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2020年9月

2020年9月30日 (水)

『資本論』第5篇 第26章の草稿の段落ごとの解読(26-1)

『資本論』第5篇 第26章の草稿の段落ごとの解読

 

  § はじめに

  今回からエンゲルス版の第26章相当部分の草稿の解読を行うが、本文の段落ごとの解読にとりかかる前に論じておくべきことがある。一つはエンゲルスのこの第26章につけた表題についてである。もう一つは、この第26章で主要な問題となっている〈ノーマンおよびオウヴァストンの無概念的混乱の批判〉がどこから始まっているのかという問題についてである。後者についてはすでに前回一度取り上げ、小林賢齋氏の説を紹介したが、大谷氏自身が小林氏の説に対して、自身の考えを述べているので、それを紹介し、若干重複するが、もう一度、論じることにしたい。

  (1)まず表題の問題について

  これについては大谷氏は新本第2巻の〈第2篇 信用制度概説〉の〈第5章 「信用と架空資本」(エンゲルス版第25章)と「貨幣資本の蓄積。それが利子率に及ぼす影響」(エンゲルス版第26章)の冒頭部分とに使われたマルクス草稿について〉の〈7 現行版第26章の表題と性格〉において論じている。

  エンゲルスが第26章の表題とした「貨幣資本の蓄積。それが利子率に及ぼす影響」という一文は、エンゲルスがこの章としてまとめたノート321-325bページの冒頭、つまり321ページにマルクス自身の手で、そのように書かれているからであるが、マルクス自身はそのあとに抜粋する内容の概略を示すものとして書きつけただけで、エンゲルスが利用している頁数全体の表題というような性格のものではなかった、というのが大谷氏の説明である。そして実際にも第26章全体で論じられている問題はその表題に一致しないとも大谷氏は指摘している。大谷氏はエンゲルスが第26章の表題に使ったものについて次のように述べている。

  〈私のみるところでは--この321ページと322ページの最初の1行は,318ページから続いているいわば雑録の部分の一部をなすものであって,さきの表題は,そのなかで『通貨理論論評』とハバドとからの引用の部分につけられた小見出しにすぎないからである。マルクスは,抜き書きをするさい,しばしばその直前に抜き書きをするさいの視点ないし主題を記している。そしてそのような語句ないし文にはたいてい下線をつけている。さきの「moneyed Capitalの蓄積とそれが利子率に及ぼす影響」もそうしたものの一つなのである。〉(60頁)  

  そして大谷氏はエンゲルスが第26章として利用している草稿の主要な部分をなしているノーマンとオウヴァストンからの抜粋部分について、次のように指摘している。

  〈マルクスはここで,ノーマン,そしてとくに通貨学派の代表者たるオウヴァストンの謬論,愚論を抜き書きしながら,そこに見られる,moneyed Capita1と実物資本(real capital)との意識的・無意識的な混同,資本と貨幣との混同,流通手段と支払手段との混同ないし無区別,そしてこれらのことから生じる,恐慌や銀行法や銀行経営のあり方についての愚論、さらにこれらの謬論がそれにもとづいている銀行業者的立場,これらのことを根本的に突いているのである。その内容を短縮して表現するとすれば,他の諸章の表題となじむかどうかは別として,「通貨学派の「論理」とその混乱」ということにでもなるのではないかと考えられる。〉 (61頁)

  そして大谷氏はエンゲルスが第26章に使った草稿の特徴から次のように結論している。

  〈この部分は,下半に注の部分を用意しながら上半に本文として書かれた,というものではないということ,つまり,のちの利用のためにつくられた材料だということである。たしかにこの部分は,のちの,引用が大部分で系統的な叙述になっていない「混乱」の部分や360-364,369-371ページでの『議会報告』からの抜き書きの部分--これらは本書第4巻で取り扱う--とは異なり,引用を含みながらもマルクス自身の一貫した叙述が行なわれている。しかし,320-321ページ--後述のように,318-319ページでは,下半部に317-318ページの本論「〔信用制度〕」への注が書かれているので,雑録はその上半部にある--でページの全面を埋めて書かれた雑録からとくに区切られることなく325bページまで同じようにして書き続けられたこの部分は,このあとふたたび上半部のみに本文が書かれている第27章相当部分とは,やはり区別して取り扱われるべきであろう。〉 (61-62頁)

  そして大谷氏はエンゲルス版の第25章と同第27章との繋がりについて次のように述べている。

  〈もしこのように見ることが許されるとすれば,第5章の「5)」のはじめのほうでこの章の本文として書かれているのは,317-318ページのいわば「総論」にあたる部分に続いては,第27章相当部分だということになる。エンゲルス版について大まかに言えば,第25章の本文部分末尾の,

  「特殊的信用諸機関〔マルクスでは用具〕ならびに銀行そのもの〔マルクスでは「そのもの」はなし〕の特殊的諸形態は,われわれの目的のためにはこれ以上考察する必要はない」(MEGA Ⅱ/15,S.395;MEW25,S.417),

というところに,「第27章 資本主義的生産における信用の役割」の部分が続く,ということである。草稿から読み取ることができるこのようなつながりは,第5篇の各章の内的関連についての従来のさまざまの議論にも新たな視点を与えるものだと考えられるが,ここではそのことの指摘にとどめる。〉 (62頁)

  そして最後に、エンゲルスが第26章に使った草稿は全体としては雑録とした部分であり、そこに「挿論」が含んでいると次のように述べている。

  〈ともあれ,以上のような把握にもとづいて,さきの一覧表のなかで322-325bページの内容を,「(挿論)通貨学派の「論理」とその混乱」とし,321ページは現行第26章の一部を成しているにもかかわらず「雑録」に属するものとしたのである。〉 (63頁)

  ここで321ページというのは、前回取り上げた《第5篇第25章および第26章の冒頭部分の草稿の段落ごとの解読》のわれわれのパラグラフ番号では【53】にあたる部分で、〈moneyed Capitalの蓄積とそれが利子率に及ぼす影響。〉というマルクスの表題のもとに『通貨理論論評』から抜粋されていたもの(これが〈|321|(1)〉、つまり草稿の321ページの第1パラグラフになる)から、最後の【64】パラグラフの〈通貨Circulation〕,貨幣,資本〉という表題のもとに『エコノミスト』から抜粋されていたもの(これが〈/321/(9)〉、つまり草稿の321ページの第9パラグラフになる)の部分を指している。この部分はエンゲルスがその冒頭にマルクスが書いている〈moneyed Capitalの蓄積とそれが利子率に及ぼす影響〉という表題を、そのままそれ以降のすべての表題と考えて、「第26章 貨幣資本の蓄積 それが利子率に及ぼす影響」を作成したわけである。

  このように大谷氏はエンゲルスが、マルクスが本論とは区別してノートとして書いたものから、第25章の後半部分や、第26章のすべてを、ある意味ではでっち上げて一つの章としたことを指摘し、だから本文としては第25章の前半部分に、直接第27章が繋がっているのだと指摘しているわけである。

  しかし、これに対して、小林賢齋氏は前掲『マルクス「信用論」の解明』の第6章第6節の注22)で次のように大谷氏を名指しせずに、異論を唱えている。

  〈22) このようにマルクスは,「銀行法特別委員会(1857年)」での質疑・応答を検討して行く際に,貨幣の量と利子率(貨幣貸付資本の量・その増減)の問題をも,あるいはオーヴァーストーンとの関係で,あるいはまたチャップマンとの関係で検討し,「補遺」・「混乱」そして「混乱:続き」部分で,重要なコメントを付しながらフォローしていたと見ることが出来る。エンゲルスはそれに気づいて,マルクスが手稿執筆の際には未だ「本論」としては執筆していなかったこれらの部分までを,現行版のように,第Ⅲ部第5篇の一部として第26,33,34,35章等を編集したのであろう。ただし,注意深く削除と加筆を行ないながら。したがって当時マルクスが「本論」として展開していなかった部分を現行版のように第5篇に組み入れたこと自体ではなく,その理論的な視角こそが問われねばならないのであろう。〉 (258頁)

  つまり確かにマルクスは〈手稿執筆の際には未だ「本論」としては執筆していなかった〉が、しかし恐らく本論を書くために〈「銀行法特別委員会(1857年)」での質疑・応答を検討して行く際に,貨幣の量と利子率(貨幣貸付資本の量・その増減)の問題をも,あるいはオーヴァーストーンとの関係で,あるいはまたチャップマンとの関係で検討し,「補遺」・「混乱」そして「混乱:続き」部分で,重要なコメントを付しながらフォローしていた〉のだから、それをエンゲルスが〈第Ⅲ部第5篇の一部として第26,33,34,35章等を編集した〉ことそのものは非難されるべきほどのものではなくて、むしろエンゲルス自身の無理解や一面的な理解にもとづいて〈注意深く削除と加筆を行ないながら〉やったことこそが問われるべきなのだ。だから問題にすべきは〈当時マルクスが「本論」として展開していなかった部分を現行版のように第5篇に組み入れたこと目体ではなく,その理論的な視角こそが問われねばならない〉というのである。

  これなどは明らかに大谷氏を名指しこそはしていないものの大谷氏の主張に真っ向から異論を唱えていると言えるであろう。ただここではこうした意見もあるのだと紹介するだけで、どちらが正当かなどということを言う必要はないであろうと考える。

  (2) 次は「ノーマンおよびオウヴァストン批判」はどこから始まっているのかという問題である。これについては、大谷氏は第2巻の〈第6章 「貨幣資本の蓄積。それが利子率に及ぼす影響」(エンゲルス版第26章)に使われたマルクス草稿について〉において関連して、次のように述べている。

  〈なお,小林賢齊氏は,草稿のこの第26章部分を,本書前章の草稿訳文では最末尾のパラグラフ(われわれのパラグラフ番号では【64】--引用者)での『エコノミスト』からの二つの引用につけられたものとしている小見出し「通貨Circulatlon〕,貨幣,資本」を,この二つの引用だけにかかわるものではなくて,これらの引用と以下の第26章部分とを合わせたものへの見出しと見なされて,二つの引用からなるこのパラグラフと第26章部分との全体を「通貨,貨幣,資本」として扱っておられる1)。筆者は,「通貨,貨幣,資本」という小見出しをつけてここに二つの引用を書いたことがきっかけとなってマルクスがそれのあとに続くノーマンおよびオウヴァストンへの批判を書き始めた可能性があることは否定しないが,マルクスがこの小見出しのもとで以下の草稿6ページにわたる記述を行なったと見るのはいかにも無理があると考える。〉 (218頁)

  このように大谷氏は小林氏の説に賛同しないのであるが、しかしすでに述べたが、私はむしろ小林氏の着眼は正鵠を射ているような気がするのである。この【64】パラグラの私の解読をもう一度、以下、紹介しておこう。

 【この抜き書きは〈『エコノミスト』,1845年度〉からなされた二つの抜粋からなっている。それぞれに番号を付す。マルクスによって〈通貨Circulation〕,貨幣,資本〉という表題が付けられている。

  (ⅰ) これは明らかにマルクスが「通貨」と「貨幣」と「資本」とのそれぞれの概念の区別に注目して抜粋したものであり、極めて重要である(しかし訳者注194)によればエンゲルスはこのパラグラフ全体を削除しているのだという)。〈鋳貨または貨幣のうちで,公衆の手のなかにあって,商品の交換を成し遂げることに充用されている部分だけが通貨Circulation〕の名に値いする〉というのは特に重要である。ここで〈鋳貨または貨幣〉と述べているものは、マルクスが〈貨幣〉と述べているもので、これは抽象的な貨幣の規定性にもとづいたものである。そして〈公衆の手のなかにあって,商品の交換を成し遂げることに充用されている部分だけが通貨Circulation〕の名に値いする〉と述べているのは、「通貨」を極めて厳密に規定したものとして注目に値するわけである。つまり貨幣の流通手段と支払手段とを併せた機能をもつもの(広い意味での流通手段)こそが「通貨」と呼ばれるべきものだとしているのである。
  そしてそれに対して〈銀行業者または商人の手のなかに眠っていて,有利な投資の機会を求めているすべての鋳貨または地金資本である〉というのは、これは利子生み資本(moneyed capital)を事実上言い表しているという点でも、マルクスは注目しているといえる。つまり同じ鋳貨や地金でも公衆のなかにあって、商品流通を媒介しているものだけが「通貨」といいうるのであって、それが預金されて銀行にあって、有利な投資先の機会を求めているようなものは、「通貨」ではなく、利子生み資本という意味での貨幣資本(moneyed capital)なのだ、ということである。これを見ても、マルクスが大谷氏が主張するようように「預金通貨」なる概念を肯定的に扱っているなどということは決して言えないことが分かるのである。
  ただここで注意が必要なのは、『エコノミスト』の発行者であるウィルソン自身は貨幣を素材的にしか考えておらず、銀行業者や商人の手のなかで眠っているようなものは、すでに鋳貨ではないという認識がない。彼にとっては銀行業者の手にあるものもやはり素材的に見るかぎりでは鋳貨(コイン)でしかないし地金でしかないわけである。彼は資本をほぼ利子生み資本として捉えているが、しかし利子生み資本という概念が明確にあるわけではない。むしろ資本を、利子生み資本としてのみ理解して、利子生み資本と資本一般とを同一視するという誤りに陥っているのである。

  (ⅱ) の抜粋は、ある特定の預金が短期でいつでも預金者が自由に引き出せるものだとしても、〈なんらかの点で過程が変えられるわけではない〉とある。つまり預金が定期預金のようなものではなく、短期でいつでも自由に預金者が引き出して使えるものだったとしても、預金そのものを通貨ということはできない、と述べている。確かに引き出されて商品の購入に使われたり、支払に使われるなら、それらは通貨といいうるが、しかし引き出されたものはすでに預金ではない。預金そのものは、一方で引き出す預金者があっても、他方で預金するものもいて、平均としてはそれほど変わらないのだから、そうした一般平均としてある預金を通貨などということはできないということである。

  マルクスはこの『エコノミスト』の記事を諸概念を基本的に正しく区別して論じているという点で評価して抜粋したといえるだろう。その意味ではエンゲルスがこれを削除したのは不可解である。】

  このように私は理解したのであるが、マルクスがノーマンとオウヴァストンらの通貨学派の混乱を批判する冒頭に、〈通貨Circulation〕,貨幣,資本〉の諸概念を明確に区別している『エコノミスト』の抜粋を持ってきたことは象徴的な意味がある。これはすでに前回も指摘し、小林氏も指摘するところであるが、もう一度紹介しておくと、エンゲルス版の第28章該当部分--マルクスが〈Ⅰ〉と番号を書いている部分--で銀行学派の批判を展開する前に、冒頭、次のような一文を置いていることに対応しているといえるだろう。

  〈トゥク,ウィルスン,等々がしている,Circulation資本との区別は(そしてこの区別をするさいに,鋳貨としての流通手段と,貨幣と,貨幣資本と,利子生み資本(英語の意味でのmoneyed Capital)とのあいだの諸区別が,乱雑に混同されるのであるが〕,次の二つのことに帰着する。〉 (大谷新本第3巻97-98頁)

