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2020年2月

2020年2月22日 (土)

『資本論』第5篇第24章「利子生み資本の形態での剰余価値および資本関係一般の外面化」の草稿の段落ごとの解読(24-6)

『資本論』第5篇第24章「利子生み資本の形態での剰余価値および資本関係一般の外面化」の草稿の段落ごとの解読(続き)

 

【19】

 〈①「1786年に下院で,公益のために100万ポンド・スターリングが徴税されるべきことが全会一致で決議された。」e)ピットが信じていたプライスの説によれば,人民に課税し,この税金によって取り立てられた金額を「蓄積する」ことにまさる,だからまた国債を複利の秘法によってすばやく退治してしまうのにまさる上策は,もちろんなかったのである。164)ここから滅債基金または償却基金のための徴税が生まれた。「前述の決議に続いて,まもなく一つの法律--起草者はピット--が制定されたが,それは,満期になった年金を含めて,基金が年額400万ポンド・スターリングに増大するまで,25万ポンド・スターリングを蓄積することを命じていた。」([466]ジョージ3世治下第26年〔1786年〕の法律第22号)ピットは,減債基金にあてる金額を増額することを提案した彼の1792年の演説のなかで,イギリスの商業的優越の原因として機械や信用などをあげたが,しかし,「最も広範囲で最も永続的な原因は蓄積である。173)ところで,この原理はあの天才スミスの著作〔『諸国民の富』〕のなかで完全に展開され十分に説明されている,云々。……このような||315上|資本蓄積は,少なくとも年間利潤の一部分を蓄えて元本を増やし,この元本を次の年にも同じ仕方で利用し,こうして継続的な利潤をあげるようにすることによって,もたらされる。」[178,179ページ]175)ピットは,ドクター・プライスの仲介によって,スミスの蓄積理論を負債の蓄積による人民の致富に転化させ,借金,借金を払うための借金,等々という,楽しい無限進行に到達するのである。/

  ①〔注解〕[ジェイムズ・メイトランド・]ローダデイル『公の富の性質と起源に関する研究』,パリ,1808年,では次のようになっている。--「それは1786年に復活させられた。ただちに,100万ポンド・スターリングが公益のために起債され蓄積されることが満場一致の承諾をもって,下院で決議された。」
  ②〔注解〕ローダデイルでは次のようになっている。--「この決議に続いて,まもなく一つの法律が制定されたが,それは,満期になった年金を含めて基金が年額400万ポンド・スターリングに増大するまで,25万ポンド・スターリングの蓄積を規定している1。この法案の起草者である大臣……」--脚注1でローダデイルは,「ジョージ3世治世下第26年に発布された法律第31号」を挙げている。」
  ③〔注解〕「ジョージ3世治下第26年〔1786年〕の法律第22号」--ジョージ3世治下第26年の法律第31号(毎年毎四半期末に国債償却にあてられるべき一定金額を管理官に付与する法律(Anno vicesimo sexto Georgii III.regis))とあるべきところである。MEGA II/4.2,S.124.32への注解を見よ。〔エンゲルス版でも同じく「第22号」となっていたが,現行版では「第31号」に訂正されている。『1861-1863年草稿』では「第31号」となっていたのであり,明らかにマルクスの転記ミスである。〕〔MEGA II/4.2,S.124.32への注解は次のとおりである。--「法〔Act〕または法令〔Statute〕はイギリスにおける議会で議決された法律である。法は法令集〔Statutes〕に記載されたときに法令となる。法律の草案は法案〔Bill〕である。議会のある会期に議決されたもろもろの法律には通し番号がつけられ,さらに国王の名前とその統治年とをつけて〔たとえば「ジョージ3世治下第26年〔1786年〕の法律第22号」のように〕呼ばれる。ある議会会期に採択された法令の全体が一つのまとまりをなす。それらの一つひとつが号(chapter,cap.,c.)として区別され,もろもろの節(sect.,s.)に下位区分される。〕
  ④〔注解〕ローダデイルでは次のようになっている。--「要するにこの繁栄は……その性質上,もっと広がり,もっと永続するものなのである。蓄積がわれわれに示しているのは,この不断の増大傾向である。……この原理がどんなに単純で,どんなに明白であろうと,……現代の一著者は彼の諸国民の富に関する論考によって,あまりにも早く終わった彼の生涯を不滅にしたが,彼の著作以外の場所でこの原理がかつて完全に展開され十分に説明されていたかどうかははなはだ疑わしい。……この天才は……私が思うに,あらゆる問題の最善の解決を与えたのである。……このような資本蓄積は,少なくとも年間利潤の一部分を貯えて元本を増やすことによって行なわれるが,この元本は次の年にも同じ仕方で充用され,こうして継続的な利潤をあげなければならないのである。」この箇所はローダデイルでは179ページの「ピット氏の演説,政府の命によって刊行された印刷物。1782年」への注記である。--『……ウィリアム・ピット閣下の演説』,ロンドン,1792年,38-39ページを見よ。

