『資本論』第5篇 第28章の草稿の段落ごとの解読(28-5)
『資本論』第5篇 第28章の草稿の段落ごとの解読(28-5)
【9】
〈bについて。貨幣が流通しているかぎりでは,購買手段としてであろうと支払手段としてであろうと--また,二つの部面のどちらでであろうと,またその機能が収入の,それとも資本の金化ないし銀化であるのかにまったくかかわりなく--,貨幣の流通する総量の量については,①以前に単純な商品流通を考察したときに展開した諸法則があてはまる。流通速度,つまりある一定の期間に同じ貨幣片が購買手段および支払手段として行なう同じ諸機能の反復の回数,同時に行なわれる売買,支払の総量,流通する商品の価格総額,最後に同じ時に決済されるべき支払差額,これらのものが,どちらの場合にも,流通する貨幣の総量,通貨〔currency〕の総量を規定している。このような機能をする貨幣がそれの支払者または受領者にとって資本を表わしているか収入を表わしているかは,ここでは事柄をまったく変えない。流通する貨幣の総量は②購買手段および支払手段としての貨幣の機能によって規定されて〔いる〕のである。
①〔注解〕「以前に」--カール・マルクス『経済学批判。第1分冊』,ベルリン,1859年,81-85ページ, 124-125ページ,127-128ページ (MEGA II/2,S.170-174,206/207 und 209)。
②〔異文〕「購買」← 「貨幣」〉 (105-106頁)
ここでは冒頭に〈bについて〉とあるように、【4】パラグラフの〈[/(3)]〉で示された三つのことの二つ目、すなわち〈b)この二つの異なった機能における流通する貨幣の量に関する問題の混入によって〉生じる〈混乱〉の検討に当てられている。ここで二つの異なった機能とは、収入の実現という機能と資本の移転という機能である。この二つの異なった機能で流通する貨幣の量に関する問題での銀行学派の混乱した主張が検討されると思われる。しかしここでは銀行学派の混乱の内容にはほとんど触れていない。とりあえず、書き下し文を以前のものを再掲しておくことにする。
〈次はb)についてです。貨幣が流通している限りでは、購買手段としてであろうと支払手段としてであろうと、あるいは二つの部面、すなわち商人と消費者との間であろうと、商人と商人との間であろうと、さらにはその機能が収入の支出を担うか、あるいは資本の補塡、つまり商品資本を貨幣資本に転換すること、要するに商品を売って金や銀の金属貨幣に変えることであろうと、そうしたより進んだ貨幣のさまざまな諸機能や諸規定が加わろうとも、もし貨幣の流通する総量を問題にするのでしたら、それは以前に単純な商品流通を考察した時に展開した諸法則が当てはまるのです。
それは次のようなものでした。流通速度(つまりそれはある一定の期間に同じ貨幣片が購買手段および支払手段として行う同じ諸機能の反復の回数のことです)、同時に行われる売買、支払の総量、流通する商品の価格総額、そして最後に同じ時に決済されるべき支払の差額、これらのものが、単純な商品流通の場合はもちろん、資本の流通においても、どちらの場合にも、流通する貨幣の総量、つまり通貨の総量を規定しているのです。
だから、このような機能をする貨幣がそれの支払者または受領者にとって資本を表しているか収入を表しているかは、ここでは事柄をまったく変えないのです。流通する貨幣の総量は購買手段および支払手段という単純な商品流通における貨幣の機能によって規定されているのです。〉
【このようにここでは、貨幣の流通量については、それが商人と消費者との間の流通であろうが、商人と商人のあいだ(資本家間)の流通であろうが、あるいはそれが支払う者やそれを受け取る者にとって、収入を現しているか、それとも資本を表しているか、といったこともまったく関係なく、とにかく貨幣が流通するなら、その流通量については、『資本論』の第1部第1篇第3章(ただしマルクスがこれを書いていた時には『経済学批判』しか刊行されていなかったのだが)で明らかにした貨幣の流通量の法則が当てはまるのだという原則が述べられているだけである。
つまり貨幣の流通量は、流通する商品の価格総額、流通速度、諸支払の価格総額、相殺額、等々によって規定されるわけである。すでに述べたように、マルクスがこの草稿を書いていたときには『経済学批判』しか刊行されていなかったので、MEGAの注解では同書の三つの参照箇所が紹介されている。しかし最初のものはかなり長いもので、ここで紹介するのは無理である。ここでは三つ目についてだけ紹介しておくことにする。
〈単純な貨幣通流の考察から生じた、流通する貨幣量についての法則は、支払手段の通流によって本質的に修正される。流通手段としてにせよ、支払手段としてにせよ、貨幣の通流速度が与えられていれば、ある与えられた期間内に流通する貨幣の総額は、実現されるべき商品価格の総額プラスその同じ期間中に満期となる諸支払いの総額マイナス相殺によって相互に消去しあう諸支払いの総額によって規定されている。流通する貨幣の量は商品価格によって決まるという一般的法則は、これによってすこしも動かされない。なぜなら、諸支払いの額自体は、契約上決められた価格によって規定されているからである。だが通流の速度と支払いの節約とが同じままであると前提しても、一定の期間、たとえば1日のうちに流通する商品総量の価格総額と、同じ日に流通する貨幣の量とが、けっして一致しないことは、まったく明らかである。というのは、その価格が将来はじめて貨幣で実現される多数の商品が流通しているし、それに対応する商品がずっと以前に流通から脱落してしまっている多数の貨幣が流通しているからである。この後者の数量自体は、契約されたのはまったく違った時期でも同じ日に満期となる諸支払いの価値総額の大きさによって決まるであろう。〉 (草稿集③374頁)
