予算を机上で組んだからといって、90兆円の現ナマを机に積み上げるアホがどこにもいないように、計算貨幣というのは、そうしたものなのである。ドルが世界中で商品の売買の基軸になっているということの意味は、それらの商品が「なんぼや」という問いに、「○○ドルや」と答えているというだけの話しである。そしてドル札ではなく、ドル為替が切られるのである。ドル為替において、実際にドルの支払約束をするのは、あるいはできるのは、直接にはアメリカ国内の市中銀行である。だからドル為替を切るためには、アメリカの市中銀行と何らかの取り引きのある業者が介在していない限り、そもそもドル為替そのものが国際的な商品取り引きで流通しないのである。先に上げた例で説明すると、この場合、日本の自動車の輸出業者がドル為替を切ったのであるが、しかしそのドル為替の支払約束をするのは、アメリカの自動車を輸入する業者の取り引き銀行(アメリカの市中銀行)なのである。だからそのドル為替は、最終的にはアメリカに送られて、アメリカ国内の手形交換所で交換されることになるのである。もちろん、日本の自動車の輸出業者が、直接、為替を送るのではない。彼はそれを自分の取り引き銀行(日本の)に預金するだけである。それはそのときの為替相場にもとづいて、円預金として記帳されるであろう。その日本の取り引き銀行は東京の為替市場に、そのドル為替を売りに出す(もちろん、以前、実際に為替の売買をやる銀行や業者は決められていたが、電子化された今日では相対取り引きも実際には行われているらしい)。するとわれわれの例では、アメリカから小麦を輸入する業者がその輸入代金の支払のために、ドル為替を必要としているなら、それを買うわけである。もちろん、この場合も輸入業者が直接買うわけではない。その日本の取り引き銀行が輸入代金の支払を代行するために、買うわけである。そしてそのドル為替がアメリカに郵送されるわけである。そうするとアメリカの自動車の輸入業者の口座から、小麦の輸出業者の口座に預金が振替られて、日本とアメリカの支払が相殺され、決済されることになるわけである。これは実際に行われている国際的な取り引きの実態であり、ドルが「基軸通貨」として機能しているということの実際の内容なのである。だからドルが「基軸通貨」であるとか、「国際通貨体制」などといわれるが、それは直接には「通貨」や「通貨の体制」というより、世界的な決済システムの問題、世界的な信用システムの問題なのである。国際的な決済がアメリカのメガバンクが中心になって行われており、最終的にはアメリカの中央銀行=FRBにあるメガバンクの当座預金間の振替によってなされているということなのである。そしてこのことの意味は、このFRBが世界の信用システムの軸点になっているということでもある。「国際通貨体制」というのは、こうしたアメリカの中央銀行を中心とした世界的な信用システムの体制のことである。だからこれらはドル札という「通貨」とは直接にはまったく関係がないし、ドル札などは国際的にはまったく流通していないのである。最終的にはFRBの当座預金間の振替が行われてすべての支払は決済され、相殺されているわけである。現金が出てくる余地はまったくない。だからその間、ドルはただ計算貨幣として機能しているだけなのである。流通手段としても支払手段としても機能していないし、もちろん、蓄蔵貨幣としても機能していない。そもそもドルが蓄蔵貨幣として機能するというのは、ドル札をタンス預金という形で(あるいは引き出しにしまい込むという形で)蓄蔵することを意味するのである。ドル札を銀行に持ち込んで預金した場合、確かに預金者にとって、それは蓄蔵貨幣として機能しているように見えるかも知れないが、しかしその預金された現金は、決して銀行に留まっていないのである。だからそれは蓄蔵貨幣ではない。ましてや国際的にはそもそもドル札が流通していないし、だれもそれを貯め込むこともできないのである。もちろん、国際的な麻薬密売組織や武器の密売組織などの場合は別ではあろうが。

 林レジュメでは、元の国際化ということが言われているが、もしそれが現実になるとするなら、同じような国際的な決済システムが、中国人民銀行を信用の軸点として、形成されるということでなければならないのである。しかし林レジュメでは、そんなことがまったく分からずに、論じられている。それが証拠に、ユーロ圏とドル圏が同じようなものとして論じられていたりするし、戦前のブロック化と同じような意味合いで論じられたりしている。しかしこれらはすべて無概念の産物であり、くだらないおしゃべり以上ではない。むしろ混乱や間違った観念を振りまいているものでしかないのである。

 こんな馬鹿げたことがセミナーのレジュメに堂々と書かれて、その間違いが、誰によっても指摘されないでまかり通っている同志会の現実というのは、果たしてどう評価したらよいのであろうか。そしてその間違いを指摘する人がいると、彼は林教祖様から、罵られ、罵倒され、攻撃されるわけである。だから誰一人として、「王様は裸だ」という人がなくなってしまっているのが、同志会の今の現実ではないのか。これが一つの頽廃でなくて、何であろうか。

2015年7月 1日 (水)

現代貨幣論研究(7)

            『海つばめ』1008号、平岡正行論文「インフレとは何か」批判

 前回の現代貨幣論研究(6)で言及したので、ついでだから、『海つばめ』1008号(2006.1.15)の平岡論文の批判も紹介しておこう。これはこの論文が出されたそのときに批判的メモとして書いたものであり、ほとんど手を加えずにそのまま紹介することにする。その一部は、前回、すでに紹介したのであるが、今回は、そのノートの全文を紹介することになる。
 (なお平岡氏の論文は、一般の読者には今では容易に見ることが困難と思えるので、今回は、その全文を付録として付けておく)。

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 平岡正行氏が『海つばめ』1008号で「インフレとは何か」と題して、主に田口騏一郎氏を批判している。詳しい検討はやめるが(それだけの価値を認めないから)、簡単にコメントしておきたい。
 まず平岡氏は田口氏が「金本位制のもとでもインフレが起こる」と述べたことに噛みついている。確かに田口氏の言い方は説明不足だし、このことで何を言いたいのかはやや分かりづらい。しかし悪意を持って田口氏の論文を読まないなら、田口氏の言いたいことは分からないこともない。
 要するに問題は「金本位制」という言葉で何を含意しているかである。どちらも「金本位制」とは何かを説明せずに論じている点では共通している。しかし両者は「金本位制」ということで含意している内容がどうやら違うように思えるのである。
 田口氏の場合は、「金本位制」ということで、恐らく金が貨幣となっており、金の一定量を基準に度量標準が決まっているという程度のものとして考えているように思える(他方、平岡氏は「金本位制」をほぼ「金兌換制」と同義と考えている)。こうしたことから田口氏はマルクスも述べているというのであろう。確かにマルクスが紙幣流通の独自の法則について語っている場合、彼は金鋳貨を前提に論じており、流通必要金量を前提している。その上で、紙幣の代表する金量の減少による名目的な価格の騰貴を説明しているのである。だから田口氏は恐らくマルクスは金が貨幣として存在し、金による価格の度量標準を前提した上で、紙幣の流通から価格の名目的騰貴(インフレという用語は使っていないが)説明しているではないかということを、「金本位制でもインフレは起こる」といったのであろう。善意に解釈すればこのように理解できる。しかし悪意を持てば、これは次のような批判になる。すなわち平岡氏は次のように批判している。
 平岡氏はまず田口氏の論文から次の一文を一部カットして引用する。

