『資本論』第5篇 第29章の草稿の段落ごとの解読(29-15)
第29章「銀行資本の構成部分」の草稿の段落ごとの解読(29-15)
(以下は、【36】パラグラフの続きです。)
小林氏は『マルクス「信用論」の解明』の〈第12章「銀行業者の資本」の「架空性」〉の〈第4節 「準備ファンド」の「架空性」〉のなかで、今回のパラグラフを取り上げている。まず次のように書き出している。
〈ところで,「銀行業者の資本」の「架空性」の第③の点--即ち,「公衆」である預金者と預金の受手である市中銀行との関係でいわれていた,貨幣ないし資本の「請求権化」による「同じ資本の2倍化・3倍化」という「貨幣資本なるもの」の「架空化」--は,市中銀行と中央銀行との間についてもいえる,とマルクスは言う。それを彼は次のように表現する。「この信用制度(Creditsystem)の下では,すべてのもの[資本]が2倍化され,3倍化され,そして単なる幻影物(Hirngespinst)に転化するように,それはまた,人がやっと何か確かなものを掴んだと信じている『準備ファンド』にも,妥当する1)」と。
その第1は,1844/45年のピール銀行法の下で,中央銀行制度が次第に確立され,信用=銀行制度が重層化していくことによって,市中銀行の「貨幣準備」(支払準備金)が,「手許現金(Cash in Hand)」(正貨およびイングランド銀行券)と「イングランド銀行預け金(Cash at Bank of England)」とに二重化2)し,市中銀行の金準備が次第にイングランド銀行に集中していく点である。--「単一準備金制度」(one single banking reserve 3);a one-reserve system of banking 4))の確立5)。その第2は,同じくピール銀行法の下でイングランド銀行に集中化されたこの「単一の」「準備ファンド[まで]も,再び「二重化』される6)」--という点である。〉 (420-421頁)
問題点を箇条書きに書き出してみよう。
(1)まず著者は〈「銀行業者の資本」の「架空性」の第③の点--即ち,「公衆」である預金者と預金の受手である市中銀行との関係でいわれていた,貨幣ないし資本の「請求権化」による「同じ資本の2倍化・3倍化」という「貨幣資本なるもの」の「架空化」〉というが、マルクスは果たして〈「公衆」である預金者と預金の受手である市中銀行との関係〉に限定して述べていたのであろうか。少なくともマルクス自身の一文のなかには「市中銀行」という文言は出てこない。だからまたマルクスの一文では、明確に市中銀行と公衆との間と市中銀行と中央銀行との間との関係を区別して論じているとは言い難い。少なくともこれは小林氏の勝手な理解であろう。
(2)また著者は〈貨幣ないし資本の「請求権化」による「同じ資本の2倍化・3倍化」という「貨幣資本なるもの」の「架空化」〉というが、しかし預金が預金された現金とその帳簿上の記録とに分かれて二重の役割を果たすということを、「請求権化」と述べるのはどうであろうか。そしてまたそのことが、〈「同じ資本の2倍化・3倍化」〉したというのも、必ずしも正確とは言い難い。なぜなら、預金された同じ現金が利子生み資本として貸し出され、何度も預金として還流することによって帳簿上の預金として〈2倍化・3倍化〉すると言いたいのであろうが、しかし積み重なった帳簿上の預金は、同じ現金が利子生み資本として何度も貸し出されて、何らかの商品の価値を実現するという媒介を経て、積み重なるのであって、そうした媒介を抜きには、簡単に〈「同じ資本の2倍化・3倍化」〉とは言えないのからである。少なくともマルクスが述べているものを正しく伝えているとは言い難い。
