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2019年4月 8日 (月)

第3部第4篇第19章「貨幣取扱資本」の草稿の段落ごとの解読(19-4)

『資本論』第3部第4篇第19章「貨幣取扱資本」の草稿の段落ごとの解読(続き)

 

 第19章「貨幣取扱資本」の段落ごとの解読の続きである。

 

【14】

 〈①世界貨幣としては,国内貨幣はその局地的な性格を脱ぎ捨てて,その金銀純分に還元される{同時に,ある国内貨幣が他の国内貨幣で表現される}が,他方,同時にこの金および銀の純分は,どちらも世界貨幣として流通する二つの商品として,絶えず変動するそれらの価値比率に還元されなければならない。この媒介を貨幣取扱業者は自分の特殊的営業にする。

 ①〔注解〕このパラグラフは,カール・マルクス『経済学批判(1861-1863年草稿)』,MEGAII/3.5の1578ページ15-21行から,変更を加えて取られている。〉 (323頁)

 〈世界貨幣としては,国内貨幣はその局地的な性格を脱ぎ捨てて,その金銀純分に還元されます。(あるいは,ある国内貨幣が他の国内貨幣と交換されます。)しかし,この金および銀の純分は,どちらも世界貨幣として流通する二つの商品として,絶えず変動しますので、それらの価値比率に互いに還元されなければなりません。この媒介を貨幣取扱業者は自分の特殊的営業にするのです。〉

 【世界貨幣としては歴史的には金と銀とが両方、ある場合は地域を異にして、流通していた。(日本でも江戸時代には「三貨制度」といって、金、銀、銅がそれぞれ独立した貨幣として流通域をやや異にしながら、貨幣として流通していたという。だから銀貨や銅貨は金貨の補助貨幣という位置づけではなかったという。)だから当然、金と銀との価値の変動に応じた、両方の両替が必要となり、その媒介を貨幣取扱業が自分の特殊営業とするようになったということである。(江戸時代の金貨である小判は、その鋳造貨幣のままに流通したが、銀は秤量貨幣としてその都度秤量されたという。銅銭の場合はその質は問われず、ただ一文銭は一文として流通したという。だから実際上は銅銭は金貨幣か銀貨幣の補助貨幣化していたといえるのかも知れない。)
  この部分はMEGAの注解によれば、61-63草稿から変更を加えてとられているというので、その草稿を見ておくことにしよう。ただ草稿のこの部分はその前後も含めてこれまでの本文を考える上で参考になりそうなので、注解の指示する部分を【 】で囲み、注解の指示する部分以外も含めて抜粋しておこう。(但し注意が必要なのは、61-63草稿ではいまだ貨幣取扱資本をそれ自体として利子生み資本と区別されたものとしては論じてはおらず、両者が渾然一体となっているということである。)

  〈対外市場での支払または購買が特殊な操作を必要にし、差額または購買手段としての貨幣を急送する特殊な形態を必要なものとして創造する(為替相場などを)かぎりでは、これは、再ぴ、貨幣取引業の特別な機能を形成する。
  同じく貨幣が諸商品と交換に生産源から復帰することも、別の操作や機能として独立化されうる。(地金取引業など。)これは、またしても貨幣取引業の特別な機能である。
  最後に、遊休している貨幣--すなわち市場に貨幣資本として投ぜられている貨幣は、貸し付けられ、また他人から借りられるのであって、このことが、またしても--いろいろな形態(貸付け、手形割引など)で貨幣取引業の特別の機能として現われるのであるが、この貨幣取引業は、商人が諸商品に相対するのと同じで、そんなふうに同時に貸付可能な資本に相対し、需要と供給とを貨幣資本によって調整し集中する媒介者である。
  最終的になお次のようなことをつけ加えておくことができる。すなわち、【世界貨幣としては貨幣は国内貨幣としてのその国民的性格を脱ぎ捨てて、その金銀純分に還元されるのであるが、同時にまたこの金銀は、世界貨幣として流通する二つの商品として、絶えず変動するそれらの価値比率に還元されなければならない。このことを、貨幣取引業者は、またしても媒介するのであって、国内貨幣の世界貨幣へのこのような調整を自分の独自な業務とするのである。】(為替相場。後者の場合には、さらに国際収支のそのときどきの状況が加わるが、その詳細はここには属さない。)他方、この操作はまた、別々の国々の貨幣種類を、いろいろに違う特殊な流通部面に属する同じ国の貨幣種類と同じように、相互に単純に両替することに帰着する。(単純な貨幣両替業者。)これらの機能のすべてをいっしょにしたものが貨幣取引業の業務であるが、これは、ちょうど商品取引業と同じように、いろいろな部門に分かれている。〉 (草稿集⑧59-60頁)

