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2008年7月17日 (木)

現代貨幣論研究(1)

 「現代の貨幣」というのは、「現代の通貨」と言い換えてもよいだろう。これは直接には、われわれが毎日見ている、1万円札や千円札、あるいは500円や100円等の硬貨であろう。もちろん、これ以外にも「預金通貨」と称されるものもあるし、それ以外にも「通貨」の機能を果たすと考えられているものは他にもある。しかしまずわれわれが「現代の貨幣」としてその科学的な解明に取り組まなければならないのは、最初に直接的な表象として捉えられる千円札や万円札とは一体何なのかという課題なのである。

 これらの「現代の貨幣」を如何に理解するか、ということは一見、易しいようで、決してそうではない。これまでの著名なマルクス経済学者が束になってかかっても分からなかった問題と言っても決して言い過ぎでない、一つの“謎”なのである。
 
 例えば「マルクス経済学の通説の最高峰」と評価されているらしい、大谷禎之介著『図解・社会経済学』(桜井書店2001.3.30刊)も、その「おわりに--研究の到達点と残された諸課題--」で、次のように述べている。

 〈本書がこれまで行ってきたのは資本の一般的分析、言い換えれば資本主義的生産の一般的研究であり、その最終的な到達点が以上のようなものだったのである。……(中略)……
 われわれはいまでは、資本主義社会の外観的な運動は、その基底を貫いている運動法則、あるいは最深部にある内的な関連から生じているものであること、したがって前者は後者の認識なしには理解できないことを知っている。
 けれども、このことを知っているだけでは、本質的にたえざる不均衡化のなかでのたえざる均衡化としてのみ貫く資本主義的生産の諸法則のもろもろの具体的な貫徹形態はまだ説明されないままである。それらを理解するためには、資本の一般的分析によって得られた内的関連、内的諸法則についての認識にもとづいて、さらに具体的な諸問題の研究に進んでいかなければならない。このような研究が、本講のあとに残された課題である。〉(同書409-410頁)

 このように著者は述べ、そのような残された課題のうち「最も重要な課題」として第一に〈産業循環論、景気論、恐慌論〉、第二に、〈世界市場論〉、第三に〈現状分析〉、そして〈最後に〉として、次のように述べている。

 〈最後に、以上の三つの課題に取り組むためにも、いま理論的に明らかにすることが緊要となっている問題を、とくに一つだけあげておこう。それは、世界中の資本主義諸国で、中央銀行が発行する銀行券が不換券となっている不換制が一般化しており、そして諸国での不換制を基礎に特定の国(現在はアメリカ)の不換通貨が「国際通貨」として通用しているという、世界資本主義の現在の状態をどう理解するか、という問題である。換言すれば、貨幣である金を基礎にした貨幣システム(monetary system)はすでに意味を失ったのかそして、厳密に言えばそのような貨幣システムを基礎にしてのみ存立できるはずの信用システム(credit system)はもやは存在しないのか、という問題である。この問題は、すでに資本の一般的分析を超えるものなので本書では触れることをしなかったが、現代の経済を分析するさいの最も重要な理論的問題の一つである。〉(同書410-411頁)

 つまり「現代の貨幣」を如何に理解するか、という問題なのである。それがまず解明されたのちに、「ドル本位制」とか「ドル体制」と言われる今日の「国際通貨体制」の解明も、それを基礎に可能であろう。著者が「信用システムは意味を失ったのか」といった問題も提起しているが、これは恐らく伊藤武氏の主張(例えば『貨幣と銀行の理論』、『マルクス信用論の解明』等を参照)を暗に前提して述べているのであろうが、しかしこれは私に言わせれば論外であろうと思っている。信用制度が「そのような(つまり金にもとづく)貨幣システムを基礎にしてのみ存立できるはず」と考えること自体がすでに「信用とは何か」を理解しないものであり、間違っていると考えるからである。
 
 サブプライム問題やヘッジファンドとかのさまざまな金融現象の現代的な諸問題を解明していく上でも、この「現代の貨幣」を如何に理解するかということはもっとも基礎的な問題であり、この問題の科学的な解明なしに、現代のそれ以外のさまざまな経済的な諸問題の解明もまたおぼつかないと言っても過言ではないほどに重要な問題であると私は考えている。

 では、何がそんなに難しいのであろうか?