(3)著者は中央銀行制度が次第に確立されたこと、それに伴って市中銀行の準備ファンドが手元現金と中央銀行預け金(当座預金)とに二重化し、蓄蔵貨幣としての金が中央銀行に集中することを指摘し、さらに中央銀行としてのイングランド銀行の準備ファンドも二重化すると述べている。しかしマルクス自身は、後者のイングランド銀行の準備ファンドの二重化については述べているが、市中銀行の準備の二重化については必ずしも述べているわけではない。むしろ市中銀行の準備ファンドが、イングランド銀行に預金として集中されることによって、それが縮小され、その限りで市中銀行の帳簿上の準備ファンドが架空化するということをマルクスは述べているのである。また著者がいうように例え市中銀行の準備ファンドがイングランド銀行への預金と手元準備とに二重化するということがあったとしても、そのことはイングランド銀行の準備ファンドが二重化するということとは、まったく違った問題である。後者は、銀行法によって、イングランド銀行が発券部と銀行部の二つの部局に分かれ、その結果、準備ファンドも分かれたことを言っているのである。だから二重化と言ってもまったく異なる事象である。
そして著者は上記の抜粋にもとづいて、第1の点と第2の点について論じているのであるが、それらもほぼ第36パラグラフにそったものである。しかしそのなかには首を傾げるものもないわけではない。まず第1の点については次のように述べている。
〈第1の点についてマルクスは,「商業的窮境』(1847-8年)から,モリス氏(元イングランド銀行総裁)の証言(第3639号,第3642号)--「私営銀行業者達の準備金(reserves)は預金の形態でイングランド銀行の手にある」ので,「金流出の第1の影響はただイングランド銀行に対してだけのように見えるが,しかしそれはイングランド銀行に彼らが持っている準備金の一部の引出し(withdrawal)と同じぐらい銀行業者達の準備金に作用するであろうに」--を引用して,「結局,実際の『準備ファンド』はイングランド銀行の『準備ファンド』に帰着する7)」と結論する。〉 (421頁)
これはほぼ第36パラグラフの引用部分の紹介だけである。次に、第2の点についは次のように述べている。
〈第2の点については,マルクスは以下のように説明する。即ち,イングランド銀行「銀行部の「準備ファンド』は,イングランド銀行が発行を法的に許されている銀行券の,流通にある銀行券[イングランド銀行の外にある銀行券]を超える,超過に等しい。[そして]銀行券[発行]の法的な最高限度は,14百万[ポンド](それに対しては地金準備(Bullionreserve)をなんら必要とせず,国家のイングランド銀行への債務に等しい)プラス地金準備(Bullionvorrath)に等しい銀行券」である。そこでマルクスは,例えばとして,次の数字を挙げる。「地金準備が14百万ポンドであれば,28百万ポンドの銀行券を発行し,その内の22百万ポンドが流通していれば(マルクス自身は例としては2000万ポンド・スターリングをあげている--引用者),銀行部の準備ファンドは8[6]百万ポンドに等しい(この書き方もおかしい、マルクスが実際にあげている数字によれば800万である--引用者)。この8[6]百万[ポンド]の銀行券は,(法的に(gesetzlich))イングランド銀行がこれを自由にし得る銀行営業資本(banking Capital)8)であり,そして同時に預金にとっての「準備ファンド』である。さてもし金準備(Goldvorrath)を,例えば,6[4]百万[ポンド]だけ(マルクスは600万という数字をあげている--引用者)減少させる(それに対しては同額の銀行券が廃棄されなければならない)金流出が生じるならば,銀行部の準備金は8[6]百万[ポンド]から2百万[ポンド]にまで低下するであろう(würde)。9)」だから,一方,イングランド銀行は利子率を大いに引上げるが,他方,イングランド銀行への預金者達--銀行業者その他--にとっては,彼らのイングランド銀行への「貸越金」に対する「支払準備」が大いに減少することになる。したがって仮に,イングランド銀行への預金者であるロンドンの4大株式銀行がその預金を引上げるならば,「流通銀行券の兌換の保証として,地金部(Bullion Department)[発券部]に数百万[ポンドの準備金](例えば1847年には8百万[ポンド])が横たわっていても,銀行部はそれだけで破産し得る。10)」このようにイングランド銀行の「準備ファンド」も「二重化」し,「これもまた幻想的(illusorisch)11)」つまり「架空化」するのである,と。〉 (421-423頁)
