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2009年3月27日 (金)

『資本論』第2部第8稿の第21章該当部分の段落ごとの解説(その72)

§§第8稿第3章の段落ごとの解読(続き)§§

 

 (以下は前回に続き【114】パラグラフの考察の続きである)

 蓄積部分においては確かに何も問題は生じない。しかし単純再生産の部分について、われわれはすでに考察済みとしたのであるが、それが問題なのである。もちろん、 I (3960Rc)とII(1440Rc)の流動不変資本については考察済みとしても問題はない。しかし I (404Dc)とII(201Dc)についてはそうではないのである。われわれは部門 I のこの場合の固定資本の補填について考えてみることにしよう。404Dcのうち400Dcはとりあえず前年の場合と同じと考えることができるから、問題は4Dcである。これは前年に蓄積された固定不変資本【40】の十分一が商品資本に価値移転した部分である。この固定資本部分の補填が如何になされるのか考えてみよう。もちろん、これは単純再生産部分であるから、われわれが単純再生産で考察した固定資本の補填の条件をもとに考察することが可能である。すなわちそれは固定資本の補填のための貨幣蓄蔵の過程にある資本家群(第二部)と今年度に新規に現物補填する資本家群(第一部)とを想定することによって可能であった。しかしここでハタとわれわれは行き詰まる。というのは、この4Dcを価値移転させた元の固定資本【40】というのは、前年新たに蓄積された固定資本なのである。だから例えその十分の一であろうが、今年度にそれが現物で補填されるというような条件は可能であろうか、という問題が生じるのである。確かに【40】という新規に蓄積された固定資本も年間その十分の一を生産物に価値移転すると言えるが、しかしその十分の一が死期を迎えて、現物補填が必要な状態になると仮定することは不可能なのである。もしそれが一年間で現物補填される必要があるなら、われわれの想定ではそれは固定資本とは言えないであろう。なぜなら、われわれの想定では資本は年一回転すると仮定されており、だから流動資本の回転も年一回転すると仮定されているのだから、それは流動資本と変わらないことになるからである。だから【40】の固定資本の周期は10年であり、それが死期を迎えるのは十年後なのである。【40】の固定資本の循環は、次のようになっている。それは毎年その十分の一だけ磨滅し、よって4Dcだけ商品資本に価値移転し、そしてそれが蓄蔵されて40に達する十年後にようやく死期を迎え、そして死滅した固定資本が一気に現物更新されるわけである。つまりこの【40】の新たに蓄積された固定資本については、確かにそれは単純再生産の部分ではあるが、われわれが単純再生産において想定した仮定が成立しないのである。それは次のような条件であった。

《固定不変資本の磨滅分(=価値移転分)》=《固定資本の死滅分(現物更新分)》

 つまり新たに蓄積された固定資本【40】については、この条件は成立しないのである。だからわれわれが単純再生産において固定資本の補填で想定した条件は、ここでは想定できないことになり、だからこの固定資本【40】の価値移転分4Dcの補填については、考察ずみとして済ますことはできないことになる。そして部門 I でそうであるなら、当然、部門IIの新規固定資本蓄積分【10】とその価値移転分1Dcについても同様であると考えなければならない。この新規蓄積分の固定資本の価値移転分については、当然、それは固定資本の磨滅分であるから、一方的に販売されるのであるが、しかしそれらは現物補填されることはない。それらが現物補填されるのは十年後だからである。だからこの一方的販売に対応する一方的購買者が存在しないことになる。しかも、仮に蓄積が繰り返されると仮定するなら、この新たに蓄積される固定資本部分は例え部門 I の蓄積率を50%と一定にしても、剰余価値そのものが増大するわけだから蓄積の規模そのものも増大し、よってまた追加不変資本に含まれる固定資本部分も増大するのであり、よってこうした不均衡は年々拡大することにならざるをえないであろう。
 そればかりか、われわれが単純再生産の場合における固定資本の補填の条件が想定可能と考えた、もともとの400Dc( I )と150Dc(II)についても、実は、必ずしもそうは言えないことに気付くのである。なぜなら、われわれが拡大再生産を表式として示す場合、それは不断に年々拡大している再生産を前提して、そのある年を出発点として前年の拡大再生産の成果である総商品資本を出発表式として提示しているのであって、だから出発表式として示されている商品資本総額そのものは、前年の蓄積の総結果と考えなければならないからである。そしてそのように考えるなら、400Dc( I )や150Dc(II)の固定資本の価値移転分についても、前年に新規に蓄積された固定資本から移転した部分も含まれると考えなければならないからである。だからもともと400Dc( I )と150Dc(II)についいても、単純再生産における固定資本の補填で考察した条件が無条件で前提できるわけではないことをわれわれは知るのである。

 かくして、われわれは行き詰まってしまったのである。

 そこで、われわれはマルクスが単純再生産における固定資本の補填を考察したときに、次のように書いていたことを思い出す。

 《不変な規模での再生産を考察するためには、全ての産業部門の生産性、したがってまた各部門の商品生産物の比例配分的価値関係を不変と仮定するべきだとしても、しかもなお、最後に述べた二つの場合、すなわちIIc(1)がIIc(2)よりも大きいかまたは小さい場合は、このような場合が無条件に現れうる拡大された規模での生産にとっては、やはり興味のあるものであろう。》(全集版574-5頁)

 マルクスは部門IIの固定資本の補填が如何になされるかを考察しているのであるが、ここで《IIc(1)》と書いているのは、固定資本がその死期を迎えて、全体を現物補填しようとしている部分とその価値額を意味し、《IIc(2)》というのは、これから蓄積基金を積み上げる資本家たちの貨幣蓄蔵の額を表している。つまり先にわれわれが見た《固定不変資本の磨滅分(=価値移転分)》=《固定資本の死滅分(現物更新分)》という条件なのである。
 ということは、マルクスはこの条件が成立せず、一方がより大きいかまたは小さい場合が、《拡大された規模での生産にとっては》《無条件に現われうる》と考えていることになる。マルクスは単純再生産の考察においては、この問題に関連して、再生産過程の攪乱や恐慌の可能性について論じている。 

 さて、拡大再生産における固定資本の補填についての考察は、これぐらいにして(この問題については、最後にもう一度取り上げる)、マルクスのテキストに戻ることにしよう。われわれはここでも、草稿をいくつかの部分に分けて、それぞれについて解読を試みることにする。

 (今回も字数オーバーになってしまったので、残りは次回に回すことにする。)

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