 大谷氏は〈貨幣である金を基礎にした貨幣システム(monetary system)はすでに意味を失ったのか〉と述べている。これは言い換えれば、マルクスが『経済学批判』や『資本論』で解明している「貨幣論」は〈すでに意味を失ったのか〉ということと同義なのである。
 つまり大谷氏がもしこの問題提起に「イエス」と答えたなら、彼のこの著書がまったく無意味になるような問題が突きつけられているわけである。なぜなら、彼は彼の著書が解明したのは〈資本主義的生産の一般的研究であり、その最終的な到達点〉だとし、〈資本の一般的分析によって得られた内的関連、内的諸法則についての認識にもとづいて、さらに具体的な諸問題の研究に進んでいかなければならない〉としていたからである。ところが彼が〈到達した〉とされる〈一般的分析〉が〈すでに意味を失った〉なら、そもそも〈その認識にもとづいて、さらに具体的な諸問題の研究に進〉むことすら不可能であろう。だからそれほど深刻な--マルクス経済学にとって深刻な--問題がそこにはあるのである。
 
 「貨幣とは何か」については、すでに述べたように、マルクスによって『経済学批判』や『資本論』において解明されている。しかしそこでは貨幣は金という商品に固着した形態として理解されているが、「現代の貨幣」には金との関連は一切無いように見えるからである。万円札や千円札は紙で出来ている。それだけではなく、これらの表面には「日本銀行券」と印刷されているように「銀行券」なのである。しかし銀行券なら金との兌換が保証されていなければならないという人々もおり、だから日銀券はすでに銀行券ではなく「紙幣」だなどと主張する人たちもいるわけである。もちろん銀行券も紙で出来ているのだから紙幣の一種だろうといえないこともないが、しかし理論的にはそんなに安易な問題ではない。というのは銀行券はある種の債券であるが、紙幣というのは国家が貨幣の鋳貨機能にもとづいて発行するものであり、両者は本質的に異なるものなのである。紙幣は貨幣のもっとも単純な機能から生まれてくるが、銀行券はもっと複雑な資本主義的な諸関係を前提しなければならない、等々。

 だから日銀券は果たして「紙幣」なのか、それとも「銀行券」なのか、というのも長くマルクス経済学者によって論争されてきた問題の一つなのである。「現代の日銀券はますます紙幣化しつつある銀行券である」などとどっちつかずの定式化をあたえて何か立派なことを言ったつもりになっている御仁もあるらしいが、こうした問題一つとってもなかなか解決がついていないのである。
 
 いや現代においても金は貨幣としての機能を果たしているのだ、という人が例えあったとしても、それなら、マルクスが『資本論』で明らかにしている貨幣の諸機能をどのように現代の貨幣の中に見いだすのかという問題が突きつけられてくることになる。
 
 例えば、現代の貨幣には果たして商品の価値を尺度する機能があるのかどうか、紙で出来ている日銀券それ自体には価値はないのだから、日銀券が直接、価値を尺度するハズがない、それなら商品に「○○円」という値札がついているが、これは一体何なのか、これは商品の価値を価格として表しているのではないのか、価値を尺度せずして、どうしてそれを価格として表すことが出来るのか、等々、という問題が出てくる。さらに度量標準の機能や、流通必要金量の法則など、マルクスが『資本論』で解明している諸法則が、現代でも果たして有効なのかどうかという形で、問われてくるわけである。
 
 こうして「現代の貨幣」は一つの“謎”なのである。
 
 私はこの連載を通じて、この謎を解明していくなどという大言壮語を吐く気はない。しかし私なりの考えというものは持っているつもりである。しかしそれを体系だって論じることが出来るほどのものがあるわけではない。

 だからこの連載では、このテーマに関連する諸文献を取り上げて、それを批判的に検討していくことにしたい。取り上げる文献はさまざまであり、とにかくこのテーマに資すると思えるものは何でも取り上げる。またその順序もまちまちであり、たまたま私の目についたものから取り上げるかも知れない。一つの著作である場合もあれば、雑誌や紀要等に掲載された論文である場合もある、とにかく関連する文献を一つ一つ批判的に取り上げてゆく。そしてそれらの批判的検討を通じて自ずと私自身のこの問題に対する立場、見解が浮き彫りになると期待するわけである。
 

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