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2015年10月 1日 (木)

『資本論』第3部草稿(現行版第5篇)の研究(28-26)

現行版第5編第28章該当箇所の草稿の解読

(2) 各パラグラフごとの解読(続き)

【43】 (ここからはこれまで論じてきた銀行学派の混乱の c の「まとめ」であるように思える。だからマルクス自身の概念もここから徐々に登場するのである)

 〈ところで,われわれは銀行の有価証券の増大(あるいは貨幣融通を求める圧迫の増大)と,それと同時に生じる通貨〔currency〕の総量の減少ないし停滞とを,二重の仕方で説明した。すなわち,1) 地金の流出によって,2) たんなる支払手段としての貨幣の需要によって。この第2の場合には,その発行がただ一時的であるか,または帳簿信用のゆえに取引がまったく銀行券の発行なしに行なわれるのであり,したがって,《たんなる》信用取引が諸支払を媒介するのであって,またこれらの支払の媒介がこの貨幣取引の唯一の目的なのである。貨幣がただ諸支払の決済のためにのみ機能する場合には(そしてそのような恐慌のときに借りるのは,支払うためであって買うためではなく,過去の諸取引を終わらせるためであって新たな諸取引を開始するためではない),その貨幣のCirculationはただ瞬過的〔verschwindend〕でしかないのであって,この決済がまったく貨幣の介入なしにたんなる信用操作によって行なわれるのではない場合〔でさえも〕そうだということ,したがって巨大な額のこのような取引と貨幣融通にたいする大きな圧迫とが,Circulationを拡大することなしに生じうるということ,これは貨幣の特性である。しかしフラ一トン,トゥック等々が持ち出している事実,すなわち,イングランド銀行が有価証券の膨張によって示されるような大きな貨幣融通をしているのに,それと一緒に同行のCirculationが停滞したままであるかまたは減少--低位の通貨〔a low currency〕--しさえもするというたんなる事実は,一見して明らかに,けっして,彼らが彼らの誤った「資本の問題」のために主張しているのとは違って,支払手段としての機能における貨幣《(銀行券)》のCirculationは増加も膨張もしないということを証明するものではないのである。購買手段としての銀行券のCirculationは減少するのだから,支払手段としての銀行券のCirculationは増加しうるし,また, Circulationの総額,すなわち購買手段プラス支払[418]手段として機能する銀行券の合計は,停滞したままでありうるし,あるいは減少することさえもありうる。支払手段としてのCirculationは,彼らにとっては,Circulationではないのである。〉(大谷訳265-266頁)

 以下、このパラグラフそのものはこれまでこのレジュメを読んできた人であれば、それほど理解困難なものではない。だから平易な書き下しも、大谷訳では〈Circulation〉と原文のままになっているものをどのように理解し訳すべきかを示す程度の最小限のものにした。