  なお先の大谷氏からの引用にある注1)も紹介しておくと次のようなものである。

  〈1)小林賢齊『マルクス信用論の解明』,八朔社,2010年,164ページ注7,および,437ページ。〉 (218頁)

  この大谷氏の指示する小林氏の著書から該当すると思える部分を抜粋しておこう。それは次の二つの部分である。

  〈7)この「通貨,貨幣,資本」という小項目は,『エコノミスト』誌からの引用によるウィルソンの「通貨(circulation)」と「資本」の区別で始まり,この「銀行法特別委員会(1857年)」での「質疑・応答」におけるノーマンおよびオーヴァーストーンの概念の「混乱」と彼らに対する批判が,それに続く。そこまでが,この「通貨,貨幣,資本」という小項目である。そして手稿の当該「補遺」部分は,この小項目で終わっていく。なおこの点にっいては,本書第4章第4節および第10章第5節の〔補遺-2〕も参照されたい。〉 (164頁)

  〈したがって以下で考察されるのは,「利子生み資本そのもの」といっても,手稿第5章の第「1)」~ 「4)」節(現行版第21章~第24章)におけるような利子生み資本の概念論を反復するのではなく,第「5)[節]信用。架空資本」の第1項である「冒頭部分」で規定された近代的信用;銀行制度の下で利子生み資本が受け取る形態のような,信用制度によるそれへの影響などについて考察するというのであるが,しかしその問題に移っていく前に,「マルクスは,まさにウィルソンが『銀行業の実際に立ち入る前に』まず通貨学派の基礎的諸概念の混乱を批判しようとしたのと全く同様に,あるいはむしろそれに倣って……この後の考察対象……との関連で,予め,銀行学派の基礎的諸概念の混乱を批判しなければならない18)」と言うのである。    .
 そしてそれが,トゥック,ウィルソン等の「通貨(Circulatlon)と資本の間の区別」19)」の批判で始まる,手稿の第4項「1)」(現行版第28章)なのである。〉 (437頁)

  これらを読むと、確かに最初のものには今問題になっているものと関連した小林氏の主張が見られるが、あとのものは〈「マルクスは,まさにウィルソンが『銀行業の実際に立ち入る前に』まず通貨学派の基礎的諸概念の混乱を批判しようとしたのと全く同様に,あるいはむしろそれに倣って……この後の考察対象……との関連で,予め,銀行学派の基礎的諸概念の混乱を批判しなければならない18)」と言うのである〉という一文は少しは関連するが、しかし全体としては、むしろ現行版の第28章該当部分の草稿の説明になっているように思える。
  だから最初の抜粋文のなかで小林氏自身が〈本書第4章第4節および第10章第5節の〔補遺-2〕も参照されたい〉と述べている部分も見てみることにしよう。実はこのうち後の方の〈第10章第5節の〔補遺-2〕〉というのは、すでに前回紹介したものなのである(380頁からの抜粋がそれである)。だからそれは省略し、〈本書第4章第4節〉から関連すると思われる部分を紹介しておこう。

  〈この『エコノミスト』誌の論説からの引用箇所は,ウィルソンが「銀行業の実際の考察に立入る前に」まず「区別」しておくべき点として提示してくる,彼の「通貨と資本の区別」の箇所である。そしてこれに続けてマルクスは,このウィルソンの「通貨学派」批判と対比する形で,以前に書き抜いた『商業的窮境1847-8年』の「証言」からではなく,今度は新たに読み込んだ『銀行法特別委員会報告書(1857年)』におけるノーマン(G.W.Norman)およびオーヴァーストーン(Lord Overstone)の「証言」を引用しながら,オーヴアーストーンに対する立ち入ったコメントを書き加えていく。〉 (149頁)

  このように小林氏の指摘には、これは前回の最後の【64】パラグラフの解読のなかで紹介した次のような事実が前提されている。すなわち、マルクスが引用している『エコノミスト』からの抜粋部分(【64】パラグラフ)というのは、次のようなものだったというのである。もう一度、紹介しておこう。

  〈実は『エコノミスト』誌からのこれらの引用は,一連のウィルソンの論説「通貨と銀行業」の「第2論説(Article Ⅱ)」で,「銀行業の実際の考察に立ち入る前に」予め世上での「一般的な見解」である通貨学派の基礎的諸概念の「混乱」を批判するために,「資本としての貨幣」と「通貨としての貨幣」との「区別」を「明らかにすることが,最も本質的と考える」とした上で指摘している,ウィルソンの「通貨」と「資本」との区別の個所であり,これらは同一パラグラフの中の続いた1つの文章からの引用なのである。
 だからマルクスは,「通貨,貨幣,資本」というこの小見出しの項目の下で,ピール銀行法批判の論陣を張った『エコノミスト』誌の主張を,通貨学派に対置して最初に置き,そして手稿では,この『エコノミスト』誌からの引用の次に,『銀行法特別委員会報告書(1857年)』からのノーマンおよびオーヴァーストーンの証言の抜き書きとそれについてのコメントを書き記していったものと見ることができる。〉  (380頁)

  つまりウィルソン自身が〈世上での「一般的な見解」である通貨学派の基礎的諸概念の「混乱」を批判するために,「資本としての貨幣」と「通貨としての貨幣」との「区別」を「明らかにすることが,最も本質的と考える」とした上で〉書いている部分をマルクスは抜粋しているのだから、マルクスはむしろウィルソンを真似てそのあとのノーマンとオウヴァストンの混乱を批判するために、最初にこのウィルソンの一文を持ってきたと考えられるのだ、というのである。

  しかし大谷氏は小林氏の説に賛同できない理由をさらに次のように続けている。

  〈さらに,本書前章末尾のパラグラフは草稿の321ページに書き切れず,その最後のand the general average does not very much"(1.c.)という部分は322ページの最上部に書かれているが,322ページのこの1行目と,本書の訳文では第26章部分の書き出しとなる2行目とのあいだには,ほぼ1行分の意識的に空けられたと見られる行間がある。このような行間は,ページいっぱいにぎっしり書き詰められたこれ以降の第26章部分のどこにも見られない。このことからも筆者は,「通貨,貨幣,資本」という小見出しは『エコノミスト』からの二つの引用につけられたものであり,行間を置いて書かれたこれ以降の部分が一つのまとまりとなっている,と判断している。〉 (頁218)

  確かにこうした大谷氏の指摘は、草稿を直接見ることのできたことによる指摘といえるが、しかし同じことは例えば第28章がはじまる部分の冒頭に先に紹介した一文を書いたあと、マルクスは〈Ⅰ〉という項目番号を打って書いているのであるから、そうした行間を開けているということから、関連がないということはいえないと思うのである。大谷氏はこのマルクスが付けた〈Ⅰ〉という項目番号は、あとから行の外に書き加えられているので、あるいはマルクスはその番号を打つ箇所を間違えたのではないか、などと以前は類推していたが(しかし今回の新本では、MEGAの編集にもとづいているためか、以前は第28章該当部分の草稿の冒頭のパラグラフと位置づけていたものを、今回は〈Ⅰ〉の前にもってきている、つまり冒頭の一文は〈Ⅰ〉に含まれるものではないとしている)、しかしマルクスはそうではなく、〈Ⅰ〉は冒頭の書き出した部分と、あとの銀行学派の批判とに一定の区別をつけたものと思えるのであるが、どうであろうか。

  いずれにせよ、前置きはこれぐらいにして、いよいよパラグラフごとの解読に取りかかることにしよう。


  § 各パラグラフごとの解読


【1】

 〈[483]/322/1)〔挿論 ノーマンおよびオウヴァストンの無概念的混乱の批判〕〉 (223頁)

 【これ自体は大谷氏がつけた表題だから、草稿のテキストの第1パラグラフとするのは適切とは言えないかもしれないが、一応、われわれとしてはこれを第1パラグラフと考えることにする。この部分の概要については、上記に抜粋した大谷氏の一文を参照して頂きたい。なお大谷氏は、自身のつけた表題について、訳者注1)で次のように説明している。

  〈1)筆者がここで「〔挿論ノーマンおよびオウヴァストンの無概念的混乱の批判〕」という表題をつけた部分は,MEGAでは,編集者が「5)信用。架空資本」の「補論〔Zusatze〕」とした部分の途中(MEGA II/4.2,S.483.1)から終わり(MEGA II/4.2,S.500.33)までである。ここでは,まずノーマンの批判をしたのち,オウヴァストンを立ち入って批判しているが,用紙半ばの折り目を無視してページをフルに使っているところから,テキストとして書かれたものではないと見ることができる。なお,オウヴァストンへの批判はここで終わるのではなく,エンゲルス版の第30-32章「貨幣資本と現実資本」に利用された「III」で,あらためて行なわれている(そこでの批判については,本書第3巻第10章4の(15)および(16)で立ち入るので参照されたい)。

  このように、大谷氏は〈ノーマンおよびオウヴァストンの無概念的混乱の批判〉が以下の主題であるとするのであるが、われわれは小林氏も指摘するように、前回の【64】パラグラフでマルクス自身が書いていた〈通貨Circulation〕,貨幣,資本〉の諸概念における通貨学派の混乱を批判するというマルクスの問題意識も頭に入れて、以下、検討して行くことにしよう。】


【2】

 〈〔『銀行法特別委員会,1857年』〕2)第3635号(ⅰ)「〔プラ〕あなた〔」〕(つまり頓馬のノーマン(イングランド銀行理事))〔「〕は,利子率銀行券の量によって決まるのではなくて,資本の需要供給によって決まるというお考えだと述べられました。あなたは「資本」のうちに,銀行券と鋳貨のほか,なにを含められるのか,お述べくださいませんか?--「資本」の普通の定義は,生産で使用される商品またはサービスだと思います。〔」〕第3636号(ⅱ)「〔プラ〕利子率について語られるとき,「資本」という語のなかにすべての商品を含められるということですか?--生産に使用されるすべての商品を含めます。〔」〕第3637号(ⅲ)「〔プラ〕利子率について語られるとき,あなたは「資本」という語のうちにそのすべてを含められるのですね?--そうです。かりに,ある木綿製造業者が自分の工場のために綿花を必要とするとすれば,彼がその綿花を手に入れることに取り掛かるときの方法は,おそらく,自分の取引銀行業者から前貸を受け,こうして手に入れた銀行券をもってリヴァプールに行き,買入れを行なう,ということでしょう。彼が現実に必要とするのは綿花です。彼は,綿花を手に入れるための手段としてよりほかには,銀行券や金を必要としません。あるいはまた,彼は自分の労働者に支払うための手段を必要とするでしょう。そこで彼はふたたび銀行券を借り入れ,この銀行券で労働者の賃金を支払います。労働者のほうではまた食料や住居が必要であり,この貨幣はそれらの代価を支払う手段です。」第3638号(ⅳ)「〔プラ〕しかし,貨幣には利子が支払われるでしょう?--たしかに一応はそうです。しかし別の場合をとってみてください。彼が,前貸を求めて銀行に行くことはせず,綿花を信用で買うと仮定しましょう。その場合には,現金価格〔the ready-money price〕と支払日における信用価格〔the credit price〕との差額が利子の尺度measure〕です。かりに貨幣は全然ないとしても,利子は存在するでしょう。」(③銀行法。委員会。前出。1857年。)

  ①〔注解〕この括弧に入れたコメントはマルクスによるもの。
  ②〔訂正〕「)」--草稿ではこのパーレンが書かれていない。
  ③〔注解〕『銀行法特別委員会報告……』[ロンドン,1857年]

  2)〔E〕挿入--「今度はすでに前にも引用したもう一つの議会報告『銀行法特別委員会報告,下院から上院に送致,1857年』(以下では,『銀行委員会』,1857年,として引用する)をとってみよう。そのなかでは,イングランド銀行の理事で通貨主義者たちのあいだの一大光明であるノーマン氏が次のように尋問されている。」
  なお,同証言からの以下の引用で,マルクスは引用符を,あるときは証言番号の前に,あるときは証言番号のあとに置いている。エンゲルスは1894年版で,証言番号の前に置く仕方に統一した。現行版(MEW版)では,証言番号のあとに置くように統一している。ここでは,草稿のままとするが,それとエンゲルス版ないし現行版との,この点についての相違はいちいち注記しない。また,現行版(MEW版)では,1894年版で改行となっていない場合にも,原則として引用の前後を改行にしているが,この原則によって生じている,草稿での改行と現行版との改行の相違も注記しない。〉 (223-224頁)

 【これは1857年の議会報告からの抜粋であるが、大谷氏の訳者注2)はエンゲルスがこの抜粋の前に一文を挿入していることを指摘している。またそれに関連して、大谷氏はエンゲルスの挿入文のあとに、以下の草稿のテキストの紹介での注意点も書いているので参照して頂きたい。
  さて、以下、これから検討する〔挿論 ノーマンおよびオウヴァストンの無概念的混乱の批判〕という部分は、最初に委員会報告からの抜粋があり、そのあと改行して(パラグラフを変えて)、それに対するマルクスの批判が展開されるというようになっている。そして抜粋文のなかでも(   )に入れるかたちで、マルクスの批判が挿入されたりしている。だから本来なら、最初の抜粋部分の検討は、同時にそれに対するマルクスの批判も含めて行なうべきであるが、しかし行論の関係で順序どおり、それぞれのパラグラフごとに解読を行なうことにする。
  今回のパラグラフは、委員会報告のからの四つの抜粋からなっている。それぞれについて番号を付して検討していく。(ⅰ)は第3635号から、(ⅱ)第3636号、(ⅲ)第3637号、(ⅳ)第3638号、のそれぞれからの抜粋となっている。ここで質問者は〈〔プラ〉となっている。恐らく特別委員会の委員であろうが、詳しいことは分からない(エンゲルス版では、質問者の名前そのものが省略されており、大谷氏も何の説明も加えていない)。

  (ⅰ)  ではノーマンが〈利子率銀行券の量によって決まるのではなくて,資本の需要供給によって決まる〉と主張したのに対して、〈あなたは「資本」のうちに,銀行券と鋳貨のほか,なにを含められるのか〉と質問されている。つまりノーマンが主張する「資本」というのは銀行券のことではないのか、それ以外に何が含まれるのか、というのである。もしノーマンがいう「資本」のなかに銀行券が含まれるのなら、銀行券の量、つまりそれに対する需要供給によって利子率が決まると言えるのではないのか、というのが質問者の主旨である。それに対して、ノーマンは彼のいう「資本」の定義を〈生産で使用される商品またはサービスだ〉と答えている。これに対するマルクスの批判は次のパラグラフで展開されるので、とりあえず、われわれは抜粋の内容を確認するだけにしておこう。

