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『資本論』第3部第5篇の研究

2020年9月 9日 (水)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(25・26-18)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(最終回)

 

  〔信用制度についての雑録〕 (最終回)

 

【63】

 /321/(8)【MEGA II/4.2,S.482.25-29】193){手形が貨幣の介入なしに役立つ仕方はきわめて簡単である。Bに手形を支払わなければならないAは,Bに自分の取引銀行業者あての為替手形を与え,Bはこの為替手形を自分の取引銀行業者に払い込む。そしてこの両方の銀行業者が為替手形を交換し合い,相殺するのである。}{もしAとBの両方が同じ銀行業者と取引をしているならば,過程はもっと簡単である。〔}〕

  193)〔E〕エンゲルス版では,このパラグラフは削除されている。〉 (212頁)

 〈手形が貨幣の介入なしに役立つ仕方はきわめて簡単です。Bに手形を支払わなければならないAは、Bに自分の取引銀行業者あての為替手形を与え、Bはこの為替手形を自分の取引銀行業者に払い込む。そしてこの両方の銀行業者が為替手形を交換し合い、相殺するのです。もしAとBの両方が同じ銀行業者と取引しているならば、過程はもっと簡単です。〉

 【これは全体が{ }に括られている。恐らくマルクスが、これまでの抜き書きとは直接には関連はしないが、抜き書きをしている時に、思いついたことをメモとして書き残したものかも知れない。しかし後に少し触れるが、あるいはこれまでの一連の問題意識からの抜粋をひとまず終える意図もあって、自身のコメントを書いたとも考えられないことはない。いずれにせよ、これはマルクス自身の書き込みであるので平易な書き下ろしを書いておいた。
  訳者注193)によれば、エンゲルスはこのパラグラフ全体を削除しているということであるが、どうしてなのであろうか。どこかに利用しようとしたが、うまく利用できなかったからか、あるいは商業の実務に通じていたエンゲルスからみれば、こんなことはわざわざ書くまでもないと考えたからなのか。
 このパラグラフはいうまでもなく、これまでにもすでに【32】パラグラフの解読のなかで、ついでに解説しておいたが、手形が貨幣の介入なしに役立つ仕組みを解説している。ここで、まず〈Bに手形を支払わなければならないA〉という場合の手形というのは、恐らくAが発行した手形であり、それをBが持っていて満期が来たので、Aがその手形を現金で買い取る必要が生じたということである。その場合にAは、〈Bに自分の取引銀行業者あての為替手形を与え〉たわけであるが、ということは、Aは現金で支払う代わりに、自分の取引銀行(今Nとしよう)にある口座に宛てて、支払い指図証(為替手形、あるいは小切手)を振り出し、それをBに手渡したということである。〈Bはこの為替手形を自分の取引銀行業者(Mとしよう)に払い込む〉とある。Bは受け取ったA発行の為替手形を自分の取引銀行(M)に〈払い込む〉というのは、Bは何らかの支払いを自分の取引銀行のM行にせねばならなかったので、それをAから支払われたN行宛の為替手形で支払ったか、あるいはBは自分の取引銀行のM行にある自身の口座にその為替手形の額だけ積み増すことを望んだということであろう。
 〈そしてこの両方の銀行業者が為替手形を交換し合い,相殺するのである〉この場合N行とM行とが手形交換所で為替手形を交換し合うというが、今、問題となっているのは、M行の手元にあるN行の支払い義務のあるAが振り出した為替手形だけであり、交換するといっても、N行がそれに対抗する為替手形を持っているとは何も書いていない。しかしこの場合、N行も何らかの形でM行の支払い義務のあるM行の顧客が振り出して、巡りめぐってN行の手元に回ってきた為替手形を所持しているということが前提されているのである。そして両者はそれらの手形を交換し、相殺するのである。これでN、Mの両銀行間ではそれぞれの債務が帳消しにされて相殺されたのであるが、その結果、N、Mの両銀行の内部では顧客の口座間で預金の振り替えが行われるわけである。N行の内部ではAの預金口座から交換された為替手形の額だけ差し引かれ、N行の手元にM行の支払義務のある為替手形を持ち込んだ顧客(Cとしよう)の預金口座にそれだけの額の預金が積み増され、M行の内部ではBの預金口座にはすでにAの振り出した為替手形の分だけ積み増しされているが、その額だけ、N行が所持していたM行の支払い義務のある為替手形を振り出したM行の顧客(Dとしよう)の預金口座からそれだけの額が引き落とされるわけである。
 〈もしAとBの両方が同じ銀行業者と取引をしているならば,過程はもっと簡単である〉 というのは、この場合は手形の交換そのものが不要になるからである。A・B両者の取引銀行(今Nとしよう)はただAの預金口座からBの預金口座に預金を振り替えれば、済むわけだからである。そもそもAが振り出した為替手形はN行の支払い義務のある手形である。それを同じN行の顧客であるBがN行に持ち込んだのだから、N行にとっては自身の支払い義務のある手形が自分の手元に返ってきたのだから、もはや支払う必要はなくなり、その代わりにN行はAの預金口座からその為替手形の額だけ差し引き、Bの口座に積み増せばそれでよいだけである。だからこの場合は〈過程はもっと簡単である〉。

  しかしそれにしても、最初に述べている異なる銀行間による手形交換による相殺についてのマルクスの説明はかなり不親切であり、片手落ちといわねばならない。上記の例でも私は「交換するといっても、N行がそれに対抗する為替手形を持っているとは何も書いていない」と指摘しておいたが、こうした説明が脱落しているから、人によっては間違って理解することになるわけである。残念ながら、実は大谷氏もその一人なのである。以前、私はその大谷氏のそうした間違いを指摘したことがあるので、それを紹介してみることにしようと思う。それはこの同じブログ(「マルクス研究会通信」)の「現代貨幣論研究」のシリーズの№9~11で紹介した「「預金通貨」概念を擁護する大谷氏の主張の批判的検討(1)~(3)」 においてである。しかし今問題になっているものに関連するのは、その一部である。われわれはまず大谷氏が検討しているマルクスの一文を紹介しておこう(これは大谷氏が引用しているものの重引である。ただし先に検討したマルクスの一文と比較しやすくするために、Aの取引銀行をN行、Bの取引銀行をM行としてそれを挿入した)。

  〈「5000ポンド・スターリングを預金したAは,小切手を振り出すことができる(彼がその5000ポンド・スターリングを〔現金で〕もっていた場合と同じにそれを自由に処分することができる〔)〕。そのかぎりでは,5000ポンド・スターリングは彼にとって,可能的な貨幣として機能する。しかしいずれにせよ,彼はそれだけ自分の預金をなくすわけである。彼が現実の貨幣を引き出すとすれば,そして彼の貨幣は貸し付けられているのだとすれば,彼は自分の貨幣で支払いを受けるのではなく,他人が預金した貨幣で支払いを受けるのである〔/〕彼が取引銀行業者(N行)あての小切手でBに支払い,Bはこの小切手を取引銀行業者(M行)に預金し,そしてAの取引銀行業者(N行)もまたBの取引銀行業者(M行)あての小切手をもっており,そしていま,この二人の銀行業者がこれらの小切手を交換するなら,Aが預金した貨幣は二度貨幣機能を果たしたわけである。第1には,Aが預金した貨幣を受け取った人の手で。第2には,A自身の手で。第2の機能では,それは,貨幣の介入なしに行なわれる,債権の(Aが取引銀行業者(N行)にたいしてもっている債権とこの銀行業者(N行)がBの取引銀行業者(M行)にたいしてもっている債権との)相殺である。この場合には,預金は2度貨幣として,すなわち,現実の貨幣として,そして貨幣への請求権として,働くのである。預金が貨幣(それ自身がこれまた他人の現預金から実現される,というのではない貨幣)へのたんなる請求権として働くことができるのは,ただ債権の相殺によってのみなのである。」(MEGA II/4.2,S.588-589;本書本巻521-523ページ。) (大谷新著第3巻360-361頁、ただし下線はマルクスによる強調)

  今このマルクスの文章を二つ分けてみよう(〔/〕を挿入)。すると〔/〕のあとに述べていることは、問題になっている異なる銀行間の手形交換による相殺の例である(〔/〕の前半の部分の解読は当該シリーズを呼んでもらうとして、ここでは問題にしない)。先のマルクスの一文では「交換するといっても、N行がそれ対抗する為替手形を持っているとは何も書いていない」と指摘しておいたが、今回は〈そしてAの取引銀行業者(N行)もまたBの取引銀行業者(M行)あての小切手をもっており〉とちゃんと書かれている。にも関わらず、大谷氏の理解は混乱しているのである。氏は次のように解読している(やはりこの場合も分かりやすくするために取引銀行業者をN行、M行として挿入する)。

  〈次に,Aが「取引銀行業者(N行)あての小切手でBに支払い,Bはこの小切手を取り引き銀行業者(M行)に預金し,そしてAの取引銀行業者(N行)もまたBの取引銀行業者(M行)あての小切手をもっており,そしていま,この二人の銀行業者がこれらの小切手を交換するなら,Aが預金した貨幣は二度貨幣機能を果たしたわけである」と言われている。この小切手交換の結果,Bの取引業者(M行)のもとでBの預金が5000ポンド増加し,Aの取引業者(N行)のもとでAの預金が5000ポンド減少した。マルクスは,Aが預金した貨幣は「第1には,Aが預金した貨幣を受け取った人〔すなわちB〕の手で」,「第2には,A自身の手で」,貨幣機能を果たした,と言う。すなわち「第1には」Bのもとで5000ポンドの商品価格が実現した。マルクスはこのことを,Aの預金は「現実の貨幣として」機能した,と言う。すなわち,Bが小切手を受けとったときにはまだ「可能的な貨幣」であったAの預金5000ポンドがいまやBのもとで現実の貨幣になった,と言うのである。これにたいして「第2に」,Aのもとでは,Aの預金は「貨幣への請求権」すなわち債権として働く,と言う。すなわち,この場合には,Aのもつ債権とBの取引銀行業者(M行)の債権との相殺が行なわれる。もちろん,この相殺はBにはなんのかかわりもないものである。相殺というのは,貨幣による債権の支払いではない。債権と債権とを互いに帳消しにすることである。だからそれは「貨幣の介入なしに行なわれる」のである。にもかかわらず,マルクスはこの第2の場合にも「Aが預金した貨幣は……貨幣機能を果たした」と言っている。なぜであろうか。それはさきに見たように,この相殺によってAの預金が5000ポンド引き落とされたときに,Aが預金した貨幣は,可能的にではなく現実に,貨幣機能を果たした,と言いうるのだからである。この場合の貨幣機能とは,さきに見たように流通手段としての貨幣の機能である。
  マルクスはこのように,小切手による商品の購買のさいに小切手の金額が預金から引き落とされたときに,預金が貨幣として,流通手段として機能した,と言うのである。小切手が流通手段として機能するのではなく,預金が流通手段として機能するのである。これを,預金通貨として機能する,と言い換えることも許されるであろう。マルクス自身は預金を「預金通貨」と呼ぶことはしなかったが,「III)」のここでの彼の記述からは,彼が,預金の通貨機能を認めていたことを明瞭に読み取ることができるのである。〉(『マルクスの利子生み資本論』第3巻361-362頁、但し下線は大谷氏による傍点による強調個所)

  この説明がどれほどムチャクチャであるかは、これまでの私の解読を検討されてきた方なら、お分かりであろうと思う。これに対する批判は、上記シリーズ掲載のもので一通り批判しておいた。
  大谷氏の無理解は、やはり異なる銀行間による手形交換による相殺とそれによる預金の振替の仕組みをしっかり理解していないところにあると思う。それが分かるように、ここでは、もう一度、改めて上記の大谷氏の一文を、箇条書きにして、より詳しい批判をやってみようと思う。

  (1) まず大谷氏が引用しているマルクスの一文の理解において、大谷氏はまったく間違っているということである。それを説明するために、もう一度、大谷氏が引用しているマルクスの一文を書き出してみよう。

 〈Aが「取引銀行業者(N行)あての小切手でBに支払い,Bはこの小切手を取り引き銀行業者(M行)に預金し,そしてAの取引銀行業者(N行)もまたBの取引銀行業者(M行)あての小切手をもっており,そしていま,この二人の銀行業者がこれらの小切手を交換するなら,Aが預金した貨幣は二度貨幣機能を果たしたわけである」と言われている。〉

   このマルクスの一文だけで〈Aが預金した貨幣は二度貨幣機能を果たした〉ことを理解することはほぼ不可能である。なぜなら、ここではマルクスは〈二度貨幣機能を果〉すという、その一つの機能しか述べていないからである。それを無理やりこの一文から二度の貨幣機能を見いだそうするから間違うのである。
  なぜ、この一文だけでは不可能かというと、〈Aが預金した貨幣〉は二つの機能を果たすのであるが、それはその貨幣が二つに分かれるからである。一つは預金された現実の貨幣そのものと、それの帳簿上の記録とにである。そしてこの二つがそれぞれ貨幣機能を果たすのである。
   現実の貨幣が果たす機能については、マルクスはわれわれが引用した一文の前半でただ示唆しているだけである。マルクスは〈彼が現実の貨幣を引き出すとすれば,そして彼の貨幣は貸し付けられているのだとすれば,彼は自分の貨幣で支払いを受けるのではなく,他人が預金した貨幣で支払いを受けるのである〉と述べている。すなわちAが自分の預金を引き出したとしても、すでに彼が預金した〈貨幣は貸し付けられている〉のである。だからAは〈他人が預金した貨幣で支払いを受ける〉のである。つまりAが預金した貨幣は、すぐにN行から利子生み資本として貸し出されしまっているのである。だから彼が自分の預金を引き出したとしても、それは自分が預金した貨幣そのものではなく、他人が預金した貨幣を受け取ることになるだけだというのである。
  ではAの預金した貨幣はどうなるかというと、その貸付を受けた人物のもとで現実の貨幣として機能するのである。これがAの預金した貨幣が二度貨幣機能を果たすという場合の最初のものである。しかしこれは先のマルクスの一文からはなかなか読み取ることは困難であることは確かである。
 次にもう一つの貨幣機能を果たすのは、Aの預金した貨幣の帳簿上の記録である。それが単なる記録なのに貨幣機能を果たすのである。そして大谷氏が引用している一文はまさにこのことについて述べているのである。だから上記の引用文だけではAの預金の二度の貨幣機能を理解することはほとんど不可能に近いといえるのである。

  (2)私は最初に大谷氏の説明はムチャクチャであると述べたが、それを証明するために、逐一、大谷氏の説明の間違いを指摘して行こう。大谷氏は引用に続けて次のように説明している。

  〈この小切手交換の結果,Bの取引業者(M行)のもとでBの預金が5000ポンド増加し,Aの取引業者(N行)のもとでAの預金が5000ポンド減少した。マルクスは,Aが預金した貨幣は「第1には,Aが預金した貨幣を受け取った人〔すなわちB〕の手で」,「第2には,A自身の手で」,貨幣機能を果たした,と言う。〉

  これがどれほどねじ曲げた解釈であるかを知るために、もう一度、マルクスの一文を引用しておこう。マルクスは次のように述べているのである。

  〈そしていま,この二人の銀行業者がこれらの小切手を交換するなら,Aが預金した貨幣は二度貨幣機能を果たしたわけである。第1には,Aが預金した貨幣を受け取った人の手で。第2には,A自身の手で。第2の機能では,それは,貨幣の介入なしに行なわれる,債権の(Aが取引銀行業者(N行)にたいしてもっている債権とこの銀行業者(N行)がBの取引銀行業者(M行)にたいしてもっている債権との)相殺である。〉

   大谷氏は第1の貨幣機能を果たす〈Aが預金した貨幣を受け取った人〉をBとしているのであるが、これが間違いであることはすでにお分かりであろう。〈Aが預金した貨幣を受け取った人〉というのは、N行からその貸付を受けた人である。Bが受け取るのはAが発行したN行あての小切手であって、それは単なる貨幣請求権でしかなく、貨幣ではない。それにそもそもBが受け取る小切手というのは、Aの預金の第2の貨幣機能に関連するものなのである。また〈第2には,A自身の手で〉という意味も大谷氏は正確には理解しているとはいいがたい。マルクスは続けて〈第2の機能では,それは,貨幣の介入なしに行なわれる〉と述べている。つまりそれはAの預金の帳簿上の記録が振り替え決済に利用されるということを意味しているのである。それは確かにA自身によって、その記録が利用されるわけである。彼は自分の預金にあてて小切手を切り、Bに支払ったのだから、〈A自身の手で〉利用されたのは間違いはない。

  (3)次の一文に行こう。

  〈すなわち「第1には」Bのもとで5000ポンドの商品価格が実現した。マルクスはこのことを,Aの預金は「現実の貨幣として」機能した,と言う。すなわち,Bが小切手を受けとったときにはまだ「可能的な貨幣」であったAの預金5000ポンドがいまやBのもとで現実の貨幣になった,と言うのである。〉

   Bの商品の価格が実現するのが、どういう状況においてかを大谷氏は知らない。それはまずはAが発行した小切手を商品と引き換えに受け取った時点で、小切手という形で実現するが、それはいまだ貨幣請求権という形でしかなく、最終的な実現ではない。それが最終的に実現するのは、N・M両行が小切手を交換して、そしてBの取引銀行であるM行内の口座間の振替が行われた時点である。しかしマルクスの一文ではそこまでは書いていないのである。マルクスの一文ではただ両行の間で小切手が交換されるところまでしか述べていない。
   それにBの商品の価格がM行内の口座振替で最終的に実現したとしても、そのことは〈Aの預金は「現実の貨幣として」機能した〉ということではない。そもそもそこには「現実の貨幣」など出てこない、マルクスもいうように〈貨幣の介入なしに行なわれる〉からである。BはAの発行した小切手を受け取るが、現実の貨幣など受け取るはずがないからである。
   大谷氏は〈Bが小切手を受けとったときにはまだ「可能的な貨幣」であったAの預金5000ポンド〉などと述べているが、マルクスが〈可能的な貨幣として機能する〉と述べているのはどういう意味かを理解していない。マルクスは〈5000ポンド・スターリングを預金したAは,小切手を振り出すことができる(彼がその5000ポンド・スターリングを〔現金で〕もっていた場合と同じにそれを自由に処分することができる〔)〕。そのかぎりでは,5000ポンド・スターリングは彼にとって,可能的な貨幣として機能する〉と述べている。これは大谷氏が理解するように小切手が可能的な貨幣だと述べているのではない。そうではなく、マルクスは預金そのものが可能的な貨幣だと述べているのである。というのはAはその預金を、現金をもっているのと同じように自由に処分することが可能だからである。いずれにせよ、Aは商品を信用で購入して預金に宛てて小切手を切っても、現金で引き出してそれで商品を買っても、その分だけ彼は自分の預金をなくすわけである。マルクスが述べているのはこうしたことでしかない。
   だから当然、〈Bが小切手を受けとったときにはまだ「可能的な貨幣」であったAの預金5000ポンドがいまやBのもとで現実の貨幣になった〉などとマルクスがいうはずがないのである。どうして小切手を受けとったBの手でその小切手が現実の貨幣になるというのか。そのためにはBはその小切手を支払義務のあるAの取引銀行であるN行に提示して、現金の支払を求める必要があるが、そんなことはマルクスは一言も述べていないのである。大谷氏は小切手が現実の貨幣になったなどというのであるが、小切手が何かも分からないのかと思わざるを得ない。

  (4)しかし混乱はまだまだ続くのである。続けて大谷氏は次のように述べている。

  〈これにたいして「第2に」,Aのもとでは,Aの預金は「貨幣への請求権」すなわち債権として働く,と言う。すなわち,この場合には,Aのもつ債権とBの取引銀行業者(M行)の債権との相殺が行なわれる。もちろん,この相殺はBにはなんのかかわりもないものである。〉

  Aの預金はAの取引銀行であるN行には債務であり、Aにとっては債権である。Aはこの預金にあてて小切手を切った場合、その小切手はAの債権を表し、「貨幣への請求権」を表す。だからAはその小切手でBから商品を購入することができたのである。だからその小切手を受け取ったBにとっては、その小切手は「貨幣への請求権」となる。だから彼はそれをN行に直接提示して現金の支払を求めるか、あるいは自分の取引銀行であるM行にそれを預金することができるわけである(しかしいうまでもなく、Bが小切手を提示して現金を要求するなら、〈第2の機能〉は成立しない)。だからこの場合、Aの預金である債権は、Bに小切手を手渡した時点で、Bの所有するところとなったのである。だから〈Aのもつ債権〉などというものは彼が小切手を切ってBに手渡した時点で、Bに移っているのである。だからBが受け取ったA発行の小切手を自分の取引銀行のM行に預金した場合、〈Bの取引銀行業者(M行)の債権〉とは、まさにA自身が発行した小切手に他ならないのである。だから〈この場合には,Aのもつ債権とBの取引銀行業者(M行)の債権との相殺が行なわれる〉などという主張がどれほど混乱した代物かが分かるであろう。〈Aのもつ債権〉=Aの発行した小切手。〈Bの取引銀行業者(M行)の債権〉=BがAから受け取ってM行に預金したAの小切手。つまり大谷氏はAの小切手とAの小切手が相殺されるなどという馬鹿げたことを言っているのである。Aのもつ債権(小切手)はBに手渡した時点で、Bのもつ債権になり、BがM行にそれを預金した時点で、M行のもつものとなっているということが大谷氏には分かっていないのである。
   それに〈Bの取引銀行業者(M行)の債権〉というのは、BがAから受け取った小切手をM行に預金したものである。とすればどうして〈この相殺はBにはなんのかかわりもないものである〉といえるのか。N行とM行との小切手交換による相殺にもとづいて、M行はBの口座とM行の支配義務のある小切手を発行した顧客(D)の口座との振替で、Bの口座に5000ポンドを記帳するのだから、〈Bにはなんのかかわりもない〉とはいえるはずもない。確かに小切手の交換による相殺は、両銀行間の問題である。しかしその相殺によって、それぞれの銀行の内部において口座間の振替が行われるのだから、無関係とはいえないのである。そもそもそれはAとBとの信用による商取引の結果生じたものなのだから。

  (5)続けて大谷氏は次のように述べている。

  〈相殺というのは,貨幣による債権の支払いではない。債権と債権とを互いに帳消しにすることである。だからそれは「貨幣の介入なしに行なわれる」のである。にもかかわらず,マルクスはこの第2の場合にも「Aが預金した貨幣は……貨幣機能を果たした」と言っている。なぜであろうか。それはさきに見たように,この相殺によってAの預金が5000ポンド引き落とされたときに,Aが預金した貨幣は,可能的にではなく現実に,貨幣機能を果たした,と言いうるのだからである。この場合の貨幣機能とは,さきに見たように流通手段としての貨幣の機能である。〉

  しかしこれは酷い内容である。大谷氏は一方で相殺というのは〈貨幣の介入なしに行なわれる〉ことを認める。しかしそうであるなら、貨幣はただ観念的な計算貨幣、あるいは価値尺度として機能するだけであることを認めなければならない。だから〈Aが預金した貨幣は……貨幣機能を果たした〉という場合も、やはりそれは観念的にその機能を果たすのみである。なぜなら、〈Aが預金した貨幣〉というのは、ただN行の帳簿上の記録として存在するだけであるからである。そしてそれが振替決済に利用されることによって〈貨幣機能を果た〉すのである。しかしそのことは〈この相殺によってAの預金が5000ポンド引き落とされたときに,Aが預金した貨幣は,可能的にではなく現実に,貨幣機能を果たした,と言いうる〉ということではない。Aの預金から5000ポンドを引き落とすのは、N行の帳簿操作であって、現実の貨幣などとは何の関係もない。しかもその引き落としは別にM行のBの預金に移ったから引き落とされたのではない。N行にM行宛の小切手を持ち込んだCの口座に振り替えられたのである。この口座間の預金の振り替えに現実の貨幣などまったく不要であり、貨幣はただ観念的な計算貨幣として働くのみである。しかも大谷氏は〈この場合の貨幣機能とは,さきに見たように流通手段としての貨幣の機能である〉などと述べている。Aの預金はAの口座からCの口座に振り替えられたが、しかしCはAに商品を信用で販売したわけではない。CはM行の顧客であるDに商品を信用で販売してM宛の小切手を受け取ったのである。だからAの預金が流通手段として機能したなどと言えるはずもないのである。
   そもそも大谷氏は〈貨幣がたんなる流通手段として、それゆえに購買手段として流通する場合には、商品と貨幣とが同時に対立しているということ、したがって同じ大きさの価値が二重に現存していること、一方の極では売り手の手にある商品として、他方の極では買い手の手にある貨幣として現存していることが前提されている〉(『経済学批判』全集第13巻117頁)ということを知らないのであろうか。Aが取引銀行(N行)にある預金を目当てに小切手を切り、それでBから商品を信用で購入したということは、すでにそれは貨幣の流通手段としての機能とは違ったものであること、すなわちこれらの取引全体は貨幣の支払手段としての機能にもとづいたものであることを示しているのである。こんな基本的なことさえも大谷氏にとってはあいまいになっているようなのである。

  (6) 引き続く大谷氏の一文は次のようなものである。

  〈マルクスはこのように,小切手による商品の購買のさいに小切手の金額が預金から引き落とされたときに,預金が貨幣として,流通手段として機能した,と言うのである。小切手が流通手段として機能するのではなく,預金が流通手段として機能するのである。これを,預金通貨として機能する,と言い換えることも許されるであろう。〉

  しかしこれはもう大谷氏の妄想としか言いようがないものである。マルクスはそんなことは一言も述べていないし、述べるはずもない。先の『批判』でマルクスが流通手段について述べていることをもう一度確認してみよう。商品と貨幣が同時に対立して存在していること、一方の極に商品が、他方の極に貨幣が同時に存在していることが前提されて、初めて貨幣は流通手段として機能しうるのである。そもそもAの預金は、すぐに銀行から貸し出されてすでに銀行には存在しないのである。あるのはただ帳簿上の記録だけである。これでどうして預金が流通手段として機能しうるというのであろうか。
   この場合、Aの小切手は、単にAのBに対する支払約束でしかない(N行に対する支払指図)。しかしその約定が商品の譲渡を引き起こしたのだから、その限りでは小切手は、つまりAの支払約束は、購買手段として機能したといえる。〈変化した形態のW-Gでは、貨幣はまず価値の尺度として機能する。商品の交換価値は、その尺度としての貨幣で評価される。だが価格は契約上測られた交換価値として、ただ売り手の頭のなかに実在するだけでなく、同時に買い手の義務の尺度としても実在する。第二に、この場合貨幣は、ただ自分の将来の定在の影を投げかけているだけであるとはいえ、購買手段として機能する。すなわち、貨幣は商品をその場所から、つまり売り手の手から買い手の手へと引き出す〉(同前119頁)。だからAの小切手が購買手段として機能したというなら、それは間違いではない。しかしそれは決して流通手段として機能したのではないのである。ましてや〈小切手が流通手段として機能するのではなく,預金が流通手段として機能する〉などということはさらさら言えないのである。預金そのものはただN行の債務を表し、Aの債権を表すのみである。その預金がN行の手で利子生み資本として貸し出されるなら、すでにそれは預金ではない。利子生み資本という新たな形態規定性を受け取る。そしてその貸し出しをうけた人物の手で、初めてあるいは流通手段として機能するかも知れないが、しかしその時には、すでにそれは預金ではないことはいうまでもない。また帳簿上の記録として残るAの預金は、ただ振り替え決済に利用される限りで、つまり現実の貨幣の介在がない限りで、貨幣としての機能を果たすが、しかしその機能とは観念的な計算貨幣としての機能でしかないのである。だから流通手段として機能するなどはどう考えてもマルクスの理論を離れてブルジョア的な迷妄に陥らない限りは絶対に言えないのである。だから〈これを,預金通貨として機能する,と言い換えることも許される〉どころの話ではないのである。

  (7)そして最後に大谷氏は次のように述べている。

  〈マルクス自身は預金を「預金通貨」と呼ぶことはしなかったが,「III)」のここでの彼の記述からは,彼が,預金の通貨機能を認めていたことを明瞭に読み取ることができるのである。〉

  しかしマルクス自身はすでに論証してきたように、〈預金の通貨機能を認めていた〉などとは言えないのであり、だからまた当然、〈預金を「預金通貨」と呼ぶことはしなかった〉のである。預金を「通貨」と呼ぶことは、「通貨」の正しい概念がないことを自ら暴露することである。あるいは、預金として存在している利子生み資本(monied capital)と通貨との区別を混同することでしかない。残念ながら、大谷氏は『マルクスの利子生み資本論』という4巻にもわたる大著をものにしながら、肝心のマルクスの利子生み資本の概念において、混乱をきたしているとしか言いようがないのである。】


【64】

 /321/(9)【MEGA II/4.2,S.482,30-41】194)通貨Circulation〕,貨幣,資本①②(ⅰ)「鋳貨または貨幣のうちで,公衆の手のなかにあって,商品の交換を成し遂げることに充用されている部分だけが通貨Circulation〕の名に値いすることは明らかであり,それにたいして,銀行業者または商人の手のなかに眠っていて,有利な投資の機会を求めているすべての鋳貨または地金資本である。--資本,それは,節約原理の導入によって永久にか,あるいは,通貨〔circulation〕の必要が減少する,1年のうちの特殊な諸時期に,一時的にか,流通から引き揚げられることがありうる。」(『エコノミスト』,1845年度,238ページ。)(ⅱ)「そして,預金が短期のものであり,いつでも預金者が自由に使えるからといって,なんらかの点で過程が変えられるわけではない。というのは,それがだれかによって引き出されるとしても,それは他のだれかによってもとに戻されるのであって,||322|一般的平均はあまり変わらないからである。」(同前。)/195)

  ①〔注解〕「通貨と銀行業。第2論説」。所収:『エコノミスト』,ロンドン,第11号,1845年3月15日,238ページ。
  ②〔注解〕『エコノミスト』では次のようになっている。--「それゆえ,鋳貨または貨幣のうちで,いつでも公衆の手のなかにあって,商品の交換を行なうことに充用されている部分だけが通貨Circulation〕の名に値いするのにたいして,銀行業者または商人の手のなかに眠っていて,有利な投資の機会を求めているすべての鋳貨または貨幣または地金は資本である。」
  ③〔注解〕「過程〔process〕」--『エコノミスト』では「事柄〔matter〕」となっている。

  194)〔E〕エンゲルス版では,このパラグラフは削除されている。
  195)このあと草稿では,『銀行法委員会報告』1857年,におけるノーマンとオウヴァストンとの証言の抜き書きと批評(MEGA II/15,S.409.6;MEW25,S.432.17v.u.以下)に移っていく。ここからの草稿部分は,本書では次章「「貨幣資本の蓄積。それが利子率に及ぼす影響」(エンゲルス版第26章)に使われたマルクス草稿について」のなかに収める。〉 (212-213頁)

 【この抜き書きは〈エコノミスト』,1845年度〉からなされた二つの抜粋からなっている。それぞれに番号を付す。マルクスによって〈通貨Circulatlon〕,貨幣,資本〉という表題が付けられている。

  (ⅰ) これは明らかにマルクスが「通貨」と「貨幣」と「資本」とのそれぞれの概念の区別に注目して抜粋したものであり、極めて重要である(しかし訳者注194)によればエンゲルスはこのパラグラフ全体を削除しているのだという)。〈鋳貨または貨幣のうちで,公衆の手のなかにあって,商品の交換を成し遂げることに充用されている部分だけが通貨Circulation〕の名に値いする〉というのは特に重要である。ここで〈鋳貨または貨幣〉と述べているものは、マルクスが〈貨幣〉と述べているもので、これは抽象的な貨幣の規定性にもとづいたものである。そして〈公衆の手のなかにあって,商品の交換を成し遂げることに充用されている部分だけが通貨Circulation〕の名に値いする〉と述べているのは、「通貨」を極めて厳密に規定したものとして注目に値するわけである。つまり貨幣の流通手段と支払手段とを併せた機能をもつもの(広い意味での流通手段)こそが「通貨」と呼ばれるべきものだとしているのである。
   そしてそれに対して〈銀行業者または商人の手のなかに眠っていて,有利な投資の機会を求めているすべての鋳貨または地金資本である〉というのは、これは利子生み資本(moneyed capital)を事実上言い表しているという点でも、マルクスは注目しているといえる。つまり同じ鋳貨や地金でも公衆のなかにあって、商品流通を媒介しているものだけが「通貨」といいうるのであって、それが預金されて銀行にあって、有利な投資先の機会を求めているようなものは、「通貨」ではなく、利子生み資本という意味での貨幣資本(moneyed capital)なのだ、ということである。これを見ても、マルクスが大谷氏が主張するようように「預金通貨」なる概念を肯定的に扱っているなどということは決して言えないことが分かるのである。
   ただここで注意が必要なのは、『エコノミスト』の発行者であるウィルソン自身は貨幣を素材的にしか考えておらず、銀行業者や商人の手のなかで眠っているようなものは、すでに鋳貨ではないという認識がない。彼にとっては銀行業者の手にあるものもやはり素材的に見るかぎりでは鋳貨(コイン)でしかないし地金でしかないわけである。彼は資本をほぼ利子生み資本として捉えているが、しかし利子生み資本という概念が明確にあるわけではない。むしろ資本を、利子生み資本としてのみ理解して、利子生み資本と資本一般とを同一視するという誤りに陥っているのである。

  (ⅱ) の抜粋は、ある特定の預金が短期でいつでも預金者が自由に引き出せるものだとしても、〈なんらかの点で過程が変えられるわけではない〉とある。つまり預金が定期預金のようなものではなく、短期でいつでも自由に預金者が引き出して使えるものだったとしても、預金そのものを通貨ということはできない、と述べている。確かに引き出されて商品の購入に使われたり、支払に使われるなら、それらは通貨といいうるが、しかし引き出されたものはすでに預金ではない。預金そのものは、一方で引き出す預金者があっても、他方で預金するものもいて、平均としてはそれほど変わらないのだから、そうした一般平均としてある預金を通貨などということはできないということである。

   マルクスはこの『エコノミスト』の記事を諸概念を基本的に正しく区別して論じているという点で評価して抜粋したといえるだろう。その意味ではエンゲルスがこれを削除したのは不可解である。

 この部分は、小林賢齋氏も前掲著書で紹介しているので、長くなるが、それを紹介しておこう。

  〈ウィルソンによると,「R.ピール卿の銀行業法案(banking measure)並びにこの法案が明らかに……その上に打ち立てられている通貨の制度ないしは原理の根本的誤謬は,まさに,通貨の機能を遂行するものとしての貨幣または鋳貨と,資本を代表するものとしての貨幣または鋳貨との,ある適切な区別の欠如にまで明らかに遡り得る」のである。実際「ロイド[オーヴァーストーン],ノーマン,トレンズ氏等」は,「地金の輸入は,通貨(circulation)を増大し,物価を引上げ,輸入を刺激し,為替相場を是正するという効果[--「通貨原理(the doctrine of currency)」--]に絶対的な信頼を置いている。」それに対しウィルソンは,「実は地金の輸入や輸出は,通貨(circulation)(初めから純粋金属通貨について語っているのだが)にはどんな直接の効果も持たないということを信じて」おり,また「地金が輸出されたり輸入されたりする通常の場合は,すべて,輸出または輸入を促した同じ諸原因が,当初は,流通にある鋳貨の量に,ロバート・ピール卿の法案並びにロイド氏の理論によって示されたのとは反対の方向に作用するであろうということが,疑いもなく証明され得ることを信じている。
 と言うのは,彼によると,「鋳貨あるいは貨幣のうちで,いつでも公衆の手中にあって諸商品の交換を行うことに用いられている部分だけが通貨(circulation)と見なされるに値する,が他方,銀行業者あるいは貿易商(merchant)の手中に横たわっていて,利益ある投資機会を求めている鋳貨または貨幣または地金はみな,資本--即ち,恐らくは,流通から,永久に,つまり節約する原理の導入によって引き上げられたか,あるいは一時的に,つまりその年のうちでごく僅かの通貨が必用とされる特定の時期に引き上げられた資本--である,ということは明らかである」からである。そして他方,この流通から「引き上げられ」「資本」となる鋳貨,貨幣,地金は預金銀行制度の下では銀行に預けられる(後述)が,その「預金は短期間であっても,そしてそれが常に預金者たちの支配下にあっても,いかなる点でも事態(the matter)に変わりはない。なぜなら,それら[預金]はある人によって引出されても,他の人によって補填されるからであり,そして一般的平均は大きくは変わらないからである」4),と。
  つまりウィルソンによると,「流通に必要な貨幣量」は,したがって通貨量は,商品の取引量に依存するので増減するが,流通から引き上げられた「資本」としての「貨幣」である預金の量は「一般的には大きくは変わらない。」この両者の増減は異なった「原理」による,と言うのである。そしてこのような「通貨と資本の区別」は,彼の場合にも,国内流通に必要な通貨量は,例えば輸出商品という「資本の補填」として貿易商の手中にある「資本」--輸入金地金--量の増減とは異なった原理によるという主張の伏線となっていく。〉 (65-66頁)

  これを見てもウィルソンの場合、貨幣を素材的にしか捉えず、形態規定性で捉えることが出来ていないという欠陥はあるが、通貨と利子生み資本(monied capital)との区別が明確になされていることが分かるであろう。これは当時としては大したものである。いまだに(残念ながら大谷氏も含めて)「預金通貨」などを持ち回って、この点で混乱している御仁が余りにも多いのだから。

  ついでに注4)では、今われわれが検討している部分について次のように指摘している。

  〈4)因みにマルクスは,手稿「信用。架空資本」の第2項である「補遺(Zusatze)」部分の,最後の,しかし最も長い小見出し部分「通貨(Circulation),貨幣,資本」の最初に,『エコノミスト』誌から,この個所を引用している。〉 (68頁)

  また別のところでは、マルクスが『エコノミスト』からこの部分を抜粋した意図を次のように推測している。

  〈実は「エコノミスト』誌からのこれらの引用は,一連のウィルソンの論説「通貨と銀行業」の「第2論説(Article Ⅱ)」で,「銀行業の実際の考察に立ち入る前に」予め世上での「一般的な見解」である通貨学派の基礎的諸概念の「混乱」を批判するために,「資本としての貨幣」と「通貨としての貨幣」との「区別」を「明らかにすることが,最も本質的と考える」とした上で指摘している,ウィルソンの「通貨」と「資本」との区別の個所であり,これらは同一パラグラフの中の続いた1つの文章からの引用なのである。
 だからマルクスは,「通貨,貨幣,資本」というこの小見出しの項目の下で,ピール銀行法批判の論陣を張った『エコノミスト』誌の主張を,通貨学派に対置して最初に置き,そして手稿では,この『エコノミスト』誌からの引用の次に,『銀行法特別委員会報告書(1857年)』からのノーマンおよびオーヴァーストーンの証言の抜き書きとそれについてのコメントを書き記していったものと見ることができる。〉 (380頁)

   これを見ると、小林氏は大谷氏とは異なり、この抜粋はそれに続くノーマンおよびオウヴァストンの証言の抜き書きとそれに対する批判的コメント(大谷氏が「第26章の草稿」とした部分)の冒頭をかざるものと考えているようである。確かにそのように考えた方が良いように私にも思える。
   そうすると大谷氏が〔信用制度についての雑録〕とした部分は、【63】パラグラフのマルクス自身のコメントで締めくくっていると考えることができるからであり、これの方がある意味ではキリが良い。
   またそれに続く【64】パラグラフのウィルソンの『エコノミスト』からの抜粋は、明らかにそれまでの議会証言からの抜粋とは違った性格をもっており、銀行学派を代表する主張として、それに続く通貨学派を批判していくなかで、彼らの混乱がまさに〈通貨Circulatlon〕,貨幣,資本〉の諸範疇を明確に捉えることができず、混乱していることにあるのだと、最初に示す意図がマルクスにあったと捉えることが出来るからである。このように最初に諸範疇の区別を明確に示すやり方は、現行版第28章該当部分--草稿では「Ⅰ)」と項目番号が打たれた部分--で銀行学派の混乱を批判する直前においても、次のようにやっていることに注意すべきである。

  〈トゥク,ウィルスン,等々がしている,Circulationと資本との区別は(そしてこの区別をするさいに,鋳貨としての流通手段と,貨幣と,貨幣資本と,利子生み資本(英語の意味でのmoneyed Capital)とのあいだの諸区別が,乱雑に混同されるのであるが〔)〕,次の二つのことに帰着する。〉 (大谷『マルクスの利子生み資本論』第3巻97-98頁)

  しかしまあ、われわれとしては大谷氏の区分を前提にしているので、とりあえず、〔信用制度についての雑録〕の部分は以上で終わりにしよう。

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§§〔信用制度についての雑録〕部分のまとめのようなもの

  これは抜粋ノートであるから、果たしてまとめるほどの関連があるのかどうか分からないが、一応、ノートを振り返ってみよう。そのために、まず、マルクスが抜粋した書籍や委員会報告などを区別して分類し、抜粋する上でその部分の表題や注目点として書いたと考えられるものを、パラグラフごとに書き出してみることにする。著書からのものは抜粋部分のページ数、議会証言からのものは証言番号を出てくる順序にもとづいて書いてみた。

◎ギルバト『銀行業の歴史と理論』からの抜粋

【32】〈準備ファンドの節約。預金,小切手〉(ページ=124)
【33】〈銀行の組織について。1)支店。2)代理店。--地方銀行業者は次のようにしている〉(134)
【34】〈銀行業と投機〉(137,138)
【35】〈手形の割引によるさまざまな事業部門への諸資本の配分〉(153,154)
【36】マルクス自身による表題はないが〈「長期手形は投機を助長する。」(〔ギルバト,〕〉とだけ書かれている。(156)
【37】〈当座貸越cash credit〕,過振りoverdrawing〉(175)
【38】〈商品担保の貸付Loans auf Waaren〕。〉(180,181)

◎『商業的窮境』『委員会からの報告』からの抜粋

【39】〈現金でなく手形での支払い〉(証言番号=7、17、18、21、19)
【40】〈1847年の春(4月)には,〉(177、521-522の要約、562)
【41】これは見出しがないが、その前の抜粋の続きと考えられる。(207)
【42】これもその前の抜粋に関連したもので〈サミュエル・ガーニも次のように言っている〉とマルクス自身の表題がある。(1754、1755)
【43】〈上に引用した,リヴァプール株式銀行重役のA.ホヂスンは,イングランド銀行は「要するに,為替手形の通常の転換可能性の行く手に障害物を設けたのです」,と言っている〉これがこのパラグラフの全文だが、〈上に引用した〉と述べているのは、【39】パラグラフを指している。(205)
【44】〈彼は,現在の非常に低い利子率を,「商業がほとんどまったくだめになり,貨幣を運用する方法がほとんどまったくなかった」ことから説明している〉これもこれだけのパラグラフである。ここで〈〉というのは【43】に出てくる〈リヴァプール株式銀行重役のA.ホヂスン〉のことと考えられる。(231)
【45】〈手形が銀行業者の準備ファンド〔となる〕。同人〔ホヂスン〕。〉(352)
【46】〈投機手形Bills of speculations〕。綿花手形〉(5092、5094)
【47】このパラグラフは【46】に続くものと思える。(600)
【48】これも同じで【46】に続くものであろう。(601)
【49】〈東インド市場(および中国市場)での大過剰取引Haupt Overtrading〕(1847年)〉これはこれ以下のパラグラフの表題である。(表題なので証言番号はない)
【50】〈チャールズ・ターナ(リヴァプールで東インド貿易にたずさわる商人)〉(677)   マルクスによる表題があるが、これは【49】に続くものである。
【51】これは表題はないが、【49】から続くものである。(687、688、786、971)

◎『通貨理論論評、云々』からの抜粋

【52】〈moneyed Capitalの蓄積とそれが利子率に及ぼす影響〉(32,36)

◎ハバド『通貨とわが国』からの抜粋

【53】表題はないが、それは【52】に関連したものだからであろう。([40,]41,42)
【54】これも表題はないが、同じように【52】に関連したものと考えられる。(68)

◎『商業的窮境』の議会証言から抜粋

【55】〈1846-47年。飢饉の結果,食糧の大量輸入が必要となった〉(648、730)
【56】〈(S.ガーニ,ロンドンのビル・ブローカー)(同前)〉これも【55】と同様、1847年恐慌に関連したものといえるだろう。(1664、1763)
【57】これも表題がないが、やはり1847年恐慌に関連したものと考えられる。(2675、3800、3846、3848、4356、4357、4358、4359、4360、4361)
【58】〈銀行業者による退蔵Hoarding〕。〉(4605)
【59】表題はないが、【58】と関連したものであろう。(4691)
【60】〈資本の価値〉(4777)
【61】〈信用の容易さ(貨幣の豊富さ)。〉(4886、5080)
【62】〈逼迫期に貨幣取扱業者がどんなにはげしく暴れまわるかについて,トゥクは次のように言っている〉(5451)

◎マルクスのコメント

【63】〈{手形が貨幣の介入なしに役立つ仕方はきわめて簡単である。Bに手形を支払わなければならないAは,Bに自分の取引銀行業者あての為替手形を与え,Bはこの為替手形を自分の取引銀行業者に払い込む。そしてこの両方の銀行業者が為替手形を交換し合い,相殺するのである。}{もしAとBの両方が同じ銀行業者と取引をしているならば,過程はもっと簡単である。〔}〕〉これは全体が{ }に入っており、マルクス自身の書いたものである。

◎『エコノミスト』からの抜粋

【64】〈通貨Circulatlon〕,貨幣,資本〉(238)


  さて、一番最後の『エコノミスト』は別に置き、またその前の抜粋の締めくくりと考えられなくもないマルクス自身のコメントのパラグラフも別にすると、全体を俯瞰してみると、最初はギルバト『銀行業の歴史と理論』からの抜粋からはじまり、議会証言からの抜粋が続き、間に『通貨理論論評、云々』とハバド『通貨とわが国』からの抜粋が挟まり、議会証言からの抜粋を再開し、終わっている。
  しかし実は抜粋ノートとしてマルクスが作成したものは、これだけではない。本文の原注に採用されたものもあるからである。マルクスは原注として頁の下段に書いたもの以外にも、抜粋ノートの部分から原注を補足するために、「原注○○へ」などと付しているものもあり、そうしたマルクスの指示にもとづいて大谷氏は原注に付け加えているものもあるからである。だからとりあえず、この抜粋部分をどのようにマルクスは書いていったのかについて、大谷氏の説明をみておくことにしよう。

 〈彼はまず,ギルバトの書を--「銀行業者からその顧客への前貸は,他の人びとの貨幣で行なわれる」という一文を先取りしているのを除いて--ページを追って抜き書きしている。関連する一群の引用ごとに見出しをつけるか,本文への注とすることを記していった。次に,「注hに」とした,『マンチェスター・ガーディアン』から引用したあと,『商業的窮境』1847年,から多数の抜粋をした。ここでも見出しをつけ,関連するものをまとめており,そのために途中に若干の前後はあるが,48にものぼる,利用された証言の番号を見られればわかるように,基本的にはじめの方からおわりの方へと順次進んでいったのである。その途中に,「monied Capitalの蓄積とそれが利子率に及ぼす影響」という表題のもとに,『通貨理論論評』とハバドとからの引用がはいっている。最後は,マルクスの短い覚え書きののち,『エコノミスト』からの抜粋で終わっている。見られるように,要するにこの部分は抜粋ノートなのである。そこで,見出しとされているテーマも,本文部分に直接関係するものもあれば,それほどでもないものもある。もちろん抜粋ノートといっても,ここでの主題に関連するものを拾っているのであるから,多かれ少なかれなんらかの関係があることはいうまでもない。〉 (新本第2巻122-123頁)

  要するに、抜粋ノートだから主題と関連すると言ってもそれほどのものではない、といったところであろうか。しかし大谷氏はわれわれのパラグラフ番号で【63】のマルクス自身によるコメントについては単なる〈短い覚え書〉として大した関心も示していない。それに最後の『エコノミスト』からの抜粋も同じ雑録として捉えている。また議会証言の証言番号を見ると決して大谷氏がいうように〈基本的にはじめの方からおわりの方へと順次進んでいった〉といえるようには思えない。明らかに証言番号は前後しており、単に若い順から抜粋していったなどとはいえないように思える。マルクスは何らかの問題意識にもとづいて関連する証言を取捨選択して抜粋しているのである。だからもう一度、それぞれの抜粋を振り返って、マルクスはどういう問題意識で抜粋したのかを探ってみることにしよう。

◎ギルバト『銀行業の歴史と理論』からの抜粋(【32】~【38】)

  このギルバトの著書からの抜粋は雑録部分に収められたものだけではなく、原注として採用されたものもある。それらをすべて拾いだすと次のようになる(長くなる部分は一部略す。われわれのパラグラフ番号と括弧内の数字はギルバトの著書の頁数)。

 【8】〈手形(その割引)によって,商人は信用を与えることができ,自分の資本になんらかの追加をする必要なしに,自分の取引を拡大することができる〉(152)
 【27】〈「銀行の事業資本〔trading capital〕は二つの部分から,すなわち投下資本〔invested capital〕と借り入れられたその銀行業資本〔banking capital〕とから成っている。」「銀行業資本あるいは借入資本を調達するための三つの方法は,第1に預金の受け入れによって,第2に銀行券の発行によって,第3に手形の振り出しによって,である。……(中略)……以上は,銀行業の諸操作を,また預金,銀行券,手形によって銀行業資本が創造される方法を,偏見なく描いたものである。」{「銀行業者の利潤は,一般に,彼の借入資本あるいは銀行業資本の額に比例する。銀行の本当の利潤を確定するためには,投下資本にたいする利子を総利潤から引き去らなければならない。残額が銀行業利潤である。」}「銀行業者からその顧客への前貸は,他の人びとの貨幣で行なわれる。」「銀行券を発行しない銀行業者でさえも,手形の割引によって銀行業資本を創造する……(以下、略)」「手形を割り引いてもらってその全額にたいして利子を支払った当事者は,この額のうちの多少の部分を,利子なしに銀行業者の手に残しておかなければならない。この方法で銀行業者は,実際に前貸された貨幣にたいしてそのときの普通の利子率以上のものを受け取るのであり,また彼の手に残された残高だけの銀行業資本を調達するのである。〉(117、118、146、119、[119、]120)
 【28】〈「発券銀行はつねに自己の銀行券を発行するので,その割引業務はもっぱらこの最後の種類の資本〔」〕{銀行券そのものによって調達された資本}〔「〕で営まれるように見えるかもしれないが,そうではないのである。銀行業者が自分の割引する手形のすべてにたいして自分自身の銀行券を発行するということは大いにありうるが,そうであるにもかかわらず,彼の手にある手形の10分の9が現実の資本を表わしているかもしれない。というのは,まずはじめには手形にたいして銀行券が与えられるのではあるが,しかしこれらの銀行券は,手形が満期になるまで流通のなかにとどまっている必要はないからである。手形は満期まで3か月間あるのに,銀行券は3日のうちに帰ってくるかもしれないのである。」〉(172)

   これを見ると、先取りされているのは、大谷氏が指摘するものだけではなくて、【8】パラグラフもそうであるが、しかしこれは恐らく原注として直接下段に書かれたものなのであろう。【27】パラグラフのものは最初に〈{注1)へ(318および319ページ)〉と書かれているので、恐らく抜粋ノートのなかの一部分にこうした指示が書かれていると思われる。【28】パラグラフも最初に〈注1へ318ページ〉と指示書きがあるので、これも恐らく抜粋ノートのなかの一部であると考えられる。
  ギルバトの著書からの抜粋はほぼ頁順に抜粋されているようなので、いま、頁順に並べてみると次のようになる(赤は原注に採用されたもの)。一応、直接原注にされた【8】も含めて書き出してみた。

【27】(117、118、119、[119、]120)、【32】(124)、【33】(134)、【34】(137,138)、【27】(146)【8】(152)、【35】(153,154)、【36】(156)、【28】(172)、【37】(175)、【38】(180,181)

  しかしやはり抜粋ノートという性格からそれぞれの抜粋の直接的な関連を見いだすのは少し無理があるようである。とりあえず、ギルバトの著書からのものはこれぐらいにする。

◎『商業的窮境』『委員会からの報告』からの抜粋(【39】~【51】)

  次に『商業的窮境』1847年からの抜粋であるが、これも原注に採用されているものもある。今、それを書き出してみよう。括弧内は証言番号。

【22】(901、902、903、904、905、907、911、992)
【23】(4636、4637、4645)
【26】(3763)

  さて、この議会証言からの抜粋は確かに第7号から始まっているが、しかし番号は前後しており、一つにまとめられた抜粋のなかにも飛び飛びの証言番号から採用されたものもあり、どう考えても大谷氏が〈基本的にはじめの方からおわりの方へと順次進んでいった〉などとはいえないような気がする。しかし確かにそれぞれの問題意識にもとづいて関連する議会証言を取捨選択して集めているとはいえるが、それぞれのひとかたまりにされた抜粋同士の関連はどうかといわれると、それほどの関連は見られない。しかし貿易による手形信用に関連した抜粋が多く行なわれ、鉄道株の投機など、やはり1847年恐慌に関連して、その原因を解明していく上で必要なものを抜粋しているという感じがある。

◎『通貨理論論評、云々』からの抜粋(【52】)
◎ハバド『通貨とわが国』からの抜粋(【53】~【54】)

 これらの抜粋が、それまでの議会証言のあいだに挟まる形で置かれているので、同時に検討することにしたい。これらが、なぜ、それまでの議会証言の抜粋を一旦止めて、その間に挟まる形で抜粋されているのかは、だいたいの推測はできる。それまでの議会証言では、貿易による手形信用とそれらが投機に使われる様を抜粋しているが、そのなかで過剰取引や過剰信用が発生することが明らかにされている。
  そしてそれに関連する形で、イギリスの余剰の富の蓄積について言及している『通貨理論論評、云々』からの抜粋が続いているのである。これらの抜粋の最初に書かれている〈moneyed Capitalの蓄積とそれが利子率に及ぼす影響〉の表題は明らかに次のハバドの抜粋も含めたものと考えることができる。『通貨理論論評、云々』からの抜粋では、余剰の貨幣資本の蓄積によって利子率がほとんとあるかないかの状態まで下がってしまったことを指摘しており、ハバドの著書からは遊休資本の減少による利子率の上昇と過剰の通貨は預金の増加をもたらし、利子率を最低限まで引き下げるという二つの部分が抜粋されている。

◎『商業的窮境』の議会証言からの抜粋(【55】~【62】)

  この部分の議会証言は、明らかに1847年恐慌に至る過程を追ったもののように思われる。そして恐慌時には、イングランド銀行をはじめ金融業者たちが、その危機を利用していかにぼろ儲けを行うかを暴露するという意図も伺うことができるような気がする。

  いずれにしても、やはり抜粋ノートという性格は明らかであり、これ以上の詮索は不要であろう。ほとんど纏めらしい纏めにはならないが、これは事の性格上やむを得ないであろう。

  (以上で、大谷氏が〈第25章および第26章の冒頭部分の草稿,それとエンゲルス版との相違〉と題して紹介している草稿部分の解読は終わりである。)
 

2020年9月 3日 (木)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(25・26-17)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(続き)

 


  〔信用制度についての雑録〕(続き)

【55】

 /321/(2)【MEGA II/42,S.480.36-481.41】L 179) 1846-47年。飢饉の結果,食糧の大量輸入が必要となった。〔議会報告『商業的窮境』,1847-48年。第648号。〕①②(ⅰ)「……輸出にたいする輸入のきわめて大きな超過が生じました。……そのために銀行では著しい〔正貨〕流出が生じ,また,割引ブローカーやその他の関係者のもとには手形割引の申し込みが増加しました。ブローカーたちはそれまでよりも厳しく手形を吟味しはじめました。商社への信用供与の削減はきわめて深刻なものとなり,弱い商社は破産しはじめました。まったく信用に頼っていた商社は[481]つぶれました。これは,すでにその前から感じられていた恐慌状態〔Alarm〕を増大させました。銀行業者やその他の関係者は,自分の債務を果たすために自分の手形やその他の有価証券money securitiesを銀行券に換えることを,それまでと同じ程度の確実さであてにできなくなっていることに気づいて,自分の信用供与をさらにいっそう削減し,多くの場合それをまったく拒絶しました。多くの場合,自分自身の債務を支払うために,彼らは自分の銀行券をしまい込みました。彼らはそれらを手放すことを恐れていました。恐慌状態と混乱は日々大きくなっていましたので,ラッセルの書簡がなかったら一般的な破産が生じたでしょう。」(『商業的窮境』,1847-48年,74,75ページ。語っているのは,リヴァプールの東インド〔貿易〕商人,チャールズ・ターナである。)〔第730号。(ⅱ)「〕多くの商社が大きな資産をもっていましたが,しかしそれらは換金可能available〕ではありませんでした。彼らの資本は全部,モーリシャス島の地所やインディゴ工場や砂糖工場に固定されていたのです。50-60万ポンド・スターリングの負債を負ってしまうと,彼らは自分の手形を支払うための換金可能な資産をもっていませんでした。そして結局,彼らが自分の手形を支払うのに,まったく彼らの信用に頼っているのだということがわかりました。」(同前,81ページ。)

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S,252.37-253.17.)
  ②〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「諸事情のこのような結合は,この国の輸入が,商業的輸出が支払うことのできるどんなものも越えるほどに,きわめて大きく超過させました。……この正貨を求める需要は諸銀行での著しい流出を生じさせ,また,……」
  ③〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「もちろん恐慌状態と混乱は日々大きくなっていました。そして,ジョン・ラッセル卿と大蔵大臣がイングランド銀行への書簡を発行しなかったならば--彼らはこの書簡を結局発行したのですが--,一般的な破産がその結果だっただろうと思います。」
  ④〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.255.1-5.)

