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2019年7月25日 (木)

第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-3)

第3部第5篇第22章「 利潤の分割  利子率  利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(続き)

 

  前回の続き第【23】パラグラフからである。


【23】

 〈/297上/利子率が利潤率の変動〔Variations〕にはかかわりなしに低落するという傾向。--〉 (229頁)

 〈利子率が利潤率の変動にはかかわりなしに低落するという傾向について見ていこう。〉

 【ここからまた話は変わっている。【15】パラグラフで産業循環の回転に応じて利子はどのように変化するかが論じられていたが、ここからは利子率は利潤率の変動とはかかわりなしに低落する傾向があるという指摘から始まっている。そして次のパラグラフからは「1)」と番号を打ってラムジからの抜粋を行っている。】


【24】

 1)「生産的投下のためよりほかには資本が借り入れられることはけっしてないとさえ想定しても,なお,総利潤の率にはなんの変動もないのに利子が変動するということもありうる。②というのは,一国民がますます富を発展させるのにつれて,自分たちの父祖の労働によってファンドを与えられてただその利子だけで生活ができるような人びとの一階級が発生し,しかもますますそれが大きくなるならである。また,青年期や壮年期には積極的に事業に参加しても,隠退してからは,蓄積した金額の利子で静かに晩年を送ろうとする人びとも多い。これら二つの部類の人々は,国富の増大につれてふえていく傾向がある。なぜならば,はじめから相当な資本で始める人びとは,わずかな資本で始める人びとよりもいっそうたやすく独立の財産をつくりあげることができるからである。それゆえ,古くて[435]豊かな国ぐにでは,新しくできた貧しい国ぐにでよりも,国民資本のうち自分で充用しようとしない人びとに属する部分が,社会の総生産的資本にたいしてより大きい割合をなしているのである。イギリスでは金利生活者〔rentiers〕の階級の人数がなんと多いではないか! 金利生活者rentiers〕の階級が大きくなるのにつれて,資本の貸し手の階級も大きくなる。というのは,この二つの階級は同じものだからである。この原因からだけでも,利子は古い国ぐにでは下落する傾向をもたなければならないであろう。」d)/

  ①〔注解〕この引用は,ラムジでは次のようになっている。--「しかし,資本は生産的充用以外の目的ではけっして借りられたことがない,と想定すべきだとした場合でさえも,総利潤の率にはなんの変動もないのに利子が変動しうるということは大いにありうることだ,と私は思う。なぜなら,一国の富の発展が進むにつれて,自分たちの先祖の労働によってただその利子だけで相当な暮らしを余裕をもってやっていけるようなファンドをあり余るほど十分に所有する人びとの一階級が発生して,ますます増大していくからである。また,若年および壮年期には事業で活発に働いて,引退してからは,自分自身が蓄積した金額の利子によって晩年を静かに送るという人びとも,たくさんいる。この階級も前のほうの階級も,その国の富が増大するにつれて増大する傾向がある。なぜなら,かなりの資材で仕事を始める人びとは,わずかばかりのもので始める人びとよりも早く,独立しやすいからである。それゆえ,古くて富んでいる国ぐにでは,新たに植民されたより貧しい諸地域に比べて,全国の資本のうちそれを自分で充用する労を取ろうとしない人びとに属する額が,社会の全生産資材にたいしてより大きい割合を占めるのである。イギリスでは,ほとんどだれもがなにかの仕事に携わっているアメリカでよりも,フランス人の言う金利生活者rentiers〕の階級は人口中に占めるその人数の割合がなんと大きいことか! 金利生活者rentiers〕の階級が大きくなるにつれて,資本の貸し手の階級も大きくなる。なぜなら,それらは一つで同じものだからである。したがって,このような原因から,利子は,古い国ぐにでは低落するという傾向をもたざるをえないのである。……」--この引用は,カール・マルクス『経済学批判(1861-1863年草稿)』(MEGAII/3.6,S.1797.24-41)から取られている。
  ②〔異文〕「ある国では,また……のあ[いだ]では〔zw[ischen]〕」という書きかけが消されている。〉 (230-231頁)