  164)「ここから減債基金または償却基金のための徴税が生まれた〔Daher Steuem f.d.inldng funds od.Amortissement funds.〕」--『1861-1863年草稿』では,たんに「減債基金または償却基金のための徴税」となっている。
  173)「ところで〔nun〕」--MEGAによれば,『1861-1863年草稿』ではnurとなっているとされているが,これは解読の誤りで,ここでのようにnunとなっているのではないかと思われる。
  175)この一文は,『1861-1863年草稿』では,「ピットはプライスの,利子からの利子,つまり複利計算を,A.スミスの蓄積論と同一視した。このことは重要である。」となっている。〉 (348-350頁)

 〈「1786年に下院で,公益のために100万ポンド・スターリングが徴税されるべきことが全会一致で決議された。」ピットが信じていたプライスの説によれば、人民に課税し、この税金によって取り立てられた金額を「蓄積する」ことにまさる、だからまた国債を複利の秘法によってすばやく退治してしまうのにまさる上策は、もちろんなかったのです。ここから減債基金または償却基金のための徴税が生まれました。「前述の決議に続いて,まもなく一つの法律--起草者はピット--が制定されたが,それは,満期になった年金を含めて,基金が年額400万ポンド・スターリングに増大するまで,25万ポンド・スターリングを蓄積することを命じていた。」(ジョージ3世治下第26年〔1786年〕の法律第22号) ピットは,減債基金にあてる金額を増額することを提案した彼の1792年の演説のなかで,イギリスの商業的優越の原因として機械や信用などをあげましたが,しかし,「最も広範囲で最も永続的な原因は蓄積である。ところで,この原理はあの天才スミスの著作〔『諸国民の富』〕のなかで完全に展開され十分に説明されている,云々。……このような資本蓄積は,少なくとも年間利潤の一部分を蓄えて元本を増やし,この元本を次の年にも同じ仕方で利用し,こうして継続的な利潤をあげるようにすることによって,もたらされる。」ピットは,ドクター・プライスの仲介によって,スミスの蓄積理論を負債の蓄積による人民の致富に転化させ,借金,借金を払うための借金,等々という,楽しい無限進行に到達するのです。〉

 【このパラグラフは、ほぼローダデイルの著書『公の富の性質と起源に関する研究』,パリ,1808年,からの引用であるが、とりあえずあまり意味はないが、引用部分はそのままに平易な書き下しをやっておいた。マルクスの引用は要約であり、ローダデイルの著書ではどうなっているかはMEGAの注解が紹介している。それに大谷氏の補足も付け加えられている。
  ところで、ここでマルクスが明らかにしようとしているものはなかなか分かりにくい。とりあえず、われわれはマルクスがほぼそのまま採用しているという61-63草稿の元の文章を見てみることにしよう(今回はMEGAの注解も抜粋しておく)。