  179)〔E〕「1846-47年。飢饉の結果,食糧の大量輸入が必要となった。」→ 「次の抜書きはふたたび『商業的窮境』に関する議会報告,1847-48年,から採ってきたものである。--1846-47年の凶作と飢饉との結果,食糧の大量輸入が必要となった。」〉 (205-207頁)

  【これは〈議会報告『商業的窮境』,1847-48年〉からの抜粋であるが、最初の〈1846-47年。飢饉の結果,食糧の大量輸入が必要となった〉というのはマルクスによるこの抜粋につけられた表題であろう。1846-47年というのは1847年恐慌のパニックに至る時期であり、不作による飢饉が生じ、食料の大量輸入が必要になったということである。
 この間の飢饉の状況は川上忠雄著『1847年恐慌』(御茶の水書房2013年2月25日)に詳しい(同書48-58頁参照)。特にジャガイモの立ち枯れ病はアイルランドに深刻な飢饉をもたらしたという。同書には1846年12~47年4月の穀物及び穀粉輸入の増加を示す下記のような表が紹介されている(同書49頁)。            

  184612474

 こうした大量輸入が生じた原因について同書は次のように分析している。

 〈主要には、言うまでもなく、パン消費の増大。「大量の小麦輸入にも拘わらず連合王国の製粉工場が以前のどの時期にも見られない活動状態にある事実ほど、我が国で異常なまでに大量のパン消費が行われていることをよく証明するものはない。これは最近では疑いもなくある程度アイルランドの需要に帰せられる。しかしまた、イングランド全土を通じて小麦粉の需要が前例を見ないことも確かである。」
 それにもう一つ、労働力不足。8月収穫期が近づき、例年通り穫り入れのための出稼ぎがリヴァプールに殺到するのではと期待していた。ところが、例年通り来なかったのだ。驚くべき事態だった。飢饉のアイルランドで展開された公共事業が安い賃金にせよ労働力を吸収した。46年末には46万人に達していた。しかし、そればかりではない。大鉄道建設が王国全土の農村から27万人もの建設労働者を吸引していた。それで1846年秋には刈り入れ出稼ぎの不足から稔った麦が刈入れされないで畑に放置される例が広がったのであった。
 だが、供給不足は単に需要増に対して供給が立ち遅れたというにとどまらなかった。農業分野では実は大きな異変が生じていた。イギリスだけでなくヨーロッパ全土に収穫を壊滅させる深刻なジャガイモの病害が広がり、イギリスではジャガイモを主食としていたアイルランドを飢饉に陥れたのである。そしてこれこそ穀物大量輸入の決定的な要因となるのである。〉 (同書49-50頁)

 さて、今回のパラグラフは二つの抜粋からなっているが、次の【56】と【57】も今回のマルクスの表題に関連した抜粋と考えてよいであろう。とりあえず、二つの抜粋に(ⅰ)(ⅱ)の番号を打ってそれぞれを見て行くことにしよう。

  (ⅰ) これはリヴァプールの東インド貿易の商人、ターナーが1847年恐慌の状況を語っているもののようであるが、下線はマルクスによるものであり、マルクスが何に注目しているかをそれは示している。輸入超過が生じて、正貨(金貨)の流出が生じたという指摘に下線を引いている。そして割引ブローカー(これはビル・ブローカーのことであり、後に割引商会とも呼ばれる)やその他の関係者は、自分の債務を果すために自分の手形やその他の有価証券をイングランド銀行券に換えることが困難になっていることに気づき、信用供与をより慎重にし、つまり顧客から持ち込まれる手形を割り引く際に、慎重にそれらの手形を吟味しはじめ、多くの場合はまったく割引を拒絶したとある。そればかりか彼らは、自分自身の債務の支払いのために銀行券をしまい込んだとある。一般の商人たちが諸支払いに迫られて、支払手段が求められる時に、反対に銀行券は退蔵されてしまうわけである。ここでラッセルの書簡と言われているのは、時の大蔵大臣がイングランド銀行に対して、1844年の銀行条例の一時停止の書簡を送ったことを指しているが、この書簡が送られたという事実だけで、条例の停止を待つまでもなく、信用状態は回復し、破綻は免れたわけである。

  (ⅱ) では、多くの商社は資産は持ってはいたが、それらは植民地に投下されたもので、すぐに換金できるものではなく、結局、手形の支払い期日が来ても、支払いができず、彼らの手形は、まったく彼らの信用に頼っているものに過ぎないことが暴露されたと指摘されている。つまり彼らの植民地への投資もすべて信用でまかない、そこからあげられる利潤から返済される予定であったが、しかしそれには一定の期日が必要であり、それまでに信用が揺らげば、ただ破綻するしかないというわけである。】


【56】

 第1664号。(S.ガーニ,ロンドンのビル・ブローカー)(同前)(ⅰ)「現在〔」〕(1848年)〔「〕,取引は制限され,また貨幣は非常に過多a great superabundanceなっています。」第1763号(ⅱ)「私は,利子率がこんなに高くなったのは資本の不足のせいではなくて,恐慌状態{銀行券を入手することの困難}のせいだったと思います。」

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.259.25-26.)
  ②〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.260.2-4.)
  ③〔注解〕括弧でくくられたこのコメントはマルクスによるもの。〉 (207頁)

 【この抜粋は〈S.ガーニ,ロンドンのビル・ブローカー)〉という同じ人物の証言を取り上げているが、二つの抜粋からなっている。証言番号から考えると、この二つの証言は必ずしも関連した証言として抜粋されたとは言えないように思える。なぜなら、まず(ⅰ)の抜粋は、1847年恐慌後の1848年「現在」の状況を物語るものであるが、しかし(ⅱ)は1847年の恐慌当時の利子率の異常に高くなった理由についての証言だからである。だからこの二つの証言はそれぞれ切り離して検討することにしよう。

  まず(ⅰ)について、〈取引は制限され〉というのは、1847年の恐慌によって過剰生産が露呈して、1848年の今は沈滞期にあり、商業の取引も滞っているということである。そのために彼らの業務である手形の割引に対する需要も少なくなり、だから〈貨幣は非常に過多a great superabundanceなってい〉るわけである。つまり彼らが運用する貨幣資本(moneyed capital)が運用先を失い滞留しているということである。だからこのような状況では利子率も最低限に落ち込んでいるのである。

  (ⅱ) は、〈利子率がこんなに高くなったのは資本の不足のせいではなくて,恐慌状態のせいだったと思〉うというものである。そして〈恐慌状態〉のところに、マルクスは〈{銀行券を入手することの困難}〉という説明文を挿入している。そしてマルクスの下線部分を取り出すと〈利子率がこんなに高くなったのは資本の不足のせいではなくて……銀行券を入手することの困難だったせいだ〉ということになる。つまり利子率が異常に高くなったのは資本が不足していたからではなく(なぜなら資本はむしろ過剰だったのだから)、支払手段としての現金(銀行券)を入手することが困難だったからだ、というわけである。恐慌時には、誰もが支払手段の枯渇のために「鹿が清水を求めるように」、現金を求めるのであるが、しかしまさにその時に誰もが現金(銀行券や金)を手放そうとせず、反対に退蔵しようとするから、ますます利子率は高騰するわけである。もちろん、この背景には先にみた貿易収支の悪化による海外への金流出・イングランド銀行の金準備の減少と銀行券の発行制限、またそれによる信用の動揺という事態があるわけである。】


【57】

 〈〔第2675号。〕①183)(ⅰ)②③〔モリス〕1847年には,輸入された食糧の代価として,少なくとも900万ポンド・スターリングの金が(750万はイングランド銀行から,150万はその他の源泉から)輸出されました。〔」〕(同前,228ページ。)184){〔第3800号。〕⑤⑥(ⅱ)「1847年10月23日には,公債および運河・鉄道株はすでに114,752,225ポンド・スターリング減価していました。〔」〕(同前,312ページ。モリス,イングランド銀行総裁。)第3846号。(同じモリスがロード・ベンティンクに尋ねられる。)(ⅲ)「あなたは,債権やあらゆる種類の生産物に投下されていたすべての資産が同じように減価したということ,原綿も生糸も未加工羊毛も同じ低落価格で大陸に送られたということ,そして,砂糖やコーヒーや茶が強制売却で投げ売りされたということを,ご存知ではないのですか?--食糧の大量輸入の結果生じた地金流出に対抗するためには,国民がかなりの犠牲を払うこともやむをえませんでした。」第3848号(ⅳ)「そのような犠牲を払って金を取り戻そうとするよりも,イングランド銀行の金庫に眠っていた800万ポンド・スターリングに手をつける方がよかった,とは考えられませんか?--いや,そうは考えません。」このヒロイズムへの注釈。ディズレイリがW.コトン(イングランド銀行理事,前総裁)に尋ねる。第4356号ディズレイリ:(ⅴ)「1844年に銀行株主に支払われた〔配当〕率はどれだけでしたか?--その年には7%でした。〔」〕第4357号(ⅵ)〔「〕では,1847年の配当は?--9%です。〔」〕第4358号(ⅶ)〔「〕銀行は今年は株主に代わって所得税を支払うのですか?--そうです。〔」〕第4359号。⑪(ⅷ)〔「〕1844年にもそうしましたか?--185)そうしませんでした。〔」〕第4360号(ⅸ)〔「〕それならば,この〔銀行〕法は株主に非常に有利に作用したわけです〔ね?」〕第4361号(ⅹ)〔「〕結果は,この法が通過してから株主への配当は7%から9%に上がり,この法の前には株主が支払っていた所得税もいまでは銀行が支払うということですね?--まったくそのとおりです。」

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S,262.31-32.)
  ②〔異文〕「1846年10月31日,1000万」という書きかけが消されている。
  ③〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「その主な原因は第1に食糧のかつてない大きな輸入で,その支払いで大きな金額の地金の輸出が生じました。その規模は,イングランド銀行の金庫から約750万ポンド・スターリングと,その他の源泉から150万ポンド・スターリング以上で,合計900万ポンド・スターリングでした。」
  ④〔訂正〕「228ページ」--草稿では,「245ページ」と書かれている。〔これは,「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIでのモリスの証言からの抜粋で,当該箇所に記載されている報告ページ(MEGA IV/8,S.262.32)を書くべきところを,誤ってその次の抜粋箇所に記載されている報告ページ(MEGA IV/8,S.262.34)を書いてしまったために生じた誤記であった。〕
  ⑤〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.263.19-21)
  ⑥〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「第3800号。〔ベンティンク〕あなたは,この国の公債と運河および鉄道(株)は,10月23日にはすでに合計して114,752,225ポンド・スターリングの額まで減価していたことにお気づきですか?--〔モリス〕そう申し上げました。」
  ⑦〔注解〕この引用と次の「第3848号」からの引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.263.24-33.)
  ⑧〔注解〕このパラグラフのなかのこのあとの引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.264.9-16.)
  ⑨〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「〔ディズレイリ〕この年についてイングランド銀行が支払った配当はどれだけですか?--〔コトン〕この年について9%です。」
  ⑩〔訂正〕「第4358号」--草稿では,「第4359号」と書かれている。
  ⑪〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「〔ディズレイリ〕1844年にはそうしましたか?--〔コトン〕そうしませんでした。」

  183)〔E〕エンゲルス版では,この部分は引用符をはずして掲げられている。証言でモリスは,第2675号で挙げた数字を第3645号で「私はこう言いました」として繰り返して挙げているが,マルクスは前者から引用している。マルクスは「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIでは,証言第2675号がある228ページを正しく228ページと書いていたが,第1稿第5章のこの箇所に取り入れるとき,誤ってその次の抜粋につけられた245ページを書き写した(MEGAは,訂正注④に見られるように,草稿での245ページを正しく228ページに訂正している)。これらのページは報告そのもののページではなく,マルクスが抜粋に使用した大英博物館の綴込本の手書きページであった。旧インスティトゥート版では「204〔277〕ページ」となっているが,これは報告そのもののページで,「204ページ」が第2675号のあるページ,「277ページ」が第3645号のあるページである。MEW版が出典ページを「301ページ」としているのは,綴込本で第3645号のあるページであった。綴込本によるとしても,ここでは「301ページ」ではなくて,第2675号のある「225ページ」を取るべきところであった。
  184)〔E〕この括弧(草稿では角括弧)に対応する閉じ括弧は見あたらない。エンゲルス版ではここに,「イングランド銀行総裁モリス。--」とある。
  185)〔E〕エンゲルスはここに次のような脚注をつけている。--「すなわち,以前はまず配当が決定され,次に個々の株主に支払うときにその配当から所得税が引き去られた。ところが,1844年以後は,まず所得税がイングランド銀行の総利潤のうちから納付され,それから配当が「所得税免除」で分配されるようになった。だから,名目上のパーセンテージは同じでも,あとの方の場合には配当は税額だけ高くなっているわけである。--F.エンゲルス」〉 (207-209頁)

  【この抜粋も先のものと同様〈議会報告『商業的窮境』,1847-48年〉からの抜粋であり、1847年恐慌に関連したものである。このパラグラフそのものは10の抜粋からなっているが、その間にマルクスの若干の文言が挟まっている。引用に番号を付して検討して行こう。

  まず(ⅰ)は1847年恐慌時に、飢饉による穀物輸入のために流出した金地金は、合計900万ポンド(750万ポンドはイングランド銀行から、150万ポンドはその他の源泉から)に上ったことが指摘されている。同じJ.モリスの証言を川上忠雄が前掲書で紹介しているので、それを重引しておこう。

 〈第12号。4月に起こった逼迫と同年秋に起こった苦難に対する1844年法の効果について、あなたの意見を述べられましたが、あなたの意見でそれら二つの時期の貨幣市場の状態と商取引への圧迫に影響したとみられる他の諸原因について述べてください。--収穫不足によって惹起された前例のない大量の食糧輸入が、その支払いにイングランド銀行の金庫から約750万ポンド、そして他の源泉から多分150万ポンド以上、全部で900万ポンドもの大量の金輸出を要求しました。鉄道支出に投ぜられたいっそう巨大な金額に加えての、これまでの高度の信用状態と過度の投機に突如影響を与える、国内からの利用可能な資本のこの大量引き揚げによって、貨幣市場の逼迫が生じました。バンクが保持する金から750万ポンドの引き出しがあり、その結果それだけの銀行券の減少が起こりました。私は流通している金から150万ポンド流出したと推定します。それはもっと多かったかも、あるいはもっと少なかったかもしれません。しかし、1847年中の食糧の購入で約900万ポンドが流出したと推定します。〉 (前掲95頁)

  (ii) 1847年10月23日には公債・運河・鉄道株は1億15百万ポンドも減価していた事実が指摘されている。こうした架空な貨幣資本の極端な減価は恐慌時の一つの特徴である。これはイングランド銀行総裁のモリスが答えている。1847年10月17~23日というのは「恐怖の一週間」と言われ、それは貨幣恐慌のクライマックスであったと川上前掲書は指摘し、次のように書いている。

 〈信用関係の中枢ロンドン貨幣市場は、完全にその機能をマヒし、崩壊し去った。海外への金流出、すなわち世界貨幣としての金の機能が強制した貨幣市場の規制は、ここに貨幣市場の崩壊をもって完成されたわけである。その過程で限度を超えた信用創造によって演出されていた架空の資金形成は暴露され、資金の豊富の見せかけは消失した。〉 (143頁)

  このような地に落ちた架空資本を買いあさって、それがやがては資本価値を持ち直すことを見越して、貨幣資本家たちはぼろ儲けをしたわけである。

  (ⅲ) では、質問者(ペンディング)は、債権だけではなく、あらゆる種類の生産物に投下されていた資産が減価したこと、また原綿も生糸も未加工羊毛も低価格で大陸に送られたこと(ここで「大陸」とあるのはヨーロッパ諸国を指す。特に経済的にはベルギーとフランスが重要であり、北欧諸国などにも送られた)、そして砂糖やコーヒーや茶が強制売却で投げ売りされたという事実を指摘し、それを知らないのか、と質問している。それに対してモリスは地金流出に対抗するためには、国民がかなりの犠牲を払うのはやむをえなかったなどと答えているわけである。つまり自分たちの地金流出を防ぐために国民に犠牲を強いたことを公然と認めているわけである。

  (ⅳ) それに対して質問者(ペンディング)は、そんな犠牲を払うより、イングランド銀行の金庫に眠っている800万の地金に手を着けるべきではなかったのか、と迫っているが、モリスは「いや、そうは考えません」と答えている。

  (ⅴ)(ⅵ) 〈このヒロイズムへの注釈。ディズレイリがW.コトン(イングランド銀行理事,前総裁)に尋ねる。〉はマルクスによるものである。つまり上記のモリスの立場をマルクスは「ヒロイズム(英雄主義)」と皮肉っているのであるが、そのヒロイズムの背後に隠されているものを暴露するという意味で、〈注釈〉としているのである。そしてイングランド銀行理事コトンへのディズレイリの質問とそれに対する回答が紹介されている。つまりそのように国民に犠牲が強いられているときのイングランド銀行の株主への配当は、1844年(つまり好景気中)は7%だったのに、1847年の恐慌時には何と9%に昇っている事実を指摘している。つまり彼らは国民の犠牲はやむをえなかったかにいいながら、その実、自分たちはそれを横目に、それを利用して大儲けしていたということである。国民に等しく犠牲を強いることがやむを得ないというなら、イングランド銀行やその株主も等しく犠牲にあまんじるべきなのに、彼らは自分たちだけは別だと考えていたことを暴露しているわけである。

  (ⅶ)(ⅷ) は、さらに所得税を1947年の恐慌時には、銀行は株主に代わって支払ったという事実を指摘している。1844年にはそうしなかったにも関わらずである。つまりそれだけイングランド銀行は大儲けしていたということである。

  (ⅸ)(ⅹ) はそうした恐慌時に大儲けしたイングランド銀行に対して、ということは1844年の銀行法はイングランド銀行に対して非常に有利に作用したということか、結果は、この法が成立してから株主への配当が7%から9%に上がり、この法の前には株主が払っていた所得税までもいまでは銀行が支払うことになっているではないか、と質問しているのに対して、「まったくそのとおりです」とイングランド銀行理事コトンは答えている。
  つまり1844年のピールの銀行条例は、恐慌を防ぐと公言されて導入されたが、結果は、むしろ恐慌時の危機をより深めるように作用したのであり、そればかりか恐慌時にイングランド銀行がその危機を利用して大儲けすることを可能にしたのだということである。】


【58】

 [482]/321/(3)【MEGA II/4.2,S.482.1-81】①186)銀行業者による退蔵〔Hoarding〕。第4605号。(ピーズ氏。)「イングランド銀行が利子率をさらに引き上げざるをえなくなったので,だれもが不安になっているようでした。地方銀行業者は〔」〕(1847年に)〔「〕手持ちの地金の額を増やし,また彼らの〔イングランド〕銀行券の額を増やしました。そして,平素はおそらく数百万ポンド・スターリングの金および銀行券を手持ちしているのを常としていた私たちの多くが,たちまち数千万ポンド・スターリングを金庫や引出しのなかにしまい込みました。というのは,割引についても,われわれの手形が市場で流通できるかどうかについても,不安が広がっていたからで,これに続いて一般的な退蔵が起こったのです。〔」〕

  ①〔異文〕「銀行業者による退蔵。」--書き加えられている。
  ②〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.264.31-265.4,)
  ③〔注解〕パーレンでくくられたこのコメントはマルクスによるもの。

  186)〔E〕「銀行業者による退蔵Hoarding durch d.Bankers〕。」→ 「1847年の恐慌中の諸銀行の貨幣蓄蔵について,地方銀行業者のピーズ氏は言う。」〉 (209-210頁)

  【これも〈議会報告『商業的窮境』,1847-48年〉からの抜粋である。最初にマルクスによる〈銀行業者による退蔵〉という表題が付けられている。
  1847年の恐慌時には金地金の流出もあり、イングランド銀行は利子率をさらに引き上げざるを得なくなり、信用不安が生じ、地方の銀行業者たちは平時は数百万ポンドの準備(地金および銀行券)であったものを、恐慌時には、数千万ポンドを金庫や引き出しのなかにため込んだことが指摘されている(テキストでは〈数千ポンド・スターリング〉となっているが、恐らく〈数千ポンド・スターリング〉の誤植であろう。テキストでは訂正したものを掲載した)。それは信用が不安定になって割引についても不安が広がり、地方銀行業者が発行する手形が市場で受け入れられるか不安が広がっていたからだというのである。そしてこれに続いて一般的な退蔵が起こったと指摘している。つまり恐慌によって信用が収縮・崩壊するなかで、誰もが支払手段としての現金の必要を感じ、それを退蔵したということである。】


【59】

 /321/(4)【MEGA II/42,S.482.8-10】第4691号①189)「〔ケイリ〕それでは,12年このかた,その原因がなんであったにせよ,結果は,生産的階級一般にとってよりも,むしろユダヤ人や貨幣取扱業者にとって有利だったのです〔ね?〕」

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.265.13-15,)〉 (210頁)

 【この抜粋は、上記のものと関連したものであろう。つまり恐慌時に一般的退蔵が生じたという事実から、結局、1812年このかた、生産的階級一般(機能資本家階級)にとってよりも、ユダヤ人(これは金融取引をもっぱらとすると当時は考えられていた)や貨幣取扱業者(貨幣資本家階級)にとって有利だったのですね、というケイリの質問である。
  この質問が退蔵とどのように関連しているのか今一つ不明であるが、【57】パラグラフの後半で恐慌時にイングランド銀行が生産的階級一般が犠牲を払っていることをよいことに、むしろ大儲けしていたことを暴露していたが、ユダヤ人(先に紹介したマーチャント・バンカーの中にはロスチャイルド商会などユダヤ系の資本がある)や貨幣取扱業者がそうした恐慌時を利用して儲けたということであろうか。】


【60】

 /321/(5)【MEGA II/4.2.S.482.11-12】資本の価値第4777号「〔ウィルスン〕資本の価値について言えば,それは信用欠乏discreditの問題であって,〔資本の〕不足scarcityの問題ではないでしょう〔?〕」

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.265.24-25.)〉 (210-211頁)

 【この抜粋には、マルクスによる〈資本の価値〉という表題が付けられているが、いま一つ意図がよく分からない。〈〔ウィルスン〉は大谷氏が補足して付け加えたものだが、恐らく〈議会報告『商業的窮境』,1847-48年〉のなかで委員として出席したウィルソンの質問と思われる。しかし議会報告の現物を見ないと、その前後の関係が分からず、誰に対する質問なのか、それに対する回答は何なのかも知ることはできない。
  〈〔資本の〕不足scarcity〉の〈〔資本の〉も、最後の〈〔?〕〉マークも大谷氏による補足であるが、大谷氏も「資本の」と補足したが、自信がないので最後に「?」マークをつけたように思われる。
  いずれにせよ、とにかく大谷氏の補足を信じて、これがウィルスンの質問と考えて検討してみよう。ウィルソンが「資本」をどのように捉えているかは、このテキストの最後【64】パラグラフで紹介されているので、それを先取りする形になるが、見てみることにしよう。そこにはウィルソンが発行していた『エコノミスト』からの抜粋として次のようなものがある。

  〈「鋳貨または貨幣のうちで,公衆の手のなかにあって,商品の交換を成し遂げることに充用されている部分だけが通貨Circulation〕の名に値いすることは明らかであり,それにたいして,銀行業者または商人の手のなかに眠っていて,有利な投資の機会を求めているすべての鋳貨または地金資本である。〉

  これを見る限り、ウィルソンが「資本」と言っているものは、ほぼ利子生み資本(monied capital)のことである。こういう意味での〈資本の価値〉というのは、だから利子生み資本の「価値」、すなわち「利子率」のことである。だから上記のウィルソンの主張を言いなおすと、「利子率についていえば、それは信用が欠乏しているという問題であって、資本が不足しているという問題ではないでしょう。」ということになる。大谷氏は〈〔資本の〕不足scarcityの問題ではないでしょう〔?〕〉と〈〔資本の〉と補足しているが、これは恐らく【56】パラグラフの抜粋のなかでロンドンのビル・ブローカーのS.ガーニが〈私は,利子率がこんなに高くなったのは資本の不足のせいではなくて,恐慌状態{銀行券を入手することの困難}のせいだったと思います。」〉と答えていることを参考にしたのだと思われる。しかしいずれにせよ、これだけではなかなか確かなことはいい難いのではあるが。】


【61】

 /321/(6)【MEGA II/4.2,S.482.13-19】信用の容易さ(貨幣の豊富さ)。第4886号。(ガードナ,マンチェスターの紡績業者,製造業者,そして商人。)「窮境は,第1に,貨幣の豊富さ,あるいはむしろ信頼の豊富さから,またわれわれが非常に容易に割引させることができたということから生じたものと考えます。支払期限まで6か月ないし8か月あったほとんどどんな種類の手形でも,非常に容易に3%および3[1/2]%で割り引かれることができました。そして以前の経験のすべてが,いつの場合であろうと,それが逆の結果を生みだすことを証明してきました。」第5080号生産〔」〕(製造業の)〔「〕は1847年には3分の1だけ減少しました。」

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S,266.28-34.)
  ②〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.267.7.)〉 (211頁)

  【今回の抜粋にも、マルクスによる〈信用の容易さ(貨幣の豊富さ)〉という表題があるが、これは恐慌を準備したのは、信用の容易さ、そのために貨幣が豊富であったからだとガードナが答えている内容を要約したものである。このガードナというのはマンチェスターの紡績業者であり、製造業者であり、商人でもあったとある。とにかく手形が容易に3%か3.5%で割り引いて現金に換えることが可能だったが、しかしそうしたことが、いつの場合も、逆の結果を生み出すことを証明してきたと述べている。逆の結果というのは、そうした信用の膨張が、やがては破綻を招き、恐慌に陥って、反対に貨幣逼迫を引き起こして、利子率の高騰を招いたのだということであろうか。そしてその結果、1847年の恐慌時には製造業の生産は3分の1だけ減少したと答えている。】


【62】

 /321/(7)【MEGA II/4.2,S.482.20-24】192)逼迫期に貨幣取扱業者がどんなにはげしく暴れまわるかについて,トゥクは次のように言っている。第5451号①②③1847年に「ウォーリックシャやスタッフォードシャの金属製品業では,非常に多くの商品注文が断わられましたが,その理由は,製造業者が自分の手形の割引のために支払わなければならなかった利子率が彼の全利潤を呑み込んでしまうよりも高かったからです。」

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S,270.34-37.)
  ②〔注解〕40年代半ばに不作が生じたのち,イギリスの食糧輸入は増大し,イングランド銀行からの金流出が始まった。1847年4月には貨幣市場でのパニックが生じた。同時に,穀物市場の充溢が貨幣と信用とへの大きな需要を引き起こした。1847年〔MEGAは1846年と誤記〕10月には恐慌は頂点に達した。1844年のピール銀行法の停止によってイングランド銀行は行動のための新たな余地を得たので,恐慌の本来の原因である過剰生産は残されたままだったが,貨幣恐慌は急速に克服されることができた。
  ③〔異文〕「1847年に」--書き加えられている。

  192)〔E〕この文の原文は次のとおりである。Wie sehr in Zeiten of pressure d,money dealer wüthet:Tooke spricht:エンゲルス版では次のようになっている。「貨幣取扱業者が恐慌期をどんなにはなはだしく利用するかについて,トゥクは次のように言っている。〔Wie sehr der Geldhändler eine Zeit der Krisis ausbeutet,sagt Tooke aus:)」〉 (211-212頁)

 【これもこれまでと同様、〈議会報告『商業的窮境』,1847-48年〉からの抜粋であるが最初にマルクスによって〈逼迫期に貨幣取扱業者がどんなにはげしく暴れまわるかについて,トゥクは次のように言っている〉という書き出しがある。訳者注192)によれば、これをエンゲルスが〈貨幣取扱業者が恐慌期をどんなにはなはだしく利用するかについて,トゥクは次のように言っている〉と書き換えたのであるが、エンゲルスの書き換えの方が意味がよくわかるといえばいえる。
  金属製品業では、1847年に、非常に多くの商品注文が断られたが、それは製造業者が自分の手形を割り引くために支払わねばならない利子率が全利潤を呑み込むほど高かったからだというものである。つまり恐慌時には、それを利用する貨幣取扱業者たちによって、利子率は引き上げられために、製造業者たちが彼らの運営資金を調達しようとしても、彼らがその事業で上げる利潤よりも、支払う利子の方が高くなるほど利子率が高かった為に、結局、製造を開始することができないので、商品の注文が来ても断ったということである。それだけ貨幣取扱業者たちはあくどく儲け、寄生的であったということであろう。これは【57】パラグラフの、イングランド銀行が恐慌時にはピール条例をむしろ自分たちがぼろ儲けすることに利用したという指摘や、【69】パラグラフで、寄生的なユダヤ人や貨幣取扱業者たちにとっては恐慌はむしろ有利だったという指摘と共通した問題意識から、マルクスは抜粋していると思われる。】

  (続く)

2020年8月26日 (水)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(25・26-16)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(続き)

 


  〔信用制度についての雑録〕 (続き)


【49】

 /320/(4)【MEGAII/4.2,S.478.25-479.28】173)東インド市場(および中国市場)での大過剰取引Haupt Overtrading〕(1847年)。

  173)〔E〕「東インド市場(および中国市場)での大過剰取引(1847年)〔Hauptovertrading(1847)im Ostindischen Markt(u,im Chinesischen)〕」→ 「1847年の東インド・中国市場での眩惑〔Schwindel im ostindisch-chinesischen Markt 1847〕」〉 (199頁)

 【これはマルクスによって付けられた表題であり、一つのパラグラフになっているが、以下のパラグラフに直接繋がっているものと考えるべきであろう(エンゲルス版では改行されずに次のパラグラフに続いている)。
 ここでのテーマは1847年の東インド市場(および中国市場)での大過剰取引ということであり、これはすでに【20】パラグラフでも指摘されていたことでもある。この表題は次の【50】と【51】の両パラグラフに付けられたものと考えることができる。】


【50】

 〈①チャールズ・ターナ(175)リヴァプールで東インド貿易にたずさわる商人)。モーリシャス貿易やそれと同種の貿易に関して起こった出来事を,私たちはみな知っています。ブローカーたちは,商品の到着後に,この商品を引き当てに振り出されていた手形の支払いのために,この商品を引き当てに前貸をする,というまったく正当なことや船荷証券担保の前貸の習慣をもっていただけではなくて,……彼らは生産物が船積みされる前に,また場合によってはそれが製造される前にさえ,それを引き当てにして前貸をしました。たとえば,私はある特殊な場合にカルカッタで6000-7000ポンド・スターリングの手形を買ったことがあります。この手形の代金は,甘蔗の栽培に役立てるためにモーリシャス島に送られました。手形はイギリスに来ましたが,その半分以上が不渡りとなりました。というのは,砂糖の積荷が,目の前に現われたとき,それはこれらの手形を支払うものとみなされるどころか,それが船積みされる前から,実際にはおそらく煮つめられる前から,それ以前の債務を支払うために第三者への担保とされていたのだったからです。」(同前〔報告『商業的窮境』,1847年〕,78ページ。〔第677号。〕)

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.254.1-32.)
  ②〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「過剰取引について申しますと,疑いもなく,膨大な過剰取引がありました。このことは,いまなお,事柄をさらにややこしいものにしてきました。もちろん,モーリシャス貿易やそれと同種の貿易に関して起こった出来事を,私たちはみな知っています。ブローカーたちは,商品の到着後に,この商品を引き当てに振り出されていた手形の支払いのために,この商品を引き当てに前貸をする,という,まったく正当なことや,ある程度までは行なわれた船荷証券担保の前貸の習慣をもっていただけではなく,彼らはこうしたことを越えて,完全に違法なことをやりました。彼らは生産物が船積みされる前に,また場合によってはそれが製造される前にさえ,それを引き当てにして前貸をしました。そこで,私自身の個人的な例を申し上げてみましょう。たとえば,私はある特殊な場合にカルカッタで6000-7000ポンド・スターリングの手形を買ったことがあります。……」〉 (200-201頁)

 【なかなか商業の実務に精通していないと、わかりにくい文章ではあるが、こまかく見ていくことにしよう。
 まず〈ブローカーたちは,商品の到着後に,この商品を引き当てに振り出されていた手形の支払いのために,この商品を引き当てに前貸をする,というまったく正当なことや船荷証券担保の前貸の習慣をもっていただけではなくて,……彼らは生産物が船積みされる前に,また場合によってはそれが製造される前にさえ,それを引き当てにして前貸をしました〉という部分について、生産物のブローカーたちが、商品が到着したあと、その商品を引き当てに振り出されていた手形というのは、植民地の商品の輸出業者がイギリスの輸入業者に宛てて振り出した為替手形のことであろう。その満期が来たので、その支払いを輸入業者が迫られているが、その代金を輸入した商品を担保にブローカーたちが前貸しするということであろう。それはまったく正当なことだとしている。
  次に実際の商品がまだ到着していないのだが、しかしインドで商品が船積みされた段階でも、その船荷証券を輸入業者が持参すれば、それを担保に前貸しする習慣もあったということである。
  さらには生産物がインドで船積みされる前でも、あるいはそれがインドで製造される前でも、それを引き当てにして前貸ししたということである。これなどはまったく過剰取引の典型であろう。
 以下、チャールズ・ターナー(東インドの貿易商)は具体的な例を挙げているが、これがなかなかわかりにくい。彼はインドのある特殊な場合に、カルカッタで6000-7000ポンドの手形を買ったとしているが、彼が買った手形というのは、砂糖の取引に関連して振り出されたもののようである。その手形を売った業者はその代金を甘蔗の栽培に役立たせるためにモーリシャス島(アフリカのマダガスカル島の東約900kmに位置する島)に送ったとされている。つまりその手形は砂糖の製造資金の一部を得るために発行されたものである。だからこれはその前に彼が言っていた〈それが製造される前にさえ,それを引き当てにして前貸をしました〉というケースに該当するのであろう。その手形は砂糖を製造するための資金を得るために振り出されたものである。つまりインドの砂糖製造業者がまだ製造されてもいない砂糖を、それが将来製造されれば販売するという契約を結び(稲の収穫前に、その田の収穫量を見越して先買いする「青田買い」を思い浮かべればよい)、その販売代金として、イギリスの輸入業者に宛てて砂糖の製造業者が振り出した為替手形である。そして砂糖の製造業者は、その手形を売りに出して、その売り上げ代金を、砂糖を製造するための甘蔗栽培に役立てるためにモーリシャス島に送ったわけである。しかし製造された砂糖そのものはすでに何らかの別の債務を支払うために、第三者の担保になっていたために、砂糖の積荷がイギリスに来た時には、すでにその手形の半分以上は不渡りになっていたというのである。その手形は引受人であるイギリスの輸入業者が輸入した砂糖を販売した代金で支払われるべきものだったわけである。】


【51】

 〔第687号。〕(ⅰ)「現在は,東インド市場向けの商品の代金は製造業者に現金で支払われなければなりませんが,それはたいしたことではありません。というのは,買い手がロンドンでいくらかなりと信用をもっていれば,彼は商社あてに[479]手形を振り出して,それを割引させるからです。彼は,いまは割引率の低いロンドンに行き,その手形を割引させて,製造業者に現金で支払うわけです。……〔」第688号。(ⅱ)「〕出荷人がインドからの回収金を入手できるまでには,少なくとも12か月はかかります……〔ね?--〕10,000ポンド・スターリングか15,000ポンド・スターリングしかもっていないある人がインド貿易に参加するとしましょう。彼はロンドンのある商社のもとに,この商社に1%を支払うという条件で,かなりの金額の信用を開設するでしょう。そして彼は,送られた商品の代金はこのロンドンの商社あてに送り返されるという了解のもとに,このロンドンの商社あてに手形を振り出すでしょう。しかし,そのさい両当事者はロンドンの彼が現金で前貸をする必要がないこと,すなわち,代金が返ってくるまでは手形が書き換えられることを,完全に了解しているのです。〔」第689号(ⅲ)「〕これらの手形はリヴァプールやマンチェスターやロンドンで割引されましたが,そのうちの多くがスコットランドの諸銀行の手にあります,云々。〔」〕(78ページ。)第786号(ⅳ)「先日ロンドンで破産した商社があります。のちの業務検査のさいに次のようなことが発見されました。マンチェスターに一つの商社があり,カルカッタにもう一つの商社があります。この両者がロンドンのある商社のもとに20万ポンド・スターリングの信用勘定を開設しました。すなわち,このマンチェスターの商社の取引先が,東インドの商社〔つまり上のカルカッタの商社〕にグラスゴウやマンチェスターから商品を委託販売で送り,ロンドンの商社あてに20万ポンド・スターリングまでは手形を振り出すことができる力をもつことになりました。同時に,カルカッタの商社の方もロンドンの商社あてに20万ポンド・スターリングまで手形を振り出すという了解がありました。これらの手形がカルカッタで売られ,その受取代金で他の手形が買われ,それがロンドンの商社に送られて,グラスゴウから振り出された最初の手形を支払うことになっていました。こうして,この取引によって60万ポンド・スターリングの手形が創造された〔ところだった〕のです。」第971号〔の質問から〕。(ⅴ)「いまは,カルカッタの商社が船荷を買って,ロンドンの取引先あてに振り出したその商社自身の手形でその代価を支払い,そしてその船荷証券をわが国に送りますが,〔こうした船荷証券は,6週間以内に当地に到着するのに,商社自身の手形は彼らの取引先に10か月の期間で振り出されます。〕送られてきたこうした船荷証券はすぐに商社にとってロンバード・ストリートで前貸を受けるために利用できるものになります。こうしてこの商社は,彼らの取引先が支払いを求められるよりも前に,8か月のあいだ貨幣を使用することができるわけです。」|

  ①〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「〔トンプスン〕いま東インド市場向けに買われた商品は,信用で買われたのですか,それとも現金支払いですか?--〔ターナ〕いま製造業者は現金を要求していますが,それはそれほど多い額ではありません。というのは……」
  ②〔注解〕『第1次報告』の原文では次のように書かれている。--「〔トンプスン〕商品の出荷人がインドからの回収金を入手するには少なくとも6か月はかかりますね。インドへの商品の出荷人は,ロンドンの商社あてに,どれだけの期日の手形を振り出すのですか?--〔ターナ〕取引にはいっていくだけの資本をもたない人びとに便宜を与えたことで,ロンドンの商社によって与えられた信用による甚大な損害が生じました。こんなたぐいの取引が行なわれたのです。つまり,10,000ポンド・スターリングか15,000ポンド・スターリングしかもっていないある人がインド貿易に参加するとしましょう。……」
  ③〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「〔ターナ〕……すなわち,言い換えれば,代金が返ってくるまでは手形が書き替えられることを,完全に了解しているのです。第689号。〔トンプスン〕それらの手形は,取引が始められたリヴァプールやマンチェスターやロンドンで割引されたのですね?--〔ターナ〕あるいはロンドンでです。それらのうちの多くがスコットランドでです。それらのうちの多くがスコットランドの諸銀行の手にあって,けっして出てきません。」
  ④〔訂正〕「第786号」--草稿では,「第780号」と書かれている。
  ⑤〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.255.6-16.)
  ⑥〔注解〕『第1次報告』ではここに次のように書かれている。--「この全体は実行されなかったのですが,こういう取り決めだったのです。」
  ⑦〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.256.25-32.)
  ⑧〔注解〕「ロンバード・ストリート」--本書本巻177ページの注解注⑤を見よ。〉 (201-202頁)

 【ここで紹介されている一文については、まったくそのままではないが、藤川昌弘氏もとりあげて分析しているので、まずその一文を紹介しておこう(鈴木鴻一郎編『恐慌史研究』日本評論社1973年所収)。
  藤川氏は先に紹介したアメリカからの綿花の輸入のケースの信用取引を論じたあと、東アジア市場への綿製品の輸出について次のように論じている。長くなるが全文紹介する。

 〈つぎに綿製品の輸出について。棉花輸入のばあいよりもさらに多様な取引方法が混在していたが、ここでは、40年代に入って重要性を増したアジア市場--とくに長期信用で有名な東インド市場への輸出取引をとりあげることにする。
  リヴァプールの東インド商C・ターナー(H・C) 「687号、〔48年〕現在、購入されるインド市場むけの商品は、信用で買われるのですか、それとも現金で買われるのですか?--いまでは製造業者達は現金支払いに固執していますが、それは大して困難ではありません。というのは買手がロンドンに多少とも信用を有していれば、かれはその商会あてに手形を振り出し、割引かせることができるからです。」「688号、……ある人が〔わずか〕1万ないし1万5千ポンドをもって、インド貿易をはじめます。かれは1%を支払ってロンドンの商会に相当な額の信用を開くのです。そして送り出した商品の代金がロンドンの商会に返送されるという了解のもとに、その商会あてに手形を振りだすわけですが、後者が現金前貸をするには及ばないということは、双方ともにじゅうぶん了解ずみです。いいかえれば、代金がこちらに到着するまでは、手形は書き換えられることになっています。」「786号、……マンチェスターに一つの商会とカルカッタにもう一つの商会があって、かれらは20万ポンドにおよぶ信用勘定を、ロンドンの商会に開きました。いいかえれば、この〔ロンドンの〕商会のマンチェスターの友人は、グラスゴーやマンチェスターから商品を東インド商会に委託して、ロンドンの商会あてに20万ポンドまで手形を振り出す権利を持っていたのです。同時に、カルカッタの商会も、ロンドンの商会あてに20万ポンドまで手形を振り出すことができるという了解がありました。この手形をカルカッタで売った代金で、かれらは他の手形を買い、それをロンドンの〔東インド〕商会に送って、グラスゴーから振りだされた最初の手形にけりをつけることができたのです。このすべてが実行されたのではありませんが、そういう協定があったのです。そこでこの協定が完全に実行されたとすれば、この取引によって60万ポンドの手形が創出されるわけです。」
  ターナー687-8号で触れられているのは、綿工場主(E)-ランカシャーの綿製品商(F)…ロンドンのマーチャント・バンカー(G)-東インドの輸入商(H)という系列であって、そこでは第1に、E-F間の支払いがEのFにたいする手形の振り出しによって行なわれる。期限は一般に3ヵ月であったが、小規模な工場主のばあいには2ヵ月手形も振り出されたことが知られている。いうまでもなくこの手形は、棉花取引における第4の支払いに接続するものであった。(この〈第4の支払い〉というのは、前回紹介したアメリカからの原料である棉花の輸入取り引きにおいて、棉花ブローカーから棉花を購入したランカシャーの工場主(E)の支払いのことであり、その場合は〈綿工場主たちの支払いは、かれらが綿製品の販売によって入手した手形または現金によって行なわれるが、ウィリー1968号にみえるように、手形支払いのケースが一般的だったと考えてよい〉とされていたものである。--引用者)
 第2にF-H間の支払いは、FのGにたいする手形の振り出しによって行なわれる。期限は6ヵ月であったから製品の輸送や販売の期間よりも短かったが、一般に書き換えられる慣行にあったばかりでなく、それが数度に及ぶ過程でE-F間の支払いをも直接に媒介しうるケースがしばしば発生していた。(これはマーチャント・バンカー(G)が製造業者との取り引きをも直接媒介したということであろうか?--引用者)この手形(マーチャント・バンカー(G)が引き受け人になっている手形--引用者)が、棉花輸入のさいのブローカーあて手形(棉花の輸入のときは〈当時の棉花輸入は、自己の採算によって買付けを行なうリヴァプール輸入商のイニシァティブのもとにあり〉〈C(リヴァプールの輸入商)からD(棉花ブローカー)あてに手形が振り出される関係が一般化していた〉との指摘があったから、輸入商によってブローカー宛てに振り出さた手形のことであろう。--引用者)と対応するような重要な位置を占め、銀行信用の手厚い支持を受けていたことは容易に推測されよう。それらは、まずマンチェスターやリヴァプールのような振り出し地の諸銀行で割引を受け、ついで一般にはロンドンや、これにたいする好意的な取扱いの顕著なスコットランド地方に出回っていた。イングランド銀行自身も、割引を95日以内の手形に限るという通常の方式のもとですら、「こうした長期手形を預託して同行から3ヵ月の貸付をうけ、この期間の終了時点において、それらが同行の割引ルールに適合するまでのあいだ再預託する」というかたちを通して、積極的な支持を与えていたのである。
 以上の取引の決済は、第3に、Hが東インドにおける綿製品の販売後に、Gへの送金を行なうことによって完了する。ここでのGのHにたいする授信が、FからGへの手形の振り出しによって確保されていたとすれば、それが、HからGへの手形の振り出しによってさらに独立した形式をとるケースがあったのも、不思議ではない。
 綿工場主(E)-マンチェスターの綿製品商(F)-ロンドンの東インド貿易商(I)…ロンドンのマーチャント・バンカー(G)-東インドの輸入商(H)という系列を扱った786号がそれであって、ここではGがFおよびHにたいして、当該取引の価額に限定されることなく一定額までの手形の振り出しを引受けるいわゆる「信用勘定」を開設するというかたちで、より大規模な授信が展開されるのであった。いずれのばあいにも、Gの与える長期の信用が輸出取引の重要な一環をなしていたのであって、この点は、輸出を担当するロンドンの東インド貿易商と手形を引受けるマーチャント・バンカーが同一の商会であるばあいにも、また中間商人なしに工場主がこの種の商会にあてて直接手形を振り出すばあいにも、まったく変りはなかったといってよい。〉(同書211-212頁)

  さて、上記の藤川氏の分析を頭に入れながら、マルクスの抜粋文を検討しよう。いうまでもなく、今回のパラグラフも先のパラグラフと同様、〈東インド市場(および中国市場)での大過剰取引Haupt Overtrading〕(1847年)〉に関連したものである。5つの引用で構成されているが、それぞれに(ⅰ)~(ⅴ)の番号を付して検討することにしよう。

  まず藤川氏によれば、(ⅰ)~(ⅲ)の抜粋文で述べられていることは、〈綿工場主(E)-ランカシャーの綿製品商(F)…ロンドンのマーチャント・バンカー(G)-東インドの輸入商(H)という系列〉の取引だということである。だから証言のなかで〈ロンドンでいくらかなりと信用をもっていれば,彼は商社あてに手形を振り出して〉という場合のロンドンの〈商社〉や、そのあとに出てくる〈ロンドンのある商社〉とか〈このロンドンの商社〉と言われているのは、〈ロンドンのマーチャント・バンカー(G)〉だということである。
 「マーチャント・バンク」について、『世界大百科辞典』の説明を見ると、次のようになっている。

 〈貿易手形の引受業務と海外証券の発行業務を中心にロンドンの長・短金融市場で活躍する金融業者。マーチャント・バンカーmerchant bankerともいう。19世紀初頭,ナポレオン戦争の終結とイギリス産業革命の進展を背景に,ロンドンが国際金融の中心となろうとするころ,有力な貿易商人であるヨーロッパ大陸(とくにドイツ)の富豪たちが来住し,その資力と名声をもとに上記の金融業務を開始したことに起源をもつ。彼らは,まず,手形引受商社acceptance houseとして貿易商人のためにロンドンあて為替手形の引受け(したがって支払保証)を行ったが,国際的に信用のあるマーチャント・バンクが引き受けた手形は優良な銀行手形(イングランド銀行再割引適格手形)とされ,割引市場で容易に資金を入手しうることとなったから,彼らの引受業務はイギリス短期金融市場の発達を支え,貿易金融を円滑にして世界貿易の拡大に貢献した。〉

 だから大谷氏の翻訳では、〈商社〉となっているが、その言葉の印象からくる商業資本という意味での商社ではなく、そうした商業資本としての商社の発行した手形を引受る(支払保証をする)金融業者だということである。だから、そのあとの(ⅳ)や(ⅴ)で出てくるマンチェスターの商社やカルカッタの商社というのは文字通り意味での商社、つまり商業資本であるが、ロンドンの商社といわれているものは、ロンドンの金融業者のことなのである。これが理解されていないと、なかなか内容が分かりにくいのである。

 さて抜粋 (ⅰ) で問題になっているのは、まず最初は〈綿工場主(E)-ランカシヤーの綿製品商(F)〉の間の取引である。この取引については、藤川氏は〈E-F間の支払いがEのFにたいする手形の振り出しによって行なわれる。期限は一般に3ヵ月であったが、小規模な工場主のばあいには2ヵ月手形も振り出されたことが知られている〉と述べている。しかしマルクスの抜粋では、〈東インド市場向けの商品の代金は製造業者に現金で支払われなければなりません〉とあり、しかし〈それはたいしたことではありません。というのは,買い手がロンドンでいくらかなりと信用をもっていれば,彼は商社あてに手形を振り出して,それを割引させるからです〉とある。だからここには藤川氏の例では〈ランカシャーの綿製品商(F)…ロンドンのマーチャント・バンカー(G)〉の取引も関連しているわけである。〈買い手〉というのは、〈ランカシャーの綿製品商(F)〉であり、〈商社〉というのが〈ロンドンのマーチャント・バンカー(G)〉ということになる。〈東インド市場向けの商品〉を輸出しようと考えている〈ランカシャーの綿製品商〉は、その代金を製造業者に現金で支払わねばならないが、しかしそれは大した困難ではなく、つまり手許に現金がなくても何ら困ることはなく、彼が〈ロンドンでいくらかなりと信用をもっていれば〉、つまりロンドンの金融業者と取引があり、そこで一定の信用があれば、〈彼は商社(マーチャント・バンカー(G)ー--引用者)あてに手形を振り出して〉、すなわちそのマーチャント・バンカーで信用で預金設定をしてもらい、その預金に対して支払指図証の為替手形を振り出して、その手形を銀行に持って行って、割引して貰えば容易に現金が入手できるからであり、その現金で製造業者に支払えばいいわけだから、というのである。
 ただいうまでもなく、この時点では商品はまったく最終消費者には販売されておらず、その価値も実現されたわけではないが、綿製品商は商品を買った時点で、製造業者に現金でその代金を支払うわけである。彼はそのために、マーチャント・バンカーから信用を受けて設定された預金に対して支払い指図証としての為替手形を振り出し、それを銀行に持参して割引を受けて現金を入手し、支払ったということである。だから製造業者としては彼が製造した商品はその時点ですでに販売され現金に変換されたのだから、価値としても実現したことになる。しかし彼の製造した商品そのものはいまだ商人の手にあるだけで、最終的な価値の実現にはいまだ至っていないということである。こうしたことが繰り返されれば、当然、過剰な取引と過剰な生産が行われるのは不可避であろう。

  (ⅱ) では質問者が〈出荷人がインドからの回収金を入手できるまでには,少なくとも12か月はかかります……〔ね?〉と聞いている。ここで〈出荷人〉というのは藤川氏の例では〈ランカシャーの綿製品商〉であろう。質問者の意図としては、製造工場には現金で支払うが、それはマーチャント・バンカーに預金の信用設定をして振り出した為替手形を銀行で割り引いて現金に換えて支払うから何の問題もないという回答に対して、しかし彼が製造業者から購入した製品をインドに出荷しても、当時はアフリカの喜望峰を回って輸送されるために、到着までに一年近くはかかり、だから代金を回収するには少なくとも12カ月はかかるだろう、と述べているわけである。つまり彼がマーチャント・バンカーに対して振り出した手形の満期日は恐らく長くても6カ月、短ければ2カ月ぐらいだから、彼が輸出した製品の代金を回収するまでに、満期日が来て、支払を迫られるのではないのか、というのが質問者の質問の主旨なのある。
 だからこれに対する回答は、〈10,000ポンド・スターリングか15,000ポンド・スターリングしかもっていないある人がインド貿易に参加する〉場合を例にして説明しているわけである。その場合、〈彼はロンドンのある商社のもとに,この商社に1%を支払うという条件で,かなりの金額の信用を開設するでしょう〉すなわち〈〉=われわれの例ではランカシヤーの綿製品商は〈ロンドンのある商社〉(われわれの例ではマーチャント・バンカー)に利息を1%支払うという約束のものとに、〈かなりの金額の信用を開設する〉、つまり信用を受けてかなりの金額の預金設定をすることができるということである。(ⅳ)ではその額は20万ポンド・スターリングになっている。つまり1万か1.5万ポンド・スターリングしか手持資金がなくても、信用があれば20万ポンドの預金設定を受けることができるということである。〈そして彼は,送られた商品の代金はこのロンドンの商社あてに送り返されるという了解のもとに,このロンドンの商社あてに手形を振り出すでしょう〉だから彼が手持ちの資金を越える額の預金設定ができたのは、彼が輸出するために購入した製品を担保にしたからであろう。そしてその設定された預金に対して、商人は手形を振り出し、銀行で割引して現金に換えて、製造業者に支払ったわけである。〈そのさい両当事者はロンドンの彼が現金で前貸をする必要がないこと,すなわち,代金が返ってくるまでは手形が書き換えられることを,完全に了解している〉。だから商人が振り出した手形の満期が来ても、〈ロンドンの彼〉、すなわちマーチャント・バンカーは、商人は現金で支払う必要がないこと、その場合は手形が書き換えられて、その満期が延長されることを両当事者(マーチャント・バンカーと商人)は了解ずみのことなのだ、だから輸出した商品の代金の回収が例え12カ月あとになっても少しも困らないのだという回答なのである。1%というのは低い利率であるが、しかしマーチャント・バンカーにとっても預金を設定するのに何の費用もかかっていないのである。ただ帳簿上の操作の問題だけだからである。

  (ⅲ) ここで〈これらの手形〉というのは、商人(藤川氏の例ではランカシャーの綿製品商)が、マーチャント・バンカーに宛てて振り出した手形ということであろう。それらは〈リヴァプールやマンチェスターやロンドンで割引されましたが,そのうちの多くがスコットランドの諸銀行の手にあります〉ということである。藤川氏も〈それらは、まずマンチェスターやリヴァプールのような振り出し地の諸銀行で割引を受け、ついで一般にはロンドンや、これにたいする好意的な取扱いの顕著なスコットランド地方に出回っていた〉と述べている。

