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2008年7月15日 (火)

『資本論』第2部第20章第4節の不可解な部分について

『資本論』第2部第20章第4節の不可解な部分について

 『資本論』第2部第3篇第20章「単純再生産」第4節「部門IIのなかでの転換、必要生活手段と奢侈手段」の第24パラグラフ(これはパラグラフのとり方によって違ってくる)から26パラグラフにかけ、理解出来ない部分がある。まずその部分を全文を全集版から引用しておこう(引用文の最後の二つのパラグラフが皆目分からない?)。

 《本来の労働手段だけではなく原料や補助材料なども、そのかなり大きな部門がどちらかの部門でも同種のものである。しかし、総生産物I(v+m)の色々な価値部分の転換について言えば、この分割は全くどうでもよいであろう。前記の 800Ivも200Ivも次のようにして実現される。すなわち、労賃が消費手段1000IIcに支出され、したがって、労賃として前貸しされた貨幣資本が帰ってくるときに資本家的生産者Iの間に平等に分配され、彼らの出資に比例して彼らの前貸可変資本が再び貨幣で補填されるということによって、実現されるのである。他方、1000Imの実現について言えば、ここでも資本家たちは平等に(彼らのmの大きさに比例して)IIcの残り半分の全体=1000 のうちから、消費手段での 600IIa と 400IIb とを引き出すであろう。したがって、IIaの不変資本を補填するものは
 600c(IIa)からの 480(五分の三)と 400c(IIb)からの 320(五分の二)との合計 800 であり、
IIbの不変資本を補填するものは
 600c(IIa)からの 120(五分の三)と 400c(IIb)からの 80(五分の二)との合計 200 であり、
総計は 1000 である。》(全集版の500-1頁)

 この部分のマルクスの敍述には不可解な部分がある。確かに、マルクスが24パラグラフで前提しているように、総生産物I(v+m)がIIの亜部門abどちらでも使用可能な生産手段からなるとして、その区別の必要がないと仮定すれば、確かに24パラグラフで述べていることはその限りで妥当である。

 すなわち800Ivと200IIvは、Iの労働者が1000IIcに支出し、その貨幣がIの資本家たちにそれぞれが可変資本として前貸した分だけ貨幣形態で回収されることになる。

 さらにまた1000Imについては、その5分の3、600Imを必要消費手段に、また5分の2、400Imを奢侈手段に支出するとするなら、600cII(a)と400cII(b)とをそれぞれ実現し、貨幣はそれを支出した資本家たちに帰ってくる、等々。

 しかし問題なのは、24パラグラフの最後から26パラグラフにかけて論じていることである。一体、マルクスはここで何を言いたいのか、皆目分からない。

 マルクスは《IIaの不変資本を補填するもの》として、《600c(IIa)からの480(5分の3)と400c(IIb)からの320(5分の2)との合計800》と書いているが、IIaの不変資本は1600cであり、これでは補填は成立しない。また《IIbの不変資本を補填するもの》として《600c(IIa)からの120(5分の3)と400c(IIb)からの80(5分の2)との合計200》で総計1000と書いているがこれも数値が合わない。数値が合わないだけでなく不合理である。

 この部分は次のようにいうべきではないだろうか。

 IIa(1600c)の不変資本を補填するものは、I(800v+200v)の1000と1000Imのうち必要消費手段に支出される600Im(5分の3)との合計1600
 IIb(400c)の不変資本を補填するものは、1000Imのうち奢侈手段に支出される400Im(5分の2)、すなわち400である、と。

 このようにこの部分については、不可解なので、もう一度、以前の単純再生産の表式をIIの亜部門の条件を入れて書いてみて、独自の考察を加えてみることにする。

 I 4000c+1000v+1000m
     [a) 800v+ 800m]
      [b) 200v+ 200m]

 II 2000c+500v+500m
  [a)1600c+400v+400m]
  [b) 400c+100v+100m]