大谷氏は「貨幣の機能Ⅰ」(『経済志林』第61巻第4号、1994年、227頁)で上記の内容を次のように図示しているので参考のために紹介しておこう。
ところで以前の解読では、この〈b)〉では肝心の銀行学派の混乱について何も触れていないのであるが、それについて次のような推測を述べたのであった。
《このようにここでは、マルクスは銀行学派の「混乱」した主張がどういうものかについては、ほとんど紹介していない。ただこの一文から想像できるのは、銀行学派は貨幣の総量をそれが収入を実現するか、資本の移転を担うかというより進んだ規定にとらわれて、それを間違って計算しているということだけである。それがどのように間違っているのかについては何も述べていない。それにこのb)はa)やc)比べて不釣り合いに思えるほど簡単である。
これはどうしてなのであろうか? もちろん、それはこれがノートだからではあるのだが、実は、この銀行学派の貨幣の流通量の混乱した主張の批判は、マルクスはすでに第2巻でやっているのである。マルクスがこの第3部の第1草稿のこの部分を書いている時には、すでに第2部の第1草稿が書かれていたと想像される(マルクスは第3部第1草稿を書いたとき、第2部より第3部を先に書きはじめており、途中から第2部に移り、再び第3部を書くという複雑な書き方をしているのであるが、大谷氏は第3部の第4章[篇]の手前で第2部第1草稿の執筆に移ったと推測している)。
またこの問題を、マルクスは1861~3年の草稿でも取り上げており、マルクスにとってはすでに解決済みの問題であったことはいうまでもない。だから恐らくマルクスにとってはすでに何度も取り上げた問題でもあり、ノートということもあって、それを再び詳しく繰り返す愚を避けたのであろう。
では、それはどういう誤りだったのか、簡単に紹介しておこう。
マルクスは第2巻の第17章「剰余価値の流通」のところ(われわれは第2部の第1草稿ではなく、現行版を参考にする)で、トゥックら銀行学派が、彼らの論敵(通貨学派)から問いかけられながら答えていない問題、すなわち「如何にして資本家は、流通に投げ入れるよりも多くの貨幣をたえず流通から引き上げうるのか」という問題を取り上げている。結局、その回答は例え剰余価値分が含まれその分だけ価値が増大した商品資本を流通に投げ入れたとしても、貨幣流通の分量については単純な商品流通の法則が支配するのであって、その商品が資本制的に生産されたかどうかは、流通に必要な貨幣額の分量を絶対に変化させないのだ。だから問題そのものが最初から存在しない、と答えている。もしどうしても商品流通に必要な貨幣量を問うなら、それは一国の商品流通に必要な貨幣はどこから来るかという一般問題になるのだ、とも。
またマルクスは第2巻の第20章「単純再生産」においても、次のように述べている。
〈われわれが見たように、アダム・スミスでは、社会的総生産物価値が収入 v+m に分解し、したがって、不変資本価値はゼロとみなされる。そこで、必然的に、年間収入の流通のために必要な貨幣は、年間総生産物の流通のためにも十分だということになり、したがって、われわれの場合に、3000という価値のある消費手段の流通のために必要な貨幣が、9000 という価値のある年間総生産物の流通のためにも十分だということになる。これが実際にA・スミスの見解なのであって、それがまたT・トゥックによって繰り返されるのである。収入の換金のために必要な貨幣量と社会的総生産物を流通させる貨幣量との関係についてのこのまちがった見解は、年間総生産物全体のいろいろな素材的要素と価値的要素とが再生産され年々補塡される仕方が理解されないで無理解に考えられたことの必然的な結果である。だからそれはすでに反駁されているのである。〉 (全集第24巻586頁)
そしてマルクスはスミスとトゥックの著書から彼らの誤った主張を引用しているが、その紹介は割愛する(もし興味があれば、各自、第2巻全集版586-7頁を見てもらいたい)。ようするに、それはどういうことかというと、スミスは例のマルクスが名付けた「v+mのドグマ」から、不変資本の流通を見ずに、社会の総生産物の流通を、収入の流通に解消する、つまり社会の総生産物の流通に必要な貨幣量を収入の流通に必要な貨幣量とするのだが、それをトゥックは資本の流通では信用が媒介されて、実際上は貨幣は流通しない、だから結局は商人と商人との取引の総額(実際に貨幣が譲渡される額)は、商人と消費者間の取引総額によって決定され限定されると主張して、スミスの主張を引き継ぐのである。つまりこの場合も、彼らはこういう現実の流通の素材的な面だけに注目して、スミスの誤りを繰り返すのだ。(なお大月書店刊『資本の流通過程』[『資本論』第2部第1草稿]222-3頁、同書店刊『資本論草稿集』8)「経済学批判(1961-1863年草稿)V」313-318頁も参照)》
このように、以前の解読では参照箇所を示すだけで紹介を省略している。そこで今回は、その省略した部分を追加的に紹介しておくことにする。まず『資本論』第2巻のスミスとトゥックの一文を紹介している部分である。
〈スミスとトゥック自身の言うところを聞いてみよう。
