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2018年3月15日 (木)

「第2部仕上げのための苦闘の軌跡」検討の番外篇(1)

「流通過程および再生産過程の実体的諸条件」とはなにか(1)

◎はじめに

 《「流通過程および再生産過程の実体的諸条件」とはなにか》というのは、これから批判的に検討する大谷禎之介氏の論文のタイトルである(なお、以下の中見出しもすべて大谷氏の論文のものをそのまま紹介したものである)。正確なものは《「流通過程および再生産過程の実体的諸条件」とはなにか--『資本論』第2部形成史の一齣--》というもの。『立教経済研究』第66巻第4号(2013年)に収められている(この論文は公開されていて、ここで見ることができる)。
 この論文が発表されてすでに5年も経ってしまったが、私はようやくこの論文の存在を知り、読むことができた。なぜ、今になって批判的に検討して、しかもこのブログに発表することにしたのかというと、この論文がこのブログでも取り上げたことのある大谷氏の以前の『経済』連載論文(「第2部仕上げのための苦闘の軌跡――メガ第II部門第11巻の刊行に寄せて――」09年3・4・5月号掲載)の補足として書かれたもののようだからである。先の論文を批判的に検討した手前、やはり今回の論文も検討せざるを得ないと思ったわけである。だから、当然、今回、この論文を検討するにあたり、以前の私自身の書いたものも必要に応じて、とりあげることになった。
  先の『経済』連載論文では、MEGA第11巻刊行によせて書かれたという性格から主に第2部第2稿から始まる諸草稿に言及したものだが、それ以前に刊行されていた第2部第1稿については、それらの諸草稿に関連するかぎりでとりあげただけだったとして、大谷氏は今回の論文の課題を次のように述べている。

 〈とりわけ, 第1稿, 第2稿, 第8稿と三たびにわたって執筆された第3章--第1稿および第2稿での「章」はのちに「篇」と呼び換えられたので第8稿では第3篇--の課題についてのマルクスの把握について, 第2稿第3章でのタイトル「流通過程および再生産過程の実体的諸条件」が, 第1稿での第3章の課題設定を引き継いだものであったことは述べたものの, マルクスが第1稿のときにこのタイトルのもとでどのようなことを考えていたのか, 第2稿の執筆時にもこのタイトルで第1稿のときと同じことを考えていたのか, ということをマルクスの叙述に即して説明することはしなかった。
  本稿では, 第1稿を引き継いで, 第2稿の第3章に付された「流通過程および再生産過程の実体的諸条件」というタイトルでマルクスがどのようなことを考えていたのか, ということを,まず第1稿でのマルクスの記述から読み取り, それが第2稿にどのように引き継がれ, またどのように変更が加えられたのか, を見ることにしたい。〉
(1頁)

◎1、第3章を第1章および第2章から区別するもの

  さて、大谷氏は上記の課題を果たすために、まず〈第3章を第1章および第2章から区別するもの〉を問題にしている。ここで第3章、第1章、第2章というのは、第1稿や第2稿の段階のもので、現行版では第3篇、第1篇、第2篇のことである。つまり第3篇は、第1篇や第2篇とどのような点で区別されるのか、ということである。これを端的に示すものとして、大谷氏は第1稿の一文を紹介して次のように述べている。

〈マルクスは第1稿の第3章にはいってまもなく,次のように書いている。

  「資本の総流通過程=再生産過程のこれまでの考察では,われわれはこの過程が経過する諸契機あるいは諸局面を,ただ形態的に〔formell〕考察してきただけであった。これにたいして,今度はわれわれは,この過程が進行できるための実体的な〔real〕諸条件を研究しなければならない。」(MEGA② I1/4.1,S.302.以下,引用のなかでの下線はマルクスによる強調であり,太字は引用者による強調である。)

  ここでマルクスは,これまでの第1章および第2章もこれからの第3章もともに「資本の総流通過程=再生産過程〔der gesammte Circulationsproceß=Reproductionsproceß〕」を考察するのだが,前の二つの章では「この過程〔すなわち資本の総流通過程=再生産過程〕が経過する諸契機あるいは諸局面」をただ「形態的に考察」してきたのにたいして,こんどの第3章では「この過程〔すなわち資本の総流通過程=再生産過程〕が進行できるための実体的な諸条件」を研究するのだ,と言つている。ここで第3章について言われているものが「流通過程および再生産過程の実体的諸条件」という第2稿第3章のタイトルと完全に合致していることは明らかである。〉 (2-3頁)