これも第36パラグラフの引用部分に続くのマルクスの一文の紹介だけに見えるが、気づいたことを二点だけ指摘しておこう。
(1)まず著者はマルクスが銀行部の準備について、〈この8[6]百万[ポンド]の銀行券は,(法的に(gesetzlich))イングランド銀行がこれを自由にし得る銀行営業資本(banking Capital)8)であり,そして同時に預金にとっての「準備ファンド』である。〉と述べていることについて、〈銀行営業資本(banking Capital)8)〉に注8)を付けて、次のように述べている。
〈8)1844年銀行法の下では,イングランド銀行が貸出に用い得るのが「銀行部(banking department)」にあるこの「準備金」であるが,だからと言ってそれをbanking capitalと呼ぶことはできないであろう。「銀行営業資本(banking capital)」という言葉の用い方としては不適切である。前章第4節を参照されたい。〉 (426頁)
これは恐らく著者が次のように述べていたことを思い浮かべているのであろう。
〈上述のように銀行が貸出しに用いるのは「銀行営業資本(banking capital)」であって,その主たる部分は,ギルバートやウィルソンが指摘しているように,銀行が自己の信用に基づいて「調達(raise)」し「創造(create)」した銀行の「債務」である「借入資本」である。そしてイングランド銀行券が「通貨」として「流通」している限り,それは預金と共に貸借対照表の「借方」に計上されてくるのであって17),したがって,この事例のようにBによる同行への預金を通じた銀行券の還流は,結局,同行にとっては,債務の1つの形態(銀行券)から,債務のいま1つの形態(預金)への,債務の形態変化に過ぎないのではなかろうか?〉 (396頁)
つまり銀行営業資本というのは銀行が貸出に用いるものを指していうのであり、その限りでは銀行部の準備がそうであるのは明らかだから、それを銀行営業資本(banking capital)と呼ぶことになんの問題もない。ところが著者は〈だからと言ってそれをbanking capitalと呼ぶことはできないであろう。「銀行営業資本(banking capital)」という言葉の用い方としては不適切である〉というのである。要するに、著者が問題にするのはそのあとで書いていることであろう。すなわち〈その主たる部分は,ギルバートやウィルソンが指摘しているように,銀行が自己の信用に基づいて「調達(raise)」し「創造(create)」した銀行の「債務」である「借入資本」〉でなければならないと言いたいのであろう。つまりイングランド銀行の銀行部の準備は、〈銀行が自己の信用に基づいて「調達(raise)」し「創造(create)」した〉ものとは言い難いのだから、こうした〈言葉の用い方としては不適切〉だと言いたいのである。
しかしそもそもこうしたギルバートやウィルソンの文言をそのまま鵜呑みにしていることについてはすでに私はその間違いを何度か指摘したが、しかし問題はここではそれだけではない。マルクスがここで問題にしているのは利子生み資本だということが著者には分かっていないことである。利子生み資本としてはそれがどのように調達されたかなどということは何の関係もないからであ。だから銀行部の準備はイングランド銀行が利子生み資本として貸付に運用することが可能なものなのだから、その意味では「銀行営業資本(bank capital)」と呼んでも何の問題もないのである。
(2)もう一点指摘しておくと、著者は〈このようにイングランド銀行の「準備ファンド」も「二重化」し,「これもまた幻想的(illusorisch)11)」つまり「架空化」するのである〉と述べているが、これは恐らくマルクスが【36】パラグラフの最期に〈しかしこのことも、これはまたこれで幻想的である。〉(大谷本第3巻191頁)と述べていることの説明のつもりであろう。つまりマルクスが〈このこと〉と述べていることを〈イングランド銀行の「準備ファンド」〉を指していると理解しているわけである。そしてこの限りでは私の理解と一致している。】