 「金本位制のもとでのインフレ現象とは、流通手段の代表する金量の減少による価格の騰貴である。……インフレとはなにかを明らかにするためには、貨幣の価値尺度機能、価格の度量標準とはなにかについて述べなくてはならない。こうしたことが明らかになってはじめてインフレとはなにかについて明らかにすることができる」

 そして次のようにこの一文について批判するのである。

 〈つまり、金本位制のもとでのインフレの関係を明らかにすることが、インフレとはなにかについて原理的に明らかにすることになり、その結果から、インフレとは貨幣の価値尺度機能、価格の度量標準の問題だというのである。〉

 しかしこれは林紘義氏流のねじ曲げた解釈というべきではないだろうか。では平岡氏に聞くが、平岡氏は、貨幣の価値尺度機能や価格の度量標準機能を前提せずにインフレを説明するというのであろうか? やれるものならやってみるが良い。それが出来るなら、ここでの放言を認めようではないか。田口氏が言っているのはただそういうことでしかない。田口氏は「金本位制のもとでのインフレ現象とは、流通手段の代表する金量の減少による価格の騰貴である」と述べている。この田口氏の言い方を見ても、氏が「金本位制」で何を含意しているかが窺い知れる。要するにそれは金が貨幣となっており、金の一定量によって度量標準が決められているというぐらいの意味しか持たせていないのである。それに田口氏は「インフレ現象とは、流通手段の代表する金量の減少による価格の騰貴」であると問題は流通手段としての貨幣の機能に関わる問題であることをハッキリ捉えている。ただ田口氏がいわんとすることは、そうした流通手段としての貨幣の機能からインフレを説明するためには、「貨幣の価値尺度機能、価格の度量標準とはなにかについて述べなくてはならない」と述べているだけである。つまり流通手段の機能から紙幣流通の独自の法則の結果として、価格の名目的な騰貴を説明するためには、そもそも貨幣の価値尺度機能や度量標準の機能が前提されなければならず、それらがまず説明されなければならないというに過ぎないのである。だからもしこの田口氏のこの言明を否定するなら、平岡氏は貨幣の価値尺度機能や度量標準の機能を抜きに、インフレを説明しなければならないことになるのである。出来るものならやってみるが良い。
 平岡氏も次のように述べている。

 〈マルクスは紙幣流通の法則について、その流通量が流通必要金量以内であれば一般的な貨幣流通の法則と同じであるが、紙幣は金貨幣のような制限を持たずに、流通必要金量以上に流通に投げ込まれるから、そこでは紙幣流通の特殊な法則があらわれ物価が騰貴することについて述べている。これがインフレの概念を示していることは田口氏も言うとおりであるが、しかし、マルクスの時代には、まだ金本位制が基本的には貫かれており、こうした特殊法則は一時的にその制約を停止したときの問題でしかなかった。ところが今や、金本位制からははるかに離れ、紙幣化する不換銀行券が流通するという、まさにマルクスが紙幣流通の特殊法則について述べたような状況が常態化しているのである。とするなら、インフレはこうした「特殊法則」が常態化している状況の問題として解明されなければならないのではないのか。〉

 まずここでは平岡氏もマルクスの「紙幣流通の特殊な法則」による物価の騰貴の説明が「インフレの概念を示している」ことを認めるのである。ところが平岡氏はどうやらこれだけでは満足しないようである。では平岡氏はそれに代わるインフレの概念をどのように説明するのかというと、皆目この論文でもやっていない(出来ない)のである(これは林氏においてもまったくおなじであるが、それは別途問題にしよう)。ところがこのマルクスの「インフレの概念」の説明をただ紹介しているだけの田口氏に噛みつくことだけは出来ると考えているのである。大したものではある(この大それた思い込みはただ林氏が田口氏を批判しているから“安心”してそれに追随しているだけでないなら幸いである)。マルクスに対してはまともに批判はできないが、しかしマルクスの説明をただ紹介しているだけの田口氏対しては批判できると思っている(これは林氏においても然り)。しかしもしそういう批判なら、つまりマルクスの説明を是としながら、なおかつ田口氏を批判するというなら、それはただ田口氏のマルクスの「インフレの概念」の説明の紹介は正確ではない、マルクスの説明を間違って紹介しているというような批判でしかないはずである。しかし林氏の批判はもちろん、平岡氏の批判も決してそうしたものではない。田口氏の論文はあくまでもマルクスの「インフレの概念」の解説を試みたものであろう。それを批判するなら、正しい解説を対置するのが批判の正しいやり方というものであろう。
 また平岡氏はここで「マルクスの時代には、まだ金本位制が基本的には貫かれており、こうした特殊法則は一時的にその制約を停止したときの問題でしかなかった」とも述べている。つまり平岡氏もマルクスの説明は「金本位制」のもとでのものであるということを認めているのである。ただ平岡氏は「一時的にその制約を停止した」と述べている。しかしそれは何を意味するのか、もともとマルクスが論じている紙幣は「国家の強制通用力によって流通に投げ込まれる紙幣」であり、だから不換券であることは明らかである。マルクスもそれが一旦流通に投げ込まれれば、自分から流通に出てくることはないとも述べている。しかしそれが例え不換券であっても、流通過程では金を代表していることは明らかである。金を代表するということは前提されており、だからこそそれは流通手段として機能するのである。
 そもそも平岡氏は〈その(紙幣の--引用者)流通量が流通必要金量以内であれば一般的な貨幣流通の法則と同じであるが、紙幣は金貨幣のような制限を持たずに、流通必要金量以上に流通に投げ込まれるから、そこでは紙幣流通の特殊な法則があらわれ物価が騰貴する〉と述べている。ということは同じ不換券でも流通必要量以内の発行であれば、「金本位制」のもとでの発行だが、それが流通必要量を超えるととたんに金本位制は「その制約を停止する」のだそうである。ここでいう「金本位制の制約」とは何かを平岡氏は説明すべきであろう。そしてそれは「停止」したり「発動したり」できるものなのであろうか。もしそれが「兌換」と同義というなら、そもそも紙幣は最初から不換券なのである。だから最初からそれは「制約を停止された」ものとして存在しているのではないのか、つまりそれは平岡氏の考えを前提すれば、最初から金本位制ではないとも言えるのではないのか。
 さて上記の引用の最後で平岡氏は〈まさにマルクスが紙幣流通の特殊法則について述べたような状況が常態化しているのである。とするなら、インフレはこうした「特殊法則」が常態化している状況の問題として解明されなければならないのではないのか〉という。しかしそうであるなら、マルクスが紙幣流通の特殊法則として述べていることを前提に、その法則の貫徹として今日のインフレも説明されるべきであろう。問題はそれが「常態化」している歴史的条件とその法則の今日における変容を明らかにすることである。それはマルクスの紙幣流通の独自の法則を前提にしてのみ説明可能なものではないのか。だからこそ田口氏はまずマルクスのその法則の解説を試みたのではないのか、田口氏の論文の意義もそこにあるのではないのか。そもそも平岡氏がこのようにいうなら、それを自分でやって見るべきであろう。
 ところで平岡氏は林氏が現代の通貨の価値尺度機能や度量標準機能についてこれを否定する主張を行っている(明確に否定せずにあいまい模糊とさせているところが林氏のズルイところなのだが)ことにも批判を向けている。平岡氏は一見すると〈しかし私は、「貨幣の価値尺度機能」や「価格の度量標準」機能そのものがなくなったとは考えてはいない〉と述べて、これらを認めているかのようである。しかしすぐに次のようにも述べてこれを否定する。〈しかしながら、「貨幣の価値尺度機能」や「価格の度量標準」機能そのものはなくなっていないとはいっても、金貨幣が現実に流通しているわけではなく、紙幣化した不換銀行券だけが流通している時代であり、「貨幣の価値尺度機能」や「価格の度量標準」機能も現実の経済過程の問題というよりも、その機能を前提として成り立っている社会における概念の問題といえるのではないだろうか〉。これを見るともともとは〈「貨幣の価値尺度機能」や「価格の度量標準」機能も現実の経済過程の問題〉であって、概念の問題ではないかのようである。しかしそれらは現実の経済過程の問題であるからこそ、概念的に説明可能なものであり、概念的説明によってこそ科学的に説明できるのである。そしてマルクスはそれをしているのである。だから現代において〈「貨幣の価値尺度機能」や「価格の度量標準」機能〉が〈その機能を前提として成り立っている社会における概念の問題〉であって、「現実の経済過程の問題」ではないというのは、問題の混乱以外の何ものでもない。もしそれは概念であるなら、その概念から現実の過程を説明してこそそれは概念たりうるのであり、現実の過程と結びつかない概念などは概念とは言えないのである。本質は現象するしせざるを得ない。現象しない本質などは本質とは言えない。実際問題として現代の通貨が諸商品の価値を価格として表現していることは歴然たる事実である(われわれは商品が「○○円」という値札をつけて店頭にならんでいることを日常の事実として知っている)、また度量標準によって比較可能になっていることも現実の過程ではないのか(100万円の自動車は100円の歯ブラシの1万倍の値段である)、そしてそれを説明するのに、〈「貨幣の価値尺度機能」や「価格の度量標準」機能〉を前提せずして、どのように説明可能なのか、考えなくても明らかであろう。それは現実の経済過程と結びついているからこそそれは概念(本質的関係)なのだ。それを説明することが今日のわれわれの理論的課題なのである。「概念」だといって棚上げすることによっては何も説明できない。平岡氏のように〈したがってこの抽象的な概念をもとに、インフレといった現代社会における現実的な問題を解明しようとしても問題の所在が明らかにならず、余計に混乱することになっているのではないだろうか〉というなら、それは科学を放棄するに等しいであろう。
 もし平岡氏がそうした「抽象的な概念」を抜きに「現代社会における現実的な問題」であるインフレを「解明」できるというならやって貰いたい。それができるなら話は簡単である。しかしそもそも「インフレとは何か」というこの平岡氏の論文の表題に掲げた問題一つとってもこの論文では何一つ説明されていないのではないか。平岡氏はインフレについてどんな規定も与えていない。マルクスによる「インフレの概念の説明」は認めているようである。しかし平岡氏の独自の「現代社会における現実的な問題」としてのインフレについて何の説明もないし、どんな規定もないのである。
*     *     *     *     *
 ついでだから、平岡氏が肯定しているように思える(これはあからさまに行っていないが論文の基調はそのように読めないこともない)林紘義氏のインフレの規定について一言いっておこう。林氏は『プロメ』48号の「現代資本主義とインフレの問題を探る」で次のように述べている。

