無料ブログはココログ

« 『資本論』第3部草稿(現行版第5篇)の研究(29-19) | トップページ | 林理論批判(41) »

2016年5月 9日 (月)

『資本論』第3部草稿(現行版第5篇)の研究(29-20)

『資本論』第3部第1草稿・第5章(現行版・第29章「銀行資本の構成部分」)の解読

 〔大谷禎之介《「銀行資本の構成部分」(『資本論』第3部第29章)の草稿について--第3部第1稿の第5章から--》(『経済志林』63巻1号収載)の訳文を利用〕

 (今回は、草稿の339頁の残りの部分(【34】)と340a頁(【35】)である。これでマルクスが〈5)信用。架空資本〉と題した草稿のうち、「II」と項目番号を打った部分は終わっている。)

【34】

〈この信用制度〔Creditsystem〕では,すべてが2倍にも3倍にもなって,たんなる幻想の産物に転化するのであるが,人々がやっとなにか確かなものをつかんだと思う「準備ファンド」についても同じことが言える。モリス(イングランド銀行総裁)。--「私営銀行業者たちの①準備は②預金の形態でイングランド銀行の手のなかにあります。③流出の最初の作用はただイングランド銀行だけに及ぶように見えますが,しかしそれはまた,私営銀行業者たちの準備にも影響を及ぼすでしょう。というのは,それは,彼らがイングランド銀行のなかにもっている準備の一部分の引き出しなのだからです。④まったく同様に,それはすべての地方銀行の準備に影響するでしょう。」(『商業の不況』,1847-48年。〔第3639号および第3642号。〕)だから,結局,《現実の》「準備ファンド」はイングランド銀行の「準備ファンド」に帰着するのである。しかし同行では,この準備ファンドがこれまた「二重化」される。銀行部の「準備ファンド」は,イコール,同行が発行の権限をもっている銀行券〔のうちの〕流通のなかにある銀行券を越える超過分,である。銀行券の法定最高限度は,イコール,1400万〔ポンド・スターリング〕 (これには地金準備は不要であって,イコール同行に対する国家の債務である)・プラス・同行の地金保有高である。だから,もしこの保有高がたとえばイコール1400ポンド・スターリングならば,同行は2800万ポンド・スターリングの銀行券を発行するのであって,もしそのうち2000万が流通しているなら,銀行部の準備ファンドはイコール800万である。この800万の銀行券は(法律上)同行が自由にできる銀行業資本〔d.banking Capital〕であり,また同時に同行の預金のための「準備ファンド」でもある。ところで,地金の流出が生じて,そのために金保有高がたとえば600万だけ減少するとすれば(その代わりに同額の銀行券が廃棄されなければならない),銀行部の準備は800万から200万に減少するであろう。一方では,同行はその利子率を非常に引き上げるであろう。他方では,同行に預金していた銀行業者{およびその他の預金者}は,同行にたいする彼ら自身の貸し勘定のための準備ファンドが非常に減少していることを知るであろう。1857年に4大株式銀行は,もしイングランド銀行が,⑤1844年の銀行法を停止する「政府書簡」をせびり取らないなら,自分たちの預金を引き上げると言っておどした。もしそれをやられたなら,銀行部は破産していたであろう。だから. 《1847年のように,》流通銀行券の兌換性の保証として地金部〔発券部〕には何百万〔ポンド・スターリングの地金〕がありながら(たとえば1847年には800万〔ポンド・スターリングの地金〕があった),銀行部が破産することがありうるのである。しかしこのことも,これはまたこれで幻想的である。|

① 〔注解〕この強調はマルクスによるもの。
② 〔注解〕この強調はマルクスによるもの。
③ 〔注解)「流出の最初の作用はただイングランド銀行だけに及ぶように見える」--『〔商業の不況〕……第1報告』では.「流出の作用は,最初は,イングランド銀行への作用のよう見える」. となっている。
④ 〔注解)「まったく同様に,金の流出はすべての地方銀行の準備に影響するであろう」--『〔商業の不況〕……第1報告』では,「金の流出は国中いたるところのすべての銀行業者の準備に影響するであろう」. となっている。
⑤ 〔注解) (MEGA.11/4.2,〕473ページ32行への注解を見よ。〔473ページ32行への注解では. 1844年の銀行法について.「この銀行法についてエンゲルスは次のように書いた」として,エンゲルスが彼の版の第34章で,彼による挿入であることを明記した彼によるこの銀行法についての説明(MEW,Bd.25.8.569-571)を引用している。〕