【37】
〈/[340a]上/285)[+]預金および準備ファンドについて--ビル・ブローカー。287)「とはいえ,銀行業者自身が直接に必要としない{預金の}大きな部分がビル・ブローカーの手に渡り,彼らは見返りとして銀行業者に,銀行業者による前貸額にたいする担保として,自分たちがすでにロンドンやこの国のさまざまの部分の人々のために割引した商業手形を与える。ビル・ブローカーは銀行業者にたいしてこの当座借り〔money at call〕の支払の義務を負っている。そしてこのような取引が大きな金額になっていることは,293)イングランド銀行の現総裁ニーヴ氏が,その証言のなかで次のように言っているほどである。「わたくしどもは,あるブローカーが500万もっていたことを知っておりますし,また,もう一人は800万から1000万をもっていたと推定する根拠をもっています。ある一人は400万,もう一人は350万,第3の一人は800万以上をもっていました。私が言っているのは,ブローカーに預託された預金のことです。』(『1844年……の銀行法の効果を調査するために任命された下院特別委員会〔銀行法特別委員会〕からの報告』,1857-58年。[〔前付ⅴページ,〕第8項。]) (1858年印刷。)「①(ロンドンの)ビル・ブローカーたちは……少しも現金準備なしで巨額の取引を行なった。彼らは,支払期日がくる自分の手形が減少することをあてにしていたか,あるいは窮地に陥ったときには,保有割引手形を担保にしてイングランド銀行から前貸を受けるという自分の力をあてにしていたのである。」(同上。[〔前付viiiページ,〕第17項。])300)「ロンドンにある二つのビル・ブローカー商会は1847年に支払を停止した。その後両方とも取引を再開した。両商会は1857年にもふたたび停止した。一つの商会の負債は1847年には概数で2,683,000ポンド・スターリングで,そのときの資本は180,000ポンド・スターリングだった。1857年にはその負債は5,300,000ポンド・スターリングだったが,資本のほうは……おそらく1847年当時の額の4分のlよりも多くはなかった。もう一つの商会の負債は,どちらの停止期にも300万から400万で,資本は45,000ポンド・スターリングを超えていなかった。」(同前報告,〔前付xxxiページ,〕第52項。)②/
①〔注解〕「(ロンドンの)」--マルクスによる挿入。
②〔異文〕「+00」という書きかけが消されている。
285)〔E〕前パラグラフへの異文注⑯に記載されているマルクスの指示にしたがって,草稿の[340a]ページの該当部分をここにもってきた。エンゲルス版でも同じ処理が行なわれている。
287)『銀行法特別委員会報告』からのこの引用は,1865年8/9月から1866年2月にかけて作成された抜粋ノートから取られている(IISG,Marx-Engels-Nachlaß,Sign.B98,S.250-251.MEGA IV/18に収録予定)。
293)〔E〕「イングランド銀行」--マルクスが引用している原文ではthe Bank(草稿ではBk)であって,これがイングランド銀行を指すことは明らかであるが,エンゲルス版では,そのドイツ語訳のdie Bankのあとにvon Englandという語を補足して,そのことをさらに明確にしている。
300)『銀行法特別委員会報告』からのこの引用は,1865年8/9月から1866年2月にかけて作成された抜粋ノートから取られている(IISG,Marx-Engels-Nachlaß,Sign,B 98,S.258,MEGA lV/18に収録予定)。〉(192-193頁)
【このパラグラフは、抜粋のための表題と考えられる〈預金および準備ファンドについて--ビル・ブローカー〉以外は、すべて引用なので、平易な書き下し文は省略する。