  (ⅳ) この部分は〈第786号〉であるが、これについては藤川氏は上記の取引で〈G(マーチャント・バンカー)のH(東インドの輸入商)にたいする授信が、F(ランカシャーの綿製品商)からG(マーチャント・バンカー)への手形の振り出しによって確保されていたとすれば、それが、HからGへの手形の振り出しによってさらに独立した形式をとるケースがあった〉と述べ、〈綿工場主(E)-マンチェスターの綿製品商(F)-ロンドンの東インド貿易商(I)…ロンドンのマーチャント・バンカー(G)-東インドの輸入商(H)という系列を扱った786号がそれであって、ここではGがFおよびHにたいして、当該取引の価額に限定されることなく一定額までの手形の振り出しを引受けるいわゆる「信用勘定」を開設するというかたちで、より大規模な授信が展開されるのであった〉と述べている。
  マルクスの抜粋文は〈先日ロンドンで破産した商社があります。のちの業務検査のさいに次のようなことが発見されました〉という一文で始まっている。破産した商社の業務内容を検査したら、次のような信用関係が発見されたというのである。〈マンチェスターに一つの商社があり,カルカッタにもう一つの商社があります。この両者がロンドンのある商社のもとに20万ポンド・スターリングの信用勘定を開設しました〉というのは、まずここで〈マンチェスターに一つの商社〉というのは、藤川氏の例では〈マンチェスターの綿製品商(F)〉であろう。そして〈カルカッタにもう一つの商社〉というのは同様に〈東インドの輸入商(H)〉に該当する。そしてこの両者が〈20万ポンド・スターリングの信用勘定を開設〉したという〈ロンドンのある商社〉というのは〈ロンドンのマーチャント・バンカー(G)〉ということであろう。つまりロンドンとカルカッタにある二つの商社、これは文字通りの意味で、商業資本であろう。それらがいずれも同じロンドンにあるマーチャント・バンカー(金融業者)に、それぞれ20万ポンドの預金口座を信用によって開設したというわけである。つまりマーチャント・バンカーがそうした信用を与えたわけである。ということは、その結果、この二つの商社はそれぞれの預金に宛てて手形を振り出せることになったわけである。すなわち〈このマンチェスターの商社の取引先が,東インドの商社〔つまり上のカルカッタの商社〕にグラスゴウやマンチェスターから商品を委託販売で送り,ロンドンの商社あてに20万ポンド・スターリングまでは手形を振り出すことができる力をもつことになりました〉ここで〈このマンチェスターの商社の取引先〉というのは、藤川氏の例では〈ロンドンの東インド貿易商(I)〉に該当するのであろう。だから〈マンチェスターの商社〉が〈カルカッタの商社〉に、〈ロンドンの東インド貿易商〉を通じて、〈グラスゴウやマンチェスターから商品を委託販売で送り〉、その代金をマーチャント・バンカーに設定された預金に宛てて振り出すことができるようになったということである。〈同時に,カルカッタの商社の方もロンドンの商社あてに20万ポンド・スターリングまで手形を振り出すという了解がありました〉同じように、〈カルカッタの商社〉もロンドンのマーチャント・バンカーに20万ポンドの預金設定を開設したので、それだけの額の手形を振り出すことができるわけである。〈これらの手形がカルカッタで売られ,その受取代金で他の手形が買われ,それがロンドンの商社に送られて,グラスゴウから振り出された最初の手形を支払うことになっていました〉ここで〈これらの手形〉というのは、〈カルカッタの商社〉がカルカッタで振り出した手形のことである。それをカルカッタで〈売られ〉というのは、カルカッタの銀行で割引してもらい、ということである。その割引して得た現金で、別の手形を買い、それをマーチャント・バンカーに送って、〈グラスゴウから振り出された最初の手形〉というのは、〈マンチェスターの商社〉が〈ロンドンの東インド貿易商〉を通じて輸出した商品の代金の先取りとして振り出した手形を決済することになっていたというのである。〈こうして,この取引によって60万ポンド・スターリングの手形が創造された〔ところだった〕のです。〉というのは、まず〈マンチェスターの商社〉が20万ポンドの預金設定を受けて、それだけの額の手形を振り出す力を得、それを〈ロンドンの東インド貿易商〉に委託して、カルカッタに商品を輸出したのであるが、この場合、〈ロンドンの東インド貿易商〉もやはりその商品を担保にマーチャント・バンカーから授信を受けて20万ポンドの預金設定を受ける、それと同時に〈カルカッタの商社〉もやはりマーチャント・バンカーから授信を受けて、20万ポンドの預金を開設して、やはり20万ポンドまでの手形を振り出せることになった。だから合計60万ポンドの手形が創造されたというのである。
  つまり藤川氏の例で説明すると、こういうことであろうか。〈マンチェスターの綿製品商(F)〉が〈綿工場主(E)〉から綿製品を購入し、その代金支払のためにマーチャント・バンカーに商品を担保に預金を開設して、手形を振り出し、マンチェスターの地方銀行で割り引いて現金を得て、工場主に支払い、その商品を〈ロンドンの東インド貿易商(I)〉に委託して、〈東インドの輸入商(H)〉に販売したわけである。そうすると〈ロンドンの東インド貿易商(I)〉もその委託された商品を担保に、マーチャント・バンカーに預金を開設して、手形を振り出し、〈マンチェスターの綿製品商(F)〉に委託された商品の代金として支払うわけである。つまり〈マンチェスターの綿製品商(F)〉は工場主への支払いのために自分が振り出した手形を〈ロンドンの東インド貿易商(I)〉が振り出した手形で決済するわけである。同時に、〈東インドの輸入商(H)〉も輸入する予定の商品を担保にマーチャント・バンカーから授信して預金を開設、そして手形を振り出して、カルカッタの銀行で割引して、その現金でカルカッタでロンドン宛の手形を購入して、〈ロンドンの東インド貿易商(I)〉に郵送し、〈ロンドンの東インド貿易商(I)〉はその郵送されてきた手形で、自分が振り出した手形を決済したということであろうか。だから結局、〈マンチェスターの綿製品商(F)〉が20万ポンド、〈ロンドンの東インド貿易商(I)〉が20万ポンド、そして〈東インドの輸入商(H)〉が20万ポンドの合計60万ポンドの手形が創造されたということなのであろう。これらはいずれも〈ロンドンの商社〉、つまり藤川氏の例ではマーチャント・バンカーが与えた信用にもとづくものである。

  (ⅴ) の証言番号は〈第971号〔の質問から〉となっている。だからこれは(ⅰ)〈第687号〉(ⅱ)〈第688号〉(ⅲ)〈第689号〉とも、(ⅳ)〈第786号〉とも直接関連した話ではないように思える。これもなかなか分かりくいが(藤川氏もこの部分は取り上げていない)、〈カルカッタの商社〉がカルカッタで船荷を買い、その代金をロンドンの取引先(これは以前の話との関連では〈ロンドンの商社〉のことで、マーチャント・バンカーのことであろう)に宛てて、手形を振り出し、その手形で船荷の代金を支払ったとされている。そしてその船荷証券を〈わが国に送ります〉とあるが、普通はその船荷を輸出する相手先のイギリスの輸入商に送るのであろうが、ただそのあとの説明ではどうやらマーチャント・バンカーに送られるように思える。これは藤川氏も(ⅳ)の例と関連させて〈ロンドンの東インド貿易商と手形を引受けるマーチャント・バンカーが同一の商会であるばあい〉もあると述べているので、〈カルカッタの商社〉の輸出先がこのような貿易商とマーチャント・バンカーを同時に営む商会ならば、その船荷証券は、マーチャント・バンカーに送られてくると考えられる。そうすると〈こうした船荷証券は,6週間以内に当地に到着する〉のに、〈カルカッタの商社〉が振り出した手形(これは船荷の販売者に手渡されたもので、マーチャント・バンカーが引受人になっている)は〈10か月の期間で振り出され〉たとある。つまり満期まで10カ月の余裕がある。だからマーチャント・バンカーとしては、〈カルカッタの商社〉が振り出した手形の支払いは10カ月先であるが、その前に船荷証券が1カ月半ほどで手に入るので、マーチャント・バンカーは、その船荷証券を担保にして〈ロンバード・ストリートで前貸を受ける〉ことができるわけである。〈こうしてこの商社〉、つまりマーチャント・バンカーは、〈彼らの取引先が支払いを求められるよりも前に,8か月のあいだ〉、前貸しを受けた〈貨幣を使用する〉、すなわち利子生み資本として運用することが可能になるわけである。
  まあ、なかなか当時の手形信用にもとづく商業の実際が分からないと、分かりにい部分もあるが、大体、以上のような内容であろうか。】


【52】

 〈|321|(1)【MEGA II/4.2,S.479.29-480.35】L177) moneyed Capitalの蓄積とそれが利子率に及ぼす影響
  (ⅰ)「イギリスでは,余剰の富surplus wealth〕の不断の蓄積〔が行なわれており〕,この蓄積は最終的には貨幣の形態をとる傾向がある。他方で,執拗さの点でおそらくは貨幣を得たいという願望に次ぐのは,利子または利潤をもたらすようななんらかの種類の投資のために貨幣を手放したいという願望である。というのは,貨幣としての貨幣はなにももたらさないからである。それゆえ,余剰資本のこのような不断の流入に並行してそれのための運用部面がしだいに,また十分に拡張されていかない場合には,われわれは社会的に,投資を求めている貨幣の周期的な蓄積に当面せざるをえないのであって,この蓄積は事情に応じて大きかったり小さかったりするのである。多年にわたって,イギリスの余剰の富を大きく吸収してきたのは国債であった。国債が1816年にその最大限に達してもはや[480]吸収の作用をしなくなるとすぐに,1年について少なくとも2700万もの金額がそのほかの投資先を求めるようになった。それに加えて,さまざまの資本返済がなされたのである。……実行するのに大資本を必要とするのでときどき遊休資本の余剰を片づけるのに役立つような諸企画は少なくともわが国では,通常の投資先による捌け口をもたない,社会の余剰の富のこのような周期的な蓄積を片づけるために,絶対に必要なのである。」(『通貨理論178)論評,云々』,ロンドン,1845年,32ページ以下。)同書は1845年について次のように述べている。(ⅱ)「ごく最近の時期のうちに,物価は不況の最低点から跳ね上がってきた。……コンソル公債は額面価格に達している。……イングランド銀行の地下室にある地金は数か月にわたって,同行設立いらい同行が保有した蓄蔵貨幣のどの量をも越えている。あらゆる種類の株式の価格が,平均して,軒並みまったく空前の高さにあり,利子はほとんどあるかないかの率にまで下がってしまった。〔もしもこれらのことが,〕イギリスにはいままた,遊休している富の大量の蓄積が存在しているということ,投機的な興奮の時期がまたもや近づいているということ,の証拠〔でないのだとしたら〕,云々。」(同前,36ページ。)

  ①〔注解〕『通貨理論論評』では次のようになっている。--「多年にわたって,イギリスの余剰の富を大きく吸収してきたのは国債であった。そして,1816年に先だつ20年間に国債への追加額が536百万ポンド・スターリングという総額に達したということだけの結果として,国債がその最大限に達してもはや吸収の作用をしなくなるやいなや,少なくとも1年について27百万もの金額がそのほかの投資先を求めざるをえなくなった。」
  ②〔注解〕『通貨理論論評』では次のようになっている。--「1825年に先だつ9年のうちに,国の負債は吸収先として作用することをやめただけでなく,この点についてのそれの作用は逆転した。それの資本のさまざまの返済が,そうでなくても十分に大きい富の流れにほぼ50百万を加えたのであって,この富は,1816年いらい,それの通常の用途から,それだけ大きいもののための新たな特別な捌け口を見いだすことに転換したのだった。……達成のために大量の資本を要求するような,そしてときどき遊休している富の余剰を取り去ることに役だつような企画は,ほとんど完全に欠けていた。」
  ③〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.172.12-22.)

  177)〔E〕「moneyed Capitalの蓄積とそれが利子率に及ぼす影響。〔Accumulation of moneyed Capital u.Einnuß derselben auf d.Zinsrate.〕」→ 「第26章 貨幣資本の蓄積,それが利子率に及ぼす影響〔Akkumulation von Geldkapital,ihr Einfuß auf den Zinsfuß〕」
  ここからエンゲルス版の第26章が始まる。マルクスが以下の小部分につけた小見出しを,エンゲルスが「〔信用制度の役割〕」の前までの部分の全体につけれられた表題だと勘違いしたことは確実である。
  1894年版では,目次ではGeldkapitalとihrとのあいだがコンマであるのに,本文の表題ではセミコロンとなっている(こういう例はほかにもある)。彼の死後の諸版は,目次のほうに従っているわけである。
  178)「理論」--草稿では,誤って「問題」となっている。〉 (203-204頁)

 【ここで〈moneyed Capitalの蓄積とそれが利子率に及ぼす影響〉というのはマルクス自身による表題であろう。もちろん、マルクスとしては以下の抜粋部分の概要かあるいは注目点を表題として示したつもりであろうが、エンゲルスはこのパラグラフから彼が作成した第26章を開始しており、そのマルクスの表題を、「第26章 貨幣資本の蓄積、それが利子率に及ぼす影響」とそのまま章の表題としたのである。つまりマルクスが以下の抜粋の要約を書いたつもりのものが、エンゲルスによってそれ以降の表題にされてしまったわけである。ここらあたりはエンゲルスの編集上の苦労を物語るともいえるが、しかしマルクスの草稿そのものとは凡そ違ったものをエンゲルスが編集によって作り上げてしまっていることをそれは示しているのである。
  この部分は『通貨理論論評、云々』からの二つの抜粋からなっている。

  まず(ⅰ) では、余剰の富の不断の蓄積が過剰な貨幣資本の蓄積に結果し、そのためにその過剰な貨幣資本の運用先を求める事情が大きくなることが指摘され、そうした過剰な貨幣資本を吸収してきたのは国債であるが、それも最大限に達したために、2700万もの金額が投資先を求めることになり、資本の返済も行われたとする。そしてこうした周期的な過剰な貨幣資本を片づけるために役立つような諸企画が絶対に必要なのだとしている。これは大規模な公共事業かあるいは戦争のようなものを想定しているのであろうか。

  (ⅱ) の引用は、マルクス自身による〈同書は1845年について次のように述べている〉という書き出しがある。1845年というのは、1847年恐慌に終わる新たな景気循環が1843年に始まったとされているから、1843年は中位の活況といえるので、1845年というのは繁栄期に入った段階であろうか。この時期として、物価は跳ね上がってきたとされ、コンソル公債も額面価格に達していること、イングランド銀行の地金保有高が同行成立以来の最高の段階に達していること、あらゆる種類の株式の価格が、平均して、軒並み空前の高さになり、利子率はほとんどあるかないかの率に下がってしまったとある。こうしたことが、イギリスに、遊休している富の大量の蓄積が再び存在し、投機的な興奮の時期がまたもや近づいていることの証拠だ、と指摘されている。

 藤川氏はこの時期の手形信用の拡張について次のように指摘している。

 〈景気回復期に堅実な基礎のもとに再開されつつあった手形信用は、好況過程の展開にともなってしだいに顕著な拡張を示しはじめた。ニューマーチの推定した「内国」手形統計は、42年第4・4半期から43年末までかなりの低位にあったが、44年に入ってから各4半期の前年同期にたいする増分が順に290万-210万-610万-430万ポンド増となり、さらに45年第3・4半期まで順に630万-810万-890万ポンド増という加速的な上昇を記録するにいたった。この年第3・4半期の総額は、じつに7,400万ポンドに達している。〉 (前掲219-220頁)

  またイングランド銀行の準備についても次のように述べている。

  〈42年第4・4半期における1,000万ポンド前後から、小きざみな変動をともなって漸次増大しつつ43年末に1,500万ポンド弱となり、翌44年第1・4半期における1,600万ポンドという数字をはさんで同年第3・4半期まで1,500万ポンド台の水準にはねあがったのであり、勘定形式変更後(これは44年のピール条例にもとづく変更のことである--引用者)の44年第3・4半期以降においても、当初に若干の減少をみたのち直ちに増大し、45年5-7月の1,600万ポンド台をはさんで同年第3・4半期末まで1,500万ポンド台を維持していたのである。〉 (同223頁)

  このように当時の活況状況が描かれている。】


【53】

 〈①地金の輸入はけっして外国貿易の利得の確実な標識ではないけれども,もしほかになにか説明できる原因がない場合には,地金輸入の一部分は一見して明らかにそのような利得を表わしている。」(ババド(J.G,)『通貨とわが国』,ロンドン,1843年,[40,]41ページ。)②③「かりに,事業はしっかりしており物価は程よく通貨も潤沢な〔full circulation〕時期に,たまたま凶作のために500万の地金が輸出されて同額の穀物が輸入されることになったとしよう。通貨〔Circulation〔」〕〕(?)〔「〕は同じ額だけ減らされている。個々人はまだ前と同じだけの通貨をもっているかもしれないが,取引銀行にある商人の預金も,貨幣ブローカーのもとにある銀行業者の残高も,銀行業者の金庫にある準備ファンドも,すべて減っているであろう。そして,遊休資本の額のこのような減少の直接の結果は,利子率の上昇,たとえば4%から6%への上昇であろう。事業の状態は健全なのだから,信頼は動揺しないであろうが,信用はより高く評価されるであろう。」(同前,42ページ。)④

 ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.217.6-9.)
 ②〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.217.12-21.)
  ③〔注解〕ババドでは次のようになっている。--「かりに,事業はしっかりしており,物価は程よく,信用は健全で,通貨も潤沢だが過剰ではない〔full,but not redundant circulation〕ある時期に凶作が生じて,5百万の価値の穀物の輸入と地金の輸出を引き起こしたとしよう。通貨はもちろん同じ額だけ減らされるだろう。個々人はまだ前と同じだけの通貨をもっているかもしれないが,取引銀行にある商人の預金も,貨幣ブローカーのもとにある銀行業者の残高も,銀行業者の金庫にある準備ファンドも,すべて減少するであろう。そして,遊休資本の額のこのような減少の直接の結果は,利子率の上昇であろう。たとえば4%から6%へ,といったようにである。」
  ④〔異文〕「諸商品の価格の下落がふたた[び]〔wied[er]〕……ということに同意できる」という書きかけが消されている。〉 (204-205頁)

 【この抜粋はハバドの『通貨とわが国』からの抜粋であるが、マルクスによる表題がないところを見ると、先の表題〈moneyed Capitalの蓄積とそれが利子率に及ぼす影響〉に関連したものと考えることができる。
  ここでは地金の輸入そのものは外国貿易の確実な標識ではないが、ほかに別の理由がなければ、地金の輸入の増大は外国貿易の利得の増大を示しているとし、事業がしっかりしていて、たまたま凶作で穀物の輸入のために、500万の地金が輸出され場合、通貨には影響はないが、銀行の準備(「遊休資本の額」とされているが)に影響することによって、利子率の上昇をもたらすが、事業がしっかりしているのだから、信用は動揺しないだろうとも指摘している。これはmoneyed capitalの蓄積が一時的に減少することによる利子率への影響とでもいうべきことであろうか。
  ここで注目すべきは、〈「かりに,事業はしっかりしており物価は程よく通貨も潤沢な〔full circulation〕時期に,たまたま凶作のために500万の地金が輸出されて同額の穀物が輸入されることになったとしよう。通貨〔Circulation〔」〕〕(?)〔「〕は同じ額だけ減らされている〉という部分である。これは一連の続いた文章を二つに分けて、その間にマルクスによって〈(?)〉が挿入されていると考えられる。つまりマルクスは、ハバドが地金が輸出されれば、それと同じ額だけ「通貨」が減らされていると書いていることに、「?」マークをつけているのである。というのはそれは「通貨」の減少ではないとマルクスは考えているからである。実際、ハバドも続けて〈個々人はまだ前と同じだけの通貨をもっているかもしれないが,取引銀行にある商人の預金も,貨幣ブローカーのもとにある銀行業者の残高も,銀行業者の金庫にある準備ファンドも,すべて減っているであろう〉と述べている。ここで〈個々人はまだ前と同じだけの通貨をもっているかもしれない〉というのは、一般の商品市場で流通している、その意味では概念的に正しい「通貨」のことであり、それには変化はないとハバドも認めている。しかし彼は〈取引銀行にある商人の預金も,貨幣ブローカーのもとにある銀行業者の残高も,銀行業者の金庫にある準備ファンドも,すべて減っている〉ので、〈通貨は同じ額だけ減らされている〉と考えているわけである。つまりハバドは、銀行にある商人の預金や、貨幣ブローカーにある銀行業者の残高(預金)も、銀行業者にある準備ファンドもすべて「通貨」だと捉えているわけである。だからそれらが減っているから、「通貨が減っている」と考えているわけである。しかしそれはマルクスはよれば、「通貨」概念の混乱であり、ハバドが「通貨」と考えているものは、すべて利子生み資本という意味での貨幣資本(moneyed capital)なのだとマルクスは言いたいわけである。
  このように〈取引銀行にある商人の預金も,貨幣ブローカーのもとにある銀行業者の残高も,銀行業者の金庫にある準備ファンド〉も個々人がもっている通貨と同じものと考えるのは、当時の理論家たちが、貨幣をその形態規定性においてではなく素材的に捉えているからだとマルクスは批判している(『経済学批判』全集版161-162頁)。例えば銀行学派のウィルソンも地金の流出は〈実際に流通している鋳貨に直接に作用するのではなく,地金のストック(the stocks of bullion),そして銀行業者の準備金である鋳貨(the coin in the reserves of bankers)に作用する」〉と述べている(小林賢齋『マルクス「信用論」の解明』82頁)。つまり彼らは銀行業者の準備金としてある素材的にみれば鋳貨や銀行券も通貨だと考えているのである。なぜなら、確かにそれらは素材的には、すなわちただ姿形だけを見れば、実際に流通している通貨である銀行券や鋳貨と同じものだからである。だから彼らにとっては、銀行の準備というのは、実際に流通していた通貨が、ただ銀行に入ってきてストックされているだけのものとしてしか捉えることができないのである。しかしいうまでもなく、素材的には鋳貨(コイン)や銀行券であっても、銀行の準備としてあるなら、それらは経済的形態規定性としては、すでに鋳貨や通貨としての銀行券ではなく、利子生み資本(monied capital)なのである。そこらあたりの区別がなかなか当時の人たちには分からない。それは今のマルクス経済学者と自称している人たちでさえ(実は何を隠そう小林賢齋氏も)そうなのだから、ある意味では当然なのだが。】


【54】

 〈①②商品価格が一般的に下がれば,過剰な通貨預金の増加となって銀行業者に還流し,遊休資本の豊富が利子率を最低限にまで引き下げる。そしてこうした状態は,ふたたび物価が上昇し事業が活発化して,それが休眠通貨を動員するようになるか,またはそれが外国の証券や外国の商品への投下によって吸収されるようになるまで,続くのである。」(同前,68ページ。)

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S,220.33-38.)
  ②〔注解〕ハバドでは次のようになっている。--「しかし,すべての価格が半分に下落する,という極端な場合を考えてみよう。……最近の数年間における物価の下落がいかに一般的であったかということを観察すれば,公衆の手のなかにある通貨が減少したことにはもはや驚くことはないであろう。過剰な通貨は……」〉 (205頁)

 【今回も〈moneyed Capitalの蓄積とそれが利子率に及ぼす影響〉の一環といえる。商品価格が一般的に下がるなら、通貨は預金の増加として銀行業者に還流し、遊休資本が増大して利子率を押し下げること、そしてこうしたことは物価が上昇して事業が活性化して、休眠通貨を動員するようになるか、あるいはそれが外国の証券や外国の商品への投下(つまり投機)によって吸収されるまで、続くとしている。彼らにとっては、銀行業者に還流してきた通貨は、すでに通貨ではなくて利子生み資本であるという認識はない。それはただ休眠しているだけの通貨であって、やはり通貨には違いないのである。
  商品価格が一般的に下がるというのは、やはり恐慌によって不況に突入したからであろう。そうすれば物価の下落だけではなく、商品流通そのものの停滞(流通する商品の価格総額の減少)によっても、通貨の流通量は減少するであろう(もっとも流通速度が低下することはそれだけ流通通貨の増大につながるが、しかしマルクスは、第28章該当個所では、不況期には全体としては流通通貨の減少になると指摘している)。そしてそれだけ蓄蔵貨幣(準備金)が増えることになる。ということは銀行の準備が潤沢になり、利子率が最低限まで押し下げられる。過剰な貨幣資本の捌け口が求められるが、そうしたことは再び景気循環がはじまり活況を呈するまで続くわけである。もっとも投機が活発化するというのはこうした停滞期というより相対的な過剰生産期のいわゆるプレトラ(資本過多)の捌け口としてであろうと思うのだが。】

  (続く)

2020年8月19日 (水)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(25・26-15)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(続き)

 


  〔信用制度についての雑録〕 (続き)


【39】

 [476]/319上/(7)【MEGA II/4.2.S,476.20-34 und 477.1-10】161)現金でなく手形での支払い〔第7号。〕(ⅰ)「〔ホヂスン〕4月(1847年)の最後の週に,イングランド銀行はロイヤル・バンク・オヴ・リヴァプールに,「当行は貴行にたいする割引を従来の2分の1に減らさなければならない〔」〕と通告しました。〔」第16号。(ⅱ)「〕〔ホヂスン〕この通告は非常に悪い影響を及ぼしました。なぜなら,リヴァプールでの支払いは近ごろは手形で行なわれるほうが現金で行なわれるよりもずっと多かったからです。また,自分の引受手形を支払う||320上|ために大部分の現金を銀行にもってきていた商人たちも,近ごろは,自分の綿花やその他の生産物と引き換えに受け取った手形しかもってくることができなくなっていましたし,しかも窮境が増すのにつれてこうした状態がきわめて急速に大きくなってきていました。……〔」第17号。(ⅲ)「〕〔ホヂスン〕銀行が商人のために支払わなければならなかった引受手形は,たいていは外国から彼らあてに振り出されたもので,従来は彼らの生産物の支払代金で決済される習慣だったものです。〔」第18号。(ⅳ)「〕商人たちがもってくるのはそれまでとは違って現金ではなくて手形になっていましたが,それらは期間も種類もさまざまで,かなりの数が3か月払いの銀行手形,しかもその大半が綿花手形でした。」(商業的窮境』,1847-48年,26ページ。)(『委員会からの報告』,[477]第2巻,第1部。162)(〔大英〕博物館で〔手書きで〕つけられたページ番号によって引用。)(ⅴ)「〔ホヂスン〕これらの手形は,銀行業者の手形であればロンドンの銀行業者によって引き受けられ,そうでないものは,ブラジルやアメリカやカナダや西インド等々,あらゆる取引にかかわっている商人たちによって引き受けられました。……〔」第21号。(ⅵ)「〕〔ホヂスン〕商人たちが互いのあいだで手形を振り出したのではなくて,商人から生産物を買った国内の当事者たちが商人に,ロンドンの銀行業者あての手形,またはロンドンにいるさまざまの関係者あての手形,またはほかのだれかあての手形を送ったのです。」(27ページ。)〔第19号および第25号の要旨。〕⑧⑨(ⅶ)「イングランド銀行の通告は,わが国に輸入された生産物の販売にたいして受け取られた手形について,それまではときには3か月を越えることもあった有効期間が短縮される,という結果をもたらしました。」/

  ①〔注解〕このパラグラフは,最後の引用を除いて,「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.248.1-30.)
  ②〔注解〕「〔ホヂスン〕たぶん次のように申し上げてよろしいでしょう。この通告はこの勘定には特別な困難をもたらす働きをしました。リヴァプールへの支払いが近ごろは手形で行なわれるほうが現金で行なわれるよりもずっと多かったのです。通例,引受手形を支払うために商人たちが銀行にもってくる現金の比率が大きかったのですが,近ごろは,自分の綿花やその他の生産物と引き換えに受け取った手形しかもってくることができなくなっていましたし,しかも窮境が増すのにつれてこうした状態がきわめて急速に大きくなってきていました。」
  ③〔注解〕「銀行が商人のために支払わなければならなかった引受手形は」--『第1次報告』では次のようになっている。--「私が言っております,銀行が商人のために支払わなければならなかった引受手形は……」
  ④〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「〔ベアリング〕商人たちが貴行に,いつももってきていた現金の代わりにもってきた手形はどんな種類のものだったのですか?--〔ホヂスン〕さまざまの日付の,そしてさまざまの種類の手形でした。それらのうちのかなりの数が……」
  ⑤〔注解〕『商業的窮境に関する秘密委員会第1次報告……』,1848年6月8日。
  ⑥〔注解〕「〔大英〕博物館で〔手書きで〕つけられたページ番号によって引用。」--『第1次報告』には二つのページづけがある。序文には1からXXIVまでのページがつけられている。本来の本文へのページづけは1ページから始まっている。同じく1ページからの手書きのページづけがタイトル紙葉から始まっている。この通しのページづけは序文のあとにも続けられているので,印刷されたページづけと手書きのページづけとのあいだには24ページの差が生じている。
  ⑦〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「それらのうちのかなりの数のものはロンドンの銀行業者によって引き受けられた銀行業者の手形でした。また,例を挙げるとすれば,ブラジルやアメリカやカナダや西インドのように,私たちがかかわることがありうる,ほとんどあらゆる種類の外国貿易にたずさわっている商人たちによって引き受けられました。」
  ⑧〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.248.41-249.2)
  ⑨〔注解〕この引用では,マルクスは『第1次報告』の27ページに記載されている,ソーンリとヒュームとのあいだのやりとりを要約している。ヒュームはこの件について次のように言っている。--「しかし,私たちが現在普通にやっているのは,3か月を越える手形はすべて拒否するということです。」

  161)〔E〕エンゲルス版では,この見出しは削除され,ここから320ページの末尾--すなわち,第26章に取り入れられた「貨幣資本の蓄積とそれが利子率に及ぼす影響」という見出しのある部分の直前--までは,「III.」という表題番号のもとに一括されている。その冒頭には次のように書かれている。「以下は,すでに引用した報告『商業的窮境』1847-48年から採ったものである。」
  162)〔E〕「(〔大英〕博物館で〔手書きで〕つけられたページ番号によって引用。)〔(Citirt nach d.im Museum numerirten Seitenzahlen)〕」--削除
   旧インスティトゥート版の第3部の「編集まえがき」(青木書店版の長谷部訳にははいっているが,MEW版を底本とするその後の諸訳にははいっていない)には,「議会報告『商業的窮境』1847-48年,からの引用文では,マルクスはしばしば,『報告』そのものの印刷されたページ数の代わりに,大英博物館にあるその綴込本のインクで記入されたページ数を付している」,と書かれていた(Volksausgabe,besorgt vom MEL-Institut,Moskau,Band III,Teil 1,1933,S.12*)。ここではマルクス自身がそのことを記しているわけである。〉 (193-195頁)

 【ここからは〈『商業的窮境に関する秘密委員会第1次報告……』,1848年6月8日〉からの抜き書きである。マルクスは全体のテーマとして〈現金でなく手形での支払い〉という表題を付けている。要するに商業的窮境が深まれば深まるほど、現金での支払いが影をひそめ、手形での支払いが増えてくるということのようである。そしてそうしたことが銀行への割引要求にも反映してくるということである。そうしたなかで1847年の4月にイングランド銀行が手形割引を従来の半分に制限するという通告をしたために、それは最終的には手形の有効期限を短縮する結果を招いたということのようである。因みにこの1847年4月にはいわゆる「4月危機」が生じている。そして10月にはいわゆる「1847年恐慌」が勃発したのである(「商業的窮境に関する秘密委員」というのはこの恐慌の原因を究明するために開設されたものである)。引用のそれぞれに番号を付して、さらに検討してみよう。

  (ⅰ) は、1847年4月の最後の週に、イングランド銀行がロイヤル・バンク・オヴ・リヴァプールに、手形の割引を従来の半分に制限すると通告した事実が書かれている。イングランド銀行は手形割引によってイングランド銀行券を貸し付けるのであるが、こうした貸付が増えて発行制限額を越えそうになるとそれを制限しようとするわけである(1844年の銀行制限法〔ピール法〕によってイングランド銀行券は1400万ポンド・スターリング+保有する金地金に見あった枠内に、その発券額が制限された)。

  (ⅱ) こうした通告は悪い影響を及ぼしたと指摘されている。というのはリヴァプールに支払われる現金(イングランド銀行券)がそもそも減って、手形で支払われることが多かったからだ、と。ここで〈引受手形〉というのはその為替手形に対する支払い義務を引き受けるということであり、手形の表面に「引受」等の文字を記載し、支払人の署名が必要である。この場合、引受人が主たる債務者となる。この場合の引受人は商人なのかその取引銀行なのかははっきりしないが、恐らく取引銀行であろう。とにかく、商業的窮境が進行すると商人たちも自分たちの綿花やその他の生産物を売って受けとった手形しか持ってくることができず、ますます現金への需要が高まったからということである。

  (ⅲ) の内容はやや難しい。〈銀行が商人のために支払わなければならなかった引受手形〉というのは、銀行が貨幣取扱業者として商人たちの支払い義務を引き受けた為替手形のことであろう。だからそれらは〈たいていは外国から彼らあてに振り出されたもの〉である。つまり商人たちが外国から綿花等を輸入したときの輸入代金の支払いを指図する証書であり、それに銀行が引受人として署名しているわけである。だからそれらは外国の輸出業者が発行した為替手形である。だからそれらは〈従来は彼らの生産物の支払代金で決済される習慣だったもの〉なわけである。商人たちは外国から原料である綿花等を輸入し、それをイギリスの生産的資本家たちに販売して、その販売代金でそれらの輸入代金を決済する予定のものだったわけである。しかし生産物の販売が行き詰まり、彼らは生産物の販売代金としてやはり手形でしか支払いを受け取ることができなくなってくるわけである。だから商人たちも自分たちが販売した生産物の代金として銀行に手形を持参するだけになる。しかし銀行は商人たちが輸入した代金への支払い指図である〈引受手形〉への現金による支払いを迫られているというわけである。つまりそれだけイングランド銀行券や金地金への需要が高まっているのであるが、しかしその時に割引(つまり手形をイングランド銀行券や金地金に転換すること)を制限されたということである。

  (ⅳ) では、商人たちが銀行にもってくるのがそれまでとは違って現金ではなくて手形になっていたが、それらは期間も種類もさまざまで、かなりの数が3か月払いの銀行手形だったとある。ここで〈銀行手形〉というのは振り出したのは商人であるが、その引受人になっているのが銀行だということである。つまり支払保証人に銀行がなっていることである。『世界大百科辞典』の「マーチャント・バンク」の項目には〈彼らは,まず,手形引受商社acceptance houseとして貿易商人のためにロンドンあて為替手形の引受け(したがって支払保証)を行ったが,国際的に信用のあるマーチャント・バンクが引き受けた手形は優良な銀行手形(イングランド銀行再割引適格手形)とされ,割引市場で容易に資金を入手しうることとなった〉とある。こごではそうした銀行手形は、〈しかもその大半が綿花手形でした〉との説明がある。だからそれらは綿花の輸入に関連して振り出された手形だということであろう。

  (ⅴ) ここで〈これらの手形〉というのは、商人たちが銀行にもってくる手形ということであろう。それらが銀行手形の場合はロンドンの銀行業者によって引き受けられたとある。〈引き受け〉るというのは、この場合は買い取るということであろう。またそれ以外の手形は、さまざまな植民地との取引にかかわっている商人たちによって買い取られたと述べている。ロンドンの商人が取引銀行に持ってくる手形というのは、彼らの生産物を輸出したさまざまの植民地の銀行手形が多く、あるいは植民地の業者の発行した手形であるが、それらは銀行手形の場合はロンドンの銀行業者が自分の取引相手の商人が植民地からの輸入代金の支払いに応じるのに利用するために買い取ったり、あるいはロンドンの業者が自分が輸出入している植民地への支払いに利用するために、植民地の輸出業者の発行した手形を購入したということであろうか。

  (ⅵ) では商人たちが互いの手形を振り出したのではなく、ロンドンの銀行業者宛の手形かまたはロンドンのさまざまの関係者宛の手形や、要するに他の誰かの手形に裏書きして互いに手渡したということである。ようするに、手形を決済するために手形が、しかも自分が振り出したものではない、別の誰かが振り出したものに裏書きして手渡す、というように信用が何重にも重なり膨らんでいったということであり、過剰信用が生じていたということではないだろうか。

  (ⅶ) は、イングランド銀行の手形割引を従来の半分に制限するという通告は、手形の有効期限を短縮するという結果をもたらしたとある。ここで〈わが国に輸入された生産物の販売にたいして受け取られた手形〉というのが今一つ不明瞭であるが、イギリスに輸入された生産物(例えば綿花)を販売した時に受け取った手形ということであろう。だからこれは輸入された生産物(綿花等)を生産的に消費する生産的資本家たちが振り出した手形ということになる。その有効期限が以前は3か月を越えることもあったのに、それが短縮する結果をもたらしたということである。以前、【30】パラグラフの東インド貿易の場合は6か月払いの手形で支払われたとあったが(だからこれらの長期手形は投機をもたらし、いかさまを生み出したのであるが)、それが半分以下の期限のものになったということである。ということはそれだけ信用が揺らぎ縮小したということであろう。
  なかなか経済的な実務はよく分からないところがあるが、まあ、これくらいにしておこう。】


【40】

 /320/(1)【MEGA II/4.2,S.477.11-4783】163)1847年の春(4月)には,「〔ホヂスン〕ほとんどすべての商社が,鉄道への投資のために多かれ少なかれ自分の事業を飢えさせ始めていました。……自分の商業資本の一部分を鉄道のために取り去ることによる〔事業の飢えがあったのです〕。」(〔報告『商業的窮境』,1847年〕41[,42]ページ。〔証言第177号。〕)②③「私人や銀行業者や火災保険会社によって,たとえば8パーセントというような高い利子率での,鉄道株担保の前貸も行なわれました。」(66ページ。〔第521-522号からの要約。〕)「商社が鉄道にたいして行なった貸付がそれほど大規模になったので,これらの商社はその商業操作を続けていくために,手形の割引によって株式銀行や私営銀行に過度に依存することになりました。」(67ページ。〔第562号の質問から。〕)

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.477.11-13.)
  ②〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.251.28-32.)
  ③〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「〔ソーンリ〕鉄道への資本の充当に関連して,鉄道の払込請求にあてるための資本の需要のほかに,鉄道株を担保とした高い利子率での貸付があったのではありませんか?--〔ホヂスン〕私たちの町のいたるところで,きわめて大規模に,私人や銀行業者や火災保険会社によって,かなりの規模での貸付が行なわれました。」

  163)〔E〕この「1847年の春(4月)には〔Im Fruhling(April)1847〕」という一句が,見出しの意味をもっているのかどうかさだかではない。しかし,この前の部分は,「現金でなく手形での支払い〔Zahlung in Wechsel statt cash〕」という見出しとその内容とが一致しているが,ここ以下の部分はそれとは少し異なった視角から引用されているように思われる。後半に若干見られる下線部分もそのことを示している。そこでこの部分は,この前の部分とはいちおう独立した引用部分として取り扱っておく。エンゲルス版では,ここに次のようなエンゲルスの文がはいっている。「イギリスの1844-47年の繁栄期は,前に述べたように,最初の大きな鉄道眩惑と結びついていた。これが事業一般に及ぼした影響については,上記報告に次のような記述がある。」〉 (195-196頁)

 【この引用にも、冒頭、〈1847年の春(4月)には〉というマルクスの手によるものと思える一文がある。しかし大谷氏は訳者注163)でこの一文には見出しの意味があるのかどうか疑問をもっている。その訳者注に紹介されているエンゲルスの挿入文によれば1847年の春というのは繁栄期の末期、一時的に「4月危機」が生じた時期である。その当時はほとんどすべての商社が鉄道投機に走っていて、本来の事業を放り投げていたということである。8%という高い利子率でも投機のための貨幣資本の前貸しが行われていたともある。それは鉄道投機に走っていた商社が株式銀行や私営銀行に過度に依存して、投機資金を集めていたということである。
 藤川昌弘氏は論文「1847年恐慌」において40年代の産業循環における鉄道ブームについての詳しい分析をしているが、その一文を参考のために紹介しておこう。

 〈多くの証人が認めているようにこうした地方投資家にとっては、ブームの過程で登場した鉄道株は銀行預金による利子の入手にはるかにまさる魅力的な投資対象と考えられたのであり、また鉄道株を担保とする前貸が一時5%から10%にもおよぶ利子獲得の機会を提供していたために、投資意欲の直接の高まりのみならず担保貸付利子の取得をもくろむ預金の引き出しが行なわれたのであった。交換銀行(exchange bank)--すなわち鉄道株を担保とする前貸を行なって利鞘をかせぐことを主要な業務とする銀行が設立されたスコットランドのばあいにも、それらが他の一般銀行の預金利率を越える利子を提供していたため、預金の減少がとくに目立っていたことが確認されていた。〉 (鈴木鴻一郎編『恐慌史研究』1973年7月25日、日本評論社刊、所収190頁)】


【41】

 第207号「〔ケイリ〕あなたは,鉄道株の払込みが,4月と10月に見られた逼迫を引き起こすのに大きな影響を及ぼしたと言われるのですか。--〔ホヂスン〕それは4月の逼迫を引き起こすのにはほとんどなんの影響も及ぼさなかったでしょう。4月までは,またおそらくは夏までも,それは銀行業者の力を弱くするよりも,むしろある点ではそれを強くしたと思います。というのは,支出のほうはけっして払込みと同じほど急速には行なわれなかったからです。その結果,年初にはたいていの銀行がいくらか大きい額の鉄道資金を手持ちしていました。この資金は夏のうちにだんだん少なくなっていって,12月31日には非常に少なくなっていました。10月の逼迫の一因は,銀行業者の手にある鉄道資金の一般的な減少でした。4月22日から12月31日までのあいだに,私たちの手にあった鉄道資金残高は3分の1減少しましたが,これは165)大ブリテン全土にわたる鉄道株払込みの影響でした。それはだんだんに銀行業者の預金と銀行の貸方残高とを枯渇させていったのです。」(43,44ページ。)

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.250.15-28.)

  165)「大ブリテン全土にわたる〔in ganz Großbritanien〕」--証言では「全王国にわたる〔throughout the Kingdom〕」となっている。〉 (196-197頁)

  【これは何の見出しもない抜粋であるが、むしろ前の抜粋の続きと言えるだろう(エンゲルスは改行せずに続けていると訳者注164)は指摘している)。これは鉄道投資の特徴としてマルクスは抜き書きしたのではないかと思える。
 鉄道投資は、幾つかの段階に分かれ、それが実際に建設されるまでにも時間的に長い期間を要したようである。前掲の藤川氏は〈それは一般に、敷設計画の出発から路線の開通までに数年を要する一連の過程をなしていた〉と指摘、その過程を〈路線計画の発起から株式応募契約書の調整までの段階→それを前提として議会による法的な許可を獲得するまでの段階→この個別法にもとづいて現実の建設を完成させるまでの段階、という三つの部分に区別される〉としている。〈そしてそれらに対応する統計的な指標、すなわち株価→鉄道法案数→建設支出のピークも、順に45年→46年→47年であっ〉たとしている(前掲182-183頁)。
 この引用では、そうした鉄道株への払い込みが、「4月危機」の逼迫を引き起こすのには大きな影響を及ぼしたかどうか、という問いに、何の影響も及ぼさなかったと答えている。というのは支出、つまり実際の鉄道の建設はすぐに始まるわけではなかったので、払い込まれた鉄道資金は一時的に銀行を潤したからである。しかしそれらは当然、鉄道建設がはじまると同時に徐々に減ってゆき、銀行の貨幣資本を枯渇させていったということである。だから10月の恐慌の一因は、銀行業者の手にある鉄道資金の一般的な減少だったとの証言がなされている。ただ鉄道株への払い込みが、「4月危機」とは関係がないと言えるのはロンドンの銀行であって、地方の銀行では事情が違ったと藤川氏は指摘している。
  藤川氏の論文から紹介しておこう。

  〈A・ホジスン--「我々の預金および信用勘定は、37年や39年の逼迫のさいにもほとんど減少しなかったのに、47年10月パニックの一年半ないし二年前から徐々にではあるが確実に減少しました。……これは鉄道株への投資、その追加払込み、および鉄道会社勘定の引き出しによるもので、そのためにわが国の銀行の力(banking power)はきわめて重大な影響を受けたのです。……10月における逼迫の一つの原因は、疑いもなく銀行家の手中にある鉄道貨幣の漸次的な減少にあると思います。」/S・ガーニィ--「ロンバード街で貨幣の取引をしている我々には、資本が商業界から鉄道に吸収されたことからくる影響は感じられませんでした。……私の観察したかぎりでは、47年4月および秋の逼迫と鉄道の問題とはなんら関係がありません。」〉 (189-190頁)

  こうしたリヴァプールという地方の銀行業者であるホジスンと、ロンドンのロンバード街で仕事をしているガーニィーとではまったく相反する証言をしているわけであるが、こうした対照的な証言は、鉄道建設にともなう資金調達の過程がロンドンと地方とでは異なった影響を与えたからだと藤川氏は指摘しているわけである。】


【42】

 〈166)サミュエル・ガーニも次のように言っている。第1754,1755号②③「1846年には鉄道のための資本の需要は〔それ以前よりも〕大きかったのですが,しかしそれは利子を高くはしませんでした小さな金額が大量の金額にまとめられ,この大量の金額が私たちの市場で使用されました。したがって,だいたいにおいてその影響は,シティの貨幣市場から取り出すのよりも多くの貨幣をそこに投げ入れるということでした。」

  ①〔訂正〕「第1754,1755号」--草稿では,「第1742号」と書かれている。
  ②〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.259.30-34.)
  ③〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「1754号。〔ケイリ〕1846年じゅう,資本にたいする需要の,以前よりも大きな増加があったのではありませんか?--〔ガーニ〕疑いもなく,鉄道建設のための資本へのかなりの需要がありました。1755号。〔ケイリ〕それは貨幣の価値を,たとえば3[1/2]%から4[1/2]%に増加させることになったのではありませんか? 〔ガー二〕私には,そのような効果があったとは思われません。私はそのような結果があったことを発見できませんでした。小さな金額が大きな金額にまとめられることはあって,これらの大きな金額が私たちの市場で使用されました。したがって,だいたいにおいてその影響は,シティの貨幣市場から取り出すのよりも多くの貨幣をそこに投げ入れるということでした。」

  166)〔E〕「サミュエル・ガーニも次のように言っている。第1754-1755号。」→ 「サミュエル・ガーニ(悪名高い商社オヴァレンド・ガーニ・エンド・カンパニーの社長)も次のように言っている。」〉 (197頁)

 【これは先の抜粋に関連させて、マルクスによる〈サミュエル・ガーニも次のように言っている〉という前書きがある。今回は鉄道建設に必要な貨幣資本の需要は大きかったが、それがすぐに利子率を高めたわけではないとの事実が指摘され、その理由として小さな金額がまとめられ、それが集中されて大量の金額になって使われたから、と指摘されている。この少額の貨幣を集中させたのは株式によるものであろう。当時の鉄道株の投機ブームについて藤川氏の論文から紹介しておこう。

  〈すでに45年の1月初から、既存路線の株式ばかりでなく新たに設立された暫定登録会社の仮株券が圧倒的な人気を博し始めていたが、2月頃までの状況は、前年以来の鉄道熱の継続とみうる性格のものだったことが知られている。鉄道株市場が急速に投機的な色彩を強めたのは3月以降のことであって「小金を貯めた年配の男女、あらゆる種類のトレード・メン、年金生活者、専門的職業人、貿易商、地方の田紳達」あるいは「召使、下僕、執事から有爵の老嬢や教会の高僧までのすべての階層とすべての職業」にわたる多数の投資家達が、たんなる高配当の期待だけでなく、株式の転売による利得の可能性をめざして、市場に殺到し始めたのである。『エコノミスト』がいちはやく注目しているように、じゅうらい証券投資の慣行をまったく持たなかったこれら中小の投資家が大量に登場し始めた点は、その資金調達源としての規模を別とすれば、イギリス資本市場にとって画期的な新事態をなすものだったといわなければならない。以前には1〜2日ですんでいた定期取引の決済に一週間を要するほどの、取引所内部における大膨張が見られたばかりでなく、取引所外部のコーヒー店その他で多数の非加盟ブローカーを交えた売買契約がとり行なわれることとなったのであって、シティにおける熱狂の異常な様相にかんする記述については、枚挙にいとまがない。しかも雑多な投資家が全国各地に登場したことから容易に推測されるように、ロンドン以外の地方証券取引所がこのブームを契機にして急激な勃興を見て、「1万ないし2万以上の人口を有するほとんどすべての町に株式ブローカーの常設機関が出現した」といわれるほどとなったのである。なかでもリヴァプール・マンチェスター・リーズ・ブリストル、さらにはグラスゴー・エディンバラ・ダブリン等の取引所における鉄道株投資は、ロンドンにまさるともおとらぬ規模をもっていたことが確認されている。〉 (前掲185頁)

  ここに出てくる「仮株券」についても、その説明を紹介しておこう。

  〈まず最初の発起者(初期の鉄道のばあい路線開通に利害関係の深いその地方の商工業資本・地主・技師等であることが多かったが、投機性が強まってくるにしたがって雑多な階層が入りこんでくる)が敷設計画をたてて暫定委員会を構成し、株式ブローカーや各種の金融業者・専属弁護士等を代理人として株式発行がとり行なわれる。そのさいの重要な特色は、株式の配分が暫定委員会によって決定されており、発行業務に専門化した投資銀行や発行商会がとくに登場することはないという点であって、投機ブームの頂点でもこの事情に変りはなかった。株式の応募者にたいしては、額面金額の一部払込約束を条件として一定の株式割当を認める割当状(letter of allotment)が発行されるが、その所有者が必要な手続き--すなわち約定金額を払込み会社の定款を遵守して応募額に比例した損失と利益とにあずかること、また将来の追加払込請求(railway share call)に応ずべきこと等々を規定した応募契約書に署名するという手続き--を完了したのちに、いわゆる仮株券(scrip)が発行される。鉄道株の人気が高まるにつれてこの仮株券はしばしばプレミアムつきで販売することが可能となったのであるが、そこには、後続の買手が追加払込請求に応じえないときには応募契約書への署名者である最初の売手が責任を負わねばならないという取り決めが働いていたのである。応募契約書完了から計画ないし会社設立の認可を獲得する過程が、第二の段階としてこれに続く。そのための条件として欠かせないのは、当時の株式会社設立行政を管轄していた貿易省(Boad of Trade)に設立趣意書を上程し、かつその代理機関としてのイングランド銀行に資本金の10パーセントにあたる供託金(Raiway Deposit)を毎年2月までに納入するという規定であった。後に見るようにこの規定は、実際の建設が開殆される以前に多額の追加払込請求をひきおこして信用制度の運動に複雑な影響を与えることになるが、それはともかく、これによって初めて敷設計画は鉄道法案(Raiway Bill)として議会審議の対象となる。そのうち計画の妥当性や会社設立の適格性をめぐる細目に及ぶ審議を通過したものが、個々の鉄道法として授権資本額や授権マイル数の規定を含む法的な認可を獲得し、これに基づいて暫定委員会を正式の理事会へ、また仮株券を本株券へと転換しうることになるのであった。〉 (前掲184頁)】


【43】

 〈167)上に引用した,リヴァプール株式銀行重役のA.ホヂスンは,イングランド銀行は①②「要するに,為替手形の通常の転換可能性の行く手に障害物を設けたのです」,と言っている。(43ページ。〔第205号。〕)

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.250.12-13,)
  ②〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「〔ケイリ〕イングランド銀行の通知によって生みだされた4月と10月の逼迫は,実際には,為替手形の通常の交換可能性の行く手に障害物を設けたのではありませんか?--〔ホヂスン〕はい,きわめて大きな障害物でした。」

  167)〔E〕エンゲルス版では,このパラグラフは削除されている。〉 (197-198頁)

 【ここで〈上に引用した,リヴァプール株式銀行重役のA.ホヂスン〉云々というのは、【39】パラグラフで〈「〔ホヂスン〕4月(1847年)の最後の週に,イングランド銀行はロイヤル・バンク・オヴ・リヴァプールに,「当行は貴行にたいする割引を従来の2分の1に減らさなければならない〔」〕と通告しました〉という部分を指しているのであろう。つまりイングランド銀行による手形割引の制限が〈為替手形の通常の転換可能性の行く手に障害物を設けた〉ということである。【39】パラグラフでは〈「イングランド銀行の通告は,わが国に輸入された生産物の販売にたいして受け取られた手形について,それまではときには3か月を越えることもあった有効期間が短縮される,という結果をもたらしました。」〉とあった。手形の期限が短縮されるということは、その期限内に裏書きされて流通する可能性が奪われるということだろうから、それを〈通常の転換可能性の行く手に障害物を設けた〉と述べているのだと思われる。
  つまりこのパラグラフそのものは、その直前の数パラグラフで問題になっていた鉄道株式の払い込みが貨幣資本の逼迫を引き起こしたか否かという問題とは若干違った問題に転換している。むしろこのパラグラフは【39】パラグラフに直接繋がったものと考える方がよいであろう。】


【44】

 [478]①168)彼は,現在の非常に低い利子率を,「商業がほとんどまったくだめになり,貨幣を運用する方法がほとんどまったくなかった」ことから説明している。(45ページ。〔第231号。〕)/

  ①〔注解〕この引用と次の引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.251.3-11,)

  168)〔E〕エンゲルス版では,このパラグラフは削除されている。同じ記述がエンゲルス版第30章のなか(MEGA II/15,S.482;MEW25,S.502)にあるが,これは草稿の340ページに続くページ番号のないページから取られたものである。なお,この引用の左側にはインクで縦線が引かれている。〉 (198頁)

  【ここで〈〉というのは〈リヴァプール株式銀行重役のA.ホヂスン〉のことであろう。そして〈現在の〉というのは、すでに1847年恐慌の直後のことを指しているのであろう。当時の低い利子率を〈商業がほとんどまったくだめに〉なって、貨幣資本への需要がまったくなくなったからだと説明しているわけである。つまり恐慌によって過剰生産が明らかになり、産業や商業が停滞して、貨幣資本への需要が無くなったことが、低い利子率の原因だと、少なくともホヂスンは問題を正しく指摘しているとの思いが、マルクスにあって、こうした引用を行ったのであろう。】


【45】

 /320/(2)【MEGA II/4.2,S.478.4-8】169)手形が銀行業者の準備ファンド〔となる〕。同人〔ホヂスン〕。「私たちの預金全体の少なくとも10分の9と,私たちが他の人びとから受け取った貨幣の全部とを,毎日次々に満期になる手形のかたちで私たちの手形ケースに入れておくというのが,私たちの習慣でした。それが非常に大きかったので,取り付けのあいだは,毎日満期になる手形が,毎日私たちにたいしてなされる支払請求の金額とほとんど等しかったほどでした。」(53ページ。〔第352号。〕)

  169)〔E〕この小見出しは,エンゲルス版では次のような文章になっている。「リヴァプール株式銀行の重役A,ホヂスンは,手形が銀行業者の準備ファンドをどんなに大きく形成することができるかを示している。」〉 (198頁)

 【これは1847年恐慌の当日の状況を物語っているものとして、マルクスは引用しているのであろう。マルクスによって〈手形が銀行業者の準備ファンド〔となる〉という表題が付けられている。ここで注目すべきなのは〈私たちの預金全体の少なくとも10分の9と,私たちが他の人びとから受け取った貨幣の全部〉と書いているが、それらはすべて手形だということである。つまり預金全体の10分の9が手形を銀行にもちこんだ顧客の口座に預金として記帳されたものだ(もちろん割り引いて)ということである。また銀行が〈受け取った貨幣〉というのも、何らかの支払いとして現金の代わりに手形で受け取ったということであろう。つまり銀行のその準備ファンドのほとんどは手形で形成されているということである。そうして入手した手形を毎日次々と満期日になる順に手形ケースに入れておくということである。〈取り付けのあいだ〉というのは恐慌時の信用不安によって、顧客が銀行に預金の払い出し求めて殺到した時ということである。そもそも預金の10分の9が手形で形成されたものだから、その預金の引き出しが、結局、手形が満期になって支払いを受けるのとほとんど等しかったというのである。つまり銀行は満期になった手形の支払いを受けても、それがそのまま預金の引き出しとして出て行くような状態だったということである。】