 〈「通貨」の減価として規定されて初めて、インフレはインフレとして、その概念に適応したものになるのではないのか〉(113頁)

 これがどうやら林氏の現代のインフレの規定であり、「概念」らしい。なんともお粗末なものではある。なぜなら、林氏はこの論文のもとになった学習会のレジュメでは、次のように述べていたからである。

 〈インフレがインフレであるためには、物価上昇が通貨膨張によって媒介されなくてはならない。つまり、「価格の度量標準の引き下げ」(俗に言えば「通貨の減価」)にまで立ち到っていなければならない。〉

 つまりこの説明によれば、「通貨の減価」というのは「俗に言えば」という但し書きによる説明であり、いわば通俗的な説明なのである(ところでこのレジュメの一文は『プロメ』の論文では〈インフレがインフレであるためには、物価上昇が通貨膨張によって媒介されなくてはならない。つまり、「通貨の減価」にまで立ち到っていなければならない〉と書かれ、レジュメで「俗に言えば」という補足的な説明が本文に来ている。これはいうまでもなく、田口氏の論文に対する批判との整合性を考えてのことであろう。しかしご都合主義的であり、姑息な辻褄合わせではある)。
 しかしそうであるなら、つまり「通貨の減価」が通俗的な説明であるというなら、どうしてインフレの科学的な概念的規定がそれをもってできたと言いうるのであろうか。まさかいくら林氏でも、レジュメ段階では通俗的だったが、論文にする段階では科学的になったのだとは言わないであろう。
 林氏がレジュメではどうして〈「通貨」の減価〉を通俗的な説明だといったかというと、ここで「通貨」という場合、それは林氏によれば、「紙幣化しつつある銀行券」を意味しているからである。つまりそれ自体には何の価値もないものでしかない。にも関わらずその「減価」が言われているからである。「価値」のないものが「減価」するのは概念矛盾も甚だしい。だからそれはあくまでも通俗的な説明だというのである。科学的には「紙幣化しつつある銀行券」が流通過程で代表する金量の減少という意味である。これが本当は科学的な説明なのである。そしてそれは度量標準の切り下げと実際上は同じ意味をもつとマルクスは説明しているのである(もちろん念のために言っておくと、法的・制度的な切り下げと流通過程における実際上の代表金量の減少とは決して同じではない)。しかしこの科学的な説明を林氏は、田口氏の論文を批判する手前、否定したい。だから林氏はその通俗的な説明に今度はしがみつくしかないのである。
 そもそも貨幣は諸商品の価値を表現するが、自身の価値をそれによっては表現するわけではない。貨幣の価値は貨幣と交換される諸商品列(使用価値)によって表現されているというのがマルクスの説明である。ということは、もし林氏のいう〈「通貨」の減価〉というものをただ機能だけに限って考えるなら(というのはそもそも通貨には価値はないと林氏はいうからである)、その「通貨」によってその価値が表現されている(尺度されてる)[といっても林氏は現代の通貨の価値尺機能を認めないのだからこうしたことも説明不可能になるのだが]諸商品全体(その使用価値全体)によって表現されている(尺度されれている)のである。とするならその「減価」とは何か、通貨によって表現されている(尺度されている)諸商品の使用価値量が減ることであろう。つまり1000円という「通貨」がそれまでは10個のリンゴの価値を表現していた(尺度していた)とするなら、10個が9個にも8個にもなるということである。要するにこれは物価の上昇をただ現象的になぞったことを意味するに過ぎない。これが林氏よれば、〈インフレはインフレとして、その概念に適応したものになる〉というのである。それなら、現代のインフレとは、通貨と交換される諸商品量が減ることと言っているのと同じである。これのどこが「概念」なのかといわざるをえない。こんなものはただ現象を言っているだけであり、ブルジョア経済学者でさえ言わないであろう。これではほとんど何も言っていないのに等しいのである。
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 結局、平岡氏も林氏も、マルクスの貨幣論にもとづき、紙幣流通の独自の法則からインフレを説明しようという田口氏の試みを否定しているのである。平岡氏は一方でそれらを「概念」としては認めても、現実の経済過程の解明には役に立たない、むしろ混乱を持ち込むものだとまでいう。林氏もマルクスの貨幣論を現代のインフレの解明に適用するのは「奇妙に見える」のだという。
 要するに両者に共通するのは、マルクスの『資本論』、その「貨幣論」は現代のインフレを解明し、説明するのには役立たないと宣言していることである。だからこそ彼らはマルクスの貨幣論にもとづいて、マルクスが明らかにしている紙幣流通の独自の法則による商品価格の名目的な騰貴の説明を、「インフレの基礎理論」として紹介、解説しようとする田口論文の意義を否定するのである。つまり二人ともマルクスの『資本論』から現代のインフレを説明するのは間違いだと言っているのだ。現代のインフレを説明するのにマルクスの『資本論』はすでに古くさいのだと実際上は言っているのだ。なぜなら、マルクスの理論は金が貨幣として通用していた時代のものであるが、〈今日においては、金貨幣はおろか兌換銀行券すら実際には問題にならないような(つまり機能していない)時代である〉からだという。だからそんなものはすでに古くさいのであり、ただ混乱を持ち込むだけだと彼らは実際上主張しているのである。
 あれほど『資本論』研究の必要を強調し、『資本論』第一章を繰り返し学習せよと主張した林氏が(そしてそれに賛成した平岡氏が)いまや『資本論』の否定者として現れている(少なくとも「現代の現実の経済過程」の解明には役立たないという)。もっとも同志会への移行時に林氏はこうしたことを口走ったものの、いまでは主張した本人自身はすっかり忘れてしまっているようではあるが。しかし何という変わりようであることか、何と驚くべきことであろうか。
 しかし彼らが『資本論』の否定者として現れるなら、われわれはその断固たる擁護者として現れるし、現れなければならない。