 〈ところで、われわれは銀行の有価証券の増大(あるいは貨幣融通を求める圧迫の増大)と、それと同時に生じる通貨の総量の減少ないし停滞とを、二重の仕方で説明した。すなわち、1) 地金の流出によって、2) たんなる支払手段としての貨幣の需要によって、この第2の場合には、その発行がただ一時的であるか、または帳簿信用のゆえに取引がまったく銀行券の発行なしに行われるのであり、したがって、たんなる信用取引が諸支払を媒介するのであって、またこれらの支払の媒介がこの貨幣取引〔貨幣の貸借〕の唯一の目的なのである。
 貨幣がただ諸支払の決済のためにのみ機能する場合には(そしてそのような恐慌のときに借りるのは、支払うためであって買うためではなく、過去の諸取引を終わらせるためであって、新たな諸取引を開始するためではない)、その貨幣の流通はただ瞬過的でしかないのであって、この決済がまったく貨幣の介入なしにたんなる信用操作によって行われるのでない場合でさえもそうだということ、したがって巨大な額のこのような取引と貨幣融通にたいする大きな圧迫とが〔銀行券の〕流通高を拡大することなしに生じうるということ、これは貨幣の特性である。〔だから銀行学派のいうような「資本の問題」ではないのだ。〕
 しかし、フラートン、トゥック等々が持ち出している事実、すなわち、イングランド銀行が有価証券の膨張によって示されるような大きな貨幣融通をしているのに、それと一緒に同行の流通高が停滞したままであるか、または減少--低位の通貨--しさえもするというたんなる事実は、一見して明らかに、けっして、彼らが彼らの誤った「資本の問題」のために主張しているのとは違って、支払手段としての機能における貨幣(銀行券)の流通高は増加も膨張もしないということを証明するものではないのである。それはただ、購買手段としての銀行券の流通高が減少するから〔なぜならすでに【31】で検討したように、逼迫期には収入の流通--そこでは貨幣は主に購買手段として機能する--を媒介する通貨は収縮するから〕、支払手段としての銀行券の流通高が増加しても、通貨の総額、すなわち購買手段プラス支払手段として機能する銀行券の合計額が、停滞したままでありうるか、あるいは減少することさえもありうるということを示すだけなのである。結局、彼らにとっては、支払手段としての通貨は、資本を媒介するということから「資本」として捉えられ、通貨ではないのである。〉

【44】 (このパラグラフは先の【43】と内容的にも連続している)

〈購買手段としてのCirculationが減少するよりも高い程度で支払手段としてのCirculationが増加するとすれば,たとえ購買手段としての機能における貨幣が量から見てかなり減少したとしても,総Circulationは増大するであろう。そしてこのことは,恐慌中のある諸時点で現実に起こるのである。フラ一トン等々は,支払手段としての銀行券のCirculationがこのような圧迫の時期の特徴だということを示さないので,この現象を偶然的なものとして取り扱うのである。「銀行券を手に入れようとする激しい競争はパニックの時期を特徴づけるものであり,また,ときには,1825年の終りのように,地金の流出がまだ続いている時にさえも,一時的でしかないとはいえ突然の発券増加をひき起こすこともあるのであるが,ふたたびこのような競争の実例について言えば,私の考えるところでは,このような実例は低い為替相場の自然的な,あるいは必然的な付きものとみなすべきではない。このような場合の需要は,Circulation〔」〕 (購買手段としてのCirculationと言うべきであろう)〔「〕のための需要ではなく,蓄蔵のための需要であり,流出が長く続いたあとに恐慌の終幕で一般的に生じる狼狽した銀行家や資本家の側からの需要であり,また,金の流出がやむことの前兆である。」a) /

① 〔注解〕この引用で・の強調はマルクスによるもの。〉 (大谷訳267-268頁)

 このパラグラフもそれほど理解困難なものではない。だから今回も原文の〈Circulation〉の解釈を示して、ほぼマルクスの文書をそのまま掲げておく。なお理解を補足するための若干の資料を紹介しておこう。後半部分はフラートンの著書からの引用になっているが、それもそのまま転記しておく。

 〈購買手段としての通貨が減少するよりも高い程度で支払手段としての通貨が増加するとすれば、たとえ購買手段としての機能における貨幣が量から見てかなり減少したとしても、総流通高は増大するであろう。そしてこのことは、恐慌中のある諸時点では現実に起こるのである〔これは例えば1825年恐慌時に実際に生じたのである。図1-3は金井雄一著『イングランド銀行金融政策の形成』からとってきたものだが、銀行券の発行高も手形割引高もどちらも25年恐慌のピークである12月に向かって異常に急増していることが分かる〕。フラートン等々は、支払手段としての銀行券の流通がこのような圧迫の時期の特徴だということを示さないので、この現象を偶然的なものとして取り扱うのである。
 「銀行券を手に入れようとする激しい競争はパニックの時期を特徴づけるものであり、また、ときには、1825年の終わりのように、地金の流出がまだ続いている時にさえも、一時的でしかないとはいえ突然の発券増加を引き起こすこともあるのであるが、ふたたびこのような競争の実例について言えば、私の考えるところでは、このような実例は低い為替相場の自然的な、あるいは必然的な付きものとみなすべきではない。このような場合の需要は、通貨(購買手段としての通貨と言うべきであろう)のための需要ではなく、蓄蔵のための需要であり、流出が長く続いたあとに恐慌の終幕で一般的に生じる狼狽した銀行家や資本家の側からの需要であり、また、金の流出がやむことの前兆である。」a)〉