まずこのパラグラフの草稿での状態について確認しておこう。大谷氏は訳注285)に次のように書いている。
〈285)〔E〕前パラグラフへの異文注⑯に記載されているマルクスの指示にしたがって,草稿の[340a]ページの該当部分をここにもってきた。エンゲルス版でも同じ処理が行なわれている。〉 (192頁)
ここで指摘されている〈前パラグラフへの異文注⑯〉をもう一度確認のために紹介しておこう。
〈⑯〔異文〕マルクスはこの〔339〕ページの末尾にあとから「この点についての続きは,2ページあとの+以下のところを見よ。」という指示を記した。実際に340aページに+というしるしがあるので,そこの本文をここにもってきておく。〔草稿の340ページの次のページにはページづけがない。MEGAは[340a]というページ番号をつけている。〉 (192頁)
つまりこのパラグラフの冒頭にある〈/[340a]上/〉という340aというページ番号はマルクス自身のものではなく(マルクス自身は頁付けをしなかった)、MEGAの編集部がつけたものということである.しかもマルクス自身はこの頁は、339頁の〈2ページあと〉の頁だと考えている。しかしそこには頁付けがないので、MEGAが340a頁としたということである。ということはマルクスの草稿には340頁があることになるが、そこでは次の「Ⅲ)」が開始されているのである。大谷氏の草稿の紹介では次のようになっている。
〈|340上|Ⅲ)〔moneied Capitalとreal capital〕〉 (大谷本第3巻411頁)
つまりマルクスの草稿では先の339頁の冒頭から【31】パラグラフを書き始めて、【36】パラグラフで339頁を書き終え、そのあとすぐに340頁の冒頭から「Ⅲ)」が始まっているのである。ただマルクスは339頁の【36】パラグラフの末尾に〈この点についての続きは,2ページあとの+以下のところを見よ。〉という指示書きを書いたのである。ではその2頁あとつまり341頁には、しかし大谷氏の説明ではページづけがないのだそうである。ところが大谷氏の【37】パラグラフには〈/[340a]上/〉という印がある。この340aがMEGAが付けた頁数というのが分かったが、〈/ 上/〉というのはどういうことであろうか。これは340a頁にも上下の区別があり、しかも【37】パラグラフはその途中から始まっていることを示している。では340a頁上段の冒頭は何が書かれているのか、それは「Ⅲ)」の本文である【9】パラグラフが書かれており、だからその次に〈+というしるし〉があって【37】パラグラフが書かれているのである。そしてさらに340a頁上段には「Ⅲ)」の本文である【10】パラグラフが続き、それで340a頁上段は終わっている。340a頁の下段は「Ⅲ)」の【4】パラグラフの本文につけられた原注a)の【5】パラグラフが始まり、【10】パラグラフの本文につけられた原注a)の【11】パラグラフがそれに続いている(ただしこの原注a)は次の341頁の下方にまで続いている)。なお341頁上段は「Ⅲ)」の本文である【15】パラグラフから始まっている。とりあえず、この【37】パラグラフが草稿のそういう状態で書かれていることを確認しておこう。
さらにもう一つ重要な問題がある。もう一度先の【36】パラグラフの最後の部分を抜き出してみよう。
〈しかしこのことも,これはまたこれで幻想的である。〉
ここでマルクスが〈このこと〉と書いているものは何のことかが問題であった。ところがマルクス自身はこの一文のあとに〈「この点についての続きは,2ページあとの+以下のところを見よ。」という指示〉を書いているのである。つまりここで〈この点についての続き〉というのは、その直前の〈しかしこのことも,これはまたこれで幻想的である〉ということを指していると考えられなくもない。ということは今回の【37】パラグラフの内容はマルクスが〈このこと〉と書いているものは何なのかを考えるヒントをわれわれに与えているとも考えることができるのではないだろうか。と、まあ、以上のことを確認して、ではその実際の内容について考えていくことにしよう。