スミスは第2篇第2章〔岩波文庫版、(2)、320-321ページ〕で次のように述べている。
「各国の流通は二つの部分に分けられる。すなわち、商人どうしのあいだの流通と、商人と消費者とのあいだの流通とである。紙幣であろうと金属であろうと同じ個々の貨幣があるときは一方の、またあるときは他方の流通に使用されることがあるにしても、両方の流通は絶えず同時に相並んで行なわれるのであり、したがって、両方の流通のそれぞれが進行を続けるためには、どの種類かの貨幣の一定量が必要である。いろいろな商人のあいだで流通する商品の価値は、けっして商人と消費者とのあいだで流通する商品の価値を越えることはできない。なぜならば、商人がなにを買うにしても、結局それは消費者に売られなければならないからである。商人間の流通は卸し売りだから、一般に一つ一つ取引ごとにかなり大きい額が必要である。ところが、商人と消費者とのあいだの流通はたいてい小売りであって、ごくわずかな額の貨幣しか必要でないことも多い。1シリング貨でも、半ペニー貨でさえも、用が足りることもある。ところが、小さい額は大きい額よりもずっと速く流通する。……それだから、消費者全体の年間購買量は価値においては商人全体のそれと少なくとも」{この「少なくとも」はおもしろい}「等しいのであるが、しかも前者は通例ずっと少ない貨幣量でかたづけられるのである」云々。
アダムのこの箇所についてT・トゥックは次のように言っている。(『通貨原理の研究』、ロンドン、1844年、34-36ページの所々。〔世界古典交庫版、77-79ページ。〕)
「ここでなされたこの区別が事実上正しいということには、疑問の余地はない。…… 商人と消費者とのあいだの交換には、消費者の主要な収入(the principal means) をなしている労賃の支払も含まれる。……商人と商人とのあいだのすべての取引、すなわち生産者や輸入業者から製造工業などの中間過程のあらゆる段階を経て小売商人や輸出商人に至るまでのすべての販売は、資本移転の運動に分解できるものである。しかし、資本移転は、大多数の取引では、移転のさいの銀行券や鋳貨の現実の譲渡--これは実質的な譲渡であって擬制的な譲渡ではない--を必ずしも前提しないし、また実際にもそれを伴ってはいない。……商人と商人とのあいだの取引の総額は、結局は、商人と消費者とのあいだの取引の額によって決定され限定されるよりほかはないのである。」
もし最後の一句だけが単独に述べられているならば、トゥックは、ただ、商人間の取引と商人対消費者の取引とのあいだには、つまり年間総収入の価値とそれを生産する資本の価値とのあいだには、ある割合があるということを確認しているだけだ、とも考えられるであろう。ところが、じつはそうではない。彼はアダム・スミスの見解をはっきりと承認している。だから、彼の流通理論の特別な批判は余計である。〉 (全集第24巻586-587頁)
次は大月書店刊『資本の流通過程』[『資本論』第2部第1草稿]からであるが、少し前の方から紹介しておこう。
〈消費者として--すなわち、収入の支出者として--みるならば、AおよびBの資本家および労働者の全体が、Bの不変資本部分のうちのどの部分にも支払わないし、どの部分をも買わない。それゆえA・スミスが、消費者は、結局は、生産に年々前貸しされる資本と彼らによって年々生産される商品資本との全部の価値を支払うのであり、彼らの貨幣流通は貨幣流通全体を補塡する、言いかえれば、商品資本全体(すなわち、前貸しされた生産資本に等しい部分を含む商品資本) にその貨幣形態を与え、回復させる、と言っているのは、途方もない誤りである*。彼の誤解は、資本と収入との関係の誤った理解から、また、われわれが述べてきたような再生産過程での商品資本全体の現実的素材変換の誤った分析から生じている。のちにみるように、その他のもろもろの途方もない誤りがこの点に結びついているのである。(第3部第6章を見よ。)その後の全経済学は、流通についてのスミスのこの誤りやそのほかのもろもろの誤った前提(たとえば、一商品の価格の全分析の諸前提)をおうむのように口まねし、また現実的分析をするかわりに、一方の人々にとっての収入は他方の人々にとっては資本である、等々といったきまり文句で心を静めるのであるが、こうしたことで満足してきたそのおきまりの無思想ぶりは、このいわゆる科学なるものの無批判的な怠惰を証明している。
*「一国の流通は、二つの異なった部門に分かれているものと考えることができる。すなわち、商人(dealers)のあいだでだけ行なわれる流通」(ガルニエの説明では、スミスがここでdealersと言っているのは、商人ばかりでなく、製造業者等々の、一言でいえば、一国の商業および工業のすべての当事者のことである) 「と、商人と消費者とのあいだで行なわれる流通とである。紙幣であれ金属貨幣であれ、同じ貨幣片が、流通のこの二つの部門のうち、あるときはその一方で用いられ、あるときは他方で用いられうるとはいえ、この二つの部門はつねに同時に進んでいるのだから、両部門のそれぞれを進めるためには、それぞれの部門が、どちらかの種類の貨幣の一定の貯えを必要とする。さまざまな商人のあいだで流通する商品の価値は、商人と消費者のあいだで流通する商品の価値をけっして越えることができない。というのは、商人が買うものすべてが、結局は、消費者に売られることになっているのだからである。」(〔アダム.スミス『諸国民の富の性質と諸原因とに関する研究』、ジェルマン・ガルニエの注・所見つき新仏訳本、パリ、1802年、〕第2巻第2篇第2章、292、293ページ〔邦訳、『--』、大内兵衛・松川七郎訳、岩波文庫、(2)、320-321ページ〕。)