  〈①「1786年に(ローダデイルを見よ)下院では、公益のために100万ポンド・スターリングの起債をすることが満場一致の承諾でもって決議された。」(ローダデイル、同前、175ページ。)ピットが信じていたプライスの説によれば、人民に課税しこの課税によって取り立てられた金額を「蓄積し」、それをもって国債を複利の奇跡によってすばやくかたづけてしまうのにまさる上策は、もちろんなかったのである。"sinking fund"すなわち償却基金のための課税。「前述の決議に続いて、まもなく一つの法律--起草者はピット--が制定され、それは、満期になった年金を含めて基金が年額400万ポンド・スターリングに増大するまで、25万ポンド・スターリングの蓄積を規定した。」[176ページ](ジョージ三世治世第26年の法律第31号。)ピットは、償却基金に充てる金額の増額を提案した1792年の演説のなかで、イギリスの商業的優越の原因として機械や信用などをあげたが、なかでも「最も広範囲で最も永続的な原因」として「蓄積」をあげた。「この原理は、ただ、あの天才スミスの著作のなかで完全に展開され十分に説明されているにすぎない、等々……。このような資本蓄積は、少なくとも年間利潤の一部分を貯えて元本をふやし、この元本を次の年にも同じ仕方で利用し、こうして継続的な利潤をあげるようにすることによって、実現される。」[178/179ページ】ピットはプライスの複利〔compound interest〕計算を、A・スミスの蓄積論と同一視した。このことは重要である。|

  ①〔注解〕 ローダデイルの原文では次のようになっている。--「それは1786年に復活させられた。ただちに、100万ポンド・スターリングが公益のために起債され蓄積されることが満場一致の承諾でもって、下院で決議された。」
  ②〔注解〕ローダデイルの原文では次のようになっている。--「この決議に続いて、まもなく一つの法律が制定されたが、それは、満期になった年金を含めて基金が年額400万に増大するまで、25万ポンド・スターリングの蓄積を規定している(1)。この法案の起草者である大臣……」--脚注(1)でローダデイルは「ジョージ3世治世第26年に発布された法律第31号」をあげている。
  ④〔注解〕ローダデイルの原文では次のようになっている。--「要するにこの繁栄は……その性質上、もっと広がりもっと永続するものなのである。蓄積がわれわれに示しているのは、この不断の増大傾向である……この原理かどんなに単純で、どんなに明白であろうと、……現代の一著者は彼の諸国民の富に関する論考によって、あまりにも早く終わった彼の生涯を不滅にしたが、彼の著作以外の場所でこの原理がかつて完全に展開され十分に説明されていたかどうかははなはだ疑わしい。……この天才は……私が思うに、あらゆる問題の最善の解決を与えたのである。……このような資本蓄積は、少なくとも年間利潤の一部分を貯えて元本をふやすことによって行なわれるが、この元本は次の年にも同じ仕方で充用され、こうして継続的な利潤をあげなければならないのである。」ローダデイルの原文では179ページの「ピット氏の演説、政府の命によって刊行された印刷物。1792年」への注記。--また『蔵相ウィリアム・ピット閣下の演説……』、ロンドン、1792年、38/39ページを見よ。 〉 (草稿集⑧331-332頁)

  ここで今回のテキストと較べて気づくのは、テキストでは〈徴税〉となっているが、61-63草稿では〈起債〉となっていることである(MEGAの①〔注解〕で紹介されているローダデイルの原文では「起債」となっている)。この両者では、意味がまったく異なってくるのではないだろうか。因みに、大谷氏自身は〈徴税〉と訳した部分が、ローダデイルの著書や61-63草稿では〈起債〉となっていることについては何も言及してない。ということはこれは単に翻訳上のものと考えているのであろうか。不可解である。
  「徴税」と「起債」とでは意味が違ってくるように思う。「徴税」は文字通り課税であり、税を徴収することである。しかし「起債」というのは国や地方公共団体、株式会社などが債券を発行することであり、ここでは国債を発行することになる。
  しかしいずれにせよ、ピットの減債基金の内容がハッキリしないとなかなか分からない。だからわれわれは前回もお世話になった仙田佐千夫著『イギリス減債基金制度の研究』を参照することにしよう。
 ピットの減債基金の概要については、すでに前回も紹介したが、もう一度、その基本構造として仙田氏が語っているものを紹介しておこう。

