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2009年7月16日 (木)

大谷禎之介著「『資本論』第2部仕上げのための苦闘の軌跡」の批判的検討(その32)

 

大谷禎之介著《『資本論』第2部仕上げのための苦闘の軌跡
――メガ第II
部門第11巻の刊行に寄せて――》
(『経済』09年3・4・5月号掲載)の検討

●3、4でマルクスは何を問題にしているのか

 次に大谷氏は2について、次のように説明する。

 〈つまり、この2は、蓄積のための潜勢的貨幣資本の積立とそれについての外観上の困難を指摘している。〉(下171頁)

 この2の理解については、別に異論はない。しかし、引き続いて3、4について、次のようにまず概観を明らかにしている。

 〈続いて、第 I 部門の剰余生産物の一方的販売による可能的貨幣資本の形成がどのようにして行なわれるかを、3でまず、この販売が第 I 部門の内部で行なわれる場合について、次の4で、それが第II部門への販売によって行なわれる場合について論じる。〉(下171頁)

 しかしこれは不正確であるし、重要なポイントを見ていないように思える。マルクス自身は実際にはどう言っているのかをわれわれは確認しよう。

 《われわれは,この外観上の困難をさらに詳しく解決するまえに,まず部門 I (生産手段の生産)での蓄積と部門II(消費手段の生産)での蓄積とを区別しなければならない。部類 I から始めよう。》(大谷訳上40頁)

 このようにマルクスは2の最後に述べたあと、段落を変えて3を始めているのである。つまりマルクス自身は、部門 I での蓄積部門IIでの蓄積に分けて考察するのは、《この外観上の困難をさらに詳しく解決する》ためであることを明確に語っているのである。だから次に始まる3以下が《部門 I での蓄積》であり、さらにそのうちの3は部門 I での不変資本の蓄積、そして4が同部門での可変資本の蓄積であること(しかし実際には《追加可変資本の考察》の開始は三つ前のパラグラフから始まっている)、そしてさらに5が《部門IIでの蓄積》(これはマルクス自身が表題を書いている)となっていることを知るのである。つまりマルクス自身は《5)部門IIでの蓄積》と表題を書いた部分もあくまでも《外観上の困難を詳しく解決する》ためのもの、つまり一方的な販売による蓄積のための貨幣蓄蔵を行なおうとすると陥る困難を解決する一環であると考えていたということである。
 そしてこうした困難を解決するということは、すなわち如何にして社会的な年間の再生産における蓄積がなされるのかを明らかにすることであり、そのことはすなわち《蓄積あるいは拡大再生産》の概念を明らかにすることでもあるのである。

 次に大谷氏は3のより詳しい説明に移るのであるが、その中で次のように述べている(下線は大谷氏による強調個所)。

 〈しかし、彼がここではじめて解明した最大の問題は、単純再生産の内部で、どのようにして拡大再生産のための物質的土台が生み出されうるのか、ということである。生産を現実に拡大するためには、なによりもまず、蓄積される剰余価値が、現実の蓄積に必要な現物形態をもつ生産手段に転化できなければならない。それは、第 I 部門で、可能的貨幣資本を形成するために一方的に販売される剰余生産物の現物形態が、そのように変化することによって、単純再生産の内部で可能となるのである。〉(下171-2頁)
 〈このように、マルクスは拡大再生産の考察を、どのようにして拡大再生産の開始――エンゲルスはこれをきわめて適切に「単純再生産から拡大再生産への移行」(II/12, S. 458.34-35; II/13, S. 461.31-32)と表現した――が行なわれうるか、そのさいに生じる困難はなにか、ということから始めているのである。拡大再生産の開始とは蓄積率がゼロからプラスに転じることであるから、第一に、諸要素の配置の変更が必要だということと、第二に、この変更は第II部門での過剰生産をもたらすということとは、必要な変更を加えれば、すでに蓄積が進行しているさいに蓄積率が上昇する場合にも妥当するのであって、マルクスは3および4での分析によって、蓄積率が変動する場合一般についても示唆を与えているのである。〉(下172頁)

 しかしこれはまったく問題を読み誤っているとしか言いようがない。マルクスの意図は単純再生産と比べながら、拡大再生産の特徴、すなわちその概念を明らかにすることなのである。あるいはむしろ大谷氏が述べていることとはまったく逆に、単純再生産から拡大再生産には「移行」できないこと、「移行」しようとするなら、不合理や矛盾に陥ることを明らかにして、両者には質的な相違・飛躍があることを示すことなのである。
 すでに紹介したように、マルクスは1で最初に「蓄積」の直接的な規定として《現実の蓄積とは拡大された規模での再生産である》(強調引用者)との規定を与えた。しかし拡大再生産の概念は、決して量的な(規模の)問題ではなく、その前にまずは質的な問題として捉える必要があるということを示そうというのが、1~5全体を貫くマルクスのメインテーマなのである(だからこうした視点の強調は5と番号を打ったところまで--但しこの5に該当する部分は、草稿の最後まで続いているという大谷氏らの理解とは異なり、草稿の61頁にある区切りの横線までである--一貫している)。そしてそのために、マルクスは規模としては単純再生産と同じかあるいはそれよりも小さいケースをわざわざ選んで、しかしこうしたケースでも蓄積が可能であること、だから蓄積は単に量的に拡大することあるいは量的拡大を前提するものではないこと重要なのは単純再生産と拡大再生産とには質的な相違があり、前者から後者への「移行」には質的飛躍が必要であること、だから拡大再生産のためには単純再生産とは質的に異なる機能配置が必要であり、それを前提しなければならないこと、を明らかにしているのである(そしてそれが最終的には拡大再生産の機能配置にもとづく表式--a表式--の提示に帰結している)。そしてこうした考察の過程そのものが、まさに拡大再生産とは何か、その概念を明らかにすることでもあったのである。その詳しい検証はこの「マルクス研究会通信」における段落ごとの解読を見て頂きたい。そこでは大谷氏らが主張する、いわゆる「移行」論の間違いもとことん批判したつもりである。

 (この項目は、次回に続きます。)

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