無料ブログはココログ

« 林理論批判(23) | トップページ | 林理論批判(24) »

2015年11月12日 (木)

『資本論』第3部草稿(現行版第5篇)の研究(29-1)

『資本論』第3部第1草稿・第5章(現行版・第29章「銀行資本の構成部分」)の解読

   〔大谷禎之介《「銀行資本の構成部分」(『資本論』第3部第29章)の草稿について--第3部第1稿の第5章から--》(『経済志林』63巻1号収載)の訳文を利用〕

 第28章該当部分の草稿の解読は、電子書籍として一まとめにしたことでもあり(このブログの「リンク」からダウンロードできる)、今回から引き続き第29章該当部分の草稿の解読を開始する。これから紹介するものも、以前、私が所属していた同志会の支部における学習会のレジュメとして提出したものである。ただし学習会そのものは、何時ものことながら、第28章と同様に、最後まで行かないうちに頓挫してしまった。なお、発表するものは、支部に提出したレジュメそのものではなく、必要な手入れをしてあることはいうまでもない。

《はじめに》

 2009年11月に開催された関西労働者セミナーのテーマは、「恐慌の歴史を学ぶ」であったが、林氏の報告「08年金融恐慌と現代資本主義」をめぐって一定の論争があった。それはサブプライム・ローンの証券化をめぐる問題であった。林氏はそれを国債を例に上げて、説明したのに対して、亀仙人は、それはマルクスがいうところの架空資本として捉えるべきだと主張したのであるが、林氏は国債は架空資本ではない、国債を資本還元しても無意味だと主張し、ここに一つの論争問題が発生したのであった。
 これは『資本論』の第29章でマルクスが論じている架空資本の理論を如何に理解するかということと直接関連しており、その後、林氏は自説を擁護して『海つばめ』No.1110とNo.1111で自らの主張を展開したのであるが、亀仙人は林氏の『資本論』の理解は間違っていると主張したのである(この『海つばめ』の記事に対する批判は、別途連載している「林理論批判」のなかで紹介することにしよう)。そこで、OM支部としては、自分達で『資本論』をしっかり研究して、果たして何が正しいのかを学ぶことが何よりも重要であることを確認し、支部として第29章を理論活動として取り組むことにした。そして、以前にもマルクスの草稿の第28章該当部分を詳しく支部として学習会を行なって研究した経緯もあり(そのときも同志会内でこの部分の解釈をめぐって一定の論争があった)、今度も、やる限りは、エンゲルス版ではなく、マルクスの草稿そのものを学習しようということになった。以下は、そのためのレジュメである。このレジュメは第28章該当部分のそれと同様に、極力、『資本論』のそれ以前に出てくる問題についても、関連する限りで、分かりやすく解説しながら、説明することにしたいと考えている。また第28章該当部分の学習のレジュメと同じように、各パラグラフごとに解説していくことにする。

《第29章の位置》

 われわれは、まず草稿の第29章該当部分は、『資本論』の第3部草稿(「主要草稿」とも「第1草稿」とも呼ばれている)の第5章(篇)「利子と企業利得(産業利潤または商業利潤)とへの利潤の分裂。利子生み資本」(エンゲルス版の表題「利子と企業者利得とへの利潤の分裂。利子生み資本」)のなかでどういう位置を占めているのかを確認することから始めることにしたい。
 大谷禎之介氏は、その最終講義(経済志林 72(4), 19-20頁)のなかで、以下のような第5章の全体の構成を明らかにしている。

第5章の構成

A.  利子生み資本の理論的展開

  I .利子生み資本の概念的把握

  (1) (草稿:「l) 〔表題なし〕」) (エンゲルス版:「第21章 利子生み資本」)
  (2) (草稿:「2)利潤の分割。利子率。利子の自然率」)(エンゲルス版:「第22章 利潤の分割。利子率の「自然」率」)
  (3) (草稿:「4) 〔表題なし,4は3の誤記〕」) (エンゲルス版:「第23章 利子と企業者利得」)
  (4) (草稿:「5)利子生み資本の形態における剰余価値および資本関係一般の外面化〔5は4の誤記〕」) (エンゲルス版:「第24章 利子生み資本の形態での資本関係の外面化」)