【46】

 /320/(3)【MEGA II/42,S.478.9-24】170)投機手形Bills of speculations〕。綿花手形第5092号(ⅰ)「それらの手形〔」〕(それで綿花が買われた)〔「〕はおもにだれによって引き受けられたのですか?--〔ガードナ〕生産物のブローカーによってです。ある人が綿花を買い,そしてそれをブローカーに引き渡すと,このブローカーあてに手形を振り出して,それを割引してもらうのです。〔」〕第5094号。(ⅱ)「〔グリン〕そして,そうした手形がリヴァプールの銀行にもっていかれて割引されるのですね?--〔ガードナ〕そうです。それにまたそのほかの地域でもそうされます。……この融資はおもにリヴァプールの銀行によってなされましたが,もしそれがそのようにしてなされなかったならば,昨年の綿花は1重量ポンドあたり1[1/2]ペンスか2ペンスは安かったと思います。」

  ①〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「〔グリン〕通例,それらの手形を引き受けたのはだれだったのですか?」

  170)草稿では,「投機手形。綿花手形。」を「投機手形。」に変更している。〉 (198-199頁)

 【このパラグラフにはマルクスによって〈投機手形Bills of speculations〕。綿花手形〉という表題が付けられ二つの引用文がある。今それに(ⅰ)(ⅱ)と番号を付して検討しよう。
  その前に、こうした当時の綿花の輸入に関連する手形信用については、藤川氏の詳しい分析があるので、まずはそれを紹介して当時の手形信用の実際の知識を得ておこうと思う(以下、分かりやすくするために若干文章を整理した)。

 〈はじめに棉花の輸入について。当時8割前後を占めていたアメリカからの輸入取引においては、アメリカの棉花栽培業者またはその代理商(A)-アメリカの輸出商(B)-リヴァプールの輸入商(C)…棉花ブローカー(D)-ランカシャーの工場主(E) という流れが、主要な系列をなしていたと考えられる。1848年の「商業的窮況にかんする委員会」上下両院における証言を整理すると、右の4段階のそれぞれについて、以下のような関係が浮かびあがってくる。
  (1) A-B間について:リヴァプールの棉花輸入商A・H・ウィリー(H・L)「1966号、棉花を輸入する商人と生産者との間では、支払いはどのように行なわれるのですか?--もしも、たとえばニューオーリンズの私の商会がリヴァプールの私に船送りするために、そこで棉花を買ったとすれば、かれらは栽培業者またはその代理商に現金で支払わねばならないでしょう。……」「1967号、この現金取引は、ほとんどつねに〔棉花の〕引渡し前に行なわれます」「1970号、……そうなるわけは計量.等級づけ・船積みという時間のかかる過程が済まないかぎり、〔棉花の〕引渡しが遂行されたとは、ほとんどいえないという事実があるからです。……」
  (2) B-C間について:A・H・ウィリー「1972号、まずニューオーリンズのあなたの商会は、あなたにあてて60日サイトの手形を振りだすのですか?--通常かれらはそうします。」リヴァプールの銀行家J・リスター(H・L)「2516号、……われわれは外国からの手形をも受け入れます。外国手形というものがあって、人がイングランドの商会に送付するのです。……」リヴァプールの銀行家A・ホジスン(H・C)「17号、私のいう引受手形とは、イングランド銀行が商人たちのために支払わなければならなかったもので、おもに海外から商人たちにあてて振り出された手形でした。かれらは、自分の生産物にたいする支払いとして何を受けとろうとも、それでもってこれらの引受手形を支払う慣行だったのです。」
  (3) C-D問について:J・リスター「2512号、……輸入商人は、生産物が到着しても充分な資本を持っていないときには、それを販売できるときまで、ブローカーへ担保に入れなければなりません。そこでただちに、保税または無税でリヴァプールの倉庫に入っているその生産物を担保にして、別種の手形がリヴァプール商人によって、ブローカーあてに振り出されます。……」リヴァプールのマーチャント・バンカーW・ブラウン(H・L)「2342号、いろいろな時期にリヴァプールに到着する棉花の量は、しばしばきわめて大量になるから、ブローカーの商人にたいする融通、あるいは銀行の棉花所有者にたいする融通がなければ、わが国の一般消費に必要な棉花の在庫を保持することは不可能でしょう」A・ホジスン「601号、あなたは銀行家として、その種の手形〔自己の資本をもたないスペキュレーターが振り出したブローカーあて手形〕をできるかぎり、避けようとしますか?--いやそうはしません。適度に保たれていれば、われわれはそれをきわめて合法的な種類の手形とみなします。」「604号、……それらは、しばしば書き換えの行なわれる手形種類に属しています。」
  (4) Eの支払いについて:A・ホジスン「26号、……リヴァプールでは特別の取り決めがないかぎり、買手はつねに、その支払いを現金または手形で行なう権利を持っています。買手はその手形を低い利子率で割引けるときには、ガーニィ商会またはロンドンのどこかでそれを割引き、生産物にたいして現金で支払います。他方5%以下で手形を割引けないときには、手形で支払う権利を利用します。」「21号、〔そのばあいに支払われる〕手形は、内国取引およびわが国の一般商業に通常の、ほとんどあらゆる種類の手形でした。われわれはそれらを雑手形と呼んでいます。」A・H・ウイリー「1968号、……製造業者たちは、10日以内に割引分を差し引いた支払いを行なう選択権を持っているが、通常支払いは三カ月の銀行手形で行なわれます。」
  以上の諸証言によれば、第1にA-B間の支払いは現金で行なわれる。そのさい、AにたいするCの支払いが質問された1966号において、Cの「コルレス商会」としてのBの支払い方法が解答されていることから明らかなように、当時の棉花輸入は、自己の採算によって買付けを行なうリヴァプール輸入商のイニシァティブのもとにあり、アメリカ輸出商は、実質上その代理商として機能することが多かったのである。これは事実上、1970号にみられるような輸入諸費用がイギリス側の負担によってまかなわれることを意味していた。
  第2にB-C間の支払いは、BのC (またはリヴァプールにおけるその取引先銀行) あて手形の振り出しによって行なわれる。この手形はただちにイギリスに送付されて通例リスター2516号やホジスン17号にみられるように、リヴァプールの諸銀行やイングランド銀行本支店で直接・間接の割引をうけるが、注意されなければならないのは、Cの支払いが、かならずしも2ヵ月という手形期限内に遂行される必要はないという点であった。
  というのは第3に、C-D間で棉花を担保にしてCからDあてに手形が振り出される関係が一般化していたからであって、これを通して(または同じ操作を行なうスペキュレーターへの売却を通して)、Cは、輸入棉花の最終的な販売代金を入手する以前に、B-C間で振り出された手形の支払い、ないしはそれを肩替りした銀行への返済を行なうことが可能だったのである。年末ですら国内消費の2分の1を越えるほど大量のリヴァプール棉花在庫の変動が、一般的にいって年頭から6・7月ごろにかけての輸入状況と綿工業における原料需要の程度とに対応していたことはよく知られているが、右のブローカーあて手形の振り出しと引受け、ならびにホジスン601・4号が承認するようなこれにたいする寛大な取扱いは、そうした変動に流動的に即応しうる体制が、アメリカ栽培業者はいうにおよばず、イギリス輸入商の負担すらさして必要とされることなく確保されていた関係を、集約的に示すものだったといえよう。その重要性は、ブラウン2342号が強調する通りであった。
  第4に綿工場主たちの支払いは、かれらが綿製品の販売によって入手した手形または現金によって行なわれるが、ウィリー1968号にみえるように、手形支払いのケースが一般的だったと考えてよい。そのかなりの部分が3ヵ月の銀行手形であったといわれているのは、かれらが、綿製品の買手にあてて振り出した手形を、その地方の銀行においてロンドン代理店あての銀行手形にふりかえるか、またははじめに買手のロンドンにおける直接・間接の取引先銀行あてに手形を振り出すことが多かった事情を、示すものであった。この種の手形のなかでは、マンチェスターのジョーンズ・ロイド商会(通貨学派の領袖として著名なオーバーストンの銀行) によって、ロンドンの同商会あてに振り出された手形が多数を占めていたとされるが、同商会の銀行手形は支払手段として20-30人の手を経たといわれているから、工場主たちが、最初にこれを販売代金として受けとるケースもしばしばであったにちがいない。工場主たちの支払いが現金で行なわれるのは、ホジスン21号に示されるような「雑手形」をも含めて、さまざまなかたちをとって綿製品の販売過程から獲得される手形が5%以下で割引かれうるばあいであった。棉花の手形価格は、現金価格よりも5%だけ高かったからである。こうして支払われた手形または現金が、C-D間で振り出され割引かれた手形の最終的な決済にあてられることによって、以上の4段階のすべてが完了することになるのは、いうまでもないであろう。〉 (前掲208-210頁)

 まずここで「ブローカー」という用語が出てくるが、その意味について確認しておこう。これは「仲買人」とも言われるが、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説では次のようになっている。

 〈仲買人(なかがいにん)broker--仲買商ともいう。本来は分散卸売商のことをいったが、現在では産地買集め商をもあわせて仲買人という。それは、売り手と買い手の間に介在して販売または買付けを円滑化する特殊中間商人である。分散卸売商としての仲買人は、消費地にあって大規模な問屋または卸売商と小売商との中間に介在し、商品流通の分散を仲介する。産地買集め商としての仲買人は、生産地にあって生産者から小口の生産物を買い入れ、大口にまとめて産地問屋に売り込む。仲買人の取り扱う商品は、生産量ないし消費量の単位が小口のもの、腐敗・変質性の高いものが多く、農産物や生鮮食料品関係が中心になる。これらを取り扱う中央卸売市場のような大規模市場では、全国から販売委託された鮮魚類や農産物を、短時間のうちに大量に処理しなければならない。そのため、販売を委託された卸売業者と仕入れにくる小売商との中間に仲買人(仲卸業者)が必要となる。仲買人は自己の得意先である小売商の要求を熟知し、それに適応した商品を競り落とし、自己の計算と責任において小売商に販売する。一般の流通では、伝統的取引方式のなかで仲買人の中間搾取が生じるとして、排除の対象にされたこともある。[森本三男]〉

 だからここでは綿花の輸入商から綿花を購入して、それをさまざまな消費者である綿糸製造業者に販売する仲買人のことを指すと考えてよいであろう。

  さて、それでは上記の藤川氏の当時の綿花の輸入における手形信用の実態についての分析を頭に入れながら、最初のマルクスの抜粋文を検討してみよう。

  (ⅰ)の引用文について

  まずここで主に問題になっているのは、藤川氏の例ではC(リヴァプールの綿花輸入商)-D(綿花ブローカー)間の取引である。質問者は〈それらの手形はおもにだれによって引き受けられたのですか〉と聞いている。そしてその質問者のいう〈手形〉にマルクスは〈それで綿花が買われた〉と括弧に入れて説明を加えている。ということはこの手形というのは、綿花を買った時にアメリカの輸出商が振り出した為替手形と考えられなくもない。しかしそのあとの回答者の説明をみると、〈ある人が綿花を買い,そしてそれをブローカーに引き渡すと,このブローカーあてに手形を振り出して,それを割引してもらうのです〉と答えている。この回答者の説明は、最初の質問〈それらの手形はおもにだれによって引き受けられたのですか〉に対して〈生産物のブローカーによってです〉と答えたことを引き続いて説明している一文だと考えられる。つまり綿花の輸入商が振り出した手形を引き受けたのはブローカーであり、だから輸入商はブローカーに宛てて手形を振り出したわけである。この場合の手形は支払い指図証である為替手形である。それにブローカーは引受人として署名したわけである。そしてその手形を輸入商は銀行に持ち込んで割引してもらうと説明されている。だから〈それらの手形〉というのは綿花輸入商がブローカー宛てに振り出した手形といえる。マルクスの〈それで綿花が買われた〉という説明は、輸入商から生産物ブローカーが生産物(綿花)を購入したさいの手形という意味と考えるべきであろう。それをマルクスは〈綿花手形〉と呼び、〈投機手形Bills of speculations〉とも指摘しているわけである。それがどうして〈投機手形〉なのかについては、次の藤川氏の一文から明らかになる。
  このC-D間の取引について、藤川氏は上記の引用文のなかで、次のように説明していた。もう一度、紹介しておこう。

  〈C-D間で棉花を担保にしてCからDあてに手形が振り出される関係が一般化していたからであって、これを通して(または同じ操作を行なうスペキュレーターへの売却を通して)、Cは、輸入棉花 の最終的な販売代金を入手する以前に、B-C間で振り出された手形の支払い、ないしはそれを肩替りした銀行への返済を行なうことが可能だったのである。〉

 ここで〈スペキュレーター〉という用語が出てくるが、これは「投機家」のことである。藤川氏は〈同じ操作を行なうスペキュレーターへの売却を通して〉と述べている。つまり綿花輸入業者は、輸入した綿花をブローカーに引き渡して、ブローカーに宛てて手形を振り出すのと同じ操作を、輸入商はスペキュレーター(投機家)に対しても行い、投機家に対しても手形を振り出すのだということである。そしてその手形を輸入商は輸入代金の支払に宛てると述べている。つまりブローカーに対して行うのと同じ操作を輸入商は投機家に対してもやっているということである。だからそうした投機家に宛てて振り出された手形(投機家が引受人になっている手形)を、マルクスは投機手形と呼んでいるわけである。
  また藤川氏の説明では、綿花の最終的な購入者である綿糸製造業者によって〈支払われた手形または現金が、C-D間で振り出され割引かれた手形の最終的な決済にあてられることによって、以上の4段階のすべてが完了する〉と述べていることも重要であろう。つまりC-D間の決済がすべての取引を完了させるというのである。
 というのはA-B間の取引はすでに現金で決済されて終わっている。B-C間の取引は、CがD宛てに振り出した手形を銀行で割引してもらい、その現金でBが振り出した為替手形かあるいはBの取引銀行の銀行手形を決済して終わっているからである。だから残っている信用取引はC-D間の取引だけなのである。だからそれが決済されればすべての取引が完了したことになるのである。

  (ⅱ)の引用文について

  ここで〈そうした手形〉というのは、最初の抜粋文との関連でいえば、リヴァプールの綿花輸入商が生産物ブローカーに宛てて振り出した為替手形ということであろう。それを引き受けるブローカーが投機家であれば、それは投機手形でもある。それを輸入商はリバプールの銀行で割引してもらうわけである。さらに回答者は〈この融資はおもにリヴァプールの銀行によってなされましたが,もしそれがそのようにしてなされなかったならば,昨年の綿花は1重量ポンドあたり1[1/2]ペンスか2ペンスは安かったと思います〉と答えている。つまりそうした銀行の融資がされなければ、綿花の価格は安かったと思うと答えている。ということはその融資の利子分が商品の価格に上乗せされたということであろうか。しかしこれはもちろん彼らの転倒した意識から生じているものである。商業資本が支払う利子も彼らが獲得する商業利潤もすべて生産的資本家たちの生産する剰余価値の分岐したものであるから、商業資本は実は彼らの負担する利子分と彼らの得る利潤分だけ少ない価値額に相当する価格で生産的資本家たちから商品を購入するのであり、そしてそれを価値通りの価格で販売することによって、彼らの負担する利子分や利潤の獲得が可能になるのである。それを彼らの意識では、仕入れ価格に利子分をコストとして加え、それに彼らの利潤分を追加して販売価格とするのである。だから利子負担が減れば、コストが減った分だけ価格もそれだけ下がっただろうと意識するわけである。】


【47】

 〈①第600号。「〔トンプスン〕あなたは,投機師たちからリヴァプールの綿花ブローカーあてに振り出された大量の手形が流通した,と言われましたが,その方式は,綿花だけでなくて,植民地生産物や外国生産物引き当ての手形にたいするあなたがたの前貸にも広げられましたか?--〔ホヂスン〕それはあらゆる種類の植民地生産物について言えることですが,しかし綿花については格別にそうです。」

  ①〔注解〕このパラグラフと次のパラグラフでの引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8.S.251.37-252.4.)〉 (199頁)

  【このパラグラフと次のパラグラフは先のパラグラフに続くもののようである。しかしここでは〈投機師たちからリヴァプールの綿花ブローカーあてに振り出された大量の手形〉と書かれている。綿花の輸入商はブローカーに輸入した綿花を引き渡し、ブローカーに宛てて手形を振り出したのと同じ操作を、投機家に対しても行うという先の藤川氏の指摘にもとづくと、そうした輸入綿花を引き受けた投機家たちは、それを今度は生産物ブローカーに売りさばき、そして今度は投機家たちがブローカーに宛てて手形を振り出したということである。もう一度、藤川氏の別の引用文を紹介してみよう。

  〈A・ホジスン「601号、あなたは銀行家として、その種の手形〔自己の資本をもたないスペキュレーターが振り出したブローカーあて手形〕をできるかぎり、避けようとしますか?--いやそうはしません。適度に保たれていれば、われわれはそれをきわめて合法的な種類の手形とみなします。」「604号、……それらは、しばしば書き換えの行なわれる手形種類に属しています。」〉

  ここでのホジスンの回答は次のパラグラフに引用されているものと号数としては同じであるが若干説明が加えられている。ここで〔  〕のなかで〈自己の資本をもたないスペキュレーターが振り出したブローカーあて手形〉というのが、まさに今問題になっている〈投機師たちからリヴァプールの綿花ブローカーあてに振り出された大量の手形〉に該当するものであろう。そしてこうした手形は綿花だけでなく、あらゆる種類の植民地生産物について言えることだが、綿花については格別、投機の対象になったと答えている。】


【48】

 第601号。〔「〕〔トンプスン〕あなたは銀行業者としてこの種の手形はよくないとお考えですか?--〔ホヂスン〕そうは考えません。その保有量が適度でさえあれば,私たちはそれをまったく正当な種類の手形とみなします。……この種の手形はしばしば書き替えられます。」〉 (199頁)

 【これは先のパラグラフに直接続くものであろう。この抜粋文はすでに先のパラグラフで紹介したものと同じものである。
 ここでは投機師たちが振り出した大量の手形が出回ることについて、良くないかとの質問に、銀行業者はそうは考えないと答えている。その保有量が適度であれば、それらはまったく正当な種類の手形とみなすと述べている。つまり投機も商業活動に不可欠なものだということである。
  マルクスはわれわれのパラグラフ番号では【34】で次のようなギルバトの一文を抜粋していた。もう一度参考のために紹介しておこう。

  〈/318上/(6)【MEGA II/42,S.475.18-23】銀行業と投機。〔「〕銀行〔業〕の目的は事業に便宜を与えることであり,事業に便宜を与えるものはなんでも,投機に便宜を与えるのである。事業と投機とは,若干の場合にはきわめて密接に結びついているので,どこまでが事業でどこからが投機なのかを言うことは不可能である。……銀行があるところではどこでも,資本がより容易により安い率で手にはいる。資本が安いということは投機に便宜を与えるのであって,それは,牛肉やビールの安いことが大食や酒びたりに便宜を与えるようなものである。」(〔ギルバト,同前,〕137,138ページ。)|〉

  一般に、投機は、商品の価格の変動を見越して儲けようとするのであるが、それは同時に価格変動によるリスクを肩代わりするという役割を持っているのである。だから投機はある意味では商業活動に必要不可欠なものとも言えるのである。ヒルファーディングは『金融資本論』で〈投機の社会的意義〉について、次のように述べている。

  〈投機は、すべての価格差を、未来のそれをも、ただちに利用しえなければならない。したがって投機は、どの瞬間にも、未来のどの瞬間にたいしても、売買することができねばならない。これこそが定期取り引きの本質である。そうすることにより、投機は一年中のどの瞬間の価格をも創造する。しかし、投機がそれをするので、製造業者や商人は、価格発展上の偶然的な諸結果を自分のために取り除き、価格動揺から自分をまもり、価格変動の危険を投機に転嫁しうることになる。きょうカン采を買う粗糖製造業者はかれが粗糖をひきわかしうべき期日の先物をきょうすでに取引所で例えば13万マルクで売り得れば、このカン采にたいして例えば10万マルクを支払いうることを知る。だから、きょうこの価格で粗糖を売っておけば、かれはそのあいだにおこるいっさいの価格動揺とは無関係となり、かれの利潤を確保したことになる。そのようにして、定期取り引きのおかげで、産業資本家や商業資本家は、自分の純粋な機能に専念しうることになる。これらの動揺にそなえる必要のため産業または商業の部面に固定されていた予備資本のうちの一部分は、これによって自由となる。〉 (国民文庫303-304頁)】

  (続く)

2020年8月12日 (水)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(25・26-14)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(続き)

 


  〔信用制度についての雑録〕


  この〔信用制度についての雑録〕というのは、大谷氏自身が付けた小見出しだが、そこには大谷氏による注143)が付いている。それをまず紹介しておく。

  〈143)この前のところで,「〔Ⅰ 信用制度の概要〕」のテキストとそれへの原注が終わり,ここから,それらに関連する諸テーマについて雑多な抜き書きが--多くの場合小見出しをつけて--行なわれている。エンゲルス版では第25章の後半と第26章の初めで使われている。この部分には筆者による表題「〔信用制度についての雑録〕」をつけておく。MEGAでは,以下のうちの,318上(4),318上(5),318上(6),319上(4),319上(5)の五つを,上記テキストへの原注の一部として,原注のなかに組み込んでいるが,筆者は,それらは注記ではなく,雑録の最初でなされているギルバトからの抜粋の一部と見ており,ここに収めている。〉 (188頁)

  つまりMEGAの編集と大谷氏の編集には一部違いがあるということである。MEGAの編集氏は大谷氏が雑録と判断したものを原注の一部と判断して、原注に加えているということである。なおこの大谷氏の判断と関連するが、小林賢斎氏も雑録部分をMEGAの編集ではわれわれのパラグラフ番号で【27】の「注1)(318および319へ)」の続きと解釈してしまっているのは草稿を読み誤ったものだと次のように指摘している

  〈おそらくマルクスは引用2~7を書き抜いたついでに,ここで小見出しを付けながらギルバートの著書からの書き抜きを続けたのであろう。だからまた次に考察するように,手稿のS.318,上段,第4~第6パラグラフのギルバートからの引用8~12を,MEGA版のように,「注1)(318および319)へ」の「続き」ないしその一部として処理してしまうのは,手稿の誤読となるであろう。〉 (小林前掲332頁)。

  さて、大谷氏は新本第2巻の〈B 草稿の「〔信用制度についての雑録〕」の部分について〉で〈マルクスはこの部分をどのように書いていったのか〉と問題を提起し、次のように書いている。

  〈彼はまず,ギルバトの書を--「銀行業者からその顧客への前貸は,他の人びとの貨幣で行なわれる」という一文を先取りしているのを除いて--ページを追って抜き書きしている。関連する一群の引用ごとに見出しをつけるか,本文への注とすることを記していった。次に,「注hに」とした,『マンチェスター・ガーディアン』から引用したあと,『商業的窮境』1847年,から多数の抜粋をした。ここでも見出しをつけ,関連するものをまとめており,そのために途中に若干の前後はあるが,48にものぼる,利用された証言の番号を見られればわかるように,基本的にはじめの方からおわりの方へと順次進んでいったのである。その途中に,「monied Capitalの蓄積とそれが利子率に及ぼす影響」という表題のもとに,『通貨理論論評』とハバドとからの引用がはいっている。最後は,マルクスの短い覚え書きののち,『エコノミスト』からの抜粋で終わっている。見られるように,要するにこの部分は抜粋ノートなのである。そこで,見出しとされているテーマも,本文部分に直接関係するものもあれば,それほどでもないものもある。もちろん抜粋ノートといっても,ここでの主題に関連するものを拾っているのであるから,多かれ少なかれなんらかの関係があることはいうまでもない。〉 (122-123頁、太字は大谷氏による傍点箇所)

  要するに大谷氏によれば、これから検討するものは、マルクスが本文を書き進めるために、参考文献から抜き書きした抜粋ノートなのだということである。だから大谷氏は〔信用制度についての雑録〕としたわけである。
  とりあえず、〈雑録〉部分についての必要な情報は以上にして、われわれはマルクスが抜粋ノートとして残したものを直接検討していくことしよう。なお以下の抜粋文では、冒頭若干マルクスの問題意識を示すマルクス自身の手になる一文がつけられたりしているが、ほぼ引用文からなっているので、平易な解読文は省略する。


【32】

 〈[474]/318上/(4)【MEGA II/4.2,S.474,42-50 und 475.6-9】144)145)準備ファンドの節約。預金,小切手(ⅰ)「預金銀行は振替によって流通媒介物の使用を節約し,少額の貨幣で多額の取引を処理することを可能にする。このようにして遊離された貨幣は,銀行業者が,割引その他によって彼の顧客に前貸をすることmaking advances〕に充用する。それゆえ,振替の原理は預金制度に追加的な効果を与えるのである。」(123,124ページ。)(ⅱ)「互いに取引を行なう両当事者が彼らの口座を同じ銀行にもっていようと別々の銀行にもっていようと,どちらでもかまわない。というのは,銀行業者たちは手形交換所で彼らの小切手を交換し合うからである。預金システムは,このように振替によって,金属貨幣の使用にすっかり取って代わるほどにまで仕上げられるかもしれない。かりにだれもが銀行に[475]預金口座をもっていてその支払いのすべてを小切手でするとすれば,これらの小切手は唯一の流通媒介物となるであろう。〔しかしながら〕146)この場合には,銀行業者たちが自分の手に貨幣をもっているということが前提されなければならないであろう。そうでなければ小切手は価値をもたないであろう。」(〔ギルバト『銀行業の歴史と理論』,〕124ページ。)

  ①〔注解〕「手形交換所」--本書本巻167ページの注解注④を見よ。
  ②〔注解〕ギルバトでは,ここに「公衆については同じことなの」と書かれている。
  ③〔注解〕ギルバトでは,ここに「それが貨幣に取って代わって」と書かれている。

  144)MEGAではこのパラグラフは,先行するテキストへの原注318上(3)の一部とされている。
  145)〔E〕「準備ファンドの節約。預金,小切手。〔Oekonomisirung d.Reservefonds.Deposits,Cheques.〕」→ 「準備ファンドの節約,預金,小切手。〔Ökonomisierung der Reservefonds,Depositen,Schecks:)」
  この変更は,プンクトをコンマに変えただけであって,意味は基本的に同じである。しかしこれによって,従来の訳(長谷部訳,岡崎訳,向坂訳)での,「準備ファンドや預金や小切手の節約」という読みかたが誤っていることは明らかであろう。(もともと「預金や小切手の節約」などということは,ギルバトも論じていないだけでなく,そもそも問題になりようもなかったはずのことだったのであるが。)エンゲルス版ではこの引用は,上の見出しをつけて,ギルバトからの引用の第2のものとして--すでに見た「注1)へ(318および319ページ)」からの引用に続いて--収められている。
  146)この最後の部分のギルバトの原文を挙げておこう。In this case,however,it must be supposed that the banker has the money in his hands,or the cheques would have no value. (188-189頁)

 【ギルバトの『銀行業の歴史と理論』からの抜粋は、ここからわれわれのパラグラフ番号では【38】まで、ほぼ頁順にそってそれぞれのテーマごとに抜き書きされている。
  今回の抜き書きには冒頭、マルクスの手によって〈準備ファンドの節約。預金,小切手〉という一文が書かれ、二つの引用がなされている。以下、便宜的に番号をうって検討するが、その前に、このマルクスの冒頭の一文で注意すべきことは、〈準備ファンドの節約〉と〈預金,小切手〉とされていることである。つまり「準備ファンドの節約」というテーマが一つと、「預金、小切手」がもう一つのテーマになっている。預金は小切手と一体として問題にされていることに注意が必要である。これは小切手は預金があって初めて成り立ち、ただ預金の振替をするための信用用具の一つでしかないと考えれば、当然のことであるが、こうしたマルクスのテーマの書き方にもそうしたことが示されているわけである。その点、大谷氏の訳者注145)ではエンゲルスはプンクトをコンマに変えてしまったために、〈従来の訳(長谷部訳,岡崎訳,向坂訳)での,「準備ファンドや預金や小切手の節約」〉という誤った読み方になってしまっているのは、エンゲルスの不必要且つ不適切な修正の一つと言えるであろう。
  それでは、とにかく具体的に見て行こう。

  (ⅰ) では預金銀行は預金の振替で流通媒介物を節約するので、少額の貨幣で多額の取引を処理するとしている。ここで少額の貨幣というのは、だから振替決済で帳尻が合わないで現金を必要とした場合のわずかの貨幣を意味している。そして〈遊離された貨幣は,銀行業者が,割引その他によって彼の顧客に前貸をすることmaking advances〕に充用する〉と書いている。ここで〈遊離された貨幣〉というのは、ギルバトの意図としては、決済の帳尻を合わすために必要な貨幣以外の貨幣(預金)という意味であろう。しかし預金というのは、もともとすぐに利子生み資本として貸し出されて、そのほとんどは単なる帳簿上の記録として残るだけなのである(もちろん銀行は、預金された貨幣のうち突然の現金での引き出しなどに応じるために必要最低限の準備は手許に残すし、手形交換の帳尻を合わすために必要な貨幣もその準備の一部をなすだろう)。そしてこの帳簿上の記録が振替決済に役立つのである。ただ振替決済が流通媒介物としての貨幣の節約になるということや、その節約された貨幣が利子生み資本として貸し出されるという理解そのものは、その限りでは間違いとはいえないであろう。ここでギルバトが「預金銀行」と述べているのは、ほぼ貨幣取扱業から発展した商業銀行を指しているものであろう。

  (ⅱ) は振替決済の内容について論じている。まず振替は同じ銀行内の預金の振替なのだが、しかしそれは取引を行う両者が同じ銀行に口座を持っている必要はないということ、というのはいずれにせよ、口座を振り替えるということはそれを指図する小切手等の信用用具が必要だが、その小切手等を手形交換所で定期的に交換しあうからだというのである。

  {なおMEGAの注解①は〈本書本巻167ページの注解注④を見よ。〉とあるので、それをもう一度見ておこう。

  〈④ 〔注解〕「手形交換所〔Clearing-House〕」--ロンドンのロンバード・ストリートにある手形交換所は1775年に設立された。メンバーは,イングランド銀行とロンドンの最大級の銀行商会だった。なすべき仕事は,手形,小切手その他からなる相互の債権の差引決済であった。〉 (167頁)}

  だから銀行が異なる口座間の取引でも、手形交換所による交換によって、最終的には同じ銀行内の預金者間の預金の振替として決済されることになるのである。そしてギルバトはもしすべての人が銀行に預金口座をもち、その支払をすべて小切手でするとすれば、小切手が唯一の流通媒介物となるが、しかし貨幣は不要かというとそうではなく、銀行業者たちは貨幣を持っていなければならないこと、そうでなければ小切手は価値をもたないと指摘している。

  {これはついでに述べておくのだが、「振替」というのは、あくまでも同一銀行内の口座間の振替でしかないということが案外理解されていないので注意が必要である(大谷氏も同じ無理解に陥っている)。だから異なる銀行間における手形交換による振替の場合、少なくともそれぞれの銀行には二人ずつの顧客、だから両行併せて合計4人分の口座が前提され、それぞれの銀行内の二人の口座間での振替が行われるわけである。
   例えばN銀行とM銀行があり、N銀行にはa、bの二人の顧客の口座があり、M銀行にはc、dの二人の顧客の口座があるとしよう。今、aがcから信用で100万円の商品を買い、N宛の小切手で支払うとする。cはその小切手を取り引き銀行のMに預金する。手形交換所では、だからN行はM行から自行宛の小切手を買い取る必要があるが、それを手形交換によってチャラにするためには、N行にもM行宛の同じ額の小切手がなければならない。つまり同じようにdが信用でbから100万円の商品を購入し、自分の取り引き銀行であるM宛の小切手で支払うとする。bはそれを自分の取り引き銀行であるNに預金する。そうするとN行もM宛の同じ100万円の小切手を持っていることになり、そこで両者はそれぞれの相手銀行宛の小切手を交換して決済するわけである。
   そしてここからが肝心なのだが、この場合、N行ではaの口座から100万円を消し、bの口座に100万円を加えることになる。同時にM行でもdの口座の100万円を消し、cの口座に100万円を書き加えることになる。このN、M両行内の口座間の記帳操作を振替というのである。
  さらに老婆心で付け加えておくと、この場合、N行のaの口座からbの口座に預金が振り替えられたことになる。同じように、M行のdの口座からcの口座に預金が振り替えられたのである。しかし上記の例から分かるように、aとbとの間には商取引があったわけではない。同じことはcとdとの間にもいえる。だからこの場合、aの預金がbに移ったからと言って、それが流通手段や支払手段として機能したなどとは言えなないことは明らかである。bからaに信用で商品が販売されたわけでもないのに、aの預金がbに移ったのである。だからこの場合の振替を、aの預金が通貨として機能したなどというのがどれほど間違った主張であるかが分かるであろう。大谷氏が「預金通貨」などというブルジョア的なタームを肯定し、マルクスも同じように考えていたのだなどと強弁するような迷妄に陥ったのも、恐らくこの異なる銀行間の振替の仕組みをしっかり理解してなかったからではないかと思うのである。これらは念のために説明しておくだけであるが。}

  さてもちろん、現金として銀行券だけでなく金鋳貨や地金が流通していた当時としては、こうした理解は当然なのだが、今日のように金鋳貨や地金がもはや現金として流通していない場合は、それでも現金として通用している銀行券のなにがしかは銀行は準備として保持していなければならないが、しかしそれが小切手等の信用用具が“価値をもつ”理由ではない。やはりそれらは銀行の信用によって発行されるのであり、そうした銀行の信用は、生産の社会的関係の発展に対する信頼にもとづいており、究極においては、そうした社会的関係の物化したものである金、つまり国家(あるいは中央銀行)に集中された金地金を信用の中軸としているのである。
 ところでこれまでの引用で問題になっているのが、預金の振り替えが小切手という支払い指図によって行われ、流通媒介物がそれだけ節約されるということであった。しかしマルクスがこの抜粋につけた表題は〈準備ファンドの節約。預金,小切手〉であった。しかし流通媒介物、あるいは貨幣(通貨)の節約には言及されているが、しかしそれは〈準備ファンドの節約〉とは若干違ったものである。これは如何に理解すべきであろうか。この点、小林氏は先の著書で次のように指摘している。

 〈しかしここでギルバートが取上げているのは,「振替の原理」--小切手を用いた「預金の振替(the transfer of lodgements)」による取引の決済--と,それに基づく 「流通媒介物の使用の節約」であって,「準備金の節約(Oekonmisierung d. Reservefonds)」ではない。もっとも引用9で想定しているように,小切手が「金属通貨(a metallic currency)」に取って代わる場合にも,ギルバートは,「銀行業者は貨幣を彼の手中にしていなければ,小切手は価値を持たないであろうに」と言っており,マルクスはこの銀行業者が持っている現金準備としての「貨幣」も節約されると解しているのであろうか?〉  (小林前掲334頁)

  この点、やや疑問が残る。あるいはマルクスは〈通貨の節約〉と書くべきところを間違って、〈準備ファンドの節約〉と書いたのかも知れない。ただ預金のほとんどが振り替え決済に利用されるだけであれば、預金が現金で引き出されたり、払いだされる機会がそれだけ減るということであり、それはそれだけ銀行にとっては手元に置いておかねばならな必要最小限度の準備ファンドそのものの節約になることは確かである。
  今日でも商業流通内では小切手や手形は使われているのであろうが(あるいはデジタル化の進んだ今日ではかなりの程度、電子小切手や手形等が使われているのかも知れず、これは実際の最新の商業実務を調べてみる必要があるが)、しかし取引の決済は最終的にはすべて預金の振替で行われていて、ほぼ現金の出る幕はない。また一般流通でも、ほぼすべての人が預金口座を持っており、個人的な消費支出でもカード支払が普及している。キャッシュレス社会の登場などとも言われている。この場合、カードは小切手と同じ支払指図証書としての役割を果たしているのである。だからここでも貨幣は支払手段としての機能を背景に、ただ計算貨幣としての機能を果すのみである。
  今日、流行の兆しのあるいわゆる「仮想通貨」なるものも、基本的には預金の振替決済を行うための信用用具の一つと考えるべきであろう。その意味では為替手形や小切手等と同じものであり、それ自体が通貨であるわけではない。為替が投機の対象になるように、仮想通貨も投機の対象になっているのは周知のことである。それらは概念的には有価証券であり、その限りでは需給によってその価格は変動する。投機はその変動を利用して儲けようとするわけである。今では為替や小切手等も電子為替や電子小切手(カード)等になっており、仮想通貨はそうした電子証書を使った決済を、銀行などの決済機関を媒介せずに、インターネットを利用したシステムで行うための独特の技術(セキュリティ技術)を持っているだけの話なのである。だからそれを「通貨」やそれを想像させる「コイン」などと呼ぶのは誤解を与えるものであろう。それは為替の売買を通貨の売買と観念するのと同じ間違いなのである。】


【33】

 /318上/(5)【MEGA II/4.2,S.475.10-17】銀行の組織について147)148)1)支店。2)代理店。--地方銀行業者は次のようにしている。(ⅰ)〔「〕どの地方銀行業者もロンドンに代理人をさしむけて,ロンドンで自分の銀行券や手形の支払いをさせ,また他方では,ロンドンに住んでいる当事者が地方に住んでいる当事者の使用のために預託する額を受け取る。」(ギルバト,同前,127ページ。)(ⅱ)〔「〕どの銀行業者も他の銀行業者の銀行券は自分の手もとに押えておく〔intercept〕のであって,それをふたたび払い出す〔reissue〕ことはしない。彼らは同じ場所に〔毎週〕一度か二度集まって銀行券を交換するのである。残高は,請求次第支払われるべきロンドンあての手形で支払われる,あるいは,一方の当事者のロンドンにいる代理人が,他方の当事者のロンドンにいる代理人にその額を支払うように指図される。」(〔ギルバト,〕同前,134ページ。)

  ①〔注解〕ギルバトでは次のようになっている。--「それぞれの地方銀行業者はロンドン代理人を雇って,ロンドンで自分の銀行券や手形の支払いをさせ,またもろもろの支払いを行なわせる。また他方では,ロンドンに住んでいる当事者が地方に住んでいる当事者の使用のために預託している額を受け取る。」
  ②〔注解〕ギルバトでは次のようになっている。--「銀行券を発行するどの銀行業者も自身の銀行券のための余地をより多くするために,どの他の銀行業者の銀行券をも流通から引き揚げることに利益〔interest〕をもっている。銀行業者は,他の銀行業者の銀行券を受け取ったとき,それをふたたび払い出すことはしない。二人の銀行業者が同じ場所に住んでいれば,彼らは毎週一度か二度,都合のつくときに会って,彼らの銀行券を交換する。両者のあいだの残高は,請求次第支払うべきロンドンあての手形で支払われるか,あるいは,結局同じことになるが,一方の当事者のロンドン代理人が他方の当事者のロンドン代理人にその額を支払うように指図される。」

  147)MEGAでは,このパラグラフは先行するテキストへの原注318上(3)の一部とされている。
  148)〔E〕「1)支店。2)代理店。--地方銀行業者は次のようにしている。〔1)branches.2)agencies:So d.country bankers〕」→ 「銀行の手に地方的交易が集中されるのは次のことによってである。1.支店銀行によって。地方銀行はその地方の小都市に支店をもっており,ロンドンの銀行はロンドンのあちこちの地区に支店をもっている。2.代理店によって。」
  エンゲルス版では,以下の引用は,ギルバトからの引用の第3のものとして--すぐ前の引用に続いて--収められている。〉 (189-190頁)

 【ここではマルクスの問題意識によって、ギルバトの著書をある程度まとめている。まず〈銀行の組織について〉とテーマを書き、〈1)支店〉と〈2)代理店〉の二つを挙げて、〈地方銀行業者は次のようにしている〉と具体的に見ている。そして二つの引用を行うのであるが、この二つの引用のうち(ⅰ)はギルバトの著書の第IX章「送金銀行(Banks of Remittance)」からのものであり、(ⅱ)は第X章「発券銀行」からのものである(小林前掲334頁)。

  (ⅰ) まず〈どの地方銀行業者もロンドンに代理人をさしむけて,ロンドンで自分の銀行券や手形の支払いをさせ〉るとあるが、MEGAの注解では〈それぞれの地方銀行業者はロンドン代理人を雇って,ロンドンで自分の銀行券や手形の支払いをさせ,またもろもろの支払いを行なわせる〉となっている。つまり地方銀行はロンドンに代理人を雇って〈自分の銀行券や手形〉、これはつまり地方銀行業者が発行した銀行券や手形ということであろうが、それに対する支払を依頼するわけである。あるいはもろもろの支払いも行わせるということである。
  〈また他方では,ロンドンに住んでいる当事者が地方に住んでいる当事者の使用のために預託する額を受け取る〉。これはロンドンに住んでいる顧客が地方に住んでいる顧客の取引相手に支払うために預託する額を、ロンドンの代理人に受け取らせるということであろうか。この場合、ロンドンの顧客は現金を預託した代わりに同じ額の小切手か銀行業者手形を受け取り、それを地方の取引相手に郵送し、その地方の取引相手はその受け取った小切手か銀行業者手形を地方銀行に持参して、現金を受け取るか、自身の地方銀行の口座に預金として積み増すということであろうか。
  いずれにせよ当時の銀行の仕組みに精通しないとなかなか具体的なイメージとしては捉えられないのであるが、この点、小林前掲書では、そもそもこの引用がなされている第IX章「送金銀行(Banks of Remittance)」でギルバトは何をどのように論じているのかを紹介しているので、それを参考のために紹介しておこう。

  〈ではギルバート自身はどのように論じているのか。彼はこの章ではまず,国際間での商業が貨幣の運搬(transmission,carrying,transmitting)を必要とし,そこから為替手形が発明されてきたこと,また国内,例えばイングランド内での地方間でも為替手形が用いられていたが,地方間での取引の発展が「支払における貨幣を運ぶある種の手段をもつ必要を惹き起し……結果的に銀行が設立」されてきたことを指摘する。そして彼は「一国じゅうに貨幣を運ぶ最も有効な手段は銀行の外延的な設立による」として,「銀行が貨幣を運ぶ」手段の第1が「代理店」,第2が「支店」,第3が「銀行券の流通」であるとする。したがってギルバートはこの章では,それぞれについての送金の具体的仕方が,例えば,地方銀行からロンドンの代理人の貸方への記入,あるいはロンドンの銀行宛に振出された地方銀行手形の送付,あるいは「信用状」や「21日後払い手形」の郵送,一覧後7日払の銀行振出し郵便手形の発行,はてはイングランド銀行券を半裁して郵送し,受取りの通知まで残りを留め置く仕方,等々を,説明していく。そしてマルクスが引用しているのは,その第1の「代理店による」いうところの最初の部分だけなのではあるが,しかしおそらくマルクスは,「銀行の組織について」という小見出しで,制度的な組織ではなく,このような具体的な銀行間取引の実態を記しておこうとしたのであろう。〉 (前掲335頁)

  なかなか小林氏の説明を読んでも具体的なイメージは湧かないのであるが、小林氏が〈おそらくマルクスは,「銀行の組織について」という小見出しで,制度的な組織ではなく,このような具体的な銀行間取引の実態を記しておこうとしたのであろう〉と考えているのは、それほど間違った推測ではないであろう。

  (ⅱ) どの発券銀行も他の発券銀行の銀行券は手元に押さえておくのであって、それをそのまま利用して再び払い出したり手形を割引するのに使ったりはしないということである。そして彼らは週に一度か二度集まって互いの銀行券を交換するのだということである。そして帳尻が合わずに、残った残高は、つまり持参した他行の銀行券の額だけでは、自身の発行した銀行券を清算できなかった場合、その発券銀行業者は残りを請求次第支払われるロンドン宛の手形で支払うのだという。これは銀行業者手形の一種であろう、ただ支払期日がなく、要求次第に支払われるということでは銀行券と同じ性質をもつが、しかしそもそも相手銀行の方が自行が発行した銀行券を多くもっていて、その清算を要求されているのだから、それを銀行券で支払うなどということはできないだろう。要するに、この場合は帳尻が合わない分については現金での支払を要求されることになるのであるが、それを地方の銀行業者はロンドンでの支払を約束する手形を切るということである。だからまたより多くの銀行券を持参して、その支払を要求した当事者(これも別の発券地方銀行であろう)のロンドンの代理人に、他方の支払を求められている地方の発券銀行の側が、そのロンドンの代理人に依頼して、相手側の代理人に支払うよう依頼するということなのであろう。ここらあたりはなかなか当時の実際の銀行実務としてはわからないところがある。
  この部分についても、小林氏の説明を紹介しておこう。

  〈引用11は,既に指摘しておいたように第X章「発券銀行(a bank of circulation)」からの抜き書きであるが,そこでギルバートは,銀行券の,特に地方銀行券の発行にも,それを抑制する4つの要因がある(*)ことを指摘している。そしてその第3として,彼はこの引用11--「ある銀行業者が他の銀行業者の銀行券を受取る時には,彼はそれを決して再び払出さない。もしも2人の銀行業者が同じ場所に住んでいるならば,彼らは週に1~2度都合の良い時を見つけて,彼らの銀行券を交換する。彼らの間の交換尻が,もし何ほどかあるならば,ロンドン宛の手形によって支払われる」--に示されているような,銀行券交換を通じた,地方銀行間の自行銀行券のシェアー拡大競争による,地方銀行券の流通からの相互引上げという要因を挙げている。そして彼はそこで地方銀行券間の交換尻(balance)の処理の仕方を,同一都市内での地方銀行間,地方銀行のロンドン代理店間,遠隔地地方銀行間,それらの組み合わせといった条件の下で検討し,ある銀行が必要以上の銀行券を流通させようとしても結局は「交換」を通じて「還流」してしまうことを示している。そしてマルクスの関心は,ここでも引用10の場合と同様に,ギルバートが取上げている地方銀行券の発行限度の問題ではなくて,「銀行の組織」を通じた銀行券「交換」の実態の方であったのであろう。〉  (前掲335-336頁)
  (*)小林氏はこの〈4つの要因〉について〈ギルバートの挙げる4要因の,第1は銀行券に対する「公衆の必要」と前貸しの安全性に対する銀行業者自身の判断であり,第2は銀行券の兌換性であり,第4は預金への利子付与による銀行券還流の促進である〉と指摘している (339頁)

  要するに地方の発券銀行は自行の銀行券の流通のシェアーを拡大するために、あるいはそのための競争もあって、例え他行の発行した銀行券が自行に払い込まれたとしても、それを再び貸し付けや支払いにに使ったりはしないということである。つまり他行の銀行券の流通を出来るだけ抑えるために、それを手元に置き、時々発券銀行間で交換するだけだということである。そしてその際に交換尻が合わなかった場合は、ロンドンにいる代理人間での支払いを指図する証書を切るということのようである。
  因みに、マルクスが参考にしているギルバトは、小林氏によれば、銀行実務家であり、『銀行業の実務』という著書もあるらしい。】


【34】

 /318上/(6)【MEGA II/42,S.475.18-23】銀行業と投機149)150)〔「〕銀行〔業〕の目的は事業に便宜を与えることであり,事業に便宜を与えるものはなんでも,投機に便宜を与えるのである。事業と投機とは,若干の場合にはきわめて密接に結びついているので,どこまでが事業でどこからが投機なのかを言うことは不可能である。……銀行があるところではどこでも,資本がより容易により安い率で手にはいる。資本が安いということは投機に便宜を与えるのであって,それは,牛肉やビールの安いことが大食や酒びたりに便宜を与えるようなものである。」(〔ギルバト,同前,〕137,138ページ。)|

  149)MEGAでは,このパラグラフは先行するテキストへの原注318上③ の一部とされている。
  150)〔E〕エンゲルス版では,この小見出しは削除され,すぐ前の引用に,改行しないで続けられている。〉 (190-191頁)

 【この抜粋は、信用の一側面として後に第27章該当部分で、マルクスが次のように書いているものを思い出させる。

 〈信用制度に内在しており,また二面的である性格,すなわち,一面では,資本主義的生産様式の衝動である,他人の労働の搾取による致富を,最も純粋かつ最も巨大な詐欺システムおよび賭博システムにまで発展させるという性格,および少数者による社会的富の搾取,他面では,新たな生産様式への過渡形態をなすという性格,これらの性格は,ローからイザーク・ペレールまでの,信用制度の主要な告知者に,山師かつ予言者というこの愉快な混合性格を与えるのである。〉 (新本第2巻301頁)

 この抜き書きでは、投機の背景には銀行業の存在があること、銀行が便宜を与えることによって、投機がはびこることが指摘されている。そして事業と投機に境を見いだすことは困難であり、事業がすぐ投機に走ることに繋がることも指摘されている。moneyed capitalが豊富な場合、銀行は無理やりにでもそれを貸し付けて利子かせぐ必要が生じるが、そうした場合に繁茂するのが投機なのである。事業者は安価なmoneyed capitalを利用して、容易に投機に走ることができるようになるからである。
  この抜粋についても小林氏の解説を参考のために紹介しておこう。

  〈ところでギルバートはこの第X章で最初に,まず「発券銀行」による銀行券の「過剰発行」問題--この点が引用11に関連していたのであるが--を,次に「発券銀行」が「投機の精神を助長する」と非難される問題を,検討している14)。そして彼は「投機」の概念規定までも試みているのであるが,この章からのいま1つの引用--「銀行業の目的は取引を容易にすることであり,そして取引を容易にするものは何であれ投機をも容易にする。取引と投機とは若干の場合に非常に密接に結びついているので,正確にどこまでが取引で,どこで投機が始まるかをいうことは不可能なほどである。……銀行が在るところでは何処でも,資本は比較的容易に入手され,しかも比較的安い利子率である。肉やビールの低廉さが大食や酩酊を容易にするのとまさに同様に,資本の安さは投機を容易にする」--引用12--に,マルクスは「銀行業と投機」という小見出しを付けている。〉  (前掲337頁)
  著者の注14)も参考のなるので紹介しておこう。
  〈14) Gilbart,The History and prinsiples…op.cit.,p.135-139.その後彼はさらに,銀行券の発行が価格上昇に作用する場合や逆に価格低下をもたらす場合--「銀行が独占を破壊することによって価格を引き下げる」場合も含め--等を検討し,最後に「流通銀行券の量が外国為替に対してもつ作用は多くの論議の対象であった」として地金委員会報告にまで言及していく(cf.Gilbart,ibid.,p.143f.)。〉  (339頁)

  これらはあくまでも参考のために紹介しただけである。】


【35】

 [476]151)|319上|(1)【MEGA II/4.2,S.476.1-18】①152)153)手形の割引によるさまざまな事業部門への諸資本の配分
「どの事業部門も需要供給に左右される。それゆえ,資本は,需要がより少ないような物品の生産からより大きな需要があるような物品の生産への絶えまない移動をへている。だが,この移動はどのようにしてなし遂げられるのだろうか? 製造業者はある仕事を辞めてほかの仕事に就くのだろうか? そうではない。事業が下り坂にある製造業者は自分の資本を縮小させるのにたいして,事業が繁栄している製造業者は自分の資本を増大させるであろう。そしてある事業から他の事業への資本の移動は,主として為替手形によって行なわれるのである。販売した商品量が減少した製造業者は,取引銀行業者に割り引いてもらう手形を減らし,販売した商品量が増大した他の製造業者は割引のための手形をより多くもっている。銀行業者が主として手形の割引に運用する彼の資本は,こうして容易に或る製造部門から他の製造部門に,それぞれの当事者の事業に正確に比例して移動させられるのである。」(ギルバト,同前,153,154ページ。)/

  ①〔異文〕「……均等化Ausgleichung〕」という書きかけが消されている。
  ②〔注解〕ギルバトでは次のようになっている。--「どの事業部門も,需要と供給とのあいだの比率の変化から生じるもろもろの変動の影響を受ける。それゆえまた,資本は絶えまなく,需要がより少ないような物品の生産からより大きな需要があるような物品の生産への移動をへている。だが,この移動はどのようにしてなし遂げられるのだろうか? 製造業者がある仕事を辞めてほかの仕事に就くことによるのだろうか? そうではない。事業が下り坂にある製造業者は自分の資本を縮小させるのにたいして,事業が繁栄している製造業者は自分の資本を増大させるであろう。そしてある事業から他の事業への資本の移動は,主として為替手形によって行なわれるのである。販売した商品量が減少した製造業者は,取引銀行業者に割り引いてもらう手形を減らし,販売した商品量が増大した他の製造業者は割引のための手形をより多くもっている。銀行業者が主として手形の割引に運用する彼の資本は,こうして容易に,ある製造部門から他の製造部門に,それぞれの当事者の状況に正確に比例して移動させられるのである。」

  151)MEGAではこの前に「[追補]」という編集者の見出しが挿入されている。
  152)この小見出し(Vertheilung d.Capitalien in d.verschiednen Geschaftszweigen durch d.discount of bills.)の最初の単語のVertheilungは,Ausgleichungという語を消してその上に書かれたものである。これはおそらく,はじめAusgleichung der Profitrate……(利潤率の均等化云々)と書こうとしたものだと思われる。この表題の左側にインクで縦線が引かれている。そのはじめのところはゆるやかに右側に曲がり,右方に少し延びている。
  153)〔E〕エンゲルス版では,この部分は小見出しも引用も削除されている。
  雑録のなかではあるが,このような表題と引用とがすでにこの箇所にあることは,第27章相当部分のはじめの「均等化の媒介」に関する叙述に関連して注目される。エンゲルスが削った理由はわからない。〉 (191-192頁)

 【この抜粋にはマルクス自身による見出しとして〈手形の割引によるさまざまな事業部門への諸資本の配分〉という一文がつけられている。この見出しについて、大谷氏は訳者注152)でマルクスは最初は〈(利潤率の均等化云々)と書こうとしたものだと思われる〉と推測している。確かに抜粋文の内容は需要供給によってある事業部門から他の事業部門への資本の移動が生じるが、そしてそれによって利潤率の均等化が実現されるのであるが、それはある事業者が自分の事業をやめて、別の他の事業に乗り換えるというような形で移動が行われるのではなく、銀行が介在することによって貨幣資本(moneyed capital)の社会的な配分としてそれが行われることが指摘されている。これは第22章該当個所でも、利子生み資本(貨幣資本)の特性として次のように指摘されていた。

 〈貨幣市場ではただ貸し手〔lenders〕と借り手〔borrowers)とが相対するだけである。商品は同じ形態を,すなわち貨幣という形態をとっている。資本がそれぞれ特殊的生産部面または流通部面で投下されるのに応じてとるすべての特殊的姿態は,ここでは消えてしまっている。資本は,ここでは,自立的な交換価値の,貨幣の,無差別な,自分自身と同一な姿態で存在する。特殊的諸部面の競争はここではなくなる。すべての部面が貨幣の借り手Geldleiher〕としてみなひとまとめにされており,また資本も,すべての部面にたいして,その充用の特定の仕方にはまだかかわりのない形態で相対している。資本はここでは,生産的資本がただ特殊的諸部面のあいだの運動と競争とのなかでだけ現われるところのものとして,階級の共同的な資本として,現実に,重みに従って,資本への需要のなかで現われるのである。(?) 他方,貨幣資本(貨幣市場での資本)は現実に次のような姿態をもっている。すなわち,その姿態で貨幣資本は共同的な要素として,その特殊的な充用にはかかわりなしに,それぞれの特殊的部面の生産上の要求に応じていろいろな部面のあいだに,資本家階級のあいだに,配分されるのである。そのうえに,大工業の発展につれてますます貨幣資本は,それが市場に現われるかぎりでは,個別資本家,すなわち市場にある資本のあれこれの断片の所有者によって代表されるのではなくて,集中され組織されて,現実の生産とはまったく違った仕方で,社会的資本を代表する銀行業者の統制のもとに現われるのである。したがって,需要の形態から見れば,この資本には一階級の重みが相対しており,同様に供給から見ても,この資本は,大量にまとまったen masse〕貸付可能な資本として〔現われる〕のである。〉  (新本第1巻248-249頁)