 〈ピットによって設立された減債基金の基本構造は以下の通り。因に1786年現在の未償還公債残高は238,231248ポンド5シリング2ペンス。
  年々100万ポンドの資金を経常収入から捻出し,これを原資として償還を行う。この原資は「公債償還委員会」(The Committe for the Redemption of the National Debt)の手に委ねられる。この委員会は適切と判断した市場価格で公債元本を買戻す。買戻された公債は委員会の手元に保有される。廃棄されるのではない。これによって解放される利子は,都度,原資に加えられて複利での累積が期待される。死亡による終身年金公債や期限満了による有期年金公債の解放資金も原資に繰入れられる。
  以上の操作は,すべての公債の償還完了まで続ける必要はない。原資の累積上限を400万ポンドとし,ここまで継続すれば足りる。このシミュレーションにおいては,400万ポンドの水準は向こう28年以内に達成される。これ以降における解放利子や解放資金は,もはや原資に算入される必要はない。その処置は議会に一任し、一般財源として、随時、減税その他経費に充当するものとする。〉(103-104頁)

 つまりピットの計画では、年々100万ポンドを経常収支から繰り入れて基金の原資とし、それで既発行の国債をその市場価格で購入するわけである(市場価格だから額面をかなり下回る価格で購入でき、だから購入した国債の額は100万ポンドを上回る)。そしてこの償還した国債はそのまま公債償還委員会で保有し、その利子(解放利子)を次年度の基金の原資に追加するわけである。この解放利子は償還された国債の額だけ増加し、しかも前年の利子分も加算されて継続して年々基金の原資として累積することになる。これが複利による増殖のからくりのようである。年々繰り入れられるのは100万ポンドと定額であるが、解放利子が増殖していくわけである。
  だから最初の100万ポンドは現実には徴税によって賄われるわけだから、〈起債〉ではなく〈徴税〉の方が正確であろう。しかも年々償還された国債の利子もやはり税金によって支払われるのだから、その分だけ税の負担が強化されることになるわけである。要するに、減債基金の原資はすべて国民の税金から支払われ、ただそれがどんどん加速度的に強化されていくということでしかないのである。だから当然、こうした過重な負担に対する国民の不満をよび起こし、減債よりも減税を優先せよという声が高まってくることになる。ピットの計画は40年の歴史の課程で、さまざまな変容を経ていくが、最終的には頓挫せざるを得なかった所以であろう。
   ただマルクスが引用しているローダデイルの一文のなかにはよく分からないものがある。〈「前述の決議に続いて,まもなく一つの法律--起草者はピット--が制定されたが,それは,満期になった年金を含めて,基金が年額400万ポンド・スターリングに増大するまで,25万ポンド・スターリングを蓄積することを命じていた。〉というのであるが、1786年というのは、ピットの減債基金が設立された年でもある。また400万ポンドの「制限条項」というのは最初からピットのプランには含まれていたものである。ピットはプライスとプランについて書簡を交わし、プライスを招いてその意見も聴取している。プライスは三つの案を提示し、第一案を採用するように強く迫ったが、ピットはもっとも穏やかな第三案に近いものを採用したという。その案をプライスは入手して、書簡を送り、とくに〈草案に盛り込まれた「制限条項」に強く反対した。〉(仙田前掲書99頁)とされているからである。