『資本論』第5篇 第29章の草稿の段落ごとの解読(29-14)
第29章「銀行資本の構成部分」の草稿の段落ごとの解読(29-14)
(以下は、【34】パラグラフの解読の続きです。)
大谷氏は訳注245)で同じ引用が第25章該当部分の原注2)として引用されていることを指摘し、同訳注246)で、『通貨理論論評……』の原文を英文で紹介している。しかし大谷本第2巻の原注2)の注解では『通貨理論論評』の原文が邦訳されて紹介されているので、それを参考のために紹介しておこう(【 】で囲った部分はマルクスが省略している部分である)。
〈① 〔注解〕『通貨理論論評』の原文では次のように書かれている。「あなたが今日Aに預金する1000ポンド・スターリングが,明日は払い出されてBへの預金になるというのは,疑問の余地なく本当のことである。それはその翌日にはBから払い出されてCへの預金になるかもしれない。そしてCからふたたび払い出されてDへの預金になるかもしれない,等々,限りなく続くかもしれない。こうして,同じ1000ポンド・スターリングの貨幣が,相次ぐ移転によって,まったく確定できない何倍もの預金金額になることがありうる。それゆえに,連合王国にあるすべての預金の10分の9が,それらの預金のそれぞれに責任を負っている銀行業者たちの帳簿に記載されている預金の記録以外には存在しない,ということもありうるのである。【そして,そのようなことが生じうることの証拠としては,次の事実よりも強力な証拠はない。すなわち,】スコットランドの銀行では,通貨は平均して300万ポンド・スターリングを越えたことがないのに,預金は2700万ポンド・スターリングだった,という事実である。【……それにもかかわらず,いま想定してみたような不慮の事態--連合王国のすべての預金が同時に引き出されること,だからまたおよそ起こりえないこと--以外は,預金者のすべてがどんなときにも享受している連合王国の預金の額まで,貨幣を無条件に使えることにごくわずかの程度にさえ影響することはないであろう。そして,】この単純な理由で,一連の移転によって無限の金額の預金にまで自己自身を増やすことの例として挙げた同じ1000ポンド・スターリングが逆の道を通って送り返されていけば,同様に確定できない金額を同じように容易に決済することができるであろう。今日あなたがある小売商人にたいするあなたの債務を決済するのに用いられたその同じ100ポンド・スターリングが,明日は卸売商人にたいするこの小売商人の債務を決済し,その翌日には,銀行にたいするこの卸売商入の債務を決済する,等々,限りなく続くかもしれない。こうして,同じ100ポンド・スターリングが,人手から人手へと,銀行から銀行へと渡っていって,考えうるどんな預金額でも決済することができるのである。」〉 (大谷本第2巻187-188頁)
小林氏もこの部分を翻訳引用している。参考のために紹介しておこう。
〈そして「A.スミスが貸付について一般的に述べていることは,預金……についても妥当する9)」として,マルクスは同一貨幣片によるその何倍もの預金の形成と,その預金による債務決済についての,次の匿名の著書からの引用を掲げ,「銀行業者の資本」の主要部分を占めている預金の「架空な」実態を示そうとする。即ち,「あなたが今日A行に預金する1000ポンド[の銀行券]が,明日再発行され(reissued)[銀行券で引出され],そしてB行で預金を形成する*ということは疑いもなく真実である。その翌日にB行から再発行されて,それ(1000ポンドの銀行券)はC行で預金を形成するかもしれない,……等々無限に。貨幣での同じ1000ポンドが,一連の移転によって,このように絶対的に無限の預金額に自らを倍加しうること[も疑いもなく真実である。]それゆえ連合王国における全預金の10分の9が銀行業者達の帳簿におけるそれら記録--彼らはそれぞれそれら[帳簿上の記録]に責任をもたなければならないが--の他には存在しないかもしれないということは可能である。〈このような蓋然性についての次の事実以上により有力な証拠は加えられ得ないであろう,即ち〉平均的には3百万スターリングを決して越えることのない通貨をもってしても(with a currency,which…),スコットランドの銀行の預金は27(seven-and-twenty)百万スターリングと見積もられているという事実である。