  (ⅱ) も(ⅰ)の内容を引き継いだものになっている。つまりノーマンが自分が「資本」というのは、生産で使用される商品やサービスのことだというのに対して、〈利子率について語られるとき,「資本」という語のなかにすべての商品を含め〉るのか、と質問者は問うている。それに対してノーマンは〈そうです〉と答え、(ⅲ)で木綿製造業者の例をあげてそれを説明しているが、それは問題を誤魔化すものでしかない。つまり製造業者は木綿を製造するために、生産手段として綿花を買い、労働力を買うために、銀行券の前貸しを受けるが、しかしそれらはこれらの商品を購入するためであり、労働者に支払われる賃金も彼らが生活するための生活手段の購入に支出するのだから、だから資本は商品を意味するのだなどと述べているのである。

  (ⅳ) それに対して、質問者はさらに製造業者が前貸しを受ける貨幣には利子が支払われるでしょうと質問している。つまり利子率が関わってくるのは前貸しを受ける貨幣(資本)ではないのか、と問うているわけである。それに対しては、ノーマンはまたまた信用で買う場合は貨幣は登場しない、つまり利子があるからといって貨幣があるとは言えない、などと詭弁を弄して誤魔化しているわけである。これに対するマルクスの批判も次のパラグラフで展開されているので、そこで検討しよう。

  ここでマルクスがこの一連の抜粋を行なったのは、まずは通貨学派の連中のいう「資本」という用語のあいまいさ、いいかげんさを暴露し、それに科学的な概念を対置することと、利子率は貨幣資本(moneyed capital、つまり利子生み資本)の需給によって決まることを示すことであろう。しかしそれらは次のパラグラフからのマルクスの批判を検討するなかで徐々に明らかになるであろう。

  しかし残念ながら、そのマルクスの批判も含めると一回の掲載分としては長くなりすぎるので、その検討は次回に回したい。】

  (続く)

 

 

2020年9月 9日 (水)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(25・26-18)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(最終回)

 

  〔信用制度についての雑録〕 (最終回)

 

【63】

 /321/(8)【MEGA II/4.2,S.482.25-29】193){手形が貨幣の介入なしに役立つ仕方はきわめて簡単である。Bに手形を支払わなければならないAは,Bに自分の取引銀行業者あての為替手形を与え,Bはこの為替手形を自分の取引銀行業者に払い込む。そしてこの両方の銀行業者が為替手形を交換し合い,相殺するのである。}{もしAとBの両方が同じ銀行業者と取引をしているならば,過程はもっと簡単である。〔}〕

  193)〔E〕エンゲルス版では,このパラグラフは削除されている。〉 (212頁)

 〈手形が貨幣の介入なしに役立つ仕方はきわめて簡単です。Bに手形を支払わなければならないAは、Bに自分の取引銀行業者あての為替手形を与え、Bはこの為替手形を自分の取引銀行業者に払い込む。そしてこの両方の銀行業者が為替手形を交換し合い、相殺するのです。もしAとBの両方が同じ銀行業者と取引しているならば、過程はもっと簡単です。〉

 【これは全体が{ }に括られている。恐らくマルクスが、これまでの抜き書きとは直接には関連はしないが、抜き書きをしている時に、思いついたことをメモとして書き残したものかも知れない。しかし後に少し触れるが、あるいはこれまでの一連の問題意識からの抜粋をひとまず終える意図もあって、自身のコメントを書いたとも考えられないことはない。いずれにせよ、これはマルクス自身の書き込みであるので平易な書き下ろしを書いておいた。
  訳者注193)によれば、エンゲルスはこのパラグラフ全体を削除しているということであるが、どうしてなのであろうか。どこかに利用しようとしたが、うまく利用できなかったからか、あるいは商業の実務に通じていたエンゲルスからみれば、こんなことはわざわざ書くまでもないと考えたからなのか。
 このパラグラフはいうまでもなく、これまでにもすでに【32】パラグラフの解読のなかで、ついでに解説しておいたが、手形が貨幣の介入なしに役立つ仕組みを解説している。ここで、まず〈Bに手形を支払わなければならないA〉という場合の手形というのは、恐らくAが発行した手形であり、それをBが持っていて満期が来たので、Aがその手形を現金で買い取る必要が生じたということである。その場合にAは、〈Bに自分の取引銀行業者あての為替手形を与え〉たわけであるが、ということは、Aは現金で支払う代わりに、自分の取引銀行(今Nとしよう)にある口座に宛てて、支払い指図証(為替手形、あるいは小切手)を振り出し、それをBに手渡したということである。〈Bはこの為替手形を自分の取引銀行業者(Mとしよう)に払い込む〉とある。Bは受け取ったA発行の為替手形を自分の取引銀行(M)に〈払い込む〉というのは、Bは何らかの支払いを自分の取引銀行のM行にせねばならなかったので、それをAから支払われたN行宛の為替手形で支払ったか、あるいはBは自分の取引銀行のM行にある自身の口座にその為替手形の額だけ積み増すことを望んだということであろう。
 〈そしてこの両方の銀行業者が為替手形を交換し合い,相殺するのである〉この場合N行とM行とが手形交換所で為替手形を交換し合うというが、今、問題となっているのは、M行の手元にあるN行の支払い義務のあるAが振り出した為替手形だけであり、交換するといっても、N行がそれに対抗する為替手形を持っているとは何も書いていない。しかしこの場合、N行も何らかの形でM行の支払い義務のあるM行の顧客が振り出して、巡りめぐってN行の手元に回ってきた為替手形を所持しているということが前提されているのである。そして両者はそれらの手形を交換し、相殺するのである。これでN、Mの両銀行間ではそれぞれの債務が帳消しにされて相殺されたのであるが、その結果、N、Mの両銀行の内部では顧客の口座間で預金の振り替えが行われるわけである。N行の内部ではAの預金口座から交換された為替手形の額だけ差し引かれ、N行の手元にM行の支払義務のある為替手形を持ち込んだ顧客(Cとしよう)の預金口座にそれだけの額の預金が積み増され、M行の内部ではBの預金口座にはすでにAの振り出した為替手形の分だけ積み増しされているが、その額だけ、N行が所持していたM行の支払い義務のある為替手形を振り出したM行の顧客(Dとしよう)の預金口座からそれだけの額が引き落とされるわけである。
 〈もしAとBの両方が同じ銀行業者と取引をしているならば,過程はもっと簡単である〉 というのは、この場合は手形の交換そのものが不要になるからである。A・B両者の取引銀行(今Nとしよう)はただAの預金口座からBの預金口座に預金を振り替えれば、済むわけだからである。そもそもAが振り出した為替手形はN行の支払い義務のある手形である。それを同じN行の顧客であるBがN行に持ち込んだのだから、N行にとっては自身の支払い義務のある手形が自分の手元に返ってきたのだから、もはや支払う必要はなくなり、その代わりにN行はAの預金口座からその為替手形の額だけ差し引き、Bの口座に積み増せばそれでよいだけである。だからこの場合は〈過程はもっと簡単である〉。

  しかしそれにしても、最初に述べている異なる銀行間による手形交換による相殺についてのマルクスの説明はかなり不親切であり、片手落ちといわねばならない。上記の例でも私は「交換するといっても、N行がそれに対抗する為替手形を持っているとは何も書いていない」と指摘しておいたが、こうした説明が脱落しているから、人によっては間違って理解することになるわけである。残念ながら、実は大谷氏もその一人なのである。以前、私はその大谷氏のそうした間違いを指摘したことがあるので、それを紹介してみることにしようと思う。それはこの同じブログ(「マルクス研究会通信」)の「現代貨幣論研究」のシリーズの№9~11で紹介した「「預金通貨」概念を擁護する大谷氏の主張の批判的検討(1)~(3)」 においてである。しかし今問題になっているものに関連するのは、その一部である。われわれはまず大谷氏が検討しているマルクスの一文を紹介しておこう(これは大谷氏が引用しているものの重引である。ただし先に検討したマルクスの一文と比較しやすくするために、Aの取引銀行をN行、Bの取引銀行をM行としてそれを挿入した)。

  〈「5000ポンド・スターリングを預金したAは,小切手を振り出すことができる(彼がその5000ポンド・スターリングを〔現金で〕もっていた場合と同じにそれを自由に処分することができる〔)〕。そのかぎりでは,5000ポンド・スターリングは彼にとって,可能的な貨幣として機能する。しかしいずれにせよ,彼はそれだけ自分の預金をなくすわけである。彼が現実の貨幣を引き出すとすれば,そして彼の貨幣は貸し付けられているのだとすれば,彼は自分の貨幣で支払いを受けるのではなく,他人が預金した貨幣で支払いを受けるのである〔/〕彼が取引銀行業者(N行)あての小切手でBに支払い,Bはこの小切手を取引銀行業者(M行)に預金し,そしてAの取引銀行業者(N行)もまたBの取引銀行業者(M行)あての小切手をもっており,そしていま,この二人の銀行業者がこれらの小切手を交換するなら,Aが預金した貨幣は二度貨幣機能を果たしたわけである。第1には,Aが預金した貨幣を受け取った人の手で。第2には,A自身の手で。第2の機能では,それは,貨幣の介入なしに行なわれる,債権の(Aが取引銀行業者(N行)にたいしてもっている債権とこの銀行業者(N行)がBの取引銀行業者(M行)にたいしてもっている債権との)相殺である。この場合には,預金は2度貨幣として,すなわち,現実の貨幣として,そして貨幣への請求権として,働くのである。預金が貨幣(それ自身がこれまた他人の現預金から実現される,というのではない貨幣)へのたんなる請求権として働くことができるのは,ただ債権の相殺によってのみなのである。」(MEGA II/4.2,S.588-589;本書本巻521-523ページ。) (大谷新著第3巻360-361頁、ただし下線はマルクスによる強調)

  今このマルクスの文章を二つ分けてみよう(〔/〕を挿入)。すると〔/〕のあとに述べていることは、問題になっている異なる銀行間の手形交換による相殺の例である(〔/〕の前半の部分の解読は当該シリーズを呼んでもらうとして、ここでは問題にしない)。先のマルクスの一文では「交換するといっても、N行がそれ対抗する為替手形を持っているとは何も書いていない」と指摘しておいたが、今回は〈そしてAの取引銀行業者(N行)もまたBの取引銀行業者(M行)あての小切手をもっており〉とちゃんと書かれている。にも関わらず、大谷氏の理解は混乱しているのである。氏は次のように解読している(やはりこの場合も分かりやすくするために取引銀行業者をN行、M行として挿入する)。

  〈次に,Aが「取引銀行業者(N行)あての小切手でBに支払い,Bはこの小切手を取り引き銀行業者(M行)に預金し,そしてAの取引銀行業者(N行)もまたBの取引銀行業者(M行)あての小切手をもっており,そしていま,この二人の銀行業者がこれらの小切手を交換するなら,Aが預金した貨幣は二度貨幣機能を果たしたわけである」と言われている。この小切手交換の結果,Bの取引業者(M行)のもとでBの預金が5000ポンド増加し,Aの取引業者(N行)のもとでAの預金が5000ポンド減少した。マルクスは,Aが預金した貨幣は「第1には,Aが預金した貨幣を受け取った人〔すなわちB〕の手で」,「第2には,A自身の手で」,貨幣機能を果たした,と言う。すなわち「第1には」Bのもとで5000ポンドの商品価格が実現した。マルクスはこのことを,Aの預金は「現実の貨幣として」機能した,と言う。すなわち,Bが小切手を受けとったときにはまだ「可能的な貨幣」であったAの預金5000ポンドがいまやBのもとで現実の貨幣になった,と言うのである。これにたいして「第2に」,Aのもとでは,Aの預金は「貨幣への請求権」すなわち債権として働く,と言う。すなわち,この場合には,Aのもつ債権とBの取引銀行業者(M行)の債権との相殺が行なわれる。もちろん,この相殺はBにはなんのかかわりもないものである。相殺というのは,貨幣による債権の支払いではない。債権と債権とを互いに帳消しにすることである。だからそれは「貨幣の介入なしに行なわれる」のである。にもかかわらず,マルクスはこの第2の場合にも「Aが預金した貨幣は……貨幣機能を果たした」と言っている。なぜであろうか。それはさきに見たように,この相殺によってAの預金が5000ポンド引き落とされたときに,Aが預金した貨幣は,可能的にではなく現実に,貨幣機能を果たした,と言いうるのだからである。この場合の貨幣機能とは,さきに見たように流通手段としての貨幣の機能である。
  マルクスはこのように,小切手による商品の購買のさいに小切手の金額が預金から引き落とされたときに,預金が貨幣として,流通手段として機能した,と言うのである。小切手が流通手段として機能するのではなく,預金が流通手段として機能するのである。これを,預金通貨として機能する,と言い換えることも許されるであろう。マルクス自身は預金を「預金通貨」と呼ぶことはしなかったが,「III)」のここでの彼の記述からは,彼が,預金の通貨機能を認めていたことを明瞭に読み取ることができるのである。〉(『マルクスの利子生み資本論』第3巻361-362頁、但し下線は大谷氏による傍点による強調個所)

  この説明がどれほどムチャクチャであるかは、これまでの私の解読を検討されてきた方なら、お分かりであろうと思う。これに対する批判は、上記シリーズ掲載のもので一通り批判しておいた。
  大谷氏の無理解は、やはり異なる銀行間による手形交換による相殺とそれによる預金の振替の仕組みをしっかり理解していないところにあると思う。それが分かるように、ここでは、もう一度、改めて上記の大谷氏の一文を、箇条書きにして、より詳しい批判をやってみようと思う。

  (1) まず大谷氏が引用しているマルクスの一文の理解において、大谷氏はまったく間違っているということである。それを説明するために、もう一度、大谷氏が引用しているマルクスの一文を書き出してみよう。

 〈Aが「取引銀行業者(N行)あての小切手でBに支払い,Bはこの小切手を取り引き銀行業者(M行)に預金し,そしてAの取引銀行業者(N行)もまたBの取引銀行業者(M行)あての小切手をもっており,そしていま,この二人の銀行業者がこれらの小切手を交換するなら,Aが預金した貨幣は二度貨幣機能を果たしたわけである」と言われている。〉