 さて、ここで2000I(v+m)は生産手段の現物形態で存在するが、それが交換される2000IIcがabの亜部門に分けられることによって、消費手段の生産手段I(800v+800m)と奢侈手段の生産手段I(200v+200m)とに分かれる。もちろん2000I(v+m)は本来の労働手段だけでなく、原料や補助材料など、かなりの部分がそのどちらの亜部門でも使用可能であろう。しかしわれわれはそれを便宜上、明確に区別されるものと仮定しよう、そうすると資本家Iも必要消費手段の生産手段を生産する部門Iaと、奢侈手段の生産手段を生産する部門Ibに分かれることになる。そうした場合、総生産物I(v+m)のそれぞれの価値部分の転換は如何になされるのであろうか。

 例えば800Ivと200Ivは次のように実現される。

 IaとIbの資本家はそれぞれの労働者にIaは800ポンド、Ibは200ポンドの賃金を支払い、それぞれの労働者は彼らの労賃1000ポンドを支出してIIaの1600cのうち1000IIc(a)の消費手段を購入する。IIaの資本家はその売上金1000ポンドのうち800ポンドでIaの800vの生産手段を購入し、さらに残りの200ポンドでIaの800mのうち200mの生産手段を購入する。すると資本家Iaは彼が労働者に支払った800ポンドを回収し、さらに800mのうち200mを販売し、200ポンドの貨幣を手に入れることになる。しかし資本家Ibの200vは依然として実現できず、よって彼が労働者に支払った200ポンドはまだ回収できていないことになる。

 そこで今度は1000mI(800m+200m)の実現について考えてみよう。

 すでにIaは彼の800mのうち200mを販売し、貨幣で200ポンドを持っている。彼は800mのうち480m(5分の3)を必要生活手段に、320m(5分の2)を奢侈手段に当てる。だから彼はすでに持っている200ポンドに手持ちの貨幣280ポンド加えて合計480ポンドでIIaから必要生活手段を購入する。するとIIaの資本家はすでにIの労働者に1000cを販売しているので、残りの600cのうち480cを資本家Iaに販売したことになる。彼はその480ポンドで今度はIaの残りの600mのうち480mを購入する。すると資本家Iaは先に支払った480ポンドを回収する。彼はさらにそのうち320ポンドを使って、資本家IIbから奢侈手段を購入する。すると資本家IIbは彼の400cのうち320cを実現する。彼はその売上金320ポンドで資本家Ibの200vと200mのうち120mを購入する。すると資本家Ibにはようやく彼が彼の労働者に前貸した可変資本200が貨幣形態で還流し、さらに彼の200mのうち、120mが売れたことになる。資本家Ibも200mのうち120m(5分の3)を必要生活手段に、80m(5分の2)を奢侈手段に当てる。だから彼は120mの売上金で資本家IIaから必要生活手段を購入する。すると資本家IIaはIの労働者に販売した分(1000c)と資本家Iaに販売した分(480c)、そして最後に資本家Ibに販売した分(120c)とで合計、彼の不変資本分1600cをすべて実現したことになる。

 さてまだ資本家Ibの200mのうち80mが残っている。これは資本家Ibの奢侈手段の購入に当てる分であるから、資本家Ibは手許の金80ポンドで資本IIbの400cのうち残っている80cを購入する。すると資本家IIbはすでに資本家Iaに販売した320cと合わせて、合計400cをすべて実現したことになる。彼は80cの売り上げ金80ポンドで、今度は資本家Ibの80mの奢侈手段の生産手段を購入して彼の不変資本をすべて現物形態で補填する。こうして資本家Ibには彼が最初に奢侈手段の購入に投じた貨幣80ポンドが戻ってくることになる。

 以上のような複雑な過程をへて、I(800v+200v)とI(800m+200m)は実現されることになる。

 さて、上記の不可解な部分は、しかしあくまでもエンゲルス版にもとづいたものである。だからこの部分はマルクスの草稿ではどうなっているのかを少し調べる必要がある。もちろん、第2部のエンゲルス版の元になった諸草稿はまだ刊行されていないが、この第20章に関しては市原健志氏の研究がある(《『資本論』第2部第3篇第19・20章と第2部第8稿(上・下)》『商學論纂』第29巻第2・3号)。それを参考に調べてみた。まずエンゲルス版の問題部分を引用し、エンゲルスによる修正部分を[ ]に入れ、そのあとにマルクスの草稿の記述を【 】で加えておいた。