Photo
 このフラートンからの引用文を見てもわかるように、フラートンは1825年の終わりに急激に起こった発券の増加を〈突然の〉ことと理解して、つまり〈偶然的なものとして取り扱〉っている。確かにそれは図1-3を見ても分かるように、〈一時的でしかない〉が、しかしそれが急激な支払手段に対する需要から生じたものであり、それが購買手段としての通貨の減少をはるかに上回る程度で生じたために、発券が急激に拡大したことを示しているのである。そしてこれは〈恐慌中のある諸時点で現実に起こる〉ことを図1-3は示している。フラートン等はこうした発券が支払手段に対する需要から生じるものであることを見ることができないのである。
 このフラートンが取り上げている1825年恐慌とはどんなものだったのかを知るために、アンドレァデス著『イングランド銀行史』から、その恐慌を描いた部分を参考のために紹介しておこう。

 〈避けることのできない反動が現れた。夏の初めに物価の下落が始まり、有価証券の崩落がこれに続いて起ったので、もはやその後の払込みが行われなくなった11月の末には、棉花の投機を行った若干の大商社が破産し、これが一般的恐慌を惹起した。イングランド銀行は、1797年の政策を放棄し、発行額を自由に引上げなければならないと考えた。同行の準備は1824年1月の1350万ポンドから1824年10月の1140万ポンドに減少した。同行は為替相場が不利であったにも拘らず、この措置を固執した。そして1825年4月には準備額は665万ポンドしかなかったが、この時発行額は1824年1月を上回っていた。イングランド銀行は恐慌の最も激しい時になって、漸くその誤謬を悟った。そして12月31日に、その割引歩合を5%に引き上げたのである。これも同行準備の減少を防止することができず、11月の300万ポンド余から、126万890ポンド(12月31日)に減少し、そして流通界に未曾有の混乱を持込んだのである。
 夜に日についで造幣局に鋳造させた政府の努力にも拘らず、鋳造貨幣の不足はますます甚だしくなった。この不足は最も有力な信用機関の一つであった「ロンドン銀行」London Bankの破産の後、本当に大払底をきたした。そしてこの破産に続いて60の金融会社が倒産に陥った。鋳貨の流出があまりに多かったので、イングランド銀行は、1ポンド紙幣を60万ポンド流通させなければならなかった。この紙幣は実際は「制限条例」の出た時に造られていたのであるが、その後長い問同行の金庫の中に忘れられていたのであった。この措置はノーリッチ銀行を救うことはできたが、この未曾有の事態を大して変えることはできなかった。
 誰もその所有する鋳貨を手離そうとはしなかった。そして下院におけるハスキスンの供述によれば、12月の大部分を通じて、国債や、イングランド銀行株や、インド会社の株というような最良の有価証券さえ現金化することができなかった。
 事態の逼迫は、イングランド銀行が適時に助けることのできなかった36の地方銀行の破産をもたらした。そしてロンドンの若干の大商社も同じ運命に脅かされた。イングランド銀行は政府の圧力によって、遂に紙幣発行の増加を決意し、40万ポンドを限度とする新規の貸付に応じたのである。このことは充分事態に対処することのできる堅実な商社に対しては有力な助けとなった。そしてその他の商社が全部消去ると情勢は少しずつ改善され、2年後に資金は4%で貸出されるようになった。
 以上は1825年の大恐慌の梗概である。この恐慌の全責任を、イングランド銀行と地方銀行との過剰発券に帰そうとしたこともあったし、また今でもそう考えている人々もある。〉(294-6頁)

