無料ブログはココログ

« 2020年7月 | トップページ | 2020年9月 »

2020年8月

2020年8月26日 (水)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(25・26-16)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(続き)

 


  〔信用制度についての雑録〕 (続き)


【49】

 /320/(4)【MEGAII/4.2,S.478.25-479.28】173)東インド市場(および中国市場)での大過剰取引Haupt Overtrading〕(1847年)。

  173)〔E〕「東インド市場(および中国市場)での大過剰取引(1847年)〔Hauptovertrading(1847)im Ostindischen Markt(u,im Chinesischen)〕」→ 「1847年の東インド・中国市場での眩惑〔Schwindel im ostindisch-chinesischen Markt 1847〕」〉 (199頁)

 【これはマルクスによって付けられた表題であり、一つのパラグラフになっているが、以下のパラグラフに直接繋がっているものと考えるべきであろう(エンゲルス版では改行されずに次のパラグラフに続いている)。
 ここでのテーマは1847年の東インド市場(および中国市場)での大過剰取引ということであり、これはすでに【20】パラグラフでも指摘されていたことでもある。この表題は次の【50】と【51】の両パラグラフに付けられたものと考えることができる。】


【50】

 〈①チャールズ・ターナ(175)リヴァプールで東インド貿易にたずさわる商人)。モーリシャス貿易やそれと同種の貿易に関して起こった出来事を,私たちはみな知っています。ブローカーたちは,商品の到着後に,この商品を引き当てに振り出されていた手形の支払いのために,この商品を引き当てに前貸をする,というまったく正当なことや船荷証券担保の前貸の習慣をもっていただけではなくて,……彼らは生産物が船積みされる前に,また場合によってはそれが製造される前にさえ,それを引き当てにして前貸をしました。たとえば,私はある特殊な場合にカルカッタで6000-7000ポンド・スターリングの手形を買ったことがあります。この手形の代金は,甘蔗の栽培に役立てるためにモーリシャス島に送られました。手形はイギリスに来ましたが,その半分以上が不渡りとなりました。というのは,砂糖の積荷が,目の前に現われたとき,それはこれらの手形を支払うものとみなされるどころか,それが船積みされる前から,実際にはおそらく煮つめられる前から,それ以前の債務を支払うために第三者への担保とされていたのだったからです。」(同前〔報告『商業的窮境』,1847年〕,78ページ。〔第677号。〕)

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.254.1-32.)
  ②〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「過剰取引について申しますと,疑いもなく,膨大な過剰取引がありました。このことは,いまなお,事柄をさらにややこしいものにしてきました。もちろん,モーリシャス貿易やそれと同種の貿易に関して起こった出来事を,私たちはみな知っています。ブローカーたちは,商品の到着後に,この商品を引き当てに振り出されていた手形の支払いのために,この商品を引き当てに前貸をする,という,まったく正当なことや,ある程度までは行なわれた船荷証券担保の前貸の習慣をもっていただけではなく,彼らはこうしたことを越えて,完全に違法なことをやりました。彼らは生産物が船積みされる前に,また場合によってはそれが製造される前にさえ,それを引き当てにして前貸をしました。そこで,私自身の個人的な例を申し上げてみましょう。たとえば,私はある特殊な場合にカルカッタで6000-7000ポンド・スターリングの手形を買ったことがあります。……」〉 (200-201頁)

 【なかなか商業の実務に精通していないと、わかりにくい文章ではあるが、こまかく見ていくことにしよう。
 まず〈ブローカーたちは,商品の到着後に,この商品を引き当てに振り出されていた手形の支払いのために,この商品を引き当てに前貸をする,というまったく正当なことや船荷証券担保の前貸の習慣をもっていただけではなくて,……彼らは生産物が船積みされる前に,また場合によってはそれが製造される前にさえ,それを引き当てにして前貸をしました〉という部分について、生産物のブローカーたちが、商品が到着したあと、その商品を引き当てに振り出されていた手形というのは、植民地の商品の輸出業者がイギリスの輸入業者に宛てて振り出した為替手形のことであろう。その満期が来たので、その支払いを輸入業者が迫られているが、その代金を輸入した商品を担保にブローカーたちが前貸しするということであろう。それはまったく正当なことだとしている。
  次に実際の商品がまだ到着していないのだが、しかしインドで商品が船積みされた段階でも、その船荷証券を輸入業者が持参すれば、それを担保に前貸しする習慣もあったということである。
  さらには生産物がインドで船積みされる前でも、あるいはそれがインドで製造される前でも、それを引き当てにして前貸ししたということである。これなどはまったく過剰取引の典型であろう。
 以下、チャールズ・ターナー(東インドの貿易商)は具体的な例を挙げているが、これがなかなかわかりにくい。彼はインドのある特殊な場合に、カルカッタで6000-7000ポンドの手形を買ったとしているが、彼が買った手形というのは、砂糖の取引に関連して振り出されたもののようである。その手形を売った業者はその代金を甘蔗の栽培に役立たせるためにモーリシャス島(アフリカのマダガスカル島の東約900kmに位置する島)に送ったとされている。つまりその手形は砂糖の製造資金の一部を得るために発行されたものである。だからこれはその前に彼が言っていた〈それが製造される前にさえ,それを引き当てにして前貸をしました〉というケースに該当するのであろう。その手形は砂糖を製造するための資金を得るために振り出されたものである。つまりインドの砂糖製造業者がまだ製造されてもいない砂糖を、それが将来製造されれば販売するという契約を結び(稲の収穫前に、その田の収穫量を見越して先買いする「青田買い」を思い浮かべればよい)、その販売代金として、イギリスの輸入業者に宛てて砂糖の製造業者が振り出した為替手形である。そして砂糖の製造業者は、その手形を売りに出して、その売り上げ代金を、砂糖を製造するための甘蔗栽培に役立てるためにモーリシャス島に送ったわけである。しかし製造された砂糖そのものはすでに何らかの別の債務を支払うために、第三者の担保になっていたために、砂糖の積荷がイギリスに来た時には、すでにその手形の半分以上は不渡りになっていたというのである。その手形は引受人であるイギリスの輸入業者が輸入した砂糖を販売した代金で支払われるべきものだったわけである。】


【51】

 〔第687号。〕(ⅰ)「現在は,東インド市場向けの商品の代金は製造業者に現金で支払われなければなりませんが,それはたいしたことではありません。というのは,買い手がロンドンでいくらかなりと信用をもっていれば,彼は商社あてに[479]手形を振り出して,それを割引させるからです。彼は,いまは割引率の低いロンドンに行き,その手形を割引させて,製造業者に現金で支払うわけです。……〔」第688号。(ⅱ)「〕出荷人がインドからの回収金を入手できるまでには,少なくとも12か月はかかります……〔ね?--〕10,000ポンド・スターリングか15,000ポンド・スターリングしかもっていないある人がインド貿易に参加するとしましょう。彼はロンドンのある商社のもとに,この商社に1%を支払うという条件で,かなりの金額の信用を開設するでしょう。そして彼は,送られた商品の代金はこのロンドンの商社あてに送り返されるという了解のもとに,このロンドンの商社あてに手形を振り出すでしょう。しかし,そのさい両当事者はロンドンの彼が現金で前貸をする必要がないこと,すなわち,代金が返ってくるまでは手形が書き換えられることを,完全に了解しているのです。〔」第689号(ⅲ)「〕これらの手形はリヴァプールやマンチェスターやロンドンで割引されましたが,そのうちの多くがスコットランドの諸銀行の手にあります,云々。〔」〕(78ページ。)第786号(ⅳ)「先日ロンドンで破産した商社があります。のちの業務検査のさいに次のようなことが発見されました。マンチェスターに一つの商社があり,カルカッタにもう一つの商社があります。この両者がロンドンのある商社のもとに20万ポンド・スターリングの信用勘定を開設しました。すなわち,このマンチェスターの商社の取引先が,東インドの商社〔つまり上のカルカッタの商社〕にグラスゴウやマンチェスターから商品を委託販売で送り,ロンドンの商社あてに20万ポンド・スターリングまでは手形を振り出すことができる力をもつことになりました。同時に,カルカッタの商社の方もロンドンの商社あてに20万ポンド・スターリングまで手形を振り出すという了解がありました。これらの手形がカルカッタで売られ,その受取代金で他の手形が買われ,それがロンドンの商社に送られて,グラスゴウから振り出された最初の手形を支払うことになっていました。こうして,この取引によって60万ポンド・スターリングの手形が創造された〔ところだった〕のです。」第971号〔の質問から〕。(ⅴ)「いまは,カルカッタの商社が船荷を買って,ロンドンの取引先あてに振り出したその商社自身の手形でその代価を支払い,そしてその船荷証券をわが国に送りますが,〔こうした船荷証券は,6週間以内に当地に到着するのに,商社自身の手形は彼らの取引先に10か月の期間で振り出されます。〕送られてきたこうした船荷証券はすぐに商社にとってロンバード・ストリートで前貸を受けるために利用できるものになります。こうしてこの商社は,彼らの取引先が支払いを求められるよりも前に,8か月のあいだ貨幣を使用することができるわけです。」|

  ①〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「〔トンプスン〕いま東インド市場向けに買われた商品は,信用で買われたのですか,それとも現金支払いですか?--〔ターナ〕いま製造業者は現金を要求していますが,それはそれほど多い額ではありません。というのは……」
  ②〔注解〕『第1次報告』の原文では次のように書かれている。--「〔トンプスン〕商品の出荷人がインドからの回収金を入手するには少なくとも6か月はかかりますね。インドへの商品の出荷人は,ロンドンの商社あてに,どれだけの期日の手形を振り出すのですか?--〔ターナ〕取引にはいっていくだけの資本をもたない人びとに便宜を与えたことで,ロンドンの商社によって与えられた信用による甚大な損害が生じました。こんなたぐいの取引が行なわれたのです。つまり,10,000ポンド・スターリングか15,000ポンド・スターリングしかもっていないある人がインド貿易に参加するとしましょう。……」
  ③〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「〔ターナ〕……すなわち,言い換えれば,代金が返ってくるまでは手形が書き替えられることを,完全に了解しているのです。第689号。〔トンプスン〕それらの手形は,取引が始められたリヴァプールやマンチェスターやロンドンで割引されたのですね?--〔ターナ〕あるいはロンドンでです。それらのうちの多くがスコットランドでです。それらのうちの多くがスコットランドの諸銀行の手にあって,けっして出てきません。」
  ④〔訂正〕「第786号」--草稿では,「第780号」と書かれている。
  ⑤〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.255.6-16.)
  ⑥〔注解〕『第1次報告』ではここに次のように書かれている。--「この全体は実行されなかったのですが,こういう取り決めだったのです。」
  ⑦〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.256.25-32.)
  ⑧〔注解〕「ロンバード・ストリート」--本書本巻177ページの注解注⑤を見よ。〉 (201-202頁)

 【ここで紹介されている一文については、まったくそのままではないが、藤川昌弘氏もとりあげて分析しているので、まずその一文を紹介しておこう(鈴木鴻一郎編『恐慌史研究』日本評論社1973年所収)。
  藤川氏は先に紹介したアメリカからの綿花の輸入のケースの信用取引を論じたあと、東アジア市場への綿製品の輸出について次のように論じている。長くなるが全文紹介する。

 〈つぎに綿製品の輸出について。棉花輸入のばあいよりもさらに多様な取引方法が混在していたが、ここでは、40年代に入って重要性を増したアジア市場--とくに長期信用で有名な東インド市場への輸出取引をとりあげることにする。
  リヴァプールの東インド商C・ターナー(H・C) 「687号、〔48年〕現在、購入されるインド市場むけの商品は、信用で買われるのですか、それとも現金で買われるのですか?--いまでは製造業者達は現金支払いに固執していますが、それは大して困難ではありません。というのは買手がロンドンに多少とも信用を有していれば、かれはその商会あてに手形を振り出し、割引かせることができるからです。」「688号、……ある人が〔わずか〕1万ないし1万5千ポンドをもって、インド貿易をはじめます。かれは1%を支払ってロンドンの商会に相当な額の信用を開くのです。そして送り出した商品の代金がロンドンの商会に返送されるという了解のもとに、その商会あてに手形を振りだすわけですが、後者が現金前貸をするには及ばないということは、双方ともにじゅうぶん了解ずみです。いいかえれば、代金がこちらに到着するまでは、手形は書き換えられることになっています。」「786号、……マンチェスターに一つの商会とカルカッタにもう一つの商会があって、かれらは20万ポンドにおよぶ信用勘定を、ロンドンの商会に開きました。いいかえれば、この〔ロンドンの〕商会のマンチェスターの友人は、グラスゴーやマンチェスターから商品を東インド商会に委託して、ロンドンの商会あてに20万ポンドまで手形を振り出す権利を持っていたのです。同時に、カルカッタの商会も、ロンドンの商会あてに20万ポンドまで手形を振り出すことができるという了解がありました。この手形をカルカッタで売った代金で、かれらは他の手形を買い、それをロンドンの〔東インド〕商会に送って、グラスゴーから振りだされた最初の手形にけりをつけることができたのです。このすべてが実行されたのではありませんが、そういう協定があったのです。そこでこの協定が完全に実行されたとすれば、この取引によって60万ポンドの手形が創出されるわけです。」
  ターナー687-8号で触れられているのは、綿工場主(E)-ランカシャーの綿製品商(F)…ロンドンのマーチャント・バンカー(G)-東インドの輸入商(H)という系列であって、そこでは第1に、E-F間の支払いがEのFにたいする手形の振り出しによって行なわれる。期限は一般に3ヵ月であったが、小規模な工場主のばあいには2ヵ月手形も振り出されたことが知られている。いうまでもなくこの手形は、棉花取引における第4の支払いに接続するものであった。(この〈第4の支払い〉というのは、前回紹介したアメリカからの原料である棉花の輸入取り引きにおいて、棉花ブローカーから棉花を購入したランカシャーの工場主(E)の支払いのことであり、その場合は〈綿工場主たちの支払いは、かれらが綿製品の販売によって入手した手形または現金によって行なわれるが、ウィリー1968号にみえるように、手形支払いのケースが一般的だったと考えてよい〉とされていたものである。--引用者)
 第2にF-H間の支払いは、FのGにたいする手形の振り出しによって行なわれる。期限は6ヵ月であったから製品の輸送や販売の期間よりも短かったが、一般に書き換えられる慣行にあったばかりでなく、それが数度に及ぶ過程でE-F間の支払いをも直接に媒介しうるケースがしばしば発生していた。(これはマーチャント・バンカー(G)が製造業者との取り引きをも直接媒介したということであろうか?--引用者)この手形(マーチャント・バンカー(G)が引き受け人になっている手形--引用者)が、棉花輸入のさいのブローカーあて手形(棉花の輸入のときは〈当時の棉花輸入は、自己の採算によって買付けを行なうリヴァプール輸入商のイニシァティブのもとにあり〉〈C(リヴァプールの輸入商)からD(棉花ブローカー)あてに手形が振り出される関係が一般化していた〉との指摘があったから、輸入商によってブローカー宛てに振り出さた手形のことであろう。--引用者)と対応するような重要な位置を占め、銀行信用の手厚い支持を受けていたことは容易に推測されよう。それらは、まずマンチェスターやリヴァプールのような振り出し地の諸銀行で割引を受け、ついで一般にはロンドンや、これにたいする好意的な取扱いの顕著なスコットランド地方に出回っていた。イングランド銀行自身も、割引を95日以内の手形に限るという通常の方式のもとですら、「こうした長期手形を預託して同行から3ヵ月の貸付をうけ、この期間の終了時点において、それらが同行の割引ルールに適合するまでのあいだ再預託する」というかたちを通して、積極的な支持を与えていたのである。
 以上の取引の決済は、第3に、Hが東インドにおける綿製品の販売後に、Gへの送金を行なうことによって完了する。ここでのGのHにたいする授信が、FからGへの手形の振り出しによって確保されていたとすれば、それが、HからGへの手形の振り出しによってさらに独立した形式をとるケースがあったのも、不思議ではない。
 綿工場主(E)-マンチェスターの綿製品商(F)-ロンドンの東インド貿易商(I)…ロンドンのマーチャント・バンカー(G)-東インドの輸入商(H)という系列を扱った786号がそれであって、ここではGがFおよびHにたいして、当該取引の価額に限定されることなく一定額までの手形の振り出しを引受けるいわゆる「信用勘定」を開設するというかたちで、より大規模な授信が展開されるのであった。いずれのばあいにも、Gの与える長期の信用が輸出取引の重要な一環をなしていたのであって、この点は、輸出を担当するロンドンの東インド貿易商と手形を引受けるマーチャント・バンカーが同一の商会であるばあいにも、また中間商人なしに工場主がこの種の商会にあてて直接手形を振り出すばあいにも、まったく変りはなかったといってよい。〉(同書211-212頁)

  さて、上記の藤川氏の分析を頭に入れながら、マルクスの抜粋文を検討しよう。いうまでもなく、今回のパラグラフも先のパラグラフと同様、〈東インド市場(および中国市場)での大過剰取引Haupt Overtrading〕(1847年)〉に関連したものである。5つの引用で構成されているが、それぞれに(ⅰ)~(ⅴ)の番号を付して検討することにしよう。

  まず藤川氏によれば、(ⅰ)~(ⅲ)の抜粋文で述べられていることは、〈綿工場主(E)-ランカシャーの綿製品商(F)…ロンドンのマーチャント・バンカー(G)-東インドの輸入商(H)という系列〉の取引だということである。だから証言のなかで〈ロンドンでいくらかなりと信用をもっていれば,彼は商社あてに手形を振り出して〉という場合のロンドンの〈商社〉や、そのあとに出てくる〈ロンドンのある商社〉とか〈このロンドンの商社〉と言われているのは、〈ロンドンのマーチャント・バンカー(G)〉だということである。
 「マーチャント・バンク」について、『世界大百科辞典』の説明を見ると、次のようになっている。

 〈貿易手形の引受業務と海外証券の発行業務を中心にロンドンの長・短金融市場で活躍する金融業者。マーチャント・バンカーmerchant bankerともいう。19世紀初頭,ナポレオン戦争の終結とイギリス産業革命の進展を背景に,ロンドンが国際金融の中心となろうとするころ,有力な貿易商人であるヨーロッパ大陸(とくにドイツ)の富豪たちが来住し,その資力と名声をもとに上記の金融業務を開始したことに起源をもつ。彼らは,まず,手形引受商社acceptance houseとして貿易商人のためにロンドンあて為替手形の引受け(したがって支払保証)を行ったが,国際的に信用のあるマーチャント・バンクが引き受けた手形は優良な銀行手形(イングランド銀行再割引適格手形)とされ,割引市場で容易に資金を入手しうることとなったから,彼らの引受業務はイギリス短期金融市場の発達を支え,貿易金融を円滑にして世界貿易の拡大に貢献した。〉

 だから大谷氏の翻訳では、〈商社〉となっているが、その言葉の印象からくる商業資本という意味での商社ではなく、そうした商業資本としての商社の発行した手形を引受る(支払保証をする)金融業者だということである。だから、そのあとの(ⅳ)や(ⅴ)で出てくるマンチェスターの商社やカルカッタの商社というのは文字通り意味での商社、つまり商業資本であるが、ロンドンの商社といわれているものは、ロンドンの金融業者のことなのである。これが理解されていないと、なかなか内容が分かりにくいのである。

 さて抜粋 (ⅰ) で問題になっているのは、まず最初は〈綿工場主(E)-ランカシヤーの綿製品商(F)〉の間の取引である。この取引については、藤川氏は〈E-F間の支払いがEのFにたいする手形の振り出しによって行なわれる。期限は一般に3ヵ月であったが、小規模な工場主のばあいには2ヵ月手形も振り出されたことが知られている〉と述べている。しかしマルクスの抜粋では、〈東インド市場向けの商品の代金は製造業者に現金で支払われなければなりません〉とあり、しかし〈それはたいしたことではありません。というのは,買い手がロンドンでいくらかなりと信用をもっていれば,彼は商社あてに手形を振り出して,それを割引させるからです〉とある。だからここには藤川氏の例では〈ランカシャーの綿製品商(F)…ロンドンのマーチャント・バンカー(G)〉の取引も関連しているわけである。〈買い手〉というのは、〈ランカシャーの綿製品商(F)〉であり、〈商社〉というのが〈ロンドンのマーチャント・バンカー(G)〉ということになる。〈東インド市場向けの商品〉を輸出しようと考えている〈ランカシャーの綿製品商〉は、その代金を製造業者に現金で支払わねばならないが、しかしそれは大した困難ではなく、つまり手許に現金がなくても何ら困ることはなく、彼が〈ロンドンでいくらかなりと信用をもっていれば〉、つまりロンドンの金融業者と取引があり、そこで一定の信用があれば、〈彼は商社(マーチャント・バンカー(G)ー--引用者)あてに手形を振り出して〉、すなわちそのマーチャント・バンカーで信用で預金設定をしてもらい、その預金に対して支払指図証の為替手形を振り出して、その手形を銀行に持って行って、割引して貰えば容易に現金が入手できるからであり、その現金で製造業者に支払えばいいわけだから、というのである。
 ただいうまでもなく、この時点では商品はまったく最終消費者には販売されておらず、その価値も実現されたわけではないが、綿製品商は商品を買った時点で、製造業者に現金でその代金を支払うわけである。彼はそのために、マーチャント・バンカーから信用を受けて設定された預金に対して支払い指図証としての為替手形を振り出し、それを銀行に持参して割引を受けて現金を入手し、支払ったということである。だから製造業者としては彼が製造した商品はその時点ですでに販売され現金に変換されたのだから、価値としても実現したことになる。しかし彼の製造した商品そのものはいまだ商人の手にあるだけで、最終的な価値の実現にはいまだ至っていないということである。こうしたことが繰り返されれば、当然、過剰な取引と過剰な生産が行われるのは不可避であろう。

  (ⅱ) では質問者が〈出荷人がインドからの回収金を入手できるまでには,少なくとも12か月はかかります……〔ね?〉と聞いている。ここで〈出荷人〉というのは藤川氏の例では〈ランカシャーの綿製品商〉であろう。質問者の意図としては、製造工場には現金で支払うが、それはマーチャント・バンカーに預金の信用設定をして振り出した為替手形を銀行で割り引いて現金に換えて支払うから何の問題もないという回答に対して、しかし彼が製造業者から購入した製品をインドに出荷しても、当時はアフリカの喜望峰を回って輸送されるために、到着までに一年近くはかかり、だから代金を回収するには少なくとも12カ月はかかるだろう、と述べているわけである。つまり彼がマーチャント・バンカーに対して振り出した手形の満期日は恐らく長くても6カ月、短ければ2カ月ぐらいだから、彼が輸出した製品の代金を回収するまでに、満期日が来て、支払を迫られるのではないのか、というのが質問者の質問の主旨なのある。
 だからこれに対する回答は、〈10,000ポンド・スターリングか15,000ポンド・スターリングしかもっていないある人がインド貿易に参加する〉場合を例にして説明しているわけである。その場合、〈彼はロンドンのある商社のもとに,この商社に1%を支払うという条件で,かなりの金額の信用を開設するでしょう〉すなわち〈〉=われわれの例ではランカシヤーの綿製品商は〈ロンドンのある商社〉(われわれの例ではマーチャント・バンカー)に利息を1%支払うという約束のものとに、〈かなりの金額の信用を開設する〉、つまり信用を受けてかなりの金額の預金設定をすることができるということである。(ⅳ)ではその額は20万ポンド・スターリングになっている。つまり1万か1.5万ポンド・スターリングしか手持資金がなくても、信用があれば20万ポンドの預金設定を受けることができるということである。〈そして彼は,送られた商品の代金はこのロンドンの商社あてに送り返されるという了解のもとに,このロンドンの商社あてに手形を振り出すでしょう〉だから彼が手持ちの資金を越える額の預金設定ができたのは、彼が輸出するために購入した製品を担保にしたからであろう。そしてその設定された預金に対して、商人は手形を振り出し、銀行で割引して現金に換えて、製造業者に支払ったわけである。〈そのさい両当事者はロンドンの彼が現金で前貸をする必要がないこと,すなわち,代金が返ってくるまでは手形が書き換えられることを,完全に了解している〉。だから商人が振り出した手形の満期が来ても、〈ロンドンの彼〉、すなわちマーチャント・バンカーは、商人は現金で支払う必要がないこと、その場合は手形が書き換えられて、その満期が延長されることを両当事者(マーチャント・バンカーと商人)は了解ずみのことなのだ、だから輸出した商品の代金の回収が例え12カ月あとになっても少しも困らないのだという回答なのである。1%というのは低い利率であるが、しかしマーチャント・バンカーにとっても預金を設定するのに何の費用もかかっていないのである。ただ帳簿上の操作の問題だけだからである。

  (ⅲ) ここで〈これらの手形〉というのは、商人(藤川氏の例ではランカシャーの綿製品商)が、マーチャント・バンカーに宛てて振り出した手形ということであろう。それらは〈リヴァプールやマンチェスターやロンドンで割引されましたが,そのうちの多くがスコットランドの諸銀行の手にあります〉ということである。藤川氏も〈それらは、まずマンチェスターやリヴァプールのような振り出し地の諸銀行で割引を受け、ついで一般にはロンドンや、これにたいする好意的な取扱いの顕著なスコットランド地方に出回っていた〉と述べている。