   このマルクスの一文だけで〈Aが預金した貨幣は二度貨幣機能を果たした〉ことを理解することはほぼ不可能である。なぜなら、ここではマルクスは〈二度貨幣機能を果〉すという、その一つの機能しか述べていないからである。それを無理やりこの一文から二度の貨幣機能を見いだそうするから間違うのである。
  なぜ、この一文だけでは不可能かというと、〈Aが預金した貨幣〉は二つの機能を果たすのであるが、それはその貨幣が二つに分かれるからである。一つは預金された現実の貨幣そのものと、それの帳簿上の記録とにである。そしてこの二つがそれぞれ貨幣機能を果たすのである。
   現実の貨幣が果たす機能については、マルクスはわれわれが引用した一文の前半でただ示唆しているだけである。マルクスは〈彼が現実の貨幣を引き出すとすれば,そして彼の貨幣は貸し付けられているのだとすれば,彼は自分の貨幣で支払いを受けるのではなく,他人が預金した貨幣で支払いを受けるのである〉と述べている。すなわちAが自分の預金を引き出したとしても、すでに彼が預金した〈貨幣は貸し付けられている〉のである。だからAは〈他人が預金した貨幣で支払いを受ける〉のである。つまりAが預金した貨幣は、すぐにN行から利子生み資本として貸し出されしまっているのである。だから彼が自分の預金を引き出したとしても、それは自分が預金した貨幣そのものではなく、他人が預金した貨幣を受け取ることになるだけだというのである。
  ではAの預金した貨幣はどうなるかというと、その貸付を受けた人物のもとで現実の貨幣として機能するのである。これがAの預金した貨幣が二度貨幣機能を果たすという場合の最初のものである。しかしこれは先のマルクスの一文からはなかなか読み取ることは困難であることは確かである。
 次にもう一つの貨幣機能を果たすのは、Aの預金した貨幣の帳簿上の記録である。それが単なる記録なのに貨幣機能を果たすのである。そして大谷氏が引用している一文はまさにこのことについて述べているのである。だから上記の引用文だけではAの預金の二度の貨幣機能を理解することはほとんど不可能に近いといえるのである。

  (2)私は最初に大谷氏の説明はムチャクチャであると述べたが、それを証明するために、逐一、大谷氏の説明の間違いを指摘して行こう。大谷氏は引用に続けて次のように説明している。

  〈この小切手交換の結果,Bの取引業者(M行)のもとでBの預金が5000ポンド増加し,Aの取引業者(N行)のもとでAの預金が5000ポンド減少した。マルクスは,Aが預金した貨幣は「第1には,Aが預金した貨幣を受け取った人〔すなわちB〕の手で」,「第2には,A自身の手で」,貨幣機能を果たした,と言う。〉

  これがどれほどねじ曲げた解釈であるかを知るために、もう一度、マルクスの一文を引用しておこう。マルクスは次のように述べているのである。

  〈そしていま,この二人の銀行業者がこれらの小切手を交換するなら,Aが預金した貨幣は二度貨幣機能を果たしたわけである。第1には,Aが預金した貨幣を受け取った人の手で。第2には,A自身の手で。第2の機能では,それは,貨幣の介入なしに行なわれる,債権の(Aが取引銀行業者(N行)にたいしてもっている債権とこの銀行業者(N行)がBの取引銀行業者(M行)にたいしてもっている債権との)相殺である。〉

   大谷氏は第1の貨幣機能を果たす〈Aが預金した貨幣を受け取った人〉をBとしているのであるが、これが間違いであることはすでにお分かりであろう。〈Aが預金した貨幣を受け取った人〉というのは、N行からその貸付を受けた人である。Bが受け取るのはAが発行したN行あての小切手であって、それは単なる貨幣請求権でしかなく、貨幣ではない。それにそもそもBが受け取る小切手というのは、Aの預金の第2の貨幣機能に関連するものなのである。また〈第2には,A自身の手で〉という意味も大谷氏は正確には理解しているとはいいがたい。マルクスは続けて〈第2の機能では,それは,貨幣の介入なしに行なわれる〉と述べている。つまりそれはAの預金の帳簿上の記録が振り替え決済に利用されるということを意味しているのである。それは確かにA自身によって、その記録が利用されるわけである。彼は自分の預金にあてて小切手を切り、Bに支払ったのだから、〈A自身の手で〉利用されたのは間違いはない。

  (3)次の一文に行こう。

  〈すなわち「第1には」Bのもとで5000ポンドの商品価格が実現した。マルクスはこのことを,Aの預金は「現実の貨幣として」機能した,と言う。すなわち,Bが小切手を受けとったときにはまだ「可能的な貨幣」であったAの預金5000ポンドがいまやBのもとで現実の貨幣になった,と言うのである。〉

   Bの商品の価格が実現するのが、どういう状況においてかを大谷氏は知らない。それはまずはAが発行した小切手を商品と引き換えに受け取った時点で、小切手という形で実現するが、それはいまだ貨幣請求権という形でしかなく、最終的な実現ではない。それが最終的に実現するのは、N・M両行が小切手を交換して、そしてBの取引銀行であるM行内の口座間の振替が行われた時点である。しかしマルクスの一文ではそこまでは書いていないのである。マルクスの一文ではただ両行の間で小切手が交換されるところまでしか述べていない。
   それにBの商品の価格がM行内の口座振替で最終的に実現したとしても、そのことは〈Aの預金は「現実の貨幣として」機能した〉ということではない。そもそもそこには「現実の貨幣」など出てこない、マルクスもいうように〈貨幣の介入なしに行なわれる〉からである。BはAの発行した小切手を受け取るが、現実の貨幣など受け取るはずがないからである。
   大谷氏は〈Bが小切手を受けとったときにはまだ「可能的な貨幣」であったAの預金5000ポンド〉などと述べているが、マルクスが〈可能的な貨幣として機能する〉と述べているのはどういう意味かを理解していない。マルクスは〈5000ポンド・スターリングを預金したAは,小切手を振り出すことができる(彼がその5000ポンド・スターリングを〔現金で〕もっていた場合と同じにそれを自由に処分することができる〔)〕。そのかぎりでは,5000ポンド・スターリングは彼にとって,可能的な貨幣として機能する〉と述べている。これは大谷氏が理解するように小切手が可能的な貨幣だと述べているのではない。そうではなく、マルクスは預金そのものが可能的な貨幣だと述べているのである。というのはAはその預金を、現金をもっているのと同じように自由に処分することが可能だからである。いずれにせよ、Aは商品を信用で購入して預金に宛てて小切手を切っても、現金で引き出してそれで商品を買っても、その分だけ彼は自分の預金をなくすわけである。マルクスが述べているのはこうしたことでしかない。
   だから当然、〈Bが小切手を受けとったときにはまだ「可能的な貨幣」であったAの預金5000ポンドがいまやBのもとで現実の貨幣になった〉などとマルクスがいうはずがないのである。どうして小切手を受けとったBの手でその小切手が現実の貨幣になるというのか。そのためにはBはその小切手を支払義務のあるAの取引銀行であるN行に提示して、現金の支払を求める必要があるが、そんなことはマルクスは一言も述べていないのである。大谷氏は小切手が現実の貨幣になったなどというのであるが、小切手が何かも分からないのかと思わざるを得ない。

  (4)しかし混乱はまだまだ続くのである。続けて大谷氏は次のように述べている。

  〈これにたいして「第2に」,Aのもとでは,Aの預金は「貨幣への請求権」すなわち債権として働く,と言う。すなわち,この場合には,Aのもつ債権とBの取引銀行業者(M行)の債権との相殺が行なわれる。もちろん,この相殺はBにはなんのかかわりもないものである。〉

  Aの預金はAの取引銀行であるN行には債務であり、Aにとっては債権である。Aはこの預金にあてて小切手を切った場合、その小切手はAの債権を表し、「貨幣への請求権」を表す。だからAはその小切手でBから商品を購入することができたのである。だからその小切手を受け取ったBにとっては、その小切手は「貨幣への請求権」となる。だから彼はそれをN行に直接提示して現金の支払を求めるか、あるいは自分の取引銀行であるM行にそれを預金することができるわけである(しかしいうまでもなく、Bが小切手を提示して現金を要求するなら、〈第2の機能〉は成立しない)。だからこの場合、Aの預金である債権は、Bに小切手を手渡した時点で、Bの所有するところとなったのである。だから〈Aのもつ債権〉などというものは彼が小切手を切ってBに手渡した時点で、Bに移っているのである。だからBが受け取ったA発行の小切手を自分の取引銀行のM行に預金した場合、〈Bの取引銀行業者(M行)の債権〉とは、まさにA自身が発行した小切手に他ならないのである。だから〈この場合には,Aのもつ債権とBの取引銀行業者(M行)の債権との相殺が行なわれる〉などという主張がどれほど混乱した代物かが分かるであろう。〈Aのもつ債権〉=Aの発行した小切手。〈Bの取引銀行業者(M行)の債権〉=BがAから受け取ってM行に預金したAの小切手。つまり大谷氏はAの小切手とAの小切手が相殺されるなどという馬鹿げたことを言っているのである。Aのもつ債権(小切手)はBに手渡した時点で、Bのもつ債権になり、BがM行にそれを預金した時点で、M行のもつものとなっているということが大谷氏には分かっていないのである。
   それに〈Bの取引銀行業者(M行)の債権〉というのは、BがAから受け取った小切手をM行に預金したものである。とすればどうして〈この相殺はBにはなんのかかわりもないものである〉といえるのか。N行とM行との小切手交換による相殺にもとづいて、M行はBの口座とM行の支配義務のある小切手を発行した顧客(D)の口座との振替で、Bの口座に5000ポンドを記帳するのだから、〈Bにはなんのかかわりもない〉とはいえるはずもない。確かに小切手の交換による相殺は、両銀行間の問題である。しかしその相殺によって、それぞれの銀行の内部において口座間の振替が行われるのだから、無関係とはいえないのである。そもそもそれはAとBとの信用による商取引の結果生じたものなのだから。

  (5)続けて大谷氏は次のように述べている。

  〈相殺というのは,貨幣による債権の支払いではない。債権と債権とを互いに帳消しにすることである。だからそれは「貨幣の介入なしに行なわれる」のである。にもかかわらず,マルクスはこの第2の場合にも「Aが預金した貨幣は……貨幣機能を果たした」と言っている。なぜであろうか。それはさきに見たように,この相殺によってAの預金が5000ポンド引き落とされたときに,Aが預金した貨幣は,可能的にではなく現実に,貨幣機能を果たした,と言いうるのだからである。この場合の貨幣機能とは,さきに見たように流通手段としての貨幣の機能である。〉

  しかしこれは酷い内容である。大谷氏は一方で相殺というのは〈貨幣の介入なしに行なわれる〉ことを認める。しかしそうであるなら、貨幣はただ観念的な計算貨幣、あるいは価値尺度として機能するだけであることを認めなければならない。だから〈Aが預金した貨幣は……貨幣機能を果たした〉という場合も、やはりそれは観念的にその機能を果たすのみである。なぜなら、〈Aが預金した貨幣〉というのは、ただN行の帳簿上の記録として存在するだけであるからである。そしてそれが振替決済に利用されることによって〈貨幣機能を果た〉すのである。しかしそのことは〈この相殺によってAの預金が5000ポンド引き落とされたときに,Aが預金した貨幣は,可能的にではなく現実に,貨幣機能を果たした,と言いうる〉ということではない。Aの預金から5000ポンドを引き落とすのは、N行の帳簿操作であって、現実の貨幣などとは何の関係もない。しかもその引き落としは別にM行のBの預金に移ったから引き落とされたのではない。N行にM行宛の小切手を持ち込んだCの口座に振り替えられたのである。この口座間の預金の振り替えに現実の貨幣などまったく不要であり、貨幣はただ観念的な計算貨幣として働くのみである。しかも大谷氏は〈この場合の貨幣機能とは,さきに見たように流通手段としての貨幣の機能である〉などと述べている。Aの預金はAの口座からCの口座に振り替えられたが、しかしCはAに商品を信用で販売したわけではない。CはM行の顧客であるDに商品を信用で販売してM宛の小切手を受け取ったのである。だからAの預金が流通手段として機能したなどと言えるはずもないのである。
   そもそも大谷氏は〈貨幣がたんなる流通手段として、それゆえに購買手段として流通する場合には、商品と貨幣とが同時に対立しているということ、したがって同じ大きさの価値が二重に現存していること、一方の極では売り手の手にある商品として、他方の極では買い手の手にある貨幣として現存していることが前提されている〉(『経済学批判』全集第13巻117頁)ということを知らないのであろうか。Aが取引銀行(N行)にある預金を目当てに小切手を切り、それでBから商品を信用で購入したということは、すでにそれは貨幣の流通手段としての機能とは違ったものであること、すなわちこれらの取引全体は貨幣の支払手段としての機能にもとづいたものであることを示しているのである。こんな基本的なことさえも大谷氏にとってはあいまいになっているようなのである。

  (6) 引き続く大谷氏の一文は次のようなものである。

  〈マルクスはこのように,小切手による商品の購買のさいに小切手の金額が預金から引き落とされたときに,預金が貨幣として,流通手段として機能した,と言うのである。小切手が流通手段として機能するのではなく,預金が流通手段として機能するのである。これを,預金通貨として機能する,と言い換えることも許されるであろう。〉

  しかしこれはもう大谷氏の妄想としか言いようがないものである。マルクスはそんなことは一言も述べていないし、述べるはずもない。先の『批判』でマルクスが流通手段について述べていることをもう一度確認してみよう。商品と貨幣が同時に対立して存在していること、一方の極に商品が、他方の極に貨幣が同時に存在していることが前提されて、初めて貨幣は流通手段として機能しうるのである。そもそもAの預金は、すぐに銀行から貸し出されてすでに銀行には存在しないのである。あるのはただ帳簿上の記録だけである。これでどうして預金が流通手段として機能しうるというのであろうか。
   この場合、Aの小切手は、単にAのBに対する支払約束でしかない(N行に対する支払指図)。しかしその約定が商品の譲渡を引き起こしたのだから、その限りでは小切手は、つまりAの支払約束は、購買手段として機能したといえる。〈変化した形態のW-Gでは、貨幣はまず価値の尺度として機能する。商品の交換価値は、その尺度としての貨幣で評価される。だが価格は契約上測られた交換価値として、ただ売り手の頭のなかに実在するだけでなく、同時に買い手の義務の尺度としても実在する。第二に、この場合貨幣は、ただ自分の将来の定在の影を投げかけているだけであるとはいえ、購買手段として機能する。すなわち、貨幣は商品をその場所から、つまり売り手の手から買い手の手へと引き出す〉(同前119頁)。だからAの小切手が購買手段として機能したというなら、それは間違いではない。しかしそれは決して流通手段として機能したのではないのである。ましてや〈小切手が流通手段として機能するのではなく,預金が流通手段として機能する〉などということはさらさら言えないのである。預金そのものはただN行の債務を表し、Aの債権を表すのみである。その預金がN行の手で利子生み資本として貸し出されるなら、すでにそれは預金ではない。利子生み資本という新たな形態規定性を受け取る。そしてその貸し出しをうけた人物の手で、初めてあるいは流通手段として機能するかも知れないが、しかしその時には、すでにそれは預金ではないことはいうまでもない。また帳簿上の記録として残るAの預金は、ただ振り替え決済に利用される限りで、つまり現実の貨幣の介在がない限りで、貨幣としての機能を果たすが、しかしその機能とは観念的な計算貨幣としての機能でしかないのである。だから流通手段として機能するなどはどう考えてもマルクスの理論を離れてブルジョア的な迷妄に陥らない限りは絶対に言えないのである。だから〈これを,預金通貨として機能する,と言い換えることも許される〉どころの話ではないのである。