ここではビル・ブローカーが自分が割引した手形を担保にロンドンの銀行業者から〈当座借り〔money at call〕〉を受けることが述べられている。この当座借りというのを、小林氏は後に検討するが〈コール・マネー〉と訳している。コール・マネーというのは、金融機関同士の間で融通し合う貨幣のことで、短期のものである。ビル・ブローカーたちは、割引した手形を担保に銀行からコール・マネーを受け取る。彼らはそのようにして、銀行から借り出した貨幣で手形を割引して、その割引した手形を担保にまた銀行から借り出し、さらにその借り出した貨幣で手形を割引するということを繰り返して、利ざやや手数料を稼ぐのであろう。そしてそうした結果、彼らの銀行に対する返済の義務のある債務額が途方もないものになっているということである。彼らはわずかの元手で、こうした取り引きを行っており、だから一旦破産すると膨大な負債が残されるというわけである。彼らが実際に持っている資本(元手)というのはその負債額の100分の1程度だということが指摘されている。だから彼らは膨大な貨幣資本(moneyed Capital)を日常的に扱っているが、しかしそのほとんどは〈現金準備なし)で行われているものであり、その限りでは架空なものだったとマルクスの言いたいのではないだろうか。
つまりマルクスはここでは預金とそのための準備ファンドとの関係について、ビル・ブローカーにおいては、その預金総額、彼らが顧客から預託された総額(彼らの負債総額)に比べて、その準備金というのは一般の銀行業者たちに比べるとさらに極端に少ない事実を指摘しているわけである。
先の【36】パラグラフは、私営銀行業者たちの準備ファンドは、中央銀行に預金されて、
しかも必要最低限まで縮小されている。つまりそれぞれの私営銀行業者たちが持っている膨大な帳簿上の預金額に対して、その準備ファンドというのは、相対的に少ないのであるが、それがさらに中央銀行に集中されることによって、さらにそれが縮小されている事実を述べていたわけである。そして今回の【37】パラグラフでは、ビル・ブローカーにおいては、そうした預金額と準備ファンドとの関係は、より極端な関係になっていることが指摘されていることになる。つまり【37】パラグラフは、【36】パラグラフで述べていることのより極端な関係を示している例として挙げられていると考えられるのである。
だから【36】パラグラフの〈このこと〉について大谷氏は〈「このこと〔dieß〕」--これは,発券部にある地金が流通銀行券の兌換性の保証となっている,ということであろう〉と述べていたのであるが、【37】パラグラフとの関連で考えるなら、それは預金とその準備ファンドとの関係について、マルクスは述べていたと考えるべきであろう。つまりその前で〈1857年に4大株式銀行は,もしイングランド銀行が,1844年の銀行法281)を停止する「政府書簡」をせびり取らないなら,自分たちの預金を引き上げる,と言っておどした。もしそれをやられたなら,銀行部は破産していたであろう。だから,1847年のように,流通銀行券の兌換性の保証として地金部〔発券部〕には何百万〔ポンド・スターリングの地金〕がありながら(たとえば1847年には800万〔ポンド・スターリングの地金〕があった),銀行部が破産することがありうるのである〉と書いているように、銀行部にはたった200万ポンドの準備ファンドしかない時に、もし4大株式銀行の預金だけでも、それを引き揚げられたら、たちまち銀行部は破産するだろうということであった。つまり膨大な預金額に対してその準備ファンドが限りなく縮小されている事実を指摘していたのである。そして実際、そのことによってビル・ブローカーたちの場合は恐慌時には大きな負債を残して破産したのである。だからマルクスが〈このこと〉と述べているのは、やはりイングランド銀行の準備ファンドそのものも幻想的であるということではないだろうか。
大谷氏はこのパラグラフそのものについては直接言及していないが、このパラグラフがエンゲルス版の第29章該当部分の草稿の最後の部分であることから、大谷氏が第29章該当部分全体を次のように締めくくっていることを紹介しておこう。