  (ⅳ) この部分は〈第786号〉であるが、これについては藤川氏は上記の取引で〈G(マーチャント・バンカー)のH(東インドの輸入商)にたいする授信が、F(ランカシャーの綿製品商)からG(マーチャント・バンカー)への手形の振り出しによって確保されていたとすれば、それが、HからGへの手形の振り出しによってさらに独立した形式をとるケースがあった〉と述べ、〈綿工場主(E)-マンチェスターの綿製品商(F)-ロンドンの東インド貿易商(I)…ロンドンのマーチャント・バンカー(G)-東インドの輸入商(H)という系列を扱った786号がそれであって、ここではGがFおよびHにたいして、当該取引の価額に限定されることなく一定額までの手形の振り出しを引受けるいわゆる「信用勘定」を開設するというかたちで、より大規模な授信が展開されるのであった〉と述べている。
  マルクスの抜粋文は〈先日ロンドンで破産した商社があります。のちの業務検査のさいに次のようなことが発見されました〉という一文で始まっている。破産した商社の業務内容を検査したら、次のような信用関係が発見されたというのである。〈マンチェスターに一つの商社があり,カルカッタにもう一つの商社があります。この両者がロンドンのある商社のもとに20万ポンド・スターリングの信用勘定を開設しました〉というのは、まずここで〈マンチェスターに一つの商社〉というのは、藤川氏の例では〈マンチェスターの綿製品商(F)〉であろう。そして〈カルカッタにもう一つの商社〉というのは同様に〈東インドの輸入商(H)〉に該当する。そしてこの両者が〈20万ポンド・スターリングの信用勘定を開設〉したという〈ロンドンのある商社〉というのは〈ロンドンのマーチャント・バンカー(G)〉ということであろう。つまりロンドンとカルカッタにある二つの商社、これは文字通りの意味で、商業資本であろう。それらがいずれも同じロンドンにあるマーチャント・バンカー(金融業者)に、それぞれ20万ポンドの預金口座を信用によって開設したというわけである。つまりマーチャント・バンカーがそうした信用を与えたわけである。ということは、その結果、この二つの商社はそれぞれの預金に宛てて手形を振り出せることになったわけである。すなわち〈このマンチェスターの商社の取引先が,東インドの商社〔つまり上のカルカッタの商社〕にグラスゴウやマンチェスターから商品を委託販売で送り,ロンドンの商社あてに20万ポンド・スターリングまでは手形を振り出すことができる力をもつことになりました〉ここで〈このマンチェスターの商社の取引先〉というのは、藤川氏の例では〈ロンドンの東インド貿易商(I)〉に該当するのであろう。だから〈マンチェスターの商社〉が〈カルカッタの商社〉に、〈ロンドンの東インド貿易商〉を通じて、〈グラスゴウやマンチェスターから商品を委託販売で送り〉、その代金をマーチャント・バンカーに設定された預金に宛てて振り出すことができるようになったということである。〈同時に,カルカッタの商社の方もロンドンの商社あてに20万ポンド・スターリングまで手形を振り出すという了解がありました〉同じように、〈カルカッタの商社〉もロンドンのマーチャント・バンカーに20万ポンドの預金設定を開設したので、それだけの額の手形を振り出すことができるわけである。〈これらの手形がカルカッタで売られ,その受取代金で他の手形が買われ,それがロンドンの商社に送られて,グラスゴウから振り出された最初の手形を支払うことになっていました〉ここで〈これらの手形〉というのは、〈カルカッタの商社〉がカルカッタで振り出した手形のことである。それをカルカッタで〈売られ〉というのは、カルカッタの銀行で割引してもらい、ということである。その割引して得た現金で、別の手形を買い、それをマーチャント・バンカーに送って、〈グラスゴウから振り出された最初の手形〉というのは、〈マンチェスターの商社〉が〈ロンドンの東インド貿易商〉を通じて輸出した商品の代金の先取りとして振り出した手形を決済することになっていたというのである。〈こうして,この取引によって60万ポンド・スターリングの手形が創造された〔ところだった〕のです。〉というのは、まず〈マンチェスターの商社〉が20万ポンドの預金設定を受けて、それだけの額の手形を振り出す力を得、それを〈ロンドンの東インド貿易商〉に委託して、カルカッタに商品を輸出したのであるが、この場合、〈ロンドンの東インド貿易商〉もやはりその商品を担保にマーチャント・バンカーから授信を受けて20万ポンドの預金設定を受ける、それと同時に〈カルカッタの商社〉もやはりマーチャント・バンカーから授信を受けて、20万ポンドの預金を開設して、やはり20万ポンドまでの手形を振り出せることになった。だから合計60万ポンドの手形が創造されたというのである。
  つまり藤川氏の例で説明すると、こういうことであろうか。〈マンチェスターの綿製品商(F)〉が〈綿工場主(E)〉から綿製品を購入し、その代金支払のためにマーチャント・バンカーに商品を担保に預金を開設して、手形を振り出し、マンチェスターの地方銀行で割り引いて現金を得て、工場主に支払い、その商品を〈ロンドンの東インド貿易商(I)〉に委託して、〈東インドの輸入商(H)〉に販売したわけである。そうすると〈ロンドンの東インド貿易商(I)〉もその委託された商品を担保に、マーチャント・バンカーに預金を開設して、手形を振り出し、〈マンチェスターの綿製品商(F)〉に委託された商品の代金として支払うわけである。つまり〈マンチェスターの綿製品商(F)〉は工場主への支払いのために自分が振り出した手形を〈ロンドンの東インド貿易商(I)〉が振り出した手形で決済するわけである。同時に、〈東インドの輸入商(H)〉も輸入する予定の商品を担保にマーチャント・バンカーから授信して預金を開設、そして手形を振り出して、カルカッタの銀行で割引して、その現金でカルカッタでロンドン宛の手形を購入して、〈ロンドンの東インド貿易商(I)〉に郵送し、〈ロンドンの東インド貿易商(I)〉はその郵送されてきた手形で、自分が振り出した手形を決済したということであろうか。だから結局、〈マンチェスターの綿製品商(F)〉が20万ポンド、〈ロンドンの東インド貿易商(I)〉が20万ポンド、そして〈東インドの輸入商(H)〉が20万ポンドの合計60万ポンドの手形が創造されたということなのであろう。これらはいずれも〈ロンドンの商社〉、つまり藤川氏の例ではマーチャント・バンカーが与えた信用にもとづくものである。

  (ⅴ) の証言番号は〈第971号〔の質問から〉となっている。だからこれは(ⅰ)〈第687号〉(ⅱ)〈第688号〉(ⅲ)〈第689号〉とも、(ⅳ)〈第786号〉とも直接関連した話ではないように思える。これもなかなか分かりくいが(藤川氏もこの部分は取り上げていない)、〈カルカッタの商社〉がカルカッタで船荷を買い、その代金をロンドンの取引先(これは以前の話との関連では〈ロンドンの商社〉のことで、マーチャント・バンカーのことであろう)に宛てて、手形を振り出し、その手形で船荷の代金を支払ったとされている。そしてその船荷証券を〈わが国に送ります〉とあるが、普通はその船荷を輸出する相手先のイギリスの輸入商に送るのであろうが、ただそのあとの説明ではどうやらマーチャント・バンカーに送られるように思える。これは藤川氏も(ⅳ)の例と関連させて〈ロンドンの東インド貿易商と手形を引受けるマーチャント・バンカーが同一の商会であるばあい〉もあると述べているので、〈カルカッタの商社〉の輸出先がこのような貿易商とマーチャント・バンカーを同時に営む商会ならば、その船荷証券は、マーチャント・バンカーに送られてくると考えられる。そうすると〈こうした船荷証券は,6週間以内に当地に到着する〉のに、〈カルカッタの商社〉が振り出した手形(これは船荷の販売者に手渡されたもので、マーチャント・バンカーが引受人になっている)は〈10か月の期間で振り出され〉たとある。つまり満期まで10カ月の余裕がある。だからマーチャント・バンカーとしては、〈カルカッタの商社〉が振り出した手形の支払いは10カ月先であるが、その前に船荷証券が1カ月半ほどで手に入るので、マーチャント・バンカーは、その船荷証券を担保にして〈ロンバード・ストリートで前貸を受ける〉ことができるわけである。〈こうしてこの商社〉、つまりマーチャント・バンカーは、〈彼らの取引先が支払いを求められるよりも前に,8か月のあいだ〉、前貸しを受けた〈貨幣を使用する〉、すなわち利子生み資本として運用することが可能になるわけである。
  まあ、なかなか当時の手形信用にもとづく商業の実際が分からないと、分かりにい部分もあるが、大体、以上のような内容であろうか。】


【52】

 〈|321|(1)【MEGA II/4.2,S.479.29-480.35】L177) moneyed Capitalの蓄積とそれが利子率に及ぼす影響
  (ⅰ)「イギリスでは,余剰の富surplus wealth〕の不断の蓄積〔が行なわれており〕,この蓄積は最終的には貨幣の形態をとる傾向がある。他方で,執拗さの点でおそらくは貨幣を得たいという願望に次ぐのは,利子または利潤をもたらすようななんらかの種類の投資のために貨幣を手放したいという願望である。というのは,貨幣としての貨幣はなにももたらさないからである。それゆえ,余剰資本のこのような不断の流入に並行してそれのための運用部面がしだいに,また十分に拡張されていかない場合には,われわれは社会的に,投資を求めている貨幣の周期的な蓄積に当面せざるをえないのであって,この蓄積は事情に応じて大きかったり小さかったりするのである。多年にわたって,イギリスの余剰の富を大きく吸収してきたのは国債であった。国債が1816年にその最大限に達してもはや[480]吸収の作用をしなくなるとすぐに,1年について少なくとも2700万もの金額がそのほかの投資先を求めるようになった。それに加えて,さまざまの資本返済がなされたのである。……実行するのに大資本を必要とするのでときどき遊休資本の余剰を片づけるのに役立つような諸企画は少なくともわが国では,通常の投資先による捌け口をもたない,社会の余剰の富のこのような周期的な蓄積を片づけるために,絶対に必要なのである。」(『通貨理論178)論評,云々』,ロンドン,1845年,32ページ以下。)同書は1845年について次のように述べている。(ⅱ)「ごく最近の時期のうちに,物価は不況の最低点から跳ね上がってきた。……コンソル公債は額面価格に達している。……イングランド銀行の地下室にある地金は数か月にわたって,同行設立いらい同行が保有した蓄蔵貨幣のどの量をも越えている。あらゆる種類の株式の価格が,平均して,軒並みまったく空前の高さにあり,利子はほとんどあるかないかの率にまで下がってしまった。〔もしもこれらのことが,〕イギリスにはいままた,遊休している富の大量の蓄積が存在しているということ,投機的な興奮の時期がまたもや近づいているということ,の証拠〔でないのだとしたら〕,云々。」(同前,36ページ。)

  ①〔注解〕『通貨理論論評』では次のようになっている。--「多年にわたって,イギリスの余剰の富を大きく吸収してきたのは国債であった。そして,1816年に先だつ20年間に国債への追加額が536百万ポンド・スターリングという総額に達したということだけの結果として,国債がその最大限に達してもはや吸収の作用をしなくなるやいなや,少なくとも1年について27百万もの金額がそのほかの投資先を求めざるをえなくなった。」
  ②〔注解〕『通貨理論論評』では次のようになっている。--「1825年に先だつ9年のうちに,国の負債は吸収先として作用することをやめただけでなく,この点についてのそれの作用は逆転した。それの資本のさまざまの返済が,そうでなくても十分に大きい富の流れにほぼ50百万を加えたのであって,この富は,1816年いらい,それの通常の用途から,それだけ大きいもののための新たな特別な捌け口を見いだすことに転換したのだった。……達成のために大量の資本を要求するような,そしてときどき遊休している富の余剰を取り去ることに役だつような企画は,ほとんど完全に欠けていた。」
  ③〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.172.12-22.)

  177)〔E〕「moneyed Capitalの蓄積とそれが利子率に及ぼす影響。〔Accumulation of moneyed Capital u.Einnuß derselben auf d.Zinsrate.〕」→ 「第26章 貨幣資本の蓄積,それが利子率に及ぼす影響〔Akkumulation von Geldkapital,ihr Einfuß auf den Zinsfuß〕」
  ここからエンゲルス版の第26章が始まる。マルクスが以下の小部分につけた小見出しを,エンゲルスが「〔信用制度の役割〕」の前までの部分の全体につけれられた表題だと勘違いしたことは確実である。
  1894年版では,目次ではGeldkapitalとihrとのあいだがコンマであるのに,本文の表題ではセミコロンとなっている(こういう例はほかにもある)。彼の死後の諸版は,目次のほうに従っているわけである。
  178)「理論」--草稿では,誤って「問題」となっている。〉 (203-204頁)

 【ここで〈moneyed Capitalの蓄積とそれが利子率に及ぼす影響〉というのはマルクス自身による表題であろう。もちろん、マルクスとしては以下の抜粋部分の概要かあるいは注目点を表題として示したつもりであろうが、エンゲルスはこのパラグラフから彼が作成した第26章を開始しており、そのマルクスの表題を、「第26章 貨幣資本の蓄積、それが利子率に及ぼす影響」とそのまま章の表題としたのである。つまりマルクスが以下の抜粋の要約を書いたつもりのものが、エンゲルスによってそれ以降の表題にされてしまったわけである。ここらあたりはエンゲルスの編集上の苦労を物語るともいえるが、しかしマルクスの草稿そのものとは凡そ違ったものをエンゲルスが編集によって作り上げてしまっていることをそれは示しているのである。
  この部分は『通貨理論論評、云々』からの二つの抜粋からなっている。

  まず(ⅰ) では、余剰の富の不断の蓄積が過剰な貨幣資本の蓄積に結果し、そのためにその過剰な貨幣資本の運用先を求める事情が大きくなることが指摘され、そうした過剰な貨幣資本を吸収してきたのは国債であるが、それも最大限に達したために、2700万もの金額が投資先を求めることになり、資本の返済も行われたとする。そしてこうした周期的な過剰な貨幣資本を片づけるために役立つような諸企画が絶対に必要なのだとしている。これは大規模な公共事業かあるいは戦争のようなものを想定しているのであろうか。

  (ⅱ) の引用は、マルクス自身による〈同書は1845年について次のように述べている〉という書き出しがある。1845年というのは、1847年恐慌に終わる新たな景気循環が1843年に始まったとされているから、1843年は中位の活況といえるので、1845年というのは繁栄期に入った段階であろうか。この時期として、物価は跳ね上がってきたとされ、コンソル公債も額面価格に達していること、イングランド銀行の地金保有高が同行成立以来の最高の段階に達していること、あらゆる種類の株式の価格が、平均して、軒並み空前の高さになり、利子率はほとんどあるかないかの率に下がってしまったとある。こうしたことが、イギリスに、遊休している富の大量の蓄積が再び存在し、投機的な興奮の時期がまたもや近づいていることの証拠だ、と指摘されている。

 藤川氏はこの時期の手形信用の拡張について次のように指摘している。

 〈景気回復期に堅実な基礎のもとに再開されつつあった手形信用は、好況過程の展開にともなってしだいに顕著な拡張を示しはじめた。ニューマーチの推定した「内国」手形統計は、42年第4・4半期から43年末までかなりの低位にあったが、44年に入ってから各4半期の前年同期にたいする増分が順に290万-210万-610万-430万ポンド増となり、さらに45年第3・4半期まで順に630万-810万-890万ポンド増という加速的な上昇を記録するにいたった。この年第3・4半期の総額は、じつに7,400万ポンドに達している。〉 (前掲219-220頁)

  またイングランド銀行の準備についても次のように述べている。

  〈42年第4・4半期における1,000万ポンド前後から、小きざみな変動をともなって漸次増大しつつ43年末に1,500万ポンド弱となり、翌44年第1・4半期における1,600万ポンドという数字をはさんで同年第3・4半期まで1,500万ポンド台の水準にはねあがったのであり、勘定形式変更後(これは44年のピール条例にもとづく変更のことである--引用者)の44年第3・4半期以降においても、当初に若干の減少をみたのち直ちに増大し、45年5-7月の1,600万ポンド台をはさんで同年第3・4半期末まで1,500万ポンド台を維持していたのである。〉 (同223頁)

  このように当時の活況状況が描かれている。】


【53】

 〈①地金の輸入はけっして外国貿易の利得の確実な標識ではないけれども,もしほかになにか説明できる原因がない場合には,地金輸入の一部分は一見して明らかにそのような利得を表わしている。」(ババド(J.G,)『通貨とわが国』,ロンドン,1843年,[40,]41ページ。)②③「かりに,事業はしっかりしており物価は程よく通貨も潤沢な〔full circulation〕時期に,たまたま凶作のために500万の地金が輸出されて同額の穀物が輸入されることになったとしよう。通貨〔Circulation〔」〕〕(?)〔「〕は同じ額だけ減らされている。個々人はまだ前と同じだけの通貨をもっているかもしれないが,取引銀行にある商人の預金も,貨幣ブローカーのもとにある銀行業者の残高も,銀行業者の金庫にある準備ファンドも,すべて減っているであろう。そして,遊休資本の額のこのような減少の直接の結果は,利子率の上昇,たとえば4%から6%への上昇であろう。事業の状態は健全なのだから,信頼は動揺しないであろうが,信用はより高く評価されるであろう。」(同前,42ページ。)④

 ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.217.6-9.)
 ②〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.217.12-21.)
  ③〔注解〕ババドでは次のようになっている。--「かりに,事業はしっかりしており,物価は程よく,信用は健全で,通貨も潤沢だが過剰ではない〔full,but not redundant circulation〕ある時期に凶作が生じて,5百万の価値の穀物の輸入と地金の輸出を引き起こしたとしよう。通貨はもちろん同じ額だけ減らされるだろう。個々人はまだ前と同じだけの通貨をもっているかもしれないが,取引銀行にある商人の預金も,貨幣ブローカーのもとにある銀行業者の残高も,銀行業者の金庫にある準備ファンドも,すべて減少するであろう。そして,遊休資本の額のこのような減少の直接の結果は,利子率の上昇であろう。たとえば4%から6%へ,といったようにである。」
  ④〔異文〕「諸商品の価格の下落がふたた[び]〔wied[er]〕……ということに同意できる」という書きかけが消されている。〉 (204-205頁)

 【この抜粋はハバドの『通貨とわが国』からの抜粋であるが、マルクスによる表題がないところを見ると、先の表題〈moneyed Capitalの蓄積とそれが利子率に及ぼす影響〉に関連したものと考えることができる。
  ここでは地金の輸入そのものは外国貿易の確実な標識ではないが、ほかに別の理由がなければ、地金の輸入の増大は外国貿易の利得の増大を示しているとし、事業がしっかりしていて、たまたま凶作で穀物の輸入のために、500万の地金が輸出され場合、通貨には影響はないが、銀行の準備(「遊休資本の額」とされているが)に影響することによって、利子率の上昇をもたらすが、事業がしっかりしているのだから、信用は動揺しないだろうとも指摘している。これはmoneyed capitalの蓄積が一時的に減少することによる利子率への影響とでもいうべきことであろうか。
  ここで注目すべきは、〈「かりに,事業はしっかりしており物価は程よく通貨も潤沢な〔full circulation〕時期に,たまたま凶作のために500万の地金が輸出されて同額の穀物が輸入されることになったとしよう。通貨〔Circulation〔」〕〕(?)〔「〕は同じ額だけ減らされている〉という部分である。これは一連の続いた文章を二つに分けて、その間にマルクスによって〈(?)〉が挿入されていると考えられる。つまりマルクスは、ハバドが地金が輸出されれば、それと同じ額だけ「通貨」が減らされていると書いていることに、「?」マークをつけているのである。というのはそれは「通貨」の減少ではないとマルクスは考えているからである。実際、ハバドも続けて〈個々人はまだ前と同じだけの通貨をもっているかもしれないが,取引銀行にある商人の預金も,貨幣ブローカーのもとにある銀行業者の残高も,銀行業者の金庫にある準備ファンドも,すべて減っているであろう〉と述べている。ここで〈個々人はまだ前と同じだけの通貨をもっているかもしれない〉というのは、一般の商品市場で流通している、その意味では概念的に正しい「通貨」のことであり、それには変化はないとハバドも認めている。しかし彼は〈取引銀行にある商人の預金も,貨幣ブローカーのもとにある銀行業者の残高も,銀行業者の金庫にある準備ファンドも,すべて減っている〉ので、〈通貨は同じ額だけ減らされている〉と考えているわけである。つまりハバドは、銀行にある商人の預金や、貨幣ブローカーにある銀行業者の残高(預金)も、銀行業者にある準備ファンドもすべて「通貨」だと捉えているわけである。だからそれらが減っているから、「通貨が減っている」と考えているわけである。しかしそれはマルクスはよれば、「通貨」概念の混乱であり、ハバドが「通貨」と考えているものは、すべて利子生み資本という意味での貨幣資本(moneyed capital)なのだとマルクスは言いたいわけである。
  このように〈取引銀行にある商人の預金も,貨幣ブローカーのもとにある銀行業者の残高も,銀行業者の金庫にある準備ファンド〉も個々人がもっている通貨と同じものと考えるのは、当時の理論家たちが、貨幣をその形態規定性においてではなく素材的に捉えているからだとマルクスは批判している(『経済学批判』全集版161-162頁)。例えば銀行学派のウィルソンも地金の流出は〈実際に流通している鋳貨に直接に作用するのではなく,地金のストック(the stocks of bullion),そして銀行業者の準備金である鋳貨(the coin in the reserves of bankers)に作用する」〉と述べている(小林賢齋『マルクス「信用論」の解明』82頁)。つまり彼らは銀行業者の準備金としてある素材的にみれば鋳貨や銀行券も通貨だと考えているのである。なぜなら、確かにそれらは素材的には、すなわちただ姿形だけを見れば、実際に流通している通貨である銀行券や鋳貨と同じものだからである。だから彼らにとっては、銀行の準備というのは、実際に流通していた通貨が、ただ銀行に入ってきてストックされているだけのものとしてしか捉えることができないのである。しかしいうまでもなく、素材的には鋳貨(コイン)や銀行券であっても、銀行の準備としてあるなら、それらは経済的形態規定性としては、すでに鋳貨や通貨としての銀行券ではなく、利子生み資本(monied capital)なのである。そこらあたりの区別がなかなか当時の人たちには分からない。それは今のマルクス経済学者と自称している人たちでさえ(実は何を隠そう小林賢齋氏も)そうなのだから、ある意味では当然なのだが。】


【54】

 〈①②商品価格が一般的に下がれば,過剰な通貨預金の増加となって銀行業者に還流し,遊休資本の豊富が利子率を最低限にまで引き下げる。そしてこうした状態は,ふたたび物価が上昇し事業が活発化して,それが休眠通貨を動員するようになるか,またはそれが外国の証券や外国の商品への投下によって吸収されるようになるまで,続くのである。」(同前,68ページ。)

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S,220.33-38.)
  ②〔注解〕ハバドでは次のようになっている。--「しかし,すべての価格が半分に下落する,という極端な場合を考えてみよう。……最近の数年間における物価の下落がいかに一般的であったかということを観察すれば,公衆の手のなかにある通貨が減少したことにはもはや驚くことはないであろう。過剰な通貨は……」〉 (205頁)

 【今回も〈moneyed Capitalの蓄積とそれが利子率に及ぼす影響〉の一環といえる。商品価格が一般的に下がるなら、通貨は預金の増加として銀行業者に還流し、遊休資本が増大して利子率を押し下げること、そしてこうしたことは物価が上昇して事業が活性化して、休眠通貨を動員するようになるか、あるいはそれが外国の証券や外国の商品への投下(つまり投機)によって吸収されるまで、続くとしている。彼らにとっては、銀行業者に還流してきた通貨は、すでに通貨ではなくて利子生み資本であるという認識はない。それはただ休眠しているだけの通貨であって、やはり通貨には違いないのである。
  商品価格が一般的に下がるというのは、やはり恐慌によって不況に突入したからであろう。そうすれば物価の下落だけではなく、商品流通そのものの停滞(流通する商品の価格総額の減少)によっても、通貨の流通量は減少するであろう(もっとも流通速度が低下することはそれだけ流通通貨の増大につながるが、しかしマルクスは、第28章該当個所では、不況期には全体としては流通通貨の減少になると指摘している)。そしてそれだけ蓄蔵貨幣(準備金)が増えることになる。ということは銀行の準備が潤沢になり、利子率が最低限まで押し下げられる。過剰な貨幣資本の捌け口が求められるが、そうしたことは再び景気循環がはじまり活況を呈するまで続くわけである。もっとも投機が活発化するというのはこうした停滞期というより相対的な過剰生産期のいわゆるプレトラ(資本過多)の捌け口としてであろうと思うのだが。】

  (続く)

2020年8月19日 (水)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(25・26-15)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(続き)

 


  〔信用制度についての雑録〕 (続き)