  (7)そして最後に大谷氏は次のように述べている。

  〈マルクス自身は預金を「預金通貨」と呼ぶことはしなかったが,「III)」のここでの彼の記述からは,彼が,預金の通貨機能を認めていたことを明瞭に読み取ることができるのである。〉

  しかしマルクス自身はすでに論証してきたように、〈預金の通貨機能を認めていた〉などとは言えないのであり、だからまた当然、〈預金を「預金通貨」と呼ぶことはしなかった〉のである。預金を「通貨」と呼ぶことは、「通貨」の正しい概念がないことを自ら暴露することである。あるいは、預金として存在している利子生み資本(monied capital)と通貨との区別を混同することでしかない。残念ながら、大谷氏は『マルクスの利子生み資本論』という4巻にもわたる大著をものにしながら、肝心のマルクスの利子生み資本の概念において、混乱をきたしているとしか言いようがないのである。】


【64】

 /321/(9)【MEGA II/4.2,S.482,30-41】194)通貨Circulation〕,貨幣,資本①②(ⅰ)「鋳貨または貨幣のうちで,公衆の手のなかにあって,商品の交換を成し遂げることに充用されている部分だけが通貨Circulation〕の名に値いすることは明らかであり,それにたいして,銀行業者または商人の手のなかに眠っていて,有利な投資の機会を求めているすべての鋳貨または地金資本である。--資本,それは,節約原理の導入によって永久にか,あるいは,通貨〔circulation〕の必要が減少する,1年のうちの特殊な諸時期に,一時的にか,流通から引き揚げられることがありうる。」(『エコノミスト』,1845年度,238ページ。)(ⅱ)「そして,預金が短期のものであり,いつでも預金者が自由に使えるからといって,なんらかの点で過程が変えられるわけではない。というのは,それがだれかによって引き出されるとしても,それは他のだれかによってもとに戻されるのであって,||322|一般的平均はあまり変わらないからである。」(同前。)/195)

  ①〔注解〕「通貨と銀行業。第2論説」。所収:『エコノミスト』,ロンドン,第11号,1845年3月15日,238ページ。
  ②〔注解〕『エコノミスト』では次のようになっている。--「それゆえ,鋳貨または貨幣のうちで,いつでも公衆の手のなかにあって,商品の交換を行なうことに充用されている部分だけが通貨Circulation〕の名に値いするのにたいして,銀行業者または商人の手のなかに眠っていて,有利な投資の機会を求めているすべての鋳貨または貨幣または地金は資本である。」
  ③〔注解〕「過程〔process〕」--『エコノミスト』では「事柄〔matter〕」となっている。

  194)〔E〕エンゲルス版では,このパラグラフは削除されている。
  195)このあと草稿では,『銀行法委員会報告』1857年,におけるノーマンとオウヴァストンとの証言の抜き書きと批評(MEGA II/15,S.409.6;MEW25,S.432.17v.u.以下)に移っていく。ここからの草稿部分は,本書では次章「「貨幣資本の蓄積。それが利子率に及ぼす影響」(エンゲルス版第26章)に使われたマルクス草稿について」のなかに収める。〉 (212-213頁)

 【この抜き書きは〈エコノミスト』,1845年度〉からなされた二つの抜粋からなっている。それぞれに番号を付す。マルクスによって〈通貨Circulatlon〕,貨幣,資本〉という表題が付けられている。

  (ⅰ) これは明らかにマルクスが「通貨」と「貨幣」と「資本」とのそれぞれの概念の区別に注目して抜粋したものであり、極めて重要である(しかし訳者注194)によればエンゲルスはこのパラグラフ全体を削除しているのだという)。〈鋳貨または貨幣のうちで,公衆の手のなかにあって,商品の交換を成し遂げることに充用されている部分だけが通貨Circulation〕の名に値いする〉というのは特に重要である。ここで〈鋳貨または貨幣〉と述べているものは、マルクスが〈貨幣〉と述べているもので、これは抽象的な貨幣の規定性にもとづいたものである。そして〈公衆の手のなかにあって,商品の交換を成し遂げることに充用されている部分だけが通貨Circulation〕の名に値いする〉と述べているのは、「通貨」を極めて厳密に規定したものとして注目に値するわけである。つまり貨幣の流通手段と支払手段とを併せた機能をもつもの(広い意味での流通手段)こそが「通貨」と呼ばれるべきものだとしているのである。
   そしてそれに対して〈銀行業者または商人の手のなかに眠っていて,有利な投資の機会を求めているすべての鋳貨または地金資本である〉というのは、これは利子生み資本(moneyed capital)を事実上言い表しているという点でも、マルクスは注目しているといえる。つまり同じ鋳貨や地金でも公衆のなかにあって、商品流通を媒介しているものだけが「通貨」といいうるのであって、それが預金されて銀行にあって、有利な投資先の機会を求めているようなものは、「通貨」ではなく、利子生み資本という意味での貨幣資本(moneyed capital)なのだ、ということである。これを見ても、マルクスが大谷氏が主張するようように「預金通貨」なる概念を肯定的に扱っているなどということは決して言えないことが分かるのである。
   ただここで注意が必要なのは、『エコノミスト』の発行者であるウィルソン自身は貨幣を素材的にしか考えておらず、銀行業者や商人の手のなかで眠っているようなものは、すでに鋳貨ではないという認識がない。彼にとっては銀行業者の手にあるものもやはり素材的に見るかぎりでは鋳貨(コイン)でしかないし地金でしかないわけである。彼は資本をほぼ利子生み資本として捉えているが、しかし利子生み資本という概念が明確にあるわけではない。むしろ資本を、利子生み資本としてのみ理解して、利子生み資本と資本一般とを同一視するという誤りに陥っているのである。

  (ⅱ) の抜粋は、ある特定の預金が短期でいつでも預金者が自由に引き出せるものだとしても、〈なんらかの点で過程が変えられるわけではない〉とある。つまり預金が定期預金のようなものではなく、短期でいつでも自由に預金者が引き出して使えるものだったとしても、預金そのものを通貨ということはできない、と述べている。確かに引き出されて商品の購入に使われたり、支払に使われるなら、それらは通貨といいうるが、しかし引き出されたものはすでに預金ではない。預金そのものは、一方で引き出す預金者があっても、他方で預金するものもいて、平均としてはそれほど変わらないのだから、そうした一般平均としてある預金を通貨などということはできないということである。

   マルクスはこの『エコノミスト』の記事を諸概念を基本的に正しく区別して論じているという点で評価して抜粋したといえるだろう。その意味ではエンゲルスがこれを削除したのは不可解である。

 この部分は、小林賢齋氏も前掲著書で紹介しているので、長くなるが、それを紹介しておこう。

  〈ウィルソンによると,「R.ピール卿の銀行業法案(banking measure)並びにこの法案が明らかに……その上に打ち立てられている通貨の制度ないしは原理の根本的誤謬は,まさに,通貨の機能を遂行するものとしての貨幣または鋳貨と,資本を代表するものとしての貨幣または鋳貨との,ある適切な区別の欠如にまで明らかに遡り得る」のである。実際「ロイド[オーヴァーストーン],ノーマン,トレンズ氏等」は,「地金の輸入は,通貨(circulation)を増大し,物価を引上げ,輸入を刺激し,為替相場を是正するという効果[--「通貨原理(the doctrine of currency)」--]に絶対的な信頼を置いている。」それに対しウィルソンは,「実は地金の輸入や輸出は,通貨(circulation)(初めから純粋金属通貨について語っているのだが)にはどんな直接の効果も持たないということを信じて」おり,また「地金が輸出されたり輸入されたりする通常の場合は,すべて,輸出または輸入を促した同じ諸原因が,当初は,流通にある鋳貨の量に,ロバート・ピール卿の法案並びにロイド氏の理論によって示されたのとは反対の方向に作用するであろうということが,疑いもなく証明され得ることを信じている。
 と言うのは,彼によると,「鋳貨あるいは貨幣のうちで,いつでも公衆の手中にあって諸商品の交換を行うことに用いられている部分だけが通貨(circulation)と見なされるに値する,が他方,銀行業者あるいは貿易商(merchant)の手中に横たわっていて,利益ある投資機会を求めている鋳貨または貨幣または地金はみな,資本--即ち,恐らくは,流通から,永久に,つまり節約する原理の導入によって引き上げられたか,あるいは一時的に,つまりその年のうちでごく僅かの通貨が必用とされる特定の時期に引き上げられた資本--である,ということは明らかである」からである。そして他方,この流通から「引き上げられ」「資本」となる鋳貨,貨幣,地金は預金銀行制度の下では銀行に預けられる(後述)が,その「預金は短期間であっても,そしてそれが常に預金者たちの支配下にあっても,いかなる点でも事態(the matter)に変わりはない。なぜなら,それら[預金]はある人によって引出されても,他の人によって補填されるからであり,そして一般的平均は大きくは変わらないからである」4),と。
  つまりウィルソンによると,「流通に必要な貨幣量」は,したがって通貨量は,商品の取引量に依存するので増減するが,流通から引き上げられた「資本」としての「貨幣」である預金の量は「一般的には大きくは変わらない。」この両者の増減は異なった「原理」による,と言うのである。そしてこのような「通貨と資本の区別」は,彼の場合にも,国内流通に必要な通貨量は,例えば輸出商品という「資本の補填」として貿易商の手中にある「資本」--輸入金地金--量の増減とは異なった原理によるという主張の伏線となっていく。〉 (65-66頁)

  これを見てもウィルソンの場合、貨幣を素材的にしか捉えず、形態規定性で捉えることが出来ていないという欠陥はあるが、通貨と利子生み資本(monied capital)との区別が明確になされていることが分かるであろう。これは当時としては大したものである。いまだに(残念ながら大谷氏も含めて)「預金通貨」などを持ち回って、この点で混乱している御仁が余りにも多いのだから。

  ついでに注4)では、今われわれが検討している部分について次のように指摘している。

  〈4)因みにマルクスは,手稿「信用。架空資本」の第2項である「補遺(Zusatze)」部分の,最後の,しかし最も長い小見出し部分「通貨(Circulation),貨幣,資本」の最初に,『エコノミスト』誌から,この個所を引用している。〉 (68頁)

  また別のところでは、マルクスが『エコノミスト』からこの部分を抜粋した意図を次のように推測している。

  〈実は「エコノミスト』誌からのこれらの引用は,一連のウィルソンの論説「通貨と銀行業」の「第2論説(Article Ⅱ)」で,「銀行業の実際の考察に立ち入る前に」予め世上での「一般的な見解」である通貨学派の基礎的諸概念の「混乱」を批判するために,「資本としての貨幣」と「通貨としての貨幣」との「区別」を「明らかにすることが,最も本質的と考える」とした上で指摘している,ウィルソンの「通貨」と「資本」との区別の個所であり,これらは同一パラグラフの中の続いた1つの文章からの引用なのである。
 だからマルクスは,「通貨,貨幣,資本」というこの小見出しの項目の下で,ピール銀行法批判の論陣を張った『エコノミスト』誌の主張を,通貨学派に対置して最初に置き,そして手稿では,この『エコノミスト』誌からの引用の次に,『銀行法特別委員会報告書(1857年)』からのノーマンおよびオーヴァーストーンの証言の抜き書きとそれについてのコメントを書き記していったものと見ることができる。〉 (380頁)

   これを見ると、小林氏は大谷氏とは異なり、この抜粋はそれに続くノーマンおよびオウヴァストンの証言の抜き書きとそれに対する批判的コメント(大谷氏が「第26章の草稿」とした部分)の冒頭をかざるものと考えているようである。確かにそのように考えた方が良いように私にも思える。
   そうすると大谷氏が〔信用制度についての雑録〕とした部分は、【63】パラグラフのマルクス自身のコメントで締めくくっていると考えることができるからであり、これの方がある意味ではキリが良い。
   またそれに続く【64】パラグラフのウィルソンの『エコノミスト』からの抜粋は、明らかにそれまでの議会証言からの抜粋とは違った性格をもっており、銀行学派を代表する主張として、それに続く通貨学派を批判していくなかで、彼らの混乱がまさに〈通貨Circulatlon〕,貨幣,資本〉の諸範疇を明確に捉えることができず、混乱していることにあるのだと、最初に示す意図がマルクスにあったと捉えることが出来るからである。このように最初に諸範疇の区別を明確に示すやり方は、現行版第28章該当部分--草稿では「Ⅰ)」と項目番号が打たれた部分--で銀行学派の混乱を批判する直前においても、次のようにやっていることに注意すべきである。

  〈トゥク,ウィルスン,等々がしている,Circulationと資本との区別は(そしてこの区別をするさいに,鋳貨としての流通手段と,貨幣と,貨幣資本と,利子生み資本(英語の意味でのmoneyed Capital)とのあいだの諸区別が,乱雑に混同されるのであるが〔)〕,次の二つのことに帰着する。〉 (大谷『マルクスの利子生み資本論』第3巻97-98頁)

  しかしまあ、われわれとしては大谷氏の区分を前提にしているので、とりあえず、〔信用制度についての雑録〕の部分は以上で終わりにしよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

§§〔信用制度についての雑録〕部分のまとめのようなもの

  これは抜粋ノートであるから、果たしてまとめるほどの関連があるのかどうか分からないが、一応、ノートを振り返ってみよう。そのために、まず、マルクスが抜粋した書籍や委員会報告などを区別して分類し、抜粋する上でその部分の表題や注目点として書いたと考えられるものを、パラグラフごとに書き出してみることにする。著書からのものは抜粋部分のページ数、議会証言からのものは証言番号を出てくる順序にもとづいて書いてみた。

◎ギルバト『銀行業の歴史と理論』からの抜粋

【32】〈準備ファンドの節約。預金,小切手〉(ページ=124)
【33】〈銀行の組織について。1)支店。2)代理店。--地方銀行業者は次のようにしている〉(134)
【34】〈銀行業と投機〉(137,138)
【35】〈手形の割引によるさまざまな事業部門への諸資本の配分〉(153,154)
【36】マルクス自身による表題はないが〈「長期手形は投機を助長する。」(〔ギルバト,〕〉とだけ書かれている。(156)
【37】〈当座貸越cash credit〕,過振りoverdrawing〉(175)
【38】〈商品担保の貸付Loans auf Waaren〕。〉(180,181)

