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2016年10月14日 (金)

現代貨幣論研究(10)

「預金通貨」概念を擁護する大谷氏の主張の批判的検討 (2)

◎大谷氏の説明の批判的検討

 それでは大谷氏の説明を検討して行こう。
 まず大谷氏は、信用による貨幣の節約について、マルクスはエンゲルス版の第27章部分で箇条書き的にまとめていることを指摘している。だからわれわれもそのマルクスの草稿を見てみることにしよう(マルクスは改行をせずに書いているが、われわれは分かりやすくするために改行を入れて整理して紹介しよう)。

 〈II)流通費の節減。

 A) 一つの主要流通費は,自己価値であるかぎりでの貨幣そのものである。信用によって三つの仕方で節約される。

 a)取引の大きな一部分で貨幣が全然用いられないことによって。
 b)金属通貨または紙券通貨の流通が加速されることによって。(これは,部分的には,c)で述べるべきことと一致する。すなわち,一面では加速は技術的〔technisch〕である。すなわち,実体的な〔real〕商品流通が,あるいは事業取引の量が変わらないのに,より少ない総量の銀行券が同じ役だちをするのである。このことは銀行制度の技術と関連している。他面では,信用は商品変態の速度を速め,したがってまた貨幣流通の速度を速める。)
 c)金貨幣が紙券で置き換えられること。

 B) 信用によって,流通または商品変態の,さらには資本の商品変態のさまざまの段階が速められること(したがって再生産過程一般が速められること)。{他面では信用は,購買と販売という行為をかなり長いあいだ分離しておくことを許し,したがってまた投機の基礎として役だつ。} 準備ファンドの縮小。これは二つの面から考察することができる。A)では,通貨の減少として,B)では,資本のうちの絶えず貨幣形態で存在しなければならない部分の削減として。/〉(大谷新著第2巻287-288頁)

 ここで項目的に挙げているものを、マルクスは「III)」では具体的に述べていると大谷氏は指摘している。そしてそれぞれの項目ごとに、「III)」から関連する部分を引用・紹介している。それはかなり長い引用になっているが、ここで詳しく紹介することは割愛したい(興味のある方は各自同書を検討していただきたい)。われわれにとって当面の問題として興味深いのは、そのあと大谷氏が〈預金が果たす貨幣機能〉について触れている問題である。大谷氏は次の一文を紹介し、その内容を解説している。まず大谷氏が抜粋している一文を紹介しておこう。

 〈「5000ポンド・スターリングを預金したAは,小切手を振り出すことができる(彼がその5000ポンド・スターリングを〔現金で〕もっていた場合と同じにそれを自由に処分することができる〔)〕。そのかぎりでは,5000ポンド・スターリングは彼にとって,可能的な貨幣として機能する。しかしいずれにせよ,彼はそれだけ自分の預金をなくすわけである。彼が現実の貨幣を引き出すとすれば,そして彼の貨幣は貸し付けられているのだとすれば,彼は自分の貨幣で支払いを受けるのではなく,他人が預金した貨幣で支払いを受けるのである。彼が取引銀行業者あての小切手でBに支払い,Bはこの小切手を取引銀行業者に預金し,そしてAの取引銀行業者もまたBの取引銀行業者あての小切手をもっており,そしていま,この二人の銀行業者がこれらの小切手を交換するなら,Aが預金した貨幣は二度貨幣機能を果たしたわけである。第1には,Aが預金した貨幣を受け取った人の手で。第2には,A自身の手で。第2の機能では,それは,貨幣の介入なしに行なわれる,債権の(Aが取引銀行業者にたいしてもっている債権とこの銀行業者がBの取引銀行業者にたいしてもっている債権との)相殺である。この場合には,預金は2度貨幣として,すなわち,現実の貨幣として,そして貨幣への請求権として,働くのである。預金が貨幣(それ自身がこれまた他人の現預金から実現される,というのではない貨幣)へのたんなる請求権として働くことができるのは,ただ債権の相殺によってのみなのである。」(MEGAII/42,S.588-589;本書本巻521-523ページ。)〉(大谷新著第3巻360-361頁、ただし下線はマルクスによる強調、太字は大谷氏による強調)

 大谷氏のこの引用文に対する解説を検討する前に、我々としてはまずこの一文をしっかり解読してみよう。この一文を読んで気づくのは、われわれが先に確認のために紹介した第29章該当部分の草稿からの引用文と同じことを、ここでもマルクスが述べているように思えることである。今回、マルクスが〈Aが預金した貨幣は二度貨幣機能を果たした〉として述べている内容は、先に見た【28】パラグラフで〈預金そのものは二重の役割を演じる〉と述べていたことと同じように思えるのだが、果たしてどうであろうか。それを検討してみよう。