 このパラグラフは一部引用を含むがほぼすべてマルクスの考察になっている。ここではまず二つのことが指摘されている。

(1)一つは〈この信用制度〔Creditsystem〕では,すべてが2倍にも3倍にもなって,たんなる幻想の産物に転化する〉ということである。

(2)次に〈人々がやっとなにか確かなものをつかんだと思う「準備ファンド」についても同じことが言える〉ということ、つまりそれらも〈幻想の産物に転化する〉ということである。

 次にこの準備ファンドが幻想の産物に転化することについて、マルクスはやりは二つのことを述べている。

(1)一つは私営銀行業者たちの準備金はイングランド銀行の手にあるのであって、だから私営銀行業者の手にはないということである。その限りで私営銀行業者たちの準備金はただイングランド銀行に対する預金として存在しているに過ぎず、その限りではその一部分はただ帳簿上の記録となっており、その意味では〈幻想の産物に転化〉しているともいえる。いずれにせよ、マルクスは〈結局,《現実の》「準備ファンド」はイングランド銀行の「準備ファンド」に帰着する〉と述べている。ここで〈現実の〉というのは、恐らく帳簿上のものではなく、金属準備としての準備ファンドという意味であろうと思われる。それが、結局は、イングランド銀行に集中され、その準備ファンドに帰着するのだとマルクスは指摘しているわけである。

(2)次にそのイングランド銀行の準備ファンドそのものが二重化することが指摘されている。この二重化の意味を理解するためには、1844年のピール銀行条例の内容を理解する必要がある。MEGAの注解⑤ではエンゲルスの一文を参照するよう指示があるので、少し長くなるが、われわれも、現行版からそれを紹介しておくことにしよう。