◎『商業的窮境』『委員会からの報告』からの抜粋

【39】〈現金でなく手形での支払い〉(証言番号=7、17、18、21、19)
【40】〈1847年の春(4月)には,〉(177、521-522の要約、562)
【41】これは見出しがないが、その前の抜粋の続きと考えられる。(207)
【42】これもその前の抜粋に関連したもので〈サミュエル・ガーニも次のように言っている〉とマルクス自身の表題がある。(1754、1755)
【43】〈上に引用した,リヴァプール株式銀行重役のA.ホヂスンは,イングランド銀行は「要するに,為替手形の通常の転換可能性の行く手に障害物を設けたのです」,と言っている〉これがこのパラグラフの全文だが、〈上に引用した〉と述べているのは、【39】パラグラフを指している。(205)
【44】〈彼は,現在の非常に低い利子率を,「商業がほとんどまったくだめになり,貨幣を運用する方法がほとんどまったくなかった」ことから説明している〉これもこれだけのパラグラフである。ここで〈〉というのは【43】に出てくる〈リヴァプール株式銀行重役のA.ホヂスン〉のことと考えられる。(231)
【45】〈手形が銀行業者の準備ファンド〔となる〕。同人〔ホヂスン〕。〉(352)
【46】〈投機手形Bills of speculations〕。綿花手形〉(5092、5094)
【47】このパラグラフは【46】に続くものと思える。(600)
【48】これも同じで【46】に続くものであろう。(601)
【49】〈東インド市場(および中国市場)での大過剰取引Haupt Overtrading〕(1847年)〉これはこれ以下のパラグラフの表題である。(表題なので証言番号はない)
【50】〈チャールズ・ターナ(リヴァプールで東インド貿易にたずさわる商人)〉(677)   マルクスによる表題があるが、これは【49】に続くものである。
【51】これは表題はないが、【49】から続くものである。(687、688、786、971)

◎『通貨理論論評、云々』からの抜粋

【52】〈moneyed Capitalの蓄積とそれが利子率に及ぼす影響〉(32,36)

◎ハバド『通貨とわが国』からの抜粋

【53】表題はないが、それは【52】に関連したものだからであろう。([40,]41,42)
【54】これも表題はないが、同じように【52】に関連したものと考えられる。(68)

◎『商業的窮境』の議会証言から抜粋

【55】〈1846-47年。飢饉の結果,食糧の大量輸入が必要となった〉(648、730)
【56】〈(S.ガーニ,ロンドンのビル・ブローカー)(同前)〉これも【55】と同様、1847年恐慌に関連したものといえるだろう。(1664、1763)
【57】これも表題がないが、やはり1847年恐慌に関連したものと考えられる。(2675、3800、3846、3848、4356、4357、4358、4359、4360、4361)
【58】〈銀行業者による退蔵Hoarding〕。〉(4605)
【59】表題はないが、【58】と関連したものであろう。(4691)
【60】〈資本の価値〉(4777)
【61】〈信用の容易さ(貨幣の豊富さ)。〉(4886、5080)
【62】〈逼迫期に貨幣取扱業者がどんなにはげしく暴れまわるかについて,トゥクは次のように言っている〉(5451)

◎マルクスのコメント

【63】〈{手形が貨幣の介入なしに役立つ仕方はきわめて簡単である。Bに手形を支払わなければならないAは,Bに自分の取引銀行業者あての為替手形を与え,Bはこの為替手形を自分の取引銀行業者に払い込む。そしてこの両方の銀行業者が為替手形を交換し合い,相殺するのである。}{もしAとBの両方が同じ銀行業者と取引をしているならば,過程はもっと簡単である。〔}〕〉これは全体が{ }に入っており、マルクス自身の書いたものである。

◎『エコノミスト』からの抜粋

【64】〈通貨Circulatlon〕,貨幣,資本〉(238)


  さて、一番最後の『エコノミスト』は別に置き、またその前の抜粋の締めくくりと考えられなくもないマルクス自身のコメントのパラグラフも別にすると、全体を俯瞰してみると、最初はギルバト『銀行業の歴史と理論』からの抜粋からはじまり、議会証言からの抜粋が続き、間に『通貨理論論評、云々』とハバド『通貨とわが国』からの抜粋が挟まり、議会証言からの抜粋を再開し、終わっている。
  しかし実は抜粋ノートとしてマルクスが作成したものは、これだけではない。本文の原注に採用されたものもあるからである。マルクスは原注として頁の下段に書いたもの以外にも、抜粋ノートの部分から原注を補足するために、「原注○○へ」などと付しているものもあり、そうしたマルクスの指示にもとづいて大谷氏は原注に付け加えているものもあるからである。だからとりあえず、この抜粋部分をどのようにマルクスは書いていったのかについて、大谷氏の説明をみておくことにしよう。

 〈彼はまず,ギルバトの書を--「銀行業者からその顧客への前貸は,他の人びとの貨幣で行なわれる」という一文を先取りしているのを除いて--ページを追って抜き書きしている。関連する一群の引用ごとに見出しをつけるか,本文への注とすることを記していった。次に,「注hに」とした,『マンチェスター・ガーディアン』から引用したあと,『商業的窮境』1847年,から多数の抜粋をした。ここでも見出しをつけ,関連するものをまとめており,そのために途中に若干の前後はあるが,48にものぼる,利用された証言の番号を見られればわかるように,基本的にはじめの方からおわりの方へと順次進んでいったのである。その途中に,「monied Capitalの蓄積とそれが利子率に及ぼす影響」という表題のもとに,『通貨理論論評』とハバドとからの引用がはいっている。最後は,マルクスの短い覚え書きののち,『エコノミスト』からの抜粋で終わっている。見られるように,要するにこの部分は抜粋ノートなのである。そこで,見出しとされているテーマも,本文部分に直接関係するものもあれば,それほどでもないものもある。もちろん抜粋ノートといっても,ここでの主題に関連するものを拾っているのであるから,多かれ少なかれなんらかの関係があることはいうまでもない。〉 (新本第2巻122-123頁)

  要するに、抜粋ノートだから主題と関連すると言ってもそれほどのものではない、といったところであろうか。しかし大谷氏はわれわれのパラグラフ番号で【63】のマルクス自身によるコメントについては単なる〈短い覚え書〉として大した関心も示していない。それに最後の『エコノミスト』からの抜粋も同じ雑録として捉えている。また議会証言の証言番号を見ると決して大谷氏がいうように〈基本的にはじめの方からおわりの方へと順次進んでいった〉といえるようには思えない。明らかに証言番号は前後しており、単に若い順から抜粋していったなどとはいえないように思える。マルクスは何らかの問題意識にもとづいて関連する証言を取捨選択して抜粋しているのである。だからもう一度、それぞれの抜粋を振り返って、マルクスはどういう問題意識で抜粋したのかを探ってみることにしよう。

◎ギルバト『銀行業の歴史と理論』からの抜粋(【32】~【38】)

  このギルバトの著書からの抜粋は雑録部分に収められたものだけではなく、原注として採用されたものもある。それらをすべて拾いだすと次のようになる(長くなる部分は一部略す。われわれのパラグラフ番号と括弧内の数字はギルバトの著書の頁数)。

 【8】〈手形(その割引)によって,商人は信用を与えることができ,自分の資本になんらかの追加をする必要なしに,自分の取引を拡大することができる〉(152)
 【27】〈「銀行の事業資本〔trading capital〕は二つの部分から,すなわち投下資本〔invested capital〕と借り入れられたその銀行業資本〔banking capital〕とから成っている。」「銀行業資本あるいは借入資本を調達するための三つの方法は,第1に預金の受け入れによって,第2に銀行券の発行によって,第3に手形の振り出しによって,である。……(中略)……以上は,銀行業の諸操作を,また預金,銀行券,手形によって銀行業資本が創造される方法を,偏見なく描いたものである。」{「銀行業者の利潤は,一般に,彼の借入資本あるいは銀行業資本の額に比例する。銀行の本当の利潤を確定するためには,投下資本にたいする利子を総利潤から引き去らなければならない。残額が銀行業利潤である。」}「銀行業者からその顧客への前貸は,他の人びとの貨幣で行なわれる。」「銀行券を発行しない銀行業者でさえも,手形の割引によって銀行業資本を創造する……(以下、略)」「手形を割り引いてもらってその全額にたいして利子を支払った当事者は,この額のうちの多少の部分を,利子なしに銀行業者の手に残しておかなければならない。この方法で銀行業者は,実際に前貸された貨幣にたいしてそのときの普通の利子率以上のものを受け取るのであり,また彼の手に残された残高だけの銀行業資本を調達するのである。〉(117、118、146、119、[119、]120)
 【28】〈「発券銀行はつねに自己の銀行券を発行するので,その割引業務はもっぱらこの最後の種類の資本〔」〕{銀行券そのものによって調達された資本}〔「〕で営まれるように見えるかもしれないが,そうではないのである。銀行業者が自分の割引する手形のすべてにたいして自分自身の銀行券を発行するということは大いにありうるが,そうであるにもかかわらず,彼の手にある手形の10分の9が現実の資本を表わしているかもしれない。というのは,まずはじめには手形にたいして銀行券が与えられるのではあるが,しかしこれらの銀行券は,手形が満期になるまで流通のなかにとどまっている必要はないからである。手形は満期まで3か月間あるのに,銀行券は3日のうちに帰ってくるかもしれないのである。」〉(172)

   これを見ると、先取りされているのは、大谷氏が指摘するものだけではなくて、【8】パラグラフもそうであるが、しかしこれは恐らく原注として直接下段に書かれたものなのであろう。【27】パラグラフのものは最初に〈{注1)へ(318および319ページ)〉と書かれているので、恐らく抜粋ノートのなかの一部分にこうした指示が書かれていると思われる。【28】パラグラフも最初に〈注1へ318ページ〉と指示書きがあるので、これも恐らく抜粋ノートのなかの一部であると考えられる。
  ギルバトの著書からの抜粋はほぼ頁順に抜粋されているようなので、いま、頁順に並べてみると次のようになる(赤は原注に採用されたもの)。一応、直接原注にされた【8】も含めて書き出してみた。

【27】(117、118、119、[119、]120)、【32】(124)、【33】(134)、【34】(137,138)、【27】(146)【8】(152)、【35】(153,154)、【36】(156)、【28】(172)、【37】(175)、【38】(180,181)

  しかしやはり抜粋ノートという性格からそれぞれの抜粋の直接的な関連を見いだすのは少し無理があるようである。とりあえず、ギルバトの著書からのものはこれぐらいにする。

◎『商業的窮境』『委員会からの報告』からの抜粋(【39】~【51】)

  次に『商業的窮境』1847年からの抜粋であるが、これも原注に採用されているものもある。今、それを書き出してみよう。括弧内は証言番号。

【22】(901、902、903、904、905、907、911、992)
【23】(4636、4637、4645)
【26】(3763)

  さて、この議会証言からの抜粋は確かに第7号から始まっているが、しかし番号は前後しており、一つにまとめられた抜粋のなかにも飛び飛びの証言番号から採用されたものもあり、どう考えても大谷氏が〈基本的にはじめの方からおわりの方へと順次進んでいった〉などとはいえないような気がする。しかし確かにそれぞれの問題意識にもとづいて関連する議会証言を取捨選択して集めているとはいえるが、それぞれのひとかたまりにされた抜粋同士の関連はどうかといわれると、それほどの関連は見られない。しかし貿易による手形信用に関連した抜粋が多く行なわれ、鉄道株の投機など、やはり1847年恐慌に関連して、その原因を解明していく上で必要なものを抜粋しているという感じがある。

◎『通貨理論論評、云々』からの抜粋(【52】)
◎ハバド『通貨とわが国』からの抜粋(【53】~【54】)

 これらの抜粋が、それまでの議会証言のあいだに挟まる形で置かれているので、同時に検討することにしたい。これらが、なぜ、それまでの議会証言の抜粋を一旦止めて、その間に挟まる形で抜粋されているのかは、だいたいの推測はできる。それまでの議会証言では、貿易による手形信用とそれらが投機に使われる様を抜粋しているが、そのなかで過剰取引や過剰信用が発生することが明らかにされている。
  そしてそれに関連する形で、イギリスの余剰の富の蓄積について言及している『通貨理論論評、云々』からの抜粋が続いているのである。これらの抜粋の最初に書かれている〈moneyed Capitalの蓄積とそれが利子率に及ぼす影響〉の表題は明らかに次のハバドの抜粋も含めたものと考えることができる。『通貨理論論評、云々』からの抜粋では、余剰の貨幣資本の蓄積によって利子率がほとんとあるかないかの状態まで下がってしまったことを指摘しており、ハバドの著書からは遊休資本の減少による利子率の上昇と過剰の通貨は預金の増加をもたらし、利子率を最低限まで引き下げるという二つの部分が抜粋されている。

◎『商業的窮境』の議会証言からの抜粋(【55】~【62】)

  この部分の議会証言は、明らかに1847年恐慌に至る過程を追ったもののように思われる。そして恐慌時には、イングランド銀行をはじめ金融業者たちが、その危機を利用していかにぼろ儲けを行うかを暴露するという意図も伺うことができるような気がする。

  いずれにしても、やはり抜粋ノートという性格は明らかであり、これ以上の詮索は不要であろう。ほとんど纏めらしい纏めにはならないが、これは事の性格上やむを得ないであろう。

  (以上で、大谷氏が〈第25章および第26章の冒頭部分の草稿,それとエンゲルス版との相違〉と題して紹介している草稿部分の解読は終わりである。)
 

2020年9月 3日 (木)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(25・26-17)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(続き)

 


  〔信用制度についての雑録〕(続き)

【55】

 /321/(2)【MEGA II/42,S.480.36-481.41】L 179) 1846-47年。飢饉の結果,食糧の大量輸入が必要となった。〔議会報告『商業的窮境』,1847-48年。第648号。〕①②(ⅰ)「……輸出にたいする輸入のきわめて大きな超過が生じました。……そのために銀行では著しい〔正貨〕流出が生じ,また,割引ブローカーやその他の関係者のもとには手形割引の申し込みが増加しました。ブローカーたちはそれまでよりも厳しく手形を吟味しはじめました。商社への信用供与の削減はきわめて深刻なものとなり,弱い商社は破産しはじめました。まったく信用に頼っていた商社は[481]つぶれました。これは,すでにその前から感じられていた恐慌状態〔Alarm〕を増大させました。銀行業者やその他の関係者は,自分の債務を果たすために自分の手形やその他の有価証券money securitiesを銀行券に換えることを,それまでと同じ程度の確実さであてにできなくなっていることに気づいて,自分の信用供与をさらにいっそう削減し,多くの場合それをまったく拒絶しました。多くの場合,自分自身の債務を支払うために,彼らは自分の銀行券をしまい込みました。彼らはそれらを手放すことを恐れていました。恐慌状態と混乱は日々大きくなっていましたので,ラッセルの書簡がなかったら一般的な破産が生じたでしょう。」(『商業的窮境』,1847-48年,74,75ページ。語っているのは,リヴァプールの東インド〔貿易〕商人,チャールズ・ターナである。)〔第730号。(ⅱ)「〕多くの商社が大きな資産をもっていましたが,しかしそれらは換金可能available〕ではありませんでした。彼らの資本は全部,モーリシャス島の地所やインディゴ工場や砂糖工場に固定されていたのです。50-60万ポンド・スターリングの負債を負ってしまうと,彼らは自分の手形を支払うための換金可能な資産をもっていませんでした。そして結局,彼らが自分の手形を支払うのに,まったく彼らの信用に頼っているのだということがわかりました。」(同前,81ページ。)

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S,252.37-253.17.)
  ②〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「諸事情のこのような結合は,この国の輸入が,商業的輸出が支払うことのできるどんなものも越えるほどに,きわめて大きく超過させました。……この正貨を求める需要は諸銀行での著しい流出を生じさせ,また,……」
  ③〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「もちろん恐慌状態と混乱は日々大きくなっていました。そして,ジョン・ラッセル卿と大蔵大臣がイングランド銀行への書簡を発行しなかったならば--彼らはこの書簡を結局発行したのですが--,一般的な破産がその結果だっただろうと思います。」
  ④〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.255.1-5.)