〈第29章相当部分でのマルクスの考察はここで基本的に終わっているが,以上述べたところから,マルクスがここで明らかにしようとしたのは銀行資本の架空性であることが確認されるであろう。そのさい,この架空性はさまざまの異なった観点からなされていた。第1に,「いわゆる利子生み証券」=いわゆる擬制資本の架空性。第2に,そのなかでもとくに,国債のように資本そのものがまったく幻想的なものと,第3に,株式のように資本価値が架空であるものとが区別される。第4には,銀行が保有する紙券は--他行の銀行券を含めて--自己価値でないという意味で架空であること,第5に,無準備となっている預金はすべて架空資本となっていること,第6に,準備ファンドでさえ「幻想的」であること。そして最後に,預金と準備ファンドとのところでより一般的に言われていたように,利子生み資本と信用制度との発展につれて,同じ資本が何倍にもなって現われるのであって,この貨幣資本の大部分は架空のものであること。この最後の点では,架空性は銀行資本のみについてではなく,信用制度下のmonied capita1一般について言われているわけである。〉 (大谷本第2巻72頁)
ここでは気になることを簡単に箇条書き的に書いておくだけにする。
(1)すでに何度も指摘したが、「いわゆる利子生み証券」を「いわゆる擬制資本」と言い換えているが、これについては何故にこうした言い換えが必要なのかはわからないこと。それについて大谷氏自身は何の明確な説明もしていないこと。ただ通俗的な使い方を肯定し、踏襲しているだけのように思えることである。
(2)国債と株式について、その区別を架空資本の〈異なった観点からなされてい〉るもののように述べているが、しかしそれは正しくマルクスの考察を読み取ったものとは言い難いこと。むしろマルクスは現実の構成部分としてみれば国債と株式には違いがあるが、しかし架空資本としては同じだと述べているのである。
(3)先に大谷氏は紙券を他行の銀行券と捉えていたが、しかしここでは紙券をそれに限定せず、他行の銀行券を含めたものとどうやら考えているように思えるが、しかしマルクス自身は「他行の銀行券」などについては何も述べていないということ。
(4)そして何よりも重要なのは、規則的な貨幣収入が資本還元されて幻想的な貨幣資本(利子生み資本)の利子として見做されることに、架空資本の架空資本としての根拠があり、架空資本の概念が成立するということが、これではまったく捉えられていないし、指摘されてもいないということである。こうしたバラバラの寄せ集めでは架空資本の概念は決して明らかにはならないのである。
(5)またマルクスが「架空資本」と述べているものと「架空なもの」あるいは「架空性」「架空化」と述べているものとは違うという理解が必要である。大谷氏にはそれがない。架空資本はその独自の運動形態を持っているが、「架空なもの」は必ずしもそうではない。
小林氏は大谷氏とは違い、わざわざ先の第12章のなかで〈第5節 預金と支払準備金とビル・ブローカー〉と題する一節を設けている。
小林氏はこの【37】パラグラフは、【36】パラグラフまでで述べていた準備ファンドの架空化の〈いわば「補遺」〉(428頁)だとして、次のようにその概要を紹介している。
〈即ち,「しかしながら,銀行業者達自身が直接必要としない〔預金の〕大きな部分は,ビル・ブローカー達の手に移り,代りに彼らは銀行業者に,ロンドンおよびこの国の種々な地域の人々のために彼らが既に割引いた商業手形を,銀行業者によって前払いされた金額に対する担保として渡す。ビル・ブローカーはこのコール・マネーの返済に責任を負っている」が,その金額は巨額に上っているとして,さらにマルクスは「銀行法特別委員会(1858年)」におけるニーヴ氏(イングランド銀行総裁)の証言をそこに引用する。それによると,ビル・ブローカーへの前貸し額は350万から800~1000万ポンドにも及び,しかも「(ロンドンの)ビル・ブローカー達は,彼らの手形が満期になって流れていくことを当てにするか,窮地の場合には割引手形を担保にイングランド銀行から前貸を獲得する力を当てにして,彼らの巨額の取引を全く現金準備なしで(without any cash reserve)営んでいる。」