ここで〈満期になった年金を含めて〉というのは、すでに紹介したピットの減債基金の基本構造のなかにあるように、死亡による終身年金公債や有期年金公債の満期になったものも償還公債委員会が保有し、それらの利子も原資に加えられたとういうことである(しかしこれらの額はそれほど大きなものではなかったらしい)。だから年々増加する減債基金の原資というのは、100万ポンド+解放利子+終身年金公債と満期になった有期年金公債の利子という形で累積していくことになるのである。そしてそれが年額400万ポンドに達したなら、それ以降は解放利子など累増する利子分は原資に算入される必要はないことになる。しかしローダデイルの一文にある〈基金が年額400万ポンド・スターリングに増大するまで,25万ポンド・スターリングを蓄積することを命じていた〉というのはよく分からないのである。仙田氏の著書を見ても、毎年25万ポンド・スターリングを蓄積するという文言は見当たらない。そもそもピットの減債基金は、毎年100万ポンドずつ原資として経常収支から繰り込むことになっており、あとは累増する解放利子やその他の利子分が年々その上に積み重なっていくという仕組みだから、25万ポンド・スターリングがどこから出てきたのはよく分からない数字なのである。
  またマルクスが『資本論』の草稿として書き足している部分、〈ピットは,ドクター・プライスの仲介によって,スミスの蓄積理論を負債の蓄積による人民の致富に転化させ,借金,借金を払うための借金,等々という,楽しい無限進行に到達するのである〉と述べていることもいま一つ分かったとは言い難い。この部分は61-63草稿では〈ピットはプライスの複利〔compound interest〕計算を、A・スミスの蓄積論と同一視した。このことは重要である〉となっている。こっちの方がまだ分かりやすいくすんなり理解できる。しかし『資本論』の草稿の文章は分かりにくい。ピットは、プライスにもとづいて、スミスの蓄積論を〈負債の蓄積による人民の致富に転化させ〉るというのであるが、これは何を意味するのであろうか。確かにプライスの主張には、国債の償還と同時並行して、新規の国債の発行を促し、しかもその新たに発行する国債の利子は高ければ高いほどよい(というのはそうすればそれを償還したときの解放利子が大きいから)などという馬鹿げたものもある。これなどは確かに負債(国債)の蓄積を人民の致富に転化させると言ってもいいのかも知れない。〈借金,借金を払うための借金,等々という,楽しい無限進行に到達する〉というのも、国債の償還をするために、新たな国債を発行し、しかも高利の国債の発行の方が償還力を増すなどというプライスの主張は、基金の原資の累増だけに関心を寄せ、国民の負担は一顧だにしない独りよがりな〈楽しい無限進行〉と言ってもよいのかも知れない。
  因みに、ピットの減債基金制度について、マルクスはプライスの幻想に乗っかったもので、そのためにイギリスの公債制度はむちゃくちゃになってしまったかに述べていたが(ニューヨーク・デイリー・トリュビューンの記事)、次のように述べている論文もある。

  〈ピットの減債基金では、毎年100万ポンド(のちに段階的に500万ポンドまで増額)の定額が基金に繰り入れられ、特別に任命された国債委員によって基金を原資として既存の国債の購入・償還が実行された。また、1792年からは国債発行額の1%相当が減債基金に繰り入れられることとなった。この基金は1787年から1829年7月5日まで運用され、1798年からはアイルランド名義の債務削減にも適用されている。償還された債務総額は、グレイト・ブリテンの債務が4億6812万ポンド、アイルランドの債務が1418万ポンドにのぼった。〉(坂本優一郎「イギリス国債と「投資会社」,1818~1890年」大阪経大論集第61巻第2号186頁)