  この草稿によれば、本文のやや意味がとりにくい角括弧に入った一文〈{同時に,ある国内貨幣が他の国内貨幣で表現される}〉は、61-63草稿の〈他方、この操作はまた、別々の国々の貨幣種類を、いろいろに違う特殊な流通部面に属する同じ国の貨幣種類と同じように、相互に単純に両替することに帰着する。(単純な貨幣両替業者。)〉とあるものを簡潔に書き直したものと考えることが出来る。】

【15】

 両替業Wechselgeschaft〕と地金取扱業とは,貨幣の二重の機能,すなわち国内鋳 貨および世界貨幣としての機能から生じる,貨幣取扱業の最も本源的な形態〔なのである〕。

  ①〔異文〕「二重の」--書き加えられている。〉 (323頁)

 〈両替業と地金取扱業とは,貨幣の二重の機能,つまり国内鋳貨としての機能と世界貨幣としての機能とから生じる,貨幣取扱業の最も本源的な形態なのです。〉

 【これはその前のパラグラフに直接つながる一文と考えることが出来る。前のパラグラフでも世界貨幣としての機能から地金取扱業が生まれてくることが指摘され、同時に国内鋳貨の両替についても括弧内ではあるが示唆されていた。だから今回のパラグラフでは、それらを受けてもう一度、両替業と地金取扱業は貨幣取扱業のもっとも本源的な形態であるということが指摘されているものといえる。】

【16】

 資本主義的生産過程から(生産がまだ資本主義的に営まれていないところでさえも商業一般から生じるように)次のことが生じてくる。第1に,蓄蔵貨幣としての貨幣の形成,すなわち,いまでは資本のうち支払手段および購買手段の準備ファンドとしてつねに貨幣形態で存在しなければならない部分の形成。これは蓄蔵貨幣の||277|第1の形態であって,それが資本主義的生産様式のもとで再現する(また総じて商業資本が発展するさいに少なくともこの資本のために形成される)のである。どちらも国内流通ならびに国際的流通のため〔のものである〕。この蓄蔵貨幣は絶えず流動しており,絶えず流[391]通に注ぎ,また絶えず流通から帰ってくる。第2の形態は遊休していて目下のところ運用されていない(貨幣形態にある)資本,あるいは,蓄積されたがまだ投下されていない資本〔である〕。この蓄蔵貨幣形成それ自体によって必要となる機能は,蓄蔵貨幣の保管,簿記,等々である。しかし,これらのことには,第2に,⑥⑦買うときの貨幣の支払,売るときの収納,支払い金の支払いと受領,諸支払いの決済,等々が結びついている。これらすべてのことを,貨幣取扱業者はなによりもまず,商人や産業資本家のためのたんなる出納代理人として行なうのである。a)

 ①〔異文〕「および」← 「または」
 ②〔異文〕「つねに」--書き加えられている。
 ③〔異文〕「第2の形態」← 「第2に」
 ④〔異文〕「蓄積のために新たに」という書きかけが消されている。
 ⑤〔異文〕「しかし,それはそれの……繋がっている」という書きかけが消されている。
 ⑥〔異文〕「収納〔Eingabe〕」という書きかけが消されている。
 ⑦〔異文〕「買う」← 「支払う」
 ⑧〔異文〕「収……および〔Ein und〕」という書きかけが消されている。
 ⑨〔異文〕「たんなる出納代理人として行なうのである。この機能は,貨幣両替人また
は……に」という書きかけが消されている。〉 (324-325頁)