 II. 信用制度下の利子生み資本の考察(草稿:「5)信用。架空資本」)

  (1) 信用制度概説
   (a) 信用制度の二側面とその基本的な仕組み(エンゲルス版:「第24章 信用と架空資本」の初めの約4分の1)
   (b) 資本主義的生産における信用制度の役割(エンゲルス版:「第27章 資本主義的生産における信用の役割」)
  (2) 信用制度下の利子生み資本(moniedcapitaI)の分析
   (a) monied capitalをめぐる概念上の諸混乱(草稿:「I) 〔表題なし〕」) (エンゲルス版:「第28章 流通手段と資本。トゥックとフラ一トンとの見解」)
   (b) monied capitalの諸形態。架空資本としてのmoniedcapital(草稿:「II) 〔表題なし〕」) (エンゲルス版:「第29章 銀行資本の構成部分」)
   (c) 実物資本との関連におけるmoniedcapitalの分析(草稿:「III)〔表題なし〕」) (エンゲルス版:「第30章 貨幣資本と現実資本 I 」.「第31章 貨幣資本と現実資本II」.「第32章 貨幣資本と現実資本III」)
  (3) 地金の流出入。信用システムの貨幣システムによる被制約性(草稿:ノート「混乱」のあと,本文として書かれた部分) (エンゲルス版:「第35章 貴金属と為替相場」)

B. 利子生み資本にかんする歴史的考察(草稿:「6)先ブルジョア的なもの」) (エンゲルス版:「第36章 先資本主義的なもの」) 

 つまり大谷氏によれば、第5章は大きく分けて、〈A. 利子生み資本の理論的展開〉と〈B.利子生み資本にかんする歴史的考察〉に分かれ、さらに前者は〈I .利子生み資本の概念的把握〉と〈II. 信用制度下の利子生み資本の考察〉とに分かれる。そして後者は、さらに三つの部分〈 (1) 信用制度概説〉〈 (2) 信用制度下の利子生み資本(moniedcapitaI)の分析〉〈 (3) 地金の流出入。信用システムの貨幣システムによる被制約性〉に分かれるのであるが、このうち(2)の部分は、マルクス自身による I 、II、IIIの表題なしのローマ数字による番号が打たれ部分に分けられているのであるが、第29章該当部分は、このうちIIに当たるわけである。その内容を大谷氏は〈monied capitalの諸形態。架空資本としてのmoniedcapital〉としている。
 こうした第5章(篇)全体の構成の捉え方は、その内容に即して考えるに極めて妥当なものと言うことができる。ここで注意が必要なのは、の〈 I .利子生み資本の概念的把握〉については、マルクス自身によって、 (1)(4)の節番号が打たれ(但し、上記に説明されているようにマルクス自身は番号を打ち間違っているのであるが)、 (2)(4)にはマルクス自身による表題も書かれており、全体としてこの部分はかなりの程度まで完成されており、エンゲルスはそれを第21章~第24章として編集したのである。それに対して、の〈 II. 信用制度下の利子生み資本の考察〉の部分は、マルクス自身によって〈 5)信用。架空資本〉と表題が書かれていて、 IIIIの部分に分けられているものの、マルクスが資料集めのために書きつけたものも色々と間に挟まっており、エンゲルスが第3部の編集でもっとも手こずったところなのである。エンゲルスが編集に手こずった主要な理由は、その部分のマルクスの草稿の完成度が低かったからでもあるが、それ以上に、エンゲルスがアイゼンガルテンによる聞き書き稿をもとに編集したからであると大谷氏は指摘している。つまりマルクスの草稿ではテキスト(本原稿)の部分と資料集めのための部分とが区別できるようになっていたのに、それを無視して編集用の聞き書き稿を作ってしまったからだというのである。だからエンゲルスは本来は資料のために書いている部分も第25章の後半や第26章第33章第34章の全部、第35章の一部に採用して、一つの章を作り上げるというような操作をしてしまって、マルクスの草稿の展開を見えにくくしてしまっているわけである。
 だからマルクスが〈 5)信用。架空資本〉と番号を打って表題を書いた部分は、エンゲルス版の第25章~第35章全体を含むものだったわけである。ところがエンゲルスは、この表題を第25章の表題として採用して〈第25章 信用と架空資本〉としたのであったが、しかし草稿ではこの部分では架空資本についてはほとんど論じていなかったのである。だからエンゲルスはマルクスが資料として書きつけた部分から架空資本について言及したものや、エンゲルスが独自に集めたものを加えて、この第25章を作り上げているわけである。
 しかしマルクスの本来の意図は、エンゲルスが第25章~第35章に分けた部分全体の表題として〈信用。架空資本〉を考えていたのである。この部分でマルクスが課題としたのは、大谷氏が指摘するように〈信用制度下の利子生み資本の考察〉であった。この課題については、現行版の第27章の最後のあたりでマルクス自身によって次のようにいわれている(但しこの部分もエンゲルスによって手が入れられて、現行版では、マルクスの本来の意図が正しく伝えていないので、われわれは草稿を見ることにする)。