 【このパラグラフは本文であるが、「1)」という項目以外すべて抜粋なので、平易な書き下しは省略する。この「1)」は、【26】パラグラフの「2)」、および【33】パラグラフの「3)」に対応している。そしてそれらを踏まえて【35】パラグラフ以下の展開があるように思えるが、しかしそれは実際に検討してみてまた判断することにしよう。
  ここでは利潤率がそれほど変わらなくても利子率は低下する傾向があることの理由として、ラムジは次のような理由を挙げている。
  (1)自分たちの祖先の築いた財産をもとにその利子だけで生活できるような一階級が発生し、ますます増大するから。
  (2)若いときは事業で一財産を築き、年取ってからはその財産の利子だけで生活する人々が多くなるから。
  (3)この二つの部類の人々は、国富の増大につれて増えていく傾向がある。
  (4)よって古くて豊かな国では、新しくできた貧しい国でよりも、金利生活者の階級が多くなる。
  (5)こうした金利生活者が多いということは、資本の貸し手の階級も多いということである。
  (6)こうしたことから古い国々では利子は下落する傾向がある。
  まあざっとこうしたことが述べられているのであるが、これをマルクスは肯定的に引用していることは明らかである。少なくとも利子が利潤率にかかわりなしに低落する傾向がある理由の一つと考えているわけである。】


【25】

 〈/297下/〔原注〕d)ラムジ,同前〔『富の分配に関する一論』,エディンバラ,1836年〕,201ページ以下。〔原注d)終わり〕/〉 (231頁)

 【これは先の本文として抜粋したものの典拠を示すだけなので、平易な書き下しは不要であろう。MEGAの注解ではこのラムジからの抜粋は61-63草稿から取ってきているということなので、その原文を見ておくことにしよう。かなり長くなるが、前後も含めて抜粋しておこう。マルクスがラムジをどの程度評価しているかが分かる(但しMEGAによる注解ではラムジの著書ではこうなっていると原文が示されているが、それは省略する)。

  一般利潤率の低下に関しては、ラムジは、リカードウと同様に、A・スミスに反論している。
  彼はA・スミスに反対して次のように言っている。「資本家的企業者たちの競争は、確かに、特に水準よりも高くなっている利潤を平準化することができるであろう。{この平準化は、一般的利潤率の形成を説明するには、けっして十分ではない。}しかし、この通常の水準そのものが引き下げられるということは、まちがいである。」(179/180ページ。)「原料であろうと製品であろうと、どの商品でも、その価格が生産者間の競争のために下がるということはありうるとしても、このことが利潤に影響することはけっしてありえないであろう。どの資本家的企業者も自分の生産物をより少ない貨幣と引き換えに売るであろうが、他方、それに応じて、彼が費用を支出するどの物品も、それが固定資本に属しようと流動資本に属しようと、彼にとってはより少ない額の費用で足りるであろう。」(180/181ページ) 同様にマルサスに反対して。「利潤が消費者によって支払われるという考えは、確かに非常にばかげている。消費者とはだれなのか? それは地主か、資本家か、雇い主か、労働者か、そのほか給料などを受け取る人々かでなければならない。」(183ページ)「総利潤の一般的な率に影響することができる唯一の競争は、資本家的企業者と労働者とのあいだの競争である。」(206ページ) このすぐ前の文章のなかではリカードウの命題が正しいものに還元されている。利潤率は資本と労働との競争によることなく低下することもありうるが、しかし、利潤率がそのために下がるというととがありうる唯一の競争は、この競争である。だが、ラムジ自身も、なぜ一般的利潤率は低下への傾向をもつのかという理由は、なにも示してはくれない。彼が言っている唯一のこと--そして正しいこと--は、利子率は一国における総利潤の率にはまったくかかわりなしに、しかも次のようにして、下がることがありうる、ということである。「われわれ自身が、資本は生産的充用以外の目的では借り入れられたことがない、と想定しても、それでもなお、総利潤の率にはなんの変動もないのに利子が変動するということは可能である。なぜならば、一国の富の発展が進むにつれて、自分たちの先祖の労働{搾取、盗奪}によってただその利子だけで暮らしてゆけるような財産を所有する人々の一階級が発生して、ますます増大してゆくからである。また、若年および壮年期には積極的に事業で働いて、引退してからは、自分自身が蓄積した金額の利子によって晩年を静かに送るという人々も、たくさんある。この二つの階級は、その国の富が増大するにつれて増大する傾向がある。なぜならば、かなりの資財で仕事を始める人々は、わずかばかりのもので始める人々よりも早く、独立しやすいからである。それゆえ、古くて富んでいる国々では、新たに植民された貧しい国々に比べて、全国の資本のうちそれを自分で充用しようとしない人々に属する額が、社会の全生産資財にたいしてより大きい割合を占めるのである。イギリスでは金利生活者の階級がなんと大人数であることか! 金利生活者の階級が大きくなるにつれて、資本を貸す人々の階級も大きくなる。なぜならば、それらは一つで同じものだからである。このような原因だけからも、利子は、古い国々では低落するという傾向をもたざるをえないであろう。」(201ページ以下。)〉 (草稿集⑧427-428頁)