【45】 (これは【44】パラグラフのフラートンの引用文のあとに付けられた原注a)である。この原注ではフラートンからの引用頁数を示すたけではなく、幾つかの文献から関連する部分の引用がなされており、【49】まで続いている)

 この引用文はフラートンの著書『通貨調節論』の第7章から取ってきている(邦訳では160頁である)。これはそのまま転記しておく。

 〈【原注】/334下/a) フラ一トン,130ページ。〉 (大谷訳269頁)


【46】
(これも【45】に続く原注の一部であり、「商業的窮境、1847-1848年」からの証言の引用である。しかし引用の終わりにマルクスの文章が付け加えられている)

 証言の引用部分はそのまま転記し、マルクスの挿入文もあわせて若干の解説を行っておこう。

 〈第4605号。「(イングランド)銀行がその利子率をさらち引き上げざるをえなくなったので、だれもが不安になっているようでした。地方銀行業者は手持ちの地金の額を増やし、また銀行券の保有額を増やしました。そして、平素はおそらく数百万ポンド・スターリングの金および銀行券を手持ちしているのを常としていた私たちの多くが、たちまち数千万ポンド・スターリングを金庫や引き出しのなかにしまいこみました。というのは、割引についても、われわれの手形が市場で流通できるかどうかについても、不安が広がっていたからで、これに続いて一般的な退蔵が起こったのです。」(商業的窮境、1847-1848年。)このようなときに国立銀行にとってCirculationとして現われるものは、中央から周辺への蓄蔵貨幣の拡散なのである。ロンドンの金貸し業者のうちの少しばかりの投機的頭脳は、このような時期に銀行券の人為的な欠乏をつくりだすのを常としている。〉 (大谷訳269頁)

 まず、〈国立銀行にとってCirculationとして現われるもの〉の部分は、〈国立銀行にとって流通高として現われるもの〉と翻訳・理解されるべきものと思われる。先のフラートンの引用では1825年の恐慌であったが、今回は1847年の恐慌の話である。恐慌時にはそれまでのクレジット・システム(信用主義)がモネタール・システム(重金主義)に転化すること、そしてパニックになると、誰もが金あるいはイングランド銀行券の退蔵に走ることが示されている。恐慌のピーク時には、こうした退蔵が一般的に生じることがフラートンの引用文でも(また私が紹介したアンドレァデス著『イングランド銀行史』の一文でも)、そしてまた今回の議会証言を見ても分かるのである。
 それにマルクスは、こうしたパニック時の異常に高まる銀行券の流通高というのは、中央銀行から地方銀行への蓄蔵貨幣の拡散であるとも説明している。またこうした時期には一部の銀行業者は投機を目的に人為的に銀行券の欠乏をつくりだすことも指摘している。

【47】 (このパラグラフも原注の続きであるが、【46】のマルクスの追加文のなかで投機を目的に人為的に銀行券の欠乏をつくりだすとの指摘を論証するものとして、引用されていると考えることができる)

 これも引用文なので、そのまま転記しておく。

 〈「あるおりに、ある握り屋の老銀行家がその私室で、自分が向かっていた机のふたをあけて、一人の友人に幾束かの銀行券を示しながら、非常にうれしそうに言った。ここに60万ポンド・スターリングがあるが、これは金融を逼迫させるためにしまっておいたもので、今日の3時以後にはみな出してしまうのだ、と。この話は……1839年の最低位のCirculationの月に実際にあったことなのである。」(〔ヘンリー・ロイ〕『為替相場の理論』、ロンドン、1864年、81ページ。)〉 (大谷訳269-270頁)

 この場合の〈Circulation〉も〈流通高〉と訳すべきであろう。なお、この引用文は訳者である大谷氏の注1)によれば、『資本論』第1部第3章第3節b「支払手段」のなかで、紹介されているということである。その部分の本文と注をもう一度読み直すことは、ちょうど、この第28章のこの部分を理解する上で、参考になると思うので、紹介しておこう。