〈もしもグレート・ブリテンとアイルランドの全預金者が同時的な衝動に駆られ,彼らの預金の払戻を請求するために,一斉にそして同じ時に[銀行に]やって来たとすれば,請求は応じられえないであろう。… 〉/〈にもかかわらず,示唆されている全くの偶発事--連合王国における全預金の同時的引出し,そしてそれゆえ1つの不可能事--は,各預金者によって何時でも享受される,彼の預金額までの,貨幣の絶対的支配にはほんの少しも影響を及ぼさないであろうに。そして〉この単純な理由から,一連の移転によって自分自身を無限の預金額に倍化することの例として挙げられていた同じ1000ポンドが,もしその行程を送り返されるならば,同じ容易さで等しく無限な額を相殺する(cancel)であろうに。あなたがそれをもって今日1事業家(trades man)に対する負債を相殺する同じ100ポンドが,明日は商人(merchant)に対する彼の負債を相殺し,その翌日にはその商人が銀行に対するその商人の負債を相殺する,等々が無限に続く。そこで同じ100ポンドが手から手に,銀行から銀行へと渉ってゆき,そして考えられうるいかなる預金をも相殺する10)」,と。〉 (415-416頁)
なお注10)によれば〈引用文の括弧〈 〉の中は,マルクスが省略している箇所である。また引用文中の最後に挙げられている数字例について,マルクスは「同じ1000ポンド」としているが,「同じ100ポンド」の誤りである。なお文中の*印は,著者(小林)が付したものである。〉(417頁)ということである。
このように小林氏の引用ではマルクスの挿入文が省略されている。だからそれをそのあと次のように紹介している。
〈またマルクスは手稿の「Ⅱ)」で,『通貨理論評論』のこの同じ箇所を引用するにあたって,引用文中*印を付した箇所--「……B行で預金を形成する*……」--の後に,括弧〔 〕に入れて,次の解釈を挿入している。「このことは次の2つのケースでのみ可能である。[①]預金者が1000ポンドをB行に預金するために,A行からそれを引出すか。その場合1000ポンドによって1つの預金だけが想定されていれば,いまやA行に代ってB行に[預金するということになる。][②]あるいは,A行が例えば手形の割引,またはA行宛に振出された小切手等の支払に(単に1000ポンドの預金者[自身]によってというのではない),1000ポンド[の銀行券]を発行するか。そしてその場合には,受取人〔手形を割引く場合ならば,1つの購買によってかあるいは第3者への支払によって媒介される。なぜなら誰も受領した貨幣を預金するために割引くことはしないからである〕は,1000ポンドを再び別の銀行に預金する[ということになる]12)」,と。〉 (417頁)
マルクスの挿入文をただ紹介しているだけであるが、われわれは大谷氏の翻訳文を知っているから分かるが、それがないとなかなか分かりづらい文章である。これらはただ紹介するだけである。というのは小林氏自身もこれらについて自身の見解をほとんど述べていないからである。
このあと小林氏は〈手稿「Ⅲ):続き」後段での「架空性」論〉へと論を進めているが、これは大谷氏の著書では、〈第30-32章の草稿〉で問題になる部分であり、だからわれわれとしては、その検討が課題となるところで問題にしたいと思う。】
【35】
〈この信用システムでは,すべてが2倍にも3倍にもなって,たんなる幻想の産物に転化するのであるが,人々がやっとなにか確かなものをつかんだと思う「準備ファンド」についても同じことが言える。〉 (187頁)
これも短い文章であるが、平易な書き下し文を書いておく。
〈この信用が支配する社会では,すべてものが2倍にも3倍にもなって,たんなる幻想の産物に転化するのですが,人々がやっとなにか確かなものをつかんだと思う「準備ファンド」についても同じことが言えるのです。〉
【すでに銀行の準備ファンドの架空性については、【28】パラグラフで論じている。ここからはそれがイングランド銀行券(中央銀行)に集中されること、しかもそれも架空なものになっていることを指摘することが課題であるように思える。今回のパラグラフは、次の【36】パラグラフの前ぶりとも言える。しかしとりあえず、このパラグラフの内容を簡単に確認しておこう。ここではまず二つのことが指摘されている。
(1)一つは〈この信用システム〔Creditsystem〕では,すべてが2倍にも3倍にもなって,たんなる幻想の産物に転化する〉ということ。