 〈これまでわれわれは主として信用制度の発展{そしてそれに含まれている資本所有の潜在的な止揚を,主として生産的資本に関連して,考察した。いまわれわれは,利子生み資本そのもの{信用制度による利子生み資本への影響,ならびに利子生み資本がとる形態}の考察に移るが,そのさい総じて,なお若干のとくに経済学的な論評を行なわなければならない〉(『経済志林』52巻3・4号(43)-(44))

 マルクスがここで〈これまで〉と述べているのは、現行版で第27章に該当する部分であり、先の大谷氏の第5章(篇)全体の構成で見ると、〈 (1)信用制度概説〉の〈 (b) 資本主義的生産における信用制度の役割〉の部分なのである。そして〈そのさい総じて,なお若干のとくに経済学的な論評を行なわなければならない〉とマルクスが述べているのは、マルクス自身が I と番号を打った部分、大谷氏によると〈(a) monied capitalをめぐる概念上の諸混乱〉にあたり、現行版では〈第28章 流通手段と資本。トゥックとフラ一トンとの見解〉に該当するわけである。
 だからわれわれがこれから検討する第29章該当部分(つまりマルクス自身がIIと番号を打った部分)は、ここでマルクスが〈いまわれわれは,利子生み資本そのもの{信用制度による利子生み資本への影響,ならびに利子生み資本がとる形態}の考察に移る〉と言っている問題が、最初に本格的に取り組まれている部分なのである。
 大谷氏は、この第29章該当部分の解説のなかで、〈第5節の表題は「信用。架空資本Jでしたが,マルクスがここに「架空資本」 と書いていたのは,エンゲルス版第25章の部分ではなくて,ここのところで銀行資本の架空性を明らかにすることを念頭に置いていたものと考えられるのです〉(前掲最終講義31頁)と述べているが、確かにそう考えられなくもないが、しかしマルクス自身は「5) 」全体の表題として〈信用。架空資本〉を考えていたのであるから、この表題にある〈架空資本〉が第29章該当部分だけに妥当すると考えるのは必ずしも正しくないだろうと思う。やはりマルクス自身は、〈利子生み資本そのもの{信用制度による利子生み資本への影響,ならびに利子生み資本がとる形態〉として〈架空資本〉こそがもっとも重要なものだと考え、それこそが考察の対象であり、解明されなければならない問題であると考えていたと捉えるべきではないかと思うわけである。この点、大谷氏の位置づけは若干物足りない面が残るのである。同じことはマルクスが〈III〉と番号を打った部分の課題についても言える。大谷氏はこの部分の課題を〈実物資本との関連におけるmoniedcapitalの分析〉として、次のように述べている。

 〈ここでマルクスがなにをやっているかと言えば,要するに,monied capitalがどのようにreal capitalから自立して運動するか,real capitalにどのように反作用するか,それにもかかわらずreal capitalによってどのように制約され,規定されざるをえないか,ということを資本の運動の時間的経過のなかで観察し,解明するということなのですね〉(同32頁)

 確かに大谷氏の説明は、その通りであり、なにも間違っているわけではないのであるが、しかし、この部分でマルクスが追究しているものの説明としてはやはり物足りなさは否めないのである。マルクスが解明しようとしているのは、現代資本主義でも大きな問題になっている金融バブルの理論的解明なのである。マルクスは〈 5) 〉と番号を打った部分全体の表題を〈信用。架空資本〉と書いたということは、まさにこの部分全体で解明しようとしたのはこの課題(金融バブルの解明)だったと言えるであろう。それは信用制度のもとで利子生み資本の形態が生み出した“幻想的な怪物”であることを明らかにし、それが不可避に破裂、崩壊せざるをえないことを論証することだったと言えるのである(だから同じように、バブルの崩壊を論証している第35章該当部分の大谷氏の説明にも一定の物足りなさを感じざるをえないのである)。その意味では、“サブプライム金融恐慌”に代表される現代資本主義を理論的に解明することを課題とするわれわれが徹底的に研究し、そこから学ぶ必要のあるところもまさにこの部分なのである。
 だから現代資本主義に特徴的な金融バブルを解明するキーワードは「架空資本」であり、その概念が解明されているのが、すなわちこれからわれわれが学習する第29章該当部分なのである。そうした重要な位置づけを確認して、次からその内容に踏み込んで研究し、学んで行くことにしよう。(続く)

« 林理論批判(23) | トップページ | 林理論批判(24) »

『資本論』第3部第5篇の研究」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1480743/62476610

この記事へのトラックバック一覧です: 『資本論』第3部草稿(現行版第5篇)の研究(29-1):

« 林理論批判(23) | トップページ | 林理論批判(24) »