 そしてマルクスは上記の記述について〈以上は,なぜ一般的利潤率は,固定した利子率と並んで,消えかかるまぼろしのようなものとして現われるのか,ということのいくつかの理由である〉と述べている。
 また第27章該当部分で信用制度について述べた次の一文をも彷彿とさせるものであろう。

  〈Ⅰ)利潤率の均等化を媒介するために,すなわち全資本主義的生産の基礎をなすこの均等化の運動を媒介するために,信用制度が必然的に形成されること。〉  (新本第2巻287頁)

  なおこの抜粋についても、小林氏はより詳しい説明を加えているので、それを参考のために紹介しておこう。

  〈引用13は,再び第XI章「割引銀行」からの抜き書きである。この章には,上述のように序論的部分があり,さらに「Ⅰ.為替手形の性質と起源」,「Ⅱ.手形の諸利点(advantages)」,「Ⅲ.手形の等級(classes)」,「IV.公証人」,「V.割引率」,「VI.割引の通貨(circulation)への影響」の諸節に分かれている。そしてギルバートは第Ⅱ節で,為替には「貨幣を移転する(transferring)手段としての有用性(utility)の他に……以下の諸利点がある」として,5点を挙げていく18)。そしてその第5項目をマルクスは,「手形の割引による種々な事業部門への諸資本の配分」という小見出しを付して引用する。……
  ギルバート自身はこの第5項目を,「手形はある事業部門から他の事業部門への,事情の求めに応じた,資本の移動を容易にする手段である」という言葉で始めている。その意味するところはこうである。即ち,需要が多く,したがってより多くの商品を生産したい製造業者はより多くの資本を求めているが,彼はより多くの商品を販売するから,また割引を求める手形もそれだけ多い。そして逆は逆である。そこで「主として手形の割引に充用しようとしている銀行業者の資本は,それぞれの当事者の事情に正確に比例して,製造業のある部門から他の部門へ,容易に移転される。」つまり製造業における資本の部門間移動は,信用制度を通して,特に手形割引を通じて行われるというのである。そして彼は,「この問題については,私はリカード氏を引用する」と述べて,自分はリカードの『経済学および課税の原理』での叙述をより具体的に展開しているものとする20)。〉  (前掲337-338頁)
  訳者注も参考になるものだけを紹介しておこう。
  〈18)「1.手形はある人から他の人へ負債(debts)を移転する手段である。」「2.手形は負債支払いの時期を確定し,また訴訟の場合には負債証拠を容易に提供する。」「3.手形は事業家をして同じ額の資本でより大きい(extensive)事業を遂行させる。」「4.手形は[信用]保証を与える容易な方法である。」「5.手形は……資本移動を容易にする手段である」(cf,ibid.,p.150-154)q。〉  (339頁)
  〈20) Gilbart,op.cit.,p.153-154.因にギルバートは,リカードの『経済学および課税の原理』第4章「自然価格と市場価格について」における,毛織物製造業と絹製造業との間での資本移動の例*を引用している。
  *Cf.D.Ricardo,On the Principles of Political Economy, and Taxation, ed.By Gonner,1925,p.66-67:羽鳥/吉沢訳(岩波文庫版)上,131-132ページ〉 (339頁)

  ついでにギルバトが引用しているというリカードの一文も紹介しておこう。

  〈絹織物に対する需要が増大し、毛織物に対する需要が減少すると、毛織物業者はその資本をたずさえて絹織物業に移動するのではなく、むしろ労働者を何人か解雇し、銀行家や資産家からの貸付に対する彼の需要を停止する。他方、絹織物製造業者の場合は逆である。彼は、より多くの労働者を雇用したい。それゆえ、借入の動機が増大する。彼は、より多くを借り入れる。それゆえ、資本は、一製造業者がこれまで営んできた事業を停止する必要なしに、一部門から他部門へ移転される。〉 (『経済学および課税の原理』羽鳥/吉沢訳(岩波文庫版)上,131-132頁)】


【36】

 /319上/(2)【MEGA II/4.2,S.476.19】154)「長期手形は投機を助長する。」(〔ギルバト,〕同前,156ページ。)/

  ①〔異文〕草稿では,このあとに「注1へ。318ページ」(〔MEGA II/4.2の〕475ページ24-42行〔本書本巻185-186ページ「319上(3) 」,「信用制度についての雑録」中の「319上(4) 」および193ページ「319上(5) 」〕),および,「注hに。318ページ」(〔MEGA II/4 .2の〕472ページ33-46行および473ページ4-18行〔本書本巻174-176ページ「319上(6) 〕)がある。

  154)〔E〕エンゲルス版では,この引用は削除されている。〉 (192頁)

  【これはマルクスによる表題なしの抜粋であるが、これは先の【34】パラグラフと同じ問題意識による抜粋と考えてよいであろう。ただ今回は長期手形が投機を助長するということであり、これは原注の【19】パラグラフにおいて東インド貿易でのいかさまとして紹介されていたことでもある。そこでは長期手形を利用して、投機が行われ、その失敗がますます投機を助長することが紹介されていた。
  この抜粋についても、小林氏の解説を紹介しておこう。

  〈ところで次の手稿S.319,上段,第2パラグラフは,「長期手形は投機を助長(encourage)する」という短かな抜き書き--引用14--で,これには手稿にも小見出しは付されていない。しかしこの抜き書きも第XI章の中の「Ⅲ.手形の等級」からの引用である。因にこの第Ⅲ節では,ギルバートは銀行に割引を求めてくる手形5種類の「等級」を論じ,融通手形を最下位に位置付けた後,今度は手形期間の長短によるメリット・デメリットを論じている。そしてマルクスの引用箇所は,「短期手形,対,長期手形」という項目の最後の部分で,「手形が短期(of short date)であれば,投機は防がれよう」という短期手形のメリットについて言われている箇所である。しかしギルバートは,長期手形はデメリットのみであると言っているのではない。「長期手形,対,短期手形」の項目の最後では次のように借手にとってのメリットを挙げている。土地所有者が借地人の長期手形を割引くことができれば,「貨幣は,その間,土地改良に充用されうる」ように,「長期手形を割引くことは資本の永久的な(permanent)前貸しに似ている」,と。だからここでも,おそらくマルクスの関心は,先の引用12の「銀行業と投機」にあって,それとの関連でここを小見出しなしに書き留めたのであろう。〉  (338頁)】


【37】

 [475]/319上/(4)【MEGA II/4.2.S,475.32-36】155)156)当座貸越cash credit〕,過振りoverdrawing〕。(ⅰ)157)「当座貸越勘定の過振り〔」〕(残高を越える小切手の振り出し)〔「〕は取引上の普通のことである。それは,じっさい,当座貸越が与えられた目的なのである。〔」〕(〔ギルバト,〕同前,174ページ。)(ⅱ)「当座貸越は人的保証にたいして与えられる〔」〕{この場合には個人が保証人となり,債務を負う}〔「〕だけでなく,公債の担保にたいしても与えられる。」(〔ギルバト,〕同前,175ページ。)/

  155)MEGAではこのパラグラフは,先行するテキストへの原注319上③ の一部とされている。
  156)〔E〕エンゲルス版では,この見出しは削除されている。
  157)〔E〕エンゲルス版では,さきに見た「銀行業と投機」という見出しのついた引用文のあとに,草稿で「注1へ(318ページ)」とされている部分にあるギルバトからの引用を改行せずに続けて置き,そのあとにこの部分の引用を,やはり改行せずに続けて置いている。〉 (192頁)

 【これらは銀行の実務の一つとしてマルクスとしてはメモしたのであろう。〈当座貸越cash credit〕,過振りoverdrawing〉というマルクスによる表題が付けられ二つの引用がなされている。〈当座貸越〉というのは、当座預金残高を越えた払い出しに応じることであろう。〈過振り〉というのも、ほぼ同じことであるが、当座預金残高を越えて小切手を振り出すことであり、いずれも預金額を越えた分は銀行による貸し出しの一形態といえるわけである。(ⅰ)では、こうした残高を越える小切手の振り出しは取り引き上は普通のことだとの指摘がある。〈それは,じっさい,当座貸越が与えられた目的なのである〉というのは、当座貸越というのは、もともと小切手を残高を越えて振り出すためにあるのだ、ということである。そして(ⅱ)では、こうした当座貸越は人的保証にもとづいて与えられるとも書かれている。もともと当座預金の開設には、一定の保証がなければならず、何らかの資産をもつ保証人や公債の担保が必要なのであろう。そうした保証にもとづいて当座貸越はなされるわけである。

  この部分の小林氏の説明は長いが、全体としてギルバトの著書の情報を提供してくれているので全文を紹介しておこう。

  〈まず第4パラグラフには,「キャッシュ クレディット,過振り」の小見出しが付けられており,それは第XⅡ章「キャッシュクレディット銀行」からの2つの抜き書から成立っている。そこで最初の文章を引用16,後の方を引用17と呼ぶこととする。
 ところでギルバートのいう「キャッシュ クレディット」とは,「当座貸越勘定(an overdrawn current account)」の一種であって,スミスが「諸国民の富』(第Ⅱ編第2章)でスコットランドの銀行に関して「キャッシュ アカウント」と呼んで紹介しているものを指している。即ち,それは「銀行の方では,個人(an individual)に彼が時々必要とする貨幣額を,全体ではある一定の額を越えない範囲で,前貸しする取り決めであり,他方,信用が与えられる個人は,前貸しが実際になされた額についての,要求次第の,前貸がなされる日からの各部分への利子を付しての,償還のための,複数の・一般的には総数2人の・保証人との契約」である。したがって「当座勘定では当事者は彼自身の保証(security)で過振りし,そしてキャッシュ クレディットでは当事者は彼のために責任を負う2人の保証人(securities)を見つけるという点を除けば,キャッシュ クレディットは,実際には,当座貸越勘定と同じものである。いま1つの相違は,ある人はそのつど銀行からの許可なしには彼の当座勘定を過振りすることはできないがそれに対しキャッシュ クレディット勘定の過振りは取引上の普通の事柄(a regular matter of business)である,という点である。それが,事実上,キャッシュ クレディットが与え(grant)られる目的なのである」,と。そして引用16は,この最後の部分である。
 そこでギルバートは,「手形を割引かせることによるよりも,キャッシュ クレディットによる」貨幣調達の方が,借手にとって「より有利」であるとして,次の4点を指摘する。即ち,「キャッシュ クレディットにおいては」,1)「当事者は彼が実際に充用する貨幣に対してのみ利子を支払う。」2)「当事者が望むときにはいつでも,引出された額のどの部分をも払戻すことができる」から,利子の支払がそれだけ少なくてすむ。3)「当事者は彼が望むときにはいつでも,彼の信用の全額を引出す法的能力(power)を持っている」から,手形割引の場合にも,手形ごとに銀行の審査を受けないですむ。4)「当事者は利子を年度末まで支払わない」,と。そしてキャッシュ クレディットの借手にとっての利点をこのように指摘した後ギルバートは,「キャッシュ クレディットは単に個人的保証で(upon personal security)与えられるのみでなく,公債(Pub1ic Funds)を担保にも与えられる」,と付け加える。引用17はこの付言部分である。
 次いでギルバートは,スミスによる「キャッシュ アカント」についての長い叙述を引用した後,今度は,キャッシュ  クレディットによる前貸しと為替手形割引との銀行業者の立場からの比較を試み,「キャッシュ クレディットは,割引勘定と当座預金勘定(a discount account and a current account)との結合物と同様に作用する」と述べ,キャッシュ クレディットと銀行営業資本との関係を次のように要約する。「銀行業者はそれ自身の額に等しい銀行営業資本をキャッシュ クレディットが維持するであろうことを期待している。銀行業者は通常前貸しの状態にあるから,キャッシュ クレディットは預金によっては銀行営業資本をなんら創造しえない。銀行営業資本は銀行券によってのみ創造されうる。そこでもしもキャッシュ クレディットでの諸操作(operations)がそのクレディットの額に等しい銀行券量を流通に維持するのに充分であるならば,その時このクレディットは銀行業者に満足を与える。が,そうでなければそれは満足を与えない。……だからキャッシュ クレディットは銀行業者の銀行券を流通させる手段をもたない……人々には与えられない」22),と。〉 (342-344頁)
  著者のつけた注22)も参考になるので紹介しておこう。
  〈22) この「キャッシュ クレディット」は「貸越当座勘定の一種」とされるが,この「当座勘定」での支払いには小切手は用いられない。「スコットランドでは当座預金を使う場合に,顧客が彼の個人的支払いのために銀行宛に小切手を振り出すことも,また銀行で支払い可能な手形を受け取ることも,一般的慣例(practice)ではない*」(Gilbart,Principle and Practice…,op.cit.,1871,p.494-495)。「この[キャッシュ クレディット]制度は銀行券流通と共にのみ存在しうる」(ibid.,p.502)。
  *なお同書の1871年版の編者は,ここに「この慣習(custom)は今日では非常に修正されている--イングランドの小切手制度がより普通になっている」との注を付している。したがって「過振り」について,マルクスが先の注16)のような説明句--「残高を越した小切手の振り出し」--を挿入することもあながち誤りとは言えないであろう。〉 (347-348頁)】


【38】

 〈/319上/(5)【MEGA II/4.2,S.475.37-42】158)159)商品担保の貸付Loans auf Waaren〕。160)「商品担保の貸付の方法で前貸される資本は,手形割引のかたちで前貸されるのと同じ結果を生む。だれかが自分の商品を担保にして100ポンド・スターリングを借りるなら,それは,彼がその商品を100ポンド・スターリングの手形と引き換えに売って,この手形を銀行業者に割引してもらったのと同じことである。この前貸を入手することによって,彼は市況が好転するまで自分の商品を売らずにおくことができ,こうして,そうでなければさしせまった目的で貨幣を調達するために払わなければならなかった犠牲を避けるのである。」(〔ギルバト,〕同前,180,181ページ。)/

  158)MEGAではこのパラグラフは,先行するテキストへの原注319上(3)の一部とされている。
  159)〔E〕エンゲルス版では,この小見出しは削除されている。
  160)〔E〕エンゲルス版では,この引用は,すぐ前の「当座貸越,過振り」という見出しのある引用文のあとに,改行せずに続けて置かれている。ギルバトからの一連の引用はここで終わる。〉 (193頁)

  【ここでも〈商品担保の貸付〉というマルクスの表題がある。ここでは商品担保の貸付と手形割引による前貸しは同じ結果を生む、との指摘がある。しかし両者には、当然、違いがある。手形割引の場合は、商品はすでに販売され、手形という形ではあるが、その価値は実現している。しかし商品担保の場合は、確かにその時点における商品の価値を担保にして貨幣を借り入れるのであり、そのかぎりでは同じ結果であるが、しかし商品担保の場合は、まだ商品の販売は行われておらず、だから業者は商況を見極めて有利な時に商品を販売すればよいわけである。手形割引も確かに手形という形での実現した商品の価値の貨幣による先取りであり、商品担保も商品の価値の貨幣による先取りではあるが、後者はより有利な条件を見定めて商品を販売することができるわけである。それによって業者は〈そうでなければさしせまった目的で貨幣を調達するために払わなければならなかった犠牲を避ける〉ことができると指摘されている。

  この部分の小林氏の解説も参考のために紹介しておこう。

  〈さて最後の引用18は,第XⅢ章「貸付銀行(loan banks)」からの抜き書きで,そこにはマルクスによって「商品担保貸付」との小見出しが付されている。ギルバートによると「貸付銀行は,商品担保貸付(advancing loans upon articles of merchandise)の目的で形成された銀行」を意味し,それには「収益目的のためのものと慈善動機のもの」とが存在する。そしてマルクスが引用してくるのは収益目的のための貸付に関する部分からで,手形割引による前貸しとの比較の文章である。即ち,「商品を担保に,貸付という仕方で前貸しされた資本は,恰も手形の割引で前貸しされたかのような,同じ作用を生み出す。ある当事者が彼の商品を担保に100ポンド借りるならば,それは恰も彼が彼の商品を100ポンドの手形と引き替えに販売し,それを銀行者に割引かせたのと同じである。この前貸しを得ることによって,彼はこの商品をより良い市場を求めて持ち越すことが可能とされ,そしてさもなければ,差し迫った目的のために貨幣を調達しようとして,彼が見切り売りに誘い込まれたかもしれない犠牲を避ける」,と。
 そしてギルバートは,次の結論を引出す。即ち,だから「銀行業者による貨幣の前貸し(advance)はいずれも,たとえそれがどのような仕方でなされるにせよ,事実上は貸付(loan)である。」担保貸付と手形割引との「相違」は,担保が1つかそれとも2つないしそれ以上か,返済の時期が固定されているか,利子が前貸しされた時点で全額支払われるかどうか,である。いずれの場合にも「事業主(trader)は同額の貨幣融通を受け,通商への影響は同じであろうということは明らかである。手形は単に債務の,振出人から,振出人の保証での,銀行への移転にすぎない。キャッシュ クレディットは貸付であり,貸付額は毎日変動するがしかし最高額は固定されている。……貸越勘定,抵当(mortgages),何らかの質(pledges)または担保(securities)での貨幣前貸し(advance)すべてが,貸付(loan)であることをいうのは不必要である」,と。〉  (344頁)

  以上でギルバトの著書からの抜粋は終わっている。】

  (続く)

2020年8月 5日 (水)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(25・26-13)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(続き)

 

◎第25章該当部分の本文の繋がり

  これまでマルクスのテキストを段落ごとに解読してきたが、本文そのものはそれほど分量としてはないのに、その間に原注がいくつも挿入され(しかも原注の原注まであって)、むしろ本文そのもののつながりがみえにくくなっていた。だから次のテキストの解読に移る前に、一度、本文だけを抜き出してみて、全体を読み通せるようなものにしてみようと思う。とにかく読みやすくするために、MEGAの注解や異文等不必要なものはすべて省略する。またそれぞれのパラグラフに改めて通し番号を付した。

 (1)信用制度とそれが自分のためにつくりだす,信用貨幣などのような諸用具との分析は,われわれの計画の範囲外にある。ここではただ,資本主義的生産様式一般の特徴づけのために必要なわずかの点をはっきりさせるだけでよい。そのさいわれわれはただ商業信用だけを取り扱う。この信用の発展と公信用の発展との関連は考察しないでおく。

  (2)私は前に,どのようにして単純な商品流通から支払手段としての貨幣の機能が形成され,それとともにまた商品生産者や商品取扱業者のあいだに債権者と債務者との関係が形成されるか,を明らかにした。商業が発展し,ただ流通だけを考えて生産を行なう資本主義的生産様式が発展するにつれて,信用システムのこの自然発生的な基礎Grundlage〕は拡大され,一般化され,仕上げられていく。だいたいにおいて貨幣はここではただ支払手段としてのみ機能する。すなわち,商品は,貨幣と引き換えにではなく,書面での一定期日の支払約束と引き換えに売られるのであって,この支払約束をわれわれは手形という一般的範疇のもとに包括することができる。これらの手形は,その支払満期にいたるまで,それ自身,支払手段として流通するのであり,またそれらが本来の商業貨幣をなしている。それらは,最終的に債権債務の相殺によって決済されるかぎりでは,絶対的に貨幣として機能する。というのは,この場合には貨幣へのそれらの最終的転化が生じないからである。生産者や商人のあいだで行なわれるこれらの相互的な前貸が信用制度の本来の基礎〔Grundlage〕をなしているように,彼らの流通用具である手形が本来の信用貨幣,銀行券流通等々の基礎をなしているのであって,これらのものの土台〔Basis〕は,貨幣流通(金属貨幣であろうと国家紙幣であろうと)ではなくて,手形流通なのである。

  (3)信用制度の他方の側面は貨幣取扱業の発展に結びついている。貨幣取扱業の発展は,もちろん,資本主義的生産様式一般のなかで進む商品取扱業の発展と歩調をそろえて進んでいく。

  (4)すでに前章で見たように,商人等々の準備ファンドの保管,貨幣の払い出しや受け取りの技術的諸操作,国際的支払い(したがってまた地金取り扱い)は,貨幣取扱業者の手に集中される。貨幣取扱業というこの土台のうえで信用制度の他方の側面が発展し,〔それに〕結びついている,--すなわち,貨幣取扱業者の特殊的機能としての,利子生み資本あるいはmonied Capitalの管理である。貨幣の貸借が彼らの特殊的業務になる。彼らはmonied Capitalの現実の貸し手と借り手とのあいだに媒介者としてはいってくる。一般的に表現すれば,銀行業者の業務は,一方では,貸付可能な貨幣資本を自分の手中に大規模に集中することにあり,したがって個々の貸し手に代わって銀行業者がすべての貨幣の貸し手の代表者として再生産的資本家に相対するようになる。彼らはmonied Capitalの一般的な管理者としてそれを自分の手中に集中する。他方では,彼らは,商業世界全体のために借りるということによって,すべての貸し手に対して借り手を集中する。(彼らの利潤は,一般的に言えば,彼らが貸すときの利子よりも低い利子で借りるということにある。)銀行は,一面ではmonied Capitalの,貸し手の集中を表わし,他面では借り手の集中を表わしているのである。

  (5)銀行が自由に処分できる貸付可能な資本は二様の仕方で銀行に流れ込む。一方では,生産的資本家たちの出納係として,銀行の手中には,それぞれの生産者や商人が準備ファンドとして保有するmonied Capitalまたは彼らのもとに支払金として流れてくるmonied Capitalが集中する。この準備ファンドは,銀行の手中で,貸付可能なmonied Capitalになる。これによって,商業世界の準備ファンドは,共同の準備ファンドとして集中されるので,必要な最小限度に制限されるのであって,そうでなかったならば準備ファンドとして眠っているはずのmonied Capitalの一部分が利子生み資本として機能する,つまり貸し出されるのである。ところで他方では,銀行の貸付可能な資本は,貨幣資本家たち〔monied Capitalists〕の預金によって形成されるのであって,彼らはこの預金の貸出を銀行にまかせるのである。銀行システムの発展につれて,またことに銀行がどの預金にも利子を支払うようになれば,すべての階級の貨幣貯蓄(すなわち当面遊休している貨幣)は銀行に預金され,こうして,そうされなかったならばmonied Capitalとして働くことができなかったはずの小さい金額が大きな金額に,こうして一つの貨幣力〔monied force〕にまとめられる。この集積〔co11ection〕は銀行システムの特殊的作用として,本来の貨幣資本家〔monied capitalist〕と借り手とのあいだでの銀行の媒介者的役割〔Mittlerschaft〕とは区別されなければならない。最後に,ただ少しずつ消費しようとする収入も,銀行に預金される。

  (6)貸付は(ここでは本来の商業信用〔Handelscredit〕だけを取り扱う),手形割引--手形をその満期前に貨幣に転換すること--によって,また,さまざまの形態での前貸,すなわち,スコットランドの諸銀行でのような対人信用での直接前貸,各種の利子生み証券,国債証券,株式を担保とする前貸,ことにまた積荷証券,倉荷証券,および商品所有証書であるその他の証券を担保とする前貸によって,預金を越える当座貸越し,等々によって,行なわれる。

  (7)ところで,銀行業者が与える信用はさまざまな形態で,たとえば,銀行業者手形,銀行信用,小切手,等々で,最後に銀行券で,与えられることができる。銀行券は,持参人払いの,また銀行業者が個人手形と置き換える,その銀行業者あての手形にほかならない。この最後の信用形態はしろうとには,とくに目につく重要なものとして現われる。なぜならば,1)信用貨幣のこの形態はたんなる商業流通から出て一般的流通にはいり,ここで貨幣として機能しており,また,たいていの国では銀行券を発行する主要銀行は,国立銀行〔Nationalbank〕と私立銀行との奇妙な混合物として事実上その背後に国家信用〔Nationalcredit〕をもっていて,その銀行券は多かれ少なかれ法貨でもあるからである。なぜならば,2)銀行券は流通する信用章標にすぎないので,ここでは,銀行業者が取り扱うものが信用そのものであることが目に見えるようになるからである。しかし,銀行業者はそのほかのあらゆる形態での信用でも取引するのであって,彼が自分に預金された貨幣を現金で前貸する場合でさえもそうである,等々。実際には,銀行券はただ卸売業の鋳貨をなしているだけであって,銀行で主要な問題となるのはつねに預金である。たとえば,スコットランドの諸銀行を見よ。

  (8)特殊的信用諸用具ならびに銀行の特殊的諸形態は,われわれの目的のためにはこれ以上考察する必要はない。〉

  こうして見ると本文は8つのパラグラフからなり、マルクスが最初に〈必要なわずかの点をはっきりさせるだけでよい〉と述べているように、極めて簡潔に必要なものだけを明らかにしているといえる。
 ついでだから、これらに対する書き下し文ももう一度書き出してみよう。

 (1) 〈信用制度とそれが自分のためにつくりだす、信用貨幣などのような諸用具との分析は、私たちの計画(つまりこの『資本論』の構想)の範囲外にあります。だからここでは、ただ資本主義的生産様式一般の特徴付けのために必要なわずかの点をはっきりさせるだけでよいでしょう。そのさいは私たちは商業信用だけを取り扱います。だからこの信用、すなわち信用制度とその諸用具の発展、あるいはそれと公信用の発展との関連は考察しないでおきます。〉

  (2) 〈私は以前どのようにして単純な商品流通から支払手段としての貨幣の機能が形成され、それとともにまた商品生産者や商品取扱業者のあいだに債権者と債務者との関係が形成されるか、を明らかにしました。商業が発展し、ただ流通だけを考えて生産を行う資本主義的生産様式が発展するにつれて、信用システムのこの自然発生的な基礎は拡大され、一般化され、仕上げられて行きます。だいたいにおいて発展した資本主義的な商業においては、貨幣はただ支払手段としてのみ機能します。すなわち、商品は、貨幣と引き換えにではなく、書面での一定期日の支払約束と引き換えに売られるのです。われわれはこの支払約束を手形という一般的範疇のもとに包括することが出来ます。これらの手形は、その支払満期にいたるまで、それ自身、支払手段として流通します。そうした流通する手形こそ本来の商業貨幣をなしているのです。それらは最終的に債権債務の相殺によって決済される限りでは、絶対的に貨幣として機能します。なぜなら、そうした場合には手形の貨幣への最終的転化が生じないからです。生産者や商人のあいだで行われるこれらの相互的な前貸し、すなわち商業信用こそが信用制度の本来の基礎をなしているのです。同じように彼らの流通用具である手形が本来の信用貨幣、すなわち銀行券流通等々の基礎をなしているのです。だから銀行券流通の土台は、貨幣流通(金属貨幣であろうと国家紙幣であろうと)ではなくて、手形流通なのです。〉

  (3) 〈信用制度の一方の側面は、すでに述べましたように、商業信用の発展を基礎としていましたが、他方の側面は貨幣取扱業の発展に結びついています。貨幣取扱業の発展は、もちろん、資本主義的生産様式一般のなかで進む商品取扱業の発展と歩調をそろえて進んでいくのです。〉

  (4) 〈すでに前章(前篇、つまり第4篇「商品資本および貨幣資本の商品取引資本および貨幣取引資本への転化(商人資本)」をさす)で見ましたように、商人等々の準備ファンドの保管、あるいは貨幣の払い出しや受け取りの技術的諸操作、あるいはまた国際的な支払い(したがってまた地金の取り扱い)は、貨幣取扱業者の手に集中されます。貨幣取扱業というこの土台のうえで信用制度の他方の側面が発展し、それに結びついています。--すなわち、貨幣取扱業者の特殊的機能としての、利子生み資本あるいはmoneyed capitalの管理です。貨幣の貸借が彼らの特殊業務となります。彼らはmoneyed capitalの現実の貸し手と借り手とのあいだに媒介者として入ってくるのです。一般的に表現すると、銀行業者の業務は、一方では、貸付可能な貨幣資本を自分の手に大規模に集中することにあり、したがって個々の貸し手に代わって銀行業者がすべての貨幣の貸し手の代表者として再生産的資本家たちに相対するようになります。彼らはmoneyed capitalの一般的な管理者としてそれを自分の手に集中するのです。他方では、彼らは商業世界全体のために借りるということによって、すべての貸し手に対して借り手を集中します。(彼らの利潤は、一般的にいえば、彼らが貸すときの利子よりも低い利子で借りるということにあります。)銀行は、一面ではmoneyed capitalの、貸し手の集中を表し、他面では借り手の集中を表しているのです。〉

  (5) 〈銀行が自由に処分できる貸付可能な資本は二つの仕方で流れ込みます。
 一つは、生産的資本家たちの出納係として、銀行の手中には、それぞれの生産者や商人が準備ファンドとして保有するmonied capitalまたは彼らのもとに支払金として流れてくるmonied capitalが集中します。この準備ファンドは、銀行の手のなかで、貸し付け可能なmonied capitalとなります。これによって商業世界の準備ファンドは、共同の準備ファンドとして集中されるので、それが必要な最小限度に制限されます。だからもしそうでなかったら準備ファンドとして眠っているはずのmonied capitalの一部分が利子生み資本として機能することになります。つまり貸し出されるのです。
 もう一つの仕方は、銀行の貸し付け可能な資本は、貨幣資本家たちの預金によって形成されます。彼らはこの預金の貸し出しを銀行に任せるのです。銀行システムの発展につれて、またことに銀行がどの預金にも利子を支払うようになれば、すべての階級の貨幣貯蓄(当面遊休している貨幣)は銀行に預金され、こうして、そうされなかったならばmonied capitalとして働くことができなかったはずの小さい金額が大きな金額になり、こうして一つの貨幣力にまとめられます。この集積は銀行の特殊的作用として、本来の貨幣資本家と借手とのあいだでの銀行の媒介的役割とは区別されなければなりません。最後に、ただ少しだけ消費しようとする収入も、銀行に預金されます。〉

  (6) 〈すでに最初にも指摘しましたように、私たちは信用制度を商業信用との関連だけで取り扱います。だから銀行からの貸付は主要には手形の割引によってなされます。これは手形をその満期前に貨幣に転換することです。あるいはそれ以外のさまざまな前貸しでも行われます。例えばスコットランドの諸銀行でのように対人信用での直接前貸、各種の利子生み証券、国債証券、株式を担保とする前貸、ことにまた積荷証券、倉庫証券、および商品所有証書であるその他の証券を担保とする前貸、あるいは預金を越える当座貸越し、等々によって、行われます。〉

  (7) 〈ところで、銀行業者が与える信用はさまざまな形態で与えることが出来ます。例えば銀行業者手形、銀行信用、小切手、等々です。そして最後に、銀行券で与えることが出来ます。銀行券は、持参人払いの、銀行業者が個人手形と置き換える、その銀行業者あての手形にほかなりません。この最後の信用形態はしろうとには、とくに目につく重要なものとして現われます。というのは、まず第一に、信用貨幣のこの形態はたんなる商業流通から出て一般流通に入り、そこで貨幣として機能しているからです。おまけに、たいていの国では銀行券を発行する主要銀行は、国立銀行と私立銀行との奇妙な混合物として事実上その背後に国家信用をもっていて、その銀行券は多かれ少なかれ法貨でもあるからです。第二の理由は、銀行券は流通する信用章標にすぎないので、ここでは、銀行業者が取り扱うものが信用そのものであることが目に見えるようになるからです。しかし、銀行業者はその他のあらゆる形態での信用でも取引するのであって、彼が自分の預金された貨幣を現金で前貸しする場合でさえもそうなのです、等々。実際には、銀行券はただ卸売業の鋳貨をなしているだけであって、銀行で主要な問題となるのは常に預金なのです。例えば、スコットランドの諸銀行を見れば分かります。〉

  (8) 〈これ以上の特殊な信用諸用具や銀行の特殊な諸形態については、資本主義的生産様式一般の特徴付けのために必要なわずかの点を明らかにするという私たちの目的のためには、もうこれ以上考察する必要はないでしょう。〉

  以上が、本文としてマルクスが書いた一連の文章である。もう一度、それぞれについてその内容を確認しておこう。

  (1) は、これからの考察の課題を明確にしている。つまり信用制度(銀行制度)のさまざまな発展形態やそれが創り出すさまざまな特殊な信用諸用具などの考察は、本来の『資本論』の構想の枠外のものであるとの位置づけがまず語られている。だからこれから考察するものは、資本主義的生産様式一般を特徴づけるのに必要な限りで、つまり利子生み資本の概念とその具体的な運動諸形態とを把握するのに必要な限りで、信用制度(銀行制度)とそれが作り出す信用諸用具をこれから考察するのだ、ということである。そしてこうした限定された信用制度とその信用諸用具の考察というのは、結局は、商業信用との関連において、そうした限定されたものとして、それらを考察することでもあるのだと指摘している。

  だから(2)は、まずは商業信用の考察から始めている。『資本論』の冒頭篇において、貨幣の支払手段の機能から債権・債務の関係が生じることを明らかにしたが、商業信用というのはそうしたものが資本主義的生産様式が発展にするにつれて拡大し、一般化され、仕上げられたものなのである。こうした単純な商品流通の中から自然発生的に生まれた債権・債務関係の発展したものこそ、すなわち商業信用こそが信用制度(銀行制度)の本来的な基礎をなしているのである。それらが商業信用といわれるのは、一般に商業流通内(主に産業資本間やそれらと商業資本との間、あるいはそれらと小売資本との間における流通)における信用だからである(だから小売り業者と個人消費者間の流通、すなわち一般流通とは区別されたものである)。商業流通においては貨幣はだいたいにおいて支払手段として機能する。商業信用においては商品は書面での一定期日の支払約束と引き換えに手渡されるが、それを「手形」という一般的範疇に包括できる。手形は裏書譲渡されて流通し、商業貨幣として機能する。それらが最終的に相殺されて、決済されるなら、絶対的に貨幣として機能することになる。しかしここで「貨幣として機能する」というのはあくまでも観念的な計算貨幣(価値尺度)としての機能を指している。なぜなら、それによって債権・債務関係はすべて相殺され、現実の貨幣に転化することはないからである(だから支払手段としての貨幣の機能にもとづいてはいるが--なぜなら支払手段としての貨幣の機能によってそれらは債権・債務の関係の連鎖を形成したのだから--、しかし実際には最終的には貨幣は支払手段として機能(出動)するわけではない)。だからそれらが本来の商業貨幣であるということは、あるいはそもそも商業貨幣というのは、諸商品の流通においてそれらの価値の実現が、支払手段としての貨幣の機能にもとづいて、信用によって売買され最終的に相殺されて決済されるための信用諸用具だという意味である。つまり商業貨幣の貨幣としての機能というのは支払手段としての貨幣の機能に依拠した観念的な計算貨幣(価値尺度)としての機能なのである。だからあたかも手形と引き換えに商品が流通することから、商業貨幣が流通手段として機能しているかに考えるのは間違いである。それらは確かに購買手段として機能するが、それらが絶対的に貨幣として機能する限りでは、ただ計算貨幣としての機能を果たしているだけなのである。商業信用が信用制度(銀行制度)の本来的な基礎をなすように、商業流通内において流通する手形にとって替わる銀行券もその限りでは、こうした手形流通に立脚するものである。だから商業流通内で流通する銀行券も、他の商業貨幣(手形や小切手等)と同じように、やはり最終的には相殺によって決済するための信用諸用具の一つに過ぎないのである。それが「本来の」信用貨幣と言われるのは、後に述べるように、それは銀行の信用だけにもとづいて発行されたものであり、信用そのものを象徴する信用章標だからである。

  (3)(4) は、信用制度(銀行制度)の他の側面をなしている貨幣取扱業との関連が考察されている。貨幣取扱業は商品取扱業(商人資本)の発展と歩調をそろえて発展してきた。そもそも銀行業者というのは貨幣取扱業者が資本主義的生産様式の発展とともにそうしたものに発展したものなのである。だから銀行の業務の一側面は貨幣取扱業務なのである。貨幣取扱業を土台として信用制度(銀行制度)の他の側面の発展とが結びついている。それは銀行の貨幣資本あるいはmoneyed capitalの管理という側面である。彼らは本来は単なる再生産資本家たちの出納係代行者として、再生産資本家たちのmonied capitalを支払ったり、受け取ったりているだけだったが、しかしそれらが集中されることによって、その一部を貸し付けるという業務が加わってくるわけである。だから貨幣の貸借が彼らの特殊的業務になる。彼らはmoneyed capitalの貸し手と借り手のあいだに媒介者として入ってくる。彼らは貸付可能な貨幣資本を集中し、再生産的資本家たちに対峙する。また彼らは貸し手にたいしては借り手を集中する。銀行は一方では貸し手の集中を表し、他方で借り手の集中を表している。

  (5) は、銀行は以上のように貨幣の貸借を業務とするが、彼らが貸す貸付可能な貨幣資本は二つの仕方で銀行に流入する。一つは生産的資本家たちの出納係、すなわちその貨幣取扱業務によって、生産者や商人の準備ファンドや諸支払等が流入する。彼らはそれらの準備ファンドを集中することによって、社会的にそれを必要最小限にする。そしてそれ以外のものは貸付可能な貨幣資本(moneyed capital)として貸し出される。だからこの場合の流入する貨幣は、本来は再生産資本家たちが自身の事業の運営に必要な貨幣なのである。彼らはそれらが必要なときに使うために一時的に準備しているものに過ぎない。ただそれを銀行が集中して、資本家たちの共有の準備とするために、社会的には必要最小限の分量だけが準備されればよいことになり、余ったものが貨幣資本(monied capital)として貸し出し可能になるに過ぎない。だからこれは銀行の集中する機能にもとづいた銀行の信用による貸付けなのである。
  もう一つの流入の仕方は、本来的な貨幣資本家(金利生活者など)のmoneyed capitalを預金として預かり、それを貸付可能な貨幣資本として貸し出すケースである。この場合、銀行は貸し手と借り手の媒介者となる。貨幣資本家たちは自分たちが直接生産的資本家たちに貸し出す代わりに、その運用を銀行に委ねるわけである。それらはそもそも本来的に貨幣資本家たちの手においても利子生み資本(貸し付け資本)として当初から存在しているものである。銀行がただそれを代行し、媒介するだけである。さらにすべての預金に利子をつけることによって、さまざまな遊休している少額の貯蓄も銀行に集中され、貸付可能な貨幣資本となる。これらは社会的には遊休しているが、少額のために利子生み資本として運用できないものを、集中することによって大きな額にし、貸し付け可能な貨幣資本にするのであり、上記の銀行の媒介の機能とは区別された銀行の社会的な機能なのである。さらには労働者や資本家、あるいは寄生的階級が消費に支出する貨幣も一遍には支出されないから、一時的に預金になってはやり銀行に集中される、等々である。

  (6) こうして集められた貨幣資本(moneyed capital)はどのような形態で貸し付けられるのだろうか。ただしここでの貸付もわれわれは商業信用との関連に限定して考えるのだが。それは①手形の割引、②対人信用での直接前貸し、③各種の利子生み証券や国債、積荷証券、倉荷証券、商品所有証書等々を担保とする貸付、④そして預金を越える当座貸越、等々によって貸し付けられる。

  (7) ところで銀行業者は商業信用との関連やその貨幣取扱業務のなかで、信用の取り扱いをも発展させる。そして自行の信用だけにもとづいて、さまざまな貸付可能な形態を創造し、信用を与える(貸し付ける)ことができるようになる。その諸形態としては①銀行業者手形、②銀行信用(預金設定)、③小切手、等々、最後に④銀行券がある。銀行券は銀行が紙と印刷費以外には何の費用もかけず、ただ銀行の信用だけにもとづいて発行する、持参人払いの、また(手形割引で)個人手形と置き換える、銀行業者宛の手形以外のなにものでもない。この最後の形態(銀行券)は素人目には重要に見えるが、それは第一に、それは商業流通から出て、一般流通で貨幣として通用しているからである。それらはだいたいにおいて国家の信用を背景にもち、法貨として位置づけられている。つまり銀行券は一般流通で金鋳貨や地金と同じ現金として通用しているのだから重要にみえるのは当然であろう。こうした一般流通で貨幣として機能している銀行券は、商業流通内で流通する信用貨幣としての銀行券と決して同じものではない。後者は手形流通に立脚するもので、最終的には預金の振替によって決済するための信用諸用具の一つに過ぎないが、前者のように一般流通で流通する銀行券は、貨幣の流通手段としての機能にもとづいて、金鋳貨を代理するものであり、その限りでは補助鋳貨や紙幣と同じ役割を果たしているのである。だからこうした銀行券は、手形流通に立脚するのではなく、貨幣の流通法則に規制されるのである。
  銀行券が素人目には重要にみえるもう一つの理由は、それがただ銀行の信用だけにもとづいており、信用を象徴する信用章標だからである。それが本来の信用貨幣といわれる所以でもある。
  しかし銀行はすでに述べたように、それ以外のさまざまな形態でも信用を取り扱っているのであって、例えば現金で貸し付ける場合でさえそうである。なぜなら、本来は公衆の準備であるものを、社会的に集中することによって最小限にし、その必要最低限の準備ファンドだけを残して、それ以外のものを利子生み資本として現金で貸し付けるなら、それを可能にしているのは銀行の社会的機能と信用なのである。だからその場合は、例え現金で貸し付けていても、銀行の信用にもとついて貸し付けていることになるのである。
  実際には卸売業(つまり商業流通内)において主要な決済手段になっているのは、預金の振替であり、だから銀行で主要な問題となっているのは常に預金なのである。素人目には重要に見るえる現金としての銀行券は、そうした決済の帳尻を合わすための「鋳貨」をなしているに過ぎない。特に信用制度がイングランドより発展しているスコットランドの諸銀行をみればそれは明らかである。{イングランドでは預金に利子は支払わないが、スコットランドではすべての預金に利子を支払う。〈その結果、殆どの人が銀行勘定を持ち(預金口座を持ち--引用者)、そして殆どの人が日々の仕事の終わりに節約し得たどんなに僅かの貨幣でもそこに払い込み、彼が受け取るであろう日歩に期待を寄せる〉(J・ウィルソン)のだという。}

  (8) 特殊な信用諸用具や銀行の特殊な諸形態などは、ここでわれわれが課題としたものとは外れるので、これ以上の考察は不要であろう。

  まあ、以上がざっとマルクスが信用制度(銀行制度)とその諸用具の一般的な特徴付けとして述べているものである。ここには簡潔ではあるが、極めて重要な問題が論じられていることが分かるであろう。

◎原注部分のまとめと整理


  ところでこれまでのこの本文には、さまざまな形で原注が複雑に入り交じって付けられていることも一つの特徴であった。一体、それらの原注はどういうような状況になっているのかも、最後に見ておくことにしよう。まず原注が付けられている本文と原注の一覧を書き出してみよう(ただし本文の中に原注記号があるが、書かれていない原注は省略する)。本文にはわれわれのパラグラフ番号(【】)を付して、関連した原注のパラグラフ番号(【】)を書いてみよう。そしてそれらの原注の概略を紹介してみる。

【2】

  ◎ 原注の付けられた本文私は前に,どのようにして単純な商品流通から支払手段としての貨幣の機能が形成され,それとともにまた商品生産者や商品取扱業者のあいだに債権者と債務者との関係が形成されるか,を明らかにした。a)〉--【4】〈〔原注〕a)〉、【5】〈〔原注〕注a)に〉、【6】〈〔原注〕 注a)に

  まずこの本文【2】が書かれているのは草稿の317原頁上段の第2パラグラフである。第1パラグラフには「5) 信用。架空資本」という表題が書かれているのだから、その本文の冒頭のパラグラフと考えてよいだろう。そして原注a)は同じ317原頁下段の第1パラグラフである。草稿の一つの頁を上下に折り跡を付けて、上段には本文、下段には原注を書くのが、マルクスのやり方だから、この原注は最初に書かれたものだとわかる。
  しかしこの原注a)は、ただ『経済学批判』の当該頁を示すだけのものである。だからかどうか分からないが、マルクスはこの原注a)に対して、二つの「原注a)に」という追加の原注を書いているわけである。しかしその書き方が少し変わっている。まず大谷氏が最初に持ってきたもの(【5】)は、318原頁の下段の冒頭に書かれている。それに対して、その次に持ってきたもの(【6】)は、317原頁下段の第5パラグラフである。
  このように追加の原注がひっくり返っているのは、内容からそれが相応しいからでもあるが、マルクス自身の指示もあるからである。【5】パラグラフの「原注a)に」というのは、トゥクは信用一般について次のように言っているとして、トゥクの『通貨原理の研究』からの抜粋があるのであるが、この原注が付けられている本文(支払い手段の機能から掛け売買が自然発生的に生まれてくるという内容)に対応させて考えると、その後半部分が原注として相応しいと考えることができる。マルクスの意図としては確かに前書きとして〈トゥクは信用一般について次のようにいっている〉と書いているが、しかしその前半で述べていることよりも、後半で述べていること、〈商品の場合には,販売を構成するのであって,それの価値は貨幣で換算して合意されているのであり,返済されるべき約定金額には,定められた支払期間の満了までの資本の使用にたいする報酬とそれまでの危険にたいする報酬とが含まれている。これらの信用には,たいてい,満期日を定めた支払約束書が付随しているが,これらの引受日後に譲渡可能な債務証書あるいは約束手形〔the obligations or promissory notes after date being transferable〕は,貸し手たちが自分のもっているこれらの手形が満期になる以前に貨幣なり商品なりのかたちで自分の資本を使用する好機を見いだすときには,彼らがより低い条件で借りたり買ったりすることができるための手段となる。というのは,彼ら自身の名前に加えて手形に裏書きされる名前によって,彼ら自身の信用が強化されるからである〉の方が本文に対する原注としてより適切であろうと考えられる。マルクスは【6】パラグラフの「原注a)に」続けて〈318ページを見よ注a)にad Note. a)〕。トゥク〉(つまり【5】パラグラフ「原注a)」のこと)と書いている。だからそれは【5】パラグラフのトゥクの引用のあとに付けられたのであろう。実際、その内容は『通貨理論論評』から〈貨幣での即時払いによって処理されるのでないすべての取引は,厳密には,信用取引または掛売買a credit or time bargain〕である。」〉と〈「これらの取引が通例であって,現金取引は商業における例外である。」〉の二つの抜粋がなされている。これらも確かに原注がつけられた本文に関連するものであり、相応しいものである。

  ◎ 原注の付けられた本文これらの手形は,その支払満期にいたるまで,それ自身,支払手段として流通するのであり,またそれらが本来の商業貨幣をなしている。b)およびba)〉--【7】〈〔原注〕b)〉、【8】〈〔原注〕ba)〉、【9】〈〔原注〕注aおよびbに〉、【10】〈続き〉、

  結局、この場合も原注が三つも付けられている。最初の「原注b)」は317頁下段の第3パラグラフに書かれている。それに対して「原注ba)」は同じ317頁下段の第2パラグラフに書かれているのである。つまりこの場合も原注の付け方の順序が逆転している。なぜこうしているのかを大谷氏は説明しているが、要するに草稿の状態を見ると、「原注ba)」の方があとから狭いところに書き加えられたように見えるからだそうである。
  「原注b)」というのはリーサム『通貨についての手紙』からの抜粋であるが、1839年全年の手形総額等の実数と手形が金と銀行券の上層建築だという指摘、また手形が真正のものか架空なものかの区別は不可能という指摘が紹介されている。それに対して「原注ba)」はオプダイクの『経済学に関する一論』とギルバトの『銀行業の歴史と理論』からの抜粋であるが、この二人の著書からの抜粋は、〈手形は,その支払満期にいたるまで,それ自身,支払手段として流通する〉という本文を補足するものとなっている。
  「原注aおよびbに」は317頁の下段の第6パラグラフにあり、ボウズンキトの『金属貨幣、紙券貨幣、信用貨幣』からの比較的長い抜粋である。預金が貨幣であるのは、貨幣の介入なしに所有権を移転する限りのことだという一文や預金設定でそれだけ購買力が増えるという指摘、手形交換所で交換される平均額に較べて準備額は15分の1ほどだということ、流通中の手形には裏書きが少なくとも二つ以上あるという指摘等がある。そこにマルクス自身が、手形は最終的に現金で支払われることがないなら、手形交換所を通って預金に一致するという指摘が挿入されている。この原注は大谷氏が預金が通貨である(預金通貨)理由として重視したものだが、それがマルクスの主旨に反していることはすでに指摘した。
  ところでこの「原注aおよびbに」は317原頁の下段の第6パラグラフにあるが、それは下段の最後のパラグラフである。この317頁というのは上段には「5) 信用。架空資本」という表題が書かれている頁であり、ここから「5)」が始まる。その下段の一番最後に書かれているのがこの原注なのである。ではこの317頁下段にはどういう原注が書かれているのかをみてみると、第1パラグラフは「原注a)」(【4】)、第2パラグラフは「原注ba)」(【8】)、第3パラグラフは「原注b)」(【7】)、第4パラグラフは「原注c)」(【11】)、第5パラグラフは「原注a)に」で「318ページを見よ」と書かれている(【6】)。そして第6パラグラフが今見たものである(【9・10】)。私が付けたパラグラフ(【】)を見ても、変則的なことがわかるであろう。

  ◎ 原注の付けられた本文生産者や商人のあいだで行なわれるこれらの相互的な前貸が信用制度の本来の基礎〔Grundlage〕をなしているc)〉--【11】〈〔原注〕c)

  この本文もこれまでと同じ第【3】パラグラフの一文である。「原注c」は、すでに指摘したように、317頁下段の第4パラグラフに書かれている。この原注はシャルル・コクラン『産業における信用と銀行について』からの抜粋であるが、その内容は本文にある〈生産者や商人のあいだで行なわれるこれらの相互的な前貸〉の具体的な例が紹介されている。そこには〈だれもが一方の手で借り,他方の手で貸す。それは貨幣のこともあるが,生産物であることのほうがはるかに多い〉という一文がある。

【14】

  ◎ 原注の付けられた本文〈原注は第【14】パラグラフ全体に付けられている〉--【15】〈〔原注〕g)a)

  この原注が付けられた本文とは、銀行の貸付可能資本は二樣の仕方で入ってくるとして、一つは生産的資本家たちの出納係として彼らの準備ファンドを集中し、共同ファンドにすることによって必要最低限にして、残りを利子生み資本として貸し出すこと、もう一つは貨幣資本家たちの貨幣資本を預金として預かり運用する、この場合は銀行は媒介的役割を果たすこと等が指摘されている。「原注g)a)」は、原注の内容から考えると、原注が付けられている最後の一文〈最後に,ただ少しずつ消費しようとする収入も,銀行に預金される〉にではなく、このパラグラフ全体に付けられたものと考えることができる。このパラグラフには、これ以外にも「e)」、「f)」という原注が付けられており、「g)」はそのあとに付けられているために、最後の一文に対する原注のように見えるが、しかし先行する「e)」も「f)」も、本文に原注の記号はあるが、原注そのものは書かれていない(なお「d)」も、記号そのものは、その前の「原注(注aおよびbに)」の途中の欄外に書かれているらしいが、それも原注としては書かれていない)。なお「原注g)a)」は318頁下段の第2パラグラフに書かれているが、第1パラグラフには「注a)に」(【5】)が書かれているのである。
  この原注ではトゥクの『通貨原理の研究』からの二つの抜粋がされている。トゥクも銀行業者の業務を二様のものとして、一つは資本を直接運用できない人からそれを集め、それを運用できる人に貸しだすこと、もう一つは所得を預金として預かり、消費支出の必要に応じて払い出すと指摘している。しかしトゥクはマルクスと同じ問題を論じているかというとそうではない。ただマルクスと同じように、「二様のもの」として見ていることだけが類似しているだけと思える。マルクスの原注として抜粋を紹介しているのもそれぐらいの意味でであろう。

【16】

  ◎ 原注の付けられた本文スコットランドの諸銀行でのようなg)b) 対人信用での直接前貸〉--【17】〈〔原注〕g)b)

  この原注は318頁下段の第3パラグラフに書かれている。原注の付けられた本文(【16】パラグラフ)は、銀行の貸付の諸形態(①手形割引、②さまざまな前貸し、③当座貸し越し)について説明したものである。この「原注g)a)」は②の中の上記の一文に付けられている。しかしその内容はマルクス自身の文章で〈スコットランドの諸銀行の,銀行券notesでの前貸〉とあるだけである。スコットランドの諸銀行の対人信用での直接前貸は、銀行券での前貸だということであろうか。このスコットランドの対人信用での直接前貸については、小林賢齋氏の『マルクス「信用論」の解明』なかでも「第1部 『エコノミスト』誌とウィルソン」のなかで「銀行実務」の説明として次のようなものがある。

  〈例えば1年の一定の時期には事業の性質からより多くの資本が必要で,それ以外の時期には「予備の資本」を預金しており,しかも借り手についての充分な信頼を銀行業者がもっているような場合には,「有価証券類の担保[による保証]なしの」,銀行業者の「思慮と注意に全く依存」し,したがって「借り手の個人的な信用にのみ依拠する」貸出し[対人信用]も行われる。「フィールド・インダストリー(field industry)」を営む「農業家(farmer)[資本主義的借地農業資本家]の取引の単純性と,銀行家がもっている農業の業務についての比較的詳しい知識とから,この種の貸付が,農業地方では比較的広範に存在しまた危険も少ない。」家畜購入のための資本とか,地代支払のための貨幣とかの貸出が,それである,と。〉 (99頁)

  これを見ると、こうした対人信用による貸付は、農業資本家に対して、家畜購入や地代支払いのための貸付として行われたということのようである。それが銀行券で行われたということであろうか。

  ◎ 原注の付けられた本文各種の利子生み証券,国債証券,株式を担保とする前貸,ことにまた積荷証券,倉荷証券,および商品所有証書であるその他の証券を担保とする前貸によって,預金を越える当座貸越し,等々によって,行なわれる。h)〉--【18】〈〔原注〕h)〉、【19】〈〔原注〕注hに〉、【20】〈続き〉

  この原注はこの貸付の諸形態について説明しているパラグラフ全体の最後にあるが、恐らくこのパラグラフ全体に対する原注と考えられる。この原注は318頁下段の第4パラグラフにあるが、そこには〈(319ページ,「注hにad,Note h〕」を見よ。)〉とあるだけで、実際の「原注h)」は319頁上段の第6パラグラフに書かれているのである。なぜ原注なのに319頁の上段に書かれているかというと、実はこの319頁上段というのは、大谷氏が〈〔信用制度についての雑録〕〉と分類している雑録が書かれている部分なのである。このようにマルクスは後に利用するための抜き書きなどをノートするときは、本文や原注と区別して、上下の降り跡を無視して上から下まで書いているのだそうである。なのに319頁には上下の区別があるのは、実は原注を書くスペースが318頁下段では収まらず、319頁の下段を原注のスペースにし、さらに318頁上段の本文テキストが終わったあとのスペースも、原注に使い、さらには319頁の上段も使ったということなのである。だからマルクスは本来原注を書くべき318頁下段にはすでにスペースがなかったために、〈〔原注〕h)(319ページ,「注hにad,Note h〕」を見よ。)〉とだけ書いて、原注の本文は雑録のなかに書いたわけである。