(2)次に〈人々がやっとなにか確かなものをつかんだと思う「準備ファンド」についても同じことが言える〉ということ、つまりそれらもやはり〈幻想の産物に転化する〉ということである。
こうしたことを確認して、次のパラグラフに移ることにしよう。
ただその前に、この部分の小林氏の翻訳を紹介しておこう。氏は独特の解釈のもとに次のように紹介している。
〈ところで,「銀行業者の資本」の「架空性」の第③の点--即ち,「公衆」である預金者と預金の受手である市中銀行との関係でいわれていた,貨幣ないし資本の「請求権化」による「同じ資本の2倍化・3倍化」という「貨幣資本なるもの」の「架空化」--は,市中銀行と中央銀行との間についてもいえる,とマルクスは言う。それを彼は次のように表現する。「この信用制度(Creditsystem)の下では,すべてのもの[資本]が2倍化され,3倍化され,そして単なる幻影物(Hirngespinst)に転化するように,それはまた,人がやっと何か確かなものを掴んだと信じている『準備ファンド』にも,妥当する1)」と。〉 (420頁)
このように小林氏も今回のパラグラフからは中央銀行の準備ファンドの架空性についてマルクスは論じようとしていると捉えている。そしてそのあと小林氏は次の【36】パラグラフの内容を紹介しながら自身の主張を展開しているのであるが、それについては次のパラグラフの解読のなかで検討していくことにしよう。今回はただ氏のこのパラグラフの翻訳文を紹介するだけにする。】
【36】
〈モリス(253)イングランド銀行総裁)。--「254)私営銀行業者たちの準備は預金の形態でイングランド銀行の手のなかにあります。①256)流出の最初の作用はただイングランド銀行だけに及ぶように見えますが,しかしそれはまた,私営銀行業者たちの準備にも影響を及ぼすでしょう。というのは,それは,彼らがイングランド銀行のなかにもっている準備の一部分の引き出しなのだからです。②まったく同様に,それはすべての地方銀行の準備に影響するでしょう。」(『商業的窮境』,1847-48年。〔第3639号および第3642号。〕)だから,結局,現実の「準備ファンド」はイングランド銀行の「準備ファンド」に帰着するのである。261)しかし同行では,この準備ファンドがこれまた「二重化」される。銀行部の「準備ファンド」は,イコール,同行が発行の権限をもっている銀行券〔のうちの〕流通のなかにある銀行券を越える超過分,である。③銀行券の法定④最高限度は,イコール,⑤1400万〔ポンド・スターリング〕 (これには地金準備は不要であって,イコール,同行に対する国家の債務である)・プラス268)・同行の地金保有高である。だから,もしこの保有高がたとえばイコール1400ポンド・スターリングならば,同行は⑥2800万ポンド・スターリングの銀行券を発行するのであって,もしそのうち⑦2000万が流通しているなら,銀行部の準備ファンドはイコール⑧800万である。この⑨800万の銀行券は(法律上)同行が自由にできる銀行業資本〔d.banking Capital〕であり,また同時に同行の預金のための「準備ファンド」でもある。ところで,地金の流出が生じて,そのために金保有高がたとえば⑩600万だけ減少するとすれば(その代わりに同額の銀行券が廃棄されなければならない),銀行部の準備は⑪800万から200万に減少するであろう。⑫一方では,同行はその利子率を大幅に引き上げるであろう。他方では,同行に預金していた銀行業者{およびその他の預金者}は,同行にたいする彼ら自身の貸し勘定のための準備ファンドが非常に減少していることを知るであろう。1857年に4大株式銀行は,もしイングランド銀行が,⑬1844年の銀行法281)を停止する「政府書簡」をせびり取らないなら,自分たちの預金を引き上げる,と言っておどした。もしそれをやられたなら,銀行部は破産していたであろう。だから,⑭1847年のように,流通銀行券の兌換性の保証として地金部〔発券部〕には何百万〔ポンド・スターリングの地金〕がありながら(たとえば⑮1847年には800万〔ポンド・スターリングの地金〕があった),[529]銀行部が破産することがありうるのである。しかし284)このことも,これはまたこれで幻想的である。|⑯
①〔注解〕「流出の最初の作用はただイングランド銀行だけに及ぶように見えます」--『〔商業的窮境〕……第1報告』では,「流出の作用は,最初は,イングランド銀行への作用のよう見えます」,となっている。