  このようにマルクスはラムジからの抜粋について〈彼が言っている唯一のこと--そして正しいこと--は、利子率は一国における総利潤の率にはまったくかかわりなしに、しかも次のようにして、下がることがありうる、ということである〉と述べていることから明らかなように、ラムジのこうした理由の説明は正しいと判断しているわけである。】


【26】

 〈/297上/2)信用システムの発展,また,それだから社会のあらゆる階級のあらゆる貨幣貯蓄〔money savings〕を産業家や商業家が(銀行業者〔bankers〕の媒介によって)ますます多く利用できるようになるということ,また,この貯蓄〔savings〕の集積が進んで,それが貨幣資本として働くことができるような量になるということによって。(あとを見よ。) 〉 (231頁)

 〈利子率が利潤率の変動とは関わりなしに低下する傾向がある理由として考えられる第二のものとしては、2)信用システムの発展です。また、それにもとづいて社会のあらゆる階級のあらゆる貨幣貯蓄を産業家や商業家が銀行業者の媒介によってますます多く利用できるようになるということです。またそうした貯蓄の集積が進んで、それが貨幣資本として働くことができるような量になるということによってです。(この問題についてはあとで見ます。)〉

 【ここではもう一つの理由として、信用システムの発展があげられている。そうなると社会のあらゆる階級のあらゆの貨幣貯蓄が銀行を介して、産業家や商業家によってますます利用できるようになるというわけである。またそうした個別的にはわずかな貨幣貯蓄でも銀行によって集積されることによって、貨幣資本として前貸しできる量に達することができるようになる、こうしたことから余すことなく社会の貨幣貯蓄は貨幣資本として動員されるようになるというわけである。だから利子率はそうした理由からも低下する傾向があるわけである。】


【27】

 ラムジは利子率純利潤の率と呼んでいるのであるが,この利子率の規定について,彼は次のように言っている。利子率は,「一部は総利潤の率によって定まり,また一部は総利潤が利子と企業利潤〔profit of enterprise〕とに分割される割合によって定まる。この割合は資本の貸し手と借り手とのあいだの競争によって定まる。この競争は,実現されると期待される総利潤の率によって影響されるが,ただそれだけによって規制されるわけではない。e)競争はただこの原因だけによって規制されるのではないというのは,一方では,生産的な投資をする意図はなにもないのに借りる人も多いからであり,他方では,貸付可能な国民的資本の全体の大きさは,総利潤のなんらかの変動にかかわりなく,その国の富の変動につれて変動するからである。」f)/

  ①〔注解〕この引用は,ラムジでは次のようになっている。「これらのものの率は,一部には総利潤の率により(というのは,全体が増大するか減少するときには,全体の各部分も同じく増大するか減少するのだからである),一部には総利潤が資本の利潤と企業の利潤とに〔into profits of capital and those of enterprise〕分かれる割合によって定まる。この割合は,これはまたこれで,資本の貸し手と提供すべき優良な担保をもつすべての借り手とのあいだの競争によって定まる。この競争は,実現が期待される総利潤の率によって,完全に調整されるのではないにしても,影響を受ける。そして,競争がこの原因だけによって調整されるのではないというわけは,一方では,どんな生産的に充用する目的もなしに借りる人びとがたくさんいるからであり,他方では,国内の貸付可能な全資本〔the whole national capital to be lent〕の割合は,総利潤のどんな変動にもかかわりなく,その国の富とともに変動するからである。」--この引用は,カール・マルクス『経済学批判(1861-1863年草稿)』(MEGAII/3.5,S.1798.1-10)から取られている。〉 (231-232頁)