  こうしたことから、大谷氏は第1稿の本文の第3章の実際のタイトル「流通と再生産」は、「流通過程および再生産過程の実体的諸条件」という第2稿につけられたタイトルの短縮形だと次のように述べている。

 〈第2稿の第3章は「流通過程および再生産過程の実体的諸条件〔Die reale Bedingungen des Cirkulations- u..Reproduktionsprozesses.〕」(MEGA②Ⅱ/11,S.340)というタイトルをもつ。第1稿の第3章につけられたタイトルは「流通と再生産〔Circulation u Reproduction〕」(MEGA②Ⅱ/4.1,S.301)であったが, じつは,第1稿の第3章でマルクスが書こうとしていたものの実際の内容が第2稿第3章のタイトルに合致するものであって,第1稿での「流通と再生産」というタイトルは第2稿での「流通過程および再生産過程の実体的諸条件」というタイトルのいわば短縮形であったことは,第1稿の各所での記述から明確に読み取ることができる。〉 (2頁)

  そして大谷氏は第1稿から幾つかの抜粋を紹介して、そこから「流通過程および再生産過程の実体的諸条件」としてマルクスは何を考えていたのかを次のように説明する。

〈すなわち,「流通過程および再生産過程が進行できるための諸条件」とは,「資本の生産物」として, したがって「商品資本」として存在する「諸商品」の「相互のあいだの交換」の「実体的な諸条件」である。この「諸商品」とは,一部は消費手段の使用価値形態にある商品であり,他の一部は生産手段の使用価値形態にある商品であるが,マルクスはここでは前者を「資本家にとつてであれ労働者にとってであれ収入をなす諸商品」ないし「収入にはいる商品資本」と呼び,後者を「不変資本の構成要素をなす諸商品」ないし「不変資本を形成する商品資本」と呼ぶ。マルクスはここでは,「収入にはいる商品資本と不変資本を形成する商品資本との交換」と「不変資本を形成する商品資本の相互のあいだの交換」との二つを挙げているが,これにはさらに「収入にはいる商品資本の相互のあいだの交換」をも加えるべきであったろう。こうした「商品資本の相互のあいだの交換が行なわれなければならない」のは,それによってのみ,「収入をなすべき諸商品」が資本家および労働者の手に渡って実際に収入となり,「不変資本の構成要素をなす諸商品」が両部門の資本家の手に渡って実際に不変資本となるのだからである。ここでのマルクスはこのように考えているので,貨幣形態での可変資本の前貸も,それによって可変資本が労働力の形態に転化することも,また,労働者が「収入」によつて再生産した労働力を商品として資本家に販売することも,そうした「商品資本の相互のあいだの交換」の視野のそとに置かれている。そして,「こうした交換の実体的な諸条件」こそが, ここで「流通過程および再生産過程の実体的諸条件」という句で考えられていたものなのである。 〉 (3頁)

  さらに第1稿からの抜粋が続くが、それは割愛して、大谷氏の結論だけを紹介しておこう。

  〈これらの記述から,ほとんどただちに,第1稿での,第3章を第1章および第2章から峻別するキーワードが,後者における「形態的な〔formal,formell〕」諸規定ないし形態規定性にたいする,前者における「実体的な〔real,reell〕」諸規定,諸契機,諸側面,諸条件であることが読みとれるであろう。〉 (4頁)

  これまで大谷氏の主張されていることをただ概略的に抜粋して紹介しているだけであるが、それはそれらの主張されていることに私自身は何の異論も問題も感じないからである。以下のものも異論のないかぎりでは、ただ大谷氏の主張を紹介するだけにとどめる。

◎2.「実体的な〔real,reell〕」という語の意味

   上記の中見出しも大谷氏の論文のものをそのまま紹介したものであるが、ここでは言葉の意味をあれこれ細かく見ているだけなので、われわれとしてはパスしたい。興味のある方は大谷氏の論文を参照されたし。