 【28】パラグラフでマルクスが〈預金そのものは二重の役割を演じる〉と述べていたことは、もう一度確認のために、但し今回の引用文と比較するために具体例を同じにして述べてみると、Aが預金した5000ポンドはすぐに銀行から利子生み資本として貸し出されて、銀行にはただ帳簿上の記録があるだけだが、しかし、その帳簿上の記録がもう一つの役割(つまり諸支払を相殺するという役割)を演じるのだというものであった。つまりここで〈二重の役割〉というのは、5000ポンドは現実の貨幣としては銀行によって利子生み資本として貸し出されてしまうこと、つまり利子生み資本としての役割である。もう一つはその現実の5000ポンドのいわば“脱け殻”にすぎないのだが、銀行の帳簿上の記録が諸支払を相殺する役割をも果たすということであった。

 しかし今回の引用文では、そこらあたりがやや分かりにくいものになっている。今回もAが預金した5000ポンドはすぐに貸し出されるとマルクスは想定しているように思える。だからもしAが自分の預金を引き出したとしてもそれは彼が預金した5000ポンドではなく、他の誰かが預金した5000ポンドだろうとも述べていることからもそのことが分かる。つまり今回もAの5000ポンドの預金は現実の貨幣としては、すぐに銀行から貸し出されて、利子生み資本としての役割を演じることは想定されているのである。しかしそのことをここではマルクスは必ずしも強調しているわけではないようにも思える(だから後に見るように、大谷氏はそれを見落としたのであろう)。そういうことから、ここでマルクスが〈Aが預金した貨幣は二度貨幣機能を果たした〉として述べている内容は、必ずしも【28】パラグラフでマルクスが〈預金そのものは二重の役割を演じる〉と述べていたものと同じとはいえないような印象を受けるのである。だからこそ、我々としては、今回の引用文をさらに詳しく吟味してみなければならない。われわれは問題を厳密に吟味し、整理するために、問題ごとに箇条書き的に検討を進めることにしよう。

 (1) まずマルクスは〈5000ポンド・スターリングを預金したAは,小切手を振り出すことができる〉と述べ、〈そのかぎりでは,5000ポンド・スターリングは彼にとって,可能的な貨幣として機能する〉と述べている。そしてそれは〈彼がその5000ポンド・スターリングを〔現金で〕もっていた場合と同じにそれを自由に処分することができる〉とも述べている。しかしそもそもAが預金した5000ポンドはすぐに銀行によって貸し出されてすでに銀行にはないのである。彼は小切手を振り出すことはできるが、しかし小切手は決して現金ではない。それはそれを受け取ったBにとっては貨幣へのたんなる請求権でしかなく、AからいうならBに対する支払約束でしかない。だからこの場合は、AはBから信用を受けているのである。そして銀行がBの持参した小切手に現金を支払えば、その時点でAの預金はなくなり、AのBに対する債務は決済されたことになる。しかしその時点で銀行が支払う現金5000ポンドはAの預金したものとは限らず、恐らく他人の預金したものであろう。マルクスが〈可能的な貨幣として機能する〉と述べていることの実際の内容はこうしたものであろう。

 (2) 次にマルクスは〈彼が現実の貨幣を引き出すとすれば,そして彼の貨幣は貸し付けられているのだとすれば,彼は自分の貨幣で支払いを受けるのではなく,他人が預金した貨幣で支払いを受けるのである〉とも書いている。つまり預金は、その預金者が必要な時はいつでも現金で引き出せるものである。だからその限りでは預金は〈可能的な貨幣〉といえる。つまりAにとっては準備状態にある貨幣である。だから預金としてある段階では、貨幣としてはあくまでも可能的なものであり、実際に引き出された時点では、その預金は失われ、引き出された現金こそが貨幣としての機能を果たすわけである。これは当たり前の話である。だからこれを預金の貨幣的機能と敢えていうなら、それは蓄蔵貨幣としての機能であろう。

 (3)上記の議論を受けて、次にマルクスは次のように述べている。

 〈彼が取引銀行業者あての小切手でBに支払い,Bはこの小切手を取引銀行業者に預金し,そしてAの取引銀行業者もまたBの取引銀行業者あての小切手をもっており,そしていま,この二人の銀行業者がこれらの小切手を交換するなら,Aが預金した貨幣は二度貨幣機能を果たしたわけである。第1には,Aが預金した貨幣を受け取った人の手で。第2には,A自身の手で。〉