 〈資本主義的生産過程から次のことが生じてきます(そしてこれ自体は生産がまだ資本主義的に営まれていないところでさえも商業一般から生じてきますが)。すなわち第1に,蓄蔵貨幣としての貨幣の形成です。つまり資本のうち支払手段および購買手段の準備ファンドとしてつねに貨幣形態で存在しなければならない部分の形成です。これは蓄蔵貨幣の第1の形態です。それが資本主義的生産様式のもとで再現するのです(そしてまた総じて商業資本が発展するさいにも、この資本のために形成されます)。そしてこれらはどちらも国内流通や国際的流通のためのものとしてあります。こうした蓄蔵貨幣は絶えず流動していて,絶えず流通に注ぐと同時に,また絶えず流通から帰ってくるのです。蓄蔵貨幣の第2の形態は、遊休していて目下のところ運用されていない貨幣形態にある資本のことです。あるいは蓄積されたがまだ投下されていない資本です。
  さて、これらの蓄蔵貨幣の形成にともなって必要となる貨幣取扱業の第1の機能は,蓄蔵貨幣の保管,簿記,等々です。しかし,これらのことには,第2の機能として、買うときの貨幣の支払,売るときの収納,支払い金の支払いと受領,諸支払いの決済,等々が結びついています。これらすべてのことを,貨幣取扱業者はなによりもまず,商人や産業資本家のためのたんなる出納代理人として行なうのです。〉

 【ここでは蓄蔵貨幣の第1の形態と第2の形態について論じられている。それぞれにどのような違いがあるのであろうか。

  第1の形態--支払手段および購買手段(流通手段)の準備ファンド。
  第2の形態--遊休貨幣資本、あるいは蓄積ファンド

  ここではマルクスは蓄蔵貨幣としてこの二つの形態を指摘し、それらが貨幣取扱業の業務を必要とすると述べている。そしてその業務には二つの機能があるとしている。

  第1の機能--貨幣の保管、簿記など
  第2の機能--第1の機能と結びついたものとして、買う時の貨幣の支払、売るときの貨幣の収納、支払金の支払と受領、諸支払の決済など

  そしてこれらの機能を貨幣取扱業者は商人や産業資本家のためのたんなる出納代理人として行なうと指摘されている。

  【12】パラグラフの原注として紹介されていたフィセリングからの抜粋のなかでも指摘されていたが、両替業と出納代理業はアムステルダム政府によって意図的に分離され、両者の結合を危険視されていたようである。そしてその代わりにこの両者を公的権限によって結びつけたものとしてアムステルダム振替銀行が生まれたとされていた。マルクスは、【10】パラグラフで、貨幣取扱業の自然発生的な基礎の一つとして両替業があることを指摘し、両替業から為替業も生まれてくることを指摘していた。そしてこのパラグラフでは、単なる貨幣の機能としての蓄蔵貨幣が、資本主義的生産によって再現する二つの形態(支払および購買の準備ファンドと遊休貨幣資本や蓄積ファンド)を指摘し、そこから生じる必要な機能として、第1に、保管・簿記等々と、第2に、流通手段の支払や収納・支払手段の支払や受領、諸支払の決済等が指摘され、それらは出納代理業として行なわれると指摘している。つまりマルクスも貨幣取扱業の基礎として両替業をまず論じ、そのあと出納代理業を論じているわけである。
  ところでここではマルクスは蓄蔵貨幣の二つの形態について論じているが、そもそも蓄蔵貨幣にはどういう形態があるのかについて、これは、第29章該当部分の草稿の解読のなかで紹介したのであるが、大谷氏が「貨幣の機能Ⅱ」で考察しているものを纏めて図示したものをここでも紹介しておくことにしよう。

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  この大谷氏の蓄蔵貨幣の諸形態の説明からみると、ここでマルクスが述べている第1の形態というのは、大谷氏の説明では(3)の〈単純流通のメカニズムそれ自体から生じる蓄蔵貨幣(鋳貨準備、支払手段の準備)〉であり、第2の形態というのは〈(4)資本の流通のメカニズムから生じる蓄蔵貨幣(蓄積ファンド、固定資本の償却ファンド、資本の回転から生じる遊離貨幣資本等)〉に該当すると考えられる。】