 〈支払手段としての貨幣の機能は、一つの媒介されない〔直接的〕矛盾を含んでいる。諸支払が相殺される限り、貨幣はただ観念的に、計算貨幣または価値尺度として機能するだけである。現実の支払いが行われなければならない限りでは、貨幣は、流通手段として、すなわち、素材変換のただ一時的媒介的な形態として登場するのではなく、社会的労働の個別的な化身、交換価値の自立した定在、絶対的商品として登場する。この矛盾は、生産恐慌・商業恐慌中の貨幣恐慌と呼ばれる時点で爆発する(99)。貨幣恐慌が起きるのは、諸支払いの過程的な連鎖と諸支払いの相殺の人為的制度とが十分に発達している場合だけである。この機構の比較的全般的な撹乱が起きれば、それがどこから生じようとも、貨幣は、突然かつ媒介なしに、計算貨幣というただ観念的なだけの姿態から硬い貨幣に急変する。それは、卑俗な商品によっては代わりえないものになる。商品の使用価値は無価値になり、商品の価値はそれ自身の価値形態をまえにして姿を消す。つい先ほどまで、ブルジョアは、繁栄に酔いしれ、蒙を啓くとばかりにうぬぼれて、貨幣などは空虚な妄想だと宣言していた。商品だけが貨幣だ、と。ところが今や世界市場には、貨幣だけが商品だ! という声が響きわたる。鹿が清水を慕いあえぐように〔旧約聖書、詩篇、四二・二、日本聖書協会訳では四二・一〕、ブルジョアの魂も貨幣を、この唯一の富を求めて慕いあえぐ(100)。恐慌においては、商品とその価値姿態である貨幣との対立は絶対的矛盾にまで高められる。それゆえまた、この場合には貨幣の現象形態は何であろうとかまわない。支払いに用いられるのが、金であろうと、銀行券などのような信用貨幣であろうと、貨幣飢饉は貨幣飢饉である(101)。
 (99) 本文ですべての全般的生産・商業恐慌の特殊な局面として規定された貨幣恐慌は、特別な種類の恐慌とは、はっきり区別されなければならない。人は同じように貨幣恐慌と呼ぶが、後者は独力で発生しえ、したがって商工業には反作用的にのみ作用する。後者は、貨幣資本を運動の中心とし、したがって銀行、取引所、金融界をその直接の領域とする恐慌である(第3版へのマルクスの注)。
 (100) 「信用主義から重金主義へのこの突然の転化は、実際のパニックに理論上の恐怖をつけ加える。そして、流通当事者たちは、彼ら自身の諸関係の見すかしえない神秘の前に震えあがるのである」(カール・マルクス、『経済学批判』、126頁〔『全集』、第13巻、124~125頁〕)。「貧乏人に仕事がないのは、金持ちが、食物や衣類を生産させるための土地と人手は前と同じだけもっているけれども、貧乏人を雇うための貨幣はもたないからである。だが、食物や衣類こそ国民の真の富であり、貨幣がそうなのではない。」(ジョン・ベラーズ『産業高等専門学校設立の提案』、ロンドン、1696年、3、4頁)。
 (101) このような瞬間が「“商業の友 amis du commerce ”」によってどのように利用されるかは、次の通り。「ある時」(1839年)「一人の欲深い老銀行家」(シティー〔ロンドンの金融街〕の)「が、彼の私室で、座っていた机のふたをあけて、友人に銀行券の束を見せながら、ひどくうれしそうに言った。ここに60万ポンド・スターリングがある。金融をひっ迫させるためにしまっておいたのだが、きょうの3時以後には全部出してしまうさ、と」(〔H・ロイ〕『取引所の理論。1844年の銀行特許法』、ロンドン、1864年、81頁)。なかば政府機関紙である『ジ・オブザーヴァー』紙は1864年4月24日にこう書いている。「銀行券の欠乏を生じさせるためにとられた手段について、いくつかのきわめて妙なうわさが流れている。……何かこの種のトリックが用いられたと想像することは疑問の余地ありと思われるにしても、風聞があまねく行きわたっているから、たしかに言及する値うちがある」。〉(全集23a180-181頁)