 〈{長い後陣痛を伴った1837年の恐慌、それにつながる1842年のもう一つの完全な後続恐慌、そして、過剰生産には目もくれようとしなかった産業家や商人の利己的盲目--じっさい過剰生産などというものは俗流経済学によればばかげたことであり不可能事だったのだ!--、これらのものがついに人々の頭のなかにあのような混乱をひき起こし、この混乱が通貨学派にその独断説を国民的規模で実行に移すことを許したのである。1844/45年の銀行立法は通過したのである。
 1844年の銀行法はイングランド銀行を発券部と銀行部とに分ける。前者は、1400万の保証準備--大部分は政府債務--と、最高四分の一までは銀でもよい総金属準備とを与えられて、この両方の総合計額と等額の銀行券を発行する。これらの銀行券は、公衆の手にあるのでないかぎり、銀行部に置かれていて、日常の使用に必要な少量の鋳貨(約100万)とともに銀行部の常置準備金をなしている。発券部は公衆に銀行券と引き換えに金を与え、金と引き換えに銀行券を与える。それ以外の公衆との取引は銀行部によって行なわれる。1844年にイングランドおよびウェールズで自己銀行券の発行権を認められていた個人銀行はこの権利を保持するが、その銀行券発行高は割当によって定められる。もしこのような銀行の一つが自己銀行券の発行をやめれば、イソグランド銀行は消滅した割当額の三分の二だけ無準備発行額を引き上げることができる。この方法で無準備発行額は1892年までに1400万ポンドから1650万ポンド(正確には16、450、000ポンド)に増加した。
 こうして、銀行準備から5ポンドの金が流出するごとに5ポンド銀行券一枚が発券部に帰ってきて廃棄される。準備金に5枚のソヴリン貨が加わるごとに新しい5ポンド券一枚が流通にはいる。これによって、厳密に金属流通の諸法則に従うオーヴァストーンの理想的紙券流通が実行され、それによって、通貨主義派の主張によれば、恐慌は永久に不可能にされたのである。
 ところが、現実には、イングランド銀行を二つの独立した部に分けたということは、理事会から決定的な瞬間にその全可処分資金を自由に利用する可能性を奪ったのであり、したがって、発券部は何百万もの金のほかにその1400万の保証準備をそっくりそのまま持っているのに銀行部は破産に直面するという場合も起こりうることになったのである。しかも、このようなことは次のような理由でますます容易に起こりえたのである。というのは、ほとんどどの恐慌でも外国への大きな金流出の起きる時期が現われるのであって、この金流出はおもにイングランド銀行の金属準備によってまかなわれなければならないからである。この場合外国に5ポンドが流出するごとに、国内の流通から5ポンド銀行券が一枚引きあげられるのであり、こうして、流通手段の量は、まさにそれが最も多く最も切実に必要になる瞬間に縮小されるのである。こうして、1844年の銀行法は、直接に全商業界をそそのかして、恐慌が起こりそうになるといち早く銀行券の予備を貯えさせ、したがって恐慌を速くさせ激しくさせるのである。この銀行法は、このように貨幣融通にたいする、すなわち支払手段にたいする需要を決定的な瞬間に効果的になるように人為的に増大させることによって、しかも同時にその供給を制限しながらそうすることによって、恐慌期の利子率をかつて聞いたことのない高さにまで追い上げるのである。つまり、それは、恐慌を除き去るのではなく、かえってそれを激しくして、全産業界か銀行法かどちらかが破滅するよりほかはないような点まで至らせるのである。これまでに二度、1847年10月25日と1857年11月21日とに、恐慌はこの頂点までのぼりつめた。そのとき政府は、1844年の法律を停止することによって、イングランド銀行をその銀行券発行の制限から解放したのであって、両度ともそれで恐慌を打開することができたのである。1847年には、今では再び一流の担保と引き換えに銀行券が確実に手にはいるということだけで、400万から500万の退蔵銀行券を再び明るみに出させ流通に投じさせることができた。1857年には100万足らずの銀行券が法定量を越えて発行されたが、それはごく短い期間だけだった。
 もう一つ言っておきたいのは、1844年の立法は、まだ、今世紀の最初の20年間、すなわちイングランド銀行の兌換停止と銀行券の減価との時期の記憶の痕跡を示しているということである。銀行券が信用を失うかもしれないという心配は、まだ非常に目だっている。それはまったくよけいな心配だった。というのは、すでに1825年には、通用停止になっていた古い1ポンド銀行券の有り合わせのストックを発行することによって恐慌が打開されており、それによって、すでにその当時にも銀行券の信用は、最も一般的な最も強い不信の時期にさえも、不動だったということが証明されていたからである。これはまた十分理解できることでもある。とにかく、事実上全国民がその信用をもってこの価値章標の背後に立っているのである。-- F ・エンゲルス}〉
(全集25b713-715頁)

 このように、1844年のピール銀行条例は、イングランド銀行を発券部と銀行部の二つに分けて、発券部は銀行券の発行とその兌換業務を行い、銀行部は他の一般の銀行と同じ営業を行うこととしたのである。この当時はまだイングランド銀行の中央銀行としての性格が十分意識されていなかったのである(特に通貨学派は発券銀行としてのイングランド銀行の特殊性を意識し、それを“聖域化”するために、銀行部との分離を主張したが、中央銀行としての認識は不十分であった)。
 こうしたことからイングランド銀行の準備ファンドも発券部の準備と銀行部の準備という形で二重化したわけである。発券部の準備ファンドは、発券のための準備金(兌換保証金)ということである。ピール銀行条例によれば、発券部は恒常的な流通必要量として1400万ポンドに対しては保証なしに銀行券を発行できる(だからこの部分は国家に対する債務になるとマルクスは指摘している)。そしてそれにプラスして、地金準備高だけの発券が追加される。マルクスは地金が1400万ポンドあるとしたら発券部は2800万ポンドの銀行券を発行することになるが、しかし実際に流通しているのが2000万ポンドなら残りの800万ポンドは銀行部の準備金になること、しかし発券部の地金が流出して金保有高が600万ポンド減少して800万ポンドになれば、そして流通高に変化がないとすれば、銀行部の準備金は200万ポンドになり(1400+800-2000=200)、銀行部の準備金が少なくなるために、利子率が高くなり恐慌をより一層激化するのだと指摘している。ところが実際には、発券部にはまだ800万ポンドもの金地金が存在するのである。だからこのような信用不安を激化させているのは、発券部と銀行部に分割したピール条例にあるわけである。だからマルクスは発券部にある800万ポンドの地金の存在についても、結局は、〈これはまたこれで幻想的である〉と指摘しているわけである。これは実際には存在するのに、存在しないものとされ、信用不安を引き起こすのだから、この実際に存在する金地金は準備金としては幻想的な存在でしかないというような意味でそう述べているのであろう。