【39】

 [476]/319上/(7)【MEGA II/4.2.S,476.20-34 und 477.1-10】161)現金でなく手形での支払い〔第7号。〕(ⅰ)「〔ホヂスン〕4月(1847年)の最後の週に,イングランド銀行はロイヤル・バンク・オヴ・リヴァプールに,「当行は貴行にたいする割引を従来の2分の1に減らさなければならない〔」〕と通告しました。〔」第16号。(ⅱ)「〕〔ホヂスン〕この通告は非常に悪い影響を及ぼしました。なぜなら,リヴァプールでの支払いは近ごろは手形で行なわれるほうが現金で行なわれるよりもずっと多かったからです。また,自分の引受手形を支払う||320上|ために大部分の現金を銀行にもってきていた商人たちも,近ごろは,自分の綿花やその他の生産物と引き換えに受け取った手形しかもってくることができなくなっていましたし,しかも窮境が増すのにつれてこうした状態がきわめて急速に大きくなってきていました。……〔」第17号。(ⅲ)「〕〔ホヂスン〕銀行が商人のために支払わなければならなかった引受手形は,たいていは外国から彼らあてに振り出されたもので,従来は彼らの生産物の支払代金で決済される習慣だったものです。〔」第18号。(ⅳ)「〕商人たちがもってくるのはそれまでとは違って現金ではなくて手形になっていましたが,それらは期間も種類もさまざまで,かなりの数が3か月払いの銀行手形,しかもその大半が綿花手形でした。」(商業的窮境』,1847-48年,26ページ。)(『委員会からの報告』,[477]第2巻,第1部。162)(〔大英〕博物館で〔手書きで〕つけられたページ番号によって引用。)(ⅴ)「〔ホヂスン〕これらの手形は,銀行業者の手形であればロンドンの銀行業者によって引き受けられ,そうでないものは,ブラジルやアメリカやカナダや西インド等々,あらゆる取引にかかわっている商人たちによって引き受けられました。……〔」第21号。(ⅵ)「〕〔ホヂスン〕商人たちが互いのあいだで手形を振り出したのではなくて,商人から生産物を買った国内の当事者たちが商人に,ロンドンの銀行業者あての手形,またはロンドンにいるさまざまの関係者あての手形,またはほかのだれかあての手形を送ったのです。」(27ページ。)〔第19号および第25号の要旨。〕⑧⑨(ⅶ)「イングランド銀行の通告は,わが国に輸入された生産物の販売にたいして受け取られた手形について,それまではときには3か月を越えることもあった有効期間が短縮される,という結果をもたらしました。」/

  ①〔注解〕このパラグラフは,最後の引用を除いて,「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.248.1-30.)
  ②〔注解〕「〔ホヂスン〕たぶん次のように申し上げてよろしいでしょう。この通告はこの勘定には特別な困難をもたらす働きをしました。リヴァプールへの支払いが近ごろは手形で行なわれるほうが現金で行なわれるよりもずっと多かったのです。通例,引受手形を支払うために商人たちが銀行にもってくる現金の比率が大きかったのですが,近ごろは,自分の綿花やその他の生産物と引き換えに受け取った手形しかもってくることができなくなっていましたし,しかも窮境が増すのにつれてこうした状態がきわめて急速に大きくなってきていました。」
  ③〔注解〕「銀行が商人のために支払わなければならなかった引受手形は」--『第1次報告』では次のようになっている。--「私が言っております,銀行が商人のために支払わなければならなかった引受手形は……」
  ④〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「〔ベアリング〕商人たちが貴行に,いつももってきていた現金の代わりにもってきた手形はどんな種類のものだったのですか?--〔ホヂスン〕さまざまの日付の,そしてさまざまの種類の手形でした。それらのうちのかなりの数が……」
  ⑤〔注解〕『商業的窮境に関する秘密委員会第1次報告……』,1848年6月8日。
  ⑥〔注解〕「〔大英〕博物館で〔手書きで〕つけられたページ番号によって引用。」--『第1次報告』には二つのページづけがある。序文には1からXXIVまでのページがつけられている。本来の本文へのページづけは1ページから始まっている。同じく1ページからの手書きのページづけがタイトル紙葉から始まっている。この通しのページづけは序文のあとにも続けられているので,印刷されたページづけと手書きのページづけとのあいだには24ページの差が生じている。
  ⑦〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「それらのうちのかなりの数のものはロンドンの銀行業者によって引き受けられた銀行業者の手形でした。また,例を挙げるとすれば,ブラジルやアメリカやカナダや西インドのように,私たちがかかわることがありうる,ほとんどあらゆる種類の外国貿易にたずさわっている商人たちによって引き受けられました。」
  ⑧〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.248.41-249.2)
  ⑨〔注解〕この引用では,マルクスは『第1次報告』の27ページに記載されている,ソーンリとヒュームとのあいだのやりとりを要約している。ヒュームはこの件について次のように言っている。--「しかし,私たちが現在普通にやっているのは,3か月を越える手形はすべて拒否するということです。」

  161)〔E〕エンゲルス版では,この見出しは削除され,ここから320ページの末尾--すなわち,第26章に取り入れられた「貨幣資本の蓄積とそれが利子率に及ぼす影響」という見出しのある部分の直前--までは,「III.」という表題番号のもとに一括されている。その冒頭には次のように書かれている。「以下は,すでに引用した報告『商業的窮境』1847-48年から採ったものである。」
  162)〔E〕「(〔大英〕博物館で〔手書きで〕つけられたページ番号によって引用。)〔(Citirt nach d.im Museum numerirten Seitenzahlen)〕」--削除
   旧インスティトゥート版の第3部の「編集まえがき」(青木書店版の長谷部訳にははいっているが,MEW版を底本とするその後の諸訳にははいっていない)には,「議会報告『商業的窮境』1847-48年,からの引用文では,マルクスはしばしば,『報告』そのものの印刷されたページ数の代わりに,大英博物館にあるその綴込本のインクで記入されたページ数を付している」,と書かれていた(Volksausgabe,besorgt vom MEL-Institut,Moskau,Band III,Teil 1,1933,S.12*)。ここではマルクス自身がそのことを記しているわけである。〉 (193-195頁)

 【ここからは〈『商業的窮境に関する秘密委員会第1次報告……』,1848年6月8日〉からの抜き書きである。マルクスは全体のテーマとして〈現金でなく手形での支払い〉という表題を付けている。要するに商業的窮境が深まれば深まるほど、現金での支払いが影をひそめ、手形での支払いが増えてくるということのようである。そしてそうしたことが銀行への割引要求にも反映してくるということである。そうしたなかで1847年の4月にイングランド銀行が手形割引を従来の半分に制限するという通告をしたために、それは最終的には手形の有効期限を短縮する結果を招いたということのようである。因みにこの1847年4月にはいわゆる「4月危機」が生じている。そして10月にはいわゆる「1847年恐慌」が勃発したのである(「商業的窮境に関する秘密委員」というのはこの恐慌の原因を究明するために開設されたものである)。引用のそれぞれに番号を付して、さらに検討してみよう。

  (ⅰ) は、1847年4月の最後の週に、イングランド銀行がロイヤル・バンク・オヴ・リヴァプールに、手形の割引を従来の半分に制限すると通告した事実が書かれている。イングランド銀行は手形割引によってイングランド銀行券を貸し付けるのであるが、こうした貸付が増えて発行制限額を越えそうになるとそれを制限しようとするわけである(1844年の銀行制限法〔ピール法〕によってイングランド銀行券は1400万ポンド・スターリング+保有する金地金に見あった枠内に、その発券額が制限された)。

  (ⅱ) こうした通告は悪い影響を及ぼしたと指摘されている。というのはリヴァプールに支払われる現金(イングランド銀行券)がそもそも減って、手形で支払われることが多かったからだ、と。ここで〈引受手形〉というのはその為替手形に対する支払い義務を引き受けるということであり、手形の表面に「引受」等の文字を記載し、支払人の署名が必要である。この場合、引受人が主たる債務者となる。この場合の引受人は商人なのかその取引銀行なのかははっきりしないが、恐らく取引銀行であろう。とにかく、商業的窮境が進行すると商人たちも自分たちの綿花やその他の生産物を売って受けとった手形しか持ってくることができず、ますます現金への需要が高まったからということである。

  (ⅲ) の内容はやや難しい。〈銀行が商人のために支払わなければならなかった引受手形〉というのは、銀行が貨幣取扱業者として商人たちの支払い義務を引き受けた為替手形のことであろう。だからそれらは〈たいていは外国から彼らあてに振り出されたもの〉である。つまり商人たちが外国から綿花等を輸入したときの輸入代金の支払いを指図する証書であり、それに銀行が引受人として署名しているわけである。だからそれらは外国の輸出業者が発行した為替手形である。だからそれらは〈従来は彼らの生産物の支払代金で決済される習慣だったもの〉なわけである。商人たちは外国から原料である綿花等を輸入し、それをイギリスの生産的資本家たちに販売して、その販売代金でそれらの輸入代金を決済する予定のものだったわけである。しかし生産物の販売が行き詰まり、彼らは生産物の販売代金としてやはり手形でしか支払いを受け取ることができなくなってくるわけである。だから商人たちも自分たちが販売した生産物の代金として銀行に手形を持参するだけになる。しかし銀行は商人たちが輸入した代金への支払い指図である〈引受手形〉への現金による支払いを迫られているというわけである。つまりそれだけイングランド銀行券や金地金への需要が高まっているのであるが、しかしその時に割引(つまり手形をイングランド銀行券や金地金に転換すること)を制限されたということである。

  (ⅳ) では、商人たちが銀行にもってくるのがそれまでとは違って現金ではなくて手形になっていたが、それらは期間も種類もさまざまで、かなりの数が3か月払いの銀行手形だったとある。ここで〈銀行手形〉というのは振り出したのは商人であるが、その引受人になっているのが銀行だということである。つまり支払保証人に銀行がなっていることである。『世界大百科辞典』の「マーチャント・バンク」の項目には〈彼らは,まず,手形引受商社acceptance houseとして貿易商人のためにロンドンあて為替手形の引受け(したがって支払保証)を行ったが,国際的に信用のあるマーチャント・バンクが引き受けた手形は優良な銀行手形(イングランド銀行再割引適格手形)とされ,割引市場で容易に資金を入手しうることとなった〉とある。こごではそうした銀行手形は、〈しかもその大半が綿花手形でした〉との説明がある。だからそれらは綿花の輸入に関連して振り出された手形だということであろう。

  (ⅴ) ここで〈これらの手形〉というのは、商人たちが銀行にもってくる手形ということであろう。それらが銀行手形の場合はロンドンの銀行業者によって引き受けられたとある。〈引き受け〉るというのは、この場合は買い取るということであろう。またそれ以外の手形は、さまざまな植民地との取引にかかわっている商人たちによって買い取られたと述べている。ロンドンの商人が取引銀行に持ってくる手形というのは、彼らの生産物を輸出したさまざまの植民地の銀行手形が多く、あるいは植民地の業者の発行した手形であるが、それらは銀行手形の場合はロンドンの銀行業者が自分の取引相手の商人が植民地からの輸入代金の支払いに応じるのに利用するために買い取ったり、あるいはロンドンの業者が自分が輸出入している植民地への支払いに利用するために、植民地の輸出業者の発行した手形を購入したということであろうか。

  (ⅵ) では商人たちが互いの手形を振り出したのではなく、ロンドンの銀行業者宛の手形かまたはロンドンのさまざまの関係者宛の手形や、要するに他の誰かの手形に裏書きして互いに手渡したということである。ようするに、手形を決済するために手形が、しかも自分が振り出したものではない、別の誰かが振り出したものに裏書きして手渡す、というように信用が何重にも重なり膨らんでいったということであり、過剰信用が生じていたということではないだろうか。

  (ⅶ) は、イングランド銀行の手形割引を従来の半分に制限するという通告は、手形の有効期限を短縮するという結果をもたらしたとある。ここで〈わが国に輸入された生産物の販売にたいして受け取られた手形〉というのが今一つ不明瞭であるが、イギリスに輸入された生産物(例えば綿花)を販売した時に受け取った手形ということであろう。だからこれは輸入された生産物(綿花等)を生産的に消費する生産的資本家たちが振り出した手形ということになる。その有効期限が以前は3か月を越えることもあったのに、それが短縮する結果をもたらしたということである。以前、【30】パラグラフの東インド貿易の場合は6か月払いの手形で支払われたとあったが(だからこれらの長期手形は投機をもたらし、いかさまを生み出したのであるが)、それが半分以下の期限のものになったということである。ということはそれだけ信用が揺らぎ縮小したということであろう。
  なかなか経済的な実務はよく分からないところがあるが、まあ、これくらいにしておこう。】


【40】

 /320/(1)【MEGA II/4.2,S.477.11-4783】163)1847年の春(4月)には,「〔ホヂスン〕ほとんどすべての商社が,鉄道への投資のために多かれ少なかれ自分の事業を飢えさせ始めていました。……自分の商業資本の一部分を鉄道のために取り去ることによる〔事業の飢えがあったのです〕。」(〔報告『商業的窮境』,1847年〕41[,42]ページ。〔証言第177号。〕)②③「私人や銀行業者や火災保険会社によって,たとえば8パーセントというような高い利子率での,鉄道株担保の前貸も行なわれました。」(66ページ。〔第521-522号からの要約。〕)「商社が鉄道にたいして行なった貸付がそれほど大規模になったので,これらの商社はその商業操作を続けていくために,手形の割引によって株式銀行や私営銀行に過度に依存することになりました。」(67ページ。〔第562号の質問から。〕)

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.477.11-13.)
  ②〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.251.28-32.)
  ③〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「〔ソーンリ〕鉄道への資本の充当に関連して,鉄道の払込請求にあてるための資本の需要のほかに,鉄道株を担保とした高い利子率での貸付があったのではありませんか?--〔ホヂスン〕私たちの町のいたるところで,きわめて大規模に,私人や銀行業者や火災保険会社によって,かなりの規模での貸付が行なわれました。」

  163)〔E〕この「1847年の春(4月)には〔Im Fruhling(April)1847〕」という一句が,見出しの意味をもっているのかどうかさだかではない。しかし,この前の部分は,「現金でなく手形での支払い〔Zahlung in Wechsel statt cash〕」という見出しとその内容とが一致しているが,ここ以下の部分はそれとは少し異なった視角から引用されているように思われる。後半に若干見られる下線部分もそのことを示している。そこでこの部分は,この前の部分とはいちおう独立した引用部分として取り扱っておく。エンゲルス版では,ここに次のようなエンゲルスの文がはいっている。「イギリスの1844-47年の繁栄期は,前に述べたように,最初の大きな鉄道眩惑と結びついていた。これが事業一般に及ぼした影響については,上記報告に次のような記述がある。」〉 (195-196頁)

 【この引用にも、冒頭、〈1847年の春(4月)には〉というマルクスの手によるものと思える一文がある。しかし大谷氏は訳者注163)でこの一文には見出しの意味があるのかどうか疑問をもっている。その訳者注に紹介されているエンゲルスの挿入文によれば1847年の春というのは繁栄期の末期、一時的に「4月危機」が生じた時期である。その当時はほとんどすべての商社が鉄道投機に走っていて、本来の事業を放り投げていたということである。8%という高い利子率でも投機のための貨幣資本の前貸しが行われていたともある。それは鉄道投機に走っていた商社が株式銀行や私営銀行に過度に依存して、投機資金を集めていたということである。
 藤川昌弘氏は論文「1847年恐慌」において40年代の産業循環における鉄道ブームについての詳しい分析をしているが、その一文を参考のために紹介しておこう。

 〈多くの証人が認めているようにこうした地方投資家にとっては、ブームの過程で登場した鉄道株は銀行預金による利子の入手にはるかにまさる魅力的な投資対象と考えられたのであり、また鉄道株を担保とする前貸が一時5%から10%にもおよぶ利子獲得の機会を提供していたために、投資意欲の直接の高まりのみならず担保貸付利子の取得をもくろむ預金の引き出しが行なわれたのであった。交換銀行(exchange bank)--すなわち鉄道株を担保とする前貸を行なって利鞘をかせぐことを主要な業務とする銀行が設立されたスコットランドのばあいにも、それらが他の一般銀行の預金利率を越える利子を提供していたため、預金の減少がとくに目立っていたことが確認されていた。〉 (鈴木鴻一郎編『恐慌史研究』1973年7月25日、日本評論社刊、所収190頁)】


【41】

 第207号「〔ケイリ〕あなたは,鉄道株の払込みが,4月と10月に見られた逼迫を引き起こすのに大きな影響を及ぼしたと言われるのですか。--〔ホヂスン〕それは4月の逼迫を引き起こすのにはほとんどなんの影響も及ぼさなかったでしょう。4月までは,またおそらくは夏までも,それは銀行業者の力を弱くするよりも,むしろある点ではそれを強くしたと思います。というのは,支出のほうはけっして払込みと同じほど急速には行なわれなかったからです。その結果,年初にはたいていの銀行がいくらか大きい額の鉄道資金を手持ちしていました。この資金は夏のうちにだんだん少なくなっていって,12月31日には非常に少なくなっていました。10月の逼迫の一因は,銀行業者の手にある鉄道資金の一般的な減少でした。4月22日から12月31日までのあいだに,私たちの手にあった鉄道資金残高は3分の1減少しましたが,これは165)大ブリテン全土にわたる鉄道株払込みの影響でした。それはだんだんに銀行業者の預金と銀行の貸方残高とを枯渇させていったのです。」(43,44ページ。)

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.250.15-28.)

  165)「大ブリテン全土にわたる〔in ganz Großbritanien〕」--証言では「全王国にわたる〔throughout the Kingdom〕」となっている。〉 (196-197頁)

  【これは何の見出しもない抜粋であるが、むしろ前の抜粋の続きと言えるだろう(エンゲルスは改行せずに続けていると訳者注164)は指摘している)。これは鉄道投資の特徴としてマルクスは抜き書きしたのではないかと思える。
 鉄道投資は、幾つかの段階に分かれ、それが実際に建設されるまでにも時間的に長い期間を要したようである。前掲の藤川氏は〈それは一般に、敷設計画の出発から路線の開通までに数年を要する一連の過程をなしていた〉と指摘、その過程を〈路線計画の発起から株式応募契約書の調整までの段階→それを前提として議会による法的な許可を獲得するまでの段階→この個別法にもとづいて現実の建設を完成させるまでの段階、という三つの部分に区別される〉としている。〈そしてそれらに対応する統計的な指標、すなわち株価→鉄道法案数→建設支出のピークも、順に45年→46年→47年であっ〉たとしている(前掲182-183頁)。
 この引用では、そうした鉄道株への払い込みが、「4月危機」の逼迫を引き起こすのには大きな影響を及ぼしたかどうか、という問いに、何の影響も及ぼさなかったと答えている。というのは支出、つまり実際の鉄道の建設はすぐに始まるわけではなかったので、払い込まれた鉄道資金は一時的に銀行を潤したからである。しかしそれらは当然、鉄道建設がはじまると同時に徐々に減ってゆき、銀行の貨幣資本を枯渇させていったということである。だから10月の恐慌の一因は、銀行業者の手にある鉄道資金の一般的な減少だったとの証言がなされている。ただ鉄道株への払い込みが、「4月危機」とは関係がないと言えるのはロンドンの銀行であって、地方の銀行では事情が違ったと藤川氏は指摘している。
  藤川氏の論文から紹介しておこう。

  〈A・ホジスン--「我々の預金および信用勘定は、37年や39年の逼迫のさいにもほとんど減少しなかったのに、47年10月パニックの一年半ないし二年前から徐々にではあるが確実に減少しました。……これは鉄道株への投資、その追加払込み、および鉄道会社勘定の引き出しによるもので、そのためにわが国の銀行の力(banking power)はきわめて重大な影響を受けたのです。……10月における逼迫の一つの原因は、疑いもなく銀行家の手中にある鉄道貨幣の漸次的な減少にあると思います。」/S・ガーニィ--「ロンバード街で貨幣の取引をしている我々には、資本が商業界から鉄道に吸収されたことからくる影響は感じられませんでした。……私の観察したかぎりでは、47年4月および秋の逼迫と鉄道の問題とはなんら関係がありません。」〉 (189-190頁)

  こうしたリヴァプールという地方の銀行業者であるホジスンと、ロンドンのロンバード街で仕事をしているガーニィーとではまったく相反する証言をしているわけであるが、こうした対照的な証言は、鉄道建設にともなう資金調達の過程がロンドンと地方とでは異なった影響を与えたからだと藤川氏は指摘しているわけである。】


【42】

 〈166)サミュエル・ガーニも次のように言っている。第1754,1755号②③「1846年には鉄道のための資本の需要は〔それ以前よりも〕大きかったのですが,しかしそれは利子を高くはしませんでした小さな金額が大量の金額にまとめられ,この大量の金額が私たちの市場で使用されました。したがって,だいたいにおいてその影響は,シティの貨幣市場から取り出すのよりも多くの貨幣をそこに投げ入れるということでした。」

  ①〔訂正〕「第1754,1755号」--草稿では,「第1742号」と書かれている。
  ②〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.259.30-34.)
  ③〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「1754号。〔ケイリ〕1846年じゅう,資本にたいする需要の,以前よりも大きな増加があったのではありませんか?--〔ガーニ〕疑いもなく,鉄道建設のための資本へのかなりの需要がありました。1755号。〔ケイリ〕それは貨幣の価値を,たとえば3[1/2]%から4[1/2]%に増加させることになったのではありませんか? 〔ガー二〕私には,そのような効果があったとは思われません。私はそのような結果があったことを発見できませんでした。小さな金額が大きな金額にまとめられることはあって,これらの大きな金額が私たちの市場で使用されました。したがって,だいたいにおいてその影響は,シティの貨幣市場から取り出すのよりも多くの貨幣をそこに投げ入れるということでした。」

  166)〔E〕「サミュエル・ガーニも次のように言っている。第1754-1755号。」→ 「サミュエル・ガーニ(悪名高い商社オヴァレンド・ガーニ・エンド・カンパニーの社長)も次のように言っている。」〉 (197頁)

 【これは先の抜粋に関連させて、マルクスによる〈サミュエル・ガーニも次のように言っている〉という前書きがある。今回は鉄道建設に必要な貨幣資本の需要は大きかったが、それがすぐに利子率を高めたわけではないとの事実が指摘され、その理由として小さな金額がまとめられ、それが集中されて大量の金額になって使われたから、と指摘されている。この少額の貨幣を集中させたのは株式によるものであろう。当時の鉄道株の投機ブームについて藤川氏の論文から紹介しておこう。

  〈すでに45年の1月初から、既存路線の株式ばかりでなく新たに設立された暫定登録会社の仮株券が圧倒的な人気を博し始めていたが、2月頃までの状況は、前年以来の鉄道熱の継続とみうる性格のものだったことが知られている。鉄道株市場が急速に投機的な色彩を強めたのは3月以降のことであって「小金を貯めた年配の男女、あらゆる種類のトレード・メン、年金生活者、専門的職業人、貿易商、地方の田紳達」あるいは「召使、下僕、執事から有爵の老嬢や教会の高僧までのすべての階層とすべての職業」にわたる多数の投資家達が、たんなる高配当の期待だけでなく、株式の転売による利得の可能性をめざして、市場に殺到し始めたのである。『エコノミスト』がいちはやく注目しているように、じゅうらい証券投資の慣行をまったく持たなかったこれら中小の投資家が大量に登場し始めた点は、その資金調達源としての規模を別とすれば、イギリス資本市場にとって画期的な新事態をなすものだったといわなければならない。以前には1〜2日ですんでいた定期取引の決済に一週間を要するほどの、取引所内部における大膨張が見られたばかりでなく、取引所外部のコーヒー店その他で多数の非加盟ブローカーを交えた売買契約がとり行なわれることとなったのであって、シティにおける熱狂の異常な様相にかんする記述については、枚挙にいとまがない。しかも雑多な投資家が全国各地に登場したことから容易に推測されるように、ロンドン以外の地方証券取引所がこのブームを契機にして急激な勃興を見て、「1万ないし2万以上の人口を有するほとんどすべての町に株式ブローカーの常設機関が出現した」といわれるほどとなったのである。なかでもリヴァプール・マンチェスター・リーズ・ブリストル、さらにはグラスゴー・エディンバラ・ダブリン等の取引所における鉄道株投資は、ロンドンにまさるともおとらぬ規模をもっていたことが確認されている。〉 (前掲185頁)

  ここに出てくる「仮株券」についても、その説明を紹介しておこう。

  〈まず最初の発起者(初期の鉄道のばあい路線開通に利害関係の深いその地方の商工業資本・地主・技師等であることが多かったが、投機性が強まってくるにしたがって雑多な階層が入りこんでくる)が敷設計画をたてて暫定委員会を構成し、株式ブローカーや各種の金融業者・専属弁護士等を代理人として株式発行がとり行なわれる。そのさいの重要な特色は、株式の配分が暫定委員会によって決定されており、発行業務に専門化した投資銀行や発行商会がとくに登場することはないという点であって、投機ブームの頂点でもこの事情に変りはなかった。株式の応募者にたいしては、額面金額の一部払込約束を条件として一定の株式割当を認める割当状(letter of allotment)が発行されるが、その所有者が必要な手続き--すなわち約定金額を払込み会社の定款を遵守して応募額に比例した損失と利益とにあずかること、また将来の追加払込請求(railway share call)に応ずべきこと等々を規定した応募契約書に署名するという手続き--を完了したのちに、いわゆる仮株券(scrip)が発行される。鉄道株の人気が高まるにつれてこの仮株券はしばしばプレミアムつきで販売することが可能となったのであるが、そこには、後続の買手が追加払込請求に応じえないときには応募契約書への署名者である最初の売手が責任を負わねばならないという取り決めが働いていたのである。応募契約書完了から計画ないし会社設立の認可を獲得する過程が、第二の段階としてこれに続く。そのための条件として欠かせないのは、当時の株式会社設立行政を管轄していた貿易省(Boad of Trade)に設立趣意書を上程し、かつその代理機関としてのイングランド銀行に資本金の10パーセントにあたる供託金(Raiway Deposit)を毎年2月までに納入するという規定であった。後に見るようにこの規定は、実際の建設が開殆される以前に多額の追加払込請求をひきおこして信用制度の運動に複雑な影響を与えることになるが、それはともかく、これによって初めて敷設計画は鉄道法案(Raiway Bill)として議会審議の対象となる。そのうち計画の妥当性や会社設立の適格性をめぐる細目に及ぶ審議を通過したものが、個々の鉄道法として授権資本額や授権マイル数の規定を含む法的な認可を獲得し、これに基づいて暫定委員会を正式の理事会へ、また仮株券を本株券へと転換しうることになるのであった。〉 (前掲184頁)】