  179)〔E〕「1846-47年。飢饉の結果,食糧の大量輸入が必要となった。」→ 「次の抜書きはふたたび『商業的窮境』に関する議会報告,1847-48年,から採ってきたものである。--1846-47年の凶作と飢饉との結果,食糧の大量輸入が必要となった。」〉 (205-207頁)

  【これは〈議会報告『商業的窮境』,1847-48年〉からの抜粋であるが、最初の〈1846-47年。飢饉の結果,食糧の大量輸入が必要となった〉というのはマルクスによるこの抜粋につけられた表題であろう。1846-47年というのは1847年恐慌のパニックに至る時期であり、不作による飢饉が生じ、食料の大量輸入が必要になったということである。
 この間の飢饉の状況は川上忠雄著『1847年恐慌』(御茶の水書房2013年2月25日)に詳しい(同書48-58頁参照)。特にジャガイモの立ち枯れ病はアイルランドに深刻な飢饉をもたらしたという。同書には1846年12~47年4月の穀物及び穀粉輸入の増加を示す下記のような表が紹介されている(同書49頁)。            

  184612474

 こうした大量輸入が生じた原因について同書は次のように分析している。

 〈主要には、言うまでもなく、パン消費の増大。「大量の小麦輸入にも拘わらず連合王国の製粉工場が以前のどの時期にも見られない活動状態にある事実ほど、我が国で異常なまでに大量のパン消費が行われていることをよく証明するものはない。これは最近では疑いもなくある程度アイルランドの需要に帰せられる。しかしまた、イングランド全土を通じて小麦粉の需要が前例を見ないことも確かである。」
 それにもう一つ、労働力不足。8月収穫期が近づき、例年通り穫り入れのための出稼ぎがリヴァプールに殺到するのではと期待していた。ところが、例年通り来なかったのだ。驚くべき事態だった。飢饉のアイルランドで展開された公共事業が安い賃金にせよ労働力を吸収した。46年末には46万人に達していた。しかし、そればかりではない。大鉄道建設が王国全土の農村から27万人もの建設労働者を吸引していた。それで1846年秋には刈り入れ出稼ぎの不足から稔った麦が刈入れされないで畑に放置される例が広がったのであった。
 だが、供給不足は単に需要増に対して供給が立ち遅れたというにとどまらなかった。農業分野では実は大きな異変が生じていた。イギリスだけでなくヨーロッパ全土に収穫を壊滅させる深刻なジャガイモの病害が広がり、イギリスではジャガイモを主食としていたアイルランドを飢饉に陥れたのである。そしてこれこそ穀物大量輸入の決定的な要因となるのである。〉 (同書49-50頁)

 さて、今回のパラグラフは二つの抜粋からなっているが、次の【56】と【57】も今回のマルクスの表題に関連した抜粋と考えてよいであろう。とりあえず、二つの抜粋に(ⅰ)(ⅱ)の番号を打ってそれぞれを見て行くことにしよう。

  (ⅰ) これはリヴァプールの東インド貿易の商人、ターナーが1847年恐慌の状況を語っているもののようであるが、下線はマルクスによるものであり、マルクスが何に注目しているかをそれは示している。輸入超過が生じて、正貨(金貨)の流出が生じたという指摘に下線を引いている。そして割引ブローカー(これはビル・ブローカーのことであり、後に割引商会とも呼ばれる)やその他の関係者は、自分の債務を果すために自分の手形やその他の有価証券をイングランド銀行券に換えることが困難になっていることに気づき、信用供与をより慎重にし、つまり顧客から持ち込まれる手形を割り引く際に、慎重にそれらの手形を吟味しはじめ、多くの場合はまったく割引を拒絶したとある。そればかりか彼らは、自分自身の債務の支払いのために銀行券をしまい込んだとある。一般の商人たちが諸支払いに迫られて、支払手段が求められる時に、反対に銀行券は退蔵されてしまうわけである。ここでラッセルの書簡と言われているのは、時の大蔵大臣がイングランド銀行に対して、1844年の銀行条例の一時停止の書簡を送ったことを指しているが、この書簡が送られたという事実だけで、条例の停止を待つまでもなく、信用状態は回復し、破綻は免れたわけである。

  (ⅱ) では、多くの商社は資産は持ってはいたが、それらは植民地に投下されたもので、すぐに換金できるものではなく、結局、手形の支払い期日が来ても、支払いができず、彼らの手形は、まったく彼らの信用に頼っているものに過ぎないことが暴露されたと指摘されている。つまり彼らの植民地への投資もすべて信用でまかない、そこからあげられる利潤から返済される予定であったが、しかしそれには一定の期日が必要であり、それまでに信用が揺らげば、ただ破綻するしかないというわけである。】


【56】

 第1664号。(S.ガーニ,ロンドンのビル・ブローカー)(同前)(ⅰ)「現在〔」〕(1848年)〔「〕,取引は制限され,また貨幣は非常に過多a great superabundanceなっています。」第1763号(ⅱ)「私は,利子率がこんなに高くなったのは資本の不足のせいではなくて,恐慌状態{銀行券を入手することの困難}のせいだったと思います。」

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.259.25-26.)
  ②〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.260.2-4.)
  ③〔注解〕括弧でくくられたこのコメントはマルクスによるもの。〉 (207頁)

 【この抜粋は〈S.ガーニ,ロンドンのビル・ブローカー)〉という同じ人物の証言を取り上げているが、二つの抜粋からなっている。証言番号から考えると、この二つの証言は必ずしも関連した証言として抜粋されたとは言えないように思える。なぜなら、まず(ⅰ)の抜粋は、1847年恐慌後の1848年「現在」の状況を物語るものであるが、しかし(ⅱ)は1847年の恐慌当時の利子率の異常に高くなった理由についての証言だからである。だからこの二つの証言はそれぞれ切り離して検討することにしよう。

  まず(ⅰ)について、〈取引は制限され〉というのは、1847年の恐慌によって過剰生産が露呈して、1848年の今は沈滞期にあり、商業の取引も滞っているということである。そのために彼らの業務である手形の割引に対する需要も少なくなり、だから〈貨幣は非常に過多a great superabundanceなってい〉るわけである。つまり彼らが運用する貨幣資本(moneyed capital)が運用先を失い滞留しているということである。だからこのような状況では利子率も最低限に落ち込んでいるのである。

  (ⅱ) は、〈利子率がこんなに高くなったのは資本の不足のせいではなくて,恐慌状態のせいだったと思〉うというものである。そして〈恐慌状態〉のところに、マルクスは〈{銀行券を入手することの困難}〉という説明文を挿入している。そしてマルクスの下線部分を取り出すと〈利子率がこんなに高くなったのは資本の不足のせいではなくて……銀行券を入手することの困難だったせいだ〉ということになる。つまり利子率が異常に高くなったのは資本が不足していたからではなく(なぜなら資本はむしろ過剰だったのだから)、支払手段としての現金(銀行券)を入手することが困難だったからだ、というわけである。恐慌時には、誰もが支払手段の枯渇のために「鹿が清水を求めるように」、現金を求めるのであるが、しかしまさにその時に誰もが現金(銀行券や金)を手放そうとせず、反対に退蔵しようとするから、ますます利子率は高騰するわけである。もちろん、この背景には先にみた貿易収支の悪化による海外への金流出・イングランド銀行の金準備の減少と銀行券の発行制限、またそれによる信用の動揺という事態があるわけである。】


【57】

 〈〔第2675号。〕①183)(ⅰ)②③〔モリス〕1847年には,輸入された食糧の代価として,少なくとも900万ポンド・スターリングの金が(750万はイングランド銀行から,150万はその他の源泉から)輸出されました。〔」〕(同前,228ページ。)184){〔第3800号。〕⑤⑥(ⅱ)「1847年10月23日には,公債および運河・鉄道株はすでに114,752,225ポンド・スターリング減価していました。〔」〕(同前,312ページ。モリス,イングランド銀行総裁。)第3846号。(同じモリスがロード・ベンティンクに尋ねられる。)(ⅲ)「あなたは,債権やあらゆる種類の生産物に投下されていたすべての資産が同じように減価したということ,原綿も生糸も未加工羊毛も同じ低落価格で大陸に送られたということ,そして,砂糖やコーヒーや茶が強制売却で投げ売りされたということを,ご存知ではないのですか?--食糧の大量輸入の結果生じた地金流出に対抗するためには,国民がかなりの犠牲を払うこともやむをえませんでした。」第3848号(ⅳ)「そのような犠牲を払って金を取り戻そうとするよりも,イングランド銀行の金庫に眠っていた800万ポンド・スターリングに手をつける方がよかった,とは考えられませんか?--いや,そうは考えません。」このヒロイズムへの注釈。ディズレイリがW.コトン(イングランド銀行理事,前総裁)に尋ねる。第4356号ディズレイリ:(ⅴ)「1844年に銀行株主に支払われた〔配当〕率はどれだけでしたか?--その年には7%でした。〔」〕第4357号(ⅵ)〔「〕では,1847年の配当は?--9%です。〔」〕第4358号(ⅶ)〔「〕銀行は今年は株主に代わって所得税を支払うのですか?--そうです。〔」〕第4359号。⑪(ⅷ)〔「〕1844年にもそうしましたか?--185)そうしませんでした。〔」〕第4360号(ⅸ)〔「〕それならば,この〔銀行〕法は株主に非常に有利に作用したわけです〔ね?」〕第4361号(ⅹ)〔「〕結果は,この法が通過してから株主への配当は7%から9%に上がり,この法の前には株主が支払っていた所得税もいまでは銀行が支払うということですね?--まったくそのとおりです。」

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S,262.31-32.)
  ②〔異文〕「1846年10月31日,1000万」という書きかけが消されている。
  ③〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「その主な原因は第1に食糧のかつてない大きな輸入で,その支払いで大きな金額の地金の輸出が生じました。その規模は,イングランド銀行の金庫から約750万ポンド・スターリングと,その他の源泉から150万ポンド・スターリング以上で,合計900万ポンド・スターリングでした。」
  ④〔訂正〕「228ページ」--草稿では,「245ページ」と書かれている。〔これは,「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIでのモリスの証言からの抜粋で,当該箇所に記載されている報告ページ(MEGA IV/8,S.262.32)を書くべきところを,誤ってその次の抜粋箇所に記載されている報告ページ(MEGA IV/8,S.262.34)を書いてしまったために生じた誤記であった。〕
  ⑤〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.263.19-21)
  ⑥〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「第3800号。〔ベンティンク〕あなたは,この国の公債と運河および鉄道(株)は,10月23日にはすでに合計して114,752,225ポンド・スターリングの額まで減価していたことにお気づきですか?--〔モリス〕そう申し上げました。」
  ⑦〔注解〕この引用と次の「第3848号」からの引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.263.24-33.)
  ⑧〔注解〕このパラグラフのなかのこのあとの引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.264.9-16.)
  ⑨〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「〔ディズレイリ〕この年についてイングランド銀行が支払った配当はどれだけですか?--〔コトン〕この年について9%です。」
  ⑩〔訂正〕「第4358号」--草稿では,「第4359号」と書かれている。
  ⑪〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「〔ディズレイリ〕1844年にはそうしましたか?--〔コトン〕そうしませんでした。」

  183)〔E〕エンゲルス版では,この部分は引用符をはずして掲げられている。証言でモリスは,第2675号で挙げた数字を第3645号で「私はこう言いました」として繰り返して挙げているが,マルクスは前者から引用している。マルクスは「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIでは,証言第2675号がある228ページを正しく228ページと書いていたが,第1稿第5章のこの箇所に取り入れるとき,誤ってその次の抜粋につけられた245ページを書き写した(MEGAは,訂正注④に見られるように,草稿での245ページを正しく228ページに訂正している)。これらのページは報告そのもののページではなく,マルクスが抜粋に使用した大英博物館の綴込本の手書きページであった。旧インスティトゥート版では「204〔277〕ページ」となっているが,これは報告そのもののページで,「204ページ」が第2675号のあるページ,「277ページ」が第3645号のあるページである。MEW版が出典ページを「301ページ」としているのは,綴込本で第3645号のあるページであった。綴込本によるとしても,ここでは「301ページ」ではなくて,第2675号のある「225ページ」を取るべきところであった。
  184)〔E〕この括弧(草稿では角括弧)に対応する閉じ括弧は見あたらない。エンゲルス版ではここに,「イングランド銀行総裁モリス。--」とある。
  185)〔E〕エンゲルスはここに次のような脚注をつけている。--「すなわち,以前はまず配当が決定され,次に個々の株主に支払うときにその配当から所得税が引き去られた。ところが,1844年以後は,まず所得税がイングランド銀行の総利潤のうちから納付され,それから配当が「所得税免除」で分配されるようになった。だから,名目上のパーセンテージは同じでも,あとの方の場合には配当は税額だけ高くなっているわけである。--F.エンゲルス」〉 (207-209頁)

  【この抜粋も先のものと同様〈議会報告『商業的窮境』,1847-48年〉からの抜粋であり、1847年恐慌に関連したものである。このパラグラフそのものは10の抜粋からなっているが、その間にマルクスの若干の文言が挟まっている。引用に番号を付して検討して行こう。

  まず(ⅰ)は1847年恐慌時に、飢饉による穀物輸入のために流出した金地金は、合計900万ポンド(750万ポンドはイングランド銀行から、150万ポンドはその他の源泉から)に上ったことが指摘されている。同じJ.モリスの証言を川上忠雄が前掲書で紹介しているので、それを重引しておこう。

 〈第12号。4月に起こった逼迫と同年秋に起こった苦難に対する1844年法の効果について、あなたの意見を述べられましたが、あなたの意見でそれら二つの時期の貨幣市場の状態と商取引への圧迫に影響したとみられる他の諸原因について述べてください。--収穫不足によって惹起された前例のない大量の食糧輸入が、その支払いにイングランド銀行の金庫から約750万ポンド、そして他の源泉から多分150万ポンド以上、全部で900万ポンドもの大量の金輸出を要求しました。鉄道支出に投ぜられたいっそう巨大な金額に加えての、これまでの高度の信用状態と過度の投機に突如影響を与える、国内からの利用可能な資本のこの大量引き揚げによって、貨幣市場の逼迫が生じました。バンクが保持する金から750万ポンドの引き出しがあり、その結果それだけの銀行券の減少が起こりました。私は流通している金から150万ポンド流出したと推定します。それはもっと多かったかも、あるいはもっと少なかったかもしれません。しかし、1847年中の食糧の購入で約900万ポンドが流出したと推定します。〉 (前掲95頁)