  この論文はやや不正確である。〈毎年100万ポンド(のちに段階的に500万ポンドまで増額)の定額が基金に繰り入れられ〉とあるが、これだと毎年100万ポンドの定額が基金に繰り入れられたものが、段階的に500万ポンドまで増額したかに読めるが、そうではなく、毎年100万ポンドの繰り入れは定額であり、それは変わらないのである。ただそこに解放利子などが累増されることによって減債基金の原資そのものが増額されることなるが、しかしそれは500万ポンドまでという制限がつけられていたということなのである。また「1%減債基金」については、それは当初は別個のものとして設立され、後に統一されている。この1%減債基金は最初の100万ポンド定額減債基金とはくらべものにならないほど、基金の膨張をもたらしている。〈1%減債基金は急速に肥大化し,累積しつずけて,償還原資の主要かつ最大の構成要因に成長する。初年度の1793年に62,500ポンドであったものが,翌1794年度には219,265ポンドに,翌々1795年には475,364ポンドに倍増している。1797年にははやくも1,559,275ポンドの巨額に達している。この時点ですでに国庫繰入金を凌駕し,償還原資の中核に位置することになる。その後も増加のテンポは速く,1801年には2,308,429ポンドと200万ポンドの水準を超える。〉(仙田前掲書118頁)と指摘されている。
  いずれにせよ、この論文には下図のような「ピットの減債基金での償還国債」と題するグラフがついており、国債の償還額が時系列(1787~1827年)で整理されて示されている。そしてこの限りではかなりの国債の償還がなされたことを示しているのである。
18181890 

                                                            (図を見るためには図をクリックしてください。)

  考えるに、ピットの減債基金のからくりは、毎年経常収支の余剰金100万ポンドを定額繰り入れし(しかし毎年それだけ余剰金が生じる何の保証もないが、その場合は不足分を追加課税で徴収するしかない)、その100万ポンドで償還した国債の解放利子を次の年の基金の原資100万ポンドに追加していくということにある。つまり国債の償還といっても、結局、償還された国債は廃棄されるのではなくて、公債償還委員会に保有され続け、だからその利子は同委員会に支払われ続けることになるわけである。だから解放利子なるものは償還された国債が増えれば増えるほど毎年積み増されていくことになる。そして解放利子が増えれば償還のための原資が増え、原資が増えれば毎年償還される国債の額も増え、償還国債の額が増えれば、それだけ解放利子も増え、そうすると原資が増え、償還国債も増え、さらに解放利子もふえて原資も増え、償還国債も増える、等々、ということらしい。これがプライスとピットの「複利」なるもののからくりなのである。
  しかし考えてみると、毎年100万ポンドの定額繰り入れということそのものが大変なものである。1786年に減債基金を設立する時点で、ピットは財政状況の点検を指示しているが、〈このとき下院財務委員会は,同年における収入総額は15,397,471ポンドであり支出総額は14,478,181ポンドであるから,差額余剰は約90万ポンドであること,そして,以降もこの収支状況は継続する見込みである旨の報告を行った〉らしい。〈これを受けてピットは100万ポンドに不足する10万ポンド相当を,スピリット,羊毛,香料,ヘア・パウダーにたいする追加課税によって調達することとした〉ということである(仙田前掲書125頁)。しかし収入の超過額がさらに下回れば、国民に対する税負担はさらに増えるであろう。そもそも国債の償還が必要なのは、その年々の利払いが負担だからであろう。ところが減債基金によって償還された国債は廃棄されずに、そのまま公債償還委員会に保有され、利子は同委員会に支払われ続けることが想定されている。つまり利払いの負担は何も変わらないのである。そればかりか終身年金公債(コンソル公債のような)や有期年金公債も、その保有者が死んたり満期が来ても、それらも公債償還委員会の保有に移され、その利払い(つまり年金支払)が維持されることになっている(この額は現実にはそれほどのものではなかったらしいが)。つまり毎年の定額繰り入れ額(100万ポンド)に加えて、どんどん積み重なっていく利子(解放とは名ばかりで一つも解放されていないのだが)の負担もどんどん国民の肩にのしかかってくることになるのである(ピットの減債基金は後にさまざまな変容を受けるが、1823年の改革でようやく公債償還委員会の保有する公債は廃棄することが決定されている)。確かに発行された国債をその額面の6~7割の市場価格で買い取って償還するなら、その限りでは減債の効果があったといえるが、しかし複利による減債基金の原資の増加というのは、結局は、それだけ国民の税負担を複利で増やしていくということでしかなく、ピットの計画が最終的には国民から拒否されたのは当然といえるのである。プライスのプランに至っては、こうした国民の税負担などまったく視野に入っていないために、ただひとえに解放利子の増加をはかるために、低利の国債を高利の国債に借り換えすべきだなどというまったく真逆の主張(仙田氏は「奇策」と称しているが)までしている始末なのである。】