【43】

 〈167)上に引用した,リヴァプール株式銀行重役のA.ホヂスンは,イングランド銀行は①②「要するに,為替手形の通常の転換可能性の行く手に障害物を設けたのです」,と言っている。(43ページ。〔第205号。〕)

  ①〔注解〕この引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.250.12-13,)
  ②〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「〔ケイリ〕イングランド銀行の通知によって生みだされた4月と10月の逼迫は,実際には,為替手形の通常の交換可能性の行く手に障害物を設けたのではありませんか?--〔ホヂスン〕はい,きわめて大きな障害物でした。」

  167)〔E〕エンゲルス版では,このパラグラフは削除されている。〉 (197-198頁)

 【ここで〈上に引用した,リヴァプール株式銀行重役のA.ホヂスン〉云々というのは、【39】パラグラフで〈「〔ホヂスン〕4月(1847年)の最後の週に,イングランド銀行はロイヤル・バンク・オヴ・リヴァプールに,「当行は貴行にたいする割引を従来の2分の1に減らさなければならない〔」〕と通告しました〉という部分を指しているのであろう。つまりイングランド銀行による手形割引の制限が〈為替手形の通常の転換可能性の行く手に障害物を設けた〉ということである。【39】パラグラフでは〈「イングランド銀行の通告は,わが国に輸入された生産物の販売にたいして受け取られた手形について,それまではときには3か月を越えることもあった有効期間が短縮される,という結果をもたらしました。」〉とあった。手形の期限が短縮されるということは、その期限内に裏書きされて流通する可能性が奪われるということだろうから、それを〈通常の転換可能性の行く手に障害物を設けた〉と述べているのだと思われる。
  つまりこのパラグラフそのものは、その直前の数パラグラフで問題になっていた鉄道株式の払い込みが貨幣資本の逼迫を引き起こしたか否かという問題とは若干違った問題に転換している。むしろこのパラグラフは【39】パラグラフに直接繋がったものと考える方がよいであろう。】


【44】

 [478]①168)彼は,現在の非常に低い利子率を,「商業がほとんどまったくだめになり,貨幣を運用する方法がほとんどまったくなかった」ことから説明している。(45ページ。〔第231号。〕)/

  ①〔注解〕この引用と次の引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8,S.251.3-11,)

  168)〔E〕エンゲルス版では,このパラグラフは削除されている。同じ記述がエンゲルス版第30章のなか(MEGA II/15,S.482;MEW25,S.502)にあるが,これは草稿の340ページに続くページ番号のないページから取られたものである。なお,この引用の左側にはインクで縦線が引かれている。〉 (198頁)

  【ここで〈〉というのは〈リヴァプール株式銀行重役のA.ホヂスン〉のことであろう。そして〈現在の〉というのは、すでに1847年恐慌の直後のことを指しているのであろう。当時の低い利子率を〈商業がほとんどまったくだめに〉なって、貨幣資本への需要がまったくなくなったからだと説明しているわけである。つまり恐慌によって過剰生産が明らかになり、産業や商業が停滞して、貨幣資本への需要が無くなったことが、低い利子率の原因だと、少なくともホヂスンは問題を正しく指摘しているとの思いが、マルクスにあって、こうした引用を行ったのであろう。】


【45】

 /320/(2)【MEGA II/4.2,S.478.4-8】169)手形が銀行業者の準備ファンド〔となる〕。同人〔ホヂスン〕。「私たちの預金全体の少なくとも10分の9と,私たちが他の人びとから受け取った貨幣の全部とを,毎日次々に満期になる手形のかたちで私たちの手形ケースに入れておくというのが,私たちの習慣でした。それが非常に大きかったので,取り付けのあいだは,毎日満期になる手形が,毎日私たちにたいしてなされる支払請求の金額とほとんど等しかったほどでした。」(53ページ。〔第352号。〕)

  169)〔E〕この小見出しは,エンゲルス版では次のような文章になっている。「リヴァプール株式銀行の重役A,ホヂスンは,手形が銀行業者の準備ファンドをどんなに大きく形成することができるかを示している。」〉 (198頁)

 【これは1847年恐慌の当日の状況を物語っているものとして、マルクスは引用しているのであろう。マルクスによって〈手形が銀行業者の準備ファンド〔となる〉という表題が付けられている。ここで注目すべきなのは〈私たちの預金全体の少なくとも10分の9と,私たちが他の人びとから受け取った貨幣の全部〉と書いているが、それらはすべて手形だということである。つまり預金全体の10分の9が手形を銀行にもちこんだ顧客の口座に預金として記帳されたものだ(もちろん割り引いて)ということである。また銀行が〈受け取った貨幣〉というのも、何らかの支払いとして現金の代わりに手形で受け取ったということであろう。つまり銀行のその準備ファンドのほとんどは手形で形成されているということである。そうして入手した手形を毎日次々と満期日になる順に手形ケースに入れておくということである。〈取り付けのあいだ〉というのは恐慌時の信用不安によって、顧客が銀行に預金の払い出し求めて殺到した時ということである。そもそも預金の10分の9が手形で形成されたものだから、その預金の引き出しが、結局、手形が満期になって支払いを受けるのとほとんど等しかったというのである。つまり銀行は満期になった手形の支払いを受けても、それがそのまま預金の引き出しとして出て行くような状態だったということである。】


【46】

 /320/(3)【MEGA II/42,S.478.9-24】170)投機手形Bills of speculations〕。綿花手形第5092号(ⅰ)「それらの手形〔」〕(それで綿花が買われた)〔「〕はおもにだれによって引き受けられたのですか?--〔ガードナ〕生産物のブローカーによってです。ある人が綿花を買い,そしてそれをブローカーに引き渡すと,このブローカーあてに手形を振り出して,それを割引してもらうのです。〔」〕第5094号。(ⅱ)「〔グリン〕そして,そうした手形がリヴァプールの銀行にもっていかれて割引されるのですね?--〔ガードナ〕そうです。それにまたそのほかの地域でもそうされます。……この融資はおもにリヴァプールの銀行によってなされましたが,もしそれがそのようにしてなされなかったならば,昨年の綿花は1重量ポンドあたり1[1/2]ペンスか2ペンスは安かったと思います。」

  ①〔注解〕『第1次報告』では次のようになっている。--「〔グリン〕通例,それらの手形を引き受けたのはだれだったのですか?」

  170)草稿では,「投機手形。綿花手形。」を「投機手形。」に変更している。〉 (198-199頁)

 【このパラグラフにはマルクスによって〈投機手形Bills of speculations〕。綿花手形〉という表題が付けられ二つの引用文がある。今それに(ⅰ)(ⅱ)と番号を付して検討しよう。
  その前に、こうした当時の綿花の輸入に関連する手形信用については、藤川氏の詳しい分析があるので、まずはそれを紹介して当時の手形信用の実際の知識を得ておこうと思う(以下、分かりやすくするために若干文章を整理した)。

 〈はじめに棉花の輸入について。当時8割前後を占めていたアメリカからの輸入取引においては、アメリカの棉花栽培業者またはその代理商(A)-アメリカの輸出商(B)-リヴァプールの輸入商(C)…棉花ブローカー(D)-ランカシャーの工場主(E) という流れが、主要な系列をなしていたと考えられる。1848年の「商業的窮況にかんする委員会」上下両院における証言を整理すると、右の4段階のそれぞれについて、以下のような関係が浮かびあがってくる。
  (1) A-B間について:リヴァプールの棉花輸入商A・H・ウィリー(H・L)「1966号、棉花を輸入する商人と生産者との間では、支払いはどのように行なわれるのですか?--もしも、たとえばニューオーリンズの私の商会がリヴァプールの私に船送りするために、そこで棉花を買ったとすれば、かれらは栽培業者またはその代理商に現金で支払わねばならないでしょう。……」「1967号、この現金取引は、ほとんどつねに〔棉花の〕引渡し前に行なわれます」「1970号、……そうなるわけは計量.等級づけ・船積みという時間のかかる過程が済まないかぎり、〔棉花の〕引渡しが遂行されたとは、ほとんどいえないという事実があるからです。……」
  (2) B-C間について:A・H・ウィリー「1972号、まずニューオーリンズのあなたの商会は、あなたにあてて60日サイトの手形を振りだすのですか?--通常かれらはそうします。」リヴァプールの銀行家J・リスター(H・L)「2516号、……われわれは外国からの手形をも受け入れます。外国手形というものがあって、人がイングランドの商会に送付するのです。……」リヴァプールの銀行家A・ホジスン(H・C)「17号、私のいう引受手形とは、イングランド銀行が商人たちのために支払わなければならなかったもので、おもに海外から商人たちにあてて振り出された手形でした。かれらは、自分の生産物にたいする支払いとして何を受けとろうとも、それでもってこれらの引受手形を支払う慣行だったのです。」
  (3) C-D問について:J・リスター「2512号、……輸入商人は、生産物が到着しても充分な資本を持っていないときには、それを販売できるときまで、ブローカーへ担保に入れなければなりません。そこでただちに、保税または無税でリヴァプールの倉庫に入っているその生産物を担保にして、別種の手形がリヴァプール商人によって、ブローカーあてに振り出されます。……」リヴァプールのマーチャント・バンカーW・ブラウン(H・L)「2342号、いろいろな時期にリヴァプールに到着する棉花の量は、しばしばきわめて大量になるから、ブローカーの商人にたいする融通、あるいは銀行の棉花所有者にたいする融通がなければ、わが国の一般消費に必要な棉花の在庫を保持することは不可能でしょう」A・ホジスン「601号、あなたは銀行家として、その種の手形〔自己の資本をもたないスペキュレーターが振り出したブローカーあて手形〕をできるかぎり、避けようとしますか?--いやそうはしません。適度に保たれていれば、われわれはそれをきわめて合法的な種類の手形とみなします。」「604号、……それらは、しばしば書き換えの行なわれる手形種類に属しています。」
  (4) Eの支払いについて:A・ホジスン「26号、……リヴァプールでは特別の取り決めがないかぎり、買手はつねに、その支払いを現金または手形で行なう権利を持っています。買手はその手形を低い利子率で割引けるときには、ガーニィ商会またはロンドンのどこかでそれを割引き、生産物にたいして現金で支払います。他方5%以下で手形を割引けないときには、手形で支払う権利を利用します。」「21号、〔そのばあいに支払われる〕手形は、内国取引およびわが国の一般商業に通常の、ほとんどあらゆる種類の手形でした。われわれはそれらを雑手形と呼んでいます。」A・H・ウイリー「1968号、……製造業者たちは、10日以内に割引分を差し引いた支払いを行なう選択権を持っているが、通常支払いは三カ月の銀行手形で行なわれます。」
  以上の諸証言によれば、第1にA-B間の支払いは現金で行なわれる。そのさい、AにたいするCの支払いが質問された1966号において、Cの「コルレス商会」としてのBの支払い方法が解答されていることから明らかなように、当時の棉花輸入は、自己の採算によって買付けを行なうリヴァプール輸入商のイニシァティブのもとにあり、アメリカ輸出商は、実質上その代理商として機能することが多かったのである。これは事実上、1970号にみられるような輸入諸費用がイギリス側の負担によってまかなわれることを意味していた。
  第2にB-C間の支払いは、BのC (またはリヴァプールにおけるその取引先銀行) あて手形の振り出しによって行なわれる。この手形はただちにイギリスに送付されて通例リスター2516号やホジスン17号にみられるように、リヴァプールの諸銀行やイングランド銀行本支店で直接・間接の割引をうけるが、注意されなければならないのは、Cの支払いが、かならずしも2ヵ月という手形期限内に遂行される必要はないという点であった。
  というのは第3に、C-D間で棉花を担保にしてCからDあてに手形が振り出される関係が一般化していたからであって、これを通して(または同じ操作を行なうスペキュレーターへの売却を通して)、Cは、輸入棉花の最終的な販売代金を入手する以前に、B-C間で振り出された手形の支払い、ないしはそれを肩替りした銀行への返済を行なうことが可能だったのである。年末ですら国内消費の2分の1を越えるほど大量のリヴァプール棉花在庫の変動が、一般的にいって年頭から6・7月ごろにかけての輸入状況と綿工業における原料需要の程度とに対応していたことはよく知られているが、右のブローカーあて手形の振り出しと引受け、ならびにホジスン601・4号が承認するようなこれにたいする寛大な取扱いは、そうした変動に流動的に即応しうる体制が、アメリカ栽培業者はいうにおよばず、イギリス輸入商の負担すらさして必要とされることなく確保されていた関係を、集約的に示すものだったといえよう。その重要性は、ブラウン2342号が強調する通りであった。
  第4に綿工場主たちの支払いは、かれらが綿製品の販売によって入手した手形または現金によって行なわれるが、ウィリー1968号にみえるように、手形支払いのケースが一般的だったと考えてよい。そのかなりの部分が3ヵ月の銀行手形であったといわれているのは、かれらが、綿製品の買手にあてて振り出した手形を、その地方の銀行においてロンドン代理店あての銀行手形にふりかえるか、またははじめに買手のロンドンにおける直接・間接の取引先銀行あてに手形を振り出すことが多かった事情を、示すものであった。この種の手形のなかでは、マンチェスターのジョーンズ・ロイド商会(通貨学派の領袖として著名なオーバーストンの銀行) によって、ロンドンの同商会あてに振り出された手形が多数を占めていたとされるが、同商会の銀行手形は支払手段として20-30人の手を経たといわれているから、工場主たちが、最初にこれを販売代金として受けとるケースもしばしばであったにちがいない。工場主たちの支払いが現金で行なわれるのは、ホジスン21号に示されるような「雑手形」をも含めて、さまざまなかたちをとって綿製品の販売過程から獲得される手形が5%以下で割引かれうるばあいであった。棉花の手形価格は、現金価格よりも5%だけ高かったからである。こうして支払われた手形または現金が、C-D間で振り出され割引かれた手形の最終的な決済にあてられることによって、以上の4段階のすべてが完了することになるのは、いうまでもないであろう。〉 (前掲208-210頁)

 まずここで「ブローカー」という用語が出てくるが、その意味について確認しておこう。これは「仲買人」とも言われるが、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説では次のようになっている。

 〈仲買人(なかがいにん)broker--仲買商ともいう。本来は分散卸売商のことをいったが、現在では産地買集め商をもあわせて仲買人という。それは、売り手と買い手の間に介在して販売または買付けを円滑化する特殊中間商人である。分散卸売商としての仲買人は、消費地にあって大規模な問屋または卸売商と小売商との中間に介在し、商品流通の分散を仲介する。産地買集め商としての仲買人は、生産地にあって生産者から小口の生産物を買い入れ、大口にまとめて産地問屋に売り込む。仲買人の取り扱う商品は、生産量ないし消費量の単位が小口のもの、腐敗・変質性の高いものが多く、農産物や生鮮食料品関係が中心になる。これらを取り扱う中央卸売市場のような大規模市場では、全国から販売委託された鮮魚類や農産物を、短時間のうちに大量に処理しなければならない。そのため、販売を委託された卸売業者と仕入れにくる小売商との中間に仲買人(仲卸業者)が必要となる。仲買人は自己の得意先である小売商の要求を熟知し、それに適応した商品を競り落とし、自己の計算と責任において小売商に販売する。一般の流通では、伝統的取引方式のなかで仲買人の中間搾取が生じるとして、排除の対象にされたこともある。[森本三男]〉

 だからここでは綿花の輸入商から綿花を購入して、それをさまざまな消費者である綿糸製造業者に販売する仲買人のことを指すと考えてよいであろう。

  さて、それでは上記の藤川氏の当時の綿花の輸入における手形信用の実態についての分析を頭に入れながら、最初のマルクスの抜粋文を検討してみよう。

  (ⅰ)の引用文について

  まずここで主に問題になっているのは、藤川氏の例ではC(リヴァプールの綿花輸入商)-D(綿花ブローカー)間の取引である。質問者は〈それらの手形はおもにだれによって引き受けられたのですか〉と聞いている。そしてその質問者のいう〈手形〉にマルクスは〈それで綿花が買われた〉と括弧に入れて説明を加えている。ということはこの手形というのは、綿花を買った時にアメリカの輸出商が振り出した為替手形と考えられなくもない。しかしそのあとの回答者の説明をみると、〈ある人が綿花を買い,そしてそれをブローカーに引き渡すと,このブローカーあてに手形を振り出して,それを割引してもらうのです〉と答えている。この回答者の説明は、最初の質問〈それらの手形はおもにだれによって引き受けられたのですか〉に対して〈生産物のブローカーによってです〉と答えたことを引き続いて説明している一文だと考えられる。つまり綿花の輸入商が振り出した手形を引き受けたのはブローカーであり、だから輸入商はブローカーに宛てて手形を振り出したわけである。この場合の手形は支払い指図証である為替手形である。それにブローカーは引受人として署名したわけである。そしてその手形を輸入商は銀行に持ち込んで割引してもらうと説明されている。だから〈それらの手形〉というのは綿花輸入商がブローカー宛てに振り出した手形といえる。マルクスの〈それで綿花が買われた〉という説明は、輸入商から生産物ブローカーが生産物(綿花)を購入したさいの手形という意味と考えるべきであろう。それをマルクスは〈綿花手形〉と呼び、〈投機手形Bills of speculations〉とも指摘しているわけである。それがどうして〈投機手形〉なのかについては、次の藤川氏の一文から明らかになる。
  このC-D間の取引について、藤川氏は上記の引用文のなかで、次のように説明していた。もう一度、紹介しておこう。

  〈C-D間で棉花を担保にしてCからDあてに手形が振り出される関係が一般化していたからであって、これを通して(または同じ操作を行なうスペキュレーターへの売却を通して)、Cは、輸入棉花 の最終的な販売代金を入手する以前に、B-C間で振り出された手形の支払い、ないしはそれを肩替りした銀行への返済を行なうことが可能だったのである。〉

 ここで〈スペキュレーター〉という用語が出てくるが、これは「投機家」のことである。藤川氏は〈同じ操作を行なうスペキュレーターへの売却を通して〉と述べている。つまり綿花輸入業者は、輸入した綿花をブローカーに引き渡して、ブローカーに宛てて手形を振り出すのと同じ操作を、輸入商はスペキュレーター(投機家)に対しても行い、投機家に対しても手形を振り出すのだということである。そしてその手形を輸入商は輸入代金の支払に宛てると述べている。つまりブローカーに対して行うのと同じ操作を輸入商は投機家に対してもやっているということである。だからそうした投機家に宛てて振り出された手形(投機家が引受人になっている手形)を、マルクスは投機手形と呼んでいるわけである。
  また藤川氏の説明では、綿花の最終的な購入者である綿糸製造業者によって〈支払われた手形または現金が、C-D間で振り出され割引かれた手形の最終的な決済にあてられることによって、以上の4段階のすべてが完了する〉と述べていることも重要であろう。つまりC-D間の決済がすべての取引を完了させるというのである。
 というのはA-B間の取引はすでに現金で決済されて終わっている。B-C間の取引は、CがD宛てに振り出した手形を銀行で割引してもらい、その現金でBが振り出した為替手形かあるいはBの取引銀行の銀行手形を決済して終わっているからである。だから残っている信用取引はC-D間の取引だけなのである。だからそれが決済されればすべての取引が完了したことになるのである。

  (ⅱ)の引用文について

  ここで〈そうした手形〉というのは、最初の抜粋文との関連でいえば、リヴァプールの綿花輸入商が生産物ブローカーに宛てて振り出した為替手形ということであろう。それを引き受けるブローカーが投機家であれば、それは投機手形でもある。それを輸入商はリバプールの銀行で割引してもらうわけである。さらに回答者は〈この融資はおもにリヴァプールの銀行によってなされましたが,もしそれがそのようにしてなされなかったならば,昨年の綿花は1重量ポンドあたり1[1/2]ペンスか2ペンスは安かったと思います〉と答えている。つまりそうした銀行の融資がされなければ、綿花の価格は安かったと思うと答えている。ということはその融資の利子分が商品の価格に上乗せされたということであろうか。しかしこれはもちろん彼らの転倒した意識から生じているものである。商業資本が支払う利子も彼らが獲得する商業利潤もすべて生産的資本家たちの生産する剰余価値の分岐したものであるから、商業資本は実は彼らの負担する利子分と彼らの得る利潤分だけ少ない価値額に相当する価格で生産的資本家たちから商品を購入するのであり、そしてそれを価値通りの価格で販売することによって、彼らの負担する利子分や利潤の獲得が可能になるのである。それを彼らの意識では、仕入れ価格に利子分をコストとして加え、それに彼らの利潤分を追加して販売価格とするのである。だから利子負担が減れば、コストが減った分だけ価格もそれだけ下がっただろうと意識するわけである。】


【47】

 〈①第600号。「〔トンプスン〕あなたは,投機師たちからリヴァプールの綿花ブローカーあてに振り出された大量の手形が流通した,と言われましたが,その方式は,綿花だけでなくて,植民地生産物や外国生産物引き当ての手形にたいするあなたがたの前貸にも広げられましたか?--〔ホヂスン〕それはあらゆる種類の植民地生産物について言えることですが,しかし綿花については格別にそうです。」

  ①〔注解〕このパラグラフと次のパラグラフでの引用は「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートVIIから取られている。(MEGA IV/8.S.251.37-252.4.)〉 (199頁)

  【このパラグラフと次のパラグラフは先のパラグラフに続くもののようである。しかしここでは〈投機師たちからリヴァプールの綿花ブローカーあてに振り出された大量の手形〉と書かれている。綿花の輸入商はブローカーに輸入した綿花を引き渡し、ブローカーに宛てて手形を振り出したのと同じ操作を、投機家に対しても行うという先の藤川氏の指摘にもとづくと、そうした輸入綿花を引き受けた投機家たちは、それを今度は生産物ブローカーに売りさばき、そして今度は投機家たちがブローカーに宛てて手形を振り出したということである。もう一度、藤川氏の別の引用文を紹介してみよう。

  〈A・ホジスン「601号、あなたは銀行家として、その種の手形〔自己の資本をもたないスペキュレーターが振り出したブローカーあて手形〕をできるかぎり、避けようとしますか?--いやそうはしません。適度に保たれていれば、われわれはそれをきわめて合法的な種類の手形とみなします。」「604号、……それらは、しばしば書き換えの行なわれる手形種類に属しています。」〉

  ここでのホジスンの回答は次のパラグラフに引用されているものと号数としては同じであるが若干説明が加えられている。ここで〔  〕のなかで〈自己の資本をもたないスペキュレーターが振り出したブローカーあて手形〉というのが、まさに今問題になっている〈投機師たちからリヴァプールの綿花ブローカーあてに振り出された大量の手形〉に該当するものであろう。そしてこうした手形は綿花だけでなく、あらゆる種類の植民地生産物について言えることだが、綿花については格別、投機の対象になったと答えている。】


【48】

 第601号。〔「〕〔トンプスン〕あなたは銀行業者としてこの種の手形はよくないとお考えですか?--〔ホヂスン〕そうは考えません。その保有量が適度でさえあれば,私たちはそれをまったく正当な種類の手形とみなします。……この種の手形はしばしば書き替えられます。」〉 (199頁)

 【これは先のパラグラフに直接続くものであろう。この抜粋文はすでに先のパラグラフで紹介したものと同じものである。
 ここでは投機師たちが振り出した大量の手形が出回ることについて、良くないかとの質問に、銀行業者はそうは考えないと答えている。その保有量が適度であれば、それらはまったく正当な種類の手形とみなすと述べている。つまり投機も商業活動に不可欠なものだということである。
  マルクスはわれわれのパラグラフ番号では【34】で次のようなギルバトの一文を抜粋していた。もう一度参考のために紹介しておこう。

  〈/318上/(6)【MEGA II/42,S.475.18-23】銀行業と投機。〔「〕銀行〔業〕の目的は事業に便宜を与えることであり,事業に便宜を与えるものはなんでも,投機に便宜を与えるのである。事業と投機とは,若干の場合にはきわめて密接に結びついているので,どこまでが事業でどこからが投機なのかを言うことは不可能である。……銀行があるところではどこでも,資本がより容易により安い率で手にはいる。資本が安いということは投機に便宜を与えるのであって,それは,牛肉やビールの安いことが大食や酒びたりに便宜を与えるようなものである。」(〔ギルバト,同前,〕137,138ページ。)|〉

  一般に、投機は、商品の価格の変動を見越して儲けようとするのであるが、それは同時に価格変動によるリスクを肩代わりするという役割を持っているのである。だから投機はある意味では商業活動に必要不可欠なものとも言えるのである。ヒルファーディングは『金融資本論』で〈投機の社会的意義〉について、次のように述べている。