 〈ラムジは利子率を純利潤の率と呼んでいますが、この利子率の規定について、次のように言っています。利子率は、「一部は総利潤の率によって定まり,また一部は総利潤が利子と企業利潤〔profit of enterprise〕とに分割される割合によって定まる。この割合は資本の貸し手と借り手とのあいだの競争によって定まる。この競争は,実現されると期待される総利潤の率によって影響されるが,ただそれだけによって規制されるわけではない。競争はただこの原因だけによって規制されるのではないというのは,一方では,生産的な投資をする意図はなにもないのに借りる人も多いからであり,他方では,貸付可能な国民的資本の全体の大きさは,総利潤のなんらかの変動にかかわりなく,その国の富の変動につれて変動するからである。」〉

 【このパラグラフはほぼラムジからの引用であるが、最初はマルクス自身の文章なので、一応、平易な書き下しをしておいた。
  このパラグラフは、ラムジが利子率について正確な理解を持っていたことを紹介しているように思える。彼はまず利子率は総利潤率によって規制されることをはっきりととらえている。〈というのは,全体が増大するか減少するときには,全体の各部分も同じく増大するか減少するのだからである〉とその規制の内容も明確に理解していることを示している。そしてさらに利子率は〈総利潤が利子と企業利潤〔profit of enterprise〕とに分割される割合によって定まる〉こと、そしてこの割合は〈資本の貸し手と借り手とのあいだの競争によって定まる〉とも明確にのべている。さらにこうした貸し手と借り手とのあいだの競争は総利潤の率によって影響はされるが、それだけによって規制されるわけではないとして、生産的に投資する意図はなにもないのに借りる人も多いからであり、貸付可能な国民的資本全体の大きさも、総利潤の変動とはかかわりなく変動するからだとしている。
  このパラグラフそのものは必ずしもその前の【26】パラグラフに関連して述べられているとはいえないように思える。】


【28】

 /297下/〔原注〕e)利子率は全体としては平均利潤率によって規定されているのではあるが,異常なブームが低い利子率と結びついていることも非常にしばしばありうる。たとえば鉄道ブーム。利子率(バンク・レート)は,1844年10月16日に,やっと3%に引き上げられた。〔原注e)終わり〕/

  ①〔異文〕「利子率」← 「利子」〉 (232-233頁)

 〈利子率は全体としては平均利潤率によって規定されていますが、異常なブームが低い利子率と結びついていることも非常にしばしばありえます。たとえば鉄道ブーム。この場合は、利子率(バンク・レート)は、1844年10月16日に、やっと3%に引き上げられたのでした。〉

 【この原注は、ラムジの引用文のなかの〈資本の貸し手と借り手とのあいだの競争〉は〈実現されると期待される総利潤の率によって影響されるが,ただそれだけによって規制されるわけではない〉という部分につけられた原注である。つまり総利潤の率に影響されるが、それだけによって規制されるわけではない一つの実例として、マルクスは鉄道ブームを挙げているわけである。鉄道ブームは低い利子率と結びついて生じたとマルクスは指摘している。低い利子率は鉄道株の高騰を招き、その高騰を目当てに投機が盛んに行われてブームとなったわけである。
  ここで鉄道ブームについて詳述する必要は必ずしもないが、『恐慌史研究』(鈴木鴻一郎編、日本評論社1973.7.25)に詳しい説明があるので、少しだけ引用しておこう。