【17】

 〔原注〕a)「ネーデルランドの商業都市ほど出納代理人の制度がその本源的な独立的な性格を純粋に保っていたところは,あるいはどこにもないかもしれない①(アムステルダムにおける出納代理業の起源については,E.リュザク『オランダの富』,第3巻,を見よ)。その機能の一部分は,古いアムステルダム振替銀行〔Amsterdamsche wisselbank〕の機能と一致する。出納代理業者は,彼の業務を利用する商人たちからある額の貨幣を受け取ると,そのかわりに彼らのために自分の帳簿のなかに貸方欄を開設する。さらに商人たちは自分たちの債券証書を彼に送り,それを彼は商人たちに代わって取り立てて彼らの貸方に記入する。他方では,彼は商人たちの指図(小切手)と引き換えに支払いをし,その金額を彼らの当座勘定の借方に記入する。その場合,彼はこれらの入金や支払金について手数料を請求するが,それはわずかなものであって,それは,彼がこの両方のあいだで処理する取引額の大きいことによってのみ,彼の労働にみあった報酬をもたらすのである。両方とも同じ出納代理業者と取引している二人の商人のあいだで支払いの決済ができる場合には,このような支払いは相互の記帳によって非常に簡単にかたついてしまうが,それは出納代理業者が彼らのために毎日……彼らの相互間の請求額を決済してやるからである。つまり,このような諸支払いの媒介が本来の出納代理業なのである。だから,出納代理業は,産業的企業や投機や白地信用の開設を排除する。というのは,この場合の原則が,出納代理業者は自分の帳簿に口座を開設してやった人びとのために彼の貸方残高を越える支払いはしない,ということでなければならないからである。」(フィセリング,前掲書,243,244ページ。)

  ①〔注解〕パーレンでくくられた挿入はマルクスによるもの。フィセリングでは脚注1)。〉 (325-326頁)

 【これは前パラグラフの最後〈……これらすべてのことを,貨幣取扱業者はなによりもまず,商人や産業資本家のためのたんなる出納代理人として行なうのである〉につけられた原注であり、ほぼフィセリング前掲書からの抜粋なので(マルクスはフィセリングの脚注をかっこに入れて挿入している)、書き下し文は省略する。
  ここでは出納代理業の具体的な業務の内容が書かれている。まず彼らは取引する商人からある一定額の貨幣を受け取る。これがこの場合、出納代理業を純粋に技術的なものとして考察する場合の限定である。それをフィセリングは〈出納代理人の制度がその本源的な独立的な性格を純粋に保っていた〉と書いている。出納代理業はその業務を純粋に限定的に考えるなら、顧客(商人)の蓄蔵貨幣を保管し、それを諸支払等に、顧客に代わって行なうということに限定しなければならないのである。だから純粋な出納代理業としては、その業務に常に付随してくる貸付業務等は捨象されなければならないわけである。
  出納代理業は、顧客(商人)から受け取った貨幣を自分の帳簿のなかに商人名義による貸方欄にその額を記帳する。それが「貸方」欄へというのは、いうまでもなく商人の側から見たものであり、商人は自分の貨幣を代理業者に預けたのだから、それは「貸方」なのである。
  そして商人は取引先から受け取った手形などの債権証書(例えば手形など)を出納代理業者に送り、出納代理業者は、その債権(手形)の貨幣額を貸方欄に追記し、さらにそのが満期が来れば、商人に代わって取り立て、支払を受けるという業務を代行するわけである。
  あるいは商人は代理業者に預けた自分の貨幣に宛てて、支払指図(小切手)を切り、それにもとづいて代理業者はその支払を代理し、その額を商人の当座勘定の「借方」欄に記帳する。
  この場合、代理業者はこれらの支払や受領に関連して手数料をとるがそれはわずかなものだとの指摘もある。
  そして重要なのは、出納代理業者が多数の顧客を抱えている場合、この顧客の間の諸支払はすべて帳簿上の操作によって簡単に片づいてしまうということである。だからこうした諸支払の決済などを媒介することが本来の出納代理業なのだと指摘されている。
  だからまた信用貸しのような業務(貨幣信用)は、この限りでは排除されているわけである。ここで「白地信用」という用語が出てくるが、これは恐らく顧客がまず一定の貨幣を代理業者に預けるのではなく、代理業者が顧客に対して信用貸しをして、一定の貨幣額を貸方と借方に同時に記帳するやり方ではないかと思われる。これだと顧客は元手もなく、取引を開始することができ、貸方に記帳された額だけ小切手を切り、諸支払をすることが可能となる。もちろん、小切手がそれを受け取った別の商人から代理業者に持ち込まれると、その分だけ最初の商人の借方の額が増えるわけだが、それらはすべて代理業者の信用による貸付になるわけである。だから後にそれらが返済されることを前提していることは言うまでもない。要するに、ここでは出納代理業を純粋にその技術的操作に限ってみるなら、信用による貸付等は排除されなければならないことが確認されているわけである。
  なお「白地信用」そのものではないが、よく似たものとして「白地手形」については、ウヘキペディアに次のような説明があった。