②〔注解〕「まったく同様に,それはすべての地方銀行の準備に影響するでしょう」--『〔商業的窮境〕……第1報告』では,「金の流出は国中いたるところのすべての銀行業者の準備に影響するでしょう」,となっている。
③〔異文〕「同行は〔……〕〔発〕行する〔Die Bank giebt〕」という書きかけが消されている。
④〔異文〕「最高限度」← 「発[行高]」
⑤〔異文〕「1400」← 「1200」
⑥〔異文〕「2800」← 「2600」
⑦〔異文〕「2200」← 「2000」〔MEGAでは,異文目録にこのような異文を記載し,テキストでは「2200」としている。しかしここは,エンゲルス版でのように「2000」とあるべきところである。〕
⑧〔異文〕「800」← 「600」
⑨〔異文〕「800」← 「600」
⑩〔異文〕「600」← 「400」
⑪〔異文〕「800」← 「600」
⑫〔異文〕「一方では」という書きかけが消され,さらに「もちろん地金輸出者たちは白分の銀行業者のもとにある預金にあてて〔……〕振り出す」という書きかけが消されている。〔そのあとであらためて「一方では」と書いた。〕
⑬「注解〕「1844年の銀行法」--〔MEGA II/4 .2の〕473ページ32行への注解を見よ。〔ここで指示されている注解では,「この銀行法について,エンゲルスは次のように書いている」として,エンゲルス版「第34章 通貨原理と1844年のイギリスの銀行立法」のなかでエンゲルスがこの銀行法について書き込んだ部分を引用している。エンゲルスによるこの書き込みは,本書第2巻213-215ページの「補注 1844年の銀行立法についてのエンゲルスの解説」に収めてある。〕
⑭〔異文〕「1847年」← 「1848年」
⑮〔異文〕「1847年には」← 「当時は」
⑯〔異文〕マルクスはこの〔339〕ページの末尾にあとから「この点についての続きは,2ページあとの+以下のところを見よ。」という指示を記した。実際に340aページに+というしるしがあるので,そこの本文をここにもってきておく。〔草稿の340ページの次のページにはページづけがない。MEGAは[340a]というページ番号をつけている。〕
253)「イングランド銀行」--MEGAでは強調されていない。見落としであろう。
254)『商業的窮境』では次のとおり。--「第3639号。〔ウィルスン〕私が言っているのは1844年以前の時期のことです。私営銀行業者たちの準備はイングランド銀行が預金のかたちで保有していますね。〔モリス〕そうです。」
256)『商業的窮境』では次のとおり。--「第3642号。〔ウィルスン〕それでは,金流出が生じたなら,それがまず第1に作用するのは,もっぱら,イングランド銀行の準備にたいしてなのではありませんか。なぜなら,私営銀行業者の準備が引き出されれば,この業者はイングランド銀行に行って,イングランド銀行から自分の預金の一部分を引き出さなければならないからです。ですから,金輸出の全影響はまず第1にイングランド銀行への影響として現われるでしょう?〔モリス〕それはイングランド銀行への影響として現われるでしょう。しかしまたそれは,彼らがイングランド銀行にもっている準備の一部分の引き出しなのですから,銀行業者たちの準備にも作用することになるでしょう。〔プレスコト〕それはすべての地方の全銀行業者ならびにロンドンの銀行業者の準備に作用するでしょう。」
261)〔E〕エンゲルス版では,ここに,エンゲルスによるものであることを明記した次の脚注がつけられている。
「こういうことがその後さらに進んでいるということは,1892年12月15日付の『デイリ・ニューズ』紙所載の公報に見られる,1892年11月のロンドンの15大銀行の,次のような銀行準備勘定に示されている。
銀行名 負債 現金準備 百分比
シテイ £ 9317629 £ 746551 8.01
キャピタル・アンド・カウンティーズ 〃11392744 〃1307483 11.47
インペリア 〃 3987400 〃 447157 11.21
ロイズ 〃23800937 〃2966806 12.46
ロンドン・アンド・ウェストミンスター 〃24671559 〃3818885 15.50
ロンドン・アンド・サウス・ウェスタン 〃 5570268 〃 812353 13.58
ロンドン・ジョイント・ストック 〃12127993 〃1288977 10.62