【20】

 /314下/〔原注〕e)ローダデイル(フランス語訳),175ページ。〔原注e)終わり〕

  ①〔注解〕[ジェイムズ・メイトランド・]ローダデイル『公の富の性質と起源……に関する研究』,パリ,1808年。〉 (350頁)

 【これは先のパラグラフの引用文の典拠を示すだけで特に問題はないであろう。61-63草稿では本文のなかに(  )に入れられる形で示されていた。それをマルクスは『資本論』の草稿として書き直すときに原注にしたようである。】


【21】

 /315上/179) われわれはすでに180)現代の銀行業の父ジョサイア・チャイルドの言葉のうちに次のことを見いだす。「100ポンド・スターリングは複利で増やせば,70年で102,400ポンド・スターリングを生むであろう。」181)a)/

  ① 〔注解〕チャイルドでは次のようになっている。--「100リーヴルは10%では……利子を加算すれば……70年で102,400リーヴルを生むであろう。」/

  179)『1861-1863年草稿』では,この前に,次のパラグラフがあとから書き加えられている。--「ちなみに,ロンドンの銀行業の祖〔Urvater des Londoner Banquierthums〕チャイルドは高利貸の「独占」の敵対者であったが,それはモーゼス・アンド・サンがその報告書のなかで,自分たちは小裁縫業者たちの「独占価格」の反対者だ,と宣言しているのとまったく同じ意味においてであった。」
  180)「現代の銀行業の父〔Vater d.modernen Bankierthums〕」--『1861-1863年草稿』では,「ロンドンの銀行業の父〔Vater des Londoner Banquierthums〕」となっている。
  181)『1861-1863年草稿』では,この引用のあとに次の記述がある。--「蓄積の最初の理解は貨幣蓄蔵のそれであって,ちょうど資本の最初の理解が商業資本としてのそれであるのと同様である。第2の理解は複利のそれであって,利子生み資本または利子生み貨幣の貸付が資本の第2の歴史的形態であるのと同様である。経済学がときどき当惑するのは,資本の蓄積にとっての複利の場合がそうであるように,資本主義的生産に特有な諸関係の洪水前期的な諸表現が資本主義的生産に特有な諸関係の諸表現としてふたたび通用する場合である。」
  なお,三宅義夫氏は,マルクスがここで,ジョサイア・チャイルドを「ロンドンの銀行業の祖」または「ロンドンの銀行業の父」および「現代の銀行業の父」と呼んでいることについて,マルクスはジョサイア・チャイルドをフランシス・チャイルドと「とりちがえたものと考えられる」とされている(『マルクス信用論体系』,日本評論社,1970年,124-125ページ)。 〉
(350-351頁)

 〈われわれはすでに現代の銀行業の父、ジョサイア・チャイルドの言葉のうちに次のことを見いだします。「100ポンド・スターリングは複利で増やせば,70年で102,400ポンド・スターリングを生むであろう。」〉

 【これ自体は、プライスの思いつきは彼の“発案”というようなものではなく、すでに100年ほど前に複利の効能を論じていた先行者がいるのだ、ということを示すものであり、それ以上のものではない。
  訳者注179)~181)で紹介されているように、後から挿入された段落も含め、61-63草稿から当該部分を紹介しておこう(【  】内が今回引用されている部分)。