  〈白地手形(しらじてがた)とは、後で手形取得者に補充させる意思で、手形要件(必要的記載事項)の全部または一部を記載せずに署名して交付された未完成手形のことをいう(通説である主観説による定義)。なお、学説により白地手形の定義は若干異なるが、
1.署名の存在
2.要件の一部が白地であること
3.白地補充権(後述)が存在すること
が白地手形の成立要件になる点には変わりがない。〉
 
 アムステルダムの振替銀行の出納業務の実際について、次のようなものを紹介しておこう。

 〈アムステルダム銀行では振替台帳に開設された口座間に振替金額を記入することで決済がおこなわれた。振替台帳の冊数は,口座保有者の数によって異なるのであるが,17世紀後半以降は半年間に3冊が用いられた。振替台帳の各ページ上部には通しのページ番号が振られている。3冊が用いられる場合は,1冊目が1番~,2冊目が1000番~,3冊目が2000番~,のように区割りがされた。このページ番号は「フォリオ」と呼ばれ,各口座保有者にフォリオが割り当てられた。例えば,A商会は「1」,B商会は「2」、C商会は「3」といった具合である。取引回数が多く1つのフォリオに収まらない口座保有者には番号の飛んだフォリオに残高が繰り越され続きの取引が記入された。取引件数の少ない口座保有者には,2つや6つに区分されたフォリオが割り当てられる場合もあった。各フォリオは左右に分けられており,左側が負債(debet, debt),右側が資産(crediet, credit)であった。負債側にはその口座保有者の支払に関する事項,すなわち支払日,支払相手名,支払相手のフォリオ番号,支払額が記載された。資産側の受取に関する事項は支払と同様である。振替は,口座保有者およびその代理人が小切手または手形を呈示することでおこなわれた。小切手にはフォリオ番号が記入されており,振替銀行の職員は顧客からの呈示を受けると帳簿を開いて支払人と受取人の双方の勘定に取引を記入して決済をおこなった。決済手続きは基本的に以上であることから,いかに急速に手間をかけず決済を実行できていたかが窺える。各フォリオでは負債,資産ともに5件ごとの取引に合計額が算定され,そのフォリオが埋まると受取と支払の差引残高が算出され,次に割り当てられたフォリオの資産側の最初に繰り越された。1つのフォリオに記録される取引は,多い場合で約40~50件であった。〉(「アムステルダム銀行の決済システム―17・18世紀における「バンク・マネー」の意義―」橋本理博・名古屋大学院2013年度博士学位請求論文12-13頁)】