  〈投機は、すべての価格差を、未来のそれをも、ただちに利用しえなければならない。したがって投機は、どの瞬間にも、未来のどの瞬間にたいしても、売買することができねばならない。これこそが定期取り引きの本質である。そうすることにより、投機は一年中のどの瞬間の価格をも創造する。しかし、投機がそれをするので、製造業者や商人は、価格発展上の偶然的な諸結果を自分のために取り除き、価格動揺から自分をまもり、価格変動の危険を投機に転嫁しうることになる。きょうカン采を買う粗糖製造業者はかれが粗糖をひきわかしうべき期日の先物をきょうすでに取引所で例えば13万マルクで売り得れば、このカン采にたいして例えば10万マルクを支払いうることを知る。だから、きょうこの価格で粗糖を売っておけば、かれはそのあいだにおこるいっさいの価格動揺とは無関係となり、かれの利潤を確保したことになる。そのようにして、定期取り引きのおかげで、産業資本家や商業資本家は、自分の純粋な機能に専念しうることになる。これらの動揺にそなえる必要のため産業または商業の部面に固定されていた予備資本のうちの一部分は、これによって自由となる。〉 (国民文庫303-304頁)】

  (続く)

2020年8月12日 (水)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(25・26-14)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(続き)

 


  〔信用制度についての雑録〕


  この〔信用制度についての雑録〕というのは、大谷氏自身が付けた小見出しだが、そこには大谷氏による注143)が付いている。それをまず紹介しておく。

  〈143)この前のところで,「〔Ⅰ 信用制度の概要〕」のテキストとそれへの原注が終わり,ここから,それらに関連する諸テーマについて雑多な抜き書きが--多くの場合小見出しをつけて--行なわれている。エンゲルス版では第25章の後半と第26章の初めで使われている。この部分には筆者による表題「〔信用制度についての雑録〕」をつけておく。MEGAでは,以下のうちの,318上(4),318上(5),318上(6),319上(4),319上(5)の五つを,上記テキストへの原注の一部として,原注のなかに組み込んでいるが,筆者は,それらは注記ではなく,雑録の最初でなされているギルバトからの抜粋の一部と見ており,ここに収めている。〉 (188頁)

  つまりMEGAの編集と大谷氏の編集には一部違いがあるということである。MEGAの編集氏は大谷氏が雑録と判断したものを原注の一部と判断して、原注に加えているということである。なおこの大谷氏の判断と関連するが、小林賢斎氏も雑録部分をMEGAの編集ではわれわれのパラグラフ番号で【27】の「注1)(318および319へ)」の続きと解釈してしまっているのは草稿を読み誤ったものだと次のように指摘している

  〈おそらくマルクスは引用2~7を書き抜いたついでに,ここで小見出しを付けながらギルバートの著書からの書き抜きを続けたのであろう。だからまた次に考察するように,手稿のS.318,上段,第4~第6パラグラフのギルバートからの引用8~12を,MEGA版のように,「注1)(318および319)へ」の「続き」ないしその一部として処理してしまうのは,手稿の誤読となるであろう。〉 (小林前掲332頁)。

  さて、大谷氏は新本第2巻の〈B 草稿の「〔信用制度についての雑録〕」の部分について〉で〈マルクスはこの部分をどのように書いていったのか〉と問題を提起し、次のように書いている。

  〈彼はまず,ギルバトの書を--「銀行業者からその顧客への前貸は,他の人びとの貨幣で行なわれる」という一文を先取りしているのを除いて--ページを追って抜き書きしている。関連する一群の引用ごとに見出しをつけるか,本文への注とすることを記していった。次に,「注hに」とした,『マンチェスター・ガーディアン』から引用したあと,『商業的窮境』1847年,から多数の抜粋をした。ここでも見出しをつけ,関連するものをまとめており,そのために途中に若干の前後はあるが,48にものぼる,利用された証言の番号を見られればわかるように,基本的にはじめの方からおわりの方へと順次進んでいったのである。その途中に,「monied Capitalの蓄積とそれが利子率に及ぼす影響」という表題のもとに,『通貨理論論評』とハバドとからの引用がはいっている。最後は,マルクスの短い覚え書きののち,『エコノミスト』からの抜粋で終わっている。見られるように,要するにこの部分は抜粋ノートなのである。そこで,見出しとされているテーマも,本文部分に直接関係するものもあれば,それほどでもないものもある。もちろん抜粋ノートといっても,ここでの主題に関連するものを拾っているのであるから,多かれ少なかれなんらかの関係があることはいうまでもない。〉 (122-123頁、太字は大谷氏による傍点箇所)

  要するに大谷氏によれば、これから検討するものは、マルクスが本文を書き進めるために、参考文献から抜き書きした抜粋ノートなのだということである。だから大谷氏は〔信用制度についての雑録〕としたわけである。
  とりあえず、〈雑録〉部分についての必要な情報は以上にして、われわれはマルクスが抜粋ノートとして残したものを直接検討していくことしよう。なお以下の抜粋文では、冒頭若干マルクスの問題意識を示すマルクス自身の手になる一文がつけられたりしているが、ほぼ引用文からなっているので、平易な解読文は省略する。


【32】

 〈[474]/318上/(4)【MEGA II/4.2,S.474,42-50 und 475.6-9】144)145)準備ファンドの節約。預金,小切手(ⅰ)「預金銀行は振替によって流通媒介物の使用を節約し,少額の貨幣で多額の取引を処理することを可能にする。このようにして遊離された貨幣は,銀行業者が,割引その他によって彼の顧客に前貸をすることmaking advances〕に充用する。それゆえ,振替の原理は預金制度に追加的な効果を与えるのである。」(123,124ページ。)(ⅱ)「互いに取引を行なう両当事者が彼らの口座を同じ銀行にもっていようと別々の銀行にもっていようと,どちらでもかまわない。というのは,銀行業者たちは手形交換所で彼らの小切手を交換し合うからである。預金システムは,このように振替によって,金属貨幣の使用にすっかり取って代わるほどにまで仕上げられるかもしれない。かりにだれもが銀行に[475]預金口座をもっていてその支払いのすべてを小切手でするとすれば,これらの小切手は唯一の流通媒介物となるであろう。〔しかしながら〕146)この場合には,銀行業者たちが自分の手に貨幣をもっているということが前提されなければならないであろう。そうでなければ小切手は価値をもたないであろう。」(〔ギルバト『銀行業の歴史と理論』,〕124ページ。)

  ①〔注解〕「手形交換所」--本書本巻167ページの注解注④を見よ。
  ②〔注解〕ギルバトでは,ここに「公衆については同じことなの」と書かれている。
  ③〔注解〕ギルバトでは,ここに「それが貨幣に取って代わって」と書かれている。

  144)MEGAではこのパラグラフは,先行するテキストへの原注318上(3)の一部とされている。
  145)〔E〕「準備ファンドの節約。預金,小切手。〔Oekonomisirung d.Reservefonds.Deposits,Cheques.〕」→ 「準備ファンドの節約,預金,小切手。〔Ökonomisierung der Reservefonds,Depositen,Schecks:)」
  この変更は,プンクトをコンマに変えただけであって,意味は基本的に同じである。しかしこれによって,従来の訳(長谷部訳,岡崎訳,向坂訳)での,「準備ファンドや預金や小切手の節約」という読みかたが誤っていることは明らかであろう。(もともと「預金や小切手の節約」などということは,ギルバトも論じていないだけでなく,そもそも問題になりようもなかったはずのことだったのであるが。)エンゲルス版ではこの引用は,上の見出しをつけて,ギルバトからの引用の第2のものとして--すでに見た「注1)へ(318および319ページ)」からの引用に続いて--収められている。
  146)この最後の部分のギルバトの原文を挙げておこう。In this case,however,it must be supposed that the banker has the money in his hands,or the cheques would have no value. (188-189頁)

 【ギルバトの『銀行業の歴史と理論』からの抜粋は、ここからわれわれのパラグラフ番号では【38】まで、ほぼ頁順にそってそれぞれのテーマごとに抜き書きされている。
  今回の抜き書きには冒頭、マルクスの手によって〈準備ファンドの節約。預金,小切手〉という一文が書かれ、二つの引用がなされている。以下、便宜的に番号をうって検討するが、その前に、このマルクスの冒頭の一文で注意すべきことは、〈準備ファンドの節約〉と〈預金,小切手〉とされていることである。つまり「準備ファンドの節約」というテーマが一つと、「預金、小切手」がもう一つのテーマになっている。預金は小切手と一体として問題にされていることに注意が必要である。これは小切手は預金があって初めて成り立ち、ただ預金の振替をするための信用用具の一つでしかないと考えれば、当然のことであるが、こうしたマルクスのテーマの書き方にもそうしたことが示されているわけである。その点、大谷氏の訳者注145)ではエンゲルスはプンクトをコンマに変えてしまったために、〈従来の訳(長谷部訳,岡崎訳,向坂訳)での,「準備ファンドや預金や小切手の節約」〉という誤った読み方になってしまっているのは、エンゲルスの不必要且つ不適切な修正の一つと言えるであろう。
  それでは、とにかく具体的に見て行こう。

  (ⅰ) では預金銀行は預金の振替で流通媒介物を節約するので、少額の貨幣で多額の取引を処理するとしている。ここで少額の貨幣というのは、だから振替決済で帳尻が合わないで現金を必要とした場合のわずかの貨幣を意味している。そして〈遊離された貨幣は,銀行業者が,割引その他によって彼の顧客に前貸をすることmaking advances〕に充用する〉と書いている。ここで〈遊離された貨幣〉というのは、ギルバトの意図としては、決済の帳尻を合わすために必要な貨幣以外の貨幣(預金)という意味であろう。しかし預金というのは、もともとすぐに利子生み資本として貸し出されて、そのほとんどは単なる帳簿上の記録として残るだけなのである(もちろん銀行は、預金された貨幣のうち突然の現金での引き出しなどに応じるために必要最低限の準備は手許に残すし、手形交換の帳尻を合わすために必要な貨幣もその準備の一部をなすだろう)。そしてこの帳簿上の記録が振替決済に役立つのである。ただ振替決済が流通媒介物としての貨幣の節約になるということや、その節約された貨幣が利子生み資本として貸し出されるという理解そのものは、その限りでは間違いとはいえないであろう。ここでギルバトが「預金銀行」と述べているのは、ほぼ貨幣取扱業から発展した商業銀行を指しているものであろう。

  (ⅱ) は振替決済の内容について論じている。まず振替は同じ銀行内の預金の振替なのだが、しかしそれは取引を行う両者が同じ銀行に口座を持っている必要はないということ、というのはいずれにせよ、口座を振り替えるということはそれを指図する小切手等の信用用具が必要だが、その小切手等を手形交換所で定期的に交換しあうからだというのである。

  {なおMEGAの注解①は〈本書本巻167ページの注解注④を見よ。〉とあるので、それをもう一度見ておこう。

  〈④ 〔注解〕「手形交換所〔Clearing-House〕」--ロンドンのロンバード・ストリートにある手形交換所は1775年に設立された。メンバーは,イングランド銀行とロンドンの最大級の銀行商会だった。なすべき仕事は,手形,小切手その他からなる相互の債権の差引決済であった。〉 (167頁)}

  だから銀行が異なる口座間の取引でも、手形交換所による交換によって、最終的には同じ銀行内の預金者間の預金の振替として決済されることになるのである。そしてギルバトはもしすべての人が銀行に預金口座をもち、その支払をすべて小切手でするとすれば、小切手が唯一の流通媒介物となるが、しかし貨幣は不要かというとそうではなく、銀行業者たちは貨幣を持っていなければならないこと、そうでなければ小切手は価値をもたないと指摘している。

  {これはついでに述べておくのだが、「振替」というのは、あくまでも同一銀行内の口座間の振替でしかないということが案外理解されていないので注意が必要である(大谷氏も同じ無理解に陥っている)。だから異なる銀行間における手形交換による振替の場合、少なくともそれぞれの銀行には二人ずつの顧客、だから両行併せて合計4人分の口座が前提され、それぞれの銀行内の二人の口座間での振替が行われるわけである。
   例えばN銀行とM銀行があり、N銀行にはa、bの二人の顧客の口座があり、M銀行にはc、dの二人の顧客の口座があるとしよう。今、aがcから信用で100万円の商品を買い、N宛の小切手で支払うとする。cはその小切手を取り引き銀行のMに預金する。手形交換所では、だからN行はM行から自行宛の小切手を買い取る必要があるが、それを手形交換によってチャラにするためには、N行にもM行宛の同じ額の小切手がなければならない。つまり同じようにdが信用でbから100万円の商品を購入し、自分の取り引き銀行であるM宛の小切手で支払うとする。bはそれを自分の取り引き銀行であるNに預金する。そうするとN行もM宛の同じ100万円の小切手を持っていることになり、そこで両者はそれぞれの相手銀行宛の小切手を交換して決済するわけである。
   そしてここからが肝心なのだが、この場合、N行ではaの口座から100万円を消し、bの口座に100万円を加えることになる。同時にM行でもdの口座の100万円を消し、cの口座に100万円を書き加えることになる。このN、M両行内の口座間の記帳操作を振替というのである。
  さらに老婆心で付け加えておくと、この場合、N行のaの口座からbの口座に預金が振り替えられたことになる。同じように、M行のdの口座からcの口座に預金が振り替えられたのである。しかし上記の例から分かるように、aとbとの間には商取引があったわけではない。同じことはcとdとの間にもいえる。だからこの場合、aの預金がbに移ったからと言って、それが流通手段や支払手段として機能したなどとは言えなないことは明らかである。bからaに信用で商品が販売されたわけでもないのに、aの預金がbに移ったのである。だからこの場合の振替を、aの預金が通貨として機能したなどというのがどれほど間違った主張であるかが分かるであろう。大谷氏が「預金通貨」などというブルジョア的なタームを肯定し、マルクスも同じように考えていたのだなどと強弁するような迷妄に陥ったのも、恐らくこの異なる銀行間の振替の仕組みをしっかり理解してなかったからではないかと思うのである。これらは念のために説明しておくだけであるが。}

  さてもちろん、現金として銀行券だけでなく金鋳貨や地金が流通していた当時としては、こうした理解は当然なのだが、今日のように金鋳貨や地金がもはや現金として流通していない場合は、それでも現金として通用している銀行券のなにがしかは銀行は準備として保持していなければならないが、しかしそれが小切手等の信用用具が“価値をもつ”理由ではない。やはりそれらは銀行の信用によって発行されるのであり、そうした銀行の信用は、生産の社会的関係の発展に対する信頼にもとづいており、究極においては、そうした社会的関係の物化したものである金、つまり国家(あるいは中央銀行)に集中された金地金を信用の中軸としているのである。
 ところでこれまでの引用で問題になっているのが、預金の振り替えが小切手という支払い指図によって行われ、流通媒介物がそれだけ節約されるということであった。しかしマルクスがこの抜粋につけた表題は〈準備ファンドの節約。預金,小切手〉であった。しかし流通媒介物、あるいは貨幣(通貨)の節約には言及されているが、しかしそれは〈準備ファンドの節約〉とは若干違ったものである。これは如何に理解すべきであろうか。この点、小林氏は先の著書で次のように指摘している。

 〈しかしここでギルバートが取上げているのは,「振替の原理」--小切手を用いた「預金の振替(the transfer of lodgements)」による取引の決済--と,それに基づく 「流通媒介物の使用の節約」であって,「準備金の節約(Oekonmisierung d. Reservefonds)」ではない。もっとも引用9で想定しているように,小切手が「金属通貨(a metallic currency)」に取って代わる場合にも,ギルバートは,「銀行業者は貨幣を彼の手中にしていなければ,小切手は価値を持たないであろうに」と言っており,マルクスはこの銀行業者が持っている現金準備としての「貨幣」も節約されると解しているのであろうか?〉  (小林前掲334頁)

  この点、やや疑問が残る。あるいはマルクスは〈通貨の節約〉と書くべきところを間違って、〈準備ファンドの節約〉と書いたのかも知れない。ただ預金のほとんどが振り替え決済に利用されるだけであれば、預金が現金で引き出されたり、払いだされる機会がそれだけ減るということであり、それはそれだけ銀行にとっては手元に置いておかねばならな必要最小限度の準備ファンドそのものの節約になることは確かである。
  今日でも商業流通内では小切手や手形は使われているのであろうが(あるいはデジタル化の進んだ今日ではかなりの程度、電子小切手や手形等が使われているのかも知れず、これは実際の最新の商業実務を調べてみる必要があるが)、しかし取引の決済は最終的にはすべて預金の振替で行われていて、ほぼ現金の出る幕はない。また一般流通でも、ほぼすべての人が預金口座を持っており、個人的な消費支出でもカード支払が普及している。キャッシュレス社会の登場などとも言われている。この場合、カードは小切手と同じ支払指図証書としての役割を果たしているのである。だからここでも貨幣は支払手段としての機能を背景に、ただ計算貨幣としての機能を果すのみである。
  今日、流行の兆しのあるいわゆる「仮想通貨」なるものも、基本的には預金の振替決済を行うための信用用具の一つと考えるべきであろう。その意味では為替手形や小切手等と同じものであり、それ自体が通貨であるわけではない。為替が投機の対象になるように、仮想通貨も投機の対象になっているのは周知のことである。それらは概念的には有価証券であり、その限りでは需給によってその価格は変動する。投機はその変動を利用して儲けようとするわけである。今では為替や小切手等も電子為替や電子小切手(カード)等になっており、仮想通貨はそうした電子証書を使った決済を、銀行などの決済機関を媒介せずに、インターネットを利用したシステムで行うための独特の技術(セキュリティ技術)を持っているだけの話なのである。だからそれを「通貨」やそれを想像させる「コイン」などと呼ぶのは誤解を与えるものであろう。それは為替の売買を通貨の売買と観念するのと同じ間違いなのである。】


【33】

 /318上/(5)【MEGA II/4.2,S.475.10-17】銀行の組織について147)148)1)支店。2)代理店。--地方銀行業者は次のようにしている。(ⅰ)〔「〕どの地方銀行業者もロンドンに代理人をさしむけて,ロンドンで自分の銀行券や手形の支払いをさせ,また他方では,ロンドンに住んでいる当事者が地方に住んでいる当事者の使用のために預託する額を受け取る。」(ギルバト,同前,127ページ。)(ⅱ)〔「〕どの銀行業者も他の銀行業者の銀行券は自分の手もとに押えておく〔intercept〕のであって,それをふたたび払い出す〔reissue〕ことはしない。彼らは同じ場所に〔毎週〕一度か二度集まって銀行券を交換するのである。残高は,請求次第支払われるべきロンドンあての手形で支払われる,あるいは,一方の当事者のロンドンにいる代理人が,他方の当事者のロンドンにいる代理人にその額を支払うように指図される。」(〔ギルバト,〕同前,134ページ。)

  ①〔注解〕ギルバトでは次のようになっている。--「それぞれの地方銀行業者はロンドン代理人を雇って,ロンドンで自分の銀行券や手形の支払いをさせ,またもろもろの支払いを行なわせる。また他方では,ロンドンに住んでいる当事者が地方に住んでいる当事者の使用のために預託している額を受け取る。」
  ②〔注解〕ギルバトでは次のようになっている。--「銀行券を発行するどの銀行業者も自身の銀行券のための余地をより多くするために,どの他の銀行業者の銀行券をも流通から引き揚げることに利益〔interest〕をもっている。銀行業者は,他の銀行業者の銀行券を受け取ったとき,それをふたたび払い出すことはしない。二人の銀行業者が同じ場所に住んでいれば,彼らは毎週一度か二度,都合のつくときに会って,彼らの銀行券を交換する。両者のあいだの残高は,請求次第支払うべきロンドンあての手形で支払われるか,あるいは,結局同じことになるが,一方の当事者のロンドン代理人が他方の当事者のロンドン代理人にその額を支払うように指図される。」

  147)MEGAでは,このパラグラフは先行するテキストへの原注318上(3)の一部とされている。
  148)〔E〕「1)支店。2)代理店。--地方銀行業者は次のようにしている。〔1)branches.2)agencies:So d.country bankers〕」→ 「銀行の手に地方的交易が集中されるのは次のことによってである。1.支店銀行によって。地方銀行はその地方の小都市に支店をもっており,ロンドンの銀行はロンドンのあちこちの地区に支店をもっている。2.代理店によって。」
  エンゲルス版では,以下の引用は,ギルバトからの引用の第3のものとして--すぐ前の引用に続いて--収められている。〉 (189-190頁)

 【ここではマルクスの問題意識によって、ギルバトの著書をある程度まとめている。まず〈銀行の組織について〉とテーマを書き、〈1)支店〉と〈2)代理店〉の二つを挙げて、〈地方銀行業者は次のようにしている〉と具体的に見ている。そして二つの引用を行うのであるが、この二つの引用のうち(ⅰ)はギルバトの著書の第IX章「送金銀行(Banks of Remittance)」からのものであり、(ⅱ)は第X章「発券銀行」からのものである(小林前掲334頁)。

  (ⅰ) まず〈どの地方銀行業者もロンドンに代理人をさしむけて,ロンドンで自分の銀行券や手形の支払いをさせ〉るとあるが、MEGAの注解では〈それぞれの地方銀行業者はロンドン代理人を雇って,ロンドンで自分の銀行券や手形の支払いをさせ,またもろもろの支払いを行なわせる〉となっている。つまり地方銀行はロンドンに代理人を雇って〈自分の銀行券や手形〉、これはつまり地方銀行業者が発行した銀行券や手形ということであろうが、それに対する支払を依頼するわけである。あるいはもろもろの支払いも行わせるということである。
  〈また他方では,ロンドンに住んでいる当事者が地方に住んでいる当事者の使用のために預託する額を受け取る〉。これはロンドンに住んでいる顧客が地方に住んでいる顧客の取引相手に支払うために預託する額を、ロンドンの代理人に受け取らせるということであろうか。この場合、ロンドンの顧客は現金を預託した代わりに同じ額の小切手か銀行業者手形を受け取り、それを地方の取引相手に郵送し、その地方の取引相手はその受け取った小切手か銀行業者手形を地方銀行に持参して、現金を受け取るか、自身の地方銀行の口座に預金として積み増すということであろうか。
  いずれにせよ当時の銀行の仕組みに精通しないとなかなか具体的なイメージとしては捉えられないのであるが、この点、小林前掲書では、そもそもこの引用がなされている第IX章「送金銀行(Banks of Remittance)」でギルバトは何をどのように論じているのかを紹介しているので、それを参考のために紹介しておこう。

  〈ではギルバート自身はどのように論じているのか。彼はこの章ではまず,国際間での商業が貨幣の運搬(transmission,carrying,transmitting)を必要とし,そこから為替手形が発明されてきたこと,また国内,例えばイングランド内での地方間でも為替手形が用いられていたが,地方間での取引の発展が「支払における貨幣を運ぶある種の手段をもつ必要を惹き起し……結果的に銀行が設立」されてきたことを指摘する。そして彼は「一国じゅうに貨幣を運ぶ最も有効な手段は銀行の外延的な設立による」として,「銀行が貨幣を運ぶ」手段の第1が「代理店」,第2が「支店」,第3が「銀行券の流通」であるとする。したがってギルバートはこの章では,それぞれについての送金の具体的仕方が,例えば,地方銀行からロンドンの代理人の貸方への記入,あるいはロンドンの銀行宛に振出された地方銀行手形の送付,あるいは「信用状」や「21日後払い手形」の郵送,一覧後7日払の銀行振出し郵便手形の発行,はてはイングランド銀行券を半裁して郵送し,受取りの通知まで残りを留め置く仕方,等々を,説明していく。そしてマルクスが引用しているのは,その第1の「代理店による」いうところの最初の部分だけなのではあるが,しかしおそらくマルクスは,「銀行の組織について」という小見出しで,制度的な組織ではなく,このような具体的な銀行間取引の実態を記しておこうとしたのであろう。〉 (前掲335頁)

  なかなか小林氏の説明を読んでも具体的なイメージは湧かないのであるが、小林氏が〈おそらくマルクスは,「銀行の組織について」という小見出しで,制度的な組織ではなく,このような具体的な銀行間取引の実態を記しておこうとしたのであろう〉と考えているのは、それほど間違った推測ではないであろう。

  (ⅱ) どの発券銀行も他の発券銀行の銀行券は手元に押さえておくのであって、それをそのまま利用して再び払い出したり手形を割引するのに使ったりはしないということである。そして彼らは週に一度か二度集まって互いの銀行券を交換するのだということである。そして帳尻が合わずに、残った残高は、つまり持参した他行の銀行券の額だけでは、自身の発行した銀行券を清算できなかった場合、その発券銀行業者は残りを請求次第支払われるロンドン宛の手形で支払うのだという。これは銀行業者手形の一種であろう、ただ支払期日がなく、要求次第に支払われるということでは銀行券と同じ性質をもつが、しかしそもそも相手銀行の方が自行が発行した銀行券を多くもっていて、その清算を要求されているのだから、それを銀行券で支払うなどということはできないだろう。要するに、この場合は帳尻が合わない分については現金での支払を要求されることになるのであるが、それを地方の銀行業者はロンドンでの支払を約束する手形を切るということである。だからまたより多くの銀行券を持参して、その支払を要求した当事者(これも別の発券地方銀行であろう)のロンドンの代理人に、他方の支払を求められている地方の発券銀行の側が、そのロンドンの代理人に依頼して、相手側の代理人に支払うよう依頼するということなのであろう。ここらあたりはなかなか当時の実際の銀行実務としてはわからないところがある。
  この部分についても、小林氏の説明を紹介しておこう。