【21】

  ◎ 原注の付けられた本文ところで,銀行業者が与える信用はさまざまな形態で,たとえば,銀行業者手形i)〉--【22】〈〔原注〕i)〉、【23】〈続き〉
 
  これは本文の〈銀行業者手形〉に付けられた原注で、318頁下段の第6パラグラフと第5パラグラフの順序で付けられている。パラグラフが逆転しているのは、どうやら最初は原注「i)」(【22】)を書いたあと、その上の空いたところに追加的に【23】を書いて、インクの線で「i)」に挿入する形になっているので、こういう順序になっているようである。
  これらの原注は銀行業者手形というのが、銀行が現金(金あるいはイングランド銀行券)が手元に乏しいときに、顧客に現金の代わりに受け取らせようとしたもののようである。だからマルクスは「ペテン」と指摘している。

◎ 原注の付けられた本文小切手j)〉--【24】〈〔原注〕j)〉、【25】〈〔原注〕十十注jへ
 
  これも本文の〈小切手〉につけられた原注で、319頁下段の第1パラグラフ(【24】)と第4パラグラフ(【25】)に書かれたものである(なおついでにいうと、319頁下段の第2パラグラフは「原注1)」が、第3パラグラフは原注2)が書かれている)。後者には〈十十注jへ〉と挿入個所が指示されている。最初の原注の途中に〈十十〉なる印があるから、そこに挿入せよという意味であろうか。
  その挿入個所の印のある前の部分では、フラートンからの抜粋で、小切手等はすべて「移転できる請求権」というより請求権を移転できるものにする用具だとの指摘があり、信用が貨幣の諸機能を果たすという点ではすべて本質的に同じであり、結果も同じだと述べている。だからそのあとに【25】の原注を挿入せよということであろうか。その内容はフランス銀行の統計にもとづき、振替が58%、銀行券が35%、正貨が7%という構成が明らかにされている。つまり小切手による振替が半分以上であることを示しているわけである。そして小切手の使用で貨幣が節約された大きさを示していると指摘されている。そしてそのあとに続く、【24】の挿入個所以下の部分では、銀行券は信用の小銭であるとか、銀行業者のあいだで銀行券の交換が定期的に行われたことが指摘されている。

◎ 原注の付けられた本文しかし,銀行業者はそのほかのあらゆる形態での信用でも取引するのであって,彼が自分に預金された貨幣を現金で前貸する場合でさえもそうである,等々。1)〉--【26】〈〔原注〕1) 〉、【27】〈〔原注〕{注1)へ(318および319ページ)〉、【28】〈〔原注〕注1へ,318ページ

  ここでは「原注1)」には、関連して三つの原注が付いている。最初の〈〔原注〕1) 〉(【26】)は319頁下段の第2パラグラフ、次の〈〔原注〕{注1)へ(318および319ページ)〉(【27】)というのは318頁上段の第3パラグラフにあり、〈〔原注〕注1へ,318ページ〉(【28】)は319頁上段の第3パラグラフにある。318頁上段の第2パラグラフというのは、マルクスが本文として書いたテキストの最後のパラグラフである。だからマルクスは本来は本文のテキストを書く予定である318頁上段の本文が終わったあとを、原注を書くスペースとして利用したということである。
  〈〔原注〕1) 〉(【26】)はロイド(オウヴァストン)の議会での答弁から採用している。銀行業者は一方で預金を受け入れ、他方でそれを資本を欲する人にまかせる仲介者であるとか、信用を資本と交換し、その信用の使用に対して利子の支払いを求めるという銀行業者の立場が示されている。〈〔原注〕{注1)へ(318および319ページ)〉〉(【27】)はギルバトからの六つの抜粋からなっている。この六つの抜粋も銀行の事業資本の構成や、銀行業資本を調達する三つの方法、そして{ }に入れて、銀行の利潤について述べ、銀行の顧客への前貸は他の人々の貨幣で行われるとか、発券銀行でなくても手形の割引で銀行業資本を創造するとか、銀行業資本の調達の仕方等が中心になっている。つまりこれはこれまでのこのパラグラフに付けられた原注i、jと区別して1)、2)としているのは、これらの原注は、その原注が書かれている直前の文節だけではなく、このパラグラフ全体、少なくともその原注が付けられているまでの本文全体につけられた原注だからと考えられる。だからマルクスはそれまでのアルファベットの原注と区別して数字の原注にしたのではないだろうか。〈〔原注〕注1へ,318ページ〉(【28】)も発券銀行がすべての営業資本を銀行券で例え行ったとしても、結局、手形を割り引いた銀行券がすぐに銀行に還流してきて、結局、手元にある手形が示すのは現実資本であり、自己資本の貸付に転化するということが指摘されている。だからこれらは原注が付けられた直前の一文とは必ずしも一致するものとは言えない。

◎ 原注の付けられた本文実際には,銀行券はただ卸売業の鋳貨をなしているだけであって,銀行で主要な問題となるのはつねに預金である。たとえば,スコットランドの諸銀行を見よ。2)〉--【29】〈〔原注〕2)〉、【30】〈続き〉

  この原注も同じ数字の原注なのだが、この場合は明らかにその直前の〈預金〉に関連してたもので、『通貨理論論評、云々』からの抜粋とそれに付け加えられたマルクスの一文とからなっている。要するに同じ1000ポンド・スターリングがいろいろな銀行業者やそれと取り引きのある再生産資本家たちの手を経ることによって何倍もの預金を形成するということと、銀行券は預金という銀行にとっても債務形態を別の形態にしたものに過ぎないというマルクスの指摘がなされている。
  この原注は319頁下段の第3パラグラフに書かれている。本文のテキストは318頁上段の第2パラグラフでで終わっているのだから、319頁には本文はなく、ただ原注を書く下段のみが使われたのだが、しかしマルクスはそれだけでは足らなくて、318頁上段の本文テキストが終わったあとのスペースも原注に使っている。では319頁上段は何に使ったかというと、大谷氏が〈〔信用制度についての雑録〕〉に分類した抜粋集が始まっているのである。

◎大谷氏の草稿の状態についての説明

  いずれにしても、なかなかこのように原注が書かれた頁数などを探って行っても草稿の状態はすんなりとはつかめない。最後に、大谷氏の説明を紹介して、とりあえず、本文部分の中間的な総括としよう。大谷氏の引用は次に取り上げる〔信用制度についての雑録〕の部分の説明も含んでいる。

   大谷氏は〈9 草稿と現行版第25章との対応〉のなかで次のように書いている。

  〈全体は大きく三つに分けることができる。
  第1は,5)のテキストとして書き始められたことが明らかな,最初の本文部分であって,エンゲルス版では,第25章の冒頭から,「特殊的信用諸機関ならびに銀行そのものの特殊的諸形態は,われわれの目的のためにはこれ以上考察する必要はない」(MEGA II/15,S.395;MEW25,S.417),としているところ,といってもこの部分から,リーサム,ボウズンキト,トゥク,コクランの各人の著書からの引用の箇所(MEGA II/15,S.389-393;MEW25,S.414-415)を除いたものにあたる(MEGA II/4.2,S.469.7-475.5;本書本巻157ページ6行-188ページ14行)。この部分は,草稿317ページの上半部全体を埋めたのち,次の318ページの上半部の上から約4分の1までに書かれている。
  第2は,上の本文への注である。マルクスは本文のなかに注番号をつけ,ぺージの下半部に注を書いている。しかし,本文が2ページ目の318ページ上方で終わっているのに,注はこの2ページの下半部だけでは書ききれず--といっても各注のあいだに多少の空きがあるところもある--次の319ページの下半分に続き,その最下部でやっと終わっている(MEGA II/4.2,S.469.23-42,470.7-52,41.31-44,472.24-46,473.4-54,474,12-41,475.24-31,475,43-53,476.35-39;すべて本書本巻本章所収)。本文には次の注番号がある。a),ba),b),c),d),e),f),g)a),g)b),h),i),j),1),2)。このうち,d)とe)とは,下半部にいったん番号をつけたものの,縦線で抹消され,注は書かれていない。f)は「f)ギルバト。」と書いたのち,抹消している。317ページにはa),ba),b),c),「注a)に〔ad Note a)〕」,「注aおよびbに〔ad note a u.b〕」,の各注,318ページには「注a)に〔ad Note a〕」,g)a),g)b),h),i),j),の各注,319ページにはj)(jは二つある),1),2),の各注が書かれている。
  第3は,以上の本文および注に関連する材料として書かれたと思われる部分--本書では「雑録」と呼び,草稿には「信用制度についての雑録」という筆者によるタイトルを挿入する--である。これには,ただ引用文だけを掲げているところとマルクスが自分の文章を書いているところとがいくつかあるだけで,基本的にははじめになんらかの見出しないしそれに準じるものがあり,そのあとに引用文がくる,というものから成っている。これは,318ページ上半部の上から4分の1ほどのところで終わっている本文の直後から始まり,318および319ページの上半部--どちらも下半部は注に使われている--を埋めたあと,320,321,の両ページの上半部下半部を通して書かれ,322ページの1行目で終わっている。その最初のものは「注1)へ(318および319ページ)〔Zu Note 1)(318 u.319)〕」とあり,これはおそらく,318ページの本文に注番号があって注が319ページの下半分に書かれている注1)のことであろうと推定されるので,この雑録を書き始めるときには,すでに318および319ページの下半部の注は書かれていたのではないか,すなわち,まず本文と注を書き,そのあとで雑録の部分にかかったのではないか,と思われる。そういう経過から,このなかには第2の注のグループに属するものとして,いま触れた,「注1)へ(318および319ページ)」のほか,「注1へ。318ページ〔Zu Note l.318〕」,および,「注hに。318ページ〔ad Note h .p.318〕」が含まれている(MEGA II/4.2,S.474.42-50,475.6-22,475.32-42,476.2-482.41;すべて本書本巻本章所収)。〉 (75-76頁)

  (続く)

 

2020年7月29日 (水)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(25・26-12)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(続き)

 

【29】

 /319下/(3)【MEGA II/4.2,S.475.43-53 und 476.35-39】〔原注〕2)136)預金①137)「あなたが今日Aに預金する1000ポンド・スターリングが明日は払い出されてBへの預金になるというのは,争う余地なく本当のことである。それはその翌日にはBから払い出されてCへの預金になるかもしれず,このようにして限りなく続くかもしれない。こうして,同じ1000ポンド・スターリングの貨幣が,相次ぐ移転によって,まったく確定できない何倍もの預金になることがありうる。それゆえに,連合王国にある預金の総額の10分の9までが,それらの預金のそれぞれに責任を負っている銀行業者たちの帳簿に記載されている預金の記録以外にはまったく存在しない,ということもありうるのである。……スコットランドではそうであって,ここでは通貨は300万ポンド・スターリングを超えたことがないのに,預金は2700万ポンド・スターリングだった。預金の払戻しを求める一般的な銀行取り付けが起こらないかぎり,同じ138)1000ポンド・スターリングが,逆の道を通って送り返されていけば,同様に確定できない金額を同じように容易に決済するcancel〕ことができる。今日あなたがある小売商人にたいするあなたの債務を決済するのに用いられたその同じ1000ポンド・スターリングが,明日は卸売商人にたいするこの小売商人の債務を決済し,その翌日には,銀行にたいするこの卸売商人の債務を決済する,等々,限りなく続くかもしれない。こうして,同じ1000ポンド・スターリングが,人手から人手へと,銀行から銀行へと[476]渡っていって,考えうるどんな預金額でも決済することができるのである。」(『通貨139)理論論評,云々』,62,63ページ。)

  ①〔注解〕『通貨理論論評』の原文では次のように書かれている。--「あなたが今日Aに預金する1000ポンド・スターリングが,明日は払い出されてBへの預金になるというのは,疑問の余地なく本当のことである。それはその翌日にはBから払い出されてCへの預金になるかもしれない。そしてCからふたたび払い出されてDへの預金になるかもしれない,等々,限りなく続くかもしれない。こうして,同じ1000ポンド・スターリングの貨幣が,相次ぐ移転によって,まったく確定できない何倍もの預金金額になることがありうる。それゆえに,連合王国にあるすべての預金の10分の9が,それらの預金のそれぞれに責任を負っている銀行業者たちの帳簿に記載されている預金の記録以外には存在しない,ということもありうるのである。そして,そのようなことが生じうることの証拠としては,次の事実よりも強力な証拠はない。すなわち,スコットランドの銀行では,通貨は平均して300万ポンド・スターリングを越えたことがないのに,預金は2700万ポンド・スターリングだった,という事実である。……それにもかかわらず,いま想定してみたような不慮の事態--連合王国のすべての預金が同時に引き出されること,だからまたおよそ起こりえないこと--以外は,預金者のすべてがどんなときにも享受している連合王国の預金の額まで,貨幣を無条件に使えることにごくわずかの程度にさえ影響することはないであろう。そして,この単純な理由で,一連の移転によって無限の金額の預金にまで自己自身を増やすことの例として挙げた同じ1000ポンド・スターリングが逆の道を通って送り返されていけば,同様に確定できない金額を同じように容易に決済することができるであろう。今日あなたがある小売商人にたいするあなたの債務を決済するのに用いられたその同じ100ポンド・スターリングが,明日は卸売商人にたいするこの小売商人の債務を決済し,その翌日には,銀行にたいするこの卸売商入の債務を決済する,等々,限りなく続くかもしれない。こうして,同じ100ポンド・スターリングが,人手から人手へと,銀行から銀行へと渡っていって,考えうるどんな預金額でも決済することができるのである。」

  136)〔E〕「預金。」--削除。以下の引用はエンゲルス版では,ギルバトからの一連の引用のあとに,「『通貨理論論評』,62-63ページ。--」,という導入部だけをつけて収められている。
  137)〔E〕『通貨理論論評』からの以下の引用は,草稿339ページ(MEGA II/4.2,S.527.29-528.11;本書第3巻185-187ページ)にもあり,そちらもエンゲルス版の第29章(MEGA II/15,S.470;MEW25,S,490)に収められている。どちらも,「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIItから取られている(MEGA IV/8,S.173.34-174.14)。この両方の引用がどちらもノートVIIからそれぞれ別個に取られたことは,両者のあいだの句読点や省略箇所の違いから明らかである。現行版では,この同じ引用のドイツ語訳が,ここと第29章とでは少し違っている。ドイツ語訳の違いは,エンゲルスが同じ箇所からの引用であることに気づかないで,この二つの引用をそれぞれ独立にドイツ語にしたために生じたものであろう。
  138)「1000ポンド・スターリング」--この「1000ポンド・スターリング」とすぐあとにもう一度でてくる「1000ポンド・スターリング」は,『通貨理論論評』ではともに「100ポンド・スターリング」となっているが,これは『論評』での誤植であろう。
  139)「理論」--草稿では「問題〔Question〕」と誤記されている。〉 (186-188頁)

 【これは〈実際には,銀行券はただ卸売業の鋳貨をなしているだけであって,銀行で主要な問題となるのはつねに預金である。たとえば,スコットランドの諸銀行を見よ〉という部分につけられた原注である。引用の前にマルクスによる〈預金〉という書き込みがある以外は、『通貨理論論評、云々』からの抜粋だけなので平易な解読は省略した(この原注の後半部分--次のパラグラフ--はマルクスの文章になっている)。
  この引用文そのものは、実は第29章該当部分の草稿の最後のあたりでも同じものが紹介されており、しかもその際にはマルクスは途中に{   }に入れた挿入文を加えている。だからそちらの方が分かりやすいともいえる。だからわれわれはまずその第29章該当部分の以前試みた解読を紹介しておくことにしたい。マルクスは第29章該当部分では、この『通貨理論論評』からの引用の前に、スミスからの引用を行っており、しかも両者は関連して論じられているので、少し長くなりすぎるが、その前から紹介しておきたい。以下、第29章該当部分の解読からである(そこにおけるわれわれが付けたパラグラフ番号は【32】【33】に該当するが、そのままだと今考察している草稿のものと混同してややこしいので、(32)(33)とした。また一部分、今回掲載するに当たって手を入れたところもある。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(32)

 〈A.スミスが貸付一般について言っているのと同じことは,預金についても言えるのであって,預金とは, じっさいただ,公衆が銀行業者に行なう貸付の特殊的な名称でしかない。同一の諸貨幣片が任意の数の預金のための用具となることができるのである。〉

 スミスの例では、同じ貨幣片が何倍もの貸し付けに役立つことが紹介されていたが、同じことは預金についても言いうるというのである。つまり〈同一の諸貨幣片が任意の数の預金のための用具となる〉わけである。

 それでは、われわれは、実際、スミスの例で考えてみよう。スミスの例を整理したものは、次のようであった。

①A(1000£)-(貸付)→W(1000£)  AがWに貸付
②W(1000£)-(購買)→B(1000£)  WがBから財貨を買う
③B(1000£)-(貸付)→X(1000£)  BがXに貸付
④X(1000£)-(購買)→C(1000£)  XがCから財貨を買う
⑤C(1000£)-(貸付)→Y(1000£)  CがYに貸付
⑥Y(1000£)-(購買)→D(1000£)  YがDから財貨を買う

 今これを銀行への預金に書き替えると次のようになる。

①A(1000£)-(貸付)→銀行(1000£)    Aが銀行に預金
①’銀行(1000£)-(貸付)→W(1000£)     銀行が預金された1000£をWに貸付
②W(1000£)-(購買)→B(1000£)     WがBから財貨を買う
③B(1000£)-(貸付)→銀行(1000£)    Bが銀行に預金
③’銀行(1000£)-(貸付)-X(1000£)     銀行が預金された1000£をXに貸付
④X(1000£)-(購買)→C(1000£)     XがCから財貨を買う
⑤C(1000£)-(貸付)→銀行(1000£)    Cが銀行に預金
⑤’銀行(1000£)-(貸付)-Y(1000£)     銀行が預金された1000£をYに貸付
⑥Y(1000£)-(購買)→D(1000£)     YがDから財貨を買う

  スミスの例と同じように、A、B、C、Dがそれぞれ持っている1000£は、彼らが何らかの形で社会的に生み出した商品価値の実現形態であり、社会的には新たに生み出された価値である。それを今回は彼らはすべて銀行に預金するとしている(但し最後のDの場合はそれは想定されていないのだが)。スミスの場合は、それらはWXYにそれぞれ貸し付けられたのであるが、今回はその貸付に銀行が介在して行われたということであり、スミスの場合、ABCは何らかの貨幣請求権(手形や小切手等)を持っていたのが、今度はそれは銀行に対する預金の形で持っていることになっている。
   銀行は社会的に有休している貨幣(資本)を集中し、それを必要な資本に貸し付けるのであるが、この場合、銀行は貸し手(ABC)に対しては、借り手を集中して代表し、借り手(WXY)に対しては、貸し手を集中して代表している。社会的には4000£の価値が存在していた(うち1000£は貨幣形態)。新たに形成された価値は3000£であった。以前にも指摘したように、それらの商品価値の実現形態としての貨幣は、それと同等の価値をもつ使用価値に対する請求権を表している。しかしABCはその権利を直ちに行使せず、とりあえずは銀行に預金して保留したわけである。預金はそれを表している。しかし銀行はその預金をすぐに利子生み資本としてWXYに貸し出し運用する。つまりABCは、自分たちの権利を銀行を介してWXYに委ねたわけである(現実には銀行は預金のすべてを貸付資本として運用するのではなく、一定の準備金を残した上で行うのであるが、これは今は無視する)。もちろんABCは、スミスの例の場合は、明らかにWXYに貸し付けたのだから、それを意識している。しかし銀行を介した場合、彼らは自分自身の権利はまだ銀行の預金という形で持っているとおもっている。しかしWXYはABCに代わって、直ちにそれらの権利を行使してしまう。つまりその限りでは、社会的には、ABCが生み出した価値、よって将来の生産や使用価値に対する請求権はその時点で消滅したのである。よって銀行にあるABCの預金は、まったく実体のない架空なものでしかないことになる。あるのは、ただ法的にかれらの権利は保留されただけであることが保証されているだけである。つまりそれらの権利を代行したWXYがABCとは別に(時間的にも空間的にもまったく違った形で)形成する価値(権利)が、今度はABCに委ねられる(返済される)必要がある、その義務がWXYにはあるということでしかない。WXYがその義務を果たさなければ、銀行は破綻し、ABCの預金も消滅せざるを得ない(社会的にはそれらはすでに消滅していたものがただ現実になるだけなのだが)。銀行にはWXYに対する貸し付けによって合計3000£の債権が発生しているが、これは銀行にとってはABCの合計3000£の預金が債務であることに対応している。


  (33)

  〈「今日Aに預金された1000ポンド・スターリングが,明日はまた払い出されてBへの預金となるということは,争う余地なく真実である。{このことは,ただ2つの場合にのみ可能である。一方では,預金者が1000ポンド・スターリングをAから引き出してBに預金する。この場合には,1つの預金が1000ポンド・スターリングによって表わされているにすぎないのであって,それがいまではAではなくてBのもとにあるのである。他方では,Aが1000ポンド・スターリングを,たとえば手形の割引で,あるいはまた彼あてに(ただし《この1000ポンド・スターリングの》預金者によってではなく)振出された小切手の支払等々で払い出し,次に受取人がこの1000ポンド・スターリングをふたたび、他のある銀行業者に預金することがありうる{割引の場合には,このことは購買によって,または第三者への支払によって,媒介されているはずである。というのも,受け取る貨幣を預金する目的で割引かせるような者はいないからである}。}それは次の日にはBからまた払い出されてCへの預金となることができ,こうしてどこまでも続くことができる。それゆえ,貨幣での同一の1000ポンド・スターリングが,次々に譲渡されていくことによって,まったく確定できない何倍もの預金額となることができるのである。それだからこそ,連合王国にある預金の総額の10分の9までが,それらの預金のそれぞれに責任がある銀行業者の帳簿に記載されているそれらの記緑以外には全然存在しないというようなことも,ありうるのである。……たとえばスコットランドではそうであって,そこでは流通額〔currency〕は300万ポンド・スターリングを超えたことがないのに,預金額は2700万ポンド・スターリングとなっている。銀行にたいする預金の一般的な取り付けが起こらないとすれば,同ーの100ポンド・スターリングが,それの行程を逆戻りすれば,同じように確定できない金額を同じように容易に決済することができるであろう。今日ある小売商人にたいする債務を決済するのに用いられた同ーの100ポンド・スターリングが,明日は彼の卸売商人にたいする債務を決済し,明後日はこの卸売商人の銀行にたいする債務を決済することができ,そして無限にこれが続くのだから,同一の100ポンド・スターリングが,手から手へと,銀行から銀行へと渡って行って,考えられうるどんな預金額でも決済することができるのである。」(『通貨理論論評……』,62,63ページ。)〉

 この一文は先のパラグラフでマルクスがスミスの例は預金にも妥当すると述べたものを受けたものと思われる。つまり今度は預金が同じ貨幣片で何倍も形成される例として、この引用文が紹介されているわけである。
 こでは『通貨理論論評……』からの引用文にマルクスのものと考えられる比較的長い一文が{ という括弧に括られて書かれている。われわれは最初からマルクスの一文も含めて、その順序どおり、考察していくことにする。

 まず引用文であるが〈「今日Aに預金された1000ポンド・スターリングが,明日はまた払い出されてBへの預金となるということは,争う余地なく真実である〉というものである。これは確かに争う余地のない事実である。これについてマルクスは で囲んだ挿入文のなかで、それは二つの場合のみが可能だとして次のように述べている。

 〈このことは,ただ2つの場合にのみ可能である。一方では,預金者が1000ポンド・スターリングをAから引き出してBに預金する。この場合には,1つの預金が1000ポンド・スターリングによって表わされているにすぎないのであって,それがいまではAではなくてBのもとにあるのである。他方では,Aが1000ポンド・スターリングを,たとえば手形の割引で,あるいはまた彼あてに(ただし《この1000ポンド・スターリングの》預金者によってではなく)振出された小切手の支払等々で払い出し,次に受取人がこの1000ポンド・スターリングをふたたび、他のある銀行業者に預金することがありうる{割引の場合には,このことは購買によって,または第三者への支払によって,媒介されているはずである。というのも,受け取る貨幣を預金する目的で割引かせるような者はいないからである}。

 われわれはこの二つのケースについて考えてみよう。

【第Ⅰのケース】
  預金者が1000£をA銀行から引き出して、B銀行に預金する場合。この場合は、ただ預金がAからBに移っただけで、預金額の増減はなく何も問題はない。

【第Ⅱのケース】
  A銀行が預金された1000£で手形を割り引いたり、あるいは彼の預金者(しかし今回の1000£を預金した以外の預金者)の降り出した小切手の支払に応じた場合で、A銀行で手形を割り引いてもらった人や小切手の支払いを受けた人が、それぞれB銀行に預金した場合である。ただマルクスは手形割引の場合は、恐らくそれは現金の先取りだから、当然、それは第三者に支払われるか、何らかの必要なものの購買に当てられ、その支払を受けた第三者がB銀行に預金するという過程を辿るであろうとも指摘している。というのは手形をわざわざ割り引いて手にした預金(現金)を、また預金するようなものはいないからというのである。それなら別に利子を割り引かせてまで現金を先取りする必要はそもそもないからである。

 いずれにせよ、マルクスが考察している二つのケースを考えてみると、第Ⅰのケースの場合、社会的には預金額の増減はまったくないが、第Ⅱのケースの場合は、預金額は倍増していることがわかる。後者の場合、A、Bのそれぞれの銀行に預金された1000£は何らかの商品の価値の実現形態だからである。まずAに預金された1000£は何らかの価値の実現形態と考えることができる。そしてそれがAによって手形割引で貸し出され、そしてその貸し付けを受けた人がそれで自分の債務を支払った場合、あるいはA銀行がその預金で、振り出された自行宛の小切手の支払をした場合、そしてそれらの支払いを受けた人が、それをBに預金した場合であるが、この場合は、最初のA銀行の預金は帳簿上の記録でしかないが、しかし依然として預金の記録としては存在しており、B銀行の預金は現実の預金としてあることになる。だから社会的には預金額としては2000£あることになるのである。

 引用文の続き……

  〈それは次の日にはBからまた払い出されてCへの預金となることができ,こうしてどこまでも続くことができる。それゆえ,貨幣での同一の1000ポンド・スターリングが,次々に譲渡されていくことによって,まったく確定できない何倍もの預金額となることができるのである

  しかしこうしたことが言いうるのは、マルクスが指摘した【第Ⅱのケース】の場合のみである。【第Ⅰのケース】では同じ預金がただ持ち手を変えているだけで社会的にはまったく預金額そのものの増加はない。そして【第Ⅱのケース】というのは、(32)パラグラフで考察したように何らかの商品の購買が介在している場合である。預金は確かに何倍にもなるが、しかし、それは実際に社会的にはそれだけ新たに生み出された商品価値が存在していることを前提しているのであり、その実現形態としての貨幣が新たな預金を生み出しているということである。これはマルクスが預金を現金でなされるものに限定していることと同義であると考えられる。ただ預金の場合は、それが直ちに銀行から貸し出されることによって、次々とそれらは単なる帳簿上の記録になってしまい、架空化するということである。
  今、商品価値を実現した貨幣所持者aが1000£を銀行に預金したとすると、すぐに銀行はその預金1000£を別の人に貸し出す。だからaの預金はその時点で架空化し、単なる帳簿上の記録でしかない。そしてその貸付を受けた人がそれで手形や小切手への支払に使ったり、あるいは別の商品の購買に当てたりして、それを支払ったとすると、その支払を受けた人bが、やはりそれを銀行に預金するわけである。するとこの場合、預金は社会的には2000£と2倍になっている(架空1000£+現金1000£)。ここで注意が必要なのは、第一に、その2000£は明らかにaとbのそれぞれの商品価値の実現形態が、だから現金が銀行に預金されて生じていることである。しかし第二に、aの預金そのものはすでに銀行にはなく架空化しており、しかしaにとっては彼の商品価値の実現形態は依然として銀行にあると考えているわけである。同じような過程を辿れば、同じ1000£が確かに何倍もの預金になることは明らかであるが、しかしそれは同じ貨幣片が次々と商品を実現して、総額として何倍もの商品価値を実現できるのとまったく同じことである。ただ預金の場合は、最後に行われてまだ銀行に残っている預金1000£の場合だけはともかく、それ以外のすべては架空なものでしかなく、銀行の帳簿上に記載されているだけの存在でしかないということである。

 〈それだからこそ,連合王国にある預金の総額の10分の9までが,それらの預金のそれぞれに責任がある銀行業者の帳簿に記載されているそれらの記緑以外には全然存在しないというようなことも,ありうるのである

  この〈総額の10分の9〉を引いた10分の1は要するに準備金であろう。

  〈たとえばスコットランドではそうであって,そこでは流通額〔currency〕は300万ポンド・スターリングを超えたことがないのに,預金額は2700万ポンド・スターリングとなっている

  ここで流通額というのは実際に流通している現金(すなわち金貨と銀行券)の総額を意味している。これはまあ流通必要金量を代理していると言えるだろう。そして預金額2700万£は帳簿上の記録に過ぎないが、しかし、その預金に対して小切手が切られ、膨大な取り引きが決済されているわけである。混乱した現代のマルクス経済学者たちはこの2700万£をも「預金通貨」なる用語で呼んで、通貨の一部に加えるわけである。しかしこの引用文の著者は賢明にもそうした間違いに陥っていない。預金は、単なる帳簿上の記録でしかないということを明確に理解している。

 〈銀行にたいする預金の一般的な取り付けが起こらないとすれば,同一の100ポンド・スターリングが,それの行程を逆戻りすれば,同じように確定できない金額を同じように容易に決済することができるであろう。今日ある小売商人にたいする債務を決済するのに用いられた同一の100ポンド・スターリングが,明日は彼の卸売商人にたいする債務を決済し,明後日はこの卸売商人の銀行にたいする債務を決済することができ,そして無限にこれが続くのだから,同一の100ポンド・スターリングが,手から手へと,銀行から銀行へと渡って行って,考えられうるどんな預金額でも決済することができるのである

 この一文は必ずしも明瞭ではない。まず〈同一の100ポンド・スターリング〉というのが何なのかがハッキリしないことである。それは預金なのか、それとも別の現金なのかがハッキリしないのである。次に〈それの行程を逆戻りすれば,同じように確定できない金額を同じように容易に決済することができるであろう〉というのもハッキリしない。〈それの行程〉というのはどの行程なのか、〈逆戻りす〉るというのはどういうことなのか、ということである。しかし細かいことを色々と考えていてもしようがない。ただ最後の部分〈そして無限にこれが続くのだから,同一の100ポンド・スターリングが,手から手へと,銀行から銀行へと渡って行って,考えられうるどんな預金額でも決済することができるのである〉を見るかぎり〈同一の100ポンド・スターリング〉というのは〈同一の100£紙幣片〉と考えてもよいように思う。そして〈手から手へと〉というのは、それが支払手段か購買手段として機能して、人の手を渡っていくことを表し、〈銀行から銀行へと渡って行って〉というのは、それらが色々な銀行に預金となり、且つそれらが決済されていくことを述べているように思う。〈考えられうるどんな預金額でも決済することができる〉というのは、そうして決済された預金額というのは、同じ100£の銀行券片が形成したものだが、しかしそれは一定の期間をとれば大きな額に達するのだということであろう。
 ただここで述べられていることは、同じ100£の銀行券片が介在して形成された銀行預金が、帳簿上の記録としてさまざまな債務を決済するのに利用され得るということではないような気がする。帳簿上の記録はまったく架空なものに過ぎないのに、銀行にとっては一つの貨幣資本であり、彼らはそれらの決済手続きに対して手数料を稼ぐのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 以上で第29章部分の解読の紹介は終わりである。ほぼ今回の原注の解読になっていると思うので、何も付け加える必要はない。ただ翻訳上かどうかは不明だが、若干、本文には今回のものと異なるところがある。
  第29章では〈そこでは流通額〔currency〕は300万ポンド・スターリングを超えたことがないのに〉となっているが、今回の原注では〈ここでは通貨は300万ポンド・スターリングを超えたことがないのに〉となっている。これは「currency」を如何に訳すかの問題だが、どちらが正しいとも言い難い。
  また第29章のところでは〈100ポンド・スターリング〉となっていたのが、今回は〈1000ポンド・スターリング〉となっている。これについては、大谷氏は訳者注で次のように指摘している。

  〈138)「1000ポンド・スターリング」--この「1000ポンド・スターリング」とすぐあとにもう一度でてくる「1000ポンド・スターリング」は,『通貨理論論評』ではともに「100ポンド・スターリング」となっているが,これは『論評』での誤植であろう。〉 (新本第2巻187頁)

  結局、今回の原注は銀行券は卸売業の鋳貨をなすだけで、銀行で重要な役割を果すのは預金だという本文を補足するものとして、現実に銀行の預金額が実際の通貨の流通量にくらべてどれほど巨大な額になっているかを例証するものである。それは商業上の取引の多くが預金の振替決済によって行われていて、そこで現金(銀行券)が果す役割はただ帳尻を合わせるための小銭の役割を果たしているだけだ、ということである。しかもこうした商業上の取引を決済している巨額の預金のほとんどがただ帳簿上のものでしかなく、帳簿上の記録として貨幣の機能を果すわけである。だから銀行は実際に預金された貨幣そのものをすぐに利子生み資本として貸し出し利子を稼ぐ一方で、残った帳簿上の記録としても振替決済によって手数料を稼ぐわけである。】


【30】

 〈140)銀行がその「預金者」の引き出しにたいして「銀行券」を発行する場合には,それは明らかに,ただ銀行の負債の形態が要求次第支払われるべき預金の形態から要求次第支払われるべき銀行券の形態に変わるだけのことである。〔原注2)終わり〕/

  140)〔E〕エンゲルス版では,このパラグラフは削除されている。〉 (188頁)

 〈銀行がその「預金者」の引き出しの要求に対して、「銀行券」で応じた場合、それは明らかに、ただ銀行の負債の形態が変わるだけのことです。預金の場合は、要求次第支払われるべきものですが、やはり銀行券も要求あり次第現金(金鋳貨あるいは地金)での支払いをしなければなりませんから。〉

 【これはマルクス自身が先の『通貨理論論評』からの引用につけた一文であるが、預金も銀行券も銀行の負債という点では同じ性格をもつ、と指摘しているだけのもののようである。
  ところでエンゲルスは、先の『通貨理論論評』の引用文を紹介したあと、このマルクスのつけた一文を削除しているのである。それに対して、大谷氏は次のように述べている。

  〈この預金についての文には注「2)」がつけられているが,ここには,エンゲルス版で彼による長い挿入がはいる,その直前に引用されている,『通貨理論倫評』での記述と,そのほかに次のような--エンゲルスが省いた--マルクスの文章がある。
  「銀行がその「預金者」の引き出しにたいして「銀行券」を発行する場合には,それは明らかに,ただ銀行の負債の形態が要求次第支払われるべき預金の形態から要求次第支払われるべき銀行券の形態に変わるだけのことである。」
  預金が銀行券で引き出されるときには,銀行の負債(すなわち受ける信用)の形態が変わるだけだということがここでは強調されている。すなわち,信用貨幣の一形態から他の形態への転換だということである。ここでも,エンゲルスは,預金が信用貨幣であることを示すような箇所を省いているのであって,預金と預金の振替にかかわる部分を,エンゲルスは意識的にすべて省こうとしたのではないか,という印象さえ与えられるのである。〉 (新本第2巻121-122頁、太字は大谷氏の傍点による強調個所)

  エンゲルスが省いたマルクスの一文は重要な指摘であり、それをどうしてエンゲルスが省いたのかは確かに疑問であり、大谷氏の疑念は当然といえる。しかし大谷氏がマルクスの一文が〈信用貨幣の一形態から他の形態への転換〉だと説明しているのは、そのままでは首肯できない。ここには預金は通貨である(預金通貨)、という大谷氏独特の解釈があるからである。しかしこれについては何度も述べてきたが、『通貨理論論評』でも〈それゆえに,連合王国にある預金の総額の10分の9までが,それらの預金のそれぞれに責任を負っている銀行業者たちの帳簿に記載されている預金の記録以外にはまったく存在しない,ということもありうる〉と述べているのであり、ここには預金が通貨であるなどという間違った認識はない。確かに単なる帳簿上の記録に過ぎない預金がさまざまな振替決済においては貨幣の機能を果す。しかし「貨幣の機能」にもいろいろなものがある。大谷氏はその機能は流通手段としての機能だなどというのであるが、しかしそれは貨幣の節約にこそなれ、それ自体を通貨とすることは間違いなのである。なぜなら、ここで果たしている貨幣の機能とは、諸支払いの相殺を行う機能であり、だから観念的な計算貨幣(価値尺度)としての機能であって、通貨(つまり流通手段や支払手段)としてのそれではないからである。だから大谷氏が憶測するような「預金通貨」などという用語を肯定する余地はここにはまったくないのである。】


【31】

 〈[475]/318上/(2)【MEGA II/4.2,S,475.4-5】特殊的信用諸用具ならびに銀行の特殊的諸形態は,われわれの目的のためにはこれ以上考察する必要はない。|〉 (188頁)

 〈これ以上の特殊な信用諸用具や銀行の特殊な諸形態については、資本主義的生産様式一般の特徴付けのために必要なわずかの点を明らかにするという私たちの目的のためには、もうこれ以上考察する必要はないでしょう。〉

 【これで大谷氏が〔Ⅰ 信用制度の概要〕としている部分は終わりである。大谷氏の解釈ではエンゲルス版の第25章の前半部分と第27章は基本的には〔A 信用制度〕について概説したものであり、第25章前半部分は〔Ⅰ 信用制度の概要〕、第27章部分は〔II 信用制度の役割〕とされている。エンゲルスが第25章の後半部分に付け加えたものと第26章としてまとめたものは〔信用制度についての雑録〕〔挿論 ノーマンおよびオウヴァストンの無概念的混乱の批判〕として位置づけられている(最初に紹介した大谷氏の全体の構成の理解を参照)。大谷氏は第25章該当部分と第27章該当部分との関連を次のように指摘している。

 〈もしこのように見ることが許されるとすれば,第5章の「5)」のはじめのほうでこの章の本文として書かれているのは,317-318ページのいわば「総論」にあたる部分に続いては,第27章相当部分だということになる。エンゲルス版について大まかに言えば,第25章の本文部分末尾の,
  「特殊的信用諸機関〔マルクスでは用具〕ならびに銀行そのもの〔マルクスでは「そのもの」はなし〕の特殊的諸形態は,われわれの目的のためにはこれ以上考察する必要はない」(MEGAIⅡ/15,S.395;MEW25,S.417),
というところに,「第27章資本主義的生産における信用の役割」の部分が続く,ということである。〉 (新本第2巻62頁)

  とりあえず、われわれも第25章該当部分の本文の解読はひとまず終えることにしよう。】

  次回は、一旦、第25章該当部分の草稿の本文の解読のまとめを行う。

 

2020年7月23日 (木)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(25・26-11)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(続き)

 

【27】

 /318上/(3)【MEGA II/42,S.474.18-41】〔原注〕131){注1)へ(318および319ページ)〔zu Note 1)(318 u.319)〕。--(ⅰ)「銀行の事業資本〔trading capital〕は二つの部分から,すなわち投下資本〔invested capital〕と借り入れられたその銀行業資本banking capital〕とから成っている。」(J.W.ギルバト銀行業の歴史と理論』,ロンドン,1834年)(117ページ。)(ⅱ)「銀行業資本あるいは借入資本を調達するための三つの方法は,第1に預金の受け入れによって,第2に銀行券の発行によって,第3に手形の振り出しによって,である。もしある人が私に100ポンド・スターリングを無償で貸してくれて,私がこの100ポンド・スターリングを別のある人に4%の利子で貸すならば,私は1年のうちにこの取引によって4%を儲けるであろう。さらに,ある人が私の「支払約束Promise to pay〕」を受け取ったのち,年末にそれを私に返してくれて,しかもまるで私が彼に100個のソヴリン金貨を貸したかのようにそれにたいする4%を私に支払ってくれるならば,この取引によって私は4%儲けることになる。さらにまた,地方の町にいるある人が私に100ポンド・スターリングを,21日後には私が同じ額をロンドンにいるある人に支払う,という条件でもたらすならば,この21日のあいだに私がこの貨幣で儲けることができる利子は,すべて私の利潤であろう。以上は,銀行業の諸操作を,また預金,銀行券,手形によって銀行業資本が創造される方法を,偏見なく描いたものである。」(同前。){(ⅲ)「銀行業者の利潤は,一般に,彼の借入資本あるいは銀行業資本の額に比例する。銀行の本当の利潤を確定するためには,投下資本にたいする利子を総利潤から引き去らなければならない。残額が銀行業利潤である。」(同前,118ページ。〔)〕}(ⅳ)銀行業者からその顧客への前貸は,他の人びとの貨幣で行なわれる。」(同前,146ページ。)(ⅴ)132)銀行券を発行しない銀行業者でさえも,手形の割引によって銀行業資本を創造する。彼らは彼らの割引を,彼らの預金を増加させるのに役立つものにするのである。ロンドンの銀行業者たちは,自分のところに預金口座をもつ人びとのため以外には割引をしようとしない。」(119ページ。)(ⅵ)「手形を割り引いてもらってその全額にたいして利子を支払った当事者は,この額のうちの多少の部分を,利子なしに銀行業者の手に残しておかなければならない。この方法で銀行業者は,実際に前貸された貨幣にたいしてそのときの普通の利子率以上のものを受け取るのであり,また彼の手に残された残高だけの銀行業資本を調達するのである。」(同 前,[119,]120ペー ジ。)〔}〕133)原注「注1)へ(318および319ページ)」終わり〕/

  ①〔注解〕ギルバトでは次のようになっている。--「銀行の事業資本は二つの部分に,すなわち投下資本と銀行業資本とに分けることができる。」

  131)以下の原注「注1)へ(318および319ページ)。」は,318ページ上半部から始まる雑録部分の冒頭に書かれている。この原注が318ページにあるにもかかわらず「318および319ページ」と次のページをも指示しているのは,雑録部分がページ下半部の注部分よりもあとに書かれたためと考えられる。またここで両ページを指示しているのは,318ページの本文のなかに注番号があり,319ページには注そのものがある,ということを示すためではないかと思われる。エンゲルス版では,前出の原注「j)フラートン。」からの引用に続いて,「以下は,J.W.ギルバト『銀行業の理論と歴史』,ロンドン,1834年,からの引用である。--」,として,以下,マルクスが原注と雑録とのなかでギルバトの書から引用している諸箇所をギルバトの書でのページ順に収めているが,その最初のものがこの「注1)へ(318および319ページ)」である。
  132)〔E〕「銀行券を発行しない銀行業者でさえも」--原文は,Grade d.bankers,die keine Noten ausgeben,となっているが,ギルバトの原文はEven those bankers who do not issue notes,であって,おそらくマルクスは英語のevenをドイツ語のebenの意味に読みgradeとしたのであろう。gradeのままなら,「銀行券を発行しない銀行業者こそは」となるが,ここではevenのほうがマルクスの引用の意図によりかなうものと思われるので,それによっておく。なお,エンゲルス版ではgeradeのままになっている。
  133)MEGAでは,このあとに,この原注に属するものとして,本書ではのちに「〔信用制度についての雑録〕」の冒頭に収めた,318上(4),318上(5),および,318上(6) を置いている。〉 (184-185頁)

 【まず最初に細かいことだが気づいたことを書いておこう。ここで大谷氏は〈{注1)へ(318および319ページ)〔zu Note 1)(318 u.319)〕〉と書いているが、最初の〈{〉に対応する締めくくりの〈}〉がない。これは恐らくそのあとの〈〔zu Note 1)(318 u.319)〕〉に対応させて考えるなら、あるいは〈注1)へ(318および319ページ)〔zu Note 1)(318 u.319)〕。〉(赤字は変更箇所)とすべきだったのかも知れない。
  さて、これは「注1)へ」とあるように、原注「1)」への補足の原注である。これが〈注1)へ(318および319ページ)〉となっていることについて、大谷氏は訳者注131)で自身の推定を次のように行っている。

  〈原注「注1)へ(318および319ページ)。」は,318ページ上半部から始まる雑録部分の冒頭に書かれている。この原注が318ページにあるにもかかわらず「318および319ページ」と次のページをも指示しているのは,雑録部分がページ下半部の注部分よりもあとに書かれたためと考えられる。またここで両ページを指示しているのは,318ページの本文のなかに注番号があり,319ページには注そのものがある,ということを示すためではないかと思われる。〉 (新本第2巻184頁)

  確かにこのパラグラフの冒頭には〈/318上/(3)〉とある。つまり草稿の318頁の上段の三つ目のパラグラフということである。318頁の上段の冒頭のパラグラフ、つまり〈/318上/(1)〉というのは、実はわれわれのパラグラフ番号では【21】パラグラフになり、本文である。これまで検討している原注(われわれのパラグラフでは【22】~【30】まで)はすべてこの318頁の冒頭にある本文に関連するものなのである。では318頁上段の二つ目のパラグラフ、つまり〈/318上/(2)〉というのは何かというと、同じくわれわれのパラグラフ番号では【31】パラグラフであり、実は、このパラグラフで本文は終わっているのである。
  つまりマルクスが第25章(これはエンゲルスが付けたものだが)に該当する本文として書いた最後の締めくくりのパラグラフがあるのが318頁の二つ目のパラグラフなのである。そしてその本文が終わったあとに、すぐにこの〈〔原注〕{注1)へ(318および319ページ)〔zu Note 1)(318 u.319)〕〉が書かれていることになる。
  それに対して、これまでわれわれが検討してきた【21】パラグラフの本文に付けられた幾つかの原注のうち「i)」(【22】【23】パラグラフ)は318頁の下段の第6パラグラフと第5パラグラフにあり(つまり順序が入れ替わっている)、原注「j)」(【24】パラグラフ)や原注「注jへ」(【25】パラグラフ)は319頁下段の第1パラグラフと第4パラグラフに、原注「1)」(【26】パラグラフ)は319頁下段の第2パラグラフに書かれている。その原注「1)」への追加的な原注「注1)へ(318および319ページ)。」が何と本文が書かれている318頁の本文が終わったあとに、すぐに続けて書かれているというわけである。
  では319頁下段の第3パラグラフはというと、原注「2)」(【29】パラグラフ)が書かれているのである。しかも本文が途中で終わっている318頁の上段には、大谷氏が〔信用制度についての雑録〕に分類したものも含まれており、続く319頁の上段に書かれているものにも雑録とされているものがあるだけではなく、その第3パラグラフは「注1」(【28】パラグラフ)と、本文(【21】パラグラフ)の原注になっているものもあるのである。
  マルクス自身の原注の付けた方が複雑なのはもちろんだが、それらから大谷氏が自身の考証にもとづいて、第【21】パラグラフの本文に対する原注と、それ以外の雑録とに仕分けたということであろう。何とも複雑だが、われわれとしては、それらの是非を判断する材料がそもそもないのだから、とにかく大谷氏の編集にもとづいて検討を行っていくことしかできない。

  さて、そもそも原注「1)」(【26】パラグラフ)というのは〈しかし,銀行業者はそのほかのあらゆる形態での信用でも取引するのであって,彼が自分に預金された貨幣を現金で前貸する場合でさえもそうである,等々〉という本文につけられもので、銀行法特別委員会報告でのロイド(オウヴァストン)の答弁とラゲーの著書からの引用であった。だから今回の原注〈注1)へ(318および319ページ)〉もそれを補足するものと考えられる。なお小林賢斎氏は『マルクス「信用論」の解明』で次のように説明している。

  〈「注1)」の2つの引用(【26】パラグラフのこと--引用者)は,いずれも,「預金」と銀行業者が貸出す「資本」との関係,ないしは銀行業者の与える「信用」つまり銀行が貸出す「資本」と,銀行業者に無利子での利用を許す「あなたの資本」つまり「預金」との関係についてのものである。マルクスはこの関係を,したがってまた「銀行業者の資本」なるものを,より明快に説明しているものとして,ギルバートの『銀行業の歴史と理論』の第Ⅲ部第Ⅷ章「預金銀行(banks of deposit)」から抜き書きし,そこに「注1)(318および319)へ」という見出しを付したのであろう。〉 (小林前掲329頁)

  そこで、われわれも今回も便宜的にそれぞれの引用に番号(ⅰ)~(ⅵ)を付してその内容を検討することにしよう。
  これらはすべて〈J.W.ギルバト銀行業の歴史と理論〉からの抜粋である。しかし必ずしも頁数の若い順に抜粋されているわけではない。(ⅰ)と(ⅱ)は同じ117頁からの抜粋であるが、(ⅲ)は118頁、(ⅳ)146頁、(ⅴ)119頁、(ⅵ)120頁となっている。だからマルクスは自身の問題意識にもとづいてそれらの引用を並べていることが分かる。先の小林氏はこのギルバトの著書について次のように指摘している。

 〈さてマルクスによるここでのギルバートからの引用は,全て,彼の著書『銀行業の歴史と原理』の第Ⅲ部「銀行業の原理」部分からである。因みにこの第Ⅲ部の構成は,第Ⅷ章  預金銀行,第Ⅸ章 送金銀行,第X章 発券銀行,第XI章 割引銀行,第XⅡ章 キャッシュ クレディット銀行,第XⅢ章 貸付銀行,第XⅣ章 貯蓄銀行,[第XⅤ章 ロンドン=ウェストミンスター銀行]となっており,マルクスは最後の2章を除くすべての章から書き抜いている。〉 (322頁)

 そしてわれわれの引用番号の(ⅰ)~(ⅲ)と(ⅴ)、(ⅵ)はすべて「第Ⅷ章 預金銀行」から引用されており、(ⅳ)だけが「第XI章 割引銀行」の序論的部分からとられたものと指摘し、次のように述べている。

  〈そこではギルバートは「近代銀行業の事業の顕著な分野は為替手形を割引くことから成立っている」とし,その理由の一方として,為替手形の性質--手形は満期までの期間が短く,投下した資本は直ぐに還流し,また必要ならば再割引されうる--を挙げる。そして他方の理由は,銀行が貸出す資本の性質にあるとして,次のように説明する。「銀行業者のその顧客に対する前貸しは他人の貨幣でなされ,かつその貨幣はいつ引出されてもよいのであるから,これらの前貸しがなされる有価証券は急速に回転し,またいつでも換金可能(convertible)でなければならないからである」,と。そしてマルクスが引用5としてくるのは(われわれの付した番号では(ⅳ)--引用者),「銀行業者のその顧客に対する前貸しは他人の貨幣でなされる」というところである。〉 (331頁)

  とりあえず、マルクスの引用についての知りうる情報を確認した上で、それではそれぞれの内容を検討していくことにしよう。

  (ⅰ)は銀行の事業資本は二つの部分からなるとして、一つは投下資本ともう一つは借り入れられた銀行業資本とが挙げられている。これは第29章該当部分の草稿(「5)信用。架空資本」の「II)」と項目番号が打たれた部分)で銀行業者の資本の構成が分析されているが、そこで次のように指摘されていることに対応している。

 〈銀行業者の資本〔d,Bankerscapital〕は,1)現金(金または銀行券),2)有価証券,から成っている。……銀行業者の資本は〔es〕,それがこれらの実物的な〔real〕構成部分から成るのに加えて,さらに,銀行業者自身の投下資本〔d.invested Capital des Bankers selbst〕と預金(彼の銀行業資本〔banking capita1〕または借入資本〔gepumptes Capital〕)とに分かれる。〉 (新本第3巻162-163頁)

  ここでギルバトが指摘しているものは、銀行業者の資本の実物的な構成部分とは別の構成として後半部分でマルクスが述べているものに該当するであろう。だからギルバトがいう〈投下資本〔invested capital〉は、マルクスのいう〈銀行業者自身の投下資本〔d.invested Capital des Bankers selbst〉に対応し、同じく〈借り入れられたその銀行業資本banking capital〉が、〈預金(彼の銀行業資本〔banking capita1〕または借入資本〔gepumptes Capital)〉に対応するわけである。
 なおついでに紹介しておくと、このマルクスの銀行業資本の実物的な構成部分ともう一の構成部分とへの区別は、上述の小林氏によると貸借対照の貸方と借方にもとづいたものだとのことである。次のように指摘している。

 〈マルクスは,「銀行業者の資本」の「諸成分」について,銀行の貸借対照に従って,最初に資産の側(貸方)を1)現金(金または銀行券)と2)有価証券とに分け,さらに後者を①「商業証券である手形」と②「利子生み証券」--公的証券とあらゆる種類の株式,抵当証券等--とに分ける。そして次に負債の側(借方)について,次のようにいう,「これらの現実的(real)諸成分から成立つ資本と並んで,それ[銀行業者の資本(Bankerscapita1)]は,銀行業者自身の投下資本と,預金(彼の銀行営業資本(banking capita1),即ち(oder)借入資本(gepumptes Capital)とに分かれる」,と。〉 (同350頁)

  こうした指摘は、以前第29章草稿の解読の際に「預金」に関連して紹介した銀行の貸借対照表を見る限り妥当のなように思える。

  ついでにこの(ⅰ)の引用について小林氏は次のように説明していることも紹介しておこう(なお小林氏はギルバトの引用を最初のものから通し番号を付しているので、この引用を「引用2」としている)。

  〈ギルバートはこの第Ⅷ章の冒頭で次のように言う,「銀行業(banking)は貨幣を稼ぐことを目的として営まれる一種の取引(trade)である」が,「銀行業者の取引は,それが主として他人の貨幣(money)で営まれる限りで,他の諸取引とは異なる」,と。そして続いて彼は,マルクスが引用する「銀行の使用総資本」なるものの説明に入っていく。「銀行の使用総資本(the trading capital of a bank)は2つの部分に,即ち投下資本(the invested capital),および銀行営業資本(the banking capital)に,分けられるといってよい。投下資本は事業(business)を営む目的で出資者(partners)によって払い込まれた貨幣である。これは真の資本(the real capital)と呼ばれえよう。銀行営業資本は[銀行の使用総]資本のうちの,その事業の過程で銀行自身によって創造(create)される部分であり,そして借入資本(borrowed capital)と呼ばれえよう)」--引用2--,と。〉 (前掲329頁)

  (ⅱ)は(ⅰ)で指摘された構成部分で、投下資本と区別される銀行業資本あるいは借入資本を調達する三つの方法として①預金の受け入れ、②銀行券の発行、③手形の振り出し、を指摘し、それぞれについて銀行はどのようにしてそれら調達された銀行業資本で儲けるかが紹介されている。
  まず①の預金の受け入れについて、100ポンドを無償で貸してくれて、それを別のある人に4%で貸すという例が挙げられている。もちろん無償でなくても利子を支払っても、それより高い利子で貸し出す事によって銀行はその利子の差額で儲けるわけである。
  ②の銀行券については、私の「支払約束」で貸し付けると述べている。そしてそれが年末に返ってきて、それに対して公衆は4%の利子を支払う、あたかも銀行が100個のソヴリン金貨を貸したかのように、それは通用することが指摘されている。
  ③の手形の振り出しについては、地方業者が持ち込んだ100ポンドに対して21日後にロンドンにいる別の業者に支払うという銀行業者の為替手形を振り出すケースが書かれている。この場合、その21日の間に受け取った100ポンドを運用して得た利得はすべて銀行の利潤になるということである。
  そしてこれらは〈銀行業の諸操作を,また預金,銀行券,手形によって銀行業資本が創造される方法を,偏見なく描いたものである〉と述べている。
 確かにこれらはマルクスが本文で述べていた〈銀行業者が与える信用はさまざまな形態で,たとえば,銀行業者手形,銀行信用,小切手,等々で,最後に銀行券で,与えられることができる〉という指摘と部分的ではあるが一致する(②が〈銀行券〉、③が〈銀行業者手形〉)。しかしギルバトはマルクスが指摘している〈銀行信用〉と〈小切手〉については言及していない。
  またギルバトは〈預金〉について述べているが、マルクス自身は預金については、貸し付け可能な貨幣資本(monied capital)が銀行に流入する仕方として論じていた(【14】パラグラフ)のであって、〈銀行業者が与える信用〉とは区別されている。恐らくギルバトにはこうした「貸付」と「銀行業者が与える信用」との区別は自覚されていないのであろう。