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【付録】

【三面トップ】インフレとは何か--田口氏の問題意識に疑問--田口・林論争に寄せて

 インフレをめぐる、田口、林両氏の論争について考えてみたい。田口氏は、『海つばめ』1002号において、「インフレは金本位制のもとでも起こりうる」とし、林氏もそれを肯定しているかのように述べている。そして、マルクスもまたこうした主張をしているかに述べている。はたしてこれは正しいであろうか。これが私の疑問の出発点であった。以下、論争をもとにインフレについて考えてみたい。

◆田口氏の議論の出発点

 田口氏は次のように言う。
「林氏は、インフレは金本位制が廃止されている時代に特有なものであるという。もちろんそのように言うことはできるだろう。流通手段が自立化し、貨幣との関連を断ち切られているような時代にあっては流通手段の“減価”は容易となるからである。しかし、林氏もことわっているように、インフレは金本位制のもとでも起こりうる。事実、マルクスはインフレという言葉を使用してはいないにしても、アメリカの南北戦争時代のグリーン・バックスの発行によるインフレ現象について述べている。また一九二〇年代のドイツの有名なインフレもそうであった。もともと私の問題意識は『インフレとはなにか』について原理的に明らかにするということにあった。副題に『マルクスから学ぶ』としたのはこうした意図を含んだものであった」(『海つばめ』1002号)
 この一文に田口氏のインフレ問題を論じる出発点があるように思われるし、同時に、ここに誤りがあるのではないか、というのが私の意見である。
 田口氏は、「インフレは金本位制が廃止されている時代に特有なもの」ということについて、「もちろんそのように言うことはできるだろう」と肯定するかのように述べているが、しかし、実際にはそれに反対している。というのは、そのすぐ後に展開されている文章を見れば明らかである。
 つまり、「インフレとはなにか」という原理的なものを明らかにするには、インフレは金本位制が廃止されている時代に特有なものではなく、「金本位制のもとでも起こりうる」ものなのだから、むしろそこでの関係を明らかにしなければ、「原理的に明らかに」したことにはならない、というのが田口氏の問題意識であるように思われる。
 しかし、金本位制のもとでのインフレを検討することが、インフレについて原理的に明らかにするものなのであろうか。それに、そもそも金本位制のもとでインフレは起こりうるのだろうか。もし、起こらないとすれば、田口氏の検討は的外れの検討ということになる。私は、田口氏がインフレの原理的なものをこうした検討の仕方に求めたから、インフレは貨幣の価値尺度機能の問題だという“迷路”に迷い込んだのではないかと考える。
 事実、田口氏は先の引用に続いて次のように述べている。
 「金本位制のもとでのインフレ現象とは、流通手段の代表する金量の減少による価格の騰貴である。……インフレとはなにかを明らかにするためには、貨幣の価値尺度機能、価格の度量標準とはなにかについて述べなくてはならない。こうしたことが明らかになってはじめてインフレとはなにかについて明らかにすることができる」
 つまり、金本位制のもとでのインフレの関係を明らかにすることが、インフレとはなにかについて原理的に明らかにすることになり、その結果から、インフレとは貨幣の価値尺度機能、価格の度量標準の問題だというのである。

◆金本位制のもとでのインフレ?