  〈すでに(18)45年の1月初から、既存路線の株式ばかりでなく新たに設立された暫定登録会社の仮株券が圧倒的な人気を博し始めていたが、2月頃までの状況は、前年以来の鉄道熱の継続とみうる性格のものだったことが知られている。鉄道株市場が急速に投機的な色彩を強めたのは三月以降のことであって「小金を貯めた年配の男女、あらゆる種類のトレード・メン、年金生活者、専門的職業人、貿易商、地方の田紳達」あるいは「召使、下僕、執事から有爵の老嬢や教会の高僧までのすべての階層とすべての職業」にわたる多数の投資家達が、たんなる高配当の期待だけでなく、株式の転売による利得の可能性をめざして、市場に殺到し始めたのである。『エコノミスト』がいち早く注目しているように、じゅうらい証券投資の慣行をまったく持たなかったこれら中小の投資家が大量に登場し始めた点は、その資金調達源としての規模を別とすれば、イギリス資本市場にとって画期的な新事態をなすものだったといわなければならない。以前には1〜2日ですんでいた定期取引の決済に1週間を要するほどの、取引所内部における大膨張が見られたばかりでなく、取引所外部のコーヒー店その他で多数の非加盟ブローカーを交えた売買契約がとり行なわれることとなったのであって、シティにおける熱狂の異常な様相にかんする記述については、枚挙にいとまがない。しかも雑多な投資家が全国各地に登場したことから容易に推測されるように、ロンドン以外の地方証券取引所がこのブームを契機にして急激な勃興を見て、「1万ないし2万以上の人口を有するほとんどすべての町に株式ブローカーの常設機関が出現した」といわれるほどとなったのである。なかでもリヴァプール・マンチェスター・リーズ・ブリストル、さらにはグラスゴー・エディンバラ・ダブリン等の取引所における鉄道株式投資は、ロンドンにまさるともおとらぬ規模をもっていたことが確認されている。〉(185頁)
  (ここで「仮株券」というのは、鉄道建設の計画段階のもので、将来株式の払い込みを約定する手続きをしただけで発行されるもので、後に計画が法的認可を受けたあと、本株券への転換を約束したものである。しかしにも関わらず、計画がまだ政府の認可を受けられるかどうかも分からない段階で、これにプレミアがついて売買されたのである。--引用者)

  ただマルクスは〈利子率(バンク・レート)は,1844年10月16日に,やっと3%に引き上げられた〉と述べているが、上記の著書に掲載されている統計表(290頁)によるとバンクレートは1841年5月から1842年2月までは5%、同5月から1844年8月までは4%、同11月から1845年11月まで2.5%となっている。】


【29】

 /297下/〔原注〕f)ラムジ,同前(206,207ページ。)〔原注f)終わり〕/

  ①〔注解〕ジョージ・ラムジ『富の分配に関する一論』,エディンバラ,ロンドン,1836年。〉 (233頁)

 【これも【27】パラグラフにおけるラムジからの引用の典拠を示すだけなので、平易な書き下しは省略した。【27】パラグラフの注解によれば、この部分も61-63草稿から採られているということである。実は、これは先に紹介したものの続きの部分である。だから、それも見ておくことにしよう(但し、今回も、ラムジの原文などMEGAや訳者によって付けられている注の類は煩雑になり、あまりにも引用が長くなりすぎるので、省略する)。

  純利潤(利子)の率については、R 〔ラムジ〕は次のように言っている、この率は、「一部には総利潤の率により、また一部には総利潤が利子と産業利潤とに分かれる割合によって定まる。この割合は、資本の貸し手と借り手との競争によって定まる。この競争は、実現が期待される総利潤の率によって影響されはするが、これによって完全に調整されるわけではない。そして、競争がただこの原因だけによって調整されるのではないというわけは、一方では、なんら生産的に充用する目的なしに借りる人々がたくさんいるからであり、他方では、国内の貸付可能な全資本の割合は総利潤のなんらかの変動にかかわりなくその国の富とともに変動するからである。」(206、207ページ)企業の利潤は資本の純利潤によって定まるのであって、後者が前者によって定まるのではない。」(204ページ〉 (草稿集⑧429頁)

  この最後の部分で、ラムジが言っていることも注目に値する。つまり企業の利潤は利子によって定まるのであって、後者が前者によって定まるのではないというのである。企業にとっては利子は所与であって、総利潤から利子が控除されたものが、企業の利潤をなすという関係もラムジによって正確にとらえられていることが分かる。】

 (続く)

 

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