  〈引用11は,既に指摘しておいたように第X章「発券銀行(a bank of circulation)」からの抜き書きであるが,そこでギルバートは,銀行券の,特に地方銀行券の発行にも,それを抑制する4つの要因がある(*)ことを指摘している。そしてその第3として,彼はこの引用11--「ある銀行業者が他の銀行業者の銀行券を受取る時には,彼はそれを決して再び払出さない。もしも2人の銀行業者が同じ場所に住んでいるならば,彼らは週に1~2度都合の良い時を見つけて,彼らの銀行券を交換する。彼らの間の交換尻が,もし何ほどかあるならば,ロンドン宛の手形によって支払われる」--に示されているような,銀行券交換を通じた,地方銀行間の自行銀行券のシェアー拡大競争による,地方銀行券の流通からの相互引上げという要因を挙げている。そして彼はそこで地方銀行券間の交換尻(balance)の処理の仕方を,同一都市内での地方銀行間,地方銀行のロンドン代理店間,遠隔地地方銀行間,それらの組み合わせといった条件の下で検討し,ある銀行が必要以上の銀行券を流通させようとしても結局は「交換」を通じて「還流」してしまうことを示している。そしてマルクスの関心は,ここでも引用10の場合と同様に,ギルバートが取上げている地方銀行券の発行限度の問題ではなくて,「銀行の組織」を通じた銀行券「交換」の実態の方であったのであろう。〉  (前掲335-336頁)
  (*)小林氏はこの〈4つの要因〉について〈ギルバートの挙げる4要因の,第1は銀行券に対する「公衆の必要」と前貸しの安全性に対する銀行業者自身の判断であり,第2は銀行券の兌換性であり,第4は預金への利子付与による銀行券還流の促進である〉と指摘している (339頁)

  要するに地方の発券銀行は自行の銀行券の流通のシェアーを拡大するために、あるいはそのための競争もあって、例え他行の発行した銀行券が自行に払い込まれたとしても、それを再び貸し付けや支払いにに使ったりはしないということである。つまり他行の銀行券の流通を出来るだけ抑えるために、それを手元に置き、時々発券銀行間で交換するだけだということである。そしてその際に交換尻が合わなかった場合は、ロンドンにいる代理人間での支払いを指図する証書を切るということのようである。
  因みに、マルクスが参考にしているギルバトは、小林氏によれば、銀行実務家であり、『銀行業の実務』という著書もあるらしい。】


【34】

 /318上/(6)【MEGA II/42,S.475.18-23】銀行業と投機149)150)〔「〕銀行〔業〕の目的は事業に便宜を与えることであり,事業に便宜を与えるものはなんでも,投機に便宜を与えるのである。事業と投機とは,若干の場合にはきわめて密接に結びついているので,どこまでが事業でどこからが投機なのかを言うことは不可能である。……銀行があるところではどこでも,資本がより容易により安い率で手にはいる。資本が安いということは投機に便宜を与えるのであって,それは,牛肉やビールの安いことが大食や酒びたりに便宜を与えるようなものである。」(〔ギルバト,同前,〕137,138ページ。)|

  149)MEGAでは,このパラグラフは先行するテキストへの原注318上③ の一部とされている。
  150)〔E〕エンゲルス版では,この小見出しは削除され,すぐ前の引用に,改行しないで続けられている。〉 (190-191頁)

 【この抜粋は、信用の一側面として後に第27章該当部分で、マルクスが次のように書いているものを思い出させる。

 〈信用制度に内在しており,また二面的である性格,すなわち,一面では,資本主義的生産様式の衝動である,他人の労働の搾取による致富を,最も純粋かつ最も巨大な詐欺システムおよび賭博システムにまで発展させるという性格,および少数者による社会的富の搾取,他面では,新たな生産様式への過渡形態をなすという性格,これらの性格は,ローからイザーク・ペレールまでの,信用制度の主要な告知者に,山師かつ予言者というこの愉快な混合性格を与えるのである。〉 (新本第2巻301頁)

 この抜き書きでは、投機の背景には銀行業の存在があること、銀行が便宜を与えることによって、投機がはびこることが指摘されている。そして事業と投機に境を見いだすことは困難であり、事業がすぐ投機に走ることに繋がることも指摘されている。moneyed capitalが豊富な場合、銀行は無理やりにでもそれを貸し付けて利子かせぐ必要が生じるが、そうした場合に繁茂するのが投機なのである。事業者は安価なmoneyed capitalを利用して、容易に投機に走ることができるようになるからである。
  この抜粋についても小林氏の解説を参考のために紹介しておこう。

  〈ところでギルバートはこの第X章で最初に,まず「発券銀行」による銀行券の「過剰発行」問題--この点が引用11に関連していたのであるが--を,次に「発券銀行」が「投機の精神を助長する」と非難される問題を,検討している14)。そして彼は「投機」の概念規定までも試みているのであるが,この章からのいま1つの引用--「銀行業の目的は取引を容易にすることであり,そして取引を容易にするものは何であれ投機をも容易にする。取引と投機とは若干の場合に非常に密接に結びついているので,正確にどこまでが取引で,どこで投機が始まるかをいうことは不可能なほどである。……銀行が在るところでは何処でも,資本は比較的容易に入手され,しかも比較的安い利子率である。肉やビールの低廉さが大食や酩酊を容易にするのとまさに同様に,資本の安さは投機を容易にする」--引用12--に,マルクスは「銀行業と投機」という小見出しを付けている。〉  (前掲337頁)
  著者の注14)も参考のなるので紹介しておこう。
  〈14) Gilbart,The History and prinsiples…op.cit.,p.135-139.その後彼はさらに,銀行券の発行が価格上昇に作用する場合や逆に価格低下をもたらす場合--「銀行が独占を破壊することによって価格を引き下げる」場合も含め--等を検討し,最後に「流通銀行券の量が外国為替に対してもつ作用は多くの論議の対象であった」として地金委員会報告にまで言及していく(cf.Gilbart,ibid.,p.143f.)。〉  (339頁)

  これらはあくまでも参考のために紹介しただけである。】


【35】

 [476]151)|319上|(1)【MEGA II/4.2,S.476.1-18】①152)153)手形の割引によるさまざまな事業部門への諸資本の配分
「どの事業部門も需要供給に左右される。それゆえ,資本は,需要がより少ないような物品の生産からより大きな需要があるような物品の生産への絶えまない移動をへている。だが,この移動はどのようにしてなし遂げられるのだろうか? 製造業者はある仕事を辞めてほかの仕事に就くのだろうか? そうではない。事業が下り坂にある製造業者は自分の資本を縮小させるのにたいして,事業が繁栄している製造業者は自分の資本を増大させるであろう。そしてある事業から他の事業への資本の移動は,主として為替手形によって行なわれるのである。販売した商品量が減少した製造業者は,取引銀行業者に割り引いてもらう手形を減らし,販売した商品量が増大した他の製造業者は割引のための手形をより多くもっている。銀行業者が主として手形の割引に運用する彼の資本は,こうして容易に或る製造部門から他の製造部門に,それぞれの当事者の事業に正確に比例して移動させられるのである。」(ギルバト,同前,153,154ページ。)/

  ①〔異文〕「……均等化Ausgleichung〕」という書きかけが消されている。
  ②〔注解〕ギルバトでは次のようになっている。--「どの事業部門も,需要と供給とのあいだの比率の変化から生じるもろもろの変動の影響を受ける。それゆえまた,資本は絶えまなく,需要がより少ないような物品の生産からより大きな需要があるような物品の生産への移動をへている。だが,この移動はどのようにしてなし遂げられるのだろうか? 製造業者がある仕事を辞めてほかの仕事に就くことによるのだろうか? そうではない。事業が下り坂にある製造業者は自分の資本を縮小させるのにたいして,事業が繁栄している製造業者は自分の資本を増大させるであろう。そしてある事業から他の事業への資本の移動は,主として為替手形によって行なわれるのである。販売した商品量が減少した製造業者は,取引銀行業者に割り引いてもらう手形を減らし,販売した商品量が増大した他の製造業者は割引のための手形をより多くもっている。銀行業者が主として手形の割引に運用する彼の資本は,こうして容易に,ある製造部門から他の製造部門に,それぞれの当事者の状況に正確に比例して移動させられるのである。」

  151)MEGAではこの前に「[追補]」という編集者の見出しが挿入されている。
  152)この小見出し(Vertheilung d.Capitalien in d.verschiednen Geschaftszweigen durch d.discount of bills.)の最初の単語のVertheilungは,Ausgleichungという語を消してその上に書かれたものである。これはおそらく,はじめAusgleichung der Profitrate……(利潤率の均等化云々)と書こうとしたものだと思われる。この表題の左側にインクで縦線が引かれている。そのはじめのところはゆるやかに右側に曲がり,右方に少し延びている。
  153)〔E〕エンゲルス版では,この部分は小見出しも引用も削除されている。
  雑録のなかではあるが,このような表題と引用とがすでにこの箇所にあることは,第27章相当部分のはじめの「均等化の媒介」に関する叙述に関連して注目される。エンゲルスが削った理由はわからない。〉 (191-192頁)

 【この抜粋にはマルクス自身による見出しとして〈手形の割引によるさまざまな事業部門への諸資本の配分〉という一文がつけられている。この見出しについて、大谷氏は訳者注152)でマルクスは最初は〈(利潤率の均等化云々)と書こうとしたものだと思われる〉と推測している。確かに抜粋文の内容は需要供給によってある事業部門から他の事業部門への資本の移動が生じるが、そしてそれによって利潤率の均等化が実現されるのであるが、それはある事業者が自分の事業をやめて、別の他の事業に乗り換えるというような形で移動が行われるのではなく、銀行が介在することによって貨幣資本(moneyed capital)の社会的な配分としてそれが行われることが指摘されている。これは第22章該当個所でも、利子生み資本(貨幣資本)の特性として次のように指摘されていた。

 〈貨幣市場ではただ貸し手〔lenders〕と借り手〔borrowers)とが相対するだけである。商品は同じ形態を,すなわち貨幣という形態をとっている。資本がそれぞれ特殊的生産部面または流通部面で投下されるのに応じてとるすべての特殊的姿態は,ここでは消えてしまっている。資本は,ここでは,自立的な交換価値の,貨幣の,無差別な,自分自身と同一な姿態で存在する。特殊的諸部面の競争はここではなくなる。すべての部面が貨幣の借り手Geldleiher〕としてみなひとまとめにされており,また資本も,すべての部面にたいして,その充用の特定の仕方にはまだかかわりのない形態で相対している。資本はここでは,生産的資本がただ特殊的諸部面のあいだの運動と競争とのなかでだけ現われるところのものとして,階級の共同的な資本として,現実に,重みに従って,資本への需要のなかで現われるのである。(?) 他方,貨幣資本(貨幣市場での資本)は現実に次のような姿態をもっている。すなわち,その姿態で貨幣資本は共同的な要素として,その特殊的な充用にはかかわりなしに,それぞれの特殊的部面の生産上の要求に応じていろいろな部面のあいだに,資本家階級のあいだに,配分されるのである。そのうえに,大工業の発展につれてますます貨幣資本は,それが市場に現われるかぎりでは,個別資本家,すなわち市場にある資本のあれこれの断片の所有者によって代表されるのではなくて,集中され組織されて,現実の生産とはまったく違った仕方で,社会的資本を代表する銀行業者の統制のもとに現われるのである。したがって,需要の形態から見れば,この資本には一階級の重みが相対しており,同様に供給から見ても,この資本は,大量にまとまったen masse〕貸付可能な資本として〔現われる〕のである。〉  (新本第1巻248-249頁)

 そしてマルクスは上記の記述について〈以上は,なぜ一般的利潤率は,固定した利子率と並んで,消えかかるまぼろしのようなものとして現われるのか,ということのいくつかの理由である〉と述べている。
 また第27章該当部分で信用制度について述べた次の一文をも彷彿とさせるものであろう。

  〈Ⅰ)利潤率の均等化を媒介するために,すなわち全資本主義的生産の基礎をなすこの均等化の運動を媒介するために,信用制度が必然的に形成されること。〉  (新本第2巻287頁)

  なおこの抜粋についても、小林氏はより詳しい説明を加えているので、それを参考のために紹介しておこう。

  〈引用13は,再び第XI章「割引銀行」からの抜き書きである。この章には,上述のように序論的部分があり,さらに「Ⅰ.為替手形の性質と起源」,「Ⅱ.手形の諸利点(advantages)」,「Ⅲ.手形の等級(classes)」,「IV.公証人」,「V.割引率」,「VI.割引の通貨(circulation)への影響」の諸節に分かれている。そしてギルバートは第Ⅱ節で,為替には「貨幣を移転する(transferring)手段としての有用性(utility)の他に……以下の諸利点がある」として,5点を挙げていく18)。そしてその第5項目をマルクスは,「手形の割引による種々な事業部門への諸資本の配分」という小見出しを付して引用する。……
  ギルバート自身はこの第5項目を,「手形はある事業部門から他の事業部門への,事情の求めに応じた,資本の移動を容易にする手段である」という言葉で始めている。その意味するところはこうである。即ち,需要が多く,したがってより多くの商品を生産したい製造業者はより多くの資本を求めているが,彼はより多くの商品を販売するから,また割引を求める手形もそれだけ多い。そして逆は逆である。そこで「主として手形の割引に充用しようとしている銀行業者の資本は,それぞれの当事者の事情に正確に比例して,製造業のある部門から他の部門へ,容易に移転される。」つまり製造業における資本の部門間移動は,信用制度を通して,特に手形割引を通じて行われるというのである。そして彼は,「この問題については,私はリカード氏を引用する」と述べて,自分はリカードの『経済学および課税の原理』での叙述をより具体的に展開しているものとする20)。〉  (前掲337-338頁)
  訳者注も参考になるものだけを紹介しておこう。
  〈18)「1.手形はある人から他の人へ負債(debts)を移転する手段である。」「2.手形は負債支払いの時期を確定し,また訴訟の場合には負債証拠を容易に提供する。」「3.手形は事業家をして同じ額の資本でより大きい(extensive)事業を遂行させる。」「4.手形は[信用]保証を与える容易な方法である。」「5.手形は……資本移動を容易にする手段である」(cf,ibid.,p.150-154)q。〉  (339頁)
  〈20) Gilbart,op.cit.,p.153-154.因にギルバートは,リカードの『経済学および課税の原理』第4章「自然価格と市場価格について」における,毛織物製造業と絹製造業との間での資本移動の例*を引用している。
  *Cf.D.Ricardo,On the Principles of Political Economy, and Taxation, ed.By Gonner,1925,p.66-67:羽鳥/吉沢訳(岩波文庫版)上,131-132ページ〉 (339頁)

  ついでにギルバトが引用しているというリカードの一文も紹介しておこう。

  〈絹織物に対する需要が増大し、毛織物に対する需要が減少すると、毛織物業者はその資本をたずさえて絹織物業に移動するのではなく、むしろ労働者を何人か解雇し、銀行家や資産家からの貸付に対する彼の需要を停止する。他方、絹織物製造業者の場合は逆である。彼は、より多くの労働者を雇用したい。それゆえ、借入の動機が増大する。彼は、より多くを借り入れる。それゆえ、資本は、一製造業者がこれまで営んできた事業を停止する必要なしに、一部門から他部門へ移転される。〉 (『経済学および課税の原理』羽鳥/吉沢訳(岩波文庫版)上,131-132頁)】


【36】

 /319上/(2)【MEGA II/4.2,S.476.19】154)「長期手形は投機を助長する。」(〔ギルバト,〕同前,156ページ。)/

  ①〔異文〕草稿では,このあとに「注1へ。318ページ」(〔MEGA II/4.2の〕475ページ24-42行〔本書本巻185-186ページ「319上(3) 」,「信用制度についての雑録」中の「319上(4) 」および193ページ「319上(5) 」〕),および,「注hに。318ページ」(〔MEGA II/4 .2の〕472ページ33-46行および473ページ4-18行〔本書本巻174-176ページ「319上(6) 〕)がある。

  154)〔E〕エンゲルス版では,この引用は削除されている。〉 (192頁)

  【これはマルクスによる表題なしの抜粋であるが、これは先の【34】パラグラフと同じ問題意識による抜粋と考えてよいであろう。ただ今回は長期手形が投機を助長するということであり、これは原注の【19】パラグラフにおいて東インド貿易でのいかさまとして紹介されていたことでもある。そこでは長期手形を利用して、投機が行われ、その失敗がますます投機を助長することが紹介されていた。
  この抜粋についても、小林氏の解説を紹介しておこう。

  〈ところで次の手稿S.319,上段,第2パラグラフは,「長期手形は投機を助長(encourage)する」という短かな抜き書き--引用14--で,これには手稿にも小見出しは付されていない。しかしこの抜き書きも第XI章の中の「Ⅲ.手形の等級」からの引用である。因にこの第Ⅲ節では,ギルバートは銀行に割引を求めてくる手形5種類の「等級」を論じ,融通手形を最下位に位置付けた後,今度は手形期間の長短によるメリット・デメリットを論じている。そしてマルクスの引用箇所は,「短期手形,対,長期手形」という項目の最後の部分で,「手形が短期(of short date)であれば,投機は防がれよう」という短期手形のメリットについて言われている箇所である。しかしギルバートは,長期手形はデメリットのみであると言っているのではない。「長期手形,対,短期手形」の項目の最後では次のように借手にとってのメリットを挙げている。土地所有者が借地人の長期手形を割引くことができれば,「貨幣は,その間,土地改良に充用されうる」ように,「長期手形を割引くことは資本の永久的な(permanent)前貸しに似ている」,と。だからここでも,おそらくマルクスの関心は,先の引用12の「銀行業と投機」にあって,それとの関連でここを小見出しなしに書き留めたのであろう。〉  (338頁)】


【37】

 [475]/319上/(4)【MEGA II/4.2.S,475.32-36】155)156)当座貸越cash credit〕,過振りoverdrawing〕。(ⅰ)157)「当座貸越勘定の過振り〔」〕(残高を越える小切手の振り出し)〔「〕は取引上の普通のことである。それは,じっさい,当座貸越が与えられた目的なのである。〔」〕(〔ギルバト,〕同前,174ページ。)(ⅱ)「当座貸越は人的保証にたいして与えられる〔」〕{この場合には個人が保証人となり,債務を負う}〔「〕だけでなく,公債の担保にたいしても与えられる。」(〔ギルバト,〕同前,175ページ。)/

  155)MEGAではこのパラグラフは,先行するテキストへの原注319上③ の一部とされている。
  156)〔E〕エンゲルス版では,この見出しは削除されている。
  157)〔E〕エンゲルス版では,さきに見た「銀行業と投機」という見出しのついた引用文のあとに,草稿で「注1へ(318ページ)」とされている部分にあるギルバトからの引用を改行せずに続けて置き,そのあとにこの部分の引用を,やはり改行せずに続けて置いている。〉 (192頁)

 【これらは銀行の実務の一つとしてマルクスとしてはメモしたのであろう。〈当座貸越cash credit〕,過振りoverdrawing〉というマルクスによる表題が付けられ二つの引用がなされている。〈当座貸越〉というのは、当座預金残高を越えた払い出しに応じることであろう。〈過振り〉というのも、ほぼ同じことであるが、当座預金残高を越えて小切手を振り出すことであり、いずれも預金額を越えた分は銀行による貸し出しの一形態といえるわけである。(ⅰ)では、こうした残高を越える小切手の振り出しは取り引き上は普通のことだとの指摘がある。〈それは,じっさい,当座貸越が与えられた目的なのである〉というのは、当座貸越というのは、もともと小切手を残高を越えて振り出すためにあるのだ、ということである。そして(ⅱ)では、こうした当座貸越は人的保証にもとづいて与えられるとも書かれている。もともと当座預金の開設には、一定の保証がなければならず、何らかの資産をもつ保証人や公債の担保が必要なのであろう。そうした保証にもとづいて当座貸越はなされるわけである。

  この部分の小林氏の説明は長いが、全体としてギルバトの著書の情報を提供してくれているので全文を紹介しておこう。

  〈まず第4パラグラフには,「キャッシュ クレディット,過振り」の小見出しが付けられており,それは第XⅡ章「キャッシュクレディット銀行」からの2つの抜き書から成立っている。そこで最初の文章を引用16,後の方を引用17と呼ぶこととする。
 ところでギルバートのいう「キャッシュ クレディット」とは,「当座貸越勘定(an overdrawn current account)」の一種であって,スミスが「諸国民の富』(第Ⅱ編第2章)でスコットランドの銀行に関して「キャッシュ アカウント」と呼んで紹介しているものを指している。即ち,それは「銀行の方では,個人(an individual)に彼が時々必要とする貨幣額を,全体ではある一定の額を越えない範囲で,前貸しする取り決めであり,他方,信用が与えられる個人は,前貸しが実際になされた額についての,要求次第の,前貸がなされる日からの各部分への利子を付しての,償還のための,複数の・一般的には総数2人の・保証人との契約」である。したがって「当座勘定では当事者は彼自身の保証(security)で過振りし,そしてキャッシュ クレディットでは当事者は彼のために責任を負う2人の保証人(securities)を見つけるという点を除けば,キャッシュ クレディットは,実際には,当座貸越勘定と同じものである。いま1つの相違は,ある人はそのつど銀行からの許可なしには彼の当座勘定を過振りすることはできないがそれに対しキャッシュ クレディット勘定の過振りは取引上の普通の事柄(a regular matter of business)である,という点である。それが,事実上,キャッシュ クレディットが与え(grant)られる目的なのである」,と。そして引用16は,この最後の部分である。
 そこでギルバートは,「手形を割引かせることによるよりも,キャッシュ クレディットによる」貨幣調達の方が,借手にとって「より有利」であるとして,次の4点を指摘する。即ち,「キャッシュ クレディットにおいては」,1)「当事者は彼が実際に充用する貨幣に対してのみ利子を支払う。」2)「当事者が望むときにはいつでも,引出された額のどの部分をも払戻すことができる」から,利子の支払がそれだけ少なくてすむ。3)「当事者は彼が望むときにはいつでも,彼の信用の全額を引出す法的能力(power)を持っている」から,手形割引の場合にも,手形ごとに銀行の審査を受けないですむ。4)「当事者は利子を年度末まで支払わない」,と。そしてキャッシュ クレディットの借手にとっての利点をこのように指摘した後ギルバートは,「キャッシュ クレディットは単に個人的保証で(upon personal security)与えられるのみでなく,公債(Pub1ic Funds)を担保にも与えられる」,と付け加える。引用17はこの付言部分である。
 次いでギルバートは,スミスによる「キャッシュ アカント」についての長い叙述を引用した後,今度は,キャッシュ  クレディットによる前貸しと為替手形割引との銀行業者の立場からの比較を試み,「キャッシュ クレディットは,割引勘定と当座預金勘定(a discount account and a current account)との結合物と同様に作用する」と述べ,キャッシュ クレディットと銀行営業資本との関係を次のように要約する。「銀行業者はそれ自身の額に等しい銀行営業資本をキャッシュ クレディットが維持するであろうことを期待している。銀行業者は通常前貸しの状態にあるから,キャッシュ クレディットは預金によっては銀行営業資本をなんら創造しえない。銀行営業資本は銀行券によってのみ創造されうる。そこでもしもキャッシュ クレディットでの諸操作(operations)がそのクレディットの額に等しい銀行券量を流通に維持するのに充分であるならば,その時このクレディットは銀行業者に満足を与える。が,そうでなければそれは満足を与えない。……だからキャッシュ クレディットは銀行業者の銀行券を流通させる手段をもたない……人々には与えられない」22),と。〉 (342-344頁)
  著者のつけた注22)も参考になるので紹介しておこう。
  〈22) この「キャッシュ クレディット」は「貸越当座勘定の一種」とされるが,この「当座勘定」での支払いには小切手は用いられない。「スコットランドでは当座預金を使う場合に,顧客が彼の個人的支払いのために銀行宛に小切手を振り出すことも,また銀行で支払い可能な手形を受け取ることも,一般的慣例(practice)ではない*」(Gilbart,Principle and Practice…,op.cit.,1871,p.494-495)。「この[キャッシュ クレディット]制度は銀行券流通と共にのみ存在しうる」(ibid.,p.502)。
  *なお同書の1871年版の編者は,ここに「この慣習(custom)は今日では非常に修正されている--イングランドの小切手制度がより普通になっている」との注を付している。したがって「過振り」について,マルクスが先の注16)のような説明句--「残高を越した小切手の振り出し」--を挿入することもあながち誤りとは言えないであろう。〉 (347-348頁)】


【38】

 〈/319上/(5)【MEGA II/4.2,S.475.37-42】158)159)商品担保の貸付Loans auf Waaren〕。160)「商品担保の貸付の方法で前貸される資本は,手形割引のかたちで前貸されるのと同じ結果を生む。だれかが自分の商品を担保にして100ポンド・スターリングを借りるなら,それは,彼がその商品を100ポンド・スターリングの手形と引き換えに売って,この手形を銀行業者に割引してもらったのと同じことである。この前貸を入手することによって,彼は市況が好転するまで自分の商品を売らずにおくことができ,こうして,そうでなければさしせまった目的で貨幣を調達するために払わなければならなかった犠牲を避けるのである。」(〔ギルバト,〕同前,180,181ページ。)/

  158)MEGAではこのパラグラフは,先行するテキストへの原注319上(3)の一部とされている。
  159)〔E〕エンゲルス版では,この小見出しは削除されている。
  160)〔E〕エンゲルス版では,この引用は,すぐ前の「当座貸越,過振り」という見出しのある引用文のあとに,改行せずに続けて置かれている。ギルバトからの一連の引用はここで終わる。〉 (193頁)