■『資本論』第2部第20章第4節エンゲルス版24~26パラグラフとマルクスの草稿

 《本来の労働手段だけではなく原料や補助材料なども、そのかなり大きな部門がどちらかの部門でも同種のものである。しかし、総生産物I(v+m)の色々な価値部分の転換について言えば、この分割は全くどうでもよいであろう[前記の]【エンゲルスの加筆】800Ivも200Ivも次のようにして実現される。すなわち、労賃が[消費手段]【エンゲルスの加筆】1000IIcに支出され、したがって、労賃として前貸しされた貨幣資本が帰ってくるときに資本家的生産者Iの間に平等に分配され、彼らの出資に比例して彼らの前貸可変資本が再び貨幣で補填されるということによって、実現されるのである。[他方、1000Imの実現について言えば、ここでも資本家たちは平等に(彼らのmの大きさに比例して)IIcの残り半分の全体=1000 のうちから、消費手段での600IIaと400IIbとを引き出すであろう。したがって、IIaの不変資本を補填するものは]他方、この資本家たちは釣り合いをもって(彼らのmの大きさに比例して)、600(IIa)と400(IIb)とを引き出すであろう。】
 [600c(IIa)からの 480(五分の三)と400c(IIb)からの320(五分の二)との合計800であり、
 IIbの不変資本を補填するものは
 600c(IIa)からの 120(五分の三)と400c(IIb)からの 80(五分の二)との合計200であり、
総計は 1000 である。]

【すなわち、
 IIa=600c(II)(a)から480とcII(b)から320=800
                             合計=1000
 IIb)=600c(II)(a)から120とcII(b)から80=200

 このようにマルクスの草稿そのものにはまったく不合理な点はない。だからエンゲルスは恐らくマルクスの草稿の内容を理解できなかったのであろう。エンゲルスの修正箇所を取り除き、マルクスの草稿部分だけを取り出してみると、次のようになる。

 《他方、この資本家たちは釣り合いをもって(彼らのmの大きさに比例して)、600(IIa)と400(IIb)とを引き出すであろう。
 すなわち、
IIa=600c(II)(a)から480とcII(b)から320=800
                             合計=1000
IIb)=600c(II)(a)から120とcII(b)から80=200

 ここでやや首をかしげるのはマルクスが「IIa」と「IIb)」と書いているぐらいで(ただこれも草稿を調べた市原氏の見間違いの可能性がないとはいえない)、ここは本来なら「Ia」「Ib」が適当であろう。そうすれば、マルクスが述べていることは、極めて明確であり、それは次のようなことなのである。
 
 《他方、Iの資本家たちの剰余価値部分I(800m+200m)は、それぞれ釣り合いをもって(すなわち彼らのmの大きさ、すなわちIaは800m、Ibは200mに応じて)、600(IIa)と400(IIb)から、それぞれ必要生活手段と奢侈手段とを引き出すであろう。すなわわち
 資本家Iの必要生活手段の生産手段を生産する資本家(つまりIa)は剰余価値800mのうち5分の3(480m)を必要生活手段に支出する、すなわち600c(II)(a)のうち480c(II)(a)と補填し合う、さらにその5分の2(320m)を奢侈手段に支出する、すなわち400c(II)(b)のうち320c(II)(b)と補填し合う、合計800。
 また資本家Iの奢侈手段の生産手段を生産する資本家(つまりIb)は剰余価値200mのうちやはり5分の3(120m)を必要生活手段に支出する、よって600c(II)(a)のうち120cと補填し合う、さらにその5分の2(80m)を奢侈手段に支出する、よってと400cII(b)のうち80cと補填し合う、合計200、よって総合計1000。》
 
 このようにマルクス自身は明確に語っていたのである。ただエンゲルスにはそれが分からず変な修正をしたために、皆目意味不明な内容になってしまっていたのである。

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