  この(ⅱ)についてギルバトの展開に則して説明している小林氏の解説も紹介しておこう(小林氏はこれを「引用3」としている)。

  〈では「借入資本」である「銀行営業資本」はどのようにして「創造」されるのか。引用2に続くパラグラフ全体で,ギルバートはそれを説明する。即ち,「銀行営業資本ないし借入資本の調達には3つの仕方がある:第1に預金の受入によって,第2に銀行券の発行によって,第3に為替手形の振出しによって。ある人が私に100ポンドを無償で貸してくれて,その100ポンドを私が4パーセントの利子で他の人に貸すとすれば,1年の経過後に私はこの取引で4ポンドを儲けるだろう。またある人が私の「支払約束』[銀行券]を受取ってくれて,年度の終わりにそれを私に返し,そして私に4パーセントを支払うならば,あたかも私が100ポンド金貨を彼に貸して,その取引によって4ポンド儲けるであろうのとまさに同じことである。さらにまた地方都市のある人が私に100ポンドを,21日後に私がロンドンのある人に同額を支払うという条件で持ってくるならば,21日間に私がその貨幣で稼ぎうる利子は,それがいくらであれそれは私の利益となろう。これが銀行業の諸操作の,そして銀行営業資本が預金,銀行券,および手形によって創造される仕方の,簡明な描写である」,と。これがギルバートによる,債務の債権化としての「銀行営業資本の創造」の簡明な説明であり,マルクスはこのパラグラフ全体をそのまま引用する--引用3--。〉 (329-330頁)

  しかしマルクスは「銀行営業資本」については、すでに指摘したように、貸付可能な貨幣資本(monied capital)の貸付とただ銀行の信用だけで貸付可能な形態を創造して貸し付ける〈銀行業者が与える信用〉とは区別して論じているのであり、だから後者に関連してギルバトから引用しているからといってそれをそのまま肯定しているわけではないことが小林氏には分かっていない。小林氏は〈「借入資本」である「銀行営業資本」はどのようにして「創造」されるのか〉などと預金までも信用創造であるかに述べているが、恐らく小林氏も、大谷氏もそうであったが、ギルバトと同様、マルクスが「貸付」と「銀行業者が与える信用」とを区別して論じていることに無自覚なのであろう。

  (ⅲ)では銀行業者の利潤について述べている。それは彼の借入資本あるいは銀行業資本に比例するというのは当然であるが、〈本当の利潤を確定するためには,投下資本にたいする利子を総利潤から引き去らなければならない〉とあるのは、〈投下資本〉というのは銀行業を発足するに当たって投下した資本のことである。もし銀行資本が株式資本なら、それは株式に対して払い込まれた資本額のことである。だから純利潤は、営業によって得た利潤から、投下資本に対する利子(株式なら配当)を支払ったあとに残ったものになる、というわけである。

  この部分の小林氏の解説は次の通り。

  〈このように「銀行の使用総資本」は2つの部分から成立っていて,銀行業者は自己の債務である借入資本を「銀行営業資本」として貸付けるのであるから--「銀行業者の取引は主として他人の貨幣で営まれる」のであるから--,「銀行業者の利潤」もまた独特となる。そしてマルクスはその説明のパラグラフの最初と最後の部分を,一つに纏めて引用する。それが「銀行業者の利潤は一般的に彼の銀行営業資本,即ち借入資本の額に比例する。……銀行の真の利潤(the real profit)を確定するには,総利潤から投下資本についての利子が控除されるべきであり,そして残るものが銀行業利潤(the banking profit)である8)」という,引用4である。〉 (330頁)

  ただしこの引用は全体が{ }で括られており、こうした場合は、その内容は今問題となっているものと関連はするが、枝論的・挿入的なものと考えられるから、だから小林氏は次の(ⅳ)は(ⅱ)に直接続くものと見ている。

 (ⅳ)は銀行業者の顧客への前貸しは、他の人々の貨幣で行われる、というだけであるが、これはギルバトの著書の大分後ろの方から採ってきたものである。これ自体は、注「1)」がつけられている本文〈しかし,銀行業者はそのほかのあらゆる形態での信用でも取引するのであって,彼が自分に預金された貨幣を現金で前貸する場合でさえもそうである,等々〉と必ずしも関連するとは限らないとも言えるが、敢えて関連させるなら、例えば銀行が〈自分に預金された貨幣を現金で前貸する場合でさえも〉、それは結局は〈他の人びとの貨幣で行なわれる〉のであり、やはり信用で取引していることになるのだ、ということであろうか。

  この引用部分に対する小林氏の説明は次の通りである。

  〈ところで以上の引用2,3,4,6,7(われわれの引用番号では(ⅰ)(ⅱ)(ⅲ)(ⅴ)(ⅵ)--引用者)は,いずれも第Ⅷ章「預金銀行」からのものであるが,引用5(同上(ⅳ)--同)は第XI章「割引銀行(banks of discount)」の序論的部分からとられたものである。そこではギルバートは「近代銀行業の事業の顕著な分野は為替手形を割引くことから成立っている」とし,その理由の一方として,為替手形の性質--手形は満期までの期間が短く,投下した資本は直ぐに還流し,また必要ならば再割引されうる--を挙げる。そして他方の理由は,銀行が貸出す資本の性質にあるとして,次のように説明する。「銀行業者のその顧客に対する前貸しは他人の貨幣でなされ,かつその貨幣はいつ引出されてもよいのであるから,これらの前貸しがなされる有価証券は急速に回転し,またいつでも換金可能(convertible)でなければならないからである」,と。そしてマルクスが引用5としてくるのは,「銀行業者のその顧客に対する前貸しは他人の貨幣でなされる」というところである。〉 (331頁)

  このように小林氏もマルクスの引用がギルバトの著書の頁数としては前後した形で抜粋されていることは指摘しているが、それがどうしてなのかについては何も言及していない。ただ小林氏は先に紹介したように、(ⅲ)が全体として{ }で括られており、だから(ⅳ)は(ⅱ)に直接続くものと見ることができると指摘していた。つまり(ⅱ)では、銀行が借入資本を調達する三つの方法が述べられていたのであるが、それらはいずれも〈銀行業者からその顧客への前貸は,他の人びとの貨幣で行なわれる〉ことを意味するのだ、というのがギルバトからの引用を前後して抜粋したマルクスの意図ではないだろうか。

  (ⅴ)は銀行券を発行しない銀行業者でも、手形の割引によって銀行業資本を創造する、とあるが、これは手形を割り引いた金額をその顧客の預金として記帳するということのようである。これは第28章該当個所の草稿でマルクスが「帳簿信用」として述べていたのと同じであろう。だから彼らは自分のところに預金口座をもつ人々以外には割引をしないというわけである。だからこの場合は、手形を割り引いてその割引額をその顧客名義の預金として記帳し、その預金に対して顧客には小切手帳を発行するということであろう。そして顧客は自分の預金に対して小切手を切って必要な諸支払を行うわけである。この場合、銀行業者は手形の割引に際して、ただ帳簿上の操作以上のものを必要とするわけではない(小切手帳の印刷費用は必要だが)。それは発券銀行が銀行券を発行して顧客の手形を割り引く場合も紙とインク以外に費用を必要としないのと同じなわけである。確かにこの場合も〈銀行業者はそのほかのあらゆる形態での信用でも取引する〉ということに該当する。

  (ⅵ)は(ⅴ)のいわばその延長上に述べていることであろう。つまり手形を割り引いた顧客は、それが満期になって現金が入る前に、差し迫った支払いに応じるために現金が必要だったからであろうから、当然、手形の割引によって設定された預金額(これは手形の額面から支払期日までの利子を差し引いたものであるが)に対して小切手を切って、差し迫った支払を済ますのであるが、しかし記帳された預金額一杯の小切手を切るのではなく、その一部を預金としてそのまま利子なしに銀行業者の手に残しておくことになる。こうした残高は集まれば大きな額になり、それは銀行業者の貸付資本になるというわけである。
  ここで〈この方法で銀行業者は,実際に前貸された貨幣にたいしてそのときの普通の利子率以上のものを受け取る〉というのは、銀行業者は顧客の割引した手形、例えばもしそれが額面が100万円だとすると、その支払われる期日までの利子を差し引いて、例えば95万円の預金として記帳したとしよう。すでに銀行業者は利子を先取りして、100万円を前貸ししたことになる(だから銀行業者は支払期日にはその手形の発行者から100万円の支払を受け、彼は結局、100万円を貸し付けて105万円の返済を受けたのと同じになる)。しかしこのままでは5万円の利子は〈普通の利子率〉によるものである。しかし顧客はその95万円のすべてを支払いに利用するかというとそうではなく、支払いに必要なのは90万円だったとした場合、彼は預金に5万円の残高を残すことになる。つまり銀行業者は100万円を貸し付けて、それが支払われる期日までの利子として5万円を先取りしたのだが、実際は5万円は残高として残ったのだから、彼が貸し付けたのは95万円でしかなく、しかもそれに対して5万円もの利子の支払いを受けたことになる。だから彼は〈実際に前貸された貨幣にたいしてそのときの普通の利子率以上のものを受け取る〉ことになるのである。そればかりか彼はその残高の5万円を今度は別の顧客に対する貸付資本として運用して利子を得ることができるわけである。

  ところで小林氏はこの(ⅴ)と(ⅵ)の引用を紹介したあと、次のように続けている。

  〈そしてギルバートは,さらにロンドンの銀行では預金は無利子であるが,しかし銀行での諸取引には手数料がかからないが,スコットランドでは異なること,また両地での預金口座の微妙な相違と銀行券の流通との関係等を指摘した後,今度は発券銀行でもある預金銀行の場合における銀行営業資本調達--例えば,預金が自行銀行券で,あるいは他行銀行券でなされる場合--の考察に進んでいく。〉 (331頁)】


【28】

 [475]/319上/(3)【MEGA II/4.2,S.475.24-31】〔原注〕134)注1へ,318ページzu Note 1.318)〕。「発券銀行はつねに自己の銀行券を発行するので,その割引業務はもっぱらこの最後の種類の資本〔」〕{銀行券そのものによって調達された資本}〔「〕で営まれるように見えるかもしれないが,そうではないのである。銀行業者が自分の割引する手形のすべてにたいして自分自身の銀行券を発行するということは大いにありうるが,そうであるにもかかわらず,彼の手にある手形の10分の9が現実の資本を表わしているかもしれない。というのは,まずはじめには手形にたいして銀行券が与えられるのではあるが,しかしこれらの銀行券は,手形が満期になるまで流通のなかにとどまっている必要はないからである。手形は満期まで3か月間あるのに,銀行券は3日のうちに帰ってくるかもしれないのである。」(同前〔ギルバト『銀行業の歴史と理論』〕,172ページ。)135)〔原注「注1へ,318ページ」終わり〕/

  ①〔注解〕「現実の資本〔reelles Capital〕」--ギルバトでは「real capital」となっている。

  134)〔E〕この原注は319ページ上半部の雑録のなかにあるが,ここに移した。ここでは「318ページ」とだけ書かれている。これは318ページの注番号「1)」を意味するものと考えられるが,もしかするとこの注の前に収めた「注1)へ(318および319ページ)」を意味するのかもしれない。この原注の左側には鉛筆で縦線が引かれており,そのさらに左側には同じく鉛筆で「5x)」と書かれている。後者の筆跡はエンゲルスのものと思われる。縦線もおそらくエンゲルスによるものであろう。エンゲルス版では,以下の引用は,ギルバトからの一連の引用のなかに組み込まれている。その位置は,ギルバトの書でのページの順に従って,137,138ページからの引用と174,175ページからの引用とのあいだに置かれている。
  135)MEGAでは,このあとに,この原注に属するものとして,本書ではのちに「〔信用制度についての雑録〕」に収めた319上(4) および319上(5) を置いている。〉 (185-186頁)

 【これもやはりギルバトの著書からの抜粋だけなので、平易な解読は省略した。この抜粋には〈注1へ,318ページ〉となっているので、大谷氏はその前のパラグラフと同様、原注「1)」への補足であろうと考えたらしい。その理由を訳者注134)のなかで説明している(上記参照)。
  この大谷氏の説明を読むと、必ずしも明確に〈注1へ,318ページ〉という形で引用がなされているわけではないようである。雑録のなかにただ〈「318ページ」とだけ書かれている〉もののようである。しかし大谷氏の判断で、この部分に持ってこられたわけである。しかしこれには小林氏によるさらに詳細な考察がある。それについてはこの抜粋の内容とも関わってくるので、後に紹介することにしよう。いずれにせよ、まずはその内容について、つぶさに検討してみよう。確かにその前のパラグラフの(ⅴ)(ⅵ)は〈銀行券を発行しない銀行業者〉について述べていた。だから、今回は銀行券を発行する銀行業者について述べるという形で繋がっているかに思える。だから大谷氏はその前のパラグラフの続きであり、補足と考えたのであろう。
  しかし内容的には問題が異なるように思える。発券銀行がその貸付をすべて銀行券で行ったとしても、彼が発行した銀行券は割引した手形が支払われる3か月より前に、例えば3日のうちに帰ってくることがありうること。だから銀行券が還流してくるということは、確かにそれは何らかの支払いとして銀行に帰ってくる場合もありうるが、しかしその一部は、例えば金やイングランド銀行券との交換を要求するものとして帰ってくることもありうることである。だから発券銀行は、手形割引のほとんどを例え自身の発行した銀行券で行ったとしても、結局、その銀行券の還流によって、帳簿上の自己資本の持ち出し、金鋳貨やイングランド銀行券、つまり現金の持ち出しに結果するのであって、だから発券銀行の運営は銀行券で調達された資本だけで営まれるかにみえるが、実はそうではないのだ、というものである(こうした考察と指摘は、後のエンゲルス版の第28章該当部分の草稿〔Ⅰ)と項目番号が打たれた部分〕でも行われている)。ただこのケースは、〈銀行業者はそのほかのあらゆる形態での信用でも取引する〉が、しかしその操作によって彼らが信用だけで資本を調達できるとは限らないことを示していると言えるのかもしれない。だからいずれにせよ注1)に関連した補足であることは確かである。

  さて、われわれのパラグラフ番号で【27】【28】の二つの原注、つまり原注「1)」への二つの補足について、大谷氏は次のように解説しているので、紹介しておこう。

  〈ここで(つまりわれわれのパラグラフ番号では【27】で--引用者)ギルバトが述べているのは,次のようなことである。①銀行の事業資本(trading capital)は,投下資本(invested capital)と銀行業資本(banking capital)とから成る。((ⅰ)の引用--同)②銀行業資本あるいは借入資本(borrowed capital)は,第1に預金の受入れによって,第2に銀行券の発行によって,第3に手形の振出によって調達(raise)ないし創造される。((ⅱ)--同)③銀行業者の利潤は,利子(配当)を支払わねばならない投下資本(自己資本)に比べて銀行業資本による貸出を増加させることによって増加するのであり,銀行の総利潤から投下資本にたいする利子(配当)を引き去ったものが,銀行業(banking)にたいする利子,すなわち銀行業利潤(banking profit)である。((ⅲ)--同)④銀行業者は手形割引の場合にもそれを自己の預金増強のために利用しようとする。((ⅴ)--同)⑤銀行業者は歩積預金を強制して貸出の実質金利を高めるだけでなく,銀行業資本を増加させる。((ⅵ)--同)こうして,「銀行業者からその顧客への前貸は,他の人びとの貨幣で行なわれる」,ということが言えるのである。((ⅳ)--同)
  この注が示唆しているのは,現金での前貸を含めて,およそ銀行の本来の活動(=「銀行業の諸操作〔the operations of banking〕」)は,借り入れられた資本たる銀行業資本,このような受けた信用を表わす資本によって行なわれるのだということ,総じて,銀行に集中されたmonied Capitalが貸出されるさいには,つねにこのような信用による取引が行なわれることになるのだ,ということである。
  そこからまた出てくることは(おそらくここからは【28】パラグラフの解説であろう。--同),そのような銀行業資本で貸出を行なった場合,この受けた信用は引き揚げられる可能性があるということ,すなわち銀行券の兌換が求められ,あるいは預金が現金で引き出されることがありうるということ,そしてこの場合には,一方で準備ファンドが減少しながら他方で借入資本が減少するので,借入資本が貸出の大きさにたいして著しく小さくなると,「現実の資本〔real capital〕」すなわち「投下資本」から貸出が行なわれている状態になりうることである。草稿319ページ上半にある「注1へ。318ページ」でのギルバトからの引用はこのことを示唆しているが,この点は,銀行業者の立場からみた,貨幣の前貸と資本の前貸との区別にかかわるものである。〉(新本第2巻120-121頁、太字は大谷氏の傍点による強調箇所)

  この大谷氏の解説で若干気になったのは、大谷氏の解説はギルバトの著書の順序に沿ったものになっているが、しかしマルクスの引用の順序にそったものになっていないことである。それが分かるように大谷氏の一文にマルクスの引用番号を書いてみた。大谷氏はギルバトの著書どおりに書いているが、しかしマルクスは大谷氏が最後に〈こうして,「銀行業者からその顧客への前貸は,他の人びとの貨幣で行なわれる」,ということが言えるのである。〉と述べている部分は、マルクス自身は四番目に引用しているものである。だからマルクスの引用順序にもとづくと(ⅳ)で述べられている〈銀行業者からその顧客への前貸は,他の人びとの貨幣で行なわれる。」(同前,146ページ)〉という一文は、その前の(ⅰ)と(ⅱ)--(ⅲ)は{ }で括られているので別にして--を受けて言われているとマルクスは解釈しているわけである。少なくともマルクスはそうした意図のもとに引用文の順序をわざわざひっくり返していると考えられる。だからまたそれに続く(ⅴ)と(ⅵ)は、それまでの問題とは若干違った問題を論じているものとマルクスは理解していると考えることができるのである。(ⅴ)と(ⅵ)は手形割引の問題を論じている。それまで(ⅰ)と(ⅱ)で述べていたことと違った問題なのである。少なくともマルクスはそうした意図でこうした引用の順序をしていると考えるべきであろう。

  なお、大谷氏が最後の部分で述べていること--つまりわれわれのパラグラフ番号では【28】に関連して--は、恐らく先にも指摘したように、エンゲルス版第28章該当部分でマルクスが元帳の立場から資本の前貸しに結果すると述べていることを指しているのであろう。しかし大谷氏の理解はマルクスが述べていることと若干ニュアンスが違っているように思える。しかしそれについて詳述すると第28章該当個所の草稿の解読とも関連してくるので、ここでは論じることを控えよう。

  次に小林氏は【28】パラグラフのマルクスによるギルバトからの引用(小林氏はそれを引用15としている)に次のような解説を加えている。長くなるが全文紹介しておこう。

  〈さて引用15は,第XI章「割引銀行」の第Ⅵ節「通貨(circulation)への割引の影響」からの抜き書きである。この節の冒頭でギルバートは次のようにいう。「発券銀行が手形を割引くことは,通貨[の性格]を変える点では預金勘定(deposit accounts)と同じ影響をもつが,しかしそれほど急速には作用しない。」なぜなら,「手形が割引かれる時には銀行業者は彼自身の銀行券を手形額面まで発行する」が,「手形が支払われる時には,彼はその額面の一部を金[貨],銀[貨]または他行の銀行券で受取る」という風にしてであるからである,(ここでギルバートが念頭に置いているのは,……預金制度と通貨との関係との対比であろう。--小林)と。
 そして次に彼は,「預金勘定に対する銀行券の発行は全く預金者次第である(預金が払い戻される時に銀行券でそれがなされるから,この場合の銀行券の発行は銀行業者にとっては全く受動的で,「預金者次第である」との意であろう。--小林)が,割引での発行は全く銀行業者次第である」とした上で,手形割引と通貨量との関係を,銀行業者が銀行のどの資本部分をもって手形を割引くかという点と関わらせて,次のように論じていく。(1)「もし彼が真の資本(real capital)で割引くとすれば,彼はそれによって通貨の量を増大することにはならない;というのは,その資本はあれやこれやの仕方で予め(previously)充用されてしまっているからである。」(2)「もしも彼が彼の銀行営業資本(banking capital)のうちの預金によって調達されている部分で割引くとすれば,彼は通貨の量を増大しないが,しかし通貨に,増大された[流通]速度を与える。」(3)「もし彼が彼の銀行営業資本のうちの銀行券によって調達される部分で割引くとすれば,彼は通貨の量を増大する」,と。
 したがって手形割引が直接に通貨の量を増大させるのは(3)の場合だけということになるが,(2)についても,上述のようにギルバートは「貨幣の流通速度の増大は通貨[貨幣]量の増大と正確に同じ効果をもつ」というのであるから,その効果という点から見れば,この(2)の場合も(3)の場合の「通貨の量を増大する」というのと同じということになろう。そしてマルクスが引用してくるのはこれにすぐ続く同一パラグラフ内の,次の文章である。
 即ち,「発券銀行はつねに彼ら自身の銀行券を発行するのであるから,彼らの割引業務(discounting business)は全くこの最後の資本種類(last description of capita1)でのみ行われるように見えるであろうが,しかしそうではない。銀行業者は,彼が割引く手形すべてに彼自身の銀行券を発行することは非常にありそうであるが,それでも彼の持っている手形の10分の9は真の資本(real capita1)を代表(represent)するであろう。なぜなら最初には銀行業者の銀行券が手形と引替えに与えられるのではあるが,しかもこれら銀行券は手形が支払期日となるまで流通に留まってはいないからである。手形は満期まで3ヶ月あるかもしれないが,銀行券は3日で還流するかもしれない。」そしてこれが引用15である。
 先に彼は,「銀行の使用総資本」のうちのどの資本部分で手形を割引くかということと「通貨の量」との関係を問題としたのであるが,今度は,銀行券の発行によって調達された「銀行営業資本」による手形割引と,「真の資本」との関係を問題とする。だからこの部分は,「銀行業者の資本」と「預金」との関係についての「注1)」そのものへの「注」ではなくて,むしろ「銀行の使用総資本」,その「真の資本」と「銀行営業資本」とへの分割,後者の資本の「創造」等々を説明した「注1)(318-319)へ」の,より具体的事例による「補足」と解することができる。だからマルクスはこの引用15に,「318へ」との小見出しを付けたのであろう。
 ところでこの引用15をギルバート自身の文脈で捉えるとどういうことになるのだろうか。銀行券は発券銀行に数日で還流してしまうから,その間のみしか通貨流通量の増大をもたらさず,またその間だけしか銀行営業資本の創造とはならない,ということになる。実際ギルバートは,同一パラグラフ内で,この引用15に続けて次のように述べている。「手形と交換に与えられた銀行券が,手形が満期になるまで,流通に残っているならば,その時には,割引は手形自身に等しい額の銀行営業資本をまさに創造する。しかしもしも手形が3ヶ月通用し,そして銀行券は1ヶ月だけ[流通に]残るとすれば,銀行券は手形の額の3分の1だけ資本を創造し,そして残りの3分の2は他の源泉に由来する資本から成立つに相違ない。もしも銀行券が,手形が支払い期日になる時を越えて[流通に]残るなら,その時には割引は手形の額を越えてまさに銀行営業資本を創造する」,と。
 したがってギルバートによれば,銀行券の発行は,その銀行にとっては債務の創出であり,この債務証書で手形を割引けば,債務の債権化による「銀行営業資本の創造」となる。しかし銀行券が発券銀行に還流すれば,銀行にとっての債務はそれだけ消滅し,割引による貸付,つまり銀行にとっての債権は,手形が満期になり返済が完了するまで銀行の手に残るとはいえ,もはや借入資本である銀行営業資本の貸付ではなくなってしまい,この貸付は「真の資本を代表する」ことになる,というのである11)。
 しかし銀行券の還流は,必ずしも兌換による還流のみとは限らない。例えば銀行がAの手形を自行銀行券で割引き,Aがその銀行券でBに支払い, Bが,受け取った銀行券で預金しても,銀行券は還流する。その結果,銀行券発行に伴う銀行の債務は消滅するが,しかし銀行は新たな債務を預金者Bに対して負うこととなる。あるいはこのBが受取った銀行券で,銀行からのBの借り入れを返済するとすれば,……,等々。そしてマルクスはこれら諸点にここでは全く言及することなしに12),ギルバートからの引用15を行っているが,いずれにせよマルクスの第XI章「割引銀行」からの抜き書きは,この「318へ」という小見出しの引用15をもって終わっている。〉 (小林前掲340-342頁)

  なお注11)12)も参考のための紹介しておこう。

  〈11)尤もギルバートは,続くパラグラフでは次のように「銀行業」にとっては「銀行営業資本の創造」自体が問題ではなく,その充用の仕方が問題であるとして,問題をそちらに移してしまっている。「銀行業(banking)の諸効果を跡づけるためには,銀行業者が彼らの貨幣を充用する(employ)仕方を詳細に区分する(mark)ことが必要である,ということが注意されてよい。ある国の通貨や産業(trade)や商業に関して最大の効果が生み出されるのは,銀行営業資本の創造ではなく,その資本が使用(apply)される仕方である。価値に対して振出された手形を割引くことに充用された貨幣は,取引(trade)を鼓舞するであろう,--融通手形の割引に充用された貨幣は,投機を助長するであろう,--事業(trade)外の人への永久貸出*(dead loan)として前貸しされた貨幣は,浪費に導くかもしれない,--公債(funds)に投資された貨幣は,その価格を引上げ,市場利子率を引下げるであろう,--銀行の金庫(ti11)に保持されている貨幣は,銀行業者に利潤(profit)をもたらさず,社会(community)にとってなんらの利益(advantage)ともならないであろう」(Gilbart,ibid.,p172-173),と。
 *ギルバートは,このdead loanという言葉を,permanent loanという言葉と同義に用いている(cf.ibid.,p181-182)。なおこの点にっいては後述の〔補遺〕も参照されたい。〉
  〈12)なおマルクスは手稿の「1)」(現行版第28章)で,貸付と銀行券の還流と「銀行営業資本」との間の問題を論じている。即ち,「地金の流出を考慮の外に措けば,イングランド銀行がいかにして,例えばその有価証券(即ち,その貨幣融通の額)を,その銀行券発行なしに増大しうるか?」と問題を立てて,貸付に用いられた銀行券の還流の仕方は「二重である」として,第1例・第2例の検討を試みている(cf.MEGA,S.515-516)。しかしそこでのマルクスによるbanking capita1の理解は必ずしも一義的ではなく,したがってその説明は混乱してゆき,エンゲルスも「原文の文章は関連が理解し難い」(MEW,S.472:訳,515-516ページ)と注記していくこととなる*。マルクスが「銀行業者の資本」についての「立ち入った吟味」を次の「II)」で改めて行なおうとするのも,1つには,マルクス自身その点が未整理であることに気付いて行ったからではないかと思われる。なおこの点については,本書第11章第1節と第4節を参照されたい。
 *とはいえ,ここに挿入した「資本の前貸し」と「支払手段の前貸し」についてのエンゲルスの解説(MEW,S.472-473:訳,648-650ページ)が妥当であるか否かは,いま1つ別の問題である。〉

  長々と小林氏の著書から抜粋・紹介したが、それはマルクスが引用しているギルバトからの抜粋文に関連した情報が与えられるからである。しかし小林氏はギルバトの著書からいろいろと紹介しているが、それらをほとんど無批判にやっているように思える。それは彼自身のマルクスの草稿に対する無理解から来ているものもあるように思えるのである。彼は第28章該当個所におけるマルクスの論述が混乱しているかに述べているが、決してそうではないことはすでに当該部分の詳細な検討のなかで私は明らかにしたつもりである。(なおついでに指摘しておくと、「訳,515-516ページ」と「訳,648-650ページ」とあるのは「訳,581ページ」と「訳,581-583ページ」の誤植である)。
  そこで補足的に小林氏が紹介しているギルバトの主張の批判を試みておこうと思う。なぜなら、ギルバトは銀行学派と同じ間違った理論的立場にたっているからである。小林氏はそれに無自覚なのである。もちろん、マルクスの引用文をただ詳しく解説するために、関連する部分をギルバトの著書から紹介しただけで、ギルバトの主張の批判が本旨ではないというならそうかも知れないが、しかしそれだけとはいいがたい気がする。
  まず小林氏は【28】パラグラフのマルクスが原注1)への原注として引用したものは、ギルバトの著書の〈第XI章「割引銀行」の第Ⅵ節「通貨(circulation)への割引の影響」からの抜き書きである〉と指摘している。この〈通貨(circulation)への割引の影響〉という問題意識そのものがすでに銀行学派的なものであることに気づかねばならない。割引、つまり銀行の貸付の一形態が、何か通貨の性格や増減に影響するかに考えることそのものが間違いだからである。なぜなら銀行の貸付は利子生み資本の運動であるのに対して、通貨は貨幣流通の問題であり、それは商品市場の、よって社会的物質代謝に関係していることだからである。だから両者を直接関連させて見るのは、現象にとらわれた間違った見方なのである。
  小林氏はその第Ⅵ節の冒頭の一文として〈「発券銀行が手形を割引くことは,通貨[の性格]を変える点では預金勘定(deposit accounts)と同じ影響をもつが,しかしそれほど急速には作用しない。」なぜなら,「手形が割引かれる時には銀行業者は彼自身の銀行券を手形額面まで発行する」が,「手形が支払われる時には,彼はその額面の一部を金[貨],銀[貨]または他行の銀行券で受取る」という風にしてであるからである,(ここでギルバートが念頭に置いているのは,……預金制度と通貨との関係との対比であろう。--小林)と。〉と紹介している。小林氏が〈預金制度と通貨との関係との対比〉ということで何を言いたいのか分からないが、預金が利子生み資本範疇にかかわるものであり、通貨とは別物であることが分かっていないのではないかと疑われる。ギルバトが〈発券銀行が手形を割引くことは,通貨[の性格]を変える点では預金勘定(deposit accounts)と同じ影響をもつ〉と述べているのは、恐らく手形を銀行券で割り引けば、手形が通貨に変わると言いたいのであろう。だからここには手形も通貨であり、銀行券も通貨であるが性格が違うという間違った認識がある。預金勘定というのは、手形を割り引いてその割り引いた金額を手形を持ち込んだ顧客の口座に預金として書き込むことであろう。〈しかしそれほど急速には作用しない〉というのは、手形を銀行券で割り引いても手形に代わって、その額面通りのすべての銀行券が流通するわけではなく、手形が支払われれば、その一部は金また他行の銀行券で受け取るからだというのである。しかし割り引いて銀行から出て言った銀行券がそのまま流通にとどまるどんな保証もないのであって、それはすぐに何らかの形で(預金かあるいは満期手形の支払として)銀行に還流してくることもあるのであり、それは割り引いた手形が満期になる以前の場合もあるのである。
  次の小林氏のギルバトの紹介は次のようなものである。

  〈そして次に彼は,「預金勘定に対する銀行券の発行は全く預金者次第である(預金が払い戻される時に銀行券でそれがなされるから,この場合の銀行券の発行は銀行業者にとっては全く受動的で,「預金者次第である」との意であろう。--小林)が,割引での発行は全く銀行業者次第である」とした上で,手形割引と通貨量との関係を,銀行業者が銀行のどの資本部分をもって手形を割引くかという点と関わらせて,次のように論じていく。(1)「もし彼が真の資本(real capital)で割引くとすれば,彼はそれによって通貨の量を増大することにはならない;というのは,その資本はあれやこれやの仕方で予め(previously)充用されてしまっているからである。」(2)「もしも彼が彼の銀行営業資本(banking capital)のうちの預金によって調達されている部分で割引くとすれば,彼は通貨の量を増大しないが,しかし通貨に,増大された[流通]速度を与える。」(3)「もし彼が彼の銀行営業資本のうちの銀行券によって調達される部分で割引くとすれば,彼は通貨の量を増大する」,と。〉

  ここでギルバトが〈「預金勘定に対する銀行券の発行は全く預金者次第である〉と述べているのは、この預金勘定というのは先にも説明したように、割り引いた手形の金額を顧客の口座に預金として記帳(設定)することである。そして手形を割り引いた顧客が、その預金を銀行券で引き出すかどうかは預金者次第という意味である。本来ならその預金に対して顧客は小切手を切るのが普通であり、その場合は銀行券は出て行かない。ただ預金の振替ですべての決済が終わる可能性だってあるわけである。だから小林氏が〈預金が払い戻される時に銀行券でそれがなされるから,この場合の銀行券の発行は銀行業者にとっては全く受動的で,「預金者次第である」との意であろう。〉と説明しているのは、問題を正しく捉えているとはいい難い。〈が,割引での発行は全く銀行業者次第である」〉というのは、手形を割り引いてその額面の利子を差し引いた額だけの銀行券を発行して貸し付けるのは、銀行業者次第だということであろう。そして問題はそのあとの部分である。ギルバトは〈手形割引と通貨量との関係を,銀行業者が銀行のどの資本部分をもって手形を割引くかという点と関わらせて,次のように論じていく〉のだそうだが、そもそも手形割引と通貨量とが関連していると捉えることそのものが間違いであることを、ギルバトはいうまでもなく、小林氏も分かっていないのである。だからそのあとのギルバトの説明に対しても小林氏はまったく無批判に紹介するだけである。ギルバトが言っていることは銀行学派の主張とほぼと同じである。要するに例え銀行券を発行して貸し付けたとしても、流通に必要な通貨が十分であるなら、それらはすぐに銀行に戻ってきて、資本の貸し付けに転化するから(つまりギルバトの言う(1)と(2)ケースである)、だから通貨の増大にはならないという主張である。ただ現実に通貨として流通している銀行券を調達して、それで割り引けば、その限りで通貨の増大になるというのであろう。しかしこれも間違いである。通貨の増減は、あくまでも現実の商品市場の条件(流通する商品の価格総額、流通速度、信用の状態等々)よって規制されているのであって、銀行の貸付の形態如何とは何の関係もないからである。こうした間違ったギルバトの主張を何の批判もなしに、ただ紹介しているだけの小林氏も銀行学派と同様の間違った立場に立っているのではないかと十分に疑わせるところがあるのである。次の一文……。

  〈したがって手形割引が直接に通貨の量を増大させるのは(3)の場合だけということになるが,(2)についても,上述のようにギルバートは「貨幣の流通速度の増大は通貨[貨幣]量の増大と正確に同じ効果をもつ」というのであるから,その効果という点から見れば,この(2)の場合も(3)の場合の「通貨の量を増大する」というのと同じということになろう。〉

  しかしこれはまったく噴飯ものである。(2)について流通速度を増大させるというのであるが、しかしそもそも手形割引そのものが貨幣の先取りであり、商品流通を加速させる一因であって、決して(2)で言われているケースにだけ妥当するわけではない。小林氏は(3)についてもまったく無批判にそれをそのまま受け継いで、それだけでなく(2)もそういえるのではないか、つまり〈この(2)の場合も(3)の場合の「通貨の量を増大する」というのと同じということになろう〉などと述べている。
  そしてそのあとにマルクスの引用文が続くのだそうである。それに関連して小林氏が述べていることにも問題が多々あるが、いつまでもそれにかかずりあっているわけにも行かないので、このぐらいにしておこう。いずれにせよ、小林氏の説明は、ただマルクスが引用したギルバトの一文がどういう文脈のなかで書かれているのかを知るだけのものとして捉えておくだけにした方がよいということである。】

  (続く)

2020年7月15日 (水)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(25・26-10)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(続き)

 

【22】

 [473]/318下/(6)【MEGA II/4.2.S.473.19-29】〔原注〕①②i)ロイド銀行Loyd'sのぺてんMogeleiを見よ。(1848年,商業的窮境委員会)。116) 第901号(同前。)(ⅰ)「〔ターナ〕貨幣が逼迫するときはいつでも,銀行業者たちは自分の顧客にロンドンあての手形を受け取らせようと振るまうのが普通でした。〔」〕第902号(ⅱ)〔「〕〔ケイリ〕それは通貨の代役をしますか?--〔ターナ〕はい。もし銀行券が欲しければ,その手形を再割引しに行かなければなりません。〔」〕第903号(ⅲ)〔「〕〔ケイリ〕それは銀行業者にとっては,貨幣をつくりだす特権として作用するのですね?--〔ターナ〕一時的にはそうです。それは,遠い昔から逼迫期にジョウンズ=ロイド商会が採ってきた支払正貨〔species of payment〕です。〔」〕第904号(ⅳ)〔「〕〔ケイリ〕それでは,同商会の為替手形は逼迫期のあいだに増加するのですね?--〔ターナ〕貨幣が5パーセント以上の価値をもつときにはいつでもそうでした。〔」〕[第905号。](ⅴ)〔「〕〔ターナ〕……手形は,銀行券を比較的容易に入手するための手段〔medium〕でした。……〔」〕[第907号。](ⅵ)〔「〕銀行業者は,自分が当事者から受け取った手形よりも割引されやすい手形を与えるのです。……〔」〕[第911号。](ⅶ)〔「〕ジョウンズ=ロイド商会のこれらの手形は,割引される前にも役に立ちました。ある人が貨幣を入手することができなければ,彼はその代わりにジョウンズ=ロイド商会の手形を受け取ります。〔」〕第992号(ⅷ)〔「〕118)これらの手形が20人も30人もの手を通ることもきわめてしばしばでした。〔」〕|

  ①〔異文〕この原注は,赤鉛筆の縦線で消されている。〔エンゲルスによる「処理済み」のしるしであろう。〕
  ②〔注解〕この原注のなかの引用は,最後の「第992号」からのものを除いて,「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8.S.255.39-256.11.)
  ③〔異文〕「商業的窮境」--書き加えられている。
  ④〔注解〕『商業的窮境委員会報告』では次のようになっている。--「〔ウィルスン〕銀行業者は,自分が当事者から受け取った手形よりも割引されやすい手形を与えるのですか?」
  ⑤〔注解〕『商業的窮境委員会報告』では次のようになっている。--「〔ウィルスン〕それらの手形は,割引される前になにかの役に立ちましたか?--〔ターナ〕はい。……ある人が貨幣を入手することがむずかしいと考えれば,彼は喜んでジョウンズ=ロイド商会の手形を受け取るでしょう。」
  ⑥〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.256.35-36.)

  116)〔E〕この引用はエンゲルス版では,後出の脚注120に掲げた要約にすぐ続けて,その要旨がまとめられており,その末尾に,証言番号が書かれている。MEW版では「第905-902,第992号」となっているが,このうちの「第905-902号」は明らかに誤植である。1894年版では「第901-904号,第995号」となっている。しかし,エンゲルスの要約の内容からしても,ここは「第901-905号,第907号,第911号,第992号」とあるべきところであろう。
  ll8)『商業的窮境委員会報告』では次のように書かれている。
  「〔ハドスン〕あなたはジョウンズ=ロイド商会の手形について,それらが流通におけるなんらかの重要な品目をなしているかは疑わしいと言われました。あなたは,これらの手形が20人も30人もの手を通ることもきわめてしばしばだったこと,それらがAからBに,そしてBからCに,等々と支払われていくこと,そしてそれらは製造業地域における銀行券とまったく同様に流通の媒介物だったことをご存じないのですか?--〔ターナ〕それらは流通の最も重要な品目をなしています。それらが手から手へと渡っていくすべてのところで,それらが流通にかかわるものであること,それはもちろんです。」〉 (178-180頁)

 【これは〈銀行業者手形〉につけられた原注「i)」の前半部分である(次のパラグラフがその後半部分)。前半部分は1848年の『商業的窮境委員会報告』の証言記録からほぼなっている。冒頭、マルクス自身の手になる〈ロイド銀行Loyd'sのぺてんMogeleiを見よ〉という一文があるが、それ以外はすべて証言記録からの抜粋なので、平易な解読は省略した。
  ここでターナというのはロイド銀行の役員であろう。そしてケイリというのは窮境委員会の委員で質問者のようである。それぞれの証言に便宜的に(ⅰ)~(ⅷ)の番号をつけて、検討して行こう。

  まず(ⅰ)~(ⅳ)までの証言は、ロイド商会(銀行)が手元の準備が逼迫し、利子率が高くて貸し出しに必要な現金の入手に負担がかかる場合、自身の銀行業者手形を発行して、それに代行させたという証言である。それは銀行業者にとっては貨幣を創り出す特権であるとか、遠い昔からやられていた逼迫期の支払正貨だったとも言われている。もし顧客がどうしても現金(金鋳貨)が必要なら、その銀行業者手形を再割引する必要があるが、その時には貨幣が逼迫しているのだから顧客は高い利率を支払う必要があることになる。だからそれもマルクスがペテンと述べている一つの理由であろう。

  (ⅴ)~(ⅷ)は銀行業者手形が流通したことが証言されている。銀行業者手形は、顧客が例えば自身が入手した一般の業者が発行した手形に裏書きして支払いをしようとしても、特に逼迫期のように信用が揺らいでいるときには、信用が足らないためにできなかった時、やむなく現金に変換してもらうために、銀行に持ち込み割引を要求するのであるが、しかし逼迫期には銀行にも現金がないので、銀行は自身の銀行業者手形でその手形の割引をするのである。生産的資本家や商人の発行した普通の手形より、銀行業者手形の方が信用が高いので、それで支配を済ませようとした場合、それを受け取ってくれるケースが多いからである。ロイド商会の手形も、20人から30人もの手を通ることもしばしばだったとも証言されている。それにもしどうしても現金が必要ということになった場合も、一般の業者の手形より、銀行業者手形の方が比較的容易に現金に換えることが可能になるとも指摘されている。】


【23】

 /318下/(5)【MEGA II/4.2,S.473.29-33】①119)②〔『委員会報告』,『商業的窮境』,1847年,証言記録〕第4636号(ⅰ)120)「〔ピーズ〕私の聞いたところでは,自分の手形を割引してもらう当事者が,イングランド銀行券の代わりにロンドンあての為替手形を受け取るケースが,数え切れないほどあったそうです。〔」〕第4637号(ⅱ)〔「〕〔ケイリ〕それはどちらかというと1844年の〔銀行〕法を逃れる違法行為だとおっしゃりたくはありませんか?--〔ピーズ〕それは一種の置き換えなのです。……〔」〕[第4645号。](ⅲ)〔「〕〔ピーズ〕当事者またはその指図人に支払われるべき(ロンドンの銀行業者あての)21日払いの為替手形。」〔原注i)終わり〕/

  ①〔異文〕マルクスははじめ〔MEGA II/4.2の〕473ページ19-29行の原注「i)」〔本書ではこのすぐ上のパラグラフ〕を書いた。追記のための場所が足りなくなったので,彼は続く473ページ29-33行〔このパラグラフ〕をそれの〔空けてあった〕上部に書いた。インクの線がこのテキストを「i)」のなかに挿入している。
  ②〔注解〕『商業的窮境に関する秘密委員会第1次報告……』,1848年6月8日。--「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.265.4-9.)
  ③〔注解〕「1844年の〔銀行〕法」--「銀行券の発行を調節するための……法」,ロンドン,1844年。〔MEGA II/4.2の注解では,このあと,「1844年のイギリスの銀行立法についてエンゲルスは次のように書いている」,として,『資本論』第3部のエンゲルス版「第34章 通貨原理と1844年のイギリスの銀行立法」のなかにエンゲルスが挿入した,銀行立法についての解説を引用している。これは本章の末尾(213-215ページ)に「補注 1844年の銀行立法についてのエンゲルスの解説」として収めておく。〕
  ④〔注解〕『第1次報告……』では「21日後に当事者に支払われるべきロンドンの銀行業者あての為替手形」となっている。

  119)この注のはじめから,(草稿ではこの注のあとに書かれている)すぐ上の注の「ロイド銀行のぺてん〔Mogelei〕を見よ。」までの左側にはインクで縦線が引かれている。
  120)〔E〕この引用はエンゲルス版では次のように要約されている。
  「40年代には,ロンドンでの手形割引で,無数の場合に銀行券ではなくて一銀行から他の銀行にあてた21日払いの手形が用いられた。(地方銀行業者J.ピーズの陳述,第4636号および第4645号。)〉 (180-181頁)

  【これは原注「i)」の後半部分である。今回は1847年の『委員会報告』『商業的窮境』の証言記録と書かれているが、MEGAの注解では〈商業的窮境に関する秘密委員会第1次報告……』,1848年6月8日〉との指摘がある。いずれにせよ、三つの証言だけで構成されているので、やはり平易な解読は省略した。
  これらの三つの証言は、いずれも銀行業者手形について述べているものである。

  (ⅰ)については、自分の手形(これは自身の発行した手形という意味ではなく、彼が取引先から受け取って所持している手形という意味であろう)を割引してもらおうと銀行に来たものの、彼はイングランド銀行券(すなわち現金)の代わりにロンドン宛の為替手形を受け取るケースが多くあったという証言である。つまり銀行には現金が逼迫しているために、自身の銀行業者手形で持ち込まれた手形を割引したのである。ただここで証言されているケースは、地方の銀行がロンドンの本店か代理店に向けて支払指図証書を発行したと述べられている。その顧客が手形を持ち込んだのは、あるいはロンドンでの支払いのために現金を郵送する必要からかもしれず、その場合は、こうしたロンドンの代理店に宛てた支払指図証書で十分であったであろう。

  (ⅱ)はそうした銀行業者手形の発行は1844年の銀行法を逃れる違法行為ではないかとの指摘に、それは一種の置き換えだと答えている。1844年の銀行法というのはイングランド銀行券の発行高を制限する法律であるが、こうした銀行業者手形を発行すれば、イングランド銀行券が手元になくても、持ち込まれた手形を割り引いて、銀行は貸付が可能になるのだから、それは銀行券の発券高を制限する法に違反するものではないかとの指摘なのである。それに対して、それは業者が持ち込んだ手形をただ別の銀行業者の手形に置き換えているだけだと述べている。これは答弁者の方が正当であろう。なぜなら、イングランド銀行券というのは地金や金鋳貨と同じ現金として通用しており、1844年の発行制限法は、こうした通貨として通用しているイングランド銀行券の発行を制限する目的でなされたものである。しかし今回のケースのような、銀行が発行する銀行業者手形などは通貨とはいえず、ただ預金の振り替え等による相殺によって決済するための信用用具の一つでしかないからである。

  (ⅲ)も銀行業者手形の一つとしてロンドンの銀行業者宛の21日払いの為替手形についての証言である。これも地方の銀行業者が発行するものであろう。これらの証言はいずれも銀行が現金の代わりに、銀行の信用だけにもとづいて支払約束証書や支払指図証書を発行することであり、いずれも〈銀行業者が与える信用〉の一形態といいうるものである。】


【24】

 |319下|(1)【MEGA II/4.2,S.473.34-41 und 49-54】〔原注〕121)j) フラートン122)(ⅰ)すべてこれらの形態は「移転できる請求権transferable claims〕」である,というよりはむしろ,請求権を移転できるものにする用具である。(ⅱ)「信用がとることのできる形態で,信用がときには貨幣の諸機能を果たすことを求められないような形態はほとんどない。そしてこの形態が銀行券であろうと,為替手形であろうと,銀行小切手であろうと,過程はすべての本質的な点で同じであり,結果も同じである。」(フラートン通貨調節論』,第2版,ロンドン,1845年,38ページ〔阿野季房訳,改造社,1948年,56ページ〕。)(ⅲ)マカラクによれば,「通貨の節約のために用いられている諸手段がなかったならば,今日50百万ないし60百万の銀行券および金によって果たされている諸機能を果たすのに,どんなに少なく見積っても,200百万の通貨が必要とされるであろう。」(同前,46ページ〔同前訳,66ページ〕。)十十(ⅳ)「銀行券は信用の小銭である。」(同前,51ページ〔同前訳,71ページ〕。)123)(ⅴ)銀行業者たちのあいだでの銀行券交換〔Notenaustausch〕(スコットランドの諸銀行は週に2回,エディンバラにいる自分の代理人を通じて,〔銀行券交換を行なっていた〕〔)〕については,次のよう〔に言われている。〕--「世界中のどんな地方でも,発券銀行業者が自分の近隣の同業者たちの銀行券〔promissory notes〕をふたたび払い出す〔re-issue〕ような慣習はない。そして,1枚の銀行券もふたたび払い出されるのでないかぎり,銀行券が発行者のもとに還流しようと,あるいは,たまたまそれを所持している人の引出しのなかにしまい込まれようと,どちらにせよ当事者以外のだれにとってもほとんど大した問題ではありえない。」(同前,95ページ〔同前訳,119ページ〕。)〔原注j)終わり〕/

  ①〔注解〕「マカラク」--ジョン・フラートンは,〔『通貨調節論』の〕46ページの脚注で,〔ジョン・ラムジ・マカラク〕『商業の事典』〔『商業・海運関係実用・理論・歴史事典』,ロンドン,1847年〕の項目「銀行業」を指示している。
  ②〔異文〕ここからこのパラグラフの終わりまでは書き加えられている。
  ③〔注解〕「同前」--フラートン『通貨調節論』,第2版,ロンドン,1845年
  ④〔注解〕「発券銀行業者〔issuing bankers〕」--草稿では,「発券銀行券〔issuing banknotes〕」となっている。

  121)この注番号は,i)のように見えるが,この原注への注記(次パラグラフ)での「十十注j」という指示から見て,「j)」なのであろう。
  122)〔E〕この一文の原文は次のとおりである。Alle diese Formen sind "transferable claims",vielmehr instruments,wodurch d,claims transferable.エンゲルス版では次のようになっている。「すべてこれらの形態は,支払請求権を移転できるものにすることに役だつ。〔Alle diese Formen dienen dazu,den Zahlungsanspruch übertragbar zu machen.〕」エンゲルス版ではこの文章のあとに,フラートンの著書の38ページからの引用と51ページからの引用とを収めている。
  123)〔E〕エンゲルス版では,この原注のここから以下の部分は削除されている。〉 (181-182頁)

 【これは〈小切手〉につけらた原注であるが、ほぼフラートンの『通貨調節論』からの引用なので、平易な解読は省略する。
  この原注は「小切手」につけられたものであるが、大谷氏は訳注122)で〈この注番号は,i)のように見えるが,この原注への注記(次パラグラフ)での「十十注j」という指示から見て,「j)」なのであろう。〉と述べている。ただこの原注の内容は小切手に限定されたものとは言い難い。後に紹介するように、フラートンはマルクスが引用しているパラグラフを〈ところで銀行券というものは信用の一形態に非ずしてなんであろう。〉という一文から始めており、明らかにフラートンの問題意識は「銀行券」であることがわかる。ただマルクスも引用しているように〈銀行券であろうと,為替手形であろうと,銀行小切手であろうと〉云々と小切手にも言及していることは確かである。いずれにせよ、番号を付して検討してみよう。

  (ⅰ) まず〈すべてこれらの形態は「移転できる請求権transferable claims〕」である,というよりはむしろ,請求権を移転できるものにする用具である〉という一文は、フラートンの著書のマルクスが示している箇所(〈(フラートン『通貨調節論』,第2版,ロンドン,1845年,38ページ〔阿野季房訳,改造社,1948年,56ページ〕。)〉)には見られない。恐らくマルクスが要約して書いているのではないだろうか。だから〈すべてこれらの形態は〉というのが何と何を指しているのかは分からないのである。ただフラートン自身が後に〈そしてこの形態が銀行券であろうと,為替手形であろうと,銀行小切手であろうと,過程はすべての本質的な点で同じであり,結果も同じである〉と述べていることから、〈すべてこれらの形態〉というのは、銀行券や為替手形や銀行小切手を指していると考えることができるかも知れない。そしてそれらはすべて〈移転できる請求権transferable claims〕」である,というよりはむしろ,請求権を移転できるものにする用具である〉と述べている。確かに銀行券は銀行の発行する手形であり、その持参人に無条件に銀行券に書かれた金額を支払うことを約束するものであり、その受け取り人からすればそれは貨幣請求権である。また一般の約束手形もそれを受け取る側からは請求権であり、為替手形はいうまでもなく支払指図なのだから貨幣の支払を要求する請求権である。また小切手も、貨幣の支払指図であり、請求権である。そうした貨幣の支払を請求する権利を銀行券や手形、小切手等々は「移転できるものにする用具」なのだと述べられているわけである。
 「移転できる請求権」という引用符で括られた文言もフラートンの著書には見当たらない。翻訳が違うのかもしれないが、私が持っている改造選書の河野季房訳には次のような一文があるだけである。

 「ところで銀行券というものは信用の一形態に非ずしてなんであろう。それは流通の便利をより大にするため小金額に等分された信用に他ならぬのではないか。各銀行券は単に、銀行業者がこの券の最初の受領者に対して負うところの債務の、譲渡可能なる承認書--これに対して彼(銀行業者)は要求あり次第支払うべきことを約束する--に過ぎない、……云々 (55頁)

 ここでは「譲渡可能なる承認書」という文言が出てくるが、「移転できる請求権」とはやや異なるものである。そしてこのフラートンの一文は「銀行券」について述べているものである。

  (ⅱ) 次はこうした請求権を移転するための諸用具は、それはそのまま貨幣の機能を果すものだと指摘されている。そしてそうしたものとしては銀行券であろうと、為替手形であろうと、銀行小切手であろうと、その形態はどうであろうと、過程はすべて本質的な点で同じだとも指摘されている。この部分も河野訳を紹介しておこう。

 「凡そ信用というものは、その形の如何にかかわらず、折々貨幣の機能を果たすといわれないものはない。しかしてその形が銀行券であるにせよ、為替手形であるせよ、或いはまた銀行小切手であるにせよ、その使用はすべて本質的な点においてまったく同一であり、その結果においてまた少しも異なるところがないのである。」 (56頁)

  ここでは銀行券が、手形や小切手等々の信用貨幣と同列に扱われている。その限りではこの銀行券は商業流通内で手形流通に立脚して流通する銀行券と考えねばならないが、フラートン自身にはそうした問題意識そのものがない。彼は預金についても〈この預金は一つの銀行勘定から他の銀行勘定へと移されることによって絶えず流通手段の役割を果たしつつある〉(49頁)などとも述べており、いわゆる「預金通貨」なるものも肯定している。ただついでに指摘しておくと、フラートンは預金勘定が一つの銀行から他の銀行に移されるなどと述べているが、これは預金が流通手段としての役割を果たしたからそうなるわけではない。A銀行の顧客のaの預金が引き出されて、B銀行にaの預金として預金された場合、確かに預金がA銀行からB銀行に移されたことになるが、それによって商品は何も流通していない。だから流通手段などはまったく無関係なことである。また商品の流通に伴う預金の振り替えは、例え商品流通の当事者が異なる銀行に預金を持っていたとしても、最終的には同一の銀行内の預金の間で行われるものなのである。こうしたことがフラートンにはまったく理解されていない。いずれにせよ彼がいう銀行券は貨幣流通に立脚するものと手形流通に立脚するものとが無区別に混同されているのである。

  (ⅲ) マカラクに依拠して、こうした信用諸用具が貨幣の機能を果すことによって通貨が節約されること、それは今日5千万ポンドないし6千万ポンドの銀行券あるいは金(つまり現金)によって果されている諸機能を果たすためには少なく見積もっても、2億ポンドの通貨が必要になるとのことである。つまり1億4千万から5千万ポンドの通貨の節約になっているというわけである。この部分も河野訳を紹介しておこう。

 「更にマカロック氏もこれとほぼ同趣旨の見積もりをしている。氏は何ら躊躇するところなく次の如く述べている、曰く『通貨の節約のため使用されている諸手段がなかったならば、今日5千万乃至6千万ポンドの銀行券および金によって成し遂げられている諸機能を遂行するのに最も少なく見積もっても2億ポンドの通貨が必要とされるであろう』と。」 (666頁)