◎3.マルクスは「実体的」という語でなにを考えていたのか

  この論文のタイトルを思い出していただきたい。〈「流通過程および再生産過程の実体的諸条件」とはなにか〉というものである。このタイトルにある〈実体的諸条件〉の意味を探るために、大谷氏は〈実体的な変態〉という用語に注目して、第1稿におけるこの用語の使用例を丁寧に辿ってみていく。しかしわれわれはそれを詳しく追うことはやめておく。それをやるとただ大谷氏の論文をながながと紹介するだけになるからである。とりあえず、われわれはその結論らしきものだけを紹介しておこう。

 〈以上,マルクスが第1稿で「実体的変態」と呼んだものを見てきたが,見られるように,いずれも,使用価値の姿態の変化を伴う変態,過程である。〉 (9頁)
  〈以上のところから,マルクスが第2部第1稿でrealという語を,貨幣から商品へ,商品から貨幣へ,という社会的形態の変化だけにかかわるformal,formellにたいして,使用価値の変化をもたらす,あるいはそれを準備する, という意味で使ったことが分かる。〉 (10頁)

◎4.第3章プランでの「流通(再生産)の実体的諸条件」の意味は?

  このタイトルにある〈第3章プランでの「流通(再生産)の実体的諸条件」〉というのは、第1稿の一番最後に、マルクスが第3章のプランを次のように書いたものを指している。

  〈したがって、この第3章の項目は次の通りである。
1、流通(再生産)の実体的諸条件
2、再生産の弾力性
3、蓄積あるいは拡大された規模での再生産
   3a、蓄積を媒介する貨幣流通
4、再生産過程の並行上向的進行での連続循環
5、必要労働と剰余労働
6、再生産過程の攪乱
7、第3部への移行
(『資本の流通過程』『資本論』第2部第1稿〔大月書店〕294頁)

  大谷氏はマルクスが第1稿の最後のプランのなかで〈流通(再生産)の実体的諸条件〉と書いたとき、何を考えていたのかを第1稿から幾つかの抜き書きを紹介しながら、探っている。そして次のように述べている。

  〈第1稿の第3章で,マルクスは,社会的総生産物を使用価値の観点から消費手段として消費される生産物と生産手段として消費される生産物との二つの部類に区別し,これに対応して,社会の総生産を消費手段生産部門と生産手段生産部門との二大部門に区別したうえで,両部門の総生産物=総商品の価値諸成分--すなわち不変資本価値,可変資本価値,剰余価値--が流通過程における形態的な諸変態W-G-Wを通じて互いに転換しあい,それぞれのWが他のWによって自己を補填する過程--これは労働者のWすなわち労働力(Ak)が形態的な変態W(Ak)-G-W(Km)を通じて,自己を再生産すべき消費手段(Km)に転換する過程を含むべきものである--を分析し,「この経過が進行しうるための実体的な諸条件」(MEGA②II/4.1,S.302),「こうした交換の実体的な諸条件」(MEGA②II/4.1,S.306)を研究する。この「諸条件」が「実体的」と呼ばれているのは,まさに,そうした流通過程, したがつてまた再生産過程が,生産過程--ならびに労働者の個人的消費過程における労働力の再生産--における実体的な変態によって規定される,社会的総生産物の使用価値のさまざまの姿態の相違によって制約されている,ということによるのである。〉 (10-11頁、下線はマルクスによる強調、太字は大谷氏による強調)
〈この「実体的な素材変換」は,両部門の生産物の内部での価値から見た構成部分によつても条件づけられており,制約されている。このことは,マルクスが第1章の冒頭で,「第3章で行なうように,流通過程を現実の〔wirklich〕再生産過程および蓄積過程として考察するさいには,たんに形態を考察するだけではなくて,次のような実体的な〔reell〕諸契機が付け加わる」と言つて,まず「(1)実体的な〔real〕再生産……に必要な諸使用価値が再生産され,かつ相互に条件づけ合う,その仕方」を挙げたあと,さらに,「(2)再生産は,再生産を構成するその諸契機の,前提された価値・価格諸関係によって条件づけられているのであるが,この諸関係は,諸商品がその価値で売られる場合は,労働の生産力の変化によって生じるその真実価値の変動によって変化しうるものである」ということ,および,「(3)流通過程によって媒介されたものとして表現される不変資本,可変資本,剰余価値の関係」,の三つを挙げているところに見ることができる(MEGA②II/4/1,S.140-141)。〉 (11頁、同)
 〈このような「実体的諸条件」を把握するために,再生産過程を媒介する流通過程W-G-Wを分析するさいには,この変態の始点であるWの使用価値と終点であるWの使用価値との違いが決定的である。これを媒介する貨幣流通は,それ自体としては形態的な(formell)契機に属するのであり,これを度外視することによって実体的な転態が求める「実体的諸条件」をつかみだす,というのが,第1稿の第3章でなによりもまず果たさなければならない課題としてマルクスが意識していたものだった, と言うことができるであろう。〉 (12頁)

