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2009年4月 7日 (火)

『資本論』第2部第8稿の第21章該当部分の段落ごとの解説(その75)

§§第8稿第3章の段落ごとの解読(続き)§§

 

 (以下は前回の【115】パラグラフの考察の続きである。)

 

 では、このパラグラフでは何が論じられているのか、具体的に見ていくことにしよう。このパラグラフでは、大きく分けて、二つの問題が論じられている。最初の問題は、IIにおける「本源的な貨幣源泉」である。すなわち「金生産部門」の問題である。マルクスは部門 I においても同様の問題、すなわち蓄積のための貨幣蓄蔵が如何になされるのかを考察したときにも、金生産部門の問題を論じていた(【36】パラグラフ参照)。金生産部門こそ、その剰余価値の貨幣化という手続きを経ずに、蓄積のための貨幣蓄蔵が可能な部門だからである。つまり金生産部門では、貨幣蓄蔵を他の部門のように一方的販売を経て行なう必要がない部門なのである。だからマルクスは特にこの部門だけを別枠で論じる必要があると考えているのである。
 もう一つの問題は、金生産部門以外との交換で部門IIで、剰余価値の貨幣化にもとづいて、現実の蓄積に先立つ貨幣蓄蔵が如何になされるのか、という問題である。われわれはこの二つをとりあえず分けて論じることにしよう。
 ただ、全体として、ここでのマルクスの論述にはそのままでは素直に受け取れない部分もあるし、なかなか理解が困難な部分もある。そこでわれわれは、問題ごとに箇条書きにして論じることにする。最初は金生産の問題である。

 1)マルクスは金生産部門を部門 I と理解している。もちろん、金が貨幣としてではなく、それ以外のさまざまな原材料として利用されるなら、確かにそれは正しい。しかし金生産部門を貨幣の本源的源泉として理解するなら--そしてマルクスはここでは金生産をそのようなものとして扱っているように思えるのだが--、それはやはり正しいとはいえないように思えるのである。これまでにも多くの論者が指摘しているように、金生産部門は部門 I にも部門IIにも属さないものとして、いわば部門IIIに属するものとでもすべきだろうからである(部門IIの亜部門として理解する人もいる)。ただわれわれはマルクスが金生産部門を I に属するものとしているここでは、そうした前提のもとに以下の考察を行うことにしたい。
 2)マルクスはIIとっての本源的な貨幣源泉はIIcの一部が金生産の I(v+m)と交換されることだとし、〈ただし,金生産者が剰余価値を生産手段に転化させるかぎりでは,この(m+v) I はIIにはいらない〉という。すなわち金生産者が彼の剰余価値の蓄積分の一部を追加的な生産手段に転化するなら、その剰余生産物としての金は I に入り、IIは入らないわけである。だからIIには、蓄積分のうち追加可変資本部分だけが入るわけである。そうした場合、IIはただ一方的に I の資本家と労働者(追加分も含めて)にIIcの消費手段を販売するだけで、 I から何も購入する必要はない。IIは、その売り上げを将来の蓄積のために蓄蔵するわけである。こうしたことが可能なのは I(v+m)の現物形態が貨幣金そのものだからである。
 3)マルクスはすでに第2篇第17章「剰余価値の流通」において、金銀の生産部門の生産物は奢侈その他に利用されるもの以外は、すべて社会的に追加貨幣として流通に投じられること、だから金生産物も不変資本(c)+可変資本(v)+剰余価値(m)からなるが、そのすべてが販売なしに生産物(金)そのものによって補填され(単純再生産の場合)、よってすべてが販売なき購買として現われることを指摘していた。だからマルクスがここで〈他方,このような貨幣の蓄積(金生産者自身の側での)が最終的には拡大された規模での再生産に至るかぎりでは,金生産の剰余価値のうち収入として支出されない部分は追加可変資本としてIIにはいって,ここで新たな貨幣蓄蔵を促すか,あるはまた I から買うための新たな手段を直接に--直接に再び I に売ることなしに--与えるのである〉という場合、金生産物のうちそのmの一部が収入として支出されずに、生産物のまま蓄蔵されることを意味している。金生産者の場合は剰余価値部分の商品資本を実現して、その貨幣の一部を蓄蔵するのではなく、彼は剰余生産物の一部をそのまま蓄蔵するのである。そして彼がその蓄蔵した金で現実の蓄積をするために、一部を追加不変資本として、他の一部を追加可変資本として投じるとするなら、その追加可変資本として投下された金は、追加労働者を媒介して、IIに供給されるであろう。しかしこの金は社会的にみれば追加貨幣ではあるが、しかしIIにとってはIIの商品資本の不変部分IIcの実現であり(あるいはIImの一部の実現であり)、その限りでは決して追加的なものではないのである。しかしそれが社会的には追加貨幣であるということは、次のような意味を持っている。すなわちIIcの一部を実現した場合、IIはその補填のために I mから生産手段を購入する必要があるが、 I にとっては、それは購買なき販売であるこということ、だからそれは I の貨幣源泉になりうるのである。またIImの一部を金生産部門に販売するなら、その販売は購買なき販売であり、IIはそれを貨幣源泉として蓄蔵することができる。マルクスが〈ここで新たな貨幣蓄蔵を促すか,あるはまた I から買うための新たな手段を直接に--直接に再び I に売ることなしに--与えるのである〉と述べているのはこうした意味であろう。
 4)金生産者がcIIと交換する(v+m) I からは,IIのある種の生産部門が原料等々として,要するにその不変資本の諸要素として--あるいはむしろこれらの要素の再補填のために--必要とする《金》部分が差し引かれる〉とあるのは、IIcと交換される金生産部門の I(v+m)の一部は、IIの生産手段として購入されるということである。あるいはそういうものが貨幣としての金から差し引かれるということである。例えば、奢侈生産部門の原材料として金属材料としての金を購入する場合がそれである。そうした場合は、金生産物そのものは社会的にみても追加貨幣ではないわけである。

  (以下、このパラグラフの考察は次回に続く。)

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