【48】 (このパラグラフも原注の続きであり、先の【47】と同じく投機目的に銀行券の人為的欠乏をつくりだすことに関連したものである。やはりすでに参照した『資本論』第1部第3章第3節b「支払手段」の注101の後半部分に一部引用されている)

 この部分もただの引用だけなので、そのまま転記するだけにすまそう。

 〈①②資本〔」〕(!)〔「〕の供給は増加し、融通への需要は減少した。あらゆる非常事態に備えようといういつもの欲求--そしてこれが先週の終わりに調査を促したものであったが--の結果、いつものように公衆は、実際に彼らが不足のために必要としているよりも大きな金額を確保しようと努力した。そして、自分自身の補充が十分になったにもかかわらず、彼らは喜んで預金から彼らの残高を引き出し、これを払い出すべき好機に賭けたのである。……銀行券の欠乏を生じさせるために取られた手段について、ひどく奇妙なうわさがいくつか流れている。……なにかこの種のトリックが用いられたと想像することはどうかと思われるにしても、うわさは相当に広まっており、たしかに言及に値するものである。」(『ジ・オブザーバー』、4月24日)(1864年)

 ① 〔注解)「ファンド--シティ--, 4月23日,土曜日」。所収:『ジ・オブザーパー』,ロンドン,第3806号, 1864年4月24日, 4ページ第1欄。--マルクスがこの引用を,このまえに挙げられている書物『為替相場の理論。……』236ページから取ったことは明らかである。
 ② 〔注解〕この引用での強調はマルクスによるもの。〉
(大谷訳270頁)

 先の【47】の話は1839年の恐慌時の話であったが、今回のものは1864年の恐慌時の話のようである。そして言われていることは、基本的に同じで恐慌のピーク時のパニックに陥ると、公衆による金やイングランド銀行券の一般的な退蔵が生じること、またそれと結びついて投機目的に人為的に銀行券欠乏状態をつくり出そうとする策動が行われるといったものである。

【49】 (これも基本的には同じ主旨の引用だと思われる)

 これも『商業的窮境……にかんする委員会第一次報告書』からの引用だけなので、そのまま転記しておく。

 第1653号。(S.ガーニ。ロンドンのビル・ブローカー)「昨年〔」〕(1847年)〔「〕10月に地方の仲間たちがわれわれの手に預金した貨幣を求めて、国のあらゆる地域から、われわれにたいする全般的な需要があった。」【原注終り】|

 ① 〔注解〕『商業的窮境……にかんする秘密委員会第1次報告書』,1848年6月8日。「ロンドン・ノート, 1850-1853年J,第7冊,から取られている。(MEGA,IV/8,S.263,Z.23-25.) (大谷訳271頁)

 1847年の10月というのは恐慌のピークであり、政府は10月23日にイングランド銀行に対して、1844年のピール条例を停止する法案を出す用意があると非公式に打診し、二日後に公式に最低利率8%を以て割引と貸付の増加とを許可する書面を出している。この大蔵大臣の書面の公表は絶大な効力を発揮し、「貨幣がえられることが確実になると、これを得ようとする總ての願望を消滅させてしまった」という(アンドレァデス前掲書398頁)。
 ここで紹介されているのは、それ以前の話であり、やはり退蔵のために預金の引き出しの全般的な需要があったことを示すものであろう。
 なお以上で、原注は終わっている。この原注は基本的には恐慌時には、それまでの信用主義から重金主義へ転換が余儀なくされること、特にパニックが起こった時点では、金やイングランド銀行の一般的な退蔵が生じることが指摘されていた。そしてこの内容は基本的に次の本文に直接繋がるものでもある。

 (続く)

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