 ここで問題なのは〈第一には〉としてのべている〈Aが預金した貨幣を受け取った人〉とは誰のことかということである。Bが受け取るのは小切手だからBでないことは確かである。とするなら、やはりそれは〈Aが預金した貨幣を〉Aの取引銀行がすぐに利子生み資本として貸し出した〈〉でしかない。それまでの叙述では、マルクスはこのAの預金した5000ポンドが銀行によって利子生み資本としてすぐに貸し出されるということについてはあまり論じていないが、しかし、それ以外には考えようがないであろう。だからこの限りでは、やはりここでマルクスが〈二度貨幣機能を果〉すとのべているのは、【28】パラグラフでマルクスが〈預金そのものは二重の役割を演じる〉と述べていたことと同じ内容を述べていると考えられる。というのはここで〈第2には,A自身の手で〉と述べているのは、そのあとに続く文章で〈第2の機能では,それは,貨幣の介入なしに行なわれる,債権の(Aが取引銀行業者にたいしてもっている債権とこの銀行業者がBの取引銀行業者にたいしてもっている債権との)相殺である〉と述べていることを見ても、その前で述べていたこと、すなわち〈彼が取引銀行業者あての小切手でBに支払い,Bはこの小切手を取引銀行業者に預金し,そしてAの取引銀行業者もまたBの取引銀行業者あての小切手をもっており,そしていま,この二人の銀行業者がこれらの小切手を交換する〉場合のことであることは明らかだからである。

 (4) だから引き続く文章もその内容は明らかである。

 〈この場合には,預金は2度貨幣として,すなわち,現実の貨幣として,そして貨幣への請求権として,働くのである。預金が貨幣(それ自身がこれまた他人の現預金から実現される,というのではない貨幣)へのたんなる請求権として働くことができるのは,ただ債権の相殺によってのみなのである。〉

 ここでマルクスが〈現実の貨幣として〉と述べているのは、Aの預金5000ポンドが銀行によってすぐに利子生み資本として貸し出されて、そこで〈現実の貨幣として〉演じる働きのことである。そして〈貨幣への請求権として,働く〉というのは、マルクスが〈第2の機能〉と述べていることであろう。ここで〈それ自身がこれまた他人の現預金から実現される,というのではない貨幣〉という説明は、要するにA自身が自分の預金を引き出すということであろう(Aの引き出した預金は実際には〈他人の現預金〉である)。Aの預金はA自身がいつでも現金を引き出せるという意味では、Aにとっても貨幣の請求権としてある。だからここで述べているのは、そういう場合ではないケースということであろう。そしてその場合は〈ただ債権の相殺によってのみ〉働くというのは、われわれにとっては【28】パラグラフの一文の分析でも明らかである。

 だから結論として言えるのは、今回の引用文でマルクスが預金は〈二度貨幣機能を果す〉と述べていることは、【28】パラグラフでマルクスが〈預金そのものは二重の役割を演じる〉と述べていたことと同じ内容を述べているのだということである。

 そこでこの両者を比較するために図式化してもう一度整理して書いてみよう。

●《【28】パラグラフの記述》=預金そのものは二重の役割を演じる〉

 ①〈一方ではそれは,……利子生み資本として貸し出されており,したがって銀行業者の金庫のなかにはなくて,ただ銀行業者にたいする預金者の貸し勘定〔Guthaben〕として彼らの帳簿の[526]なかに見られるだけである。〉
 ②〈他方では,商人たち相互間の(総じて預金の所有者たちの)互いの貸し勘定が彼らの預金にあてた振出しによって相殺され互いに帳消しにされるかぎりでは,預金は《貸し勘定の》そのようなたんなる記録として機能する。〉

●《今回の引用文の記述》=〈Aが預金した貨幣は二度貨幣機能を果たした〉

 ①〈第1には,Aが預金した貨幣を受け取った人の手で〉この場合、預金は〈現実の貨幣として……働く〉。ここでマルクスが〈Aが預金した貨幣を受け取った人〉と述べているのは、銀行から利子生み資本として貸し出されたAの預金5000ポンドを受け取った人のことである。
 ②〈第2には,A自身の手で。第2の機能では,それは,貨幣の介入なしに行なわれる,債権の(Aが取引銀行業者にたいしてもっている債権とこの銀行業者がBの取引銀行業者にたいしてもっている債権との)相殺である。〉この場合、預金は〈貨幣への請求権として,働くのである。預金が貨幣へのたんなる請求権として働くことができるのは,ただ債権の相殺によってのみなのである。〉

(続く)

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