商人と消費者とのあいだの取引は、商人と商人とのあいだの取引と等しくなければならず、つまるところ後者の取引をすっかり清算しなければならない、というA・スミスの命題(消費者とは、スミス自身が商入とみなしている産業的消費者ではなくて、個人的消費者のことでなければならない) は、根本的に誤っている。この命題は、全生産物は収入に分解するという彼の誤った命題にもとづいており、それが実際に意味するのは、商品交換のうち資本と収入とのあいだの交換の部分が商品の総交換に等しい、ということにほかならない。この命題が誤っているのと同様に、トゥックが行なったこの命題の貨幣流通への応用もまた誤っている。〉 (221-223頁)
次は『61-63草稿』からである。
〈したがって、A・スミスが次のように言っているのもまちがっている。その前になお次のことを述べておかなければならない。すなわち、スミスが商人〔dealer〕と言っているのは生産過程と流通過程とに関与するすべての資本家のことであり、消費者〔consumers〕と言っているのは、労働者と資本家、地主などと彼らの召使たち--彼らが収入を消費するかぎりでの--とのことだ、ということである。
彼はこう述べている。
「すべての国の流通は二つの違った部門に分かれているものと考えることができる--商人たち〔dealers〕相互の流通と、商人と消費者とのあいだの流通とがそれである。紙幣であろうと金属貨幣であろうと、同一の貨幣片があるときには一方の流通に使用され、あるときには他方のそれに使用される、のであるが、しかもこの両方の流通は絶えず同時に進行しているのであるから、それぞれ、その流通が行なわれるためには、どちらかの種類の貨幣の一定の種類が必要である。さまざまな商人のあいだを流通する財貨の価値は、商人と消費者とのあいだを流通する財貨の価値をけっして越えることはありえない。というのは、商人の買うものがどのようなものであろうと、それは究極的には消費者に売られるものだからである。」(『諸国民の富』、マカァロク版、141ページ〔岩波文庫版、大内・松川訳、320-321ページ〕。)これは、スミスの、賃金と利潤と地代とによる商品価値のまちがった分析に対応している。この点に関しては以前に述べたことを見よ。また、このまちがった見解は、それ自身また次のことに基づいている。すなわち、資本主義的生産様式では、蓄積された資本は--不変資本も--もともとは剰余労働から生じるのであり、言い換えれば、利潤が資本に転化させられるのだ、ということがそれである。だが、このことからの結果として、ひとたび資本に転化された利潤が「利潤」から成っているということにはけっしてならない。さまざまな商人のあいだを流通する財貨の価値は、商人と消費者とのあいだを流通する財貨の価値よりもつねに大きい。なぜならば、前者の流通は不変資本のうちのいろいろな現物成分の交換を含み、この交換は、資本のうち消費者がけっしてその代価を支払わない価値部分を補塡するからである。運動がかいっしょに並んで進行し--変態や再生産の継続的なそれぞれの契機が--いっしょに並んで進行するものとして同時に現われる--ということのために、スミスは運動そのものの観察を妨げられたのである。もしそうでなかったら、彼は、自然価格のまちがった分析から得た自分の命題が資本の貨幣流通によって裏書きされるのではなく反駁されていることに気づいていたであろう。「商人〔dealer〕」と「消費者〔consumer〕」という言い方も妨げになっている。というのは、商人--生産資本家--は、前述の交換では、たとえ個人的消費者ではなく産業的消費者であっても、最終の「消費者」として同時に現われるからである。〉 (草稿集⑧313-315頁)
〈トゥックは、彼の貨幣理論の根本原則の一つにしているA・スミスの前記の文章について次のように述べている。
「商人と商人とのあいだのすべての取引というのは生産者または輸入業者から製造業その他の中間過程のあらゆる段階を経て小売商人または輸出商人に至るすべての売買と解されるべきであって、このような商人と商人とのあいだのすべての取引は資本の運動または移転に帰着する。ところで、資本の移転は、大多数の取引にあっては、移転のさいに、貨幣すなわち銀行券や鋳貨の授受--私は具体的に考えているのであって想像によって考えているのではない--を必ずしも想定していないし、また実際のところ現実にそれを必要とするものでもない。資本の運動はすべて、鋳貨または銀行券--すなわち一方の手で発行されて他方の手で受けもどされる、あるいはもっと適切に言えば、帳簿の一方の側に記帳されると問時に他方の側に反対記帳される想像上の銀行券ではなくて、現実の、目に見え手に触れることのできる銀行券--による現実の支払の介在なしに、銀行業務と信用との操作によっておそらく実現されるであろうし、また大多数はこのようにして実現されるのである。そしてさらに重要な考慮すべき事柄としては、商人と商人のあいだの取引の総額は、終極的には商人と消費者とのあいだの取引の額によって決定され、制限されるにちがいない、ということがある。」〈Th・トゥック『通貨原理の研究』、ロンドン、1844年、35、36ページ〔日本評論社、世界古典文庫版、玉野井芳郎訳『--』、78、79ページ〕。)
結びの文章でトゥックが実務家としての彼に独自な生硬さでA・スミスの命題を繰り返しているのは、彼がスミスには理論的に歯がたたないからである。「商人と商人とのあいだの取引」の「総額」は「終極的には」商人と消費者とのあいだの取引の額によって決定されるにちがいないということは、全然疑問の余地のないことであるが、取るに足りないことである。一般に生産に使用される全部類の資本は、「終極」的には、生産者が売ることのできる生産物の量によって左右され、それゆえ、その量によって決定される。なぜならば、彼は、ただ自分の売る生産物からのみ自分の利潤をあげるのだからである。だが、このことをA・スミスは論じなかったし、トゥックはA・スミスの命題を繰り返しているつもりなのである。彼〔スミス〕はこう語っていた、すなわち、「商人と商人とのあいだを流通する財貨の価値」は「商人と消費者とのあいだを流通する財貨の価値」に等しい、と。トゥックは、前述の著書では、もっぱら通貨原理との論争に夢中になっている。商人と商人とのあいだの流通は「資本の運動または移転」に帰着するという言い方は{ここで彼が関心をもっているのは、彼の反対者たちとは反対に、ただ、再生産過程における諸資本の流通から発生する相互の債務がどのように決済されるかという問題、つまり、理論的にはまったく副次的な問題にすぎない。}、考察方法全体の生硬さを示している。「資本の運動」。まさにこの運動を規定し分析することこそが肝要だったのである。〔彼の考察方法の〕基礎にあるものは、資本の運動を彼が流通部面のなかで考えており、そのために彼がここで資本と言っているのはつねに貨幣〔資本〕または商品資本のことだ、ということである。「資本の移転」は、これも運動ではあるが、資本の運動とは非常に違っている。資本の移転というのは、実際にはただ商業資本と関係があるだけであって、実際には、資本が種々な局面を経てある買い手の手から他の買い手の手に渡るということ、すなわち実際はただ資本自身の流通運動にすぎないということ、のほかにはなにも意味しない。しかし、資本の「運動」というのは、再生産過程の質的に違った諸局面である。資本の「移転」は、可変資本が労賃として労働者の手に移りそれが「通貨」に転化させられる場合にも、生じる。話の仔細は、要するに、資本そのものの運動では--商品としての資本と消費者との最終的な交換よりも前には--貨幣はただ支払手段としてのみ流通し、それゆえ一部はただ計算貨幣としてのみ機能し、一部は、もしなんらかの差額があれば、ただ差額としてのみ機能する、というだけのことである。このことからトゥックは、このような貨幣の二つの機能の相違が「資本」と「通貨」との相違なのだと推論するのである。そもそも彼は最初に、貨幣や商品を、資本の存在様式としての貨幣や商品と、つまり貨幣〔資本〕や商品資本と混同しており、そして第二に、彼は、資本が流通するさいの一定の貨幣形態を、「資本」と「鋳貨〔Münze〕」との相違として考察しているのである。〉 (草稿集⑧315-317頁)
〈トゥックの次の文章はよい。
「銀行業者の業務は、要求払の約束手形の発行を別にすれば、商人と商人とのあいだの取引と、商人と消費者とのあいだの取引というスミス博士の指摘した区別に対応する二つの部門に分けることができよう。この銀行業者の業務のうちの一部門は、資本を直接に使用しない人々から集めて、それを使用する人々に分配または移転することである。他の部門は、その得意先の所得から預金を受け入れて、彼らが消費対象への支出として必要とするだけの額を彼らに払い出すことである。前者は帳場のうしろの業務とみなすことができるであろうし、後者は帳場の前の業務ないし帳場での業務とみなすことができるであろう。というのは、前者は資本の流通であり、後者は通貨の流通だからである。」(通貨の流通と言うのは貨幣資本の第一の流通のことである。これは本来の流通ではなく、移転である。現実の流通はつねに資本の再生産過程の客観的な一契機を含んでいる。移転は、商業資本の場合にそうであるように、一方の人と他方の人との位置を取り替える。しかし、資本はまだ以前と同じ局面にある。それはいつでも貨幣の--または所有名義の--(あるいはまた商品の)一方から他方への移行であって、この貨幣が変態を経てきたということではない。そのほかになお、こうしたことは銀行業者の仲介によって行なわれる貨幣資本の貸付などによる移転についてもあてはまる。同様に、この移転は、資本家が彼の現金化した剰余価値を一部は利子生活者に、一部は地主に分配する場合にもあてはまる。この最後の場合は収入の分配であり、前述の場合は資本の分配である。ただ商業資本の一方の種類の商人から他方の種類のそれへの移転だけが、商品資本そのものを貨幣への転化に近づけるのである。) 「銀行業のうち一方では資本の集中と関係をもち、他方ではその分配と関係をもつその部門を、その地方の地域的な諸目的のための流通を管理するのに使用されるその部門から理論上区別したり分離したりすることは、非常に重要である……。」〈同前、36、37ページ〔玉野井訳、79ページ〕。)〉 (草稿集⑧318頁)
ところで大谷氏はマルクスがここで〈このような機能をする貨幣がそれの支払者または受領者にとって資本を表わしているか収入を表わしているかは,ここでは事柄をまったく変えない。流通する貨幣の総量は購買手段および支払手段としての貨幣の機能によって規定されて〔いる〕のである〉と述べていることについて、次のように論じている。
〈見過ごしてならないのは,マルクスがここで,「貨幣が資本を表わしているか収入を表わしているか」にまったくかかわりなく,と言っていることである.この問題を考えるときには,「支払者」であるか「受領者」にとってであるかにはかかわりのない,社会的再生産のなかでの貨幣の規定性だけが意味をもつのである。〉 (大谷第3巻29頁)
このように大谷氏はあいかわらず〈社会的再生産のなかでの貨幣の規定性だけが意味をもつ〉などと述べている。しかしここで重要なのはマルクスは〈「貨幣の流通する総量については,以前に単純な商品流通を考察したときに展開した諸法則があてはまる」〉と述べていることなのである。つまりそれは単純流通という流通のより抽象的な契機における問題なのだということである。そもそも通貨と資本との区別というのは、通貨は単純流通という抽象的な規定性の問題であるのに対して、資本というのはより具体的な形態規定性の問題だということの違いである。銀行学派たちはこうした貨幣の抽象的規定性についてまったく正しく捉えることができていないとマルクスは指摘しているのである。だからここでマルクスが収入を表すか資本を表すかということで問うているのは、より具体的な形態規定性においてそれがどのようなものであろうと、その抽象的な規定性には何の影響も与えないのだということなのである。こうした肝心要のところを大谷氏は理解されていないのである。
さらに大谷氏はこの第2の問題と関連させて、〈この注意が重要な意味をもっているのは,第28章部分のこのさきの考察では,繁栄期と反転期のそれぞれにおける流通貨幣量を規定する諸要因--とりわけ購買手段として必要な貨幣量と支払手段として要求される貨幣量--の明確な把握が要求されることになるのだからである。〉(同29頁)と述べているのもまったく勘違いもはなはだしい。恐らく大谷氏はマルクスがb)の冒頭〈この二つの異なった機能における流通する貨幣の量に関する問題の混入によって〉と書いている〈この二つの機能〉を購買手段と支払手段の二つの機能のことと考えたのであろう。しかしそれだとマルクスがb)の解説の最後に〈流通する貨幣の総量は購買手段および支払手段としての貨幣の機能によって規定されているのである〉と述べている意味が分からなくなる。大谷氏は購買手段として機能する貨幣の量と支払手段として機能する貨幣の量が繁栄期と反転期とで異なることを持ち出しているが、そんなことをマルクスはここではまったく問題にせず、流通する貨幣の総量というのは購買手段や支払手段という貨幣の抽象的な機能の中で明らかにされた諸法則が当てはまるのであって、それが収入を表すか資本を表すかなどというより具体的規定性によって左右されるようなものではないのだ、と述べているのである。大谷氏がどれほどとんちんかんな理解しか持っていないかが分かるであろう。】
【10】
〈cについて。二つの流通部面には内的な関連がある(というのは,一方では支出されうる収入の総量が消費の総量を表現しており,商業および生産で流通する資本総量の規模が事業一般の景況,再生産過程の規模と速度とを表現しているからである)にもかかわらず,同じ事情が,二つの機能で,または二つの部面で流通する貨幣総量の量に,またはイギリス人が通貨〔currency〕を銀行用語化して言うところによれば,Circulationの量に,違った作用をするのであり,また反対の方向にさえも作用する。そしてこのことが,トゥックによるCirculationと資本とのばかげた区別に新たなきっかけを与えているのである。(①通貨説〔currency theory〕の奴らが二つのまったく別の事柄を混同しているという事情は,これらの事柄を概念の区別として示すのに足りるだけの十分な理由ではけっしてない。)
①〔注解〕「通貨説」(「通貨原理」) は,1825年の恐慌で始まった,必然的に周期的に反復される恐慌循環にたいするブルジョア経済学の一つの反応であった。「通貨説」の代表者たちは,リカードウの貨幣数量説を直接に引き継ぎ,これを一種の貨幣的景気理論に仕立てあげた。彼らは,ある大きさの基本額を除いて銀行券の発行を,イングランド銀行の貨幣金属準備の額に,したがって本位金属の国際的流出入に結合することを要求したのであって,この要求は,1844年のイギリスの銀行立法で実際に押し通された。このようにすることでそれぞれの銀行券がその額面の言い表しているのと同量の貨幣金属をつねに代表しているということが達成されるのだ,と主張されただけではなかった。実際に銀行券流通は,リカードウが採用した純粋金属流通の諸法則に従わせられたのである。リカードウは,本位金属の輸出入を,貨幣価値と物価とをつねに繰り返して急速にそれらの正常な水準に引き戻す経済的過程だとみなしていた。循環的発展と結びついた物価の騰落は,通貨理論の代表者たちにとっては,恐慌を引き起こす決定的原因そのものであって,彼らは自分たちの貨幣・金融政策を恐慌回避のための有効な手段として採用するよう勧めたのである。「通貨説」の代表者たちは,銀行券の信用貨幣としての性格を否定し,そのことによって,銀行券の発行によって条件づけられた還流を--それが過剰な銀行券発行を妨げ,高い程度で銀行券の価値の安定性を保証するものであるのに--否定した。「通貨説」の実践的適用は,銀行券流通の人為的な制限をもたらし,恐慌を激化させるように作用した。
「通貨説」は,貨幣を窮屈にして金利を高くするという政策によって産業資本家の負担で高い利潤を達成しようとした保守的な貨幣資本家の利益に相応しいものであった。〉 (106-107頁)
ここから【4】パラグラフの〈[/(3)]〉で示された三つの項目の最後のもの、すなわち〈c)二つの機能で流通する,したがってまた再生産過程の二つの部面で流通する通貨(Currencies)の分量の相互間の相対的な割合に関する問題〉から生じる〈混乱〉の検討に当てられている。まずわれわれは、平易な書き下し文を前回解読した時のものを再掲しておくことにする。
〈次は最後のc)です。アダム・スミスが指摘し、銀行学派がそれを受け継いでこだわっている二つの流通部面、すなわち商人と消費者との間の流通と、商人と商人との間の流通、あるいは彼らの言う「収入の実現」と「資本の移転」という二つの流通部面のことですが、この二つの間には内的な関連があるのは当然です。一方では支出されうる収入の総量が消費の総量を表しており、他方の商業や生産部面で流通する資本総量の規模が事業一般の景況、再生産過程の規模と速度とを表現しているからです。消費が活発になるのはやはり景気のよい時で、それが落ち込むのは不景気の時だというのは誰でもわかる道理でしょう。
しかし両部門で流通する貨幣の総量が同じような動き方をするかというと必ずしもそうではありません。同じ事情(例えば好景気や不況という事情)が、二つの部面で、あるいは二つの機能で流通する貨幣総量に、違った作用をするのです。それはイギリス人が通貨(カレンシー)を銀行用語化して言うところの、いわゆる「通貨」(サーキュレイション)の量に、違った作用をするのであり、むしろ反対の方向にさえも作用するのです。
そしてこのことが、トゥックによる「通貨」と「資本」とのばかげた区別に新たなきっかけを与えているのです。
(通貨説の奴ら--通貨学派--は、金貨幣と銀行券というある意味では二つのまったく別の事柄--なぜなら一方は単純な商品流通における貨幣なのに対して、他方は発達した資本主義を前提とする信用制度のもとで流通する本来の信用貨幣であり、それは手形流通に立脚しているのですから--を混同しているのですが、しかしそれを批判する彼ら--銀行学派--自身も、これらの事柄を正しく概念的に区別しうるかというと、まったくそうではないのです。だから彼らが通貨説の奴らの間違いを批判したからといって、それだけで彼らが正しい回答を引き出せると思ったら大間違いなのです。)〉
【前回解読した時にも指摘したが、この「c) は「a)」や「b)」と較べて不釣り合いなほど長い。なぜなら、それはほぼこのあと最後までカバーするのではないかと考えられるからである。その理由について考えたものを、以前書いたので、それをもう一度紹介しておこう。
《このc)については、最初の二つに比較して、不釣り合いとも思えるほどに長い検討が加えられている(c)の分析は結局、第28章の最後まで続いていると考えることもできる)。これはどうしてであろうか?
それはこの第28章が貨幣資本(moneyed capital)論の本論の最初に置かれていると最初に指摘したが、それと関連があると想像できる。というのはこれまでの銀行学派の混乱は確かに収入や資本というより進んだ具体的な規定と貨幣の抽象的な規定や機能との混同によって生じるものであったが、今度は本論で問題にする「利子生み資本」、すなわち貨幣資本(moneyed capital)の具体的な諸形態や運動に直接関わる銀行学派の混乱だといえるからである。だからマルクスはこのc)の分析に不釣り合いと思えるほど多くの分析を費やしているのだと考えられる。》
ここでは銀行学派たちが区別する二つの流通部面は、互いに内的に関連しているのであるが、しかしそれらの二つの流通部面で流通する通貨の相対的な量については、景気の状況によって違った運動をする。そして、それがトゥックなどの銀行学派たちの通貨と資本との馬鹿げた区別に新たなきっかけを与えることになっているのだと指摘している。しかし実際の彼らの混同の具体的な内容についてはまったく触れていない。そしてこのあともマルクスは繁栄期と逼迫期とに分けて、二つの流通部面で流通する通貨の量にそれらがどのように作用するのかを考察しているが、その間も、やはり銀行学派の主張については具体的にはまったく論じていない。その検討を開始するのは、われわれのパラグラフ番号では【18】から逼迫期において、流通Ⅰでは通貨の総量は減少するが、流通IIではそれは増加するということが、フラートンらが言い立てている命題とどこまで一致するかどうかを詳しく研究しなければならないとするところからである。だからフラートンらの主張の批判的検討は、何か「c)」と違った問題の検討であるかに論じている人も多いが、しかしフラートン批判もやはり「c)」の混同の範囲内の問題であることは明らかなのである。
ところで〈通貨説〔currency theory〕の奴ら〉にはMEGAの注解①が付いているが、その内容はやや分かりにくい。そこで前回の解読のときは別途補足説明をしたのであるが、それをもう一度紹介しておこう。また追加補足としてマルクスからエンゲルスへの書簡も紹介したのであるが、それもやはり再掲しておくことにする。
《まず通貨説(通貨原理)、あるいは通貨学派とは、1825年の恐慌をきっかけに、周期的に起こる恐慌を如何に防ぐか、防げなくてもその影響を如何にやわらげるかというブルジョア経済学としての一つの対応であった。彼らは〈リカードウの貨幣数量説を直接に引き継ぎ、これを一種の貨幣的景気理論に仕立て上げた〉とあるが、これはどういうことであろうか?
リカードは貨幣数量説的立場に立って国際的な貨幣自動調整論を主張した。彼は一国にある金をすべて流通手段と考え、そして金貨幣をあたかも紙幣と同じように、その流通量によって価値が決まると考えたのである。一国の金が増加してその流通必要量を超えれば、金の価値は減り(だから物価は上昇し)、金の量が減少して必要量を下回れば、価値は増える(物価は下落する)というのである。そしてリカードはもしイギリスの金が流出するということは他の国の金が増えることだが、イギリスから金が流出してその量が減少すると金の価値は高くなり(物価は低くなる)、外国では逆に安くなる(物価は高くなる)、だから金は安い外国から高いイギリスに輸入されてくる(商品は逆に安いイギリスから盛んに輸出され、高い外国商品は輸入しにくくなる)。反対にイギリスの金がその流通適正量よりも多くなると金の価値は安くなり(だから諸物価は上る)、今度は金は流出する(外国商品の輸入が増える)。こうして金は、その量が流通適正量よりもより多いか少ないかによって価値を増減させ、国際的な金の流出入によって国内での流通に必要な適当な量に調節される作用をもっていると考えたのである。(リカードの貨幣数量説については『経済学批判』も参照〔全集13巻147頁以下〕)
通貨学派はこのリカードの貨幣理論を信奉し、これを金鋳貨と紙券(彼らは不換紙幣も兌換銀行券も区別せずに、この言葉で呼ぶと銀行学派は批判している)とが混合して流通する場合にも通用するようにしなければならないと信念する。つまり金の調節機能を働かせるために、紙券の量を金の量にリンクさせ制限すべきだというのが通貨学派の主張なのである。だから彼らは金の輸出入に応じて銀行券の発行も調節する必要があると主張した。そうでないと銀行券だけが増えて、通貨総量とその一部を占めるに過ぎなくなった金の量との関連がなくなれば、金のそうした国際的な調節機能が働かなくなると考えたのである。そして過剰に増発された銀行券が通貨の極端な減価をもたらし、金の流出と、恐慌を誘発したり激化させることになると考えたのである。だから銀行券の発行をイングランド銀行にある準備金の量に応じて調節せよというのが彼らの主張であり、それが具体的な政策となったのがピール銀行条例なのである(ピール条例やそれ以後のイングランド銀行についてまた説明する機会があるだろう)。
〔注解〕で以下説明していることはほぼ上記の内容である。彼らは銀行券が信用貨幣であり、国家紙幣とは異なることをが分からず、兌換銀行券も不換紙幣もいっしょくたに「紙券」と呼んで、銀行券が過剰発行されることが問題だと主張し、それが通貨の極端な減価をもたらし恐慌を激発させると主張したのである。
だからマルクスが言っている「2つのまったく別の事柄」というのは、本来の信用貨幣としての銀行券の流通と金属貨幣の流通という「まったく別の二つの事柄」を同じものとして見たということであろう。
《追加補足》【マルクスは1851年2月3日付けエンゲルスへの手紙で、このリカードの学説とロイド(オーバーストーン)などの通貨学派の通貨理論について次のように説明している。(マルクスの強調箇所の傍点は下線に変えてある)
〈リカードをはじめロイド氏やその他もろもろの連中の理論とは次のようなものだ。
この国に純粋金属流通が行なわれていると仮定しよう。もしそれがこの国で過剰になれば、物価は上昇し、したがって商品輸出は減少するだろう。外国からこの国への商品輸入は増加するだろう。こうして輸入は輸出を超過するだろう。つまり貿易収支は逆になる。為替相場も逆。正貨は輸出され、通貨は収縮し、商品価格は下落し、輸入は減少し、輸出は増加し、貨幣は再び流入し、要するに事態はもとどおりの均衡に復するだろう。
必要な変更を加えれば、逆の場合も同様だろう。
このことからの教訓。紙幣は金属通貨の運動に倣わなければならないのだから、つまり、他の場合には自然的な法則であるものに代わって紙幣の場合には人為的な調節が行なわれなければならないのだから、イングランド銀行は、地金が流入するときには発券高をふやさなければならない(たとえば国債や大蔵省証券などの買い入れによって)、地金が減少するときには手形割引の縮小や政府証券の売却によって発券高を減らさなければならない。そこで、僕が言いたいのは、イングランド銀行はこれとは反対に行動しなければならないということ、すなわち、地金が減少するときには手形割引をふやし、地金が増加するときには手形割引を普通の調子でやっていかなければならないということだ。そうしないと、近づきつつある商業恐慌を不必要に激しくすることになる。だが、これについてはまた別の機会に。
ここで僕が論じたいのは、問題の根本に関することだ。つまり、僕は次のように言いたいのだ。純粋な金属流通の場合にも、その数量やその膨張収縮は、貴金属の流出入や貿易収皮の順逆や為替相場の順逆とはなんの関係もない。といっても、実際にはけっして現われないが理論的には規定できる極端な場合は別としてのことであるが。トゥックも同じことを主張しているが、彼の1843~1847年についての『物価史』のなかには証明は見つからなかった。
ごらんのとおり問題は重要だ。第一には、全通貨理論がその根底において否定される。第二には、信用制度が恐慌の一条件だとはいえ、恐慌の経過が通貨と関係をもつのは、ただ、1847年のように通貨調節への国家権力の気違いじみた干渉が当面の恐慌を激化させることがありうるというかぎりでのことだ。〉 (国民文庫『資本論書簡』(1)83-85頁、全集第27巻154頁)》
以上、やや長すぎたが、このパラグラフについてはこれぐらいにしておく。】
(以下、続く)