  【ここでも〈商品担保の貸付〉というマルクスの表題がある。ここでは商品担保の貸付と手形割引による前貸しは同じ結果を生む、との指摘がある。しかし両者には、当然、違いがある。手形割引の場合は、商品はすでに販売され、手形という形ではあるが、その価値は実現している。しかし商品担保の場合は、確かにその時点における商品の価値を担保にして貨幣を借り入れるのであり、そのかぎりでは同じ結果であるが、しかし商品担保の場合は、まだ商品の販売は行われておらず、だから業者は商況を見極めて有利な時に商品を販売すればよいわけである。手形割引も確かに手形という形での実現した商品の価値の貨幣による先取りであり、商品担保も商品の価値の貨幣による先取りではあるが、後者はより有利な条件を見定めて商品を販売することができるわけである。それによって業者は〈そうでなければさしせまった目的で貨幣を調達するために払わなければならなかった犠牲を避ける〉ことができると指摘されている。

  この部分の小林氏の解説も参考のために紹介しておこう。

  〈さて最後の引用18は,第XⅢ章「貸付銀行(loan banks)」からの抜き書きで,そこにはマルクスによって「商品担保貸付」との小見出しが付されている。ギルバートによると「貸付銀行は,商品担保貸付(advancing loans upon articles of merchandise)の目的で形成された銀行」を意味し,それには「収益目的のためのものと慈善動機のもの」とが存在する。そしてマルクスが引用してくるのは収益目的のための貸付に関する部分からで,手形割引による前貸しとの比較の文章である。即ち,「商品を担保に,貸付という仕方で前貸しされた資本は,恰も手形の割引で前貸しされたかのような,同じ作用を生み出す。ある当事者が彼の商品を担保に100ポンド借りるならば,それは恰も彼が彼の商品を100ポンドの手形と引き替えに販売し,それを銀行者に割引かせたのと同じである。この前貸しを得ることによって,彼はこの商品をより良い市場を求めて持ち越すことが可能とされ,そしてさもなければ,差し迫った目的のために貨幣を調達しようとして,彼が見切り売りに誘い込まれたかもしれない犠牲を避ける」,と。
 そしてギルバートは,次の結論を引出す。即ち,だから「銀行業者による貨幣の前貸し(advance)はいずれも,たとえそれがどのような仕方でなされるにせよ,事実上は貸付(loan)である。」担保貸付と手形割引との「相違」は,担保が1つかそれとも2つないしそれ以上か,返済の時期が固定されているか,利子が前貸しされた時点で全額支払われるかどうか,である。いずれの場合にも「事業主(trader)は同額の貨幣融通を受け,通商への影響は同じであろうということは明らかである。手形は単に債務の,振出人から,振出人の保証での,銀行への移転にすぎない。キャッシュ クレディットは貸付であり,貸付額は毎日変動するがしかし最高額は固定されている。……貸越勘定,抵当(mortgages),何らかの質(pledges)または担保(securities)での貨幣前貸し(advance)すべてが,貸付(loan)であることをいうのは不必要である」,と。〉  (344頁)

  以上でギルバトの著書からの抜粋は終わっている。】

  (続く)

2020年8月 5日 (水)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(25・26-13)

『資本論』第5篇第25章および第26章冒頭部分の草稿の段落ごとの解読(続き)

 

◎第25章該当部分の本文の繋がり

  これまでマルクスのテキストを段落ごとに解読してきたが、本文そのものはそれほど分量としてはないのに、その間に原注がいくつも挿入され(しかも原注の原注まであって)、むしろ本文そのもののつながりがみえにくくなっていた。だから次のテキストの解読に移る前に、一度、本文だけを抜き出してみて、全体を読み通せるようなものにしてみようと思う。とにかく読みやすくするために、MEGAの注解や異文等不必要なものはすべて省略する。またそれぞれのパラグラフに改めて通し番号を付した。

 (1)信用制度とそれが自分のためにつくりだす,信用貨幣などのような諸用具との分析は,われわれの計画の範囲外にある。ここではただ,資本主義的生産様式一般の特徴づけのために必要なわずかの点をはっきりさせるだけでよい。そのさいわれわれはただ商業信用だけを取り扱う。この信用の発展と公信用の発展との関連は考察しないでおく。

  (2)私は前に,どのようにして単純な商品流通から支払手段としての貨幣の機能が形成され,それとともにまた商品生産者や商品取扱業者のあいだに債権者と債務者との関係が形成されるか,を明らかにした。商業が発展し,ただ流通だけを考えて生産を行なう資本主義的生産様式が発展するにつれて,信用システムのこの自然発生的な基礎Grundlage〕は拡大され,一般化され,仕上げられていく。だいたいにおいて貨幣はここではただ支払手段としてのみ機能する。すなわち,商品は,貨幣と引き換えにではなく,書面での一定期日の支払約束と引き換えに売られるのであって,この支払約束をわれわれは手形という一般的範疇のもとに包括することができる。これらの手形は,その支払満期にいたるまで,それ自身,支払手段として流通するのであり,またそれらが本来の商業貨幣をなしている。それらは,最終的に債権債務の相殺によって決済されるかぎりでは,絶対的に貨幣として機能する。というのは,この場合には貨幣へのそれらの最終的転化が生じないからである。生産者や商人のあいだで行なわれるこれらの相互的な前貸が信用制度の本来の基礎〔Grundlage〕をなしているように,彼らの流通用具である手形が本来の信用貨幣,銀行券流通等々の基礎をなしているのであって,これらのものの土台〔Basis〕は,貨幣流通(金属貨幣であろうと国家紙幣であろうと)ではなくて,手形流通なのである。

  (3)信用制度の他方の側面は貨幣取扱業の発展に結びついている。貨幣取扱業の発展は,もちろん,資本主義的生産様式一般のなかで進む商品取扱業の発展と歩調をそろえて進んでいく。

  (4)すでに前章で見たように,商人等々の準備ファンドの保管,貨幣の払い出しや受け取りの技術的諸操作,国際的支払い(したがってまた地金取り扱い)は,貨幣取扱業者の手に集中される。貨幣取扱業というこの土台のうえで信用制度の他方の側面が発展し,〔それに〕結びついている,--すなわち,貨幣取扱業者の特殊的機能としての,利子生み資本あるいはmonied Capitalの管理である。貨幣の貸借が彼らの特殊的業務になる。彼らはmonied Capitalの現実の貸し手と借り手とのあいだに媒介者としてはいってくる。一般的に表現すれば,銀行業者の業務は,一方では,貸付可能な貨幣資本を自分の手中に大規模に集中することにあり,したがって個々の貸し手に代わって銀行業者がすべての貨幣の貸し手の代表者として再生産的資本家に相対するようになる。彼らはmonied Capitalの一般的な管理者としてそれを自分の手中に集中する。他方では,彼らは,商業世界全体のために借りるということによって,すべての貸し手に対して借り手を集中する。(彼らの利潤は,一般的に言えば,彼らが貸すときの利子よりも低い利子で借りるということにある。)銀行は,一面ではmonied Capitalの,貸し手の集中を表わし,他面では借り手の集中を表わしているのである。

  (5)銀行が自由に処分できる貸付可能な資本は二様の仕方で銀行に流れ込む。一方では,生産的資本家たちの出納係として,銀行の手中には,それぞれの生産者や商人が準備ファンドとして保有するmonied Capitalまたは彼らのもとに支払金として流れてくるmonied Capitalが集中する。この準備ファンドは,銀行の手中で,貸付可能なmonied Capitalになる。これによって,商業世界の準備ファンドは,共同の準備ファンドとして集中されるので,必要な最小限度に制限されるのであって,そうでなかったならば準備ファンドとして眠っているはずのmonied Capitalの一部分が利子生み資本として機能する,つまり貸し出されるのである。ところで他方では,銀行の貸付可能な資本は,貨幣資本家たち〔monied Capitalists〕の預金によって形成されるのであって,彼らはこの預金の貸出を銀行にまかせるのである。銀行システムの発展につれて,またことに銀行がどの預金にも利子を支払うようになれば,すべての階級の貨幣貯蓄(すなわち当面遊休している貨幣)は銀行に預金され,こうして,そうされなかったならばmonied Capitalとして働くことができなかったはずの小さい金額が大きな金額に,こうして一つの貨幣力〔monied force〕にまとめられる。この集積〔co11ection〕は銀行システムの特殊的作用として,本来の貨幣資本家〔monied capitalist〕と借り手とのあいだでの銀行の媒介者的役割〔Mittlerschaft〕とは区別されなければならない。最後に,ただ少しずつ消費しようとする収入も,銀行に預金される。

  (6)貸付は(ここでは本来の商業信用〔Handelscredit〕だけを取り扱う),手形割引--手形をその満期前に貨幣に転換すること--によって,また,さまざまの形態での前貸,すなわち,スコットランドの諸銀行でのような対人信用での直接前貸,各種の利子生み証券,国債証券,株式を担保とする前貸,ことにまた積荷証券,倉荷証券,および商品所有証書であるその他の証券を担保とする前貸によって,預金を越える当座貸越し,等々によって,行なわれる。

  (7)ところで,銀行業者が与える信用はさまざまな形態で,たとえば,銀行業者手形,銀行信用,小切手,等々で,最後に銀行券で,与えられることができる。銀行券は,持参人払いの,また銀行業者が個人手形と置き換える,その銀行業者あての手形にほかならない。この最後の信用形態はしろうとには,とくに目につく重要なものとして現われる。なぜならば,1)信用貨幣のこの形態はたんなる商業流通から出て一般的流通にはいり,ここで貨幣として機能しており,また,たいていの国では銀行券を発行する主要銀行は,国立銀行〔Nationalbank〕と私立銀行との奇妙な混合物として事実上その背後に国家信用〔Nationalcredit〕をもっていて,その銀行券は多かれ少なかれ法貨でもあるからである。なぜならば,2)銀行券は流通する信用章標にすぎないので,ここでは,銀行業者が取り扱うものが信用そのものであることが目に見えるようになるからである。しかし,銀行業者はそのほかのあらゆる形態での信用でも取引するのであって,彼が自分に預金された貨幣を現金で前貸する場合でさえもそうである,等々。実際には,銀行券はただ卸売業の鋳貨をなしているだけであって,銀行で主要な問題となるのはつねに預金である。たとえば,スコットランドの諸銀行を見よ。

  (8)特殊的信用諸用具ならびに銀行の特殊的諸形態は,われわれの目的のためにはこれ以上考察する必要はない。〉

  こうして見ると本文は8つのパラグラフからなり、マルクスが最初に〈必要なわずかの点をはっきりさせるだけでよい〉と述べているように、極めて簡潔に必要なものだけを明らかにしているといえる。
 ついでだから、これらに対する書き下し文ももう一度書き出してみよう。

 (1) 〈信用制度とそれが自分のためにつくりだす、信用貨幣などのような諸用具との分析は、私たちの計画(つまりこの『資本論』の構想)の範囲外にあります。だからここでは、ただ資本主義的生産様式一般の特徴付けのために必要なわずかの点をはっきりさせるだけでよいでしょう。そのさいは私たちは商業信用だけを取り扱います。だからこの信用、すなわち信用制度とその諸用具の発展、あるいはそれと公信用の発展との関連は考察しないでおきます。〉

  (2) 〈私は以前どのようにして単純な商品流通から支払手段としての貨幣の機能が形成され、それとともにまた商品生産者や商品取扱業者のあいだに債権者と債務者との関係が形成されるか、を明らかにしました。商業が発展し、ただ流通だけを考えて生産を行う資本主義的生産様式が発展するにつれて、信用システムのこの自然発生的な基礎は拡大され、一般化され、仕上げられて行きます。だいたいにおいて発展した資本主義的な商業においては、貨幣はただ支払手段としてのみ機能します。すなわち、商品は、貨幣と引き換えにではなく、書面での一定期日の支払約束と引き換えに売られるのです。われわれはこの支払約束を手形という一般的範疇のもとに包括することが出来ます。これらの手形は、その支払満期にいたるまで、それ自身、支払手段として流通します。そうした流通する手形こそ本来の商業貨幣をなしているのです。それらは最終的に債権債務の相殺によって決済される限りでは、絶対的に貨幣として機能します。なぜなら、そうした場合には手形の貨幣への最終的転化が生じないからです。生産者や商人のあいだで行われるこれらの相互的な前貸し、すなわち商業信用こそが信用制度の本来の基礎をなしているのです。同じように彼らの流通用具である手形が本来の信用貨幣、すなわち銀行券流通等々の基礎をなしているのです。だから銀行券流通の土台は、貨幣流通(金属貨幣であろうと国家紙幣であろうと)ではなくて、手形流通なのです。〉

  (3) 〈信用制度の一方の側面は、すでに述べましたように、商業信用の発展を基礎としていましたが、他方の側面は貨幣取扱業の発展に結びついています。貨幣取扱業の発展は、もちろん、資本主義的生産様式一般のなかで進む商品取扱業の発展と歩調をそろえて進んでいくのです。〉

  (4) 〈すでに前章(前篇、つまり第4篇「商品資本および貨幣資本の商品取引資本および貨幣取引資本への転化(商人資本)」をさす)で見ましたように、商人等々の準備ファンドの保管、あるいは貨幣の払い出しや受け取りの技術的諸操作、あるいはまた国際的な支払い(したがってまた地金の取り扱い)は、貨幣取扱業者の手に集中されます。貨幣取扱業というこの土台のうえで信用制度の他方の側面が発展し、それに結びついています。--すなわち、貨幣取扱業者の特殊的機能としての、利子生み資本あるいはmoneyed capitalの管理です。貨幣の貸借が彼らの特殊業務となります。彼らはmoneyed capitalの現実の貸し手と借り手とのあいだに媒介者として入ってくるのです。一般的に表現すると、銀行業者の業務は、一方では、貸付可能な貨幣資本を自分の手に大規模に集中することにあり、したがって個々の貸し手に代わって銀行業者がすべての貨幣の貸し手の代表者として再生産的資本家たちに相対するようになります。彼らはmoneyed capitalの一般的な管理者としてそれを自分の手に集中するのです。他方では、彼らは商業世界全体のために借りるということによって、すべての貸し手に対して借り手を集中します。(彼らの利潤は、一般的にいえば、彼らが貸すときの利子よりも低い利子で借りるということにあります。)銀行は、一面ではmoneyed capitalの、貸し手の集中を表し、他面では借り手の集中を表しているのです。〉

  (5) 〈銀行が自由に処分できる貸付可能な資本は二つの仕方で流れ込みます。
 一つは、生産的資本家たちの出納係として、銀行の手中には、それぞれの生産者や商人が準備ファンドとして保有するmonied capitalまたは彼らのもとに支払金として流れてくるmonied capitalが集中します。この準備ファンドは、銀行の手のなかで、貸し付け可能なmonied capitalとなります。これによって商業世界の準備ファンドは、共同の準備ファンドとして集中されるので、それが必要な最小限度に制限されます。だからもしそうでなかったら準備ファンドとして眠っているはずのmonied capitalの一部分が利子生み資本として機能することになります。つまり貸し出されるのです。
 もう一つの仕方は、銀行の貸し付け可能な資本は、貨幣資本家たちの預金によって形成されます。彼らはこの預金の貸し出しを銀行に任せるのです。銀行システムの発展につれて、またことに銀行がどの預金にも利子を支払うようになれば、すべての階級の貨幣貯蓄(当面遊休している貨幣)は銀行に預金され、こうして、そうされなかったならばmonied capitalとして働くことができなかったはずの小さい金額が大きな金額になり、こうして一つの貨幣力にまとめられます。この集積は銀行の特殊的作用として、本来の貨幣資本家と借手とのあいだでの銀行の媒介的役割とは区別されなければなりません。最後に、ただ少しだけ消費しようとする収入も、銀行に預金されます。〉

  (6) 〈すでに最初にも指摘しましたように、私たちは信用制度を商業信用との関連だけで取り扱います。だから銀行からの貸付は主要には手形の割引によってなされます。これは手形をその満期前に貨幣に転換することです。あるいはそれ以外のさまざまな前貸しでも行われます。例えばスコットランドの諸銀行でのように対人信用での直接前貸、各種の利子生み証券、国債証券、株式を担保とする前貸、ことにまた積荷証券、倉庫証券、および商品所有証書であるその他の証券を担保とする前貸、あるいは預金を越える当座貸越し、等々によって、行われます。〉

  (7) 〈ところで、銀行業者が与える信用はさまざまな形態で与えることが出来ます。例えば銀行業者手形、銀行信用、小切手、等々です。そして最後に、銀行券で与えることが出来ます。銀行券は、持参人払いの、銀行業者が個人手形と置き換える、その銀行業者あての手形にほかなりません。この最後の信用形態はしろうとには、とくに目につく重要なものとして現われます。というのは、まず第一に、信用貨幣のこの形態はたんなる商業流通から出て一般流通に入り、そこで貨幣として機能しているからです。おまけに、たいていの国では銀行券を発行する主要銀行は、国立銀行と私立銀行との奇妙な混合物として事実上その背後に国家信用をもっていて、その銀行券は多かれ少なかれ法貨でもあるからです。第二の理由は、銀行券は流通する信用章標にすぎないので、ここでは、銀行業者が取り扱うものが信用そのものであることが目に見えるようになるからです。しかし、銀行業者はその他のあらゆる形態での信用でも取引するのであって、彼が自分の預金された貨幣を現金で前貸しする場合でさえもそうなのです、等々。実際には、銀行券はただ卸売業の鋳貨をなしているだけであって、銀行で主要な問題となるのは常に預金なのです。例えば、スコットランドの諸銀行を見れば分かります。〉

  (8) 〈これ以上の特殊な信用諸用具や銀行の特殊な諸形態については、資本主義的生産様式一般の特徴付けのために必要なわずかの点を明らかにするという私たちの目的のためには、もうこれ以上考察する必要はないでしょう。〉

  以上が、本文としてマルクスが書いた一連の文章である。もう一度、それぞれについてその内容を確認しておこう。

  (1) は、これからの考察の課題を明確にしている。つまり信用制度(銀行制度)のさまざまな発展形態やそれが創り出すさまざまな特殊な信用諸用具などの考察は、本来の『資本論』の構想の枠外のものであるとの位置づけがまず語られている。だからこれから考察するものは、資本主義的生産様式一般を特徴づけるのに必要な限りで、つまり利子生み資本の概念とその具体的な運動諸形態とを把握するのに必要な限りで、信用制度(銀行制度)とそれが作り出す信用諸用具をこれから考察するのだ、ということである。そしてこうした限定された信用制度とその信用諸用具の考察というのは、結局は、商業信用との関連において、そうした限定されたものとして、それらを考察することでもあるのだと指摘している。

  だから(2)は、まずは商業信用の考察から始めている。『資本論』の冒頭篇において、貨幣の支払手段の機能から債権・債務の関係が生じることを明らかにしたが、商業信用というのはそうしたものが資本主義的生産様式が発展にするにつれて拡大し、一般化され、仕上げられたものなのである。こうした単純な商品流通の中から自然発生的に生まれた債権・債務関係の発展したものこそ、すなわち商業信用こそが信用制度(銀行制度)の本来的な基礎をなしているのである。それらが商業信用といわれるのは、一般に商業流通内(主に産業資本間やそれらと商業資本との間、あるいはそれらと小売資本との間における流通)における信用だからである(だから小売り業者と個人消費者間の流通、すなわち一般流通とは区別されたものである)。商業流通においては貨幣はだいたいにおいて支払手段として機能する。商業信用においては商品は書面での一定期日の支払約束と引き換えに手渡されるが、それを「手形」という一般的範疇に包括できる。手形は裏書譲渡されて流通し、商業貨幣として機能する。それらが最終的に相殺されて、決済されるなら、絶対的に貨幣として機能することになる。しかしここで「貨幣として機能する」というのはあくまでも観念的な計算貨幣(価値尺度)としての機能を指している。なぜなら、それによって債権・債務関係はすべて相殺され、現実の貨幣に転化することはないからである(だから支払手段としての貨幣の機能にもとづいてはいるが--なぜなら支払手段としての貨幣の機能によってそれらは債権・債務の関係の連鎖を形成したのだから--、しかし実際には最終的には貨幣は支払手段として機能(出動)するわけではない)。だからそれらが本来の商業貨幣であるということは、あるいはそもそも商業貨幣というのは、諸商品の流通においてそれらの価値の実現が、支払手段としての貨幣の機能にもとづいて、信用によって売買され最終的に相殺されて決済されるための信用諸用具だという意味である。つまり商業貨幣の貨幣としての機能というのは支払手段としての貨幣の機能に依拠した観念的な計算貨幣(価値尺度)としての機能なのである。だからあたかも手形と引き換えに商品が流通することから、商業貨幣が流通手段として機能しているかに考えるのは間違いである。それらは確かに購買手段として機能するが、それらが絶対的に貨幣として機能する限りでは、ただ計算貨幣としての機能を果たしているだけなのである。商業信用が信用制度(銀行制度)の本来的な基礎をなすように、商業流通内において流通する手形にとって替わる銀行券もその限りでは、こうした手形流通に立脚するものである。だから商業流通内で流通する銀行券も、他の商業貨幣(手形や小切手等)と同じように、やはり最終的には相殺によって決済するための信用諸用具の一つに過ぎないのである。それが「本来の」信用貨幣と言われるのは、後に述べるように、それは銀行の信用だけにもとづいて発行されたものであり、信用そのものを象徴する信用章標だからである。

  (3)(4) は、信用制度(銀行制度)の他の側面をなしている貨幣取扱業との関連が考察されている。貨幣取扱業は商品取扱業(商人資本)の発展と歩調をそろえて発展してきた。そもそも銀行業者というのは貨幣取扱業者が資本主義的生産様式の発展とともにそうしたものに発展したものなのである。だから銀行の業務の一側面は貨幣取扱業務なのである。貨幣取扱業を土台として信用制度(銀行制度)の他の側面の発展とが結びついている。それは銀行の貨幣資本あるいはmoneyed capitalの管理という側面である。彼らは本来は単なる再生産資本家たちの出納係代行者として、再生産資本家たちのmonied capitalを支払ったり、受け取ったりているだけだったが、しかしそれらが集中されることによって、その一部を貸し付けるという業務が加わってくるわけである。だから貨幣の貸借が彼らの特殊的業務になる。彼らはmoneyed capitalの貸し手と借り手のあいだに媒介者として入ってくる。彼らは貸付可能な貨幣資本を集中し、再生産的資本家たちに対峙する。また彼らは貸し手にたいしては借り手を集中する。銀行は一方では貸し手の集中を表し、他方で借り手の集中を表している。

  (5) は、銀行は以上のように貨幣の貸借を業務とするが、彼らが貸す貸付可能な貨幣資本は二つの仕方で銀行に流入する。一つは生産的資本家たちの出納係、すなわちその貨幣取扱業務によって、生産者や商人の準備ファンドや諸支払等が流入する。彼らはそれらの準備ファンドを集中することによって、社会的にそれを必要最小限にする。そしてそれ以外のものは貸付可能な貨幣資本(moneyed capital)として貸し出される。だからこの場合の流入する貨幣は、本来は再生産資本家たちが自身の事業の運営に必要な貨幣なのである。彼らはそれらが必要なときに使うために一時的に準備しているものに過ぎない。ただそれを銀行が集中して、資本家たちの共有の準備とするために、社会的には必要最小限の分量だけが準備されればよいことになり、余ったものが貨幣資本(monied capital)として貸し出し可能になるに過ぎない。だからこれは銀行の集中する機能にもとづいた銀行の信用による貸付けなのである。
  もう一つの流入の仕方は、本来的な貨幣資本家(金利生活者など)のmoneyed capitalを預金として預かり、それを貸付可能な貨幣資本として貸し出すケースである。この場合、銀行は貸し手と借り手の媒介者となる。貨幣資本家たちは自分たちが直接生産的資本家たちに貸し出す代わりに、その運用を銀行に委ねるわけである。それらはそもそも本来的に貨幣資本家たちの手においても利子生み資本(貸し付け資本)として当初から存在しているものである。銀行がただそれを代行し、媒介するだけである。さらにすべての預金に利子をつけることによって、さまざまな遊休している少額の貯蓄も銀行に集中され、貸付可能な貨幣資本となる。これらは社会的には遊休しているが、少額のために利子生み資本として運用できないものを、集中することによって大きな額にし、貸し付け可能な貨幣資本にするのであり、上記の銀行の媒介の機能とは区別された銀行の社会的な機能なのである。さらには労働者や資本家、あるいは寄生的階級が消費に支出する貨幣も一遍には支出されないから、一時的に預金になってはやり銀行に集中される、等々である。

  (6) こうして集められた貨幣資本(moneyed capital)はどのような形態で貸し付けられるのだろうか。ただしここでの貸付もわれわれは商業信用との関連に限定して考えるのだが。それは①手形の割引、②対人信用での直接前貸し、③各種の利子生み証券や国債、積荷証券、倉荷証券、商品所有証書等々を担保とする貸付、④そして預金を越える当座貸越、等々によって貸し付けられる。