  とりあえず、これも大谷氏の説明をただ紹介するだけにしておこう。

◎5.「貨幣流通なし」と「貨幣流通を伴う」との二段構えによる叙述方法

  大谷氏はこうしたいわゆる「二段構えによる叙述方法」の必要なことについて、マルクスが第1稿で述べている部分を紹介しているので、われわれもそれをただ重引紹介するだけにしておく。後に、大谷氏はこうした叙述方法をマルクスは第8稿では廃棄したと主張されるのであるが、それはそのときにまた検討することにする。

 〈「これまでの考察から,次のことが明らかになっている。--貨幣は,一方では,諸商品が一般的消費フアンドにはいるための通過点として役立つにすぎず,また資本が可変資本であるかぎりでは,貨幣は,労働者たちにとっては,彼らの消費用の必需品を買うための通貨に帰着するのであり,他方では貨幣は,資本が完成生産物の形態から自己の対象的な生産諸要素の現物形態に再転化するための通過点として役立つにすぎない。そのかぎりでは資本の貨幣形態は,商品の変態W-G-Wにおける貨幣一般と同様に,再生産の,媒介的かつ瞬過的な形態として〔機能する〕にすぎないし,また,現実的再生産過程そのものとはなんのかかわりももたない。ただ一つの例外をなすのは,貨幣資本すなわち貨幣形態にある資本が遊休資本を表わし,またそれが,生産資本として機能することが予定されてはいるがまだ現実にはそうしたものとして機能していないというその合い間にある資本を表わしている場合である。したがってそれは,この形態ではまだ流通過程および再生産過程にはまったくはいっていかない。それゆえ,以上に述べたところから次のことが出てくる。--貨幣は,それが資本の形態として現実に機能するかぎりでは,現実的再生産過程の形式的かつ瞬過的な媒介にすぎない。貨幣は,それが自立して自己を固守するかぎりでは,再生産過程にはまだまつたくはいつていないのであり,ただ,それにはいることが予定されているだけである。したがってどちらの場合にも,実体的な再生産過程の考察のためには,貨幣をひとまず捨象することができるのである(つまり,資本が貨幣に形態的に転化すること,資本が貨幣形態を周期的にとることが,摩擦なしに行なわれるものと想定する場合には〔そうすることができるのであり〕,またじっさいわれわれはさしあたりこのように想定するのである)。それゆえわれわれは,この考察においては貨幣流通(および貨幣資本としての形態にある資本)を捨象する。われわれはそれを,せいぜい,現実的再生産過程を考察することによつて貨幣流通にとつての特殊的規定がこの過程の契機として生じてくる場合に,ときおり考慮に入れるだけである。」(MEGA②II/4.1,S.302-305.)〉 (12-13頁、下線はマルクスによる強調、太字は大谷氏による強調)

  なお、大谷氏はマルクスは「61-63草稿」の段階でもこうした二段構えの叙述の方法をとるべきだ、という考えを述べていると指摘されているが、これは各自、草稿に当たって確認して頂きたい。私も一応、確認してみたが、それほど明示的にマルクスが述べているわけではないように思えた。確かに資本の変態のうち、労働過程で行われる実体的な変態は流通過程における形態的な変態とは無関係であり(草稿集⑨559頁)、貨幣を伴うケースは、後に考察する(同571頁)という文言は見られる。

(以下、2に続く)

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