  〈ところで、ロンドンの銀行業の祖チャイルドは高利貸の「独占」にたいする敵対者だったが、それは、モウジズ・アンド・サンがその報告書のなかで小裁縫業者たちの「独占価格」にたいする反対者だと宣言しているのとまったく同じ意味においてであった。
  【われわれはすでにジョサイアス・チャイルド(ロンドンの銀行業の父)(ジョサイアス・チャイルド著『商業に関する論考および金利引き下げから生ずる利益に関する論考』(1669年執筆)、英語からの仏訳。アムステルダムおよびベルリン。1754年)が、「1000ポンドは10%の複利で加算するならば、70年で10万240Oポンド・スターリングを生むであろう」(115ページ〔『初期イギリス経済学古典選集』3、杉山忠平訳『新交易論』、282ページ〕)と言っているのを見いだす。】最初の蓄積の理解は貨幣蓄蔵のそれであって、ちょうど最初の資本の理解が商業資本としてのそれであるのと同様である。第二の理解は複利のそれであって、利子生み資本または利子つきでの貨幣の貸付が資本の第二の歴史的形態であるのと同様である。経済学がときどき当惑するのは、資本の蓄積にとって複利の場合がそうであるように、資本主義的生産に独自な諸関係の大洪水以前的な諸表現が資本主義的生産に独自な諸関係の諸表現として再び通用する場合である。〉
  (草稿集⑧332-333頁)

 ここではテキストに採用された以外の部分で、述べられていることが興味深い。つまり蓄積ということで最初に理解されたのは、貨幣蓄蔵のことであった、そしてその次が複利だというのである。だからプライスの知恵は、何か目新しいものではなく、むしろ蓄積の古い考え方でしかないのである。ただそれが資本主義的生産の独自な諸関係の諸表現として、つまり利子という資本の物象化のもっとも極端な到達の産物として現われていることに、彼の新しさがあるのだということであろうか。

  とこで大谷氏が訳注181)で言及している三宅義夫氏の指摘であるが、これ自体はある意味ではどうでもよいようなものであるが、一応、三宅氏の指摘を紹介しておこう。三宅氏は〈手形交換所(Clearing-House)がMartin商会の店に設けられたのも1773年ごろと見られている。〉という一文につけられた注(26)のなかで、次のように述べている(ただし英文は和訳し、概要だけを示す)。

  〈なおこのフランシス・チャイルド(1642-1713)は、本来のゴールドスミス業務との兼業をやめて銀行業を専業とした最初の業者であり、「銀行業の父」と呼ばれている。後年の諸書で括弧付けをして「銀行業の父」としているところをみると、チャイルドをこう呼ぶことが普通となっているらしい。ところで、マルクスは、ジョサイア・チャイルドにたいして「近代的銀行業の父」と呼んでいる。ジョサイア・チャイルドは利子引き下げを主張し、その点では近代的信用制度の樹立に貢献したとはいえ、これは恐らくフランシス・チャイルドととりちがえたものと考えられる。(以下略)〉(『マルクス信用論体系』124頁)】


【22】

 |315下|〔原注〕a)商業に関する論考および金利引下げから生じる利益に関する論考,Jos.チャイルド著……訳』,アムステルダムおよびベルリン,1754年。(1669年執筆。)(115ページ以下〔杉山忠平訳『新交易論』,『初期イギリス経済学古典選集』3,東京大学出版会,1967年,78ページ以下〕。)〔原注a)終わり〕/

  ①〔注解〕ジョサイア・チャイルドが1669年に執筆したこの労作は,20年後に,『交易,とくに東インドとの交易に関する一論』という書名の匿名書として刊行された。〉(351頁)

 【これはテキストでは原注になっているが、61-63草稿では本文に括弧つきで書かれていたものである(それは先のパラグラフのなかで紹介した) 。これは確認できなかったが、今回の原注のなかでは和訳本の頁数が「78ページ以下」となっているのが、61-63草稿では「282ページ」となっている。果たしてどちらが正しいのであろうか。】

  (以下、続く)

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