  (7) ところで銀行業者は商業信用との関連やその貨幣取扱業務のなかで、信用の取り扱いをも発展させる。そして自行の信用だけにもとづいて、さまざまな貸付可能な形態を創造し、信用を与える(貸し付ける)ことができるようになる。その諸形態としては①銀行業者手形、②銀行信用(預金設定)、③小切手、等々、最後に④銀行券がある。銀行券は銀行が紙と印刷費以外には何の費用もかけず、ただ銀行の信用だけにもとづいて発行する、持参人払いの、また(手形割引で)個人手形と置き換える、銀行業者宛の手形以外のなにものでもない。この最後の形態(銀行券)は素人目には重要に見えるが、それは第一に、それは商業流通から出て、一般流通で貨幣として通用しているからである。それらはだいたいにおいて国家の信用を背景にもち、法貨として位置づけられている。つまり銀行券は一般流通で金鋳貨や地金と同じ現金として通用しているのだから重要にみえるのは当然であろう。こうした一般流通で貨幣として機能している銀行券は、商業流通内で流通する信用貨幣としての銀行券と決して同じものではない。後者は手形流通に立脚するもので、最終的には預金の振替によって決済するための信用諸用具の一つに過ぎないが、前者のように一般流通で流通する銀行券は、貨幣の流通手段としての機能にもとづいて、金鋳貨を代理するものであり、その限りでは補助鋳貨や紙幣と同じ役割を果たしているのである。だからこうした銀行券は、手形流通に立脚するのではなく、貨幣の流通法則に規制されるのである。
  銀行券が素人目には重要にみえるもう一つの理由は、それがただ銀行の信用だけにもとづいており、信用を象徴する信用章標だからである。それが本来の信用貨幣といわれる所以でもある。
  しかし銀行はすでに述べたように、それ以外のさまざまな形態でも信用を取り扱っているのであって、例えば現金で貸し付ける場合でさえそうである。なぜなら、本来は公衆の準備であるものを、社会的に集中することによって最小限にし、その必要最低限の準備ファンドだけを残して、それ以外のものを利子生み資本として現金で貸し付けるなら、それを可能にしているのは銀行の社会的機能と信用なのである。だからその場合は、例え現金で貸し付けていても、銀行の信用にもとついて貸し付けていることになるのである。
  実際には卸売業(つまり商業流通内)において主要な決済手段になっているのは、預金の振替であり、だから銀行で主要な問題となっているのは常に預金なのである。素人目には重要に見るえる現金としての銀行券は、そうした決済の帳尻を合わすための「鋳貨」をなしているに過ぎない。特に信用制度がイングランドより発展しているスコットランドの諸銀行をみればそれは明らかである。{イングランドでは預金に利子は支払わないが、スコットランドではすべての預金に利子を支払う。〈その結果、殆どの人が銀行勘定を持ち(預金口座を持ち--引用者)、そして殆どの人が日々の仕事の終わりに節約し得たどんなに僅かの貨幣でもそこに払い込み、彼が受け取るであろう日歩に期待を寄せる〉(J・ウィルソン)のだという。}

  (8) 特殊な信用諸用具や銀行の特殊な諸形態などは、ここでわれわれが課題としたものとは外れるので、これ以上の考察は不要であろう。

  まあ、以上がざっとマルクスが信用制度(銀行制度)とその諸用具の一般的な特徴付けとして述べているものである。ここには簡潔ではあるが、極めて重要な問題が論じられていることが分かるであろう。

◎原注部分のまとめと整理


  ところでこれまでのこの本文には、さまざまな形で原注が複雑に入り交じって付けられていることも一つの特徴であった。一体、それらの原注はどういうような状況になっているのかも、最後に見ておくことにしよう。まず原注が付けられている本文と原注の一覧を書き出してみよう(ただし本文の中に原注記号があるが、書かれていない原注は省略する)。本文にはわれわれのパラグラフ番号(【】)を付して、関連した原注のパラグラフ番号(【】)を書いてみよう。そしてそれらの原注の概略を紹介してみる。

【2】

  ◎ 原注の付けられた本文私は前に,どのようにして単純な商品流通から支払手段としての貨幣の機能が形成され,それとともにまた商品生産者や商品取扱業者のあいだに債権者と債務者との関係が形成されるか,を明らかにした。a)〉--【4】〈〔原注〕a)〉、【5】〈〔原注〕注a)に〉、【6】〈〔原注〕 注a)に

  まずこの本文【2】が書かれているのは草稿の317原頁上段の第2パラグラフである。第1パラグラフには「5) 信用。架空資本」という表題が書かれているのだから、その本文の冒頭のパラグラフと考えてよいだろう。そして原注a)は同じ317原頁下段の第1パラグラフである。草稿の一つの頁を上下に折り跡を付けて、上段には本文、下段には原注を書くのが、マルクスのやり方だから、この原注は最初に書かれたものだとわかる。
  しかしこの原注a)は、ただ『経済学批判』の当該頁を示すだけのものである。だからかどうか分からないが、マルクスはこの原注a)に対して、二つの「原注a)に」という追加の原注を書いているわけである。しかしその書き方が少し変わっている。まず大谷氏が最初に持ってきたもの(【5】)は、318原頁の下段の冒頭に書かれている。それに対して、その次に持ってきたもの(【6】)は、317原頁下段の第5パラグラフである。
  このように追加の原注がひっくり返っているのは、内容からそれが相応しいからでもあるが、マルクス自身の指示もあるからである。【5】パラグラフの「原注a)に」というのは、トゥクは信用一般について次のように言っているとして、トゥクの『通貨原理の研究』からの抜粋があるのであるが、この原注が付けられている本文(支払い手段の機能から掛け売買が自然発生的に生まれてくるという内容)に対応させて考えると、その後半部分が原注として相応しいと考えることができる。マルクスの意図としては確かに前書きとして〈トゥクは信用一般について次のようにいっている〉と書いているが、しかしその前半で述べていることよりも、後半で述べていること、〈商品の場合には,販売を構成するのであって,それの価値は貨幣で換算して合意されているのであり,返済されるべき約定金額には,定められた支払期間の満了までの資本の使用にたいする報酬とそれまでの危険にたいする報酬とが含まれている。これらの信用には,たいてい,満期日を定めた支払約束書が付随しているが,これらの引受日後に譲渡可能な債務証書あるいは約束手形〔the obligations or promissory notes after date being transferable〕は,貸し手たちが自分のもっているこれらの手形が満期になる以前に貨幣なり商品なりのかたちで自分の資本を使用する好機を見いだすときには,彼らがより低い条件で借りたり買ったりすることができるための手段となる。というのは,彼ら自身の名前に加えて手形に裏書きされる名前によって,彼ら自身の信用が強化されるからである〉の方が本文に対する原注としてより適切であろうと考えられる。マルクスは【6】パラグラフの「原注a)に」続けて〈318ページを見よ注a)にad Note. a)〕。トゥク〉(つまり【5】パラグラフ「原注a)」のこと)と書いている。だからそれは【5】パラグラフのトゥクの引用のあとに付けられたのであろう。実際、その内容は『通貨理論論評』から〈貨幣での即時払いによって処理されるのでないすべての取引は,厳密には,信用取引または掛売買a credit or time bargain〕である。」〉と〈「これらの取引が通例であって,現金取引は商業における例外である。」〉の二つの抜粋がなされている。これらも確かに原注がつけられた本文に関連するものであり、相応しいものである。

  ◎ 原注の付けられた本文これらの手形は,その支払満期にいたるまで,それ自身,支払手段として流通するのであり,またそれらが本来の商業貨幣をなしている。b)およびba)〉--【7】〈〔原注〕b)〉、【8】〈〔原注〕ba)〉、【9】〈〔原注〕注aおよびbに〉、【10】〈続き〉、

  結局、この場合も原注が三つも付けられている。最初の「原注b)」は317頁下段の第3パラグラフに書かれている。それに対して「原注ba)」は同じ317頁下段の第2パラグラフに書かれているのである。つまりこの場合も原注の付け方の順序が逆転している。なぜこうしているのかを大谷氏は説明しているが、要するに草稿の状態を見ると、「原注ba)」の方があとから狭いところに書き加えられたように見えるからだそうである。
  「原注b)」というのはリーサム『通貨についての手紙』からの抜粋であるが、1839年全年の手形総額等の実数と手形が金と銀行券の上層建築だという指摘、また手形が真正のものか架空なものかの区別は不可能という指摘が紹介されている。それに対して「原注ba)」はオプダイクの『経済学に関する一論』とギルバトの『銀行業の歴史と理論』からの抜粋であるが、この二人の著書からの抜粋は、〈手形は,その支払満期にいたるまで,それ自身,支払手段として流通する〉という本文を補足するものとなっている。
  「原注aおよびbに」は317頁の下段の第6パラグラフにあり、ボウズンキトの『金属貨幣、紙券貨幣、信用貨幣』からの比較的長い抜粋である。預金が貨幣であるのは、貨幣の介入なしに所有権を移転する限りのことだという一文や預金設定でそれだけ購買力が増えるという指摘、手形交換所で交換される平均額に較べて準備額は15分の1ほどだということ、流通中の手形には裏書きが少なくとも二つ以上あるという指摘等がある。そこにマルクス自身が、手形は最終的に現金で支払われることがないなら、手形交換所を通って預金に一致するという指摘が挿入されている。この原注は大谷氏が預金が通貨である(預金通貨)理由として重視したものだが、それがマルクスの主旨に反していることはすでに指摘した。
  ところでこの「原注aおよびbに」は317原頁の下段の第6パラグラフにあるが、それは下段の最後のパラグラフである。この317頁というのは上段には「5) 信用。架空資本」という表題が書かれている頁であり、ここから「5)」が始まる。その下段の一番最後に書かれているのがこの原注なのである。ではこの317頁下段にはどういう原注が書かれているのかをみてみると、第1パラグラフは「原注a)」(【4】)、第2パラグラフは「原注ba)」(【8】)、第3パラグラフは「原注b)」(【7】)、第4パラグラフは「原注c)」(【11】)、第5パラグラフは「原注a)に」で「318ページを見よ」と書かれている(【6】)。そして第6パラグラフが今見たものである(【9・10】)。私が付けたパラグラフ(【】)を見ても、変則的なことがわかるであろう。

  ◎ 原注の付けられた本文生産者や商人のあいだで行なわれるこれらの相互的な前貸が信用制度の本来の基礎〔Grundlage〕をなしているc)〉--【11】〈〔原注〕c)

  この本文もこれまでと同じ第【3】パラグラフの一文である。「原注c」は、すでに指摘したように、317頁下段の第4パラグラフに書かれている。この原注はシャルル・コクラン『産業における信用と銀行について』からの抜粋であるが、その内容は本文にある〈生産者や商人のあいだで行なわれるこれらの相互的な前貸〉の具体的な例が紹介されている。そこには〈だれもが一方の手で借り,他方の手で貸す。それは貨幣のこともあるが,生産物であることのほうがはるかに多い〉という一文がある。

【14】

  ◎ 原注の付けられた本文〈原注は第【14】パラグラフ全体に付けられている〉--【15】〈〔原注〕g)a)

  この原注が付けられた本文とは、銀行の貸付可能資本は二樣の仕方で入ってくるとして、一つは生産的資本家たちの出納係として彼らの準備ファンドを集中し、共同ファンドにすることによって必要最低限にして、残りを利子生み資本として貸し出すこと、もう一つは貨幣資本家たちの貨幣資本を預金として預かり運用する、この場合は銀行は媒介的役割を果たすこと等が指摘されている。「原注g)a)」は、原注の内容から考えると、原注が付けられている最後の一文〈最後に,ただ少しずつ消費しようとする収入も,銀行に預金される〉にではなく、このパラグラフ全体に付けられたものと考えることができる。このパラグラフには、これ以外にも「e)」、「f)」という原注が付けられており、「g)」はそのあとに付けられているために、最後の一文に対する原注のように見えるが、しかし先行する「e)」も「f)」も、本文に原注の記号はあるが、原注そのものは書かれていない(なお「d)」も、記号そのものは、その前の「原注(注aおよびbに)」の途中の欄外に書かれているらしいが、それも原注としては書かれていない)。なお「原注g)a)」は318頁下段の第2パラグラフに書かれているが、第1パラグラフには「注a)に」(【5】)が書かれているのである。
  この原注ではトゥクの『通貨原理の研究』からの二つの抜粋がされている。トゥクも銀行業者の業務を二様のものとして、一つは資本を直接運用できない人からそれを集め、それを運用できる人に貸しだすこと、もう一つは所得を預金として預かり、消費支出の必要に応じて払い出すと指摘している。しかしトゥクはマルクスと同じ問題を論じているかというとそうではない。ただマルクスと同じように、「二様のもの」として見ていることだけが類似しているだけと思える。マルクスの原注として抜粋を紹介しているのもそれぐらいの意味でであろう。

【16】

  ◎ 原注の付けられた本文スコットランドの諸銀行でのようなg)b) 対人信用での直接前貸〉--【17】〈〔原注〕g)b)

  この原注は318頁下段の第3パラグラフに書かれている。原注の付けられた本文(【16】パラグラフ)は、銀行の貸付の諸形態(①手形割引、②さまざまな前貸し、③当座貸し越し)について説明したものである。この「原注g)a)」は②の中の上記の一文に付けられている。しかしその内容はマルクス自身の文章で〈スコットランドの諸銀行の,銀行券notesでの前貸〉とあるだけである。スコットランドの諸銀行の対人信用での直接前貸は、銀行券での前貸だということであろうか。このスコットランドの対人信用での直接前貸については、小林賢齋氏の『マルクス「信用論」の解明』なかでも「第1部 『エコノミスト』誌とウィルソン」のなかで「銀行実務」の説明として次のようなものがある。

  〈例えば1年の一定の時期には事業の性質からより多くの資本が必要で,それ以外の時期には「予備の資本」を預金しており,しかも借り手についての充分な信頼を銀行業者がもっているような場合には,「有価証券類の担保[による保証]なしの」,銀行業者の「思慮と注意に全く依存」し,したがって「借り手の個人的な信用にのみ依拠する」貸出し[対人信用]も行われる。「フィールド・インダストリー(field industry)」を営む「農業家(farmer)[資本主義的借地農業資本家]の取引の単純性と,銀行家がもっている農業の業務についての比較的詳しい知識とから,この種の貸付が,農業地方では比較的広範に存在しまた危険も少ない。」家畜購入のための資本とか,地代支払のための貨幣とかの貸出が,それである,と。〉 (99頁)

  これを見ると、こうした対人信用による貸付は、農業資本家に対して、家畜購入や地代支払いのための貸付として行われたということのようである。それが銀行券で行われたということであろうか。

  ◎ 原注の付けられた本文各種の利子生み証券,国債証券,株式を担保とする前貸,ことにまた積荷証券,倉荷証券,および商品所有証書であるその他の証券を担保とする前貸によって,預金を越える当座貸越し,等々によって,行なわれる。h)〉--【18】〈〔原注〕h)〉、【19】〈〔原注〕注hに〉、【20】〈続き〉

  この原注はこの貸付の諸形態について説明しているパラグラフ全体の最後にあるが、恐らくこのパラグラフ全体に対する原注と考えられる。この原注は318頁下段の第4パラグラフにあるが、そこには〈(319ページ,「注hにad,Note h〕」を見よ。)〉とあるだけで、実際の「原注h)」は319頁上段の第6パラグラフに書かれているのである。なぜ原注なのに319頁の上段に書かれているかというと、実はこの319頁上段というのは、大谷氏が〈〔信用制度についての雑録〕〉と分類している雑録が書かれている部分なのである。このようにマルクスは後に利用するための抜き書きなどをノートするときは、本文や原注と区別して、上下の降り跡を無視して上から下まで書いているのだそうである。なのに319頁には上下の区別があるのは、実は原注を書くスペースが318頁下段では収まらず、319頁の下段を原注のスペースにし、さらに318頁上段の本文テキストが終わったあとのスペースも、原注に使い、さらには319頁の上段も使ったということなのである。だからマルクスは本来原注を書くべき318頁下段にはすでにスペースがなかったために、〈〔原注〕h)(319ページ,「注hにad,Note h〕」を見よ。)〉とだけ書いて、原注の本文は雑録のなかに書いたわけである。

【21】

  ◎ 原注の付けられた本文ところで,銀行業者が与える信用はさまざまな形態で,たとえば,銀行業者手形i)〉--【22】〈〔原注〕i)〉、【23】〈続き〉
 
  これは本文の〈銀行業者手形〉に付けられた原注で、318頁下段の第6パラグラフと第5パラグラフの順序で付けられている。パラグラフが逆転しているのは、どうやら最初は原注「i)」(【22】)を書いたあと、その上の空いたところに追加的に【23】を書いて、インクの線で「i)」に挿入する形になっているので、こういう順序になっているようである。
  これらの原注は銀行業者手形というのが、銀行が現金(金あるいはイングランド銀行券)が手元に乏しいときに、顧客に現金の代わりに受け取らせようとしたもののようである。だからマルクスは「ペテン」と指摘している。

◎ 原注の付けられた本文小切手j)〉--【24】〈〔原注〕j)〉、【25】〈〔原注〕十十注jへ
 
  これも本文の〈小切手〉につけられた原注で、319頁下段の第1パラグラフ(【24】)と第4パラグラフ(【25】)に書かれたものである(なおついでにいうと、319頁下段の第2パラグラフは「原注1)」が、第3パラグラフは原注2)が書かれている)。後者には〈十十注jへ〉と挿入個所が指示されている。最初の原注の途中に〈十十〉なる印があるから、そこに挿入せよという意味であろうか。
  その挿入個所の印のある前の部分では、フラートンからの抜粋で、小切手等はすべて「移転できる請求権」というより請求権を移転できるものにする用具だとの指摘があり、信用が貨幣の諸機能を果たすという点ではすべて本質的に同じであり、結果も同じだと述べている。だからそのあとに【25】の原注を挿入せよということであろうか。その内容はフランス銀行の統計にもとづき、振替が58%、銀行券が35%、正貨が7%という構成が明らかにされている。つまり小切手による振替が半分以上であることを示しているわけである。そして小切手の使用で貨幣が節約された大きさを示していると指摘されている。そしてそのあとに続く、【24】の挿入個所以下の部分では、銀行券は信用の小銭であるとか、銀行業者のあいだで銀行券の交換が定期的に行われたことが指摘されている。

◎ 原注の付けられた本文しかし,銀行業者はそのほかのあらゆる形態での信用でも取引するのであって,彼が自分に預金された貨幣を現金で前貸する場合でさえもそうである,等々。1)〉--【26】〈〔原注〕1) 〉、【27】〈〔原注〕{注1)へ(318および319ページ)〉、【28】〈〔原注〕注1へ,318ページ

  ここでは「原注1)」には、関連して三つの原注が付いている。最初の〈〔原注〕1) 〉(【26】)は319頁下段の第2パラグラフ、次の〈〔原注〕{注1)へ(318および319ページ)〉(【27】)というのは318頁上段の第3パラグラフにあり、〈〔原注〕注1へ,318ページ〉(【28】)は319頁上段の第3パラグラフにある。318頁上段の第2パラグラフというのは、マルクスが本文として書いたテキストの最後のパラグラフである。だからマルクスは本来は本文のテキストを書く予定である318頁上段の本文が終わったあとを、原注を書くスペースとして利用したということである。
  〈〔原注〕1) 〉(【26】)はロイド(オウヴァストン)の議会での答弁から採用している。銀行業者は一方で預金を受け入れ、他方でそれを資本を欲する人にまかせる仲介者であるとか、信用を資本と交換し、その信用の使用に対して利子の支払いを求めるという銀行業者の立場が示されている。〈〔原注〕{注1)へ(318および319ページ)〉〉(【27】)はギルバトからの六つの抜粋からなっている。この六つの抜粋も銀行の事業資本の構成や、銀行業資本を調達する三つの方法、そして{ }に入れて、銀行の利潤について述べ、銀行の顧客への前貸は他の人々の貨幣で行われるとか、発券銀行でなくても手形の割引で銀行業資本を創造するとか、銀行業資本の調達の仕方等が中心になっている。つまりこれはこれまでのこのパラグラフに付けられた原注i、jと区別して1)、2)としているのは、これらの原注は、その原注が書かれている直前の文節だけではなく、このパラグラフ全体、少なくともその原注が付けられているまでの本文全体につけられた原注だからと考えられる。だからマルクスはそれまでのアルファベットの原注と区別して数字の原注にしたのではないだろうか。〈〔原注〕注1へ,318ページ〉(【28】)も発券銀行がすべての営業資本を銀行券で例え行ったとしても、結局、手形を割り引いた銀行券がすぐに銀行に還流してきて、結局、手元にある手形が示すのは現実資本であり、自己資本の貸付に転化するということが指摘されている。だからこれらは原注が付けられた直前の一文とは必ずしも一致するものとは言えない。

◎ 原注の付けられた本文実際には,銀行券はただ卸売業の鋳貨をなしているだけであって,銀行で主要な問題となるのはつねに預金である。たとえば,スコットランドの諸銀行を見よ。2)〉--【29】〈〔原注〕2)〉、【30】〈続き〉

  この原注も同じ数字の原注なのだが、この場合は明らかにその直前の〈預金〉に関連してたもので、『通貨理論論評、云々』からの抜粋とそれに付け加えられたマルクスの一文とからなっている。要するに同じ1000ポンド・スターリングがいろいろな銀行業者やそれと取り引きのある再生産資本家たちの手を経ることによって何倍もの預金を形成するということと、銀行券は預金という銀行にとっても債務形態を別の形態にしたものに過ぎないというマルクスの指摘がなされている。
  この原注は319頁下段の第3パラグラフに書かれている。本文のテキストは318頁上段の第2パラグラフでで終わっているのだから、319頁には本文はなく、ただ原注を書く下段のみが使われたのだが、しかしマルクスはそれだけでは足らなくて、318頁上段の本文テキストが終わったあとのスペースも原注に使っている。では319頁上段は何に使ったかというと、大谷氏が〈〔信用制度についての雑録〕〉に分類した抜粋集が始まっているのである。

◎大谷氏の草稿の状態についての説明

  いずれにしても、なかなかこのように原注が書かれた頁数などを探って行っても草稿の状態はすんなりとはつかめない。最後に、大谷氏の説明を紹介して、とりあえず、本文部分の中間的な総括としよう。大谷氏の引用は次に取り上げる〔信用制度についての雑録〕の部分の説明も含んでいる。

   大谷氏は〈9 草稿と現行版第25章との対応〉のなかで次のように書いている。

  〈全体は大きく三つに分けることができる。
  第1は,5)のテキストとして書き始められたことが明らかな,最初の本文部分であって,エンゲルス版では,第25章の冒頭から,「特殊的信用諸機関ならびに銀行そのものの特殊的諸形態は,われわれの目的のためにはこれ以上考察する必要はない」(MEGA II/15,S.395;MEW25,S.417),としているところ,といってもこの部分から,リーサム,ボウズンキト,トゥク,コクランの各人の著書からの引用の箇所(MEGA II/15,S.389-393;MEW25,S.414-415)を除いたものにあたる(MEGA II/4.2,S.469.7-475.5;本書本巻157ページ6行-188ページ14行)。この部分は,草稿317ページの上半部全体を埋めたのち,次の318ページの上半部の上から約4分の1までに書かれている。
  第2は,上の本文への注である。マルクスは本文のなかに注番号をつけ,ぺージの下半部に注を書いている。しかし,本文が2ページ目の318ページ上方で終わっているのに,注はこの2ページの下半部だけでは書ききれず--といっても各注のあいだに多少の空きがあるところもある--次の319ページの下半分に続き,その最下部でやっと終わっている(MEGA II/4.2,S.469.23-42,470.7-52,41.31-44,472.24-46,473.4-54,474,12-41,475.24-31,475,43-53,476.35-39;すべて本書本巻本章所収)。本文には次の注番号がある。a),ba),b),c),d),e),f),g)a),g)b),h),i),j),1),2)。このうち,d)とe)とは,下半部にいったん番号をつけたものの,縦線で抹消され,注は書かれていない。f)は「f)ギルバト。」と書いたのち,抹消している。317ページにはa),ba),b),c),「注a)に〔ad Note a)〕」,「注aおよびbに〔ad note a u.b〕」,の各注,318ページには「注a)に〔ad Note a〕」,g)a),g)b),h),i),j),の各注,319ページにはj)(jは二つある),1),2),の各注が書かれている。
  第3は,以上の本文および注に関連する材料として書かれたと思われる部分--本書では「雑録」と呼び,草稿には「信用制度についての雑録」という筆者によるタイトルを挿入する--である。これには,ただ引用文だけを掲げているところとマルクスが自分の文章を書いているところとがいくつかあるだけで,基本的にははじめになんらかの見出しないしそれに準じるものがあり,そのあとに引用文がくる,というものから成っている。これは,318ページ上半部の上から4分の1ほどのところで終わっている本文の直後から始まり,318および319ページの上半部--どちらも下半部は注に使われている--を埋めたあと,320,321,の両ページの上半部下半部を通して書かれ,322ページの1行目で終わっている。その最初のものは「注1)へ(318および319ページ)〔Zu Note 1)(318 u.319)〕」とあり,これはおそらく,318ページの本文に注番号があって注が319ページの下半分に書かれている注1)のことであろうと推定されるので,この雑録を書き始めるときには,すでに318および319ページの下半部の注は書かれていたのではないか,すなわち,まず本文と注を書き,そのあとで雑録の部分にかかったのではないか,と思われる。そういう経過から,このなかには第2の注のグループに属するものとして,いま触れた,「注1)へ(318および319ページ)」のほか,「注1へ。318ページ〔Zu Note l.318〕」,および,「注hに。318ページ〔ad Note h .p.318〕」が含まれている(MEGA II/4.2,S.474.42-50,475.6-22,475.32-42,476.2-482.41;すべて本書本巻本章所収)。〉 (75-76頁)

  (続く)

 

« 2020年7月 | トップページ | 2020年9月 »