【18】

 ヴェネッィアの金庫組合。「一つには必要から,また,現金を持ち回ることが他の地方でよりも厄介だというヴェネッィアの土地柄から,この都市の大商人たちは,適当な保証と監督と管理とのもとに金庫組合を設けていた。このような組合の組合員はある金額を預託しておき,これにあてて彼らの債権者に指図書を振り出し,次にこれに支払われた金額が,そのために設けられた帳簿のなかの債務者のページで借方に記入され,またそれが帳簿のなかの債権者の貸方残高に加えられた。これがいわゆる振替銀行Girobank〕の最初のものである。これらの組合は古い。しかしその起源を12世紀にまでさかのぼって求めるとすれば,それは,この組合を1171年に設けられた国債引受施設と混同することになる。」(ヒュルマン,前掲書,453,454ページ。)〔原注a)終わり〕

 ①〔注解〕「この都市の大商人たちは,適当な保証と監督と管理とのもとに金庫組合を設けていた。」--ヒュルマンの原文では次のようになっている。「この都市の大商人たちは,相互の支払いをできるだけ容易にするような制度を設けることになった。彼らは適当な保証と監督と管理とのもとに若干の金庫組合を設けた。」
 ②〔注解〕「これらの組合は古い。しかしその起源を12世紀にまでさかのぼって求めるとすれば,それは,この組合をll71年に設けられた国債引受施設と混同することになる。」--ヒュルマンの原文では次のようになっている。「これらの組合はたしかに古い。しかし噂がその起源をすでに12世紀に見ているとすれば,それは明らかに,この組合を1171年に設けられた国債引受施設と混同しているのである。」
 ③〔訂正〕「453,454ページ」一草稿では「450ページ」と書かれている。〉 (326頁)

 【これは原注a)の続きであり、〈ヴェネッィアの金庫組合〉というこの抜粋に付けられた表題以外は、ヒュルマンからの引用なので書き下し文は省略する。
  ここではイタリアのヴェネツィアにあった金庫組合が、やはりネーデルランドの出納代理人の制度と同じものであることが分かる。この場合も、金庫組合の組合員はまずある一定額の貨幣を預託する。組合はそれをその組合員の勘定の貸方に記帳する。そして組合員はその自分の貨幣に宛てて取引相手である債権者に支払指図(小切手)を振り出し、その支払の代行を金庫組合に依頼することになる。金庫組合は、この小切手の支払を代行し、その額だけその組合員の勘定の借方に記帳する。そして同時に、この小切手による支払を受けた取引業者もやはり組合員であり、金庫組合に勘定を持っているとすれば、彼の勘定の貸方残高としてその小切手の額だけ追記される。だからこの場合は、金庫組合は、ただ帳簿上の操作だけで支払業務を代行したことになる。
  そしてこれが振替銀行の最初のものだと指摘されている。つまり純粋に出納代理業に限定されたものが振替銀行の最初のものだということである。だからここには信用関係としては再生産過程内の信用である商業信用だけがあるのみである。つまりあるのはただ貨幣の抽象的な機能から生まれてくる諸業務を代行することだけなのである。】

【19】

 〈貸借の機能や信用取引Handel in Credit〕が貨幣取扱業のそのほかの機能と結びついたとき,貨幣取扱業は完全に発展しているわけである{といっても,これはすでに貨幣取扱業の発端からあったことではあるが}。しかし,これについてはあとではじめて〔論じる〕。というのは,われわれは次章ではじめて利子生み資本を展開するのだからである。〉 (326-327頁)

  〈貨幣取扱業には、その発端から、貨幣の貸借の機能や信用取引が結びついていました。こうした貸借や信用取引と結びついてこそ貨幣取扱業は完全に発展しているわけです。しかしこれまでは私たちは、とりあえずはそうした貸借や信用取引を捨象して、貨幣取扱業をその純粋に技術的な操作に限って検討してきたのです。というのは、貨幣取扱業務の機能と結びついている貸借や信用取引については、次の第5章の利子生み資本ではじめて展開されるものだからです。〉

 【ここではこれまで第4章の商人資本の一つの項目として検討してきた貨幣取扱資本というのは第5章の課題である利子生み資本とは厳密に区別されたものとして捉えるべきことが確認されている。ここらあたりについては、すでに紹介したが、大谷氏の次のような一文が参考になる。