 ところが大谷氏は〈このこと〉という部分に訳者注をつけ、次のように書いている。

 〈44)「このこと(diess)」--これは,発券部にある地金が流通銀行券の兌換性の保証となっている,ということであろう。〉

 しかし果たしてこうした指摘は正しいであろうか。大谷氏の説明にもとづいて、マルクスの一文を解釈すると、イングランド銀行の〈発券部にある地金が流通銀行券の兌換性の保証となっている,ということ〉も、〈これはまたこれで幻想的である〉ということになる。しかし1847年や1857年の恐慌時に問題になったのは、銀行券の金への兌換が保証されずに信用危機が生じたというようなことではない。むしろ支払手段としての銀行券への需要が高まっている時に、逆に地金の流出によって銀行券の発行が抑えられるために、銀行部の準備ファンドが縮小し、利子率が高騰して、信用危機が生じたのである。そもそも誰もが支払手段に窮して、銀行券への渇望が生じている時に、誰もわざわざ手持ちの銀行券を発券部に持ち込んで金への兌換を要求する筈がないのである。彼らはむしろ恐慌時に備えて銀行券を退蔵しようとさえしたのであって、それを兌換するなどということは思いもよらなかったのではないだろうか。それに恐慌の一時期、地金が流出したということは、銀行券が地金に交換されて、輸出されたことを意味しており、それは発券部にある地金が流通銀行券の兌換性を保証したからに他ならないのである。

【35】

  〈/[340a]下/預金および準備ファンドについて--ビル・ブローカー。「とはいえ,銀行業者自身が直接に必要としない{預金の}大きな部分がピル・ブローカーの手に渡り,彼らは見返りとして銀行業者に,銀行業者による前貸額にたいする担保として,自分たちがすでにロンドンやこの国のさまざまの部分の人々のために割引した商業手形を与える。ビル・ブローカーは銀行業者にたいしてこの当座借り〔money at call〕の支払の義務を負っている。そしてこのような取引が大きな金額になっていることは,イングランド銀行の現総裁ニーヴ氏が,その証言のなかで次のように言っているほどである。『私どもは,あるブローカーが500万もっていたことを知っておりますし,また,もう1人は800万から1000万をもっていたと推定する根拠をもっています。ある1人は400万,もう1人は350万,第3のl人は800万以上をもっていました。私が言っているのは,ブローカーに預託された預金のことです。』(『1844年……の銀行法の効果を調査するために任命された下院特別委員会からの報告』,1857-58年。〔別付Ⅴページ,第8項。〕) (1858年印刷。)「《①(ロンドンの)》ビル・ブローカーたちは……②少しも現金準備なしで巨額の取引を行なった。彼らは,支払期日がくる自分の手形が減少することをあてにしていたか,あるいは窮地に陥ったときには,保有割引手形を担保にしてイングランド銀行から前貸を受けるという自分の力をあてにしていたのである。」(同上。〔別付VIIIページ,第17項。〕)「ロンドンにある二つのビル・ブローカー商会は1847年に支払を停止した。その後両方とも取引を再開した。両商会は1857年にもふたたび停止した。一つの商会の負債は1847年には概数で2,683,000ポンド・スターリングで,そのときの資本は180,000ポンド・スターリングだった。1857年にはその負債は5,300,000ポンド・スターリングだったが,資本のほうは……おそらく1847年当時の額の4分のlよりも多くはなかった。もう一つの商会の負債は,どちらの停止期にも300万から400万で,資本は45,000ポンド・スターリングを超えていなかった。」(同前報告, (別付XXIページ,〕第52項。)/