ロンドン・アンド・ミッドランド 〃 8814499 〃1127280 12.79
ロンドン・アンド・カウンティ 〃37111035 〃3600374 9.70
ナショナル 〃11163829 〃1426225 12.77
ナショナル・プロヴィンシアル 〃41907384 〃4614780 11.01
パーズ・アンド・ジ・アライアンス 〃12794489 〃1532707 11.93
プレスコット・アンド・カンパニー 〃 4041058 〃 538517 13.07
ユニオン・オブ・ロンドン 〃15502618 〃2300084 14.84
ウィリアムズ・ディーコン・アンド・マンチェスター 〃10452381 〃1317628 12.60
---------------------------------------
計 £232655823 £27845807 11.97
この約2800万の準備のうち,どんなに少なく見積もっても,2500万はイングランド銀行に預金されており,せいぜい300万が現金で15の銀行自身の金庫のなかにある。ところが,イングランド銀行の銀行部の現金準備は,同じ1892年11月には1600万に達したことは一度もなかったのである!--F.エンゲルス」
上の表の数字は1894年版でのものである。MEW版では,「百分比」の数字のうちインペリアルのそれが「ll.22」に,ロンドン・アンド・サウス・ウェスタンのそれが「14.58」に,パーズ・アンド・ジ・アライアンスのそれが「11.98」に,それぞれ修正されている。これは,出所である1892年12月15日付の『デイリ・ニューズ』紙所載の公報によって訂正した数字であった。
268)草稿では,ここに,不要の「銀行券=」という記載がある。
281)〔E〕エンゲルス版では,ここに,エンゲルスによるものであることを明記しないで,彼による次の脚注がつけられている(1894年のエンゲルス版では,エンゲルスによるものであることがわかるようになっていなかった)。--「1844年の銀行法の停止は,イングランド銀行が自己の手中にある金蓄蔵貨幣による保証を顧慮しないで任意の額の銀行券を発行することを許すものである。つまり任意の額の紙製の架空貨幣資本を創造し,これで諸銀行や手形ブローカーに前貸をし,またこれらの手を経て商業に前貸をすることを許すのである。」なお,現行版では,{ }で囲むことによって挿入であることが示されているが,末尾にエンゲルスのイニシアルはつけられていない。
284)「このこと〔dieß〕」--これは,発券部にある地金が流通銀行券の兌換性の保証となっている,ということであろう。〉 (187-192頁)
このパラグラフは前半は議会証言からなっているが、途中からマルクスの文章が最後まで続いているので、議会証言の部分はそのままにして、マルクスの文章を平易に書き下してみよう。
〈モリス(イングランド銀行総裁)。--「私営銀行業者たちの準備は預金の形態でイングランド銀行の手のなかにあります。流出の最初の作用はただイングランド銀行だけに及ぶように見えますが,しかしそれはまた,私営銀行業者たちの準備にも影響を及ぼすでしょう。というのは,それは,彼らがイングランド銀行のなかにもっている準備の一部分の引き出しなのだからです。まったく同様に,それはすべての地方銀行の準備に影響するでしょう。」(『商業的窮境』,1847-48年。〔第3639号および第3642号。〕)
だから,私営銀行業者たちの準備はイングランド銀行の手のなかにあるわけだから,結局は,すべての現実の「準備ファンド」はイングランド銀行の「準備ファンド」に帰着するということです。
しかしイングランド銀行では,この準備ファンドがこれまた「二重化」されます。すなわち一つは銀行部の準備ファンドとして、もう一つは発券部の準備ファンド(地金)としてです。
まず銀行部の「準備ファンド」は,同行が発行の権限をもっている銀行券のうちの流通のなかにある銀行券を越える超過分になります。
例えば銀行券の法定発行限度額は,1400万ポンド・スターリング(これには地金準備は不要であって,国債を担保にしたものです。すなわち同行に対する国家の債務です)に同行の地金保有高がプラスされたものです。だから,もしこの地金保有高がたとえば1400万ポンド・スターリングならば,同行は2800万ポンド・スターリングの銀行券を発行することになるのです。そして,もしそのうち2000万が流通しているのでしたら,銀行部の準備ファンドは800万ということになります。この800万の銀行券は(法律上)同行が自由にできる銀行業資本〔d.banking Capital〕というわけです。それは同時に同行の預金のための「準備ファンド」でもあります。