  〈マルクスは銀行資本および銀行業資本がもつ利子生み資本という資本属性だけを純粋に取りだして,草稿第5章の「1)」一「4)」(エンゲルス版第21-24章)で分析したが,その前に,まず,草稿第4章の「4)」で,銀行資本のもつ利子生み資本という資本属性は度外視して,銀行資本の貨幣取扱資本としての資本属性を純粋に取り出し,分析していた。〉 (307頁)
  〈マルクスは草稿第4章の「4)貨幣取扱資本」では,信用制度のもとで信用の取り扱いおよび利子生み資本の運動と結びついて行なわれている貨幣取扱資本の諸運動を徹底して度外視し,貨幣取扱資本そのものを純粋に取り出して分析しようとしている。この方法の徹底が,『1861-1863年草稿』での貨幣取扱資本の取扱いかたと決定的に異なる点であり,そこに,第3部第1稿における貨幣取扱資本および利子生み資本の分析方法の大きな前進があったと見ることができる。すでに述べたように,マルクスは草稿第4章を書きだしたときには,まだこの章のなかで利子生み資本を論じるつもりでいたのであるが,この章の執筆中に,利子生み資本は商人資本からは完全に切り離して,次の第5章で取り扱うことにした。この変更の理由をマルクス自身はどこにも漏らしていないが,筆者は,そのかなめが,貨幣取扱資本と利子生み資本とをそれぞれ純粋な形態で分析しようと決めたところにあったと考えている。〉 (308頁)

  だからここでもマルクスも書いているように、貨幣の貸借や信用取引は、貨幣取扱業である出納代理業者や両替商と密接に結びついて歴史的には現われてくるが、しかし概念的には両者は厳密に区別すべきだというわけである。当初、マルクスは第4章と第5章をひとまとめにして第4章として書くつもりだったのが、結局、第4章と第5章に分けて論じる必要があるとの結論に至ったのであるが、大谷氏は〈この変更の理由をマルクス自身はどこにも漏らしていないが,筆者は,そのかなめが,貨幣取扱資本と利子生み資本とをそれぞれ純粋な形態で分析しようと決めたところにあったと考えている〉と書いている。しかしでは、〈貨幣取扱資本と利子生み資本とをそれぞれ純粋な形態で分析〉する必要があったとして、それらがどうして二つの章として分ける必要があったのか、それが問題である。なぜなら、ただ〈純粋な形態で分析〉する必要だけなら、それらを別々の章として分ける必要は必ずしもないわけだからである。ではどうしてそれらは第4章と第5章に分ける必要があったのであろうか、あるいはどうして貨幣取扱資本は第4章の商人資本の一部分を構成するものと位置づけされる必要があったのか、それが問題なのである。
  それはすでにこれまでにも示唆してきたように、第4章の商人資本は再生産過程内の資本の運動である。つまり社会的な物質代謝を媒介する資本の運動なのである。だからそこで扱われる貨幣取扱資本もそのかぎりでは、再生産過程内の貨幣の運動とその機能を独自の特殊的資本として果すものなのである。また商業信用もその限りでは再生産過程内の信用なのである。それに対して、第5章の利子生み資本は、再生産過程外の資本の運動であり、再生産過程外の信用(貨幣信用)なのである。だからそれらは直接には社会的物質代謝にかかわるものではない。この決定的な違いの重要性にマルクスは気づき、両者を二つの章として分離して論じる必要があるという考えに至ったのではないかと私は推測している。
  だから本源的には貨幣取扱業は貸付業や信用取引と結びついて歴史的には現われてくるが、しかし論理的・概念的には両者は厳密に区別される必要があるわけである。だからマルクスは第4章の貨幣取扱業を純粋に技術的な操作に限定して論じているわけでもある。
  大谷氏には、残念ながら、続く第5章(篇)の一連の研究においても、常にマルクスが意識して区別している、再生産過程外の信用(貨幣信用)か、それとも再生産過程内の信用(商業信用)か、という本質的な区別についての明確な自覚がないように思えるのである。】

 (続く)

 

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