 では、金本位制のもとでのインフレという問題について考えてみよう。
 田口氏は、林氏もまた、インフレは金本位制のもとでも起こりうると言っているかに述べているが、林氏の「海つばめ」1001号の主張は次のようなものである。「(インフレは)金本位制の廃絶を必ずしも必要としないが――というのは、金本位制が一時的に停止されていた時代にもあり得たから――、しかし現代のように金本位制が廃絶されている時代に特有なものであり、現代の『管理通貨制度』のもとにおいて一般的に発展するのである」
 つまり、林氏が「金本位制の廃絶は必ずしも必要としない」としているのは、金本位制が廃絶されないまでも、その機能が一時的に停止された時代にはインフレがあり得たということであり、金本位制が機能しているもとでインフレが起こるといったこととは別のことを述べていると、私には思われる。金本位制が機能した状況のもとでもインフレは起こるという田口氏の強い観念が、林氏の見解をゆがめてしまっているのではないか。
 そしてまた田口氏は、金本位制のもとでもインフレが起こることの証明として二つの歴史的事例を示している。しかし、この二つの例も、金本位制が機能しているとは言えない、つまり金本位制ではない状況のもとでのインフレなのである。
 最初は、田口氏が、マルクスもまた金本位制のもとでのインフレを認めていたかに述べ、引き合いに出している「アメリカの南北戦争時代のグリーン・バックスの発行によるインフレ現象」である。
 グリーンバックスとは南北戦争中の一八六二年二月制定の法貨法にもとづいて発行された裏面が緑色の合衆国紙幣のことで、戦費調達のためのものであった。この紙幣は、三次にわたる法貨法のもとで最大発行額四億五千万ドルに達し、インフレの原因となったのである。
 しかしこれが金本位制のもとでの事かというと、事情は異なる。
 米国の中央銀行としては、一七九一年の第一次と、一八一六年の第二次合衆国銀行が存在したが、一八三六年に消滅してしまい、一九一三年に連邦準備制度ができるまで不在であった。したがって、連邦政府はこの不在の間、紙幣を発行せず、グリーンバックスはあくまで例外であった。一般に流通していたのは州が認可した州法銀行券で、一八六三年の全国銀行法の成立以降は、国法銀行(五万ドル以上の資本を持つ銀行が認められた)の発行する国法銀行券(全国どこでも通用する統一的な紙幣)に代わっていった。
 グリーンバックス紙幣が発行されたのはこうした時代のことであり、「第3次法貨法の規定によりその国債への転換が拒否され、グリーンバックス紙幣は不換紙幣化したが、正貨兌換再開=通貨の収縮を支持する東部の銀行家・商人・綿工業者などと、通貨の膨張を要求するペンシルヴェニアの鉄鋼業者を中心とする下から展開しつつあった産業資本家や西部・南部の農民とのあいだの激しい抗争をへて、一八七五年に制定された正貨兌換再開法によって一八七九年一月一日より金との一対一での兌換が実現するという大変特異な収束の経過をたどることとなった」(大月『経済学辞典』)といわれるように、不換紙幣化していたからこそインフレを招いたのであり、金本位制のもとでのインフレとは言えないのである。ちなみに、一八七九年からの金との兌換によって米国は実質的な金本位制に入ったと言われ、正式に金本位制を採用するのは一九〇〇年になってからのことである。
 次に、第二の例である「一九二〇年代のドイツの有名なインフレ」について見てみよう。
 ドイツは一八七一年に成立し、二年後の一八七三年七月九日に金本位制採用を公布している。しかしここでもまた戦費調達のために、一九一四年八月四日、戦時金融立法によって銀行券の兌換義務はなくなり、金本位制から一時離れることになったのである。
 「『ライヒス・バンク(ドイツの中央銀行―平岡)は、もし三ヵ月より遅くない満期であるとするならば、国庫証券を割り引く権限を与えられ、そしてこれらの国庫証券を同行の法定準備の一部として使用することを公認された。これらの証書は、国庫のサインだけをもつものであったが、こうした同行の準備金に関して商業手形と同等にされた。この条項は、戦時中のライヒス・バンクの割引政策における基礎的な変化を特徴づけている。そして、発券に対するその効果は、強調しすぎることはありえない。』『銀行法の新しい改正は、国庫以外の他の保証人の追加的な裏書を廃止した。だからライヒスは、自己宛を意味するところの国庫宛に証書を振り出すことができ、ついでこの証券を同行で割り引くことができた。』ここにみるように、ライヒス・バンクの割引する銀行適格手形が、国庫手形からさらに短期の国庫証券(単名手形)に拡大されて、それが発券準備金に組み入れられたことは(金兌換停止)、中央銀行の発券・短期信用原則にたいする根本的な変化を示す」(生川栄治『ドイツ金融史論』・有斐閣)といった状況のもとで、大量の不換銀行券が発行され、インフレを引き起こしたのであって、これもまた、金本位制のもとでのインフレとは言えないのである。
 そもそも、金という価値を持った貨幣だけが流通する社会においては、流通必要金量を超えて貨幣が流通するわけではない。それは田口氏も認めるところである。それがなぜ、金本位制のもと、つまり金との兌換を義務づけられた紙幣や銀行券が流通するとインフレになると言えるのか。金との兌換という制限によって、それらが必要流通金量を超えようとしても制約を受けることになるのではないのか。もし、金本位制のもとでも恣意的に紙幣量をコントロールできるというのなら、いくらでもその量を自由に操って経済をうまく運営できるとする貨幣数量説論者の立場に限りなく近づくことになるのではないか。これが田口氏の見解に対する私の疑問である。

◆田口氏の見解の誤り

 京都で、インフレについての田口・林論争を検討したときに、田口氏の見解は正しくないが、林氏の批判(「海つばめ」1001号)も「貨幣が実際上存在しない社会において、貨幣の価値尺度機能や『価格の度量標準』機能を問題とすること自体、奇妙に見える」と言うのは言い過ぎだ、貨幣の価値尺度機能や価格の度量標準機能は現代ではないと言えるのか、といった意見が出され、議論となった。他の会員からも同様の質問も出ているようなので、これについての私の考えを述べながら、さらに田口氏の見解を検討していこう。
 「貨幣の価値尺度機能」という場合の「貨幣」は労働生産物たる商品である。そうであるからこそ、他の諸商品に等置されることができ、価値尺度として機能するのである。逆にいえば、価値尺度機能はある商品(例えば「金」)を貨幣たらしめる機能であって、諸商品の価値表現に材料を提供する機能である。
 一方、商品の価値を貨幣として機能している商品であらわしたものが価格であるが、価値尺度たる商品が金であるとすると、諸商品の価値の大きさは金の分量で表現されることになり、種々の分量を比較するためには一定の度量単位を、例えば「純金の量目二分(七百五十ミリグラム)をもって価格の単位と為しこれを円と称す」という具合に定め、この純金七百五十ミリグラムという度量単位を十進一位を持って分割・統合した度量標準が定められた。つまり「価格の度量標準」機能とは、金属貨幣で測られた同じ名称の大きさとして諸商品が互いに関係しあうことである。
 今日においては、金貨幣はおろか兌換銀行券すら実際には問題にならないような(つまり機能していない)時代である。しかし私は、「貨幣の価値尺度機能」や「価格の度量標準」機能そのものがなくなったとは考えてはいない。商品の価値の大きさは社会的必要労働時間によって決まるが、商品は他の商品との交換によってしかその価値を表現することはできず、したがって、商品社会においては諸商品の価値を表現するために、ある商品を貨幣というものにして価値尺度機能を果たすしかないからである。
 ただし、価格の度量標準について言えば、紙幣化した不換銀行券が流通している現在においては、円が金何グラムを表しているかは固定的ではない。この限りでは価格の度量標準そのものがなくなったかである。しかし、諸商品が金貨幣で測られた同じ名称の大きさとして互いに関係しあうという、その機能については依然として維持されていると考える。
 しかしながら、「貨幣の価値尺度機能」や「価格の度量標準」機能そのものはなくなっていないとはいっても、金貨幣が現実に流通しているわけではなく、紙幣化した不換銀行券だけが流通している時代であり、「貨幣の価値尺度機能」や「価格の度量標準」機能も現実の経済過程の問題というよりも、その機能を前提として成り立っている社会における概念の問題といえるのではないだろうか。
 したがってこの抽象的な概念をもとに、インフレといった現代社会における現実的な問題を解明しようとしても問題の所在が明らかにならず、余計に混乱することになっているのではないだろうか。
 マルクスは紙幣流通の法則について、その流通量が流通必要金量以内であれば一般的な貨幣流通の法則と同じであるが、紙幣は金貨幣のような制限を持たずに、流通必要金量以上に流通に投げ込まれるから、そこでは紙幣流通の特殊な法則があらわれ物価が騰貴することについて述べている。これがインフレの概念を示していることは田口氏も言うとおりであるが、しかし、マルクスの時代には、まだ金本位制が基本的には貫かれており、こうした特殊法則は一時的にその制約を停止したときの問題でしかなかった。ところが今や、金本位制からははるかに離れ、紙幣化する不換銀行券が流通するという、まさにマルクスが紙幣流通の特殊法則について述べたような状況が常態化しているのである。とするなら、インフレはこうした「特殊法則」が常態化している状況の問題として解明されなければならないのではないのか。
 私はインフレ問題を検討する中で、田口氏の見解に近い見解に出くわした。それは、「新しいインフレーションが古典的インフレーションにどれほど似ていないものであろうとも、それが物価の名目的騰貴の一種であるかぎり、その本質は、つねに、貨幣の価格標準の視角から解明されなければならないであろう」という岡橋保(『現代インフレーション論批判』日本評論社)の見解である。
 岡橋は「インフレーションの本質は価格標準の切り下げにもとづく物価の名目的騰貴」という立場をとるのであるが、これを強調するあまり、次のような誤った方向に進んでいる。
 彼は「インフレーションの現象形態は、金貨流通のばあいと、紙幣の専一的流通、あるいはこんにちのように兌換の停止された銀行券の専一的流通のもとにおけるばあいとでは、いちじるしく相違している」と一見その違いを強調しているように思えるのであるが、しかし、それは現象形態が相違しているということを述べているのであって、本質においてはなんら変わらないという立場をとっている。つまり、「商品の展開された一般的価値形態=貨幣形態が確立しておりさえすれば、単純商品流通の段階であれ、自由資本主義あるいは国家独占資本主義の段階であれ、価格標準の切り下げによる物価の名目的騰貴はかならずおこる」「インフレーションの本質であるところの価格標準の切り下げにもとづく物価の名目的騰貴そのことには、なんらのかわりもないからである」(前掲書、50~51頁)というのである。
 金本位制の時代も紙幣の時代も、そして不換銀行券の場合も、すべて、インフレの本質は価格標準の切り下げによる物価上昇だから同じであり、それぞれその現象形態が違うだけだというのである。はたして田口氏の見解はこうした岡橋の見解に迷い込みはしないであろうか(田口氏が金本位制のもとでのインフレにその原理をもとめたことは偶然であったのか)。
 岡橋の場合は「紙幣の過剰発行にもとづく価格標準の事実上の切り下げからおこる物価の名目的騰貴を、特に紙幣インフレーションあるいはインフレーションと呼んで、次に述べる価格標準の法律的切り下げによる物価の名目的騰貴を、平価の切り下げと名づけ、紙幣インフレーションと平価の切り下げとを区別し、両者のあいだになんらか本質的な区別でもあるかのように強調する論者もあるが、それはまちがっている」(同50頁)とさえ言い切るのである。
 田口氏はインフレの場合は「事実上の」という言葉をつけて、同じ価格の度量標準の切り下げによる物価上昇であっても、インフレと法的な切り下げとを区別していると林氏に反論したのであるが、インフレの本質を「価格の度量標準の切り下げによる物価上昇」とすれば、岡橋の方がある意味徹底しているのである。そしてわれわれは、岡橋のような誤った見解に迷い込まないためにも、インフレの本質をこうした点に求めることはまちがっていると考えるのである。
 岡橋は、「(われわれは)口では価格標準視角を云々しながらも、結果的には、これを放棄してしまった人たちを問題にする。これらの人たちは、インフレーション騰貴の名目性を価格標準の切り下げ、あるいはそれと同じ事態のなかに求めながらも、インフレーションと為替相場や金の市場価格との関係の一面だけしか見ようとしなかったり、あるいはそれを無視ないしは否定する。このような理論的偏向は、兌換停止下の銀行券を不換紙幣と同一視するその本質観のうちに、すでに、予見されたのであるが、さらに、兌換停止下の銀行券流通における貨幣流通の諸法則の支配を拒否することによって決定的なものとなった。こうして、こんにちの多彩なインフレーション論の氾濫が生じたのであるが、この理論的偏向は、じつは、価格標準の事実上の切り下げと法律上の切り下げ(平価切下げ)との区別のなかに起因している。しかもそれは、ヨリ根本的には、マルクスや、ことに、エンゲルスの銀貨幣の事例における誤りに発しているようにみえる」とさえ断言している。
 田口氏はこうした岡崎の見解にどう反論するのであろうか。
(二〇〇六・一・九)
(平岡正行)