ところで,地金の流出が生じて,そのために発券部の地金保有高がたとえば600万だけ減少するとしますと、その分だけ同行の銀行券が廃棄されなければなりません。そうすると流通している銀行券の2000万に変化がないとすれば、銀行部の準備は800万から200万に減少するでしょう。だから同行は、一方では,貸出利率を大幅に引き上げることになります。他方では,同行に預金していた銀行業者{およびその他の預金者}は,同行にたいする彼ら自身の貸し勘定のための準備ファンドが非常に減少していることを知ることになります。
1857年の恐慌時に4大株式銀行は,もしイングランド銀行が,1844年の銀行法を停止する「政府書簡」を政府に要求しなければ,自分たちの預金を引き上げる,と言っておどかしました。しかしもしそれをやられたなら,銀行部は破産していたでしょう。だから,1847年のように(この恐慌時にも「政府書簡」が出されるという予告があっただけで、信用が回復して切り抜けられたのですが),流通銀行券の兌換性の保証として発券部には800万ポンド・スターリングの地金がありながら,銀行部が破産寸前まで行くことがありうるのです。だからイングランド銀行の準備ファンドも、やはり幻想的なものなのです。〉
【ここでは、マルクスは準備ファンドが幻想の産物に転化することについて、次の二つのことを指摘しているように思える。
(1)一つは私営銀行業者たちの準備ファンドはイングランド銀行の手にあるのであって、だから私営銀行業者の手にはないということである。この限りで私営銀行業者たちの帳簿に記されている準備ファンドはもはや幻想化しているといえる。
われわれはすでに第28章該当部分の草稿のなかで、マルクスが次のよう論じていたことを確認している。
〈{なお,私はすでに以前に,国際的な支払のための準備ファンドとして集中されている蓄蔵貨幣の運動は,それ自体としては,流通手段としての貨幣の運動とは少しも関係がないということを述べておいた。〔}〕もっとも,次のことによって紛糾の種がはいりこんでくる。すなわち,この準備ファンドが同時に銀行券の兌換性と預金とにたいする保証として役立つということによって,すなわち,私が貨幣の本性から展開した蓄蔵貨幣のさまざまな機能,つまり支払手段(国内におけるそれ,満期になった支払)のための準備ファンドとしての,通貨〔currency〕の準備ファンドとしての,最後に世界貨幣の準備ファンドとしての,蓄蔵貨幣の機能が,ただ一つの準備ファンドに負わされる{それゆえにまた,事情によっては国内への流出が国外への流出と結びつくことがありうるということにもなる}ということによってであり,さらにそのうえに,蓄蔵貨幣がこれらの質のどれかにおける準備ファンドとして果たさなければならない諸機能の本性からはけっして〔出てこない〕機能である,信用システムや信用貨幣が発達しているところで兌換の保証ファンドとして役立つという機能が付け加えられるということによってであり、そしてこの二つのこととともに,1) 一つの主要銀行への一国の準備ファンドの集中,2) できるかぎりの最低限度へのこの準備ファンドの縮小〔が生じること〕によってである。〉 (大谷本第3巻129-131頁)
つまりここでマルクスが指摘しているように〈1) 一つの主要銀行への一国の準備ファンドの集中〉とともに〈2) できるかぎりの最低限度へのこの準備ファンドの縮小〉が生じるのであり、その限りでは地方の私営銀行業者たちの準備ファンドは、彼らがバラバラにそれを持っていたものと比べると、イングランド銀行に集中されたものは極めて小さくなっているのであり、その限りでは当初の準備ファンド全体(つまり私営銀行業者たちのそれぞれの帳簿上で準備ファンドとなっている部分)そのものは幻想化していると言えるであろう。
(2) 次に私営銀行業者たちの準備ファンドを集中し、代表しているイングランド銀行の準備ファンドそのものが今度は二重化することが指摘されている。
1844年のピール銀行条例によってイングランド銀行は、発券部と銀行部という二つの部局に分割された。それによってイングランド銀行の準備ファンドも二重化することになったのである。