① 〔注解〕「(ロンドン)」--マルクスによる挿入。
② 〔注解〕この強調はマルクスによるもの。

 まず、このパラグラフの最初にある〈/[340a]下/〉という草稿の原頁であるが、これには大谷氏の訳者注1)で次のように指摘されている。

 〈1) 前パラグラフの注45に記載されているマルクスの指示にしたがって,草稿の[340a〕ページの該当部分をここにもってきた。エンゲルス版でも同じ処理が行なわれている。〉

 そこで〈前パラグラフの注45〉を見ると、次のように書かれている。

 〈45) 〔手稿異文〕マルクスはこの〔339〕ページの末尾にあとから「この点についての続きは, 2ページあとの〔+〕以下のところを見よ。」という指示を記した。実際に340aページに〔+〕というしるしがあるので,そこの本文をここにもってきておく。〔草稿の340ページの次のページにはページづけがない。MEGAでは〔340a〕というページをつけている。〕〉

 つまり〔340a〕という頁付けはMEGAの編集の過程で独自につけたもので、マルクス自身のものではないことが分かる。それは実際の340原頁の次の頁であるが、頁づけがないのだという。いずれにせよマルクス自身が339頁の最後にこの部分を参照せよと指示書きしてあったのだから、それに関連するものと考えれば、エンゲルスの編集もMEGAによる措置、あるいは大谷氏の措置も適切と考えるべきであろう。

 それでは、この抜粋文の検討に移ることにしよう。

 この抜粋は、まずマルクス自身によって〈預金および準備ファンドについて--ビル・ブローカー〉という表題がつけられ、それにもとづいて抜粋が行われたメモのようなもののように考えられる。このマルクスが付けた表題から考えられるのは、〈預金および準備ファンド〉の架空性、つまり幻想の産物としての性格は、〈ビル・ブローカー〉についていえば一層顕著だということではないかと考えられる。
 まずここではビル・ブローカーが自分が割引した手形を担保にロンドンの銀行業者から〈当座借り〔moneyed at call〕〉を受けることが述べられている。この当座借りというのは、恐らくビル・ブローカーが銀行に当座預金を設定することであろう。そしてその額が途方もないものになっているということである。こうした担保としての手形は期日が来たからといって常に支払われる保証はない、特に恐慌時にはこれらの手形は不渡りになる可能性は大なのである。だからそれを担保にした貸し付けも不良化することは否めないのである。
 次に、その膨大なブローカーに預託された預金に引き比べて、彼らの自己資本は極めて少なかったことも指摘されている。彼らは〈少しも現金準備なしで巨額の取引を行なった〉のである。実際、上記引用文で紹介されている例によれば、最初のものは18万ポンドの資本金で、その14.6倍もの巨額の債務を負っていたり、その次は4.5万ポンド以下の自己資本でその180倍近くもの負債を抱えていたことが指摘されている。さらにもう一つの商会についても自己資本の40倍から90倍近くの負債を抱えていた例が紹介されている。つまりその彼らの当座預金も、その担保として銀行が保有する割引手形も、そのほとんどが〈幻想の産物に転化する〉のだというのが、この抜粋を行ったマルクスの言いたいことであろうか。
 
 以上で、第29章該当部分の草稿の解読は終了する。

 

« 『資本論』第3部草稿(現行版第5篇)の研究(29-19) | トップページ | 林理論批判(41) »

『資本論』第3部第5篇の研究」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1480743/65391047

この記事へのトラックバック一覧です: 『資本論』第3部草稿(現行版第5篇)の研究(29-20):

« 『資本論』第3部草稿(現行版第5篇)の研究(29-19) | トップページ | 林理論批判(41) »