2015年6月25日 (木)

現代貨幣論研究(6)

           『資本論』の冒頭の商品論・貨幣論をどのように位置づけるのか

 以前、インフレーションを特集した『プロメテウス』(以下、『プロメ』と略)No.48をめぐって林紘義--田口騏一郎両氏の間で論争があった時に(この論争は「現代貨幣論」を研究するうえでなかなか興味深いものであり、われわれも今後も恐らく何度も取り上げる機会があるかも知れない)、平岡正行氏はその論争を取り上げて『海つばめ』1008号に「インフレとは何か」という論文を発表した。その論文は林氏の主張を概ね肯定しながら、田口氏の主張を批判するものであった(その論文そのものの批判はここでは取り上げない)。そこで彼は「田口氏の見解の誤り」という小項目の冒頭、次のように書き出している。

 〈京都で、インフレについての田口・林論争を検討したときに、田口氏の見解は正しくないが、林氏の批判(「海つばめ」1001号)も「貨幣が実際上存在しない社会において、貨幣の価値尺度機能や『価格の度量標準』機能を問題とすること自体、奇妙に見える」と言うのは言い過ぎだ、貨幣の価値尺度機能や価格の度量標準機能は現代ではないと言えるのか、といった意見が出され、議論となった。他の会員からも同様の質問も出ているようなので、これについての私の考えを述べながら、さらに田口氏の見解を検討していこう。〉

 ここで林氏の主張を「言い過ぎだ」としたのは恐らく平岡氏であろう。だから彼は『資本論』の冒頭の分析を踏まえて、次のようにいうのである。

 〈今日においては、金貨幣はおろか兌換銀行券すら実際には問題にならないような(つまり機能していない)時代である。しかし私は、「貨幣の価値尺度機能」や「価格の度量標準」機能そのものがなくなったとは考えてはいない。〉

 このように平岡氏は一見すると、林氏を批判して『資本論』の冒頭の分析を肯定しているように言いながら、しかし続けて次のようにも言うのである。

 〈しかしながら、「貨幣の価値尺度機能」や「価格の度量標準」機能そのものはなくなっていないとはいっても、金貨幣が現実に流通しているわけではなく、紙幣化した不換銀行券だけが流通している時代であり、「貨幣の価値尺度機能」や「価格の度量標準」機能も現実の経済過程の問題というよりも、その機能を前提として成り立っている社会における概念の問題といえるのではないだろうか。
 したがってこの抽象的な概念をもとに、インフレといった現代社会における現実的な問題を解明しようとしても問題の所在が明らかにならず、余計に混乱することになっているのではないだろうか。〉

 つまり平岡氏は、『資本論』の冒頭で明らかにされている貨幣の諸法則は否定しようもないが、しかしそれは〈インフレといった現代社会における現実的な問題を解明〉するためには役に立たず、そういう問題から現代的な問題を解明しようとすると〈余計に混乱することにな〉るというのである。つまり平岡氏は一見すると林氏とは違って『資本論』の冒頭で分析されている貨幣の諸法則の正しさを認めているように見える。しかし金貨幣が流通していないのだから(よってそれは機能していないと彼は即断するのだが)そんなものは役には立たないというのであり、これでは、結局、林氏と何も変わっていない。林氏は1001号の『プロメ』No.48を紹介する記事で田口会員の主張を批判して次のように書いていたのである。