一つは発券部の準備ファンドである。これは同行の保有する地金であり、これがそもそも一国のすなわちイングランドの現実的な準備ファンドなのである。もちろん部分的には銀行部にも若干の金・銀鋳貨の準備があるし、地方の私営銀行業者たちもそれぞれ多少の鋳貨を準備し、私人が所蔵する蓄蔵貨幣もあるが、しかし一国の現実の準備ファンドとしては、中央銀行の金庫中に眠る地金によって形成されているのである。この地金は国際的な諸支払いの準備であり、同時に同行の発行する銀行券の兌換保証でもある。上記のマルクスの一文で〈信用システムや信用貨幣が発達しているところで兌換の保証ファンドとして役立つという機能が付け加えられる〉と述べているが、これが発券部の準備ファンドの機能の一つである。
発券部は条例によって、流通に必要な最低限として1400万ポンドの銀行券を無準備で(国債などを担保に)発行することができる(だからこの部分は同行に対する国家の債務であるとマルクスは指摘している)。そしてそれにプラスして、その時の地金準備高に等しい銀行券の追加発行が可能であるとしている。しかしそもそも銀行券というのは銀行の信用だけにもとづいて発行される支払い約束証書(つまり手形)である。だからここで担保としての国債や地金というものは、ただ信用の限度を表すものでしかないわけである。
マルクスはもし地金が1400万ポンドであるとしたら、発券部は2800万ポンドの銀行券を発行することになり、そのうち実際に流通しているものを2000万ポンドと想定するなら、残りの800万ポンドが銀行部の準備ファンドになると述べている。
つまりこれがイングランド銀行のもう一つの部局である銀行部の準備ファンドなのである。
ただイングランド銀行の準備ファンドが、このように発券部と銀行部の二つの準備ファンドになったということそのものが、すでに一つの〈幻想の産物〉になったことを意味している。なぜなら、現実の準備ファンドとしては発券部の地金としてしか存在していないのに、発行された銀行券の一部が銀行部の準備ファンドになっているからである。だから全体としてはイングランド銀行の準備ファンドはその時点ですでに一部は幻想的なものになったといえるであろう。
さらに上記のマルクスの例で考えてみると、社会の準備ファンドを集中しているイングランド銀行の準備ファンド全体は帳簿上合計1400万ポンドの地金+800万ボンドの銀行券=2200万ポンドとなる。それに対して実際に流通している銀行券は2000万ポンドである。
ところが、発券部の地金の一部が国外に流出してその地金保有高が1400万から600万減少して800万になり、発券部の銀行券の発行限度額もその分だけ減って、2800万から2200万になる。だからもし流通している銀行券2000万に変化がないとすれば、銀行部の準備ファンドは200万になり、極めて少なくなってしまう。この時点でのイングランド銀行の準備ファンド全体は、発券部の準備800万+銀行部の準備200万=1000万である。確かに現実の準備ファンドは1400万から800万に減少したが、しかしこの限りではイングランド銀行の準備ファンドは、まだまだ十分だといえる。
しかしマルクスが準備ファンドの諸機能として述べている上記の説明のなかで、〈支払手段(国内におけるそれ,満期になった支払)のための準備ファンド〉と〈通貨〔currency〕の準備ファンド〉、そして〈預金にたいする保証として役立つ〉ものは、銀行部の準備ファンドの役割なのである。それ以外の銀行券の〈兌換の保証ファンド〉と〈世界貨幣の準備ファンド〉は、発券部の準備ファンドが担うことになる。つまりこのようにイングランド銀行の準備ファンドが二重化することによって、本来準備ファンドが果たさねばならない機能も二重化し、分裂することになるのである。
そしてマルクスが〈蓄蔵貨幣の機能が,ただ一つの準備ファンドに負わされる{それゆえにまた,事情によっては国内への流出が国外への流出と結びつくことがありうるということにもなる}ということによってであり,蓄蔵貨幣がこれらの質のどれかにおける準備ファンドとして果たさなければならない諸機能の本性からはけっして〔出てこない〕機能である,信用システムや信用貨幣が発達しているところで兌換の保証ファンドとして役立つという機能が付け加えられるということによってであり、そしてこの二つのこととともに,1) 一つの主要銀行への一国の準備ファンドの集中,2) できるかぎりの最低限度へのこの準備ファンドの縮小〔が生じること〕によってである〉と指摘していることがまさに生じていることが分かる。