そして「そのうちの2社は1847年に支払停止となり,その後取引を再開したが,1857年には再び支払停止[となる]。」しかも例えば,そのうちの「1商会は1847年には,資本金180,000ポンドで,負債は2,683,000[ポンド]であったが,1857年には,資本金は恐らく1847年の1/4を越えないのに,負債は5,300,000ポンドであった…2)」,と。〉 (428頁)
これは【37】パラグラフの概要を紹介しているだけであるが、著者はそれに続けて次のように書いている。
〈ところで,この預金と支払準備金とビル・ブローカーとの関係については,手稿「混乱:続き」の前段部分3)での,ビル・ブローカーであるオーヴァレンド・ガーニー商会のチャップマンに対する『銀行法特別委員会報告書(1857年)』における質疑・応答の引用とそれに対するコメントの形で詳細に示されている。その点に関しても,既に本書第6章において考察してきたところであるが4),ここでその若干を再録しておこう。〉 (428頁)
そして著者は、「混乱;続き」からの抜粋をながながと行っている。しかしそれをそのまますべて紹介することはやめておく。そのあと、それらのアチコチから細切れに引用したものの纏めらしきものを書いているので、それを紹介しておこう。
〈以上からでも,預金と支払準備金とビル・ブローカーとの関係を次のように要約することができるであろう。即ち,銀行業者は「過剰のマネー」をロンドンのビル・ブローカーに「コール・マネー」として貸出し,この短期貸付が,大蔵省証券などへの有価証券投資と共に,地方銀行業者の「資産」の中で広義の準備金(「現金と余剰金8)」)の一部を占めていく。そしてビル・ブローカーは「準備金なしで」,この「コール・マネー」で手形を割引き,この割引手形を地方銀行業者に担保として渡し,彼等が「窮地」に陥った時には--即ち逼迫期には--,イングランド銀行に援助を求める。しかし「第1級の商業手形」でも割引かれないような事態ともなれば,銀行業者はその準備金を「2倍」に増大しようとし,「利子など」を得るよりも貸出しを手控えてしまう。「負債」が「王国の鋳貨」で一齊に支払を求められたなら,「信用貨幣制度から金貨幣制度への急変」が生じ,国内でパニックが発生する。というのは,銀行業者達は「支払準備金」をさしあたっては「最低限」に押さえており,ビル・ブローカーは無準備であり,イングランド銀行もその金準備のうち,世界市場貨幣としての蓄蔵貨幣部分は「最小限に減らし」ており,その僅かな金準備が実質的には「同時に」国内の銀行券の兌換準備としても機能しなければならず,市中の銀行業者達の準備であるイングランド銀行への彼等の預金の支払準備は,銀行部にあるイングランド銀行券での準備だけとされているからである,と。〉 (431頁)
これはこのまま参考として紹介するだけにしておく。特に異論を挟むほどのものはないからである。】
以上で第29章該当部分の草稿のテキストの解読は終わりである。このあと大谷氏は〔補注〕を書いているが、それは【4】パラグラフ(われわれはそれを第28章該当部分に属するものとして【53-2】として考察)の〈この銀行業者経済学者は、かつて啓蒙経済学が、「貨幣」は資本ではないのだ、と念入りに教え込もうとしたのと同じ入念さで、じつは貨幣は「とりわけすぐれた意味での」資本〔das Capital.“κατ'εξoχην”〕なのだ、と教え込むことになっている〉という一文に出てくる〈“κατ'εξoχην”〉というギリシャ文字をマルクスはどのように使ったか、と問題提起して、草稿のなかの諸例を挙げておくというもので、特に検討するほどのものとは思えないので、その検討はやめておく。あとは全体の纏めを行うことにしよう。
(全体の纏めは次回に。)
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