 〈そもそもインフレとは、貨幣が流通手段の機能において自立化し、ついには紙券化し、その結果として流通において減価する現象である。金本位制の廃絶を必ずしも前提はしないが――というのは、金本位制が一時的に停止されていた時代にもあり得たから――、しかし現代のように金本位制が廃絶されている時代に特有なものであり、現代の「管理通貨制度」のもとにおいて一般的に発展するのである。つまり、貨幣が廃絶され、一般的に紙券に取って代わられている時代を前提とするのである。
 そんな貨幣が実際上存在しない社会において、貨幣の価値尺度機能や「価格の度量標準」機能を問題にすること自体、奇妙な試みに見える。〉

 同じような主張は『プロメ』No.48の猪俣の為替インフレ論を批判した論文の中にもみられる。

 〈金本位制を前提にするなら、為替相場が一定の限界--「金現送点」の狭い範囲内--を超えて変動することは決してない。他方、金本位制が崩壊するなら、それはすでに金が貨幣として現実に存在せず、ほとんど機能していないということだから--その役割は潜在的に貫かれるかもしれないが--,そもそも貨幣の価値尺度の機能とか、計算貨幣としての役割とかを“まともに”論じること自体がナンセンスに思われる。価値と価格との関係が混沌としたものとなり、不明となり、常に変動するものになるからこそ、つまり貨幣の価値尺度の機能とか計算貨幣の機能などが働かないからこそ、通貨の兌換停止、金本位制の崩壊は資本主義的生産を根底からゆさぶる動揺であり、その解体の始まりを意味するのである。商品の価格もまた形式的なもの、"無概念”となる。〉(75頁)

 ここでは林氏は、不換制下では商品の価格そのものが無概念になるとまで述べている。しかし林氏がどう言おうと、戦後の不換制下のいわゆる「管理通貨制度」が開始されて(「管理通貨制」への移行そのものはすでに戦前から始まっているのだが)、すでに半世紀以上にもなる。戦後の日本の“高度経済成長”は、まぎれもなくこうした通貨体制のもとでなし遂げられたのではないのか。林氏がいくら〈通貨の兌換停止、金本位制の崩壊は資本主義的生産を根底からゆさぶる動揺であり、その解体の始まりを意味する〉などと述べてみても、そうした指摘はまさに戦後の歴史そのものによって否定されている。つまり林氏の主張の理論的破綻は歴史的な事実によって実証されてしまっているのである。

 要するに、二人とも『資本論』の冒頭で分析されている貨幣論については、それは抽象的には正しいが、しかし現実の経済過程を説明するのには訳に立たないという点では一致するわけである。だから表題に掲げた《『資本論』の冒頭の商品論・貨幣論をどのように位置づけるのか》という問題は極めて重要な論点なのである。
 私は平岡論文を検討したときに、この部分について次のように批判した。(以下は私自身のノートから。このノートそのものを発表する機会はまたあるかも知れないが)

 〈現代において《「貨幣の価値尺度機能」や「価格の度量標準」機能》が《その機能を前提として成り立っている社会における概念の問題》であって、《現実の経済過程の問題》ではないというのは、問題の混乱以外の何ものでもない。もしそれらが概念であるなら、その概念から現実の過程を説明してこそそれは概念たりうるのであり、現実の過程と結びつかない概念などは概念とは言えないのである。本質は現象するしせざるを得ない。現象しない本質などは本質とは言えない。実際問題として現代の通貨が諸商品の価値を価格として表現していることは歴然たる事実である(われわれは商品が「○○円」という値札をつけて店頭にならんでいることを日常の事実として知っている)、また度量標準によって比較可能になっていることも現実の過程ではないのか(100万円の自動車は100円の歯ブラシの1万倍の値段である)、そしてそれを説明するのに、《「貨幣の価値尺度機能」や「価格の度量標準」機能》を前提せずして、どのように説明可能なのか、考えなくても明らかであろう。それらは現実の経済過程と結びついているからこそそれらは概念(本質的関係)なのだ。それを説明することが今日のわれわれの理論的課題なのである。「概念」だといって棚上げすることによっては何も説明できない。平岡氏のように《したがってこの抽象的な概念をもとに、インフレといった現代社会における現実的な問題を解明しようとしても問題の所在が明らかにならず、余計に混乱することになっているのではないだろうか》というのなら、それは科学を放棄するに等しいであろう。
 もし平岡氏がそうした《抽象的な概念》を抜きに《現代社会における現実的な問題》であるインフレを《解明》できるというならやって貰いたい。それができるなら話は簡単である。しかしそもそも「インフレとは何か」というこの平岡氏の論文の表題に掲げた問題一つとっても、この論文では何一つ説明されていないではないか。平岡氏はインフレについてどんな規定も与えていない。マルクスによる《インフレの概念の説明》は認めているようである。しかし平岡氏の独自の《現代社会における現実的な問題》としてのインフレについては何の説明もないし、どんな規定も与えていないのである。〉

 このようにこの問題は『資本論』の冒頭の商品をどう考えるかという問題と密接に関連している。以前、セミナーでこの問題を私が取り上げた時(エンゲルスの経済理論を批判した時)、林氏は私に対して「宇野学派的だ」などというレッテルを張って批判したが(なぜレッテル張りだというかというと、私の見解がどういう点で宇野派的なのかの論証が何一つ無かったから)、林氏自身は恐らく冒頭の商品を、エンゲルスと同じように、歴史的な商品、つまり資本主義以前の、まだ資本主義へと発展する以前の商品と同じと考えているのであろう。あるいは少なくとも金貨幣が実際に流通している一時代前の資本主義社会における商品や貨幣を分析・解明したものだというようなあいまいな理解なのであろう。だから金貨幣がすでに流通から姿を消した〈現代社会における現実的な問題〉の解明には役立にたたない(平岡)とか、〈貨幣が実際上存在しない社会において〉は、それが存在していた時代の、つまり『資本論』の冒頭で問題にされているような〈貨幣の価値尺度機能や「価格の度量標準」機能を問題にすること自体、奇妙な試みに見える〉〈貨幣の価値尺度の機能とか、計算貨幣としての役割とかを“まともに”論じること自体がナンセンス〉(林)というわけである。

 私は先のエンゲルスの経済理論を批判的に取り上げたセミナーで(そのときのレジュメと報告はここここを参照)、冒頭の商品を、現実の資本主義社会における商品から資本関係を捨象して取り出した、その意味では抽象的なものであるが、しかし現実の資本主義社会においてはこうした単純な商品や貨幣は、社会の表面に現象しており、われわれが直接目にすることのできる具体物としても存在しているのだ、と指摘した。例えば私たちが日常的にスーパーで目にする商品が、すわなちそれである。またそれをお金を出して購入する行為もそうしたものである。これらは単純な商品と貨幣との関係であり、その限りでは単純流通の問題なのである。実際、われわれは店頭に並んでいる諸商品がどういう経路を辿って、だからまたその身にどれだけ複雑な関係を纏ってそこに並んでいるのかということは、直接には分からない。つまりそれらはそうした複雑な諸関係、資本家的な諸関係をその背後に隠した形で現象しているわけである。だからわれわれが店頭の商品をそのあるがままに表象するなら、それはすでに本来は資本家的商品であるのに、そこから資本関係を捨象した形で、すなわちその意味では抽象物としてそれらを捉えていることになるのである。そしてこうした関係は、金貨幣が実際に流通から姿を消した今日の資本主義的生産様式においてもまったく同じなのである。つまり『資本論』の冒頭で分析されている商品論や貨幣論は、今日の、あるいは現代の「管理通貨制」と言われている不換制下の資本主義の現実においても、そのなかに法則として貫いているものを考察したものなのである。