すなわち発券部の地金流出という〈国外への流出〉が国内の準備ファンドを減らすことに結びつき、預金の準備ファンド(これは銀行部の準備ファンドが担う)の減少という事態をもたらし、深刻な信用不安を生じさせることになるのである。
イングランド銀行としての準備ファンドはいまだ1000万ポンド(地金800万+銀行券200万)と十分にあるにも関わらず、しかし信用システムの中軸としての役割を果たす準備ファンドはたった200万ポンドでしかなくなる、という事態を生じさせている。その意味ではイングランド銀行の準備ファンドもこの限りでは幻想的なものになっているといえるであろう。
大谷氏は〈しかし284)このことも,これはまたこれで幻想的である。〉という最後の一文の〈このこと〉に訳者注284)を付け、次のように述べている。
〈284)「このこと〔dieß〕」--これは,発券部にある地金が流通銀行券の兌換性の保証となっている,ということであろう。〉 (191頁)
この是非を考えるために、その前のマルクスの記述を見てみることにしよう。
〈1857年に4大株式銀行は,もしイングランド銀行が,1844年の銀行法を停止する「政府書簡」をせびり取らないなら,自分たちの預金を引き上げる,と言っておどした。もしそれをやられたなら,銀行部は破産していたであろう。だから,1847年のように,流通銀行券の兌換性の保証として地金部〔発券部〕には何百万〔ポンド・スターリングの地金〕がありながら(たとえば1847年には800万〔ポンド・スターリングの地金〕があった),銀行部が破産することがありうるのである。しかし284)このことも,これはまたこれで幻想的である。〉
もし大谷氏の指摘するように〈このこと〉が〈発券部にある地金が流通銀行券の免換性の保証となっている,ということ〉であるなら、〈しかし〉ではなく「だから」となるべきではないだろうか。そもそもここでマルクスが問題にしているのは、私営銀行業者たちの帳簿上の準備ファンドが中央銀行に集中されることによって幻想的なものになることと、その集中されたイングランド銀行の準備ファンドも帳簿上では幻想的なものになることを指摘することではないだろうか。イングランド銀行の準備ファンドは、1844年の銀行条例以降によって二重化する。現実の準備ファンドは、発券部にある地金である。しかし帳簿上では、その準備ファンドは、銀行部の準備ファンドも含めたものになるわけである。しかも預金の準備保証になるのは、銀行部の準備ファンドであり、それが地金流出によって減少して信用不安を引き起こすのである。だから私はここでマルクスが〈このこと〉と書いているのは、それまでの叙述を受けたものと考えて、〈だからイングランド銀行の準備ファンドも、やはり幻想的なものなのです〉と平易な書き下し文では書いたのである。
また大谷氏は大谷本第2巻の〈8 「架空資本」の意味〉において、このパラグラフについて次のように解説している。
〈一つは,私営銀行の準備ファンドは中央銀行への預金となっているが,中央銀行ではこれまた無準備の債務となっていること,一つには,1844年の銀行法によるイングランド銀行の二部門分割によって「準備ファンド」がこれはまたこれで「二重化」されるが,「これはまたこれで幻想的である」(MEGA II/42,S.528-529;本書第3巻189-191ページ)ということ,この二つの架空性が示されている。〉 (大谷本第2巻71-72頁)
私営銀行の準備ファンドが中央銀行に預金されるが、その預金そのものは中央銀行で〈無準備の債務となっていること〉に大谷氏は準備ファンドの架空性を見ているのであるが、果たして私営銀行の中央銀行への預金が無準備になっているといえるのかどうかである。それが言えるためには、中央銀行に集中された準備ファンドが必要最小限に縮小されることが言われる必要があるのではないか。
またここではイングランド銀行の準備ファンドが二部門分割によって「二重化」されることそのものが、〈「これはまたこれで幻想的である」〉とマルクスの一文を引いて説明されているが、これはこの限りでは極めて大雑把といわざるを得ない。
(【36】パラグラフの途中ですが、長くなるので切ります。続きは次回に。)
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