  このようにここでは銀行券は〈銀行券および金によって果たされている諸機能〉と述べているように、金と同一視されている。つまり通貨としての銀行券であり、貨幣流通に立脚する銀行券なのである。これはマカラクからの引用であるが、その少し前のところでフラートンは〈今日相当な商人や、商人でなくても凡そ保持すべき現金を所有する者ならば何人もこの現金を銀行に保管させ、5ポンドまたはそれ以上の支払は一切小切手ですますに違いない、そしてこれらの小切手は更に手形交換所で相互の交換により清算され、銀行券または鋳貨によって決済せらるべき交換尻は総額の約6パーセント位を超えないのである。〉(65頁)と述べている。つまりここではフラートン自身が銀行券を鋳貨と同一のものと見ているわけである。

 (ⅳ) 〈「銀行券は信用の小銭である。」〉この部分は、本文の〈実際には,銀行券はただ卸売業の鋳貨をなしているだけであって〉という部分に対応している。これを見ても、この原注は単に小切手だけを問題にしているというより銀行券も含めた内容をなしていることがわかるのである。フラートンがこの文言をどういう文脈のなかで使っているかを知るために、河野訳を紹介してみよう。

 「銀行券なるものは信用の小銭であり、信用がそれによって発展するところの機械的構成中の最下級をなすものである。」 (71頁)

 フラートンはこうした最下級の小銭の活動力を抑制することで巨大な信用の作用を抑制できるなどと考えるのは馬鹿げていると通貨学派を批判しているわけである。だからマルクスが〈銀行券はただ卸売業の鋳貨をなしているだけ〉で〈銀行で主要な問題となるのはつねに預金〉だと述べていることとはやや主旨が異なっている。しかし銀行券は素人目には重要なもののように見えているが、しかしそうではないのだと批判している点では、マルクスとフラートンには共通のものがある。

 (ⅴ) 最初の〈銀行業者たちのあいだでの銀行券交換〔Notenaustausch〕〕……については,次のよう〔に言われている。〕〉という一文は恐らくマルクス自身のものであろう。その間に(   )に入れらている一文〈スコットランドの諸銀行は週に2回,エディンバラにいる自分の代理人を通じて,〔銀行券交換を行なっていた〉はフラートンの次の一文からとってきたものであろう。

 「また、スコットランドにおいて交換取引を円滑にするために活用される信用の力が、他の諸事情に関連して、イングランドにおけるよりも絶対的に劣っていないことは勿論、多少でも劣っているということさえないのである。否、まったく反対である。……或いはまたスコットランドにおける銀行券流通高がイングランドにおけるよりも割合として低いのは、別にスコットランドの銀行業者側に積極的に流通させる意志が欠けているためでもなく、ただ単に紙券通貨の諸機能が他の諸手段によってより良く遂行されそれ以上の銀行券を必要としなかったためであるが、これと同時に、数名の銀行業者が各自所有するお互いの発行した銀行券をばすべてエディンバラにおける彼らの代理人を通じて規則的に週2回相互に交換し合うことによって、銀行券の充溢という非実際的な外観が生ずることをおさえられてもいるのである。**」 (118-119頁)

 次のマルクスのフラートンからの引用は、フラートンが上記の一文につけた注のなかからとってきたものである。フラートンの注の全文を参考のために紹介しておこう。

 「** スコットランド銀行業者のこれらの極めて簡単で自然な取極は、これらの機関の穏健慎重なる経営に対して完全な例証を与えるものとして激賞されており、イングランドの地方銀行が5ポンド以下の少額銀行券を発行することを禁じられた後にもスコットランドの地方銀行にはこの特権を保持することを許されるという理由として強調されて来たのであはあるが、さりとてこれらの取極に対して置かれている法外な重要性ほど、われわれの問題全体について広まっている混乱生硬な諸観念を強く例証するものはない。発券銀行間で銀行券を頻繁に交換することは、確かに極めて適切で称賛すべきものであり、彼らの相互間の取引の規律と秩序とを保持するには与って力がある。けれども私は、この問題が公衆にとってどの程度まで利害関係があるのか、どうしても考えつくことが出来ないのである。私の信ずるところによれば、世界中の如何なる地方における発券銀行業者(但しアメリカ合衆国では地方的な事情から恐らく多少の例外もありうるであろうが)も、彼らの近隣の同業者が発行した約束手形を受け入れた場合、これを再び外に向けて使用するような習慣はもっていない、そしてこれらの手形の一枚も外に出されるのではない以上、それが発行者の手許に返されようと或いはたまたまその手形を所有している人の抽斗の中に仕舞い込まれようと、何れにせよ直接の関係者以外を除けば何人にも大した問題ではありえないと私は考える。」 (119頁)

 さて、この部分を引用したマルクスの意図はどこにあるのであろうか。これはその一つ前の引用と関連しているように思える。素人目には銀行券は重要なもののように見えるが、実際はそうではなく、それは信用の小銭だというものであった。同じように、地方の発券銀行業者の発行した銀行券もそれが別の業者の払い出しに使われるというようなこともなく、ただ発券銀行業者間で定期的に交換されるだけで、ほとんど当事者以外には大した問題ではないのだということである。だから銀行券は見た目ほどには重要なものではない例証としてあげられていると考えられる。】


【25】

 〈/319下/(4)【MEGA II/4.2S.473,42-48〔原注〕①124)125) 十十注jへzu Note j〕。「フランス銀行が定期的に公表している統計は,小切手の使用によって同行の内部で貨幣が節約された大きさを示している。……1840年12月31日にいたる四半期に,正貨,銀行券,口座から口座への振替transfer〕(小切手によって当座勘定のうえで行なわれる振替),のそれぞれによってなされた取引は,次のようになっていた。--正貨によって,221,432,200フラン,銀行券によって,1,049,240,000フラン,振替によって,1,742,897,000フラン。したがって,パーセントでのその比率は,振替が58%,銀行券が35%,正貨が7%,であった。(『通貨126)論論評,云々』,40[,41]ページ。)〔原注「十十注jへ」終わり〕|

  ①〔異文〕この原注は書き加えられている。--この引用は,〔草稿の〕319ページの最後にある。挿入されるべき箇所は,「十十注jへ。」およびテキスト〔前パラグラフ〕のなかの「十十」という指示によって示されている。

  124)この「注jへ」は,319ページ下半部の最下部に書かれている。これは二つ目の原注j)のなかの「十十」がつけられた箇所に属するものである。
  125)エンゲルス版では,この「注jへ」は削除されている。
  126)「理論」--草稿では「問題〔Question〕」と誤記されている。〉 (182頁)

 【これも〈十十注jへ〉というものであるから、本文の〈小切手〉に関連してつけられものであり、『通貨理論論評、云々』からの抜粋だけなので、平易な解読は省略した。この原注は書き加えられたもので、それが挿入すべき場所が〈十十〉という記号で指示されている。それによれば、原注「j)」のわれわれが便宜的につけた番号の(ⅲ)の後に挿入されるべきもののようである。(ⅲ)というのはマカロックに依拠して、小切手による預金の振替によって節約された通貨がどの程度かを推測するものであった。同じように、今回のものもフランス銀行が定期的に公表している統計にもとづいて、小切手による預金の振替決済が全体の取引のなかでもっとも高い比重を示していることを紹介するものとなっている。これは本文でマルクスが〈銀行で主要な問題となるのはつねに預金である〉と述べていることを事実で持って裏付けるものといえる。
  ところでここでは正貨と銀行券が区別されている。これはフランス銀行の勘定だから当然なのであるが、正貨というのは金銀貨のことであろう。銀行券が、果たして手形割引で手形に代わって商業流通内で流通するものなのか、それとも一般流通で貨幣流通に立脚するものなのかはこれだけではハッキリしない。銀行からみれば、いずれも自行の信用にもとづいて発行された債務証書であることには違いはないのであり、紙のインク以外に費用のかからないものである。】


【26】

 [474]/319下/(2)【MEGA II/4.2,S.474.13-17】〔原注〕①127)128)1) ロイド②129)(ⅰ)「銀行業者は,一方で預金を受け入れ,〔他方では〕これらの預金を資本の形態で彼ら〔資本を欲する活動的で精力的な人びと〕の手に任せることによって〔それらを〕充用する仲介者です。」(第3763号。ロイド(オウヴァストン)の答弁。議会〔銀行法特別委員会〕報告,1857年。)④130)(ⅱ)「銀行業者が公衆に行なう申し出しは,こうである。--「私は私の信用をあなたの資本と交換する。しかし,あなたは私に,あなたの資本を利子なしで利用することを許さなければならないが,それでもあなたは私に,私の信用の使用にたいする利子を支払わなければならない。〔」〕」(ラゲー(コンディ・)『通貨および銀行業に関する一論』,第2版,フィラデルフイア,1840年。204ページ,注。)〔原注1)終わり〕/

  ①〔異文〕〔草稿〕318ページへのこの原注「1)」をマルクスはまず,319ページのこれに予定していた箇所,原注「j)」と原注「2)」とのあいだに書いた(〔MEGA II/4.2の〕474ページ12-17行〔本書本巻のこの原注「1)」〕を見よ)。「注1)へ(318および319ページ)」という補足(〔MEGA II/4.2の〕474ページ18-50行および475ページ6-23行〔本書本巻「318上(3) 」,および,本章の「信用制度についての雑録」中の「318上(4) 」,「318上(5) 」および「318上(6) 」〕)は,〔草稿の〕318ページ,テキスト(〔MEGA II/4.2の〕475ページ5行〔本書本巻後出のパラグラフ「/318上/(2) 」〕の末行)と「注a)に」という補足とのあいだにある(〔MEGA II/4.2の〕469ページ24-38行〔本書本巻前出,トゥクからの引用「318下(1) 」〕を見よ)。「注1へ。318ページ」という第2の補足は,ふたたび〔草稿の〕319ページ,テキスト(〔MEGA II/4.2の〕476ページ19行のあと,「注hに。318ページ」という補足(〔MEGA II/4.2の〕472ページ33-46行および473ページ4-18行〔本書本巻「319上(6) 」〕)の前にある。)
  ②〔注解〕『銀行法特別委員会報告……』,[ロンドン,1857年]
  ③〔異文〕「(オウヴァストン)」--書き加えられている。
  ④〔注解〕ラゲーでは次のようになっている。--「銀行業者が公衆に行なう,あるいは,行なうと思われる(彼の銀行券の発行についての)申し出しは,その秘密を剥ぎ取れば,要するにこうである。……」

  127)この原注と次の原注とがなぜk)およびl)とされないで1)および2)とされたのか,その理由はさだかではない。
  128)〔E〕エンゲルス版では,この原注の全体が削除されている。
  129)〔E〕第3763号からのこの引用は,エンゲルス版第26章のなかにも見いだされる(MEGA II/15,S.424.1-4;MEW 25,S.448.1-3)。しかし,これは草稿のその部分(S.325)に記されたものによっているのであり,ここから取られたものではない。
  130)ラゲーからの以下の引用は,アイザク・ブランスン〔Isaac Bronson〕という銀行業者が1829年に書き,『フリー・トレイド・アドゥヴォケイト〔Free Trade Advocate〕』の同年7月11日号に掲載された論説からラゲーが引用しているものの一部である。〉 (183-184頁)

 【これは〈しかし,銀行業者はそのほかのあらゆる形態での信用でも取引するのであって,彼が自分に預金された貨幣を現金で前貸する場合でさえもそうである,等々〉につけられた原注「1)」である。ロイド(オウヴァストン)の議会証言とラゲーの著書からの抜粋のみからなっているので、平易な解読は省略した。
  ところで大谷氏はこの原注がそれまでの原注「i)」や「j)」に引き続いて、なぜ「k)」や「l)」とされなかったのかの理由は定かではないと指摘している。またこの原注が書かれた経緯について、MEGAの〔異文〕に細々と書かれているが、しかもそこに大谷氏の訳者注も加わって文脈を読み取ることさえ困難な代物になっている。ややこしいので、これもわれわれは原注の内容には関係ないものと判断して無視しよう。とりあえず、ロイドの証言を(ⅰ)、ラゲーからの引用を(ⅱ)としてその内容を検討しよう。

  (ⅰ)の内容は必ずしも本文の注としての意義がはっきりしない。銀行は現金で前貸しする場合も信用で取引するケースとして、彼は預金を引き受け、それを資本の形態で前貸しする仲介者だといえなくもないが、これだけでは銀行が信用で取引する例とは言い難い。ただ前回の当該部分(●現金で前貸しする場合も信用による取引だとするマルクスの言明について)で解説したように、銀行が貨幣取扱業務として取り引きする再生産的資本家たちの準備ファンドを集中して、それを必要最低限に縮小することによって、それ以外のものを利子生み資本として貸し出すわけで、その限りでは当座預金を引き受けて、その一部を資本を欲する人に貸し付ける仲介者だといえなくもない。

  それに対して(ⅱ)は、明らかに銀行業者は信用で取引し、それに利子の支払を要求するとしている。彼らは当座預金には利子を支払わないが、しかしそのうち準備として保持する以外は彼らの貸付可能な資本として貸し出しに利用して利子を得るのである。
  ただここでラゲーが〈私は私の信用をあなたの資本と交換する〉という場合、この〈信用〉は、本文でマルクスが〈銀行業者が与える信用はさまざまな形態で,たとえば,銀行業者手形,銀行信用,小切手,等々で,最後に銀行券で,与えられることができる〉と述べていたものがすべて当てはまるだろう。銀行業者はこれらさまざまな形態の信用を公衆(再生産的資本家たち)が持ち込んだ資本(現金あるいは手形等)と交換する。それらの持ち込まれたものに対しては銀行は利子は支払わないのに、銀行が与えた信用に対しては利子を要求するわけである。】

 (続く)

 

2020年7月 8日 (水)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(25・26-9)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(続き)

 


【21】

 [473]|318上|(1)【MEGA II/4.2,S.473.1-3,474.1-11 und 475.1-3】ところで,銀行業者が与える信用はさまざまな形態で,たとえば,銀行業者手形 i),銀行信用,小切手 j),等々で,最後に銀行券で,与えられることができる。銀行券は,[474]持参人払いの,また銀行業者が個人手形と置き換える,その銀行業者あての手形にほかならない。この最後の信用形態はしろうとには,とくに目につく重要なものとして現われる。なぜならば,1)信用貨幣のこの形態はたんなる商業流通から出て一般的流通にはいり,ここで貨幣として機能しており,また,たいていの国では銀行券を発行する主要銀行は,国立銀行〔Nationalbank〕と私立銀行との奇妙な混合物として事実上その背後に国家信用〔Nationalcredit〕をもっていて,その銀行券は多かれ少なかれ法貨でもあるからである。なぜならば,2)銀行券は流通する信用章標にすぎないので,ここでは,銀行業者が取り扱うものが信用そのものであることが目に見えるようになるからである。しかし,銀行業者はそのほかのあらゆる形態での信用でも取引するのであって,彼が自分に預金された貨幣を現金で前貸する場合でさえもそうである,等々。1) 実際には,銀行券はただ卸売業の鋳貨を[475]なしているだけであって,銀行で主要な問題となるのはつねに預金である。たとえば,スコットランドの諸銀行を見よ。2)/

  ①〔異文〕「実現される」という書きかけが消されている。
  ②〔異文〕「たいていの国では」← 「どの国でも」〉 (177-178頁)

  〈ところで、銀行業者が与える信用はさまざまな形態で与えることが出来ます。例えば銀行業者手形、銀行信用、小切手、等々です。そして最後に、銀行券で与えることが出来ます。銀行券は、持参人払いの、銀行業者が個人手形と置き換える、その銀行業者あての手形にほかなりません。この最後の信用形態はしろうとには、とくに目につく重要なものとして現われます。というのは、まず第一に、信用貨幣のこの形態はたんなる商業流通から出て一般流通に入り、そこで貨幣として機能しているからです。おまけに、たいていの国では銀行券を発行する主要銀行は、国立銀行と私立銀行との奇妙な混合物として事実上その背後に国家信用をもっていて、その銀行券は多かれ少なかれ法貨でもあるからです。第二の理由は、銀行券は流通する信用章標にすぎないので、ここでは、銀行業者が取り扱うものが信用そのものであることが目に見えるようになるからです。しかし、銀行業者はその他のあらゆる形態での信用でも取引するのであって、彼が自分の預金された貨幣を現金で前貸しする場合でさえもそうなのです、等々。実際には、銀行券はただ卸売業の鋳貨をなしているだけであって、銀行で主要な問題となるのは常に預金なのです。例えば、スコットランドの諸銀行を見れば分かります。〉

 【ここでは〈銀行業者が与える信用〉はさまざまな形態をとることが指摘されている。ところで〈銀行業者が与える信用〉とはそもそも何かということが問題になるが、大谷氏は次のように説明している。

  〈「銀行業者が信用を与える」というのは,銀行業者がなんらかの形態である貨幣額を貸し付けて,銀行業者が債権者となり,借り手がこの銀行業者にたいする債務者となるということを意味する。つまり,いわゆる「銀行信用」である,いわゆる「銀行信用」は,銀行が与えるからそう呼ばれるのであって,銀行が受けるからではない。ここではそのような「銀行信用」がどのような形態で与えられるか,ということが問題となっているわけである。〉 (113頁、太字は大谷氏による傍点による強調箇所、以下同じ)

  しかしこうした説明はわれわれを直ちに納得させるものとは言い難い。大谷氏の説明だと、〈銀行業者が与える信用〉というのは、銀行の「貸付」と同じということになる。しかしそれだと、どうしてマルクスは、本文のテキストの一つ前(われわれのパラグラフで【16】)で、「貸付」の諸形態として(1)手形割引、(2)さまざまな形態での前貸し、(3)当座貸越の三つを上げて説明したあと、それに続く本文の次のパラグラフで(つまり今検討しているパラグラフで)、同じ銀行業者が与える信用(大谷氏の説明だと貸付)にはさまざまな形態があるなどと説明しているのであろうか。大谷氏の説明では同じことを論じていることにならざるを得ないが、しかしそこで論じられている内容は決して同じではない。ということは〈銀行業者が与える信用〉というのは、単に銀行業者が何らかの形態で貨幣額を貸し付けることを意味するだけではないということではないだろうか。
  「貸付」と〈銀行業者が与える信用〉とにはどういう違いがあるのであろうか。それが問題である。
  「貸付」というのは、何らかの形で銀行に流入してきた(マルクスは【14】パラグラフではそれは二様の仕方で銀行に流れ込むと説明していた)貸付可能な貨幣資本を貸し付けることである。つまり銀行が手元にある貨幣を利子生み資本として貸し付けることである。それに対して、〈銀行業者が与える信用〉というのは、銀行が自身の信用だけにもとづいて何らかの形態で貸し付けることなのである。つまりその場合は銀行の手元には貸付可能な貨幣があるわけではない、にも関わらず銀行は何の元手もなしに、ただ自身の信用だけによってさまざまな貸付可能な形態を創造して、貸付を行うということなのである。だからそれは文字通り銀行の信用を与える(貸し付ける)ということなのである。
  だからこのパラグラフで論じていることは、銀行によるいわゆる「信用創造」のことである。銀行は自身の信用にもとづいて、何らかの貸付可能な形態を創り出して、それをあたかも自身の利子生み資本であるかのように貸し付けて、利子を得るのである。その諸形態がここで問題になっている。それではその諸形態について一つ一つ検討して行くことにしよう。

   ●〈銀行業者手形〉。

  これには原注「i)」が付けられている。その内容は以下のパラグラフで検討するが、しかしここで銀行業者手形を検討するためには、その内容についても言及せざるをえない。マルクスは原注「i)」の最初の部分の表題として〈ロイド銀行Loyd'sのぺてんMogeleiを見よ〉と書いている。つまり銀行業者手形とは、銀行が元手としての貨幣資本(monied capital)がないのに自身の信用で貸し付け可能な形態を創り出したものの一つだということである。だからそれは「ぺてん」なのである。原注「i)」の前半を見ても貨幣が逼迫して、銀行に貸し出しの元手がないときに、それを発行して顧客に受け取らせようとするとしている。またそれを銀行業者の貨幣を作り出す特権として作用するとも説明している。遠い昔から逼迫期に採ってきた支払正貨だとも説明されている。さらには後半の『委員会報告』の証言記録ではイングランド銀行券(すなわち現金)の代わりにロンドン宛の手形を手形割引で手渡すとし、それは1844年の銀行法(銀行券の発行高を制限する法律)を逃れる違法行為ではないのかと質されたりしている。ようするに現金が手元にないときに、何の元手もなしにただ銀行の信用たけで銀行手形を発行して、顧客が持ち込んだ手形を割引して置き換えたというのである。ようするに、銀行業者が貸し出しの元手としての利子生み資本が枯渇しているときに、ただ銀行の信用だけにもとづいて、ロンドンの本店あてに手形を切って、それを貸し付けるということなのである。だからここで重要なのは、それは銀行が元手がないのにその信用だけで創造されたものだというところにポイントがあるわけである。
  ところが大谷氏の説明では肝心のそうしたポイントが抜け落ちている。大谷氏の説明を紹介してみよう。

  〈まず,「銀行業者手形」である。これには注「i)」がつけられているほか,二つある注「j)」のうちの前の方(418下(6))はむしろここに属するものと考えることができると思われる。これらの注からも,ここで「銀行業者手形〔bankersbill」と言われているものが,地方銀行業者によってロンドンの自己の代理店などにあてて振り出された21日払いの為替手形,その他類似の銀行振出手形であることがわかる。エンゲルスは「他の銀行あての手形」と書き替えたが,「他の銀行」といってもそれは自己の代理店なのであって,そこにある自己の勘定にあてて振り出された,実体的には自己あての手形にほかならない。このような手形によって他の手形を「割り引く」55),というのは,自己の受ける信用--自己の手形がそれを表わしている--という形態で信用を与えることである。また,いわゆるopen creditの方式で銀行業者が信用を与えたとき,借り手は引受手形という銀行業者が受ける信用を利用するのであって,このような手形もここでの「銀行業者手形」にはいるであろう。〉 (113-114頁)

  このように大谷氏の説明では、肝心の銀行業者にとっては銀行業者手形というのは、銀行に元手がないときにやるペテンの一つであるという認識が欠けている。大谷氏は「受ける信用」か「与える信用」かということに重きを置いているが、あまり意味のある議論とは言い難い(少なくともマルクス自身はそんなことを問題にはしていない)。マルクスが問題にしているのは、銀行業者が与える信用についてである。その内容を正しく理解できなかったのが大谷氏の躓きの元である。マルクスが言っているのは、銀行がただ自身の信用だけであれこれの形態で創造したものを与えると述べているのである。銀行がただ信用にもとづいて創造したものだから、それは確かに銀行にとっては債務である。しかしそれを銀行は「与える」のである。つまり貸し付けるわけだ。だからその場合は銀行は顧客に対しては債権者であり、顧客は債務者である。だからこの場合、「受ける信用」か「与える信用」かという議論はあまり意味のあるものではないのである。

  大谷氏の説明には訳者注の55)が付いているが、それもあまり参考にはならないかも知れないが、一応、紹介しておこう。

  〈55)割引の依頼にたいして自己の手形を与えるのであるから,それは「一種の置き換え〔a substitution〕」(第4636号でのピーズの答え)なのである。しかしこれによって銀行業者は,こうした仕方で割り引いた手形について割引料を稼ぐことができる。ロンドンの代理店には,21日後の期日までに支払いの資金を振り込めばよいわけである。なおこれは,のちに注「注1)へ(318および319ページ)」でのギルバトからの引用にある「手形によって銀行業資本が創造される方法」の一部をなすものであるが,そこで例示されているのは,ロンドンに送金する顧客にロンドンあて21日払いの手形を交付するというものであって,これは信用を受けることだけにかかわるものである。後出の脚注57での,「21日払いの為替手形を(現金と引き換えに)発行する」というのも同様である。これにたいして,ここでは,一方で信用を(ロンドンあての手形で)受けながら,他方で信用を与える(手形を割り引く),すなわち受ける信用という形態で信用を与える,ということが問題となっているのである。〉 (114頁)

  ここでも大谷氏は〈信用を受けること〉かどうかといったことに拘っているが、意味のある議論とはいえない。大谷氏はギルバトの引用として〈「手形によって銀行業資本が創造される方法」の一部をなすものである〉と説明していながら、その肝心の内容の理解が抜け落ちている。〈「手形によって銀行業資本が創造される方法」〉というのは銀行業者は銀行資本としての貨幣資本(moneyed capital)そのものが手元にないのに、銀行業者手形を発行して、それを銀行資本として創造するのである。だからこそマルクスはそれをペテンと述べているわけである。そこらあたりの理解が大谷氏は欠けているのである。

  ●〈銀行信用〉。

  これについてはマルクスは何の原注もつけていない。大谷氏はこれは一般に言われている「銀行信用」とは異なると次のように説明している。

  〈次に挙げられているのは「銀行信用〔Bankcredit〕」である。この「信用」は,銀行が与える信用一般,すなわちいわゆる「銀行信用」ではありえない。なぜなら,もしそうだとすると,「銀行業者が与える信用は〈銀行業者が与える信用〉で与えられることができる」というトートロジーに帰着するからである。さらに,銀行が与える信用のある特殊的形態をさすものでもないであろう。そうではなくて,これは銀行の受ける信用という意味で「銀行信用」と言われているものだと考えられる。しかも,それは銀行の受ける信用一般をさすものではなくて,そのある特定の形態をさすものであろう。なぜなら,前出の「銀行業者手形」も銀行の受ける信用を表わすものには違いないからである。それでは,ここで「銀行信用」と呼ばれている,銀行の受ける信用とはなんであろうか。それはおそらく預金のことであろう。といっても,貸出が行なわれる以前にだれかによってすでになされていた預金のことではありえない。そうではなくて,貸出にさいして銀行業者が新たに借り手の勘定に設定する預金である。預金設定で手形を割り引く,あるいは貸し付けるとき,銀行業者は自己が受ける信用,つまりここでいう「銀行信用」をもって信用を与えるのである。この場合,いうまでもなく設定された預金の全額が「銀行信用」であり,銀行による信用供与である。〉 (114-115頁)

  大谷氏の結論は、マルクスのいう「銀行信用」というのは預金設定のことであろう、というものである。確かに預金設定も銀行にとっては何の元手の必要のない単なる帳簿上の操作であり、銀行の信用だけにもとづいたものだという点で、〈銀行業者が与える信用〉と言いうる。しかし結論は良いとしても、その前の説明には納得がゆかないものがある。
 大谷氏は〈さらに,銀行が与える信用のある特殊的形態をさすものでもないであろう。そうではなくて,これは銀行の受ける信用という意味で「銀行信用」と言われているものだと考えられる。しかも,それは銀行の受ける信用一般をさすものではなくて,そのある特定の形態をさすものであろう。なぜなら,前出の「銀行業者手形」も銀行の受ける信用を表わすものには違いないからである〉などと述べている。〈与える信用〉か〈受ける信用〉かなどというものに拘っているから、こうしたチンプンカンプンなことになるのである。念を押すまでもなく、このパラグラフでマルクスが問題にしているのは〈銀行業者が与える信用〉であり、その諸形態である。そして今問題になっているのは、その諸形態の一つである〈銀行信用〉についてである。つまりマルクス自身はそれは〈銀行が与える信用〉の一形態だと述べているのである。にも関わらず大谷氏はそれは〈銀行が与える信用のある特殊的形態をさすものでもない〉、〈銀行の受ける信用という意味で「銀行信用」と言われているものだ〉というのである。マルクス自身が〈銀行が与える信用〉だと述べているのに、大谷氏はいやそうではない、それは〈銀行の受ける信用〉という意味で〈銀行信用〉だと強弁するのである。もちろん、大谷氏も宇野弘蔵のように、マルクスが言っているからそれが正しいとは即断できない、マルクスは赤と言っていても、真実は黒かもしれないなどと主張するのなら話は別である。しかし大谷氏の全体の論述をみれば、大谷氏は宇野のような立場でないことは明確である。にも関わらず、ここでは大谷氏はマルクスの言っていることとまったく正反対のことを主張しているのである。しかも自身はそのことに気づいていないような風でもある。しかし、まあそんなことはともかく、次に行くことにしよう。

 ●〈小切手〉。

  これには原注「j)」と原注「注jへ」とが付いている。もちろんこれらの原注そのものは該当するパラグラフで検討するが、われわれはそれらの原注も参考に考えて行くことにしよう。これらの原注から考えられるのは、小切手は預金の振替と一体となったものであり、預金の振替を行うための信用用具の一つだということである。ではそれがどうして〈銀行が与える信用〉と言いうるのか。小切手帳というのは、顧客が銀行に預けた預金に対して、銀行から手渡される支払指図証書である。銀行は顧客が振り出した小切手にもとづいて、その持参人に顧客の預金から、小切手に記入された金額を支払わねばならない。しかしそもそも顧客(今それをAとしよう)が銀行に預金した貨幣はすでに銀行にはないのである。というのは銀行はそれを直ちに利子生み資本として運用し貸し出してしまっているからである。あるのはただ帳簿上の預金額の記載だけである。ところが銀行はすでに銀行にはなく、ただ帳簿上のものでしかない預金に対して、支払い約束をするのである。それが出来るのは銀行の信用にもとづくからにほかならない。銀行には常に預金が流入してくる、だからAが発行した小切手の支払い請求に対して、Aの預金された貨幣はすでにないが、別の顧客(B)が預金した貨幣がたまたまあれば、それで支払うことができるわけである。だから預金された貨幣はすでに利子生み資本として運用され、銀行の手元にはなく、ただ帳簿上の記録としてあるだけであるが、銀行はその帳簿上の記録を、あたかも自身の利子生み資本であるかに運用して、それに対する支払約束(顧客にとっては支払指図)を発行できるわけである。その意味では銀行業者手形と基本的には同じといえるのである。

  しかしそれでは大谷氏の説明を見てみることにしよう。次のように説明している。

  〈銀行業者が与える信用の第3のものとして挙げられているのは「小切手〔cheque〕」である。これが上の預金設定と並べて置かれているのは奇異なことではなくて,むしろそうでなければならない。貸出にさいして設定された預金にたいして小切手が振り出される。このときこの小切手が表わしているものは,一方では銀行から与えられた信用であると同時に,他方では銀行が受けた信用を表すもの--すなわちその額だけの預金を代表するもの--でもある。借り手が他の人にこの小切手を渡せば,その額だけの預金(=銀行が受けた信用)が後者の手に渡っていくことになる。この小切手が--手形交換を経ようと経まいと--支払われることになると,それはこの銀行業者にとっては,それだけの受けていた信用が消えることを意味し,それが自行の他の人の勘定に預け人れられる場合には,それだけの受けている信用の与え手が変わることになるだけである(預金の振替)。借り手にとっては,預金であろうとそれにあてて振り出された小切手であろうと,どちらも銀行に与えている信用にほかならないのであって,ただその形態が変わるだけである。小切手を振り出したさい,振出人は預金のほかにそれだけの額の信用を追加的に入手したわけでないことはいうまでもない。決済以前であってもこのことに変わりはない56)。銀行からみても,小切手が振り出されたとき,預金額に加えてさらに信用を受けたわけでもない。決済以前であってもこのことに変わりはない。要するに,小切手は,預金を代表するものでありながら,しかも銀行が受ける信用としては預金とは区別されるべき一形態なのである。なお,この 「小切手」のあとに「等 々〔etc」〕と書かれているが,どのようなものが考えられているのか判断できない。しかし,ここでは現金(ないし中央銀行券)による信用供与ではなくて,受ける信用で行なう信用供与のその他の形態が考えられるべきであろう。たとえば,割り引いた手形を裏書譲渡することによって信用を与える場合57)などがそれにあたるかもしれない。〉 (115-116頁) 

  あいかわらず〈与えられた信用〉か〈受けた信用〉かなどというどうでもよい議論をしているが、それはともかく大谷氏の説明で疑問に思うことを箇条書き的に書き出してみよう。

   (1) まず大谷氏は小切手が〈預金設定と並べて置かれているのは奇異なことではなくて,むしろそうでなければならない〉などと述べている。しかし〈並べて置かれているのは〉、預金設定を意味する〈銀行信用〉だけではない、〈銀行業者手形〉もそうである。そもそも大谷氏は小切手を預金設定との関連だけで見ようとする魂胆からこのように述べているのである。しかしそれは正しいであろうか。大谷氏はここでマルクスが述べている「小切手」を預金設定された預金に対して振り出されたものに限定するのである。しかしこんな限定は問題の混乱以外の何ものでもない。

   (2) それに続けて述べている一文もわかりにくい。〈貸出にさいして設定された預金にたいして小切手が振り出される。〉この一文も誤解を与えかねないものであるが、要するに銀行が貸し出しに際し預金を設定し、その貸し出しを受けた顧客がその預金に対して銀行から与えられた小切手帳を切り、小切手を振り出したということであろう。

   (3) 〈このときこの小切手が表わしているものは,一方では銀行から与えられた信用であると同時に,他方では銀行が受けた信用を表すもの--すなわちその額だけの預金を代表するもの--でもある。〉ここでは大谷氏は銀行信用(預金設定)を〈銀行から与えられた信用である〉と述べている。しかしその前には〈銀行の受ける信用という意味で「銀行信用」と言われているものだ〉と述べていたのである。いずれにしても無意味な議論なのである。大谷氏は〈与えられた信用〉か〈受けた信用〉かなどという迷路に迷い込んで肝心なことが抜け落ちている。
  そもそもマルクスが小切手を〈銀行業者が与える信用〉の一形態だと考えているのは、別に預金設定に限った話ではない。通常の預金、つまり貨幣(現金)を銀行に持ち込んで行われた預金についても同じものとして述べているのである。それがどうして〈銀行業者が与える信用〉と言いうるのかということについてはすでに述べたが、要するに、大谷氏は小切手に対して支払われる預金は、すでに単なる帳簿上の記録でしかないということを理解していないのである。この肝心要のことが抜け落ちている。だからもうこれ以上の大谷氏の〈与えられた信用〉か〈受けた信用〉かなどという混迷につきあうのはやめておこう。

  (4)しかし最後に大谷氏はマルクスが〈等々で〉と小切手のあとに付け加えている部分についても、この〈等々〉が何を意味するかを検討しているので、それについても少し考えてみよう。もう一度、その部分だけを書き出してみよう。
 
   〈なお,こ の 「小切手」のあ とに 「等 々 〔etc」〕と書かれているが,どのようなものが考えられているのか判断できない。しかし,ここでは現金(ないし中央銀行券)による信用供与ではなくて,受ける信用で行なう信用供与のその他の形態が考えられるべきであろう。たとえば,割り引いた手形を裏書譲渡することによって信用を与える場合57)などがそれにあたるかもしれない。〉

  そしてこの注「57)」では次のように書いている。

  〈57)たとえば,マルクスはのちに「混乱」と題した部分で,『銀行法委員会報告』1857年,でのニューマーチの証言を引用しているが,そのなかには,手形の裏書きによって信用を与える例が述べられている。
  「地方銀行業者によって裏書譲渡された手形が流通する仕方第1568-1572号。/つまり銀行業者たちは,自分が裏書きした手形で支払うことで,21日払いの為替手形を(現金と引き換えに)発行することで,また銀行券を発行することで,信用資本を調達したのである。/第1573号。(ニューマーチ)(地方銀行業者は,利子を稼ぐために,彼らの現金をロンドンのビル・ブローカーに送る。ロンドンのビル・ブローカーは自分がすでに割り引いた手形を担保として地方銀行業者に渡すと,地方銀行業者は支払いのさいにこれらの手形を裏書きして再発行する。)「地方銀行業者が行なう大量の信用操作は,為替手形{流通している}が銀行業者の書類入れから取り出され,彼によって裏書きされて商人その他の人びとの手に渡り,それから〔これらの人びとによって〕支払われる,という仕方でなされています。」」(MEGA II/42,S.562;本書第4巻55ページ。)
  エンゲルスは,第1568-1574号を独自に要約して1パラグラフを作ったのち,上のマルクスの文章に手を入れて次のように書いている。
  「ここで,どのようにして銀行が信用と資本とを創造するかがわかる。すなわち,1.自分の銀行券を発行することによって。2.手形期間が21日であるが振り出しと同時に現金で支払ってもらえるロンドンあての手形を振り出すことによって。3.すでに割引されている手形を払出すことによって。この最後の手形の信用能力は,まず第1に,また主として,少なくともその地方にとっては,この銀行の裏書きによってつくりだされるのである。」(MEGA III/15,S.536:MEW25,S.558)
  なお,上でマルクスが「21日払いの為替手形を(現金と引き換えに)発行する」と書き,エンゲルスが「手形期間が21日であるが振り出しと同時に現金で支払ってもらえるロンドンあての手形を振り出す」と書いているのは,ニューマーチの第1571号での証言で述べられていることであって,地方からロンドンに送金しようとする顧客が地方銀行業者に現金を払い込んでロンドンあて21日払いの手形を受け取る,という場合である。〉 (116頁)

  要するにマルクスが〈等々で〉と述べているものの一つとして、銀行が割り引いた手形に、裏書きして、顧客に貸し付けとして手渡すことも考えられるということのようである。これは確かに銀行業者手形とは若干違うが、銀行が裏書きすることによって信用が増したものを、顧客は自身の持ち込んだ手形を割り引いてもらって現金の代わりに受け取るということであろう。ただこの場合、手形割引で銀行が貨幣を貸し付けた場合、そしてその割引した手形に裏書きして、さらに別の顧客の手形の割引に利用したという場合を考えてみよう。この場合、最初の割引に際しては現金を必要とした限りでは、それは普通の「貸付」の一形態である。しかし再度の裏書きした手形で、持ち込まれた手形を割引した場合は、銀行は現金を必要とせず、ただすでに手元にある手形に裏書きするというだけで、持ち込まれた手形を割引して、手数料(利子)を得ることができる。銀行の裏書という信用によってそれが可能になっているのだから、これは確かに〈銀行業者が与える信用〉の一形態と言いうるであろう。

  ●最後は〈銀行券〉である。

  これはいうまでもなく、発券銀行について言いうることである。発券銀行はただその信用にもとづいて銀行券を発行し、紙とインク以外にはなんの費用もかからない。だからそれは確かに銀行が与える信用の一形態と言いうる。ただマルクスは同じ銀行券でもほぼ現金として通用するとも述べている。だからマルクスが問題にしている銀行券は、地方の発券銀行の発行した銀行券ではなく、多かれ少なかれその背後に国家信用を背負っているような、中央銀行の発行した銀行券を想定しているといえる。マルクスは銀行券について次のように説明している。

 〈銀行券は,持参人払いの,また銀行業者が個人手形と置き換える,その銀行業者あての手形にほかならない

  この説明には二つのものがある。一つは〈銀行券は,持参人払いの,……その銀行業者あての手形にほかならない〉というものである。これは銀行券は銀行自身が支払い約束をする約束手形だということである。しかも〈持参人払い〉である。つまり普通の手形の場合、支払う額はもちろん、支払う当人や相手や期日が明記されているが、銀行券の場合はそれを持参した人に無条件に支払うというものである。銀行券も最初のものは、普通の手形と置き換えるということから、端数のある額だったらしいが(普通の手形は商品の売買に関連して発行されたのだから端数のある額になる)、やがてはそれは定額のものになり、また徐々に大きな額から少額のものへと変化していった歴史的な経緯がある。資本同士が取引の中心になる商業流通内では一般に大口取引が行われ、個人消費に関連する一般流通では、小口取引が中心になる。だから銀行券が少額になると商業流通から出て一般流通に入り、通貨(現金)として通用するようになるのである。高額の銀行券は例え一時的に一般流通に入っても、すぐにそこからはじき出されたのである。
  もう一つの説明は〈銀行券は,……銀行業者が個人手形と置き換える,その銀行業者あての手形にほかならない〉ということである。これはだから銀行券でも主要には商業流通において流通するようなもののことである。つまり手形と置き換えるということは、銀行業者が銀行に持ち込まれた手形を割引して、銀行券を貸し出すということである。もちろん、銀行券が銀行から出て行くのはこうしたケースに限らない。業者や個人が自身の預金から現金を引き出す場合に、彼はそれを銀行券で引き出すこともありうるであろう。しかしこの場合はもはや商業流通の枠内というより、一般流通の問題であろう。だからマルクスはまずは銀行券の説明としては、【3】パラグラフで説明していたような手形流通を基礎にした銀行券流通のように、まずは商業流通内において流通する銀行券について述べていることが分かる。しかし今回は、それだけに限らないことも指摘されている。それが次の説明である。
  マルクスは銀行券という「信用形態」は素人の目にはとくに目につく重要なものとして現われるとして、その理由を二つ述べている。
 一つは銀行券は商業流通から出て一般流通に入り、貨幣として機能しているからというものである(それは法貨としての性格を持っているとも指摘されている)。つまりこの場合の銀行券はエンゲルス版第28章以降(草稿ではⅠ)と項目番号が打たれたところ以降)で取り上げられている銀行券のほとんどが該当するものである。つまりそれは現金の一つであり、金貨や金地金と同等のものとして取り扱われているものである。だからそれは確かに素人目には重要なものには違いない。
 もう一つの理由は銀行券は信用章標であり、銀行業者が取り扱っているものが信用そのものであることが目に見えるように明らかだから、というものである。確かに銀行券は、最初にも述べたように、銀行がその信用によって創造したもので、紙とインクの費用以外には何の費用もかかっていない。その意味ではそれは銀行の信用そのものを象徴するものである。ただそれが素人目にもすぐに分かるかというと一概にはそうともいえないような気もするのであるが、どうであろうか。

  われわれはついでに大谷氏が銀行券について解説している部分も検討しておこう。次のように述べている。

 〈さて,銀行業者が与える信用の諸形態の最後のものとして挙げられているのは,「銀行券」である。これについては,他の諸形態とは区別していささか立ちいって述べている。マルクスはまず,「銀行券は,持参人払いの,また銀行業者が個人手形と置き換える,その銀行業者あての手形にほかならない」,と言って,銀行券がその前に列挙された銀行業者の受ける信用を表わす諸形態と本質的に同じものであることを示したのちに(?どうして!! マルクス自身は〈銀行業者が与える信用〉と述べているではないか!?),「この最後の信用形態はしろうとには,とくに目につく重要なものとして現われる」が,その原因は次の点にあるのだとして,二つのことをあげている。「第1には」として述べられているのは,銀行券が人びとの目には貨幣そのものとして映る,ということである。これにはさらに二つのことがあり,一つには,「信用貨幣のこの形態」--信用貨幣の他の形態として重要なのは預金であろう--「はたんなる商業流通から出て一般的流通にはいり,ここで貨幣として機能している」こと,一つには,「たいていの国では銀行券を発行する主要銀行は,……事実上その背後に国家信用をもっていて,その銀行券は多かれ少なかれ法貨〔legal tender〕でもある」こと,これらのことが挙げられている。「第2には」として述べられているのは,「銀行券は流通する信用章標にすぎないので,ここでは,銀行業者が取り扱うものが信用そのものであることが目に見えるようになるから」,ということである。流通している銀行券は,いつでも金に転換しうるという,銀行業者に与えられた信用である(?まったくしょうこりもなく同じ間違いを! マルクスは〈銀行業者が与える信用〉の一形態としての銀行券について述べているのだ!)ことはだれの目にも明らかであり,この点を通じて人びとは銀行が信用を取り扱うものだということを感知する,というのである。以上の2点は一見すると相反する事実であるように見えるかもしれないが,前者では,銀行券が一般流通のなかでも貨幣機能を果たすこと,後者では,それが兌換保証を背負って流通していること,この両者がともに人びとの目に見えていることを指摘しているのである。〉 (118-頁)

  こうした大谷氏の解説は、なかなかそのままでは首肯できない。箇条書きにして検討してみよう。

   (1) まず本文に挿入して疑問を呈しておいたが、大谷氏はマルクスが銀行券を〈銀行業者が与える信用〉の一形態として述べているものを〈銀行業者の受ける信用〉とか〈銀行業者に与えられた信用〉とまったく真逆に説明していることである。しかしこれについてはすでに述べたので、ここでは省略しよう。

  (2) 大谷氏はマルクスが「信用貨幣のこの形態」と述べていることに注目して、「この」の部分に傍点を振り、〈信用貨幣の他の形態として重要なのは預金であろう〉と述べているが、果たしてそれは正しいであろうか。マルクス自身は預金を信用貨幣と述べているわけではないからである。預金もその帳簿上の記録として貨幣の機能を果すが、しかしそれは預金の振替決済によって相殺されるという限りであり、だから貨幣の機能としてはただ観念的な計算貨幣(あるいは価値尺度)としての機能でしかなく、流通手段や支払手段としての機能、すなわち通貨として機能するわけではないのである。だからそれを銀行券と同じ信用貨幣の一形態だなどとマルクスが主張するはずはないのである。

  (3) 大谷氏はマルクスが銀行券について〈たんなる商業流通から出て一般的流通にはいり,ここで貨幣として機能している〉と述べていることの意味を正確に理解しているとは言いがたい。マルクスが〈たんなる商業流通から出て一般的流通にはいり〉と述べていること、その上で〈貨幣として機能している〉と述べていることは重要である。なぜなら、銀行券は〈たんなる商業流通〉内でも貨幣の機能を果たしているからである。だからこそそれは信用貨幣と言われるのである。にも関わらず、マルクスが一般流通に出て、〈貨幣として機能している〉と敢えて言っているのは、それは商業流通内における手形流通を基礎とする信用貨幣とは異なるものと見ていることを意味するのである。というのは一般流通における銀行券は現金として、地金や金鋳貨と同じものとして流通するとマルクスは考えているからである(これは何度も指摘しているが、エンゲルス版第28章該当部分以降の草稿ではマルクスは銀行券をそのようなものとして取り扱っている)。マルクスがそれらがたいていは法貨でもあるとしているのはそうしたことによるのである。(ついでに言えば、この点も、大谷氏は正しく理解していない。)だからそれはすでに手形流通に立脚する単なる信用貨幣ではないのである。それは貨幣の流通手段としての機能にもとづいて貨幣を代理して流通するものであり、その限りでは紙幣や補助鋳貨と基本的には同じなのである。だからそうした銀行券は貨幣流通の法則に規制されるものとマルクスは考えているのである(マルクスは【3】パラグラフでは、銀行券流通は手形流通に立脚するのであって、貨幣流通--それが金貨幣であろうと紙幣であろうとと念を押していた--に立脚するものではない、と強調していたのではあるが)。しかしこうした銀行券流通については、もっとあとで問題になるので、われわれとしてはそこで問題にしたい。いずにれせよ、大谷氏はこうしたことを理解されているとは言い難い。

  (4) マルクスが〈「この最後の信用形態はしろうとには,とくに目につく重要なものとして現われる」〉「第2」の理由として上げていることについて、大谷氏は兌換保証を背負って流通していることだと理解されているが、果たして正しいであろうか。大谷氏がマルクスが上げている二つの点について、〈以上の2点は一見すると相反する事実であるように見えるかもしれないが〉と述べているのは、マルクスが第1の理由として上げている部分を正確に理解していないからであろうが、第2の理由も正しく理解しているとは言い難い。マルクスは〈銀行券は流通する信用章標にすぎない〉と述べるときの〈信用章標〉というタームにどんな意味合いを持たせているのであろうか。これとよく似たタームとして「価値章標」があるが、それについてマルクスは『経済学批判』のなかで次のように述べている。

  〈諸商品の交換価値がそれらの交換過程をつうじて金貨幣に結晶するのと同じように、金貨幣は流通のなかでそれ自身の象徴に昇華する。はじめは摩滅した金鋳貨の形態をとり、次には補助金属鋳貨の形態をとり、そして最後には無価値な表章の、紙券の、たんなる価値章標の形態をとって昇華するのである。〉 (全集第13巻94頁)

  これを見れば、マルクスが〈信用章標〉という場合、それは信用を象徴するものという意味と考えられる。だからここには兌換が保証されているか否かというような問題はないのである。それは銀行がただその信用だけで発行する手形であり、紙とインク以外に費用のかからないものである。だからそれは銀行の信用を象徴するものだという意味で、マルクスは〈信用章標〉と述べているのである。そしてこれはこのパラグラフの冒頭〈銀行業者が与える信用はさまざまな形態で……与えられることができる〉と述べていた、その一形態として考えうるものである。〈流通している銀行券は,いつでも金に転換しうるという,銀行業者に与えられた信用である〉などとマルクスとはまったく真逆の説明をする大谷氏がそこに何の矛盾も感じていないのが不思議である。それもこれも〈与える信用〉か〈受ける信用〉かなどという無意味な議論の迷路に迷い込んだことから来たものといえる。

  ●現金で前貸しする場合も信用による取引だとするマルクスの言明について


  いずれにせよ、マルクスは銀行券が信用そのものであることが手にとるように分かるとしながら、しかし銀行業者はその他のあらゆる形態での信用でも取引するとして、例として〈彼が自分に預金された貨幣を現金で前貸する場合でさえもそうである,等々〉と述べている。これには原注「1)」と原注「注1)へ」が付いているが、これらの原注は〈彼が自分に預金された貨幣を現金で前貸する場合でさえもそうである〉という部分に対するものというより、むしろその前の〈しかし,銀行業者はそのほかのあらゆる形態での信用でも取引するのであって〉という部分と関連しているように思える。いずれにせよ、それぞれの原注については、それぞれの該当パラグラフで詳しく検討しよう。ここではとにかく銀行が現金で貸し付ける場合でも信用で取引しているのだというマルクスの指摘に限定して検討してみよう。というのは、最初に〈銀行業者が与える信用〉とは何かについて、私は、それは〈銀行が自身の信用だけにもとづいて何らかの形態で貸し付けることなのである。つまりその場合は銀行の手元には貸付可能な貨幣があるわけではない、にも関わらず銀行は何の元手もなしに、ただ自身の信用だけによってさまざまな貸付可能な形態を創造して、貸付を行うということなのである。だからそれは文字通り銀行の信用を与える(貸し付ける)ということなのである〉と説明したからである。だから現金で前貸しする場合も信用で貸し付けているのだという今回のマルクスの説明と、こうした以前の私の説明とはどのように整合するかをきちんと説明しておく必要があると考えるからである。
   これを考えるためには、【14】パラグラフの本文に立ち戻る必要がある。ここでは銀行が自由に処分できる貸付可能な資本が二つの仕方で銀行に流れ込むとして、一つは貨幣取扱業として生産的資本家たちの準備ファンドを集中することが述べられていた。もう一つは貨幣資本家たちの貨幣を預金として預かり、借り手と貸し手の媒介者としての機能を果すことである(これに関連して少額の遊休貨幣を集中させることや収入のための貨幣を一時的に預金として集中することも指摘されていた)。ここでマルクスが銀行が現金で貸し付ける場合でさえも、彼は信用を取り扱っているのだ、と述べているのは、最初の貨幣取扱業務としての側面のことを指している。そこでは生産的資本家たちの準備ファンドが銀行に集中されることによって、それらがバラバラに存在していたときよりも社会的には最低限に縮小されることが指摘されていた。つまり銀行はその最低限の準備ファンドを手元に準備するだけで、それ以外の集中された準備ファンド、すなわち貨幣を、利子生み資本として貸し出すことが可能になるのであるが、この貸し出される利子生み資本としての現金は、しかし実際には生産的資本家が銀行に預けたものであり、生産的資本家たちのものである。しかもそれは本来は準備として必要なときにはいつでも支払いに使われる必要があるものでもある。しかし集中された準備ファンドのすべてを銀行はつねに準備として保持している必要はない。それは必要最低限のものだけを保持していれば、さまざまな支払い要求に応じることが可能となるのである。だから銀行はその他人の貨幣の一部をあたかも自分のものであるかのように、利子生み資本として貸し出すことができるのである。銀行がそれができるのは、生産的資本家たちの準備ファンドを集中させたからであり、また銀行の信用によってである。なぜなら、生産的資本家たちが、自分たちの準備ファンドが、そのまま銀行に保管されずに、必要最低限に減らされていても、何の不安も不満も生じないのは、銀行に対する信頼からであり、少なくとも必要最低限の準備は銀行にあるという安心からである。だからマルクスはこうした場合には、銀行は現金で貸し付ける場合も信用にもとづいて取引しているのだと述べているのである。
 それに対してもう一つの流入の仕方である貨幣資本家たちからの預金については、銀行の媒介者的な機能としては、銀行はただ預かった貨幣を、右から左へと貸し出すだけで、ここには銀行によって与えられる信用そのものは何もないのである。同じ現金による貸付でもこうした違いがあるわけである。

  ところでこの問題でも大谷氏は次のように説明している。

  〈そこでマルクスは,銀行券がしろうとにとくに目につく第2の原因として挙げた,銀行券では銀行による信用の取り扱いが人びとの目に映る,という事情の指摘に続いて,「しかし,銀行業者はそのほかのあらゆる形態での信用でも取引するのであって,彼が自分に預金された貨幣を現金で前貸する場合でさえもそうである」,と述べる。ここで「そのほかのあらゆる形態での信用」というのは,「銀行業者手形,銀行信用,小切手,等々」とされていたものにあたるであろうが,ここではそれにさらにつけ加えて,「預金された貨幣を現金で前貸する場合」でさえも信用での取引なのだ,とするのである。ここで「信用での取引」という場合の「信用」が銀行の与える信用の意味でないことはもはやいうまでもないであろう。「預金された貨幣を現金で前貸する場合」でさえも,受ける信用をもって前貸するのだ,というのである。〉 (120頁)

  ここらあたりの大谷氏の説明はまったく納得がいかない。何度もいうが、大谷氏はマルクスが〈銀行業者が与える信用〉と述べているのに、相も変わらず〈ここで「信用での取引」という場合の「信用」が銀行の与える信用の意味でないことはもはやいうまでもないであろう。「預金された貨幣を現金で前貸する場合」でさえも,受ける信用をもって前貸するのだ,というのである〉などと述べている。しかしこれについてはもう何度も批判したので、ここではもうこれ以上付き合う必要はないであろう。
  もう一度言うが、マルクスが〈銀行業者はそのほかのあらゆる形態での信用でも取引するのであって,彼が自分に預金された貨幣を現金で前貸する場合でさえもそうである〉という場合、その預金された貨幣は、預金者がいつでも引き出せるものであり、本来預金者のものである。しかし銀行はそれを第三者に貸し出すのだから、銀行は預金者の貨幣を預金者に断りもなく貸し出すことになる。これが出来るのは、預金者が一人だけではなく、銀行には多くの準備ファンドが預金として集中されているからであり、銀行には最低限の一定額の預金額が常に準備金としてあるからである。ある預金者が引き出したら、別の預金者が預金をするというように常に預金額は増減しているが、しかし常に一定額の預金額が銀行の準備として存在することになる。だから銀行はAという預金者の貨幣を第三者に貸し出しても、そのあとすぐにBという預金者の預金を、今度は預金を引き出しに来たAに支払うことができる。だから銀行は預金総額のうち準備金として手元に置く以外の預金は、すべてそのまま貸し付けるのである。この貸し付けは、銀行の信用にもとづいている。だからこそマルクスは銀行が〈自分に預金された貨幣を現金で前貸する場合でさえも〉〈信用で取引する〉と述べているのである。預金は銀行にとっては債務であり、銀行が受ける信用である。だからこの場合も大谷氏がいうように銀行は受ける信用で、信用を与えていることになるかも知れないが、そんなことを指摘しても何の意味もないのである。

 最後に、マルクスは銀行券は信用そのものを扱うという点で、素人目には重要なものにみえるが、しかし実際には銀行券は卸売業の鋳貨をなしているだけだと述べて、銀行で主要なものとなるのは預金であると述べている。これには〈たとえば,スコットランドの諸銀行を見よ〉と書いて、原注「2)」が付いている。これについても該当するパラグラフで詳しく検討するが、要するに商業流通内では預金の振替決済が主要なものとなり、だから銀行券は、そうした振替決済で最終的に帳尻が合わないときに、その帳尻を合わすために使われるものでしかなく、だから一般流通でお釣りに使われる小銭と同じような役割を果すだけなのだと言うのである。

 以上でこのパラグラフの解読を終える。この部分は本文はそれほど長い文章ではなかったのに、その解読にはかなりの分量を要したが、何とかこれで一応は終わったことになる。】

   (続く)

 

 

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