 宇野弘蔵の批判をするのがここでの課題ではないが(それをやるならまた別の連載としてとりあげたい)、林氏が私の主張を「宇野学派的だ」などというレッテルを貼って批判したので、敢えて、この問題と関連させて少し論じておこう。宇野の「原理論」というのは、彼の説明によれば「純粋の資本主義」を想定して、その分析から得られるものであり、それはカテゴリーが自己を展開するようなものとして論じられるべきものらしい。この「純粋の資本主義」というのは、歴史的には18世紀から19世紀の半ばのいわゆる「自由主義の時代」において、資本主義が傾向的にそのような純粋な形で現われてきたものを、さらに純化して得られるものらしい。しかしこうした理解は、マルクスの方法を真似ているようでまったく違ったものなのである。
 確かにマルクスも当時のイギリスの資本主義社会を資本主義的生産様式が典型的に発展したものとして分析の対象にしていることは誰もが知っている。しかしマルクスの場合は、決して「純粋の資本主義」といったものを想定して、それを分析しているのではない。マルクスの場合は、分析の対象はあくまでも当時の具体的なイギリス資本主義の現実なのである(それが常に主体として前提されていなければならない、とマルクスは述べている)。ただマルクスはそのイギリス資本主義の現実の中に貫く法則を一般的な形で取り出しているのである。だからそれが法則としては純粋な形で捉えられるのもある意味では当然なのである。だからまたその法則は資本主義がどのように表面的には変容しようともそれが資本主義であるかぎりでは、その中に一般的に貫いているような性格のものでもあるのである。これは自然法則とその意味ではまったく同じである。例えば重力の法則を実験や観察で明らかにしたのは、一昔前のガリレオが生きていた時代の現実においてであったであろうが、しかしその法則が今の世の中にも貫いていることを誰も疑わないであろう。資本主義的生産様式の諸法則も、法則という限りではまったく同じなのである。

 マルクスは、われわれがいま丁度のこのブログ上で解説している『資本論』の第3部第5篇第28章該当部分の草稿(28-10を参照)の中で次のように述べている。

 〈貨幣が流通しているかぎりでは,購買手段としてであろうと支払手段としてであろうと--また,2つの部面のどちらでであろうと,またその機能が収入の,それとも資本の金化ないし銀化であるのかにまったくかかわりなく--,貨幣の流通する総量の量については,以前に単純な商品流通を考察したときに展開した諸法則があてはまる。流通速度,つまりある一定の期間に同じ貨幣片が購買手段および支払手段として行なう同じ諸機能的の反復《の回数》,同時に行なわれる売買,支払の総量,流通する商品の価格総額,最後に同じ時に決済されるべき支払差額,これらのものが,どちらの場合にも,流通する貨幣の総量,通貨(currency)の総量を規定している。このような機能をする貨幣がそれの支払者 または受領者にとって資本を表わしているか収入を表わしているかは,ここでは事柄をまったく変えない。流通する貨幣の総量は購買手段および支払手段としての貨幣の機能によって規定されて〔いる〕のである。

 つまり『資本論』の冒頭で分析されている抽象的な商品や貨幣の諸法則というのは、それにどんなに複雑な規定性が加わろうとまったく変わらずその中に貫いているということである。マルクスはここでは貨幣の流通の総量について論じているが、しかしそれは貨幣のさまざまな抽象的な諸機能(例えば価値尺度の機能や度量標準の機能等々)についてもまったく同じことが言えるのである。だから現代資本主義のようないわゆる「管理通貨制度」のもとにおいてもそれらはまったく同じように貫いているのである。それらは資本主義的生産様式の諸法則を一般的な形で取り出し叙述したものなのだから、資本主義が資本主義である限りはその中に貫いているのはある意味では当然なのである。
 しかし、こうしたことが林氏や平岡氏には分からないのである。彼らは目の前の現代資本主義の変容した現象に囚われて、『資本論』の冒頭の商品論や貨幣論では、現実を説明することはできない、それは金が実際に流通していた一昔前の現実を説明することはできても、すでに「変容」してしまった現代資本主義の現実を説明するには古くさく用をなさないと考えるのである。
 このように、現代資本主義を解明していくためにも、『資本論』の冒頭の商品論や貨幣論をどのように位置づけるかということは極めて重要なことがわかるであろう。そこで間違うと林氏や平岡氏のようなとんでもない混迷に陥ってしまうことになるのである。

 林氏が私の冒頭の商品のとらえ方を「宇野学派的だ」と批判したことと関連して、もう少し論じておこう。私は先に紹介したように、冒頭の商品は、『資本論』の冒頭でマルクス自身によって説明されているように、「資本主義的生産様式が支配的に行なわれている社会の富」の「基本形態」としての商品であり、第1章では、とりあえず、その商品が現実のブルジョア社会の表面に現われているものをそのまま観察・分析するのであり、それは資本家的商品から資本家的な関係をとりあえずは捨象して得られる、その限りでは抽象的なものだとしたのである。しかしこうしたとらえ方を、どうやら林氏は「宇野学派的だ」と考えたようなのである。
 確かに宇野も冒頭の商品をマルクスの『資本論』の冒頭の一句を引用して、資本家的商品から抽象したものだと捉えている。しかし、宇野が「経済原論」の中で語っている内容は決してそうしたものではないのである。彼は冒頭の商品は資本関係を捨象した抽象的なものだということから、それが労働生産物であることや、資本主義的生産様式を前提することまでも捨象してしまうのである。そこから、彼が最初に考察の対象にする商品というのは、資本主義以前の古代社会における商品としてマルクスが語っているような、さまざまな自然的な社会構成体の隙間に棲息するような商品関係を想定したものなのである。それが彼が商品や貨幣、さらには資本までをも、まずは「流通形態」として論じなければならないとする理由なのである。なぜなら、それらはまだ商品形態が生産を捉える以前のものであり、ただ流通のなかで形態規定を与えられるものに過ぎないからである。その流通形態としての商品や貨幣が発展して、労働力までをも商品化することによって、初めて商品形態は生産過程を自らかのものに取り込むことになり、そうして初めて商品形態は社会的な物質代謝(宇野のいう原理)を司るものとなり、商品の価値もその実体を持つことになるのだというのが、宇野の主張なのである。だから宇野が冒頭の商品として論じているものには価値の実体規定はないし、ただ流通形態の規定性があるだけなのである。こうした考えから、宇野は『資本論』第1章の第1節・第2節を不要なものとするのであり、第3節の価値形態も不十分なものとするのである。
 まあ、宇野の主張の批判はまた別途やる機会があればそこでやるとして、とにかく宇野が『資本論』の冒頭の商品を資本家的な商品であり、それがブルジョア社会の表面に現われているものを、ただそれ自体として観察・分析しているものだと捉えているなどということは決してできないのであり、むしろ宇野のやっていることは、エンゲルスと同じように資本主義以前の商品、いまだ生産を捉えることができず流通から形態規定を与えられているだけの商品であるということである。たがら林氏が私の主張を「宇野学派的だ」などとレッテルを貼って批判したのは、ただマルクスの方法に対する無理解だけではなく、宇野の主張そのものをも十分には理解せずに,一知半解な認識のもとにただレッテルを貼っているだけに過ぎないということである。

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