  (ii) 1847年10月23日には公債・運河・鉄道株は1億15百万ポンドも減価していた事実が指摘されている。こうした架空な貨幣資本の極端な減価は恐慌時の一つの特徴である。これはイングランド銀行総裁のモリスが答えている。1847年10月17~23日というのは「恐怖の一週間」と言われ、それは貨幣恐慌のクライマックスであったと川上前掲書は指摘し、次のように書いている。

 〈信用関係の中枢ロンドン貨幣市場は、完全にその機能をマヒし、崩壊し去った。海外への金流出、すなわち世界貨幣としての金の機能が強制した貨幣市場の規制は、ここに貨幣市場の崩壊をもって完成されたわけである。その過程で限度を超えた信用創造によって演出されていた架空の資金形成は暴露され、資金の豊富の見せかけは消失した。〉 (143頁)

  このような地に落ちた架空資本を買いあさって、それがやがては資本価値を持ち直すことを見越して、貨幣資本家たちはぼろ儲けをしたわけである。

  (ⅲ) では、質問者(ペンディング)は、債権だけではなく、あらゆる種類の生産物に投下されていた資産が減価したこと、また原綿も生糸も未加工羊毛も低価格で大陸に送られたこと(ここで「大陸」とあるのはヨーロッパ諸国を指す。特に経済的にはベルギーとフランスが重要であり、北欧諸国などにも送られた)、そして砂糖やコーヒーや茶が強制売却で投げ売りされたという事実を指摘し、それを知らないのか、と質問している。それに対してモリスは地金流出に対抗するためには、国民がかなりの犠牲を払うのはやむをえなかったなどと答えているわけである。つまり自分たちの地金流出を防ぐために国民に犠牲を強いたことを公然と認めているわけである。

  (ⅳ) それに対して質問者(ペンディング)は、そんな犠牲を払うより、イングランド銀行の金庫に眠っている800万の地金に手を着けるべきではなかったのか、と迫っているが、モリスは「いや、そうは考えません」と答えている。

  (ⅴ)(ⅵ) 〈このヒロイズムへの注釈。ディズレイリがW.コトン(イングランド銀行理事,前総裁)に尋ねる。〉はマルクスによるものである。つまり上記のモリスの立場をマルクスは「ヒロイズム(英雄主義)」と皮肉っているのであるが、そのヒロイズムの背後に隠されているものを暴露するという意味で、〈注釈〉としているのである。そしてイングランド銀行理事コトンへのディズレイリの質問とそれに対する回答が紹介されている。つまりそのように国民に犠牲が強いられているときのイングランド銀行の株主への配当は、1844年(つまり好景気中)は7%だったのに、1847年の恐慌時には何と9%に昇っている事実を指摘している。つまり彼らは国民の犠牲はやむをえなかったかにいいながら、その実、自分たちはそれを横目に、それを利用して大儲けしていたということである。国民に等しく犠牲を強いることがやむを得ないというなら、イングランド銀行やその株主も等しく犠牲にあまんじるべきなのに、彼らは自分たちだけは別だと考えていたことを暴露しているわけである。

  (ⅶ)(ⅷ) は、さらに所得税を1947年の恐慌時には、銀行は株主に代わって支払ったという事実を指摘している。1844年にはそうしなかったにも関わらずである。つまりそれだけイングランド銀行は大儲けしていたということである。

  (ⅸ)(ⅹ) はそうした恐慌時に大儲けしたイングランド銀行に対して、ということは1844年の銀行法はイングランド銀行に対して非常に有利に作用したということか、結果は、この法が成立してから株主への配当が7%から9%に上がり、この法の前には株主が払っていた所得税までもいまでは銀行が支払うことになっているではないか、と質問しているのに対して、「まったくそのとおりです」とイングランド銀行理事コトンは答えている。
  つまり1844年のピールの銀行条例は、恐慌を防ぐと公言されて導入されたが、結果は、むしろ恐慌時の危機をより深めるように作用したのであり、そればかりか恐慌時にイングランド銀行がその危機を利用して大儲けすることを可能にしたのだということである。】


【58】

 [482]/321/(3)【MEGA II/4.2,S.482.1-81】①186)銀行業者による退蔵〔Hoarding〕。第4605号。(ピーズ氏。)「イングランド銀行が利子率をさらに引き上げざるをえなくなったので,だれもが不安になっているようでした。地方銀行業者は〔」〕(1847年に)〔「〕手持ちの地金の額を増やし,また彼らの〔イングランド〕銀行券の額を増やしました。そして,平素はおそらく数百万ポンド・スターリングの金および銀行券を手持ちしているのを常としていた私たちの多くが,たちまち数千万ポンド・スターリングを金庫や引出しのなかにしまい込みました。というのは,割引についても,われわれの手形が市場で流通できるかどうかについても,不安が広がっていたからで,これに続いて一般的な退蔵が起こったのです。〔」〕

  ①〔異文〕「銀行業者による退蔵。」--書き加えられている。
  ②〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.264.31-265.4,)
  ③〔注解〕パーレンでくくられたこのコメントはマルクスによるもの。

  186)〔E〕「銀行業者による退蔵Hoarding durch d.Bankers〕。」→ 「1847年の恐慌中の諸銀行の貨幣蓄蔵について,地方銀行業者のピーズ氏は言う。」〉 (209-210頁)

  【これも〈議会報告『商業的窮境』,1847-48年〉からの抜粋である。最初にマルクスによる〈銀行業者による退蔵〉という表題が付けられている。
  1847年の恐慌時には金地金の流出もあり、イングランド銀行は利子率をさらに引き上げざるを得なくなり、信用不安が生じ、地方の銀行業者たちは平時は数百万ポンドの準備(地金および銀行券)であったものを、恐慌時には、数千万ポンドを金庫や引き出しのなかにため込んだことが指摘されている(テキストでは〈数千ポンド・スターリング〉となっているが、恐らく〈数千ポンド・スターリング〉の誤植であろう。テキストでは訂正したものを掲載した)。それは信用が不安定になって割引についても不安が広がり、地方銀行業者が発行する手形が市場で受け入れられるか不安が広がっていたからだというのである。そしてこれに続いて一般的な退蔵が起こったと指摘している。つまり恐慌によって信用が収縮・崩壊するなかで、誰もが支払手段としての現金の必要を感じ、それを退蔵したということである。】


【59】

 /321/(4)【MEGA II/42,S.482.8-10】第4691号①189)「〔ケイリ〕それでは,12年このかた,その原因がなんであったにせよ,結果は,生産的階級一般にとってよりも,むしろユダヤ人や貨幣取扱業者にとって有利だったのです〔ね?〕」

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.265.13-15,)〉 (210頁)

 【この抜粋は、上記のものと関連したものであろう。つまり恐慌時に一般的退蔵が生じたという事実から、結局、1812年このかた、生産的階級一般(機能資本家階級)にとってよりも、ユダヤ人(これは金融取引をもっぱらとすると当時は考えられていた)や貨幣取扱業者(貨幣資本家階級)にとって有利だったのですね、というケイリの質問である。
  この質問が退蔵とどのように関連しているのか今一つ不明であるが、【57】パラグラフの後半で恐慌時にイングランド銀行が生産的階級一般が犠牲を払っていることをよいことに、むしろ大儲けしていたことを暴露していたが、ユダヤ人(先に紹介したマーチャント・バンカーの中にはロスチャイルド商会などユダヤ系の資本がある)や貨幣取扱業者がそうした恐慌時を利用して儲けたということであろうか。】


【60】

 /321/(5)【MEGA II/4.2.S.482.11-12】資本の価値第4777号「〔ウィルスン〕資本の価値について言えば,それは信用欠乏discreditの問題であって,〔資本の〕不足scarcityの問題ではないでしょう〔?〕」

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.265.24-25.)〉 (210-211頁)

 【この抜粋には、マルクスによる〈資本の価値〉という表題が付けられているが、いま一つ意図がよく分からない。〈〔ウィルスン〉は大谷氏が補足して付け加えたものだが、恐らく〈議会報告『商業的窮境』,1847-48年〉のなかで委員として出席したウィルソンの質問と思われる。しかし議会報告の現物を見ないと、その前後の関係が分からず、誰に対する質問なのか、それに対する回答は何なのかも知ることはできない。
  〈〔資本の〕不足scarcity〉の〈〔資本の〉も、最後の〈〔?〕〉マークも大谷氏による補足であるが、大谷氏も「資本の」と補足したが、自信がないので最後に「?」マークをつけたように思われる。
  いずれにせよ、とにかく大谷氏の補足を信じて、これがウィルスンの質問と考えて検討してみよう。ウィルソンが「資本」をどのように捉えているかは、このテキストの最後【64】パラグラフで紹介されているので、それを先取りする形になるが、見てみることにしよう。そこにはウィルソンが発行していた『エコノミスト』からの抜粋として次のようなものがある。

  〈「鋳貨または貨幣のうちで,公衆の手のなかにあって,商品の交換を成し遂げることに充用されている部分だけが通貨Circulation〕の名に値いすることは明らかであり,それにたいして,銀行業者または商人の手のなかに眠っていて,有利な投資の機会を求めているすべての鋳貨または地金資本である。〉

  これを見る限り、ウィルソンが「資本」と言っているものは、ほぼ利子生み資本(monied capital)のことである。こういう意味での〈資本の価値〉というのは、だから利子生み資本の「価値」、すなわち「利子率」のことである。だから上記のウィルソンの主張を言いなおすと、「利子率についていえば、それは信用が欠乏しているという問題であって、資本が不足しているという問題ではないでしょう。」ということになる。大谷氏は〈〔資本の〕不足scarcityの問題ではないでしょう〔?〕〉と〈〔資本の〉と補足しているが、これは恐らく【56】パラグラフの抜粋のなかでロンドンのビル・ブローカーのS.ガーニが〈私は,利子率がこんなに高くなったのは資本の不足のせいではなくて,恐慌状態{銀行券を入手することの困難}のせいだったと思います。」〉と答えていることを参考にしたのだと思われる。しかしいずれにせよ、これだけではなかなか確かなことはいい難いのではあるが。】


【61】

 /321/(6)【MEGA II/4.2,S.482.13-19】信用の容易さ(貨幣の豊富さ)。第4886号。(ガードナ,マンチェスターの紡績業者,製造業者,そして商人。)「窮境は,第1に,貨幣の豊富さ,あるいはむしろ信頼の豊富さから,またわれわれが非常に容易に割引させることができたということから生じたものと考えます。支払期限まで6か月ないし8か月あったほとんどどんな種類の手形でも,非常に容易に3%および3[1/2]%で割り引かれることができました。そして以前の経験のすべてが,いつの場合であろうと,それが逆の結果を生みだすことを証明してきました。」第5080号生産〔」〕(製造業の)〔「〕は1847年には3分の1だけ減少しました。」

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S,266.28-34.)
  ②〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.267.7.)〉 (211頁)

  【今回の抜粋にも、マルクスによる〈信用の容易さ(貨幣の豊富さ)〉という表題があるが、これは恐慌を準備したのは、信用の容易さ、そのために貨幣が豊富であったからだとガードナが答えている内容を要約したものである。このガードナというのはマンチェスターの紡績業者であり、製造業者であり、商人でもあったとある。とにかく手形が容易に3%か3.5%で割り引いて現金に換えることが可能だったが、しかしそうしたことが、いつの場合も、逆の結果を生み出すことを証明してきたと述べている。逆の結果というのは、そうした信用の膨張が、やがては破綻を招き、恐慌に陥って、反対に貨幣逼迫を引き起こして、利子率の高騰を招いたのだということであろうか。そしてその結果、1847年の恐慌時には製造業の生産は3分の1だけ減少したと答えている。】


【62】

 /321/(7)【MEGA II/4.2,S.482.20-24】192)逼迫期に貨幣取扱業者がどんなにはげしく暴れまわるかについて,トゥクは次のように言っている。第5451号①②③1847年に「ウォーリックシャやスタッフォードシャの金属製品業では,非常に多くの商品注文が断わられましたが,その理由は,製造業者が自分の手形の割引のために支払わなければならなかった利子率が彼の全利潤を呑み込んでしまうよりも高かったからです。」

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S,270.34-37.)
  ②〔注解〕40年代半ばに不作が生じたのち,イギリスの食糧輸入は増大し,イングランド銀行からの金流出が始まった。1847年4月には貨幣市場でのパニックが生じた。同時に,穀物市場の充溢が貨幣と信用とへの大きな需要を引き起こした。1847年〔MEGAは1846年と誤記〕10月には恐慌は頂点に達した。1844年のピール銀行法の停止によってイングランド銀行は行動のための新たな余地を得たので,恐慌の本来の原因である過剰生産は残されたままだったが,貨幣恐慌は急速に克服されることができた。
  ③〔異文〕「1847年に」--書き加えられている。

  192)〔E〕この文の原文は次のとおりである。Wie sehr in Zeiten of pressure d,money dealer wüthet:Tooke spricht:エンゲルス版では次のようになっている。「貨幣取扱業者が恐慌期をどんなにはなはだしく利用するかについて,トゥクは次のように言っている。〔Wie sehr der Geldhändler eine Zeit der Krisis ausbeutet,sagt Tooke aus:)」〉 (211-212頁)

 【これもこれまでと同様、〈議会報告『商業的窮境』,1847-48年〉からの抜粋であるが最初にマルクスによって〈逼迫期に貨幣取扱業者がどんなにはげしく暴れまわるかについて,トゥクは次のように言っている〉という書き出しがある。訳者注192)によれば、これをエンゲルスが〈貨幣取扱業者が恐慌期をどんなにはなはだしく利用するかについて,トゥクは次のように言っている〉と書き換えたのであるが、エンゲルスの書き換えの方が意味がよくわかるといえばいえる。
  金属製品業では、1847年に、非常に多くの商品注文が断られたが、それは製造業者が自分の手形を割り引くために支払わねばならない利子率が全利潤を呑み込むほど高かったからだというものである。つまり恐慌時には、それを利用する貨幣取扱業者たちによって、利子率は引き上げられために、製造業者たちが彼らの運営資金を調達しようとしても、彼らがその事業で上げる利潤よりも、支払う利子の方が高くなるほど利子率が高かった為に、結局、製造を開始することができないので、商品の注文が来ても断ったということである。それだけ貨幣取扱業者たちはあくどく儲け、寄生的であったということであろう。これは【57】パラグラフの、イングランド銀行が恐慌時にはピール条例をむしろ自分たちがぼろ儲けすることに利用したという指摘や、【69】パラグラフで、寄生的なユダヤ人や貨幣取扱業者たちにとっては恐慌はむしろ有利だったという指摘と共通した問題意識から、マルクスは